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あいだ文化ぶんか哲学てつがく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

あいだ文化ぶんか哲学てつがく(かんぶんかてつがく、Intercultural philosophy)とは、文化ぶんかからの影響えいきょう統合とうごうすることを重視じゅうしする哲学てつがくへのアプローチである。西洋せいよう哲学てつがくアジア哲学てつがくアフリカ哲学てつがくなどのことなる哲学てつがくてき伝統でんとう遭遇そうぐうあらわすこともある。

Ronnie Littlejohnは「インターネット哲学てつがく百科ひゃっか事典じてん」のなかで、比較ひかく哲学てつがくを「哲学てつがくしゃ文化ぶんかてき言語げんごてき哲学てつがくてきながれをえて、さまざまな原典げんてん意図いとてき対話たいわさせることによって、様々さまざま問題もんだいむこと」とし、世界せかい哲学てつがくを「哲学てつがくしゃが、世界せかいにある思想しそう伝統でんとうゆたかさにもとづいて、哲学てつがく体系たいけい構築こうちくするもの」と特徴とくちょうづけている。

ポール・マッソン-ウルセルen:Brajendra Nath Sealサルヴパッリー・ラーダークリシュナンなど、あいだ文化ぶんか哲学てつがくにはおおくの先駆せんくしゃがいるものの[1]、コンセプトとしてのあいだ文化ぶんか哲学てつがくは1980年代ねんだい登場とうじょうした。このコンセプトは、あいだ文化ぶんか哲学てつがく視点してん追求ついきゅうするドイツけんのヨーロッパの思想家しそうかむすびつけられることがおお[2]

あいだ文化ぶんか哲学てつがくかんがかた

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哲学てつがくなが歴史れきしなかでは、つね普遍ふへんせいへの希求ききゅう存在そんざいしてきた。しかし、過去かこおおくの偉大いだい思想家しそうかたちは、西洋せいよう伝統でんとうにのみ哲学てつがくてき価値かちいだし、地域ちいきなに世紀せいきにもわたって独自どくじげてきたことを見過みすごしてきた。ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルのようなヨーロッパ中心ちゅうしん主義しゅぎ哲学てつがくしゃは、ギリシャが唯一ゆいいつ哲学てつがく発祥はっしょうであり、中国ちゅうごくやインドのような伝統でんとう知恵ちえについてのおしえにぎないとする[3]一方いっぽうで、哲学てつがく発祥はっしょうはひとつではなく、アジアの伝統でんとうふくまれるとかたものもいる[4]

ドイツの精神せいしんであり哲学てつがくしゃでもあったカール・ヤスパースは、中国ちゅうごく、インド、西洋せいよう哲学てつがくてき思考しこう発展はってんした紀元前きげんぜん800ねんから紀元前きげんぜん200ねんまでの期間きかん枢軸すうじく時代じだい理論りろん発展はってんさせた[3][5]。ヤスパースの理論りろんは、あいだ文化ぶんかてき哲学てつがくをする人々ひとびとひろれられている。

ヨーロッパ中心ちゅうしん主義しゅぎとは対照たいしょうてきに、文化ぶんかあいだ交流こうりゅう出会であいが人間にんげん存在そんざいにおける事実じじつであるとすれば[6]とく今日きょうのグローバルな状況じょうきょうにおいては、ことなる伝統でんとう文化ぶんかあいだのコミュニケーションやきょうはたらけ必要ひつようであるとかんがえる哲学てつがくしゃがいる[2][3][7][8]目指めざすべきは、文化ぶんか包含ほうがんするように思考しこう拡張かくちょうすること、ひとつの伝統でんとうだけでなく、アジア、ラテンアメリカ[8]、イスラム、アフリカ[7]など、できるだけおおくの伝統でんとう考慮こうりょすることである。もはや、自分じぶんひとりでいをてることは重要じゅうようではない。なぜなら、それは非常ひじょう地域ちいきてきなアプローチになるからだ。あいだ文化ぶんか哲学てつがくは、学問がくもんてきなテーマではなく、哲学てつがくをするすべてのひとしたがうべき態度たいどである[3][5]。どのような哲学てつがくてき志向しこうであれ、文化ぶんか思想しそう考慮こうりょされるべきである[8]

ライモン・パニカーにとって、宗教しゅうきょう哲学てつがくむすびつけることもまた重要じゅうようである。なぜなら、宗教しゅうきょう哲学てつがくはどちらも人間にんげんてき現実げんじつ重要じゅうよう要素ようそであり、またおおくの文化ぶんかにとって重要じゅうようだからである[9]あいだ文化ぶんか哲学てつがくのアプローチを発展はってんさせるさいには、自身じしん論証ろんしょう方法ほうほう説明せつめいのしかたのみをもちいるというかんがえをて、舞踊ぶよう音楽おんがく建築けんちく儀礼ぎれい芸術げいじゅつ文学ぶんがく神話しんわ、ことわざ、民話みんわなど、形式けいしきふくめなければならない[2][10]。それぞれの独自どくじ伝統でんとうまもられ、ひとつのおおきなシンクレティズムつくげられてしまうことがない、多様たよう交流こうりゅう可能かのうにする出会であいの方法ほうほうつけなければならない。Fornet-Betancort(後述こうじゅつ)によれば、グローバルによって文化ぶんか吸収きゅうしゅうされ、単一たんいつ文化ぶんか規定きていされた世界せかい文化ぶんかになるのをめる唯一ゆいいつ方法ほうほうは、文化ぶんかあいだ対話たいわのプロジェクトだという[11]。また、中国ちゅうごく日本にっぽん自国じこく文化ぶんかてきアイデンティティをうしなうことなく仏教ぶっきょう統合とうごう成功せいこうしていることから、他国たこくまなぶべきあいだ文化ぶんかてき実践じっせんれいとする見方みかたもある[12]。WimmerやMallのような哲学てつがくしゃ後述こうじゅつ)は、すべてのグループがおなじレベル('Ebene der Gleichheit')にあり、なん権力けんりょくもなく、よりよい議論ぎろんをするための対話たいわ形態けいたい想定そうていしている[3][5][7]

おも哲学てつがくしゃ

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あいだ文化ぶんか哲学てつがく思想しそうだれかとうことはできない。というのも、哲学てつがく史上しじょうあいだ文化ぶんかてきアプローチをその理論りろんれた哲学てつがくしゃつね存在そんざいしたからである。ただし、決定的けっていてきなもの、あるいはおおきなインパクトがあったものはなかったのであるが[2]あいだ文化ぶんか哲学てつがくは、すうにん哲学てつがくしゃにとどまらず、おおくの哲学てつがくしゃ関心事かんしんじとなってきたこともあり、げるべき名前なまえはかなりのかずになる[8]あいだ文化ぶんか哲学てつがくのコンセプトは、哲学てつがくしゃそれぞれの個人こじんてき背景はいけいによってことなるが、全員ぜんいん同意どういしているのは、このアプローチがもたらす実践じっせんじょう妥当だとうせいである。哲学てつがくしゃたちは、あいだ文化ぶんか哲学てつがく今日きょうのグローバル状況じょうきょうにどのように応答おうとうすべきかについて、それぞれ独自どくじ提案ていあんをしている[2]

Raúl Fornet-Betancourt

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Fornet-Betancourt(1946ねんまれ)は、ドイツのアーヘンで宣教せんきょうがく教授きょうじゅつとめている。かれはキューバでまれそだち、そこですでに複数ふくすう文化ぶんか、すなわちヨーロッパ文化ぶんか、ヒスパニック文化ぶんか、アフリカ文化ぶんか接触せっしょくしている。かれおも関心かんしんはラテンアメリカ哲学てつがくにあるが、かれはラテンアメリカ哲学てつがく自分じぶんだけで研究けんきゅうするのではなく、ラテンアメリカ出身しゅっしん哲学てつがくしゃたすけをりながら研究けんきゅうしていると公言こうげんしている[8]。Fornet-Betancourtは、いまだに世界せかい支配しはいしているヨーロッパ中心ちゅうしん主義しゅぎ克服こくふくするためには、あいだ文化ぶんかてきアプローチが重要じゅうようだとかんがえている。哲学てつがく歴史れきしは、拡大かくだい発展はってんもとづいてさい構築こうちくされるべきではなく、人類じんるいのあらゆる文化ぶんか多様たようせいによってさい構築こうちくされるべきである。しかし、過去かこだけを考慮こうりょれるのではなく、現在げんざいさい設計せっけい同様どうよう重要じゅうようである。あいだ文化ぶんか哲学てつがくは、多様たようせいみみかたむけさせるための手段しゅだんなのである[8]

Heinz Kimmerle

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Kimmerle(1930ねんまれ)は、エラスムス・ロッテルダム大学だいがく名誉めいよ教授きょうじゅである。かれは、哲学てつがくあいだ文化ぶんかてきコンセプトを構想こうそうするために、植民しょくみんてき思考しこうからだっし、完全かんぜん平等びょうどうもとづくアフリカ哲学てつがくとの対話たいわかうみち展開てんかいしようとしている[8]。Kimmerleにとって、あいだ文化ぶんかせいはあらゆるものに影響えいきょうおよぼすものであるため、哲学てつがくはその実践じっせんてき妥当だとうせいうしなわないよう、あらゆる下位かい領域りょういきにおいてあいだ文化ぶんかせい適応てきおうしなければならない。かれかんがえでは、芸術げいじゅつ哲学てつがくあいだ文化ぶんかてき思考しこう先駆せんくしゃとして重要じゅうよう役割やくわりたしている[2]

Ram Adhar Mall

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Mall(1937ねんまれ)は哲学てつがく教授きょうじゅであり、ミュンヘン大学だいがくあいだ文化ぶんか哲学てつがく解釈かいしゃくがくおしえている。インド哲学てつがく社会しゃかいがく体系たいけいてき研究けんきゅうしており[8]、インドじん血筋ちすじであるとともに西洋せいよう教育きょういくけていることから、みずからをインサイダーであると同時どうじにアウトサイダーであるとかんがえている[5]。Mallにとってあいだ文化ぶんかせいとは、単独たんどくでは存在そんざいしえない文化ぶんかかさなりうことからまれる。あいだ文化ぶんか哲学てつがくとは、けっしてヨーロッパ以外いがいのものにたいするロマンティックな観念かんねんなのではなく、哲学てつがくてき思考しこう先立さきだ態度たいどなのである。そうしてはじめて、比較ひかく哲学てつがく可能かのうになる。Mallは、かれが「類似るいじ (analogous)」[5][8]解釈かいしゃく方法ほうほうんできた。これは、根本こんぽんてき差異さい完全かんぜん同一どういつせいという解釈かいしゃくにおける両極端りょうきょくたんのあいだをするものである[5]差異さいであるにもかかわらずかさなりうものを理解りかいすることで、文化ぶんか同一どういつではない文化ぶんか理解りかいすることができる。Mallは、理論りろんにおいても実践じっせんにおいても、絶対ぜったいてきただしさを主張しゅちょうすることの放棄ほうきうったえている[8]

Franz Martin Wimmer

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Wimmer(1942ねんまれ)はウィーン大学だいがくじゅん教授きょうじゅである。かれは、哲学てつがく概念がいねんをヨーロッパ中心ちゅうしん主義しゅぎから解放かいほうすることが重要じゅうようだとかんがえた。Wimmerは、哲学てつがく内容ないようを、提起ていきされたいにかんして定義ていぎしている。論理ろんりがく存在そんざいろん認識にんしきろん規範きはん価値かちかん正当せいとうかんする伝統でんとうはすべて哲学てつがくてきである。げん段階だんかいではそうでなかったとしても、哲学てつがくつねあいだ文化ぶんかてきであるべきである。哲学てつがく普遍ふへんせい主張しゅちょうしながらも、他方たほうではつね文化ぶんか特定とくてい表現ひょうげん手段しゅだん特定とくていいにまれているというのは、まさに「文化ぶんかせい苦境くきょう」である[2]。Wimmerは、哲学てつがくてき思想しそうが、西洋せいよう以外いがい伝統でんとうふくめてなおされなければならない、ということに関心かんしんいている。かれはまた、あいだ文化ぶんかてき対話たいわかれうところの「ポリローグ」を可能かのうにする方法ほうほう開発かいはつしたいとかんがえている[8]

あいだ文化ぶんかてき対話たいわへのアプローチ

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文化ぶんかについてなにかをもうというとき、自分じぶんのやりかただけを主張しゅちょうしたり、ひとたちにもそうするようもとめたりすることはできない。文化ぶんかあいだコミュニケーション英語えいごばんはこのあたらしい状況じょうきょう適応てきおうしなければならない。あいだ文化ぶんか哲学てつがく哲学てつがくしゃおおくは、伝統でんとうにアプローチするさいに、ているようでことなるルールやガイドラインを提案ていあんしている。

ポリローグ

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ポリローグは、オーストリアの哲学てつがくしゃFranz Martin Wimmerが考案こうあんしたものである。かれは、あいだ文化ぶんかてき志向しこう哲学てつがくのなかで、軽率けいそつ普遍ふへん主義しゅぎ相対そうたい主義しゅぎてき個別こべつ主義しゅぎ無効むこうにする方法ほうほうつけなければならないと主張しゅちょうしている。いわば、他者たしゃこえかせるさいには、そのしゃなにを、なぜうのかだけでなく、どのような正当せいとうせいをもって、どのような信念しんねん確信かくしんもとづいているのかを必要ひつようがある[3]急進きゅうしん主義しゅぎ普遍ふへん主義しゅぎのあいだには、文化ぶんかたすけをりながら哲学てつがくのプログラムを遂行すいこうするだいさん方法ほうほう存在そんざいしなければならない。Wimmerはこの方法ほうほうをポリローグ、すなわち多数たすう人々ひとびと対話たいわんでいる。テーマべつ疑問ぎもんたいするこたえは、このようなポリローグのなかで解決かいけつされるべきである。かれは、ポリローグの「最小限さいしょうげんのルール」のあんしめしている[3]。それは「単一たんいつ文化ぶんかてき伝統でんとうにいる哲学てつがくしゃによる哲学てつがくてきテーゼを、十分じゅうぶん根拠こんきょがあるものとしてけっしてれてはならない」というものである。では、ポリローグとはどのようなものだろうか。Wimmerは、説明せつめいのために、よっつの伝統でんとう(A、B、C、D)に関連かんれんする問題もんだい想定そうていしている。A、B、C、Dのよっつの伝統でんとうには、一方いっぽうてき影響えいきょうりょく(→)と相互そうごてき影響えいきょうりょく(↔)があるとすると、以下いかのように区別くべつすべきことなるモデルがかんがえられる[3]

一方いっぽうてき影響えいきょう

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A → B かつ A → C かつ A → D

このモデルでは対話たいわ不可能ふかのうである。伝統でんとうAの拡大かくだいとB、C、Dのような文化ぶんか消滅しょうめつ目的もくてきとなっている。B、C、Dの反応はんのうおなじである必要ひつようはない。もう反発はんぱつすることもあるだろうし、伝統でんとうAを完全かんぜん模倣もほうすることもあるだろう。このモデルのいちれいは、ヨーロッパ中心ちゅうしん主義しゅぎである[3]

一方いっぽうてきかつ推移すいいてき影響えいきょうりょく

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A → B かつ A → C かつ A → D かつ B → C

このモデルでも対話たいわ必要ひつようない。Aはもっと影響えいきょうりょくのある文化ぶんかでありつづけ、BはDを無視むしし、CはDを無視むしする。文化ぶんか比較ひかくするというかんがかた発生はっせいするとすれば、Cにたいするじゅう影響えいきょうがあるからであろう。

部分ぶぶんてき互恵ごけいてき影響えいきょう

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これには様々さまざま形態けいたいがありる。たとえば、

A ↔ B かつ A → C かつ A → D

というかたちや、

A ↔ B かつ A → C かつ A → D かつ B → C

というかたちがあり、最終さいしゅうてきには、

A ↔ B かつ A ↔ C かつ A ↔ D かつ B ↔ C かつ B ↔ D かつ C → D

というかたちもありる。これらの形態けいたいはすべて選択せんたくてきアカルチュレーションとみなすことができる。ダイアローグや、場合ばあいによってはポリローグもありるが、Dはその例外れいがいとなる。

完全かんぜん互恵ごけいてき影響えいきょう: ポリローグ

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A ↔ B かつ A ↔ C かつ A ↔ D かつ B ↔ C かつ B ↔ D かつ C ↔ D

それぞれの伝統でんとうは、伝統でんとう非常ひじょう興味深きょうみぶかいとかんじており、これこそがあいだ文化ぶんか哲学てつがくにおける調和ちょうわのとれたモデルである。互恵ごけいてき影響えいきょう完全かんぜん平等びょうどうもとづいてこる。もちろん、実際じっさい使用しようされるにあたっては、これほど注意深ちゅういぶかくバランスがられることはないかもしれない。ある伝統でんとうだいさん伝統でんとうよりもだい伝統でんとう興味きょうみつかもしれないが、これはあいだ文化ぶんかてき対話たいわ共通きょうつうむずかしさである[3]

あいだ文化ぶんかてき対話たいわのための経験けいけんそく

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en:Elmar Holenstein(1937ねんまれ)はスイスの哲学てつがくしゃで、現象げんしょうがく言語げんご哲学てつがく文化ぶんか哲学てつがくかんする問題もんだいんでいる。かれは、文化ぶんかあいだ誤解ごかいだい部分ぶぶんけることができるいくつかの経験けいけんそく見出みいだしている[13]

論理ろんりてき合理ごうりせいのルール自分じぶんにとって論理ろんりてきでないかんがえがあった場合ばあい、その文化ぶんか伝統でんとう論理ろんりてきあるいはぜん論理ろんりてきとするのではなく、むしろ自分じぶん誤解ごかいしているとかんがえなければならない。

目的もくてきろんてき合理ごうりせいのルール(機能きのうせいのルール)じんは、自分じぶんがすることの目的もくてき追求ついきゅうするのであって、論理ろんりてき合理ごうりせいだけでなにかを表現ひょうげんすることはない。論理ろんりてき合理ごうりせい目的もくてきてき合理ごうりせい、すなわち、あるぶんがあったとして、その文字通もじどおりの意味いみと、それによって追求ついきゅうされるゴールとを区別くべつできない場合ばあい誤解ごかいしょうじやすい[13]

人間にんげんせいルール(自然しぜんせいルール)無意味むいみで、不自然ふしぜん人間にんげんてき未熟みじゅくなふるまいや、それに対応たいおうする価値かちかん文化ぶんか人々ひとびと帰属きぞくさせるまえに、自分じぶん自身じしん判断はんだん知識ちしき妥当だとうせいうたがうことからはじめたほうがよい[13]

Nos quoqueルール(“わたしたちもおなじことをする”ルール)文化ぶんかにおいて、矛盾むじゅんなくれることがまったくできないことに遭遇そうぐうした場合ばあい自身じしん過去かこあるいは現代げんだい文化ぶんかに、それに匹敵ひってきする、いやそれ以上いじょうにひどい出来事できごとつける可能かのうせいひくくない[13]

Vos quoqueルール(“あなたたちもおなじことをする”ルール)前者ぜんしゃのルールをかんがえれば、スキャンダラスな出来事できごと拒否きょひ反応はんのうしめ文化ぶんか人々ひとびとにいる可能かのうせいひくくない。

はんかくれた人種じんしゅ主義しゅぎ”ルールじん欲求よっきゅう不満ふまんおちいると、自身じしん欠点けってん拡大かくだい解釈かいしゃくして集団しゅうだんのメンバーのなかに見出みいだ傾向けいこうがある。かくれた人種じんしゅ主義しゅぎは、自分じぶん優越ゆうえつかんおびやかされたときに顕在けんざいする。自分じぶん文化ぶんかあきらかにするために、文化ぶんか分析ぶんせきしなければならない[13]

パーソナリティ・ルール文化ぶんかのメンバーを研究けんきゅう対象たいしょう手段しゅだんとしてあつかうのではなく、同等どうとう権利けんり研究けんきゅうのパートナーとしてあつかうことで、あやまった判断はんだん要領ようりょうわるさをけることができる[13]

主観性しゅかんせいのルール自己じこイメージは、部外ぶがいしゃ印象いんしょう同様どうように、額面がくめんどおりにられるものではない。そのひと気質きしつ出会であいの種類しゅるいによって、ひと自分じぶん過大かだい評価ひょうかし、過大かだいげ、かざ傾向けいこうがあり、ぎゃく自分じぶん過小かしょう評価ひょうかし、過小かしょう評価ひょうかし、否定ひていする傾向けいこうがある[13]

存在そんざいろん-義務ぎむろんルール(「ある」たい「べき」ルール)行動こうどう規範きはん憲法けんぽう条文じょうぶんは、ありのままの状態じょうたいあらわすのではなく、発言はつげんけん集団しゅうだん見解けんかい沿った状態じょうたいあらわす。ときには、事実じじつとはことなるが、適切てきせつなふるまいとかんがえられていることのかがみぞうしめすこともある[13]

極性きょくせいルール(文化ぶんかてき二元論にげんろんへの対抗たいこうルール)極性きょくせいは、複雑ふくざつさを軽減けいげんし、物事ものごと分類ぶんるいするための初歩しょほてき手段しゅだんである。そのおも機能きのうは、物事ものごとをありのままに表現ひょうげんすることではなく、むしろあつかいやすい方法ほうほう表現ひょうげんすることである。単純たんじゅん誇張こちょう絶対ぜったい主義しゅぎ排他はいたせいをともなう極性きょくせいは、比較ひかく対象たいしょうふたつに限定げんていするのではなく、複数ふくすう文化ぶんか相互そうご比較ひかくし、ふたつの文化ぶんかのあいだでそのような両極りょうきょく関係かんけい維持いじされる状況じょうきょうや、どのような条件じょうけん相互そうご対比たいひされる文化ぶんかのなかに両極りょうきょく関係かんけい検出けんしゅつされるかに注意ちゅういはらうことで、もっともよくふせぐことができる[13]

同質どうしつせいのルール文化ぶんか同質どうしつであるという仮定かていは、文化ぶんかのなかにある様々さまざま時代じだい傾向けいこう形成けいせい過程かていを、あたかもそれらが発展はってん度合どあいによって区別くべつされるだけであり、そのどれもが独自どくじせい自律じりつせいたないかのように、一直線いっちょくせんじょう順序じゅんじょならべようとする誘惑ゆうわくである[13]

不可知論ふかちろんのルール – すべての文化ぶんかにおいて、また文化ぶんかえて、こたえのないなぞ存在そんざいする。満足まんぞくのいくこたえがつからないかもしれないという事実じじつ覚悟かくごしなければならない[13]

グレゴール・パウルのあいだ文化ぶんか哲学てつがくのための基本きほんルール

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グレゴール・パウルカールスルーエ大学だいがく教授きょうじゅである。認識にんしきろん論理ろんりがく美学びがく比較ひかく哲学てつがく人権じんけん関心かんしんつ。かれは、あいだ文化ぶんか哲学てつがくかんする16の方法ほうほうろんてきルールを策定さくていしている[14]

  1. 類似るいじてん把握はあくし、それを明示めいじする。
  2. 相違そういてんあきらかにし、それを説明せつめいする。
  3. 偏見へんけん払拭ふっしょくする。
  4. 神秘しんぴ異国いこく趣味しゅみける。
  5. 普遍ふへんてき論理ろんりてき法則ほうそく存在そんざい仮定かていする。
  6. 対等たいとうなものだけを比較ひかくし、カテゴリーミスをける。
  7. 一般いっぱんける。
  8. 伝統でんとう一部いちぶ全体ぜんたいあやまらない(たとえば、ぜん東洋とうよう哲学てつがくなさない)。

比較ひかく哲学てつがくかんするルールは以下いかとおり。

  1. すくなくともヒューリスティックかつプラグマティックな原理げんりとして、因果いんがせいという一般いっぱんてきかつプラグマティックな原理げんり普遍ふへんてき妥当だとうせいれる。
  2. 人類じんるいがくてき不変ふへん存在そんざい立脚りっきゃくする。
  3. 類似るいじてん相違そういてんかんする特定とくてい問題もんだい同定どうていとくにそれらの同定どうてい関連かんれんせいについてただしさを証明しょうめいする。

比較ひかく哲学てつがくはさらに、以下いか要求ようきゅうたすべきである。

  1. 哲学てつがく根底こんていにあり、哲学てつがくみちび概念がいねん明示めいじする。
  2. エスノセントリズムやヨーロッパ中心ちゅうしん主義しゅぎける。
  3. 「ドイツ哲学てつがく」や「東洋とうよう哲学てつがく」「西洋せいよう哲学てつがく」といった用語ようごを、「ドイツで定式ていしきあるいは発展はってんした哲学てつがく」「アジアで定式ていしきあるいは発展はってんした哲学てつがく」の略語りゃくごとしてのみ使用しようすること。

さらなる共通きょうつうルールとして、以下いかのものがある。

  1. 学際がくさいてきであること。
  2. 重要じゅうよう事例じれいについて文脈ぶんみゃく主義しゅぎであること。

この16のルールは、対等たいとうなレベルでの文化ぶんかあいだ交流こうりゅう可能かのうにするものである[14]

あいだ文化ぶんか哲学てつがくのメディア

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哲学てつがくしゃ個別こべつ研究けんきゅうくわえ、あいだ文化ぶんか思想しそうひろめ、できるだけおおくのこえとどけるために、ジャーナルが発行はっこうされてきた。Polylogあいだ文化ぶんか哲学てつがくのための雑誌ざっしで、1998ねんからオーストリアウィーン発行はっこうされ、おもにドイツ論文ろんぶん掲載けいさいしている。Simplegadiあいだ文化ぶんか哲学てつがくのための雑誌ざっしで、1996ねんからイタリアパドヴァ発行はっこうされている。Simplegadiはイタリアのジャーナルである[2]。2010ねんからは、Centro Interculturale Dedicato a Raimon Panikkar(ライモン・パニカー記念きねんしたあいだ文化ぶんかのためのセンター)がCirpit Review印刷物いんさつぶつとデジタル形式けいしき発行はっこうしており、ライモン・パニカーの思想しそう触発しょくはつされた文化ぶんかてきイベントを促進そくしんし、ひろめている。

関連かんれん項目こうもく

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哲学てつがくてき伝統でんとう

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Sweet, William, ed. (2014), What is Intercultural Philosophy? Washington, DC, Council for Research and Values in Philosophy.
  2. ^ a b c d e f g h Chini, Tina “Interkulturelle Philosophie – Disziplin, Orientierung, Praxis?” polylog 12 (2004): 120-131.
  3. ^ a b c d e f g h i j Wimmer, Franz Martin (2004). Interkulturelle Philosophie. Vienna: UTB.
  4. ^ Mall, Ram Adhar et al. (1989). Die drei Geburtsorte der Philosophie. China, Indien, Europa. Bonn: Bouvier.
  5. ^ a b c d e f Mall, Ram Adhar (2000). Intercultural Philosophy. Rowman & Littlefield Publishers, Inc.
  6. ^ Furtado, Gabriel Vincent “Intercultural Conflict in Asian Philosophy” in: Fornet-Betancourt, Raúl (Ed.). Unterwegs zur interkulturellen Philosophie. Frankfurt: IKO (1998).
  7. ^ a b c Kimmerle, Heinz (1994). Die Dimension des Interkulturellen. Amsterdam: Rodopi.
  8. ^ a b c d e f g h i j k Yousefi, Hamid Reza et al. (2005). Grundpositionen der interkulturellen Philosophie. Nordhausen: Traugott Bautz.
  9. ^ Panikkar, Raimon (2000). Religion, Philosophie und Kultur." polylog 1 (1998): 13-37.
  10. ^ Amaladass, Ananad “Literarische Formen des Philosophierens” polylog 15 (2006): 7-17.
  11. ^ Fornet-Betancourt, Raúl (2000) Philosophical Presuppositions of Intercultural Dialogue online at polylog: platform for Intercultural Philosophy. Retrieved 2010-09-07
  12. ^ Furtado, Gabriel Vincent “Asian Perspectives For the Development of Intercultural Thought” in: Fornet-Betancourt, Raúl (Ed.). Kulturen der Philosophie. Aachen: 1996.
  13. ^ a b c d e f g h i j k Holenstein, Elmar (2003). A Dozen Rules of Thumb for Avoiding Intercultural Misunderstandings (D. Goodwin, Trans.) online at polylog: platform for Intercultural Philosophy. Retrieved 2010-09-07
  14. ^ a b Paul, Gregor (2008). Einführung in die Interkulturelle Philosophie. Darmstadt: WBG.

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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