高伝寺
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1552 | |
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7300005000636 | |
歴史 [編集 ]
1552
文化財 [編集 ]
佐賀 県 指定 重要 文化財 [編集 ]
釈迦堂
本堂 内 にあり、正面 1間 、側面 1間 。総 ケヤキ造 りで生漆 を塗 って仕上 げられている。1655年 (承 応 4年 )初代 藩主 鍋島 勝茂 が父 直 茂 と母 陽 泰 院 の菩提 を弔 うために奉祀 した釈迦三尊 像 が安置 されている。禅宗 様 建築 の特色 がみられる。
紺 紙 金字 法華経 7巻
- 12
世紀 第 3四半世紀 頃 の制作 と考 えられている装飾 経 。
釈迦 ・迦葉・阿 難 図 狩野 探 幽 筆
佐賀 市 指定 [編集 ]
大 涅槃 像 (佐賀 市 指定 文化財 )
紙 本 著 色 、1706年 (宝永 3年 )制作 。本紙 が縦 1281.4cmx横 520.5cm、描表装 も含 めると縦 1514.0cmx横 609.8cmの大 きさを持 つ、日本 最大 級 の涅槃 図 。絵 は明 兆 筆 の仏 涅槃 図 (東福寺 蔵 )をほぼ忠実 に写 したものだが、高伝寺 本 のほうが2回 りほど大 きい。縦横 比率 もこちらのほうが縦長 であるが、モチーフの間隔 や位置 を少 しずつ変更 することで違和感 のない作品 に仕上 げている。絵 の作者 は不明 であるが本紙 の紙背 墨書 や箱 蓋 裏 の墨書 、更 に『葉隠 』聞書 第 六 に本 作 の制作 について記 されており、佐賀 藩 3代 藩主 鍋島 綱 茂 の発願 により制作 されたことが分 かる[1]。損傷 が激 しかったため九州 国立 博物館 でおよそ2年 をかけて修復 された[2]。毎年 期間 限定 で公開 されているが大 きすぎるため高伝寺 内 で一部分 のみの公開 となっているが[3]、修復 後 初 めて行 われた一般 公開 は九州 国立 博物館 1階 エントランスに吊 り下 げられての全体 公開 が行 われた[4]。
御 位牌 所 (佐賀 市 指定 文化財 )
- 1896
年 (明治 29年 )建立 。唐 風 な花 頭 窓 と棧唐戸 、そして向 拝 の屋根 はギリシャ風 の柱 に支 えられた破風 造 りとなっている。内部 中央 に鍋島 光茂 が寄進 した阿弥陀如来 像 が鎮座 しているほか、最大 のもので高 さ1.34メートルにもなる龍造寺 、鍋島 両家 の202霊 を祀 る位牌 が並 ぶ。
木造 鍋島 忠直 坐像 (佐賀 市 指定 文化財 )
本堂 に安置 されている冠 までの高 さ50センチの坐像 。忠直 に仕 えた江副 金 兵衛 の作 。江副 金 兵衛 は像 を藩主 光茂 に贈 った後 、忠直 に殉死 しており、これを受 けて光茂 は1661年 (寛文 元年 )に追腹 禁止 令 を発布 した。これは幕府 が出 した殉死 禁止 令 に先駆 けてのことである。
高伝寺 墓所 (佐賀 市 指定 史跡 )
墓所 の正面 と東側 に龍造寺 隆信 をはじめ龍造寺 正統 、西側 に鍋島 家 正統 の墓碑 が並 ぶ。鍋島 家
龍造寺 家
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龍造寺 家 初代 の遠祖 李 慶 公 宿 阿 の墓 -
龍造寺 家 氏 の墓 -
龍造寺 康 家 の墓 -
龍造寺 家 和 の墓 -
龍造寺 胤 久 の墓 -
龍造寺 胤 栄 の墓 -
龍造寺 家 兼 の墓 -
龍造寺 隆信 の墓 -
龍造寺 政 家 の墓 -
龍造寺 高房 の墓 -
妙 安 尼 (龍造寺 胤 栄 の娘 )の墓
高伝寺 の梅 (佐賀 市 指定 天然記念物 )
- 「
霊徳 寿 梅 」と称 される樹齢 約 400年 の古木 。佐賀 郡 春日 村 の玉 林寺 より鍋島 直 茂 に贈 られたという。
その他 [編集 ]
脚注 [編集 ]
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九州 国立 博物館 編集 ・発行 『トピック展示 巨大 掛軸 をめぐる文化 交流 ー祈 りと暮 らしのかたちー』 2010年 2月 21日 。 - ^
高伝寺 の大 涅槃 図 修復 終 え一般 公開 佐賀 新聞 - 2010年 04月 19日 - ^
大 涅槃 図 3期 に分 けて“全 公開 ”高伝寺 佐賀 新聞 - 2014年 04月 18日 - ^
高伝寺 の大 涅槃 図 13、14日 九 国 博 で展示 佐賀 新聞 - 2010年 03月 05日