(Translated by https://www.hiragana.jp/)
1903年の航空 - Wikipedia コンテンツにスキップ

1903ねん航空こうくう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
1903ねん 社会しゃかい 0 政治せいじ/経済けいざい/ほう/労働ろうどう/教育きょういく/交通こうつう
文化ぶんか芸術げいじゅつ 0 映画えいが日本にっぽん公開こうかい)/音楽おんがく/日本にっぽんのテレビ
ラジオ/芸術げいじゅつ/文学ぶんがく/出版しゅっぱん/スポーツ
科学かがく技術ぎじゅつ 0 科学かがく/気象きしょう地象ちしょう天象てんしょう/台風たいふう/鉄道てつどう/航空こうくう
地域ちいき 0 日本にっぽん/日本にっぽん女性じょせい

< 1903ねん

1902ねん航空こうくう - 1903ねん航空こうくう - 1904ねん航空こうくう

航空こうくうかんする出来事できごと

[編集へんしゅう]
エアロドローム
  • 1がつ1にち - コンスタンチン・ツィオルコフスキーが「反作用はんさよう利用りよう装置そうちによる宇宙うちゅう探検たんけん」"Explorations of outer space with the help of reaction apparatuses"のなかで、液体えきたい水素すいそ液体えきたい酸素さんそ燃料ねんりょうとする流線型りゅうせんけいのロケットの設計せっけい発表はっぴょう
  • 2がつ16にち - ルーマニアのトライアン・ヴイアがフランス科学かがくアカデミーに航空機こうくうき飛行ひこう可能かのうせい方法ほうほうについての論文ろんぶん提出ていしゅつするが、夢物語ゆめものがたりであるとして却下きゃっかされる。
  • 3月31にち - ニュージーランドのリチャード・ピアースみなみカンタベリで自作じさく飛行機ひこうきやく450mの飛行ひこうおこなったのち墜落ついらくしたとされる。
  • 5月11にち - リチャード・ピアースが900mほどを飛行ひこうして、Opihiがわ河原かわら着陸ちゃくりくしたとされる。
  • 6月27にち - アルベルト・サントス・デュモンおんな友達ともだちアイダ・デ・アコスタ飛行船ひこうせん単独たんどく飛行ひこうした。
  • 8がつ18にち - ドイツのカール・ヤトーが4にんているまえすうフィートのたかさで60mの動力どうりょく飛行ひこうおこなったとされる。
  • 10月7にち - サミュエル・ラングレー設計せっけいした有人ゆうじんエアロドロームがチャールズ・マンリーの操縦そうじゅうでポトマックかわ最初さいしょ試験しけん飛行ひこうおこなった。発進はっしんだいからはなれるとすぐにかわ墜落ついらくした。
ライト兄弟きょうだいはつ飛行ひこう
  • 11月12にち - フランスのルボーディ兄弟きょうだいが、操縦そうじゅうできる飛行船ひこうせんでモワゾンからパリまでの54kmを飛行ひこうした。
  • 11月19にち - フランスのレオン・ルバッソールが、航空機こうくうきよう軽量けいりょうのアントワネット・エンジンを公開こうかいした。
  • 12月8にち - ラングレーの2度目どめ実験じっけんだい1かい実験じっけんおなじように、発進はっしんすぐポトマックがわ落下らっかし、パイロットのマンリーは重傷じゅうしょうった。政府せいふから資金しきんたラングレーの実験じっけんはこれでわった。
  • 12月17にち - ライト兄弟きょうだいが、キティーホークライトフライヤーごうで4かい飛行ひこう実験じっけんおこなった。オービル・ライトが12びょうで37mの飛行ひこうおこない、ウィルバー・ライトは59びょうで260mの飛行ひこうおこなった[1]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  1. ^ Telegram from Orville Wright in Kitty Hawk, North Carolina, to His Father Announcing Four Successful Flights, 1903 December 17”. World Digital Library (1903ねん12月17にち). 2013ねん7がつ21にち閲覧えつらん