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Apple III

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Apple III
発売はつばい May 1980
標準ひょうじゅん価格かかく 4,340 -$7,800[1]
販売はんばい終了しゅうりょう April 1984
OS Apple SOS
CPU Synertek 6502A @ 2 MHz
メモリ 128 KB, expandable to 512 KB

Apple III(アップル・スリー)は、AppleによってApple II後継こうけいとなることを意図いとして開発かいはつ販売はんばいおこなわれたビジネスけのパーソナルコンピュータ。しばしばApple ///表記ひょうきされる。

1980ねん5月19にち最初さいしょのアナウンスと公開こうかいおこなわれ、そのとしあき公式こうしき発売はつばいされた[2]

背景はいけい[編集へんしゅう]

Apple IIIの開発かいはつ作業さぎょうは1978ねんまつにウェンデル・サンダー博士はかせ指導しどうのもとではじめられた。"Sara" という開発かいはつコードネームでばれ、これはサンダー博士はかせむすめにちなんで命名めいめいされたものである[3][信頼しんらいせいよう検証けんしょう]

Apple IIはVisiCalcMultiplanApple Writerといった多数たすう重要じゅうようなビジネス製品せいひん創造そうぞうせい貢献こうけんしていたが、そのハードウエアのアーキテクチャやオペレーティングシステム開発かいはつ環境かんきょう貧弱ひんじゃくなものであった[4]。Apple IIIはこれらの弱点じゃくてん解消かいしょうねらったマシンである。スティーブ・ウォズニアックによれば、VisiCalcとDisk IIがApple IIの人気にんき要因よういんとなっており、げの90%がその当初とうしょのマーケットだったホビイストにではなく、ビジネスユーザーにかっていた。Appleの経営けいえいじんは、Apple IIIをビジネスマーケットにアピールするようにデザインし、Apple IIを家庭かていよう教育きょういくようコンピュータのユーザーけとしてはなすことで、マーケットセグメンテーション明瞭めいりょう確立かくりつするつもりであった。経営けいえいじんは「Apple IIIが発売はつばいになれば、Apple IIの販売はんばい半年はんとしのうちに終了しゅうりょうするとしんじていた」とウォズニアックはかたっている[5]

ハードウェア[編集へんしゅう]

Apple IIIは1.8 MHz Synertek 6502Aまたは6502B 8ビットCPU搭載とうさいし、バンク技術ぎじゅつ(さらに改良かいりょうされたApple IIファミリーの一部いちぶのマシンでももちいられていた)によって256Kバイトまでのメモリーにアクセスすることができた。サードパーティーのなかにはApple IIIを512Kバイトまでアクセスできるようにするメモリーアップグレードキットを販売はんばいするものもあった。Apple IIIにはこのほかに大文字おおもじ小文字こもじ表示ひょうじできる80カラム24ラインのディスプレイ、10キーパッド、デュアルスピード(圧力あつりょく検知けんちしき)カーソル制御せいぎょキー、6ビット (DAC) オーディオ、内蔵ないぞうがた5.25インチフロッピーディスク装置そうちなどがまれていた。グラフィクスのモードには560×192ドットのモノクロと、280×192ドットの16しょくないし16かい調ちょうグレースケールがあった。Apple IIとはことなりDisk IIIコントローラはロジックボードにまれていた。

Apple IIIは、スクリーンフォントとキーボードレイアウト(QWERTY配列はいれつDvorak配列はいれつのいずれか)をユーザーが選択せんたくできる最初さいしょのApple製品せいひんである。キーボードのすぐじょうにキーボード切替きりかえスイッチがありその変更へんこうできるApple IIcとはちがい、Apple IIIではこの変更へんこうをプログラムの実行じっこうちゅうおこなうことはできなかった。

ソフトウェア[編集へんしゅう]

Apple IIとDOS 3.3の最大さいだい制約せいやくのひとつは、そのリソースのアドレッシング方式ほうしきにあった。この方式ほうしきでは、スロット5、6は記憶きおく装置そうち予約よやく、スロット2はシリアル通信つうしんインタフェースに予約よやく、など、周辺しゅうへん機器きき標準ひょうじゅんてきなスロット位置いち実装じっそうされることがなか強制きょうせいされている。この制約せいやくのためユーザーは周辺しゅうへん機器ききを、その物理ぶつりてき実装じっそう位置いちによって、たとえばPR#6、CATALOG, D1といった具合ぐあい識別しきべつしなくてはならなかった[6]。Apple IIIではApple SOS(“Appleソース”と発音はつおんする)とばれる改良かいりょうされたオペレーティングシステムが導入どうにゅうされた。周辺しゅうへん機器ききにその物理ぶつりてき実装じっそう位置いちではなく、名称めいしょうでアドレッシングできる能力のうりょくによって、Apple IIIのスケーラビリティは向上こうじょうした。さらにApple SOSは、Apple ProFileハードディスク装置そうちなどのような記憶きおく装置そうちぜん容量ようりょう単一たんいつのボリュームとしてあつかうことができたし、また階層かいそうファイルシステム (HFS) をサポートした。Apple SOSの機能きのうやコードベースの一部いちぶは、Lisa 7/7Macintosh system softwareのみならず、Apple IIの ProDOSGS/OSオペレーティングシステムへとすすんでった。

また、Apple IIIにはApple III Business BASICばれるあたらしいBASICインタプリタ導入どうにゅうされた。そして、のちにはより構造こうぞうされたプログラミングのために、UCSD Pascal導入どうにゅうされた。

Appleは、Apple IIIがホビイストけではないとていたことから、Apple IIに添付てんぷしていたようなソフトウエアかんする技術ぎじゅつ情報じょうほうのほとんどを公開こうかいしなかった[7]。Apple IIIは当初とうしょ Apple IIシリーズを直接ちょくせつえることをねらっていたので、Apple IIソフトウエアにたいして後方こうほう互換ごかんせいつよう設計せっけいされていた。しかし、Apple IIプラットフォームでの開発かいはつ継続けいぞくされることはAppleにとってのぞましくなかったため、この互換ごかんせい特別とくべつな“Apple IIモード”じょうだけに存在そんざいし、その能力のうりょくは48 KバイトApple II+のエミュレーションに制限せいげんされていた。さらにだい容量ようりょうのメモリーなどApple IIIの改良かいりょうされた機能きのうへのアクセスをさまたげるために、わざわざ特別とくべつなチップが搭載とうさいされていた。Apple IIIが発売はつばいされたこの当時とうじ、Apple IIのビジネスけプログラムは大抵たいていが、たとえば16Kバイトの“ランゲージカード”を搭載とうさいした48KバイトApple IIなど、最低さいていでも64KバイトのRAMを必要ひつようとしていたので、Apple IIIとは互換ごかんせいがなかった。このことはユーザーのえを阻害そがいする一因いちいんとなった。

Apple IIIには、システムのさい構成こうせいおよびファイル操作そうさおこなうためのSystem Utilities programというプログラムがまれていた。このほかにもSystem Utilities programに統合とうごうされ様々さまざまなプログラムを起動きどうできるようにつくられたSelector IIIというプログラムがあった。このプログラムはON THREEというおおきなApple IIIのユーザーグループによって開発かいはつされた。またCatalystという競合きょうごうする製品せいひんQuark Softwareという企業きぎょう開発かいはつしていた。CatalystはSelector IIIにくらべて粗雑そざつなインタフェースだが、そのかわりにプログラムスイッチング機能きのうとコピープロテクションをサポートしていた。プログラムの発売はつばいもとはこの機能きのうによって、許可きょかなく製品せいひんをバックアップされたりコピーされる心配しんぱいなしに、ユーザーがハードディスクからプログラムを起動きどうするライセンスを発行はっこうすることができた。AppleがCatalystを新型しんがたのProFileハードディスクにバンドルすることを決定けっていしたことにより、Quarkはそのられたが[よう出典しゅってん]、それでもON THREEはSelector IIIを廃止はいしすることなくその月刊げっかんつうじて販売はんばいつづけた。Selector IIIの販売はんばいとサポートは、QuarkがApple IIIよう製品せいひんラインを廃止はいししたのちながつづけられた。

周辺しゅうへん機器きき[編集へんしゅう]

Apple IIの拡張かくちょうカードにはApple IIIとの互換ごかんせいはあったが、電波でんぱ障害しょうがい (RFI) の規格きかく違反いはんする危険きけんがあり、また専用せんようドライバ必要ひつようだった。しかし「Appleはそれをつくるための情報じょうほう事実じじつじょう一切いっさい公開こうかいしていない」とBYTEべている。ソフトウエアにかんして、Appleはハードウエアの情報じょうほうをほんのわずかしか公開こうかいしなかった[7]。Appleせい新型しんがた周辺しゅうへん機器ききがApple IIIのためにいくつか開発かいはつされた。オリジナルのApple IIIには内蔵ないぞうがたリアルタイムクロックが搭載とうさいされており、Apple SOSからることができた。このクロックは、の“改良かいりょうがた”からははずされ、そのかわりに追加ついか機能きのうとして購入こうにゅうできるようになった。

Apple IIIには内蔵ないぞうフロッピードライブのほかに、3だいまでのそとDisk IIIフロッピーディスクドライブを追加ついかすることができた。公式こうしきにApple IIIとの互換ごかんせいみとめられたのはこのDisk IIIだけだった。Apple III PlusのDB-25ディスクポートにこのDisk IIIを接続せつぞくするためには、Appleせいのアダプタが必要ひつようだった[8]

オリジナルの発売はつばいから1ねん、Appleは改良かいりょうがたApple IIIの発売はつばいとともにProFileそとけハードディスクシステムの提供ていきょう開始かいしした[9]価格かかくは5Mバイトで3,499USドルで、さらに拡張かくちょうスロットにProFileコントローラカードを実装じっそうする必要ひつようがあった。

派生はせいがた[編集へんしゅう]

リアルタイムクロック装備そうび仕様しよう[編集へんしゅう]

後述こうじゅつする不具合ふぐあい対策たいさく改良かいりょうばん

Apple III Plus[編集へんしゅう]

1983ねん12月にApple III Plus発売はつばいされ、同時どうじ改良かいりょうばんのApple IIIの販売はんばいられた。その価格かかくは2,995USドルだった[9]。この新型しんがたには内蔵ないぞうクロック、インターレースビデオ、標準ひょうじゅんされた背面はいめんポートコネクタ、標準ひょうじゅんで256KバイトのRAM、そしてあらたに設計せっけいされたキーボードが搭載とうさいされていた。キーボードは初期しょきのベージュのw:Apple IIeスタイルのデザインだった[9]

初期しょきがたのApple IIIオーナーは、新型しんがたのロジックボードを保守ほしゅよう部品ぶひんとして入手にゅうしゅすることができた。また、“Apple III Plus アップグレードキット”と銘打めいうたれたキーボードアップグレードキットも購入こうにゅうできるようになっており、キーボード、カバー、エンコーダーROMと交換こうかんようのロゴがついてきた。このアップグレードは認定にんていけたサービスマンがむことになっていた。

技術ぎじゅつてき商業しょうぎょうてき失敗しっぱい[編集へんしゅう]

様々さまざま理由りゆうから、Apple IIIは失敗しっぱいさくとしてられている。

  • ウォズニアックによれば、Apple IIIには「100%のハードウエアに異常いじょうがあった」[5]
  • 初期しょきのApple IIIはみのリアルタイムクロックきで出荷しゅっかされた。しかし、このハードウエアは長時間ちょうじかん使用しよう故障こしょうした[7]。Appleは、ナショナル セミコンダクター出荷しゅっかまえにすべての部品ぶひんをテストしていだろうことをてにしてこの水準すいじゅんのテストを実施じっししていなかった。またAppleはこの部品ぶひんをボードに直接ちょくせつはんだけしていたので、良品りょうひんのチップがつかったとしても簡単かんたん交換こうかんするわけにはかなかった。結局けっきょくAppleは、リアルタイムクロックを搭載とうさいして出荷しゅっかするのではなく、Apple IIIの仕様しようからこれを削除さくじょしてレベル1の技術ぎじゅつしゃ周辺しゅうへん機器ききとして発売はつばいすることで、この問題もんだい解決かいけつしてしまった[10]
  • スティーブ・ジョブズは、コンピュータの騒音そうおんをなくすために、冷却れいきゃくファンも通気つうきあなもうけないというかんがえにこだわった。のちにジョブズはかれ指揮しきしたApple Lisa、Macintosh 128KからiMacにいたる、ほとんどすべてのApple製品せいひん同様どうようのイデオロギーをとおした[11]。コンピュータからのねつ放散ほうさんさせるため、Apple IIIのベースは重量じゅうりょうのある鋳造ちゅうぞうアルミニウムつくられており、これが放熱ほうねつとして機能きのうするはずだった。アルミせいのケースのあきらかな利点りてんのひとつは、歴代れきだいのApple IIをなやませつづけた無線むせん妨害ぼうがい (RFI) の問題もんだい軽減けいげんすることだった。電源でんげんは、Apple IIシリーズのような独立どくりつしたカバーをたず、ロジックボードから分離ぶんりされた専用せんようのコンパートメントのなか搭載とうさいされた。このアルミせいのケースを使つかうという決定けっていが、最終さいしゅうてきにはApple IIIの信頼しんらいせい問題もんだいへとつらなる技術ぎじゅつてき障害しょうがいこした。ケースの製造せいぞうにはなが時間じかんがかかり、このケースがなければマザーボード完成かんせいさせることができなかった。やがてマザーボードには十分じゅうぶん余地よちがなく、すべての部品ぶひん搭載とうさいするためにはプリントパターンのはばちぢめなくてはならないことがあきらかになった。
Apple IIIの放熱ほうねつ鋳造ちゅうぞうアルミニウムのケース
  • BYTEべているように、「ICがそのソケットからさまよいでる傾向けいこうがある[7]」ことからApple IIIの故障こしょう多発たはつした。Apple IIIで多発たはつした発熱はつねつによるトラブルは、不十分ふじゅうぶん冷却れいきゃくと、効果こうかてきねつ放散ほうさんする能力のうりょく欠如けつじょによるものだとわれている。この問題もんだい対処たいしょするため、のちになってApple IIIには放熱ほうねつけられたが、それでもなおケースの設計せっけい原因げんいん十分じゅうぶん放熱ほうねつおこなうことはできなかった。あるユーザーは、そのApple IIIがボードからICチップがすほどあつくなって画面がめんには意味いみ不明ふめいのデータが表示ひょうじされ、あるいはディスクがスロットのなかで「けて」しまう、とべている。テクニカルマニュアルには、あるしゅ問題もんだい遭遇そうぐうした場合ばあいにICチップをロジックボードにしっかり挿入そうにゅうするために、マシンを3インチ (76mm) ほどげてから落下らっかさせる方法ほうほう説明せつめいされていた[10]
  • ケースの設計せっけいしゃであるジェリー・マノックは、マシンが適切てきせつ内部ないぶねつ放散ほうさんさせられることはテストによって証明しょうめいされていたとべて、設計せっけい欠陥けっかんであるという非難ひなん否定ひていする。そしてだいいち原因げんいんはロジックボードの設計せっけいじょう問題もんだいにあると主張しゅちょうしている。このロジックボードはほそいプリントパターンをせまいピッチではしらせる“fineline”テクノロジーをもちいて設計せっけいされていたが[12]、この技術ぎじゅつ設計せっけい当時とうじ十分じゅうぶん成熟せいじゅくしたものではなかった。チップがボードに挿入そうにゅうされたあと、ボードはウェーブソルダリングにかけられるが、このとき本来ほんらい接続せつぞくされるべきではないパターンのあいだに、はんだブリッジが形成けいせいされる。この結果けっか無数むすうのショートサーキットがしょうじて、コストのかかる長時間ちょうじかん診断しんだん手作業てさぎょうによる修正しゅうせい必要ひつようになった。Appleは基板きばんそうすうやして、通常つうじょうのパターンはばをもったあたらしい回路かいろ基板きばん設計せっけいした。あたらしい基板きばんのレイアウトは、それまでのボードで使つかわれていた高価こうかCADきゃど-CAMシステムではなく、たった一人ひとり設計せっけいしゃによって膨大ぼうだいかず製図せいずばん使つかって設計せっけいされ、そしてうまくうごいた。通常つうじょうのパターンはば設計せっけいされたボードには、すべての部品ぶひん搭載とうさいできるだけの余地よちはなかったので、RAMのための独立どくりつしたドーターボードを既存きそんのヒートシンクにわせて設計せっけいしなくてはならなかった[よう出典しゅってん]
  • 深刻しんこく安定あんていせいかんする問題もんだいのため、設計せっけい全般ぜんぱんてき見直みなおしと製品せいひんのリコールを余儀よぎなくされた。Apple IIIは開発かいはつ生産せいさんが1984ねん4がつ24にちられ、またIII Plusは1985ねん9がつにAppleの製品せいひんラインから姿すがたした[10]
  • ロジックボードの設計せっけいじょう欠陥けっかんあきらかになると、ただちにあらたな設計せっけいのボードが製作せいさくされた。このボードにはてい消費しょうひ電力でんりょく回路かいろはばひろいプリントパターン、改良かいりょうされたICソケットなどがまれた[9]。この3,495USドルの改良かいりょうばんのマシンにはさらに、256KバイトのRAMが標準ひょうじゅん構成こうせいとして搭載とうさいされた[9]販売はんばいみだった14,000だいのオリジナルのApple IIIは返送へんそうされて完全かんぜん新品しんぴん改良かいりょうばん交換こうかんされた。
  • 数々かずかず安定あんていせい問題もんだい製品せいひんリコールにもかかわらず、Appleはついには信頼しんらいせいそなえた実用じつようてきなバージョンのApple IIIを製造せいぞうできるようになった。しかしすでにこのマシンのわる評判ひょうばん確固かっことしたものになっており、これが直接的ちょくせつてき原因げんいんとなって商業しょうぎょうてき成功せいこうすることはできなかった。最終さいしゅうてきには65,000〜75,000だいのApple IIIコンピュータが販売はんばいされたと見積みつもられており[2][10]、Apple III Plusをふくめるとやく120,000だいたっした[10]
  • Appleの共同きょうどう創業そうぎょうしゃであるスティーブ・ウォズニアックは、「システムの開発かいはつがそれまでのAppleのやりかただった技術ぎじゅつしゃ主導しゅどうではなく、販売はんばい部門ぶもんによっておこなわれたことがApple IIIの失敗しっぱいだいいち原因げんいんだった」とべている[13]。Apple IIIの失敗しっぱいによって、AppleはApple IIを段階だんかいてき廃止はいししていくという計画けいかくさい評価ひょうかせまられ、結局けっきょくふるいマシンの開発かいはつ継続けいぞくすることになった。この結果けっかのApple IIのモデルは、熱転写ねつてんしゃプリンターのApple Scribe Printerなどのハードウェアや、Apple IIIのソフトウエア技術ぎじゅつわされるようになった。
  • 販売はんばい開始かいし時点じてんでの価格かかくは4,340USドルから7,800USドルで、当時とうじ販売はんばいされていたCP/Mベースのビジネスコンピュータのだい部分ぶぶんよりもずっと高価こうかだった[1]。VisiCalcのほかにはApple IIIようのソフトウエアはほとんどしゅはいらなかった。またこのマシンはApple II互換ごかんとしてられていたが、そのエミュレーション機能きのう意図いとてき制限せいげんされており、このためApple IIIの改良かいりょうされた機能きのう(とりわけ、膨大ぼうだいかずのPASCALベースのApple IIようソフトウエアで必要ひつような64KバイトをえるRAMへのアクセス)が使用しようできなくなっており、その有用ゆうようせいそこなっていた。

影響えいきょう[編集へんしゅう]

Apple IIIのオペレーティングシステムだったApple SOSのファイルシステムや、いくつかのデザインにかんするアイデアはApple IIIがわったあとも、そのビジネスマーケットでの事実じじつじょう後継こうけいしゃのApple Lisaばかりではなく、Apple IIシリーズの主要しゅようなオペレーティングシステムであるApple ProDOSやApple GS/OSの一部いちぶともなった。HFSはMacintoshの進化しんか影響えいきょうあたえた。当初とうしょMacintoshのファイルシステム (MFS) は、フロッピーディスクのためにつくられた、サブディレクトリをたないフラットなファイルシステムだが、以降いこうのファイルシステムは階層かいそうされている。おなじくフロッピーディスクようであるIBM PCの最初さいしょファイルシステム(これもまた)はフラットだが、ハードディスクよう設計せっけいされたのちのバージョンは同様どうよう階層かいそうされていた。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b VAen| Pre-PowerPC Profile Specs
  2. ^ a b Apple III computer @ oldcomputers.net
  3. ^ Two Apple Failures: Apple III and Lisa[信頼しんらいせいよう検証けんしょう]
  4. ^ The Apple III Project
  5. ^ a b Williams, Gregg; Moore, Rob (1985ねん1がつ). “The Apple Story / Part 2: More History and the Apple III”. BYTE: pp. 166. https://archive.org/stream/byte-magazine-1985-01/1985_01_BYTE_10-01_Through_the_Hourglass#page/n167/mode/2up 2013ねん10がつ26にち閲覧えつらん 
  6. ^ Beneath Apple DOS, Chapter 6 Using DOS from Assembly Language
  7. ^ a b c d Moore, Robin (1982ねん9がつ). “The Apple III and Its New Profile”. BYTE: pp. 92. https://archive.org/details/byte-magazine-1982-09/page/n93/mode/2up?view=theater 2013ねん10がつ19にち閲覧えつらん 
  8. ^ “Archived - Floppy Disk Drives: Apple III Plus External Drive Adapter”. Apple. (2012ねん2がつ19にち). http://support.apple.com/kb/TA31434 2013ねん11月23にち閲覧えつらん 
  9. ^ a b c d e Apple III @ bott.org
  10. ^ a b c d e Linzmayer, Owen W.. Apple Confidential 2.0: The Definitive History of the World's Most Colorful Company. pp. 41–43. ISBN 1-59327-010-0. https://books.google.co.jp/books?id=mXnw5tM8QRwC&lpg=PA245&pg=PA41&redir_esc=y&hl=ja 
  11. ^ First Cool, Now Quiet
  12. ^ Computer History Museum: Apple Industrial Designers Robert Brunner and Jerry Manock
  13. ^ Wozniak, S. G. (2006), iWoz: From Computer Geek to Cult Icon: How I Invented the Personal Computer, Co-Founded Apple, and Had Fun Doing It. W. W. Norton & Company. ISBN 0-393-06143-4.

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

先代せんだい
Apple II
Apple III
May 1980
次代じだい
Apple IIc
Apple Lisa