(Translated by https://www.hiragana.jp/)
阿多由太神社 - Wikipedia コンテンツにスキップ

おもねよし太神おおがしゃ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
おもねよし太神おおがしゃ

鳥居とりいから拝殿はいでんあお
所在地しょざいち 岐阜ぎふけん高山市たかやまし国府こくふまち木曽垣内きそがいと1023
位置いち 北緯ほくい3613ふん15.20びょう 東経とうけい13713ふん3.23びょう / 北緯ほくい36.2208889 東経とうけい137.2175639 / 36.2208889; 137.2175639 (おもねよし太神おおがしゃ)
主祭しゅさいしん 大歳おおとし祖神そしん
社格しゃかくひとし 式内しきないしゃきゅう郷社ごうしゃきむぬさしゃ
テンプレートを表示ひょうじ

おもねよし太神おおがしゃ(あたゆたじんじゃ)は、岐阜ぎふけん高山市たかやましにある神社じんじゃ

式内しきないしゃであり、延喜えんぎしきかみめいちょう飛騨ひだこくうちはちしゃひとつである。きゅう社格しゃかく郷社ごうしゃ本殿ほんでんくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされている[1]おなじく本殿ほんでんが2016ねん日本にっぽん遺産いさん飛騨ひだたくみわざ・こころ / 国府こくふ盆地ぼんち中世ちゅうせい社寺しゃじ建築けんちくぐん」のひとつとして認定にんていされた[2]

概要がいよう[編集へんしゅう]

創建そうけん時期じき不明ふめいである。日本にっぽんさんだい実録じつろくによるとさだかん9ねん867ねん)にしたがえじょうさづけられており、ふるくからたか神社じんじゃであったことが確認かくにんできる。江戸えど時代じだいには権現宮ごんげんみやしょうされていた。文化ぶんか年間ねんかん調査ちょうさで、式内しきないしゃあらしろ神社じんじゃとされたが、さい調査ちょうさすえ式内しきないしゃおもねよし太神おおがしゃであることが判明はんめいする。そのころ、権現宮ごんげんみやからおもねよし太神おおがしゃ改称かいしょうする。

文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

重要じゅうよう文化財ぶんかざいくに指定してい[編集へんしゅう]

  • 本殿ほんでん - 室町むろまち時代ときよ後期こうき建立こんりゅうさんあいだしゃりゅう見世みせたなづくり(さんげんしゃながれみせだなづくり)[3]かき葺。1961ねん昭和しょうわ36ねん)に指定していされた[1]

岐阜ぎふけん指定してい文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

高山市たかやまし指定してい文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

  • おもねよし太神おおがしゃ稲荷いなり社殿しゃでん - よしみひさし年代ねんだいさくとされる。

祭神さいじん[編集へんしゅう]

交通こうつう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b おもねよし太神おおがしゃ本殿ほんでん”. 文化ぶんか遺産いさんオンライン/文化庁ぶんかちょう. 2021ねん6がつ26にち閲覧えつらん
  2. ^ 日本にっぽん遺産いさんポータルサイト・飛騨ひだたくみわざ・こころ”. 文化庁ぶんかちょう. 2019ねん2がつ21にち閲覧えつらん
  3. ^ さんあいだしゃとは正面しょうめんはしらあいだが3あいだはしらが4ほんつ)である社殿しゃでんのこと。りゅう見世みせたなづくりとは、屋根やね流造ながれづくりとし、本殿ほんでんしゃこうはいばしらとのあいだたなじょう高床たかゆかった形式けいしきで、小規模しょうきぼ社殿しゃでんおおくみられる。
  4. ^ 随神かんながら”. 岐阜ぎふけん. 2016ねん2がつ6にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]