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高伝寺こうでんじ

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高伝寺こうでんじ
所在地しょざいち 佐賀さがけん佐賀さが本庄ほんじょうまち大字だいじ本庄ほんじょう1112番地ばんち1
位置いち 北緯ほくい3314ふん16.12びょう 東経とうけい13016ふん59.28びょう / 北緯ほくい33.2378111 東経とうけい130.2831333 / 33.2378111; 130.2831333座標ざひょう: 北緯ほくい3314ふん16.12びょう 東経とうけい13016ふん59.28びょう / 北緯ほくい33.2378111 東経とうけい130.2831333 / 33.2378111; 130.2831333
山号さんごう めぐみ日山ひやま
宗派しゅうは 曹洞宗そうとうしゅう
本尊ほんぞん 薬師やくし如来にょらい
創建そうけんねん 1552ねん天文てんもん21ねん
開基かいき 鍋島なべしまきよしぼう
法人ほうじん番号ばんごう 7300005000636 ウィキデータを編集
高伝寺の位置(佐賀市内)
高伝寺
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高伝寺こうでんじ(こうでんじ)は、佐賀さがけん佐賀さがにある曹洞宗そうとうしゅう仏教ぶっきょう寺院じいん山号さんごうめぐみ日山ひやま(えにちさん)。

うめ名所めいしょとしてもられる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

1552ねん天文てんもん21ねん)に当時とうじ龍造寺りゅうぞうじ家臣かしんだった鍋島なべしまきよしぼうにより、現在げんざい禅宗ぜんしゅう寺院じいんとして創建そうけんされた。以後いごきよしぼうまごである勝茂かつしげ初代しょだいとする佐賀さがはん鍋島なべしま菩提寺ぼだいじとなる。1871ねん明治めいじ4ねん最後さいご佐賀さが藩主はんしゅ鍋島なべしまただしだい散在さんざいしていた鍋島なべしま先祖せんぞはかもと主君しゅくんである龍造寺りゅうぞうじはかあつめて整備せいびしたため、龍造寺りゅうぞうじ隆信たかのぶ佐賀さがはん歴代れきだい藩主はんしゅ墓所はかしょがある。

文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

佐賀さがけん指定してい重要じゅうよう文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

  • 釈迦堂しゃかどう
本堂ほんどうないにあり、正面しょうめん1あいだ側面そくめん1あいだそうケヤキづくりで生漆きうるしって仕上しあげられている。1655ねんうけたまわおう4ねん初代しょだい藩主はんしゅ鍋島なべしま勝茂かつしげちちちょくしげるははたいいん菩提ぼだいとむらうために奉祀ほうしした釈迦三尊しゃかさんぞんぞう安置あんちされている。禅宗ぜんしゅうさま建築けんちく特色とくしょくがみられる。
  • こん金字こんじ法華経ほけきょう7かん
12世紀せいきだい3四半世紀しはんせいきごろ制作せいさくかんがえられている装飾そうしょくけい
  • 釈迦しゃか・迦葉・おもねなん 狩野かのさがせかそけひつ
鍋島なべしま勝茂かつしげ幕府ばくふ御用ごよう絵師えしをつとめた狩野かのさがせかそけ依頼いらいして制作せいさくしたもの。中幅ちゅうはば合掌がっしょうする立像りつぞう釈迦しゃか左右さゆうはばみぎ釈迦しゃかじゅうだい弟子でし迦葉ひだりおもねがた坐像ざぞうはいされている。

佐賀さが指定してい[編集へんしゅう]

  • だい涅槃ねはんぞう佐賀さが指定してい文化財ぶんかざい
かみほんちょしょく1706ねん宝永ほうえい3ねん制作せいさく本紙ほんしたて1281.4cmxよこ520.5cm、描表装ひょうそうふくめるとたて1514.0cmxよこ609.8cmのおおきさをつ、日本にっぽん最大さいだいきゅう涅槃ねはんあかりちょうふでふつ涅槃ねはん東福寺とうふくじくら)をほぼ忠実ちゅうじつうつしたものだが、高伝寺こうでんじほんのほうが2まわりほどおおきい。縦横じゅうおう比率ひりつもこちらのほうが縦長たてながであるが、モチーフの間隔かんかく位置いちすこしずつ変更へんこうすることで違和感いわかんのない作品さくひん仕上しあげている。作者さくしゃ不明ふめいであるが本紙ほんし紙背しはい墨書ぼくしょはこぶたうら墨書ぼくしょさらに『葉隠はがくれ聞書ききがきだいろくほんさく制作せいさくについてしるされており、佐賀さがはん3だい藩主はんしゅ鍋島なべしまつなしげる発願ほつがんにより制作せいさくされたことがかる[1]
損傷そんしょうはげしかったため九州きゅうしゅう国立こくりつ博物館はくぶつかんでおよそ2ねんをかけて修復しゅうふくされた[2]毎年まいとし期間きかん限定げんてい公開こうかいされているがおおきすぎるため高伝寺こうでんじない一部分いちぶぶんのみの公開こうかいとなっているが[3]修復しゅうふくはじめておこなわれた一般いっぱん公開こうかい九州きゅうしゅう国立こくりつ博物館はくぶつかん1かいエントランスにげられての全体ぜんたい公開こうかいおこなわれた[4]
高伝寺こうでんじ位牌いはいしょ
  • 位牌いはいしょ佐賀さが指定してい文化財ぶんかざい
1896ねん明治めいじ29ねん建立こんりゅうからふうはなあたままど棧唐、そしてこうはい屋根やねはギリシャふうはしらささえられた破風はふつくりとなっている。内部ないぶ中央ちゅうおう鍋島なべしま光茂みつしげ寄進きしんした阿弥陀如来あみだにょらいぞう鎮座ちんざしているほか、最大さいだいのものでたかさ1.34メートルにもなる龍造寺りゅうぞうじ鍋島なべしま両家りょうけの202れいまつ位牌いはいならぶ。
  • 木造もくぞう鍋島なべしま忠直ただなお坐像ざぞう佐賀さが指定してい文化財ぶんかざい
本堂ほんどう安置あんちされているかんむりまでのたかさ50センチの坐像ざぞう忠直ただなおつかえた江副えぞえきむ兵衛ひょうえさく江副えぞえきむ兵衛ひょうえぞう藩主はんしゅ光茂みつしげおくったのち忠直ただなお殉死じゅんししており、これをけて光茂みつしげは1661ねん寛文ひろふみ元年がんねん)に追腹おいばら禁止きんしれい発布はっぷした。これは幕府ばくふした殉死じゅんし禁止きんしれい先駆さきがけてのことである。
  • 高伝寺こうでんじ墓所はかしょ佐賀さが指定してい史跡しせき
墓所はかしょ正面しょうめん東側ひがしがわ龍造寺りゅうぞうじ隆信たかのぶをはじめ龍造寺りゅうぞうじ正統せいとう西側にしがわ鍋島なべしま正統せいとう墓碑ぼひならぶ。
鍋島なべしま
龍造寺りゅうぞうじ
霊徳れいとく寿ことぶきうめ
  • 高伝寺こうでんじうめ佐賀さが指定してい天然記念物てんねんきねんぶつ
霊徳れいとく寿ことぶきうめ」としょうされる樹齢じゅれいやく400ねん古木ふるき佐賀さがぐん春日かすがむらたま林寺はやしじより鍋島なべしまただししげるおくられたという。

その[編集へんしゅう]

八太はったろうまき

幕末ばくまつ活躍かつやくした副島そえじま種臣たねおみとそのあに枝吉えだよしかみよう墓所はかしょや、大隈おおくま重信しげのぶ子供こどものころのぼってあそんだ樹齢じゅれい600ねん推定すいていされるまき八太はったろうまき佐賀さがけんによるさが名木めいぼく100せん選定せんてい)がある。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 九州きゅうしゅう国立こくりつ博物館はくぶつかん編集へんしゅう発行はっこう 『トピック展示てんじ 巨大きょだい掛軸かけじくをめぐる文化ぶんか交流こうりゅういのりとらしのかたちー』 2010ねん2がつ21にち
  2. ^ 高伝寺こうでんじだい涅槃ねはん 修復しゅうふく一般いっぱん公開こうかい佐賀さが新聞しんぶん - 2010ねん04がつ19にち
  3. ^ だい涅槃ねはんけて“ぜん公開こうかい” 高伝寺こうでんじ佐賀さが新聞しんぶん - 2014ねん04がつ18にち
  4. ^ 高伝寺こうでんじだい涅槃ねはん 13、14にちきゅうこくはく展示てんじ佐賀さが新聞しんぶん - 2010ねん03がつ05にち

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]