くろわな

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くろわな
Touch of Evil
ポスター(1958)
監督かんとく オーソン・ウェルズ
脚本きゃくほん オーソン・ウェルズ
原作げんさく Whit Masterson
『Badge of Evil』
製作せいさく アルバート・ザグスミス
リック・シュミドリン(修復しゅうふくばん
出演しゅつえんしゃ チャールトン・ヘストン
ジャネット・リー
オーソン・ウェルズ
マレーネ・ディートリヒ
音楽おんがく ヘンリー・マンシーニ
撮影さつえい ラッセル・メティ
編集へんしゅう アーロン・ステル
ヴァージル・ヴォーゲル
ウォルター・マーチ修復しゅうふくばん
配給はいきゅう ユニヴァーサル映画えいが
公開こうかい アメリカ合衆国の旗 1958ねん4がつ23にち
日本の旗 1958ねん7がつ29にち
アメリカ合衆国の旗 1998ねん9月11にち修復しゅうふくばん
上映じょうえい時間じかん 96ふん劇場げきじょう公開こうかいばん
109ふん試写ししゃかいばん
111ふん修復しゅうふくばん
製作せいさくこく アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
言語げんご 英語えいご
スペイン
製作せいさく $900,000
興行こうぎょう収入しゅうにゅう アメリカ合衆国の旗 $2,200,000(修復しゅうふくばん
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予告編よこくへんからタイトル

くろわな』(くろいわな、原題げんだい: Touch of Evil)は、1958ねん製作せいさくアメリカ映画えいがオーソン・ウェルズ監督かんとくによるフィルム・ノワールアメリカメキシコ国境こっきょう地帯ちたい舞台ぶたいに、メキシコじん麻薬まやく捜査そうさかん悪徳あくとく警官けいかん不正ふせい捜査そうさ追及ついきゅうする。

公開こうかい当時とうじ興行こうぎょうてきにも批評ひひょうてきにも失敗しっぱいしたが、現在げんざいではカルト映画えいがとしての地位ちい確立かくりつしている。とく映画えいが冒頭ぼうとうちょうまわはよくられている。1998ねんにウェルズがのこしたメモにもとづいてさい編集へんしゅうほどこしたディレクターズ・カット公開こうかいされた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ハンク・クインランをえんじるオーソン・ウェルズ

映画えいが製作せいさく[編集へんしゅう]

1956ねん出版しゅっぱんされたホイット・マスタースン(マスターソン)の探偵たんてい小説しょうせつくろわな』(邦訳ほうやく早川書房はやかわしょぼう原題げんだい:Badge of Evil=あく記章きしょう、の意味いみ)が原作げんさくである。映画えいが監督かんとく脚本きゃくほんオーソン・ウェルズ担当たんとうしているが、当初とうしょウェルズは俳優はいゆうとしてのみ起用きようされ、監督かんとく別人べつじん依頼いらいされる予定よていだった。小説しょうせつ映画えいが決定けっていしたユニヴァーサル・ピクチャーズがチャールトン・ヘストン出演しゅつえん交渉こうしょうおこなったとき、ヘストンがスタジオの役員やくいんにウェルズを監督かんとくとして起用きようしてはどうかとすすめたため、かれ映画えいが監督かんとく担当たんとうすることになった[1]監督かんとくまかされたウェルズは、同時どうじ脚本きゃくほん執筆しっぴつ着手ちゃくしゅした。原作げんさくではメキシコじんつまつアメリカじん地方ちほう検事けんじ補佐ほさ主人公しゅじんこうだったが、夫婦ふうふ国籍こくせきぎゃくにしたのはウェルズのアイデアである。その物語ものがたり舞台ぶたいカリフォルニアしゅうからアメリカとメキシコの国境こっきょう地帯ちたいにするなど、ウェルズは映画えいがたって様々さまざま設定せってい変更へんこうおこなった。

映画えいがおもロサンゼルスヴェニス地区ちく撮影さつえいされた。現在げんざいでは西海岸にしかいがん有数ゆうすうのリゾートとしてられる当地とうちだが、『くろわな』が製作せいさくされたころきょうあおりをけて完全かんぜん荒廃こうはいしており、物語ものがたり舞台ぶたいである国境こっきょうまちおもわせる様相ようそうていしていた[2]当時とうじハリウッドでは、芸術げいじゅつはだのウェルズは映画えいが製作せいさくにやたらとかね時間じかんけるあつかいにくい監督かんとくだと認識にんしきされていた。そのためハリウッドで孤立こりつしているとかんじていたウェルズは、その風評ふうひょう払拭ふっしょくするために映画えいが会社かいしゃ設定せっていした予算よさん期間きかんない映画えいが撮影さつえいすることに尽力じんりょくした。映画えいがやく90まんドルの制作せいさくけ、39にち撮影さつえい完了かんりょうした。若干じゃっかん予算よさん期間きかんをオーバーしたものの、これはほぼスタジオの構想こうそうちかいものだった[3]

撮影さつえいのトラブル[編集へんしゅう]

映画えいが撮影さつえい編集へんしゅういちとお完了かんりょうしたウェルズは、そのフィルムをユニヴァーサル・ピクチャーズにたく映画えいが製作せいさく資金しきんあつめのためにメキシコに旅立たびだった。しかしスタジオの役員やくいんたちは物語ものがたりのプロットが難解なんかいすぎるとしてそのままでの公開こうかい難色なんしょくしめし、ウェルズに無断むだん映画えいが脚本きゃくほん変更へんこう追加ついか撮影さつえい、そしてさい編集へんしゅうおこなった。このとき製作せいさくされた109ぶんのバージョンは、のちに「試写ししゃかいばん」とばれるものである。メキシコからかえってきたウェルズはスタジオの独断どくだん専行せんこう激怒げきどし、かれらに自分じぶん意見いけんべた58ページにもおよぶメモを提出ていしゅつした。しかしスタジオは結局けっきょくウェルズの嘆願たんがんほとん無視むし、それどころかロサンゼルスでおこなわれた先行せんこう上映じょうえいかいでの不評ふひょう映画えいが俗悪ぞくあくだとかんじた女性じょせいきゃくが、映画えいが会社かいしゃ取締役とりしまりやくをハンドバッグでなぐりつけたという[2])をけてさら映画えいがを96ふんまで短縮たんしゅくした。これが最終さいしゅうてき一般いっぱん公開こうかいされたバージョン、つまり「劇場げきじょう公開こうかいばん」である。

この劇場げきじょう公開こうかいばん1958ねん5月21にち二本立にほんだ興行こうぎょうものとして公開こうかいされたが、映画えいが会社かいしゃ目論見もくろみとは裏腹うらはら興行こうぎょうてきには惨敗ざんぱいきっした。作品さくひんたいするアメリカ国内こくない批評ひひょうたちからの評価ひょうかかんばしくないものだった。ただし同年どうねんブリュッセル万国博覧会ばんこくはくらんかい上映じょうえいされたときは審査しんさいんジャン=リュック・ゴダールフランソワ・トリュフォーたちから絶賛ぜっさんされ、万博ばんぱく最高さいこうしょうあたえられたという。1960年代ねんだいはいわか世代せだい映画えいが製作せいさくしゃたちを中心ちゅうしんさい評価ひょうか機運きうんたかまり、現在げんざいではカルト映画えいがとして認識にんしきされている[4]

自分じぶん作品さくひん勝手かってくわえられたウェルズはハリウッドのスタジオ・システム失望しつぼう、また興行こうぎょうてき失敗しっぱいしたかれ援助えんじょしようとする映画えいが会社かいしゃあらわれなかった。結果けっかてきにウェルズにとってほん作品さくひんがアメリカにおける最後さいご監督かんとく作品さくひんとなった。これ以降いこうウェルズはヨーロッパに拠点きょてんうつし、そちらを中心ちゅうしん活躍かつやくすることになる。

ディレクターズ・カット[編集へんしゅう]

1992ねん映画えいが評論ひょうろんのロバート・ローゼンバウムが、ウェルズのメモの断片だんぺんをフィルム・クォータリー公開こうかいした。それに触発しょくはつされたフィルム修復しゅうふく第一人者だいいちにんしゃリック・シュミドリンは、『くろわな』の権利けんり保有ほゆうしているユニヴァーサル・ピクチャーズと交渉こうしょう映画えいが修復しゅうふくおこな許可きょかた。シュミドリンはウォルター・マーチ編集へんしゅうむかえ、現存げんそんする試写ししゃかいばん劇場げきじょう公開こうかいばんもちいて映画えいがさい編集へんしゅうおこなった[4]。ウェルズ本人ほんにん1985ねんすで他界たかいしていたので厳密げんみつうとディレクターズ・カットではないが、かれのこしたメモに忠実ちゅうじつさい構成こうせいされた上映じょうえい時間じかん111ぶんの「修復しゅうふくばん」は好評こうひょうはくし、作品さくひん評価ひょうか不動ふどうのものにした。

修復しゅうふくばん1998ねん9月11にち北米ほくべい公開こうかいされ、アメリカ国内こくないやく220まんドルの興行こうぎょう収入しゅうにゅうげた[5]。プロデューサーのシュミドリンは『くろわな』の修復しゅうふく作業さぎょう評価ひょうかされて、どう年度ねんどのニューヨーク映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょう特別とくべつしょう受賞じゅしょうし、マーチをふくむスタッフも全米ぜんべい映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょうロサンゼルス映画えいが批評ひひょう協会きょうかいしょうから特別とくべつ表彰ひょうしょうけた。2008ねん10月には修復しゅうふくばんのみならず、試写ししゃかいばん劇場げきじょう公開こうかいばんふくめた50周年しゅうねん記念きねんDVDがユニヴァーサル・スタジオから発売はつばいされた。このDVDにはウェルズがユニヴァーサル・スタジオに提出ていしゅつしたメモをしたしょう冊子さっし特典とくてんとして付属ふぞくしているが、これまでスタジオに秘匿ひとくされていたメモの完全かんぜん内容ないよう一般いっぱん公開こうかいされたのはこれがはじめてのことである。

ストーリー[編集へんしゅう]

つま新婚しんこん旅行りょこうたのしむヴァルガス

アメリカとメキシコの国境こっきょう地帯ちたいにある田舎町いなかまちのロス・ロブレス。新婚しんこん旅行りょこう途中とちゅうにそこをおとずれたメキシコじん麻薬まやく捜査そうさかんのラモン・ミゲル・ヴァルガスとかれ新妻にいづまスーザンは、地元じもと有力ゆうりょくしゃリネカー運転うんてんするくるま突如とつじょとして爆発ばくはつしたのを目撃もくげきする。事件じけん国際こくさい問題もんだい発展はってんするのを憂慮ゆうりょしたヴァルガスは、スーザンをホテルにかえ現場げんば調査ちょうさ開始かいしする。アメリカがわ捜査そうさ責任せきにんしゃとして現場げんばあらわれたのは、ハンク・クインランと名乗なのちんばあし肥満ひまんした異形いぎょうろう刑事けいじだった。クインランは担当たんとうした事件じけん犯人はんにんかならつかまえることで有名ゆうめいであり、警察けいさつ関係かんけいしゃから凄腕すごうで警部けいぶとして崇拝すうはいされていた。ばくだん起動きどうしたのはアメリカりょうだが、くるまばくだん仕掛しかけられたのはメキシコりょうだったとして捜査そうさ参加さんかする意向いこうべるヴァルガス。そんなかれたいしてクインランは敵意てきいかくさない。

一方いっぽうそのころ、ホテルにかえ途中とちゅうにスーザンはヴァルガスについてはなしがあるとわれ、メキシコじん若者わかものべつのホテルに案内あんないされる。そこで彼女かのじょっていたのは、ヴァルガスたちが捜査そうさちゅうのグランディ一家いっか幹部かんぶジョー・グランディだった。ジョーはスーザンにたいして、拘留こうりゅうちゅうかれ兄弟きょうだい釈放しゃくほうするように脅迫きょうはくするが、彼女かのじょわない。そのよるもヴァルガスとスーザンは、グランディ一家いっかからホテルの部屋へや監視かんしされるなど様々さまざまいやがらせをける。それにえかねたスーザンは宿泊しゅくはくちゅうのホテルをはらい、国境こっきょうえてアメリカがわのモーテルにチェックインすることにする。

モーテルにかうヴァルガスとスーザンは、その途中とちゅうクインランの相棒あいぼうであるピート・メンジースたちと遭遇そうぐうする。すぐにクインランとってくれとたのまれたヴァルガスは、とりあえずつまをメンジースにたく事件じけん関係かんけいしゃたいする尋問じんもんかう。捜査そうさかんとしての「直感ちょっかん」にしたが被害ひがいしゃむすめマーシャと彼女かのじょ恋人こいびとサンチェスをうたがうクインランは、アパートの洗面せんめんしょ発見はっけんされたダイナマイトを決定的けっていてき証拠しょうことしてサンチェスをげる。しかしヴァルガスは直前ちょくぜん洗面せんめんしょ確認かくにんしており、それは本来ほんらいなら存在そんざいするはずの証拠しょうこだった。ヴァルガスはクインランが証拠しょうこ捏造ねつぞう容疑ようぎしゃおとしいれたと非難ひなん二人ふたりはげしく口論こうろんわす。クインランはおなじくヴァルガスの存在そんざいうとましくおもうジョーから共闘きょうとうちかけられる。一方いっぽう、ヴァルガスは地方ちほう検事けんじ補佐ほさのアル・シュワルツとはない、クインランの不正ふせい疑惑ぎわく地方ちほう検事けんじうったえる。

自身じしん立場たちばあやうくなりつつあるのをかんじたクインランは、ついにヴァルガスの抹殺まっさつ決心けっしんする。クインランの計画けいかくとは、麻薬まやく捜査そうさかんであるヴァルガスのつま麻薬まやく常用じょうようしゃぎぬせ、かれ名声めいせい失墜しっついさせようとするものだった。ジョーから指令しれいけたグランディ一家いっかは、モーテルに滞在たいざいするスーザンを誘拐ゆうかいする。警察けいさつしょ過去かこにクインランが担当たんとうした事件じけん調しら疑惑ぎわく確信かくしんえたヴァルガスは、夜分やぶんおそくにモーテルに到着とうちゃくする。しかしスーザンの部屋へやらされ、彼女かのじょすでられたのちだった。モーテルの夜間やかん勤務きんむしゃから宿やどがグランディ一家いっか所有しょゆうであることをげられたヴァルガスは、かれらのまりであるまちのバーにかう。

薬物やくぶつ昏睡こんすいさせられホテルの一室いっしつまれたスーザン。そこにあらわれたクインランは、かれ陰謀いんぼう唯一ゆいいつ人間にんげんであるジョーを絞殺しめころし、その殺人さつじんつみをスーザンにせようとする。バーでグランディ一家いっかのギャングたちと格闘かくとうちゅうのヴァルガスにたいし、そのけつけたシュワルツはスーザンが麻薬まやく所持しょじ殺人さつじん容疑ようぎ逮捕たいほされたというニュースをげる。ヴァルガスは留置とめおきしょ拘留こうりゅうちゅうのスーザンのもとかうが、そこでかれはクインランの相棒あいぼうであるメンジースと再会さいかいする。ヴァルガスにせたいものがあるというメンジース。かれっていたのは、殺人さつじん現場げんば発見はっけんされたクインラン愛用あいようつえだった。

ヴァルガスとメンジースは真実しんじつるために、二人ふたり協力きょうりょくしてクインランを盗聴とうちょうすることにする。メンジースはクインランを馴染なじみの酒場さかばからし、はしうえ疑惑ぎわくについてめる。しかしクインランはするどい「直感ちょっかん」で自身じしん盗聴とうちょうされていることにかんき、激怒げきどしてメンジースを銃撃じゅうげきする。長年ながねんった相棒あいぼうころしてしまったという慙愧ざんきねんられ、クインランはなみだながす。ヴァルガスとクインランははししたかいう。もはやいいのがれは出来できないとクインランにせまるヴァルガスにたいし、クインランはかれ殺害さつがいしてメンジース殺人さつじんはんにしたてあげようとする。ヴァルガスに銃口じゅうこうけるクインランだが、まだいきのあった瀕死ひんしのメンジースによってぎゃくたれてしまう。

留置とめおきしょから解放かいほうされたスーザンをれて、シュワルツはヴァルガスたちのかわほとり到着とうちゃくする。ヴァルガスはスーザンをきしめ、いえかえろうとげた。ヴァルガスが録音ろくおんしたテープはクインランを告発こくはつするのに十分じゅうぶんなものだった。汚水おすいしずんでいくクインランの亡骸なきがらつめる、かれ馴染なじみの酒場さかばおんなターニャ。シュワルツは彼女かのじょに、ばくだん事件じけん容疑ようぎしゃであるサンチェスがつみみとめたとかたる。結局けっきょくクインランの「直感ちょっかん」はただしかったのだ。「アディオス」とシュワルツにわかれをげて、ターニャはやみなかえていった。

キャスト[編集へんしゅう]

役名やくめい 俳優はいゆう 日本語にほんご吹替
NETテレビはん
ラモン・ミゲル・ヴァルガス チャールトン・ヘストン 納谷なや悟朗ごろう
スーザン・ヴァルガス ジャネット・リー 野口のぐちふみえ
クインラン警部けいぶ オーソン・ウェルズ 大平おおひらとおる
グランディ エイキム・タミロフ 富田とみた耕生こうせい
サンチェス ヴィクター・ミラン ほり勝之かつゆきゆう
モーテルの夜間やかん勤務きんむしゃ デニス・ウィーバー  永井ながい一郎いちろう
パンチョ バレンティン・デ・ヴァルガス 内海うつみ賢二けんじ
アル・シュワルツ モート・ミルス 緑川みどりかわみのる
ターニャ マレーネ・ディートリヒ 寺島てらしま信子のぶこ
ピート ジョゼフ・キャレイア
マーシャー ジョアンナ・ムーア
アーデル地方ちほう検事けんじ レイ・コリンズ
ストリップクラブのオーナー ザ・ザ・ガボール
検死けんしかん ジョゼフ・コットン
ハワード・フランク ウィリアム・タネン 宮川みやがわ洋一よういち
バーにいるストリッパー エヴァ・ガボール
バーテンダー キーナン・ウィン
不明ふめい
その
塩見しおみ竜介りゅうすけ
千葉ちば順二じゅんじ
石森いしもりいたるこう
たてかべ和也かずや
北村きたむら弘一こういち
城山しろやまけん
石井いしい敏郎としお
演出えんしゅつ 山田やまだ悦司えつし
翻訳ほんやく 進藤しんどうひかりふとし
効果こうか
調整ちょうせい
制作せいさく グロービジョン
解説かいせつ
初回しょかい放送ほうそう 1970ねん5月16にち
土曜どよう映画えいが劇場げきじょう[6]

備考びこう[編集へんしゅう]

晩年ばんねん肥満ひまんした姿すがた印象いんしょうつよいオーソン・ウェルズだが、『くろわな撮影さつえいにはそれほどふとっていなかった。ウェルズは巨漢きょかんろう刑事けいじえんじるために、入念にゅうねんなメイクアップをほどこしたうえからだちゅうものをし、さら出来できるだけからだおおきくえるようなアングルでカメラにうつったという[7]

以前いぜんからウェルズと親交しんこうのあった女優じょゆうマレーネ・ディートリヒが、酒場さかばおんな主人しゅじんやくえんじている。ディートリヒは映画えいがのラストシーンにおける自身じしん演技えんぎを、彼女かのじょ女優じょゆうとしてのキャリアのなか最高さいこうのものだとかんがえていたとされる[1]

評価ひょうか[編集へんしゅう]

はつ公開こうかいにはアメリカ国内こくない批評ひひょうたちから黙殺もくさつされた『くろわな』だが、どう時代じだいヌーヴェルヴァーグ監督かんとくたちからはかれらの信奉しんぽうする作家さっか主義しゅぎ完璧かんぺき実践じっせんれいとして絶賛ぜっさんされた。作品さくひんもちいられた映画えいが技法ぎほう当時とうじとしては革新かくしんてきなものであり、それらをふくめて現在げんざいではカルト映画えいがとしての地位ちい確立かくりつしている[4]とく映画えいが冒頭ぼうとうにおける、ばくだん仕掛しかけられたくるまをカメラが延々えんえんつづける3ふん20びょうにもおよちょうまわは、後続こうぞく映画えいが製作せいさくしゃたちに衝撃しょうげきあたえた。撮影さつえい監督かんとくアレン・ダヴィオーほん作品さくひんを20かい以上いじょう見直みなおし、映画えいが撮影さつえい技術ぎじゅつまなんだという[1]。イギリスの映画えいが評論ひょうろんダミアン・キャノンはその綿密めんみつ計算けいさんされた撮影さつえい技法ぎほうを「空間くうかん振付ふりつけ」とんで賞賛しょうさんした[7]

くろわな』は撮影さつえいめんだけではなく、音響おんきょうめんでも映画えいが製作せいさくしん機軸きじくもたらした。ウォルター・マーチは『カンバセーション…盗聴とうちょう製作せいさくさいに、映画えいが終盤しゅうばん盗聴とうちょうシーンを参考さんこうにしたと告白こくはくしている。また、既存きそんのヒットきょく映画えいがのBGMに使つか手法しゅほうは、後年こうねんアメリカン・グラフィティ』でジョージ・ルーカス模倣もほうすることになった[4]

視覚しかくてきには非常ひじょうすぐれていると賞賛しょうさんされる『くろわな』だが、物語ものがたり自体じたいはとるにたらないものだと評価ひょうかするものる。ウェルズの研究けんきゅうしゃであるロバート・ガリスは、作品さくひんスリラーてき要素ようそはさして面白おもしろくなく、うすっぺらで陳腐ちんぷでさえあるとべた[8]映画えいが監督かんとくピーター・ボグダノヴィッチは、『くろわな』を5かいか6かいているがすじはあまり面白おもしろくなかったのでほとんおぼえていない、と友人ゆうじんであるオーソン・ウェルズにかたった。それをいたウェルズは唖然あぜんとしたとされる[1]

くろわな』は1993ねんにその芸術げいじゅつてき価値かちみとめられ、アメリカ国立こくりつフィルム登録とうろく簿登録とうろくされた。

トリビア[編集へんしゅう]

ベッドによこたわるジャネット・リー
  • 冒頭ぼうとうちょうまわしのシーンでなんもミスをかえした国境こっきょう警備けいびいんやく俳優はいゆうたいして、監督かんとくのオーソン・ウェルズは最終さいしゅうてきこえさずにただくちびるうごかすように指導しどうした。のち何故なぜその役者やくしゃをクビにしなかったのかをわれたウェルズは、「もし自分じぶんがそうしたらかれ二度にどなおれなくなってしまっただろう」とこたえた[1]
  • 映画えいがでヒロインをえんじたジャネット・リー撮影さつえいまえ左腕さわん骨折こっせつしていた。そのためリーは撮影さつえいちゅうギプス着用ちゃくようしていたが、映画えいが彼女かのじょ固定こていされた左腕さわんうつさないように巧妙こうみょう撮影さつえいされている。モーテルのベッドでくつろぐシーンなどはやむなく一時いちじてきにギプスをはずしたが、カメラがまるとリーはすぐにギプスをけた[1]
  • 映画えいが巨漢きょかんろう刑事けいじえんじたオーソン・ウェルズだが、ある映画えいが撮影さつえいわったのち着替きがえる時間じかんがなく、そのままの格好かっこうでパーティー会場かいじょうけつけることになった。かお老人ろうじんようのメイクアップをほどこからだものをしたウェルズにたいし、パーティーに参加さんかしたハリウッド関係かんけいしゃたちは「このまえったときとちっともわってないね」「元気げんきそうでなによりだ」とこえけたという[1]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g Bringing Evil To Life(『くろわな製作せいさく当時とうじ状況じょうきょう紹介しょうかいするドキュメンタリー、ユニバーサル・ピクチャーズばんDVD収録しゅうろく
  2. ^ a b Evil: Lost & Found(『くろわな修復しゅうふくばん製作せいさく模様もようあつかったドキュメンタリー、ユニバーサル・ピクチャーズばんDVD収録しゅうろく
  3. ^ Sean Axmaker、“The Making, Unmaking and Reclamation of “Touch of Evil””、Parallax View、2008ねん10がつ9にち。(参照さんしょう:2009ねん4がつ16にち
  4. ^ a b c d Walter Murch、“Restoring the Touch Of Genius to a Classic”、The New York Times、1998ねん9がつ6にち。(参照さんしょう:2009ねん4がつ16にち
  5. ^ BOX OFFICE MOJO、“Touch of Evil (re-issue)”(参照さんしょう:2009ねん4がつ16にち
  6. ^ くろわな[吹]土曜どよう映画えいが劇場げきじょうばん”. スターチャンネル. 2021ねん2がつ22にち閲覧えつらん
  7. ^ a b Roger Ebert、“Great Movies – Touch of Evil”、1998ねん9がつ13にち。(参照さんしょう:2009ねん4がつ16にち
  8. ^ Robert Garis (2004). The Films of Orson Welles. Cambridge: Cambridge University Press. pp. 111. ISBN 0-521-64972-2 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]