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鍋島なべしまただしなわ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
鍋島なべしま ただしなわ
なべしま なおただ
生年月日せいねんがっぴ 1889ねん5月6にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (1939-04-29) 1939ねん4がつ29にち(49さいぼつ
死没しぼつ 日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう東京とうきょう渋谷しぶや
げん東京とうきょう渋谷しぶや
出身しゅっしんこう 東京とうきょう外国がいこく学校がっこう卒業そつぎょう
げん東京外国語大学とうきょうがいこくごだいがく
ぜんしょく 佐賀さがひゃくろく銀行ぎんこう頭取とうどり
げん三井住友銀行みついすみともぎんこう
称号しょうごう 子爵ししゃく
配偶はいぐうしゃ 鍋島なべしま政子まさこ
子女しじょ 長男ちょうなん鍋島なべしまただし
親族しんぞく ちち鍋島なべしまただしだい貴族きぞくいん議員ぎいん
養父ようふ鍋島なべしまただしあきら沖縄おきなわけんれい
叔父おじ鍋島なべしまただしとら貴族きぞくいん議員ぎいん
叔父おじ鍋島なべしまただしやわら貴族きぞくいん議員ぎいん
あに鍋島なべしまただしうつ貴族きぞくいん議員ぎいん
義兄ぎけい前田まえだとし貴族きぞくいん議員ぎいん
義兄ぎけい松平まつだいら恆雄つねお参議院さんぎいん議長ぎちょう
義兄ぎけい立見たちみ豊丸とよまる貴族きぞくいん議員ぎいん
義弟ぎてい柳沢やなぎさわたもつうけたまわ貴族きぞくいん議員ぎいん
義弟ぎてい細川ほそかわ利寿としひさ貴族きぞくいん議員ぎいん
義兄弟ぎきょうだいあき元春もとはるあさ貴族きぞくいん議員ぎいん
義兄弟ぎきょうだい宍戸ししど功男いさお貴族きぞくいん議員ぎいん
おい鍋島なべしまただしやすし貴族きぞくいん議員ぎいん
従兄じゅうけい堀田ほった正恒まさつね貴族きぞくいん議員ぎいん

選挙せんきょ子爵ししゃく議員ぎいん
当選とうせん回数かいすう 2かい
在任ざいにん期間きかん 1925ねん7がつ10日とおか - 1939ねん4がつ29にち
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鍋島なべしま ただしなわ(なべしま なおただ、1889ねん明治めいじ22ねん5月6にち - 1939ねん昭和しょうわ14ねん4がつ29にち)は、日本にっぽん政治せいじ実業じつぎょう華族かぞく子爵ししゃく)。きゅう鹿島かしまはん鍋島なべしまだい14だい当主とうしゅ長男ちょうなん佐賀さが県知事けんちじつとめた鍋島なべしまただし

生涯しょうがい

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1889ねん鍋島なべしまただしだいよんなん[1]次男じなんとも[2])としてまれ、1897ねん明治めいじ30ねん)に鍋島なべしまただしあきら子爵ししゃく養子ようしとなる[2]

1908ねん明治めいじ41ねん)に旧制きゅうせい東京とうきょう府立ふりつだいいち中学校ちゅうがっこうげん東京とうきょう都立とりつ日比谷ひびや高等こうとう学校がっこう)を卒業そつぎょうし、東京とうきょう外国がいこく学校がっこう独逸どいつ本科ほんか入学にゅうがく1911ねん明治めいじ44ねん)に同校どうこう卒業そつぎょうするとドイツ帝国ていこく留学りゅうがくした[2]ベルリンドレスデンうつり、1912ねん10月6にちザクセン王立おうりつターラントりん大学だいがくドイツばんげんドレスデン工科こうか大学だいがく)のはやし学科がっか入学にゅうがくした[2]林学りんがく植物しょくぶつがくまなんで1914ねん大正たいしょう3ねん)3がつ修了しゅうりょう証書しょうしょり、つづいてミュンヘン大学だいがく林学りんがく研究けんきゅうおこなっている[3]

にちどく戦争せんそう開戦かいせんまえ同年どうねん8がつ12にちロンドンうつり、すうげつあいだ滞在たいざいしたのちアメリカ12月24にち帰国きこくした[4]佐賀さがひゃくろく銀行ぎんこう頭取とうどりつとめた。また、1915ねん養父ようふちょくあきらくなると子爵ししゃくになり、1925ねん大正たいしょう14ねん)7がつ10日とおか貴族きぞくいん議員ぎいんえらばれている[3][5]1929ねん昭和しょうわ4ねん)に司法しほう大臣だいじん秘書官ひしょかんとなり、1931ねん昭和しょうわ6ねん)に発足ほっそくしただい2若槻わかつき内閣ないかくからいぬやしなえ内閣ないかく海軍かいぐん参与さんよかん1936ねん昭和しょうわ11ねん)の廣田ひろた内閣ないかくから林内りんないかくでは内務ないむ政務次官せいむじかんつとめた。1937ねんには貴族きぞくいん慰問いもんだんとしてていしゅう派遣はけんされている[6]1939ねん4がつ29にち東京とうきょう渋谷しぶや代々木上原よよぎうえはら自宅じたく黄疸おうだんのためくなり[7]長男ちょうなん鍋島なべしまただし家督かとくいだ。

栄典えいてん

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系譜けいふ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ コトバンク 鍋島なべしまただしなわ
  2. ^ a b c d 上村うえむら(2005: 116)
  3. ^ a b 上村うえむら(2005: 117)
  4. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』、1914ねん12月25にちづけ朝刊ちょうかん、P.7
  5. ^ 貴族きぞくいん要覧ようらんへい)』昭和しょうわ21ねん12がつぞうてい、34ぺーじ
  6. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』、1937ねん10がつ7にちづけ夕刊ゆうかん、P.1
  7. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』、1939ねん4がつ30にちづけ朝刊ちょうかん、P.7
  8. ^ 官報かんぽうだい1499ごう付録ふろく辞令じれい」1931ねん12月28にち
  9. ^ 鍋島なべしま肥前ひぜん鹿島かしまはん) - Reichsarchiv ~世界せかい帝王ていおう事典じてん~”, 世界せかい帝王ていおう辞典じてん, https://reichsarchiv.jp/家系かけいリスト/鍋島なべしま肥前ひぜん鹿島かしまはん)#naonw 2022ねん12月13にち閲覧えつらん 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 貴族きぞくいん要覧ようらんへい)』昭和しょうわ21ねん12がつぞうてい貴族きぞくいん事務じむきょく、1947ねん
  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいんへん議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 貴族きぞくいん参議院さんぎいん議員ぎいん名鑑めいかん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1990ねん
  • 上村うえむら直己なおきターラントりん大学だいがく鍋島なべしまただしなわ」、『九州きゅうしゅうにちどく文化ぶんか交流こうりゅう人物じんぶつだい1かん熊本大学くまもとだいがく、pp.116-117、2005ねん


日本にっぽん爵位しゃくい
先代せんだい
鍋島なべしまただしあきら
子爵ししゃく
鹿島かしま鍋島なべしまだい2だい
1915ねん - 1939ねん
次代じだい
鍋島なべしまただし