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鍋島なべしま

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鍋島なべしま
家紋
鍋島なべしまあんずなべしまぎょうよう定紋じょうもん
本姓ほんせい 藤原ふじわらきたしょうながれ
宇多うたはじめ佐々木ささきりゅう?
いえ 長岡ながおかけいしゅう
種別しゅべつ 武家ぶけ
華族かぞく侯爵こうしゃく
出身しゅっしん 肥前ひぜんこく鍋島なべしまむら
おも根拠地こんきょち 肥前ひぜんこく鍋島なべしまむら
東京とうきょう
著名ちょめい人物じんぶつ 鍋島なべしまただししげる
鍋島なべしま直正なおまさ
支流しりゅう分家ぶんけ 小城おぎ鍋島なべしま武家ぶけ子爵ししゃく
蓮池はすいけ鍋島なべしま武家ぶけ子爵ししゃく
鹿島かしま鍋島なべしま武家ぶけ子爵ししゃく
武雄たけお鍋島なべしま武家ぶけ男爵だんしゃく
白石しらいし鍋島なべしま武家ぶけ男爵だんしゃく
鍋島なべしま貞次郎ていじろう男爵だんしゃく
凡例はんれい / Category:日本にっぽん氏族しぞく

鍋島なべしま(なべしまし)は、武家ぶけ華族かぞくだった日本にっぽん氏族しぞく戦国せんごく時代じだい龍造寺りゅうぞうじ重臣じゅうしんとして台頭たいとうし、近世きんせい肥前ひぜんこく佐賀さがはん藩主はんしゅいえとなり、維新いしんのち華族かぞく侯爵こうしゃくいえれっする[1]

出自しゅつじ

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出自しゅつじについては諸説しょせつあり、不明ふめい藤原ふじわらしげるきょうながれしょう子孫しそんともつたえられる[2]肥前ひぜんこく佐賀さがぐん本庄ほんじょうむら土豪どごう出自しゅつじする[3]

つう

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しゅたるつうは「じき」(なお)。その初期しょき当主とうしゅが「けい」(つね)、「きよし」(きよ)、「ぼう」(ふさ)などを、鍋島なべしまただししげる以降いこう佐賀さが藩主はんしゅ継承けいしょうしゃが「しげる」(しげ、鍋島なべしま重茂おもえ例外れいがいてきに「もち」)をもちいている。

歴史れきし

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龍造寺りゅうぞうじ重臣じゅうしん

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けいしゅうけいじきは、肥前ひぜん守護しゅごしょうきょうよりゆき支援しえんし、むすめ一人ひとりをその側室そくしつはいし、まれた男子だんしけいぼう鍋島なべしま相続そうぞくさせた。その龍造寺りゅうぞうじしたがって活躍かつやくする。とくにとおるろく3ねん1530ねん)の田手たでなわてたたかでは、鍋島なべしま清久きよひさ龍造寺りゅうぞうじぐん危機ききすくだい活躍かつやくしめすと、その功績こうせきにより清久きよく鍋島なべしまきよしぼうが、龍造寺りゅうぞうじむすめめとり、血縁けつえん関係かんけいむすんだ。きよしぼう次男じなんちょくしげるは、龍造寺りゅうぞうじ隆信たかのぶ副将ふくしょうとして、龍造寺りゅうぞうじ発展はってん興隆こうりゅう尽力じんりょくする。

隆信たかのぶ死後しご龍造寺りゅうぞうじせいは、豊臣とよとみ秀吉ひでよしから肥前ひぜんこく7ぐん30まん9902せき安堵あんどされたが、朱印しゅいんじょう龍造寺りゅうぞうじ高房たかぼうあてとなっている。鍋島なべしまただししげるはうち3まんせきあまりちょくしげる勝茂かつしげ合計ごうけいだか4まん4500せき)をあたえられ[4]龍造寺りゅうぞうじりょう支配しはい委任いにんされ実権じっけんにぎった。

佐賀さが藩主はんしゅ

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関ヶ原せきがはらでは西にしぐんくみしたが、おな西にしぐん立花たちばな宗茂むねしげ攻略こうりゃくすることで所領しょりょう安堵あんどされた。慶長けいちょう12ねん1607ねん)、せい嫡男ちゃくなん高房たかふさせい短期間たんきかん急死きゅうし徳川とくがわ家康いえやすにより鍋島なべしま正式せいしき佐賀さがはんこうなおしで35まん7せんせき)の藩主はんしゅみとめられ、龍造寺りゅうぞうじ大名だいみょうとしての地位ちい簒奪さんだつさんだつするかたちになった。せいのこりょう信清のぶきよぎ、佐賀さがはんでは龍造寺りゅうぞうじ本家ほんけとしてあつかわれた。

江戸えど時代じだい

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鍋島なべしまは35まん7せんせき国持くにもち大名だいみょうでありながらその実情じつじょうは、3ささえはん蓮池はすいけ小城おぎ鹿島かしま)・鍋島なべしま4庶流白石しらいし川久保かわくぼ村田むらた久保田くぼた)と龍造寺りゅうぞうじ4分家ぶんけ多久たく武雄たけお諫早いさはや須古すこ)のかく自治領じちりょうがあったため、藩主はんしゅ実質じっしつ知行ちぎょうだかは6まんせき程度ていどであった[5]

とくに3ささえはんはしばしば独立どくりつしょくしたがり、勝手かってまくかく城主じょうしゅかくへの昇進しょうしん運動うんどうしたりした(これはたとえば、蓮池はすいけはん鍋島なべしまは5まん2000せき小城おぎ鍋島なべしまは7まん3000せきでありながらしろ大名だいみょうのため、はるかに石高こくだかひく田原たはらはん城主じょうしゅ)1まんせき三宅みやけよりも江戸城えどじょうでの席次せきじしただったためである)。

さらに、常広つねひろ陣屋じんや(のち鹿島かしま陣屋じんや)と下総しもうさで2まん5せんせき鹿島かしまはん鍋島なべしまは、したがえろく[6]という旗本はたもとみの官位かんいかれ、昇進しょうしん妨害ぼうがいする佐賀さがはん本家ほんけ対立たいりつした。本家ほんけ理不尽りふじんさを幕府ばくふうったえていたせいしげる肥前ひぜん領地りょうちてて、本当ほんとう下総しもうさ矢作やさく5000せきのみの旗本はたもととなった(鹿島かしまはん2まんせきには本家ほんけからちょくあさはいる)。

長崎ながさき警備けいびにない、おも財政ざいせい負担ふたんなやむが、幕末ばくまついたって10代藩主はんしゅ鍋島なべしま直正なおまさ抜本ばっぽんてき藩政はんせい改革かいかく断行だんこうし、西洋せいよう技術ぎじゅつ積極せっきょくてき移入いにゅうたした。これにより雄藩ゆうはん一角いっかくめ、はやくからはんまく勢力せいりょく中心ちゅうしんとなり、薩長さっちょうならんで討幕とうばくぐんくわわった[7]

明治めいじ以降いこう

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東京とうきょう永田町ながたちょうにあった鍋島なべしま侯爵こうしゃくてい西洋せいようかん

維新いしん11だい鍋島なべしまただしだい佐賀さがはん知事ちじとなり、廃藩置県はいはんちけんのちにはいえろく2まん1373せき支給しきゅうされ、しょうてんろくのうち5000せきぶんわせて1876ねん明治めいじ9ねんきむろく公債こうさいがくは60まん3598えんおよび、この金額きんがくだい9だった[8]1884ねん明治めいじ17ねん)7がつ7にち華族かぞくれいにより華族かぞく爵制になると鍋島なべしまただしたい侯爵こうしゃくじょされた[1]。またささえはん藩主はんしゅだった鍋島なべしま3いえ当主とうしゅ鍋島なべしまただしやわら鍋島なべしまただしとら鍋島なべしまただしあきら)は子爵ししゃくれっ[9]、さらに一門いちもん分家ぶんけ当主とうしゅ3にん鍋島なべしましげるあきら鍋島なべしま直明なおあき鍋島なべしま貞次郎ていじろう)が男爵だんしゃくじょされている[10]

初代しょだい侯爵こうしゃく鍋島なべしまただしたいちゅうイタリア全権ぜんけん公使こうし元老げんろう院議いんぎかん式部しきぶ長官ちょうかん貴族きぞくいん議員ぎいん宮中きゅうちゅう顧問こもんかんなどを歴任れきにんしてなが明治天皇めいじてんのう側近そっきんとしてつかえ、したがえいち勲一等くんいっとうじょせられた[11]

鍋島なべしま侯爵こうしゃく東京とうきょう永田町ながたちょうのち首相しゅしょう官邸かんていとなる場所ばしょに2まんつぼ土地とち所有しょゆうし、そこに西洋せいようかん日本にっぽんかん建設けんせつした[8]とく西洋せいようかんほう佐賀さが出身しゅっしん建築けんちく坂本さかもとふくけい辰野たつの金吾きんごらにより建設けんせつされ「専門せんもん設計せっけいによる国内こくない最古さいこ洋風ようふうだい邸宅ていたく」と名高なだか[12]1892ねん明治めいじ25)ねん落成らくせい記念きねんさいには明治天皇めいじてんのう夫妻ふさい行幸ぎょうこうたまわり、伊藤いとう博文ひろぶみ徳川とくがわ家達いえさとなどの訪問ほうもんもあった[12]。しかし1923ねん大正たいしょう12ねん)に関東大震災かんとうだいしんさい西洋せいようかん倒壊とうかいし、被害ひがいすくなかったかんほう三井みつい八郎はちろうみぎ衛門えもん売却ばいきゃくされた(1927ねん昭和しょうわ2ねん)に拝島はいじま移築いちくされ三井みつい別荘べっそうになっている)[12]

大磯おおいそ日光にっこうにも別荘べっそう所有しょゆうし、はるなつはそこでごしていた[8]

ちょくだい死後しご鍋島なべしまただしうつ爵位しゃくい継承けいしょう貴族きぞくいん侯爵こうしゃく議員ぎいんとして火曜かようかい所属しょぞくした。また東京とうきょう多額たがく納税のうぜいしゃであった[11]

鍋島なべしま侯爵こうしゃく資産しさん運用うんようをうまくやり、大正たいしょうまつから昭和しょうわ初期しょき実業じつぎょうたちの発展はってんされてきゅう大名だいみょう華族かぞく相対そうたいてき没落ぼつらくし、きむ満家みついえ大番おおばんづけからきゅう大名だいみょう華族かぞく名前なまえ徐々じょじょえていく時世じせいなかでも前田まえだ侯爵こうしゃく山内やまうち侯爵こうしゃくならんで番付ばんづけ名前なまえのこつづけたいえだった[13]

鍋島なべしまただしだいまご鹿島かしま鍋島なべしま出身しゅっしん鍋島なべしまただし戦後せんご佐賀さが県知事けんちじ参議院さんぎいん議員ぎいんとなっている。

歴代れきだい当主とうしゅ

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鍋島なべしま宗家そうけ

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代数だいすう 肖像しょうぞう 名前なまえ
なま没年ぼつねん
続柄つづきがら 位階いかい 備考びこう つま おも子供こども
鍋島なべしまけいじきよりまえ省略しょうりゃく
3 鍋島なべしま けいぼうつねふさ
なま没年ぼつねんしょう
先代せんだい外孫そとまご
しょうきょうよりゆき
別名べつめいけいじき
肥前ひぜんこく土豪どごう
鍋島なべしま清久きよひさ
4 鍋島なべしま 清久きよひさきよひさ
1490ねん-1544ねん
先代せんだいいちなん 肥前ひぜんこく土豪どごう
龍造寺りゅうぞうじ家臣かしん
野田のだ大隅おおすみまもるむすめ 鍋島なべしま清泰きよやす一男かずお
鍋島なべしまきよしぼう二男じなん
5 鍋島なべしま きよしぼうきよふさ
1513ねん-1585ねん
先代せんだい二男じなん 龍造寺りゅうぞうじ家臣かしん 龍造寺りゅうぞうじじゅんむすめ
けい誾尼龍造寺りゅうぞうじたねむすめ
鍋島なべしま信房のぶふさ一男かずお
鍋島なべしまただししげる二男じなん
小河おがわ信俊のぶとし三男さんなん
龍造寺りゅうぞうじ康房やすふさ四男よつお
6 鍋島なべしま ちょくしげるなおしげ
1538ねん-1618ねん
先代せんだい二男じなん したがえ 名前なまえしんじやすしんしんしんじあきら信生のぶおちょくしげる
龍造寺りゅうぞうじ家臣かしん
肥前ひぜん佐賀さがはんはん
高木たかぎ胤秀たねひでむすめ
たいいん石井いしいつねのべむすめ
鍋島なべしま勝茂かつしげ一男かずお
鍋島なべしまただししげる二男じなん
おんな鍋島なべしましげるさとしつ
おんな多久たくやすしじゅんしつ
おんな諫早いさはや直孝なおたかしつ
7 鍋島なべしま 勝茂かつしげかつしげ
1580ねん-1617ねん
先代せんだいいちなん したがえよん 1だい肥前ひぜん佐賀さが藩主はんしゅ 戸田とだ勝隆かつたかむすめ正室せいしつ
こうみなもといん継室けいしつおか部長ぶちょうもりむすめ
小西こにし三右衛門さんえもんむすめ側室そくしつ
小代こしろ側室そくしつ
鍋島なべしまもとしげる二男じなん
鍋島なべしま忠直ただなお四男よつお
鍋島なべしまただしきよし五男いつお
鍋島なべしま直弘なおひろ八男はちお
鍋島なべしまただしあさきゅうなん
神代かみしろただしちょうじゅういちなん
おんな上杉うえすぎ定勝さだかつしつ
おんな多久たくしげるたつしつ
おんな諫早いさはやしげけいしつ
おんな松平まつだいらただしぼうしつ
8 鍋島なべしま 光茂みつしげみつしげ
1632ねん-1700ねん
先代せんだいまご
鍋島なべしま忠直ただなお
したがえよん 2だい肥前ひぜん佐賀さが藩主はんしゅ 上杉うえすぎ定勝さだかつむすめ正室せいしつ
中院なかのいんとおるじゅんむすめ継室けいしつ
執行しっこう宗全そうぜんむすめ側室そくしつ
村山むらやま側室そくしつ
鍋島なべしまつなしげる一男かずお
鍋島なべしまよししげる二男じなん
多久たく茂文しげふみ四男よつお
鍋島なべしま宗茂むねしげじゅうなん
おんな土井どい利重とししげしつ
おんな水野みずの忠直ただなおしつ
おんな伊東いとう祐実ゆみ側室そくしつ
おんな鍋島なべしまただしつね正室せいしつ
おんな鍋島なべしま茂正しげまさしつ
9 鍋島なべしま つなしげるつなしげ
1652ねん-1707ねん
先代せんだいいちなん したがえよん 3だい肥前ひぜん佐賀さが藩主はんしゅ 松平まつだいらひかりどおりむすめ
10 鍋島なべしま よししげるよししげ
1664ねん-1730ねん
先代せんだいおとうと
(8だい光茂みつしげ二男じなん
したがえよん はつ神代かみしろ直利なおとし
4だい肥前ひぜん佐賀さが藩主はんしゅ
神代かみしろただしちょうむすめ
11 鍋島なべしま そうしげるむねしげ
1687ねん-1755ねん
先代せんだいおとうと
(8だい光茂みつしげじゅうなん
したがえよん 名前なまえ : 鍋島なべしまただしただし神代かみしろただしけん鍋島なべしま宗茂むねしげ
5だい肥前ひぜん佐賀さが藩主はんしゅ
久世くぜとおるなつむすめ正室せいしつ
小代こしろ重貞しげさだむすめ側室そくしつ
鍋島なべしま宗教しゅうきょう一男かずお
鍋島なべしま重茂おもえなななん
鍋島なべしまおさむしげるじゅうなん
おんな伊達だてむらこう正室せいしつ
おんな岡部おかべ長住ながずみ正室せいしつ
12 鍋島なべしま 宗教しゅうきょうむねのり
1718ねん-1780ねん
先代せんだいいちなん したがえよん はつきょうしげる
6だい肥前ひぜん佐賀さが藩主はんしゅ
中院なかのいんとおるむすめ
13 鍋島なべしま 重茂おもえしげもち
1733ねん-1770ねん
先代せんだいおとうと
(9だいそうしげるなななん
したがえよん はつちょくあきら
7だい肥前ひぜん佐賀さが藩主はんしゅ
れいまついん正室せいしつ伊達だて宗村むねむらむすめ
徳川とくがわ宗武むねたけむすめ継室けいしつ
14 鍋島なべしま しげるはるしげ
1745ねん-1805ねん
先代せんだいおとうと
(9だいそうしげるじゅうなん
したがえよん はつちょくひろし
佐賀さがはん中興ちゅうこう
8だい肥前ひぜん佐賀さが藩主はんしゅ
中院なかのいんとおるえだむすめ正室せいしつ
井伊いい直幸なおゆき継室けいしつ
松平まつだいらじょうむすめつぎしつ
鍋島なべしまひとしただし一男かずお
鍋島なべしま直道なおみち四男よつお
鍋島なべしまただし六男むつお
鍋島なべしまただしあずかなななん
おんな榊原さかきばら政令せいれい正室せいしつ
おんな諫早いさはやけいてる正室せいしつ
おんな鍋島なべしまただしよろし正室せいしつ
おんな鍋島なべしまただしあきら正室せいしつ
おんな中院なかのいんとおるしげる正室せいしつ
おんな伊達だてそうおさむしつ
おんな久世くぜとおる正室せいしつ
おんな鍋島なべしましげるけい正室せいしつ
15 鍋島なべしま ひとしただしなりなお
1780ねん-1839ねん
先代せんだいいちなん したがえよん はつちょく懿」
9だい肥前ひぜん佐賀さが藩主はんしゅ
池田いけだおさむどうむすめ
ちょくづかけいむすめ
つじただしこうむすめ
石井いしいしょうかたむすめほか
鍋島なべしま直孝なおたか五男いつお
鍋島なべしまただしひさし十三男とみお
鍋島なべしましげるしん十四男としお
鍋島なべしまひとしただしじゅうなななん
鍋島なべしまただしけんじゅうはちなん
おんな伊達だて宗城むねなり正室せいしつ
おんな鍋島なべしま茂義しげよししつ
おんな松平まつだいらひとしときしつ
おんな諫早いさはやしげたかししつ
おんな多久たくしげるきよししつ
16 鍋島なべしま 直正なおまさなおまさ
1815ねん-1871ねん
先代せんだいじゅうなななん したがえ
おくしたがえいち
はつひとしただし
ごうは「閑叟」。
10代肥前ひぜん佐賀さが藩主はんしゅ
徳川とくがわ家斉いえなりむすめ正室せいしつ
徳川とくがわひとしただしむすめ継室けいしつ
山本やまもとよりゆきてんむすめ側室そくしつ
鍋島なべしましげるきょうむすめ側室そくしつ
村松むらまつのりむすめ側室そくしつ
鍋島なべしま茂実しげみ一男かずお
鍋島なべしまただしとらなななん
鍋島なべしまただしやわら八男はちお
おんな松平まつだいらただしこう正室せいしつ
おんな池田いけだあきら正室せいしつ
おんな細川ほそかわ正室せいしつ
17 鍋島なべしま ちょくだいなおひろ
1846ねん-1921ねん
先代せんだいいちなん したがえいち はつちょくなわ」「茂実しげみ
11だい肥前ひぜん佐賀さが藩主はんしゅはんごと
初代しょだい侯爵こうしゃく
イタリア王国おうこく特命とくめい全権ぜんけん公使こうし
元老げんろういんかん
鍋島なべしまたね正室せいしつ梅渓ばいけいどおりぜんむすめ
鍋島なべしま榮子えいこ継室けいしつ広橋ひろはしたねむすめ
鍋島なべしまただしうつ一男かずお
南部なんぶ信孝のぶたか三男さんなん
鍋島なべしまただしなわ四男よつお
前田まえだ朗子あきこ一女いちじょ侯爵こうしゃく前田まえだとし夫人ふじん
梨本なしもと伊都子いつこ二女じじょ梨本なしもと宮守みやもりただしおう
牧野まきの茂子しげこさんじょ牧野まきの忠篤ただあつ夫人ふじん
松平まつだいら信子のぶこよんじょ松平まつだいら恆雄つねお夫人ふじん
松平まつだいら俊子としころくじょ松平まつだいらゆたか夫人ふじん
柳沢やなぎさわ尚子しょうこななじょ柳沢やなぎさわたもつうけたまわ夫人ふじん
18 鍋島なべしま ちょくうつなおみつ
1872ねん-1943ねん
先代せんだいいちなん したがえ 2だい侯爵こうしゃく
貴族きぞくいん議員ぎいん
鍋島なべしま禎子さだこ黒田くろだちょうむすめ 鍋島なべしまただしやすし
19 鍋島なべしま ちょくやすしなおやす
1907ねん-1981ねん
先代せんだいいちなん 3だい侯爵こうしゃく
貴族きぞくいん議員ぎいん
プロゴルファー
鍋島なべしま紀久子きくこ朝香あさかみやばと彦王むすめ 鍋島なべしまただしよう
20 鍋島なべしま ちょくようなおもと
1936ねん-2008ねん
先代せんだいいちなん 鍋島なべしまただしあきら
21 鍋島なべしま ちょくあきらなおまさ
1959ねん-存命ぞんめいちゅう
先代せんだいいちなん

鹿島かしま鍋島なべしま

[編集へんしゅう]
代数だいすう 肖像しょうぞう 名前なまえ
(なま没年ぼつねん)
続柄つづきがら 位階いかい 備考びこう つま おも子供こども
1 鍋島なべしま ちゅうしげるただしげ
1584ねん-1624ねん
鍋島なべしまただししげる二男じなん したがえ 1だい肥前ひぜん鹿島かしまはんあるじ 江上こうじょうしゅむすめ
せき兵部ひょうぶむすめ
鍋島なべしまただししげる一男かずお
おんな鍋島なべしましげるつな正室せいしつ
2 鍋島なべしま せいしげるまさしげ
1606ねん-1687ねん
先代せんだいいちなん 2だい肥前ひぜん鹿島かしま藩主はんしゅ 酒見さかみ
3 鍋島なべしま ちょくあさなおとも
1622ねん-1709ねん
先代せんだい養子ようし
鍋島なべしま勝茂かつしげ
したがえ
おくせいよん
3だい肥前ひぜん鹿島かしま藩主はんしゅ 鍋島なべしまこうけんむすめ正室せいしつ
花山院かさんのいんじょうこのみむすめ継室けいしつ
断橋だんきょう一男かずお
鍋島なべしまただしじょう三男さんなん
4 鍋島なべしま ちょくじょうなおえだ
1655ねん-1705ねん
先代せんだい三男さんなん したがえ 4だい肥前ひぜん鹿島かしま藩主はんしゅ 鍋島なべしまただしきよしむすめ正室せいしつ 鍋島なべしまただしけん五男いつお
5 鍋島なべしま ちょくけんなおかた
1695ねん-1728ねん
先代せんだいなん したがえ 5だい肥前ひぜん鹿島かしま藩主はんしゅ 鍋島なべしまただししょうむすめ 鍋島なべしまただしきょう
6 鍋島なべしま ちょくさとなおさと
1718ねん-1770ねん
先代せんだいいちなん したがえ 6だい肥前ひぜん鹿島かしま藩主はんしゅ 鍋島なべしまただしえいむすめ
7 鍋島なべしま ちょくひろしなおひろ
鍋島なべしま おさむしげる
1745ねん-1805ねん
先代せんだい養子ようし
鍋島なべしま宗茂むねしげ
したがえよん 7だい肥前ひぜん鹿島かしま藩主はんしゅ
8だい肥前ひぜん佐賀さが藩主はんしゅ
中院なかのいんとおるえだむすめ正室せいしつ
井伊いい直幸なおゆき継室けいしつ
松平まつだいらじょうむすめつぎしつ
鍋島なべしまひとしただし一男かずお
鍋島なべしま直道なおみち四男よつお
鍋島なべしまただし六男むつお
鍋島なべしまただしあずかなななん
おんな榊原さかきばら政令せいれい正室せいしつ
おんな諫早いさはやけいてる正室せいしつ
おんな鍋島なべしまただしよろし正室せいしつ
おんな鍋島なべしまただしあきら正室せいしつ
おんな中院なかのいんとおるしげる正室せいしつ
おんな伊達だてそうおさむしつ
おんな久世くぜとおる正室せいしつ
おんな鍋島なべしましげるけい正室せいしつ
8 鍋島なべしま じきよろしなおよし
1763ねん-1820ねん
先代せんだい養子ようし
鍋島なべしまただしいん
したがえ 8だい肥前ひぜん鹿島かしま藩主はんしゅ 鍋島なべしまおさむしげるむすめ おんな鍋島なべしまただし正室せいしつ
おんな諫早いさはやしげひろししつ
9 鍋島なべしま ちょくなおのり
(1793ねん-1826ねん)
先代せんだい養子ようし
(7だいちょくひろし
したがえ 9だい肥前ひぜん鹿島かしま藩主はんしゅ 鍋島なべしまただしいよいよむすめ 鍋島なべしまただしはれ
おんな鍋島なべしましげるしんしつ
10 鍋島なべしま ちょくひさしなおなが
1813ねん-1855ねん
先代せんだい養子ようし
鍋島なべしまひとしただし
したがえ 10代肥前ひぜん鹿島かしま藩主はんしゅ 鍋島なべしましげるのべむすめ 鍋島なべしまただしあきら
おんな鍋島なべしまただしあきら正室せいしつ
おんな鍋島なべしま直紀なおき継室けいしつ
11 鍋島なべしま ちょくはれなおはる
1821ねん-1839ねん
先代せんだい養子ようし
(9だいちょく
したがえ 11だい肥前ひぜん鹿島かしま藩主はんしゅ 鍋島なべしましげるからだむすめ
12 鍋島なべしま ちょくけんなおさが
1834ねん-1859ねん
先代せんだい養子ようし
鍋島なべしまひとしただし
12だい肥前ひぜん鹿島かしま藩主はんしゅ
13 鍋島なべしま ちょくあきらなおよし
1844ねん-1915ねん
先代せんだい養子ようし
(10代ちょくひさし
せいさん 13だい肥前ひぜん鹿島かしま藩主はんしゅはんごと
1だい子爵ししゃく
1だい沖縄おきなわけんれい
貴族きぞくいん議員ぎいん
元老げんろう院議いんぎかん
鍋島なべしまかずら鍋島なべしまただしあずかむすめ 諫早いさはや神代かみよ諫早いさはやたかししつ
14 鍋島なべしま ちょくなわなおただ
1889ねん-1939ねん
先代せんだい養子ようし
鍋島なべしま茂実しげみ
2だい子爵ししゃく
佐賀さがひゃくろく銀行ぎんこう頭取とうどり
貴族きぞくいん議員ぎいん司法しほう大臣だいじん秘書官ひしょかん
内務ないむ政務次官せいむじかん
鍋島なべしまただし
15 鍋島なべしま ちょくなおつぐ
1912ねん-1981ねん
先代せんだいいちなん 3だい子爵ししゃく
2,3だい佐賀さが県知事けんちじ
参議院さんぎいん議員ぎいん
20だい科学技術庁かがくぎじゅつちょう長官ちょうかん
54だい大蔵おおくら政務次官せいむじかん
鍋島なべしま則子のりこ佐竹さたけ義春よしはるむすめ 鍋島なべしまただしけん一男かずお
鍋島なべしま和茂かずしげ二男じなん
おんな福田ふくだうしお夫人ふじん
16 鍋島なべしま ただしけん
1937ねん-1990ねん
先代せんだいいちなん 鍋島なべしまあきらしげる
17 鍋島なべしま あきらしげるあきしげ
1964ねん-存命ぞんめいちゅう
先代せんだい 山陽放送さんようほうそうアナウンサー

武雄たけお鍋島なべしま

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須古すこ鍋島なべしま

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多久たく鍋島なべしま

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諫早いさはや鍋島なべしま

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深堀ふかほり鍋島なべしま

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系譜けいふ

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太字ふとじ当主とうしゅ実線じっせん実子じっし点線てんせん養子ようし

宗家そうけ

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御三家ごさんけ

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鹿島かしま藩主はんしゅ

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小城おぎ藩主はんしゅ

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蓮池はすいけ藩主はんしゅ

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親類しんるい

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家老がろう

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 小田部おたべ雄次ゆうじ 2006, p. 323.
  2. ^ 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)『鍋島なべしま』 - コトバンク
  3. ^ 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だいはん鍋島なべしま』 - コトバンク
  4. ^ 龍造寺りゅうぞうじ高房たかぼう豊臣とよとみ秀吉ひでよし朱印しゅいんじょううつし龍造寺りゅうぞうじふじ八郎知行割之事)」(公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん鍋島なべしまほうこうかい
  5. ^ それでも、幕府ばくふへの普請ふしんやくへの出費しゅっぴなどを理由りゆう家臣かしん領地りょうち一部いちぶ返上へんじょうさせるなど、秀吉ひでよし時代じだい直轄ちょっかつりょう3まんせきよりはやしている。
  6. ^ 大名だいみょう普通ふつうは1まんせきでもしたがえ鹿島かしまはん鍋島なべしまは、せいろくのぼ浄瑠璃じょうるり名誉めいよしょくだが直参じきさんあつかい)の藤原ふじわら貞勝さだかつ佐渡さわたりみやびこのみより格下かくしたになる(『浄瑠璃じょうるり太夫たゆうこうせんあん』、『烏丸からすま五諸人上卿之留』 )
  7. ^ ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん鍋島なべしま』 - コトバンク
  8. ^ a b c 小田部おたべ雄次ゆうじ 2006, p. 62.
  9. ^ 小田部おたべ雄次ゆうじ 2006, p. 334.
  10. ^ 小田部おたべ雄次ゆうじ 2006, p. 350-351/361.
  11. ^ a b 華族かぞく大鑑たいかん刊行かんこうかい 1990, p. 32.
  12. ^ a b c かすみせき永田町ながたちょう 明治めいじみやてい邸宅ていたく”. 三井みつい住友すみともトラスト不動産ふどうさん. 2021ねん9がつ10日とおか閲覧えつらん
  13. ^ 小田部おたべ雄次ゆうじ 2006, p. 213.
  14. ^ a b 世界せかいさい高齢こうれいバンド」の鍋島なべしまただしあきらさん、コロナで死去しきょ佐賀さが藩主はんしゅ鍋島なべしま直正なおまさのひまご読売新聞よみうりしんぶんオンライン、2021ねん1がつ10日とおか)2021ねん1がつ11にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 小田部おたべ雄次ゆうじ華族かぞく 近代きんだい日本にっぽん貴族きぞく虚像きょぞう実像じつぞう中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょ1836〉、2006ねん平成へいせい18ねん)。ISBN 978-4121018366 
  • 華族かぞく大鑑たいかん刊行かんこうかい華族かぞく大鑑たいかん日本にっぽん図書としょセンター日本人にっぽんじんぶつ叢書そうしょ7〉、1990ねん平成へいせい2ねん)。ISBN 978-4820540342 
系譜けいふ参考さんこう

外部がいぶリンク

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