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Apple III (アップル・スリー)は、Apple によってApple II の後継 こうけい 機 き となることを意図 いと して開発 かいはつ 、販売 はんばい が行 おこな われたビジネス向 む けのパーソナルコンピュータ 。しばしばApple /// と表記 ひょうき される。
1980年 ねん 5月19日 にち に最初 さいしょ のアナウンスと公開 こうかい が行 おこな われ、その年 とし の秋 あき に公式 こうしき に発売 はつばい された[2] 。
Apple IIIの開発 かいはつ 作業 さぎょう は1978年 ねん 末 まつ にウェンデル・サンダー博士 はかせ の指導 しどう のもとで始 はじ められた。"Sara" という開発 かいはつ コードネームで呼 よ ばれ、これはサンダー博士 はかせ の娘 むすめ にちなんで命名 めいめい されたものである[3] [信頼 しんらい 性 せい 要 よう 検証 けんしょう ] 。
Apple IIはVisiCalc やMultiplan 、Apple Writer といった多数 たすう の重要 じゅうよう なビジネス製品 せいひん の創造 そうぞう 性 せい に貢献 こうけん していたが、そのハードウエアのアーキテクチャやオペレーティングシステム 、開発 かいはつ 環境 かんきょう は貧弱 ひんじゃく なものであった[4] 。Apple IIIはこれらの弱点 じゃくてん の解消 かいしょう を狙 ねら ったマシンである。スティーブ・ウォズニアックによれば、VisiCalcとDisk II がApple IIの人気 にんき の要因 よういん となっており、売 う り上 あ げの90%がその当初 とうしょ のマーケットだったホビイストにではなく、ビジネスユーザーに向 む かっていた。Appleの経営 けいえい 陣 じん は、Apple IIIをビジネスマーケットにアピールするようにデザインし、Apple IIを家庭 かてい 用 よう や教育 きょういく 用 よう コンピュータのユーザー向 む けとして切 き り離 はな すことで、マーケットセグメンテーション を明瞭 めいりょう に確立 かくりつ するつもりであった。経営 けいえい 陣 じん は「Apple IIIが発売 はつばい になれば、Apple IIの販売 はんばい は半年 はんとし のうちに終了 しゅうりょう すると信 しん じていた」とウォズニアックは語 かた っている[5] 。
Apple IIIは1.8 MHz Synertek 6502 Aまたは6502B 8ビットCPU を搭載 とうさい し、バンク切 き り換 か え 技術 ぎじゅつ (さらに改良 かいりょう されたApple IIファミリーの一部 いちぶ のマシンでも用 もち いられていた)によって256Kバイトまでのメモリーにアクセスすることができた。サードパーティーの中 なか にはApple IIIを512Kバイトまでアクセスできるようにするメモリーアップグレードキットを販売 はんばい するものもあった。Apple IIIにはこのほかに大文字 おおもじ 、小文字 こもじ を表示 ひょうじ できる80カラム24ラインのディスプレイ、10キーパッド、デュアルスピード(圧力 あつりょく 検知 けんち 式 しき )カーソル制御 せいぎょ キー、6ビット (DAC) オーディオ、内蔵 ないぞう 型 がた 5.25インチフロッピーディスク 装置 そうち などが組 く み込 こ まれていた。グラフィクスのモードには560×192ドットのモノクロと、280×192ドットの16色 しょく ないし16階 かい 調 ちょう グレースケールがあった。Apple IIとは異 こと なりDisk IIIコントローラはロジックボードに組 く み込 こ まれていた。
Apple IIIは、スクリーンフォントとキーボードレイアウト(QWERTY配列 はいれつ かDvorak配列 はいれつ のいずれか)をユーザーが選択 せんたく できる最初 さいしょ のApple製品 せいひん である。キーボードのすぐ上 じょう にキーボード切替 きりか えスイッチがありその場 ば で変更 へんこう できるApple IIc とは違 ちが い、Apple IIIではこの変更 へんこう をプログラムの実行 じっこう 中 ちゅう に行 おこな うことはできなかった。
Apple IIとDOS 3.3の最大 さいだい の制約 せいやく のひとつは、そのリソースのアドレッシング方式 ほうしき にあった。この方式 ほうしき では、スロット5、6は記憶 きおく 装置 そうち に予約 よやく 、スロット2はシリアル通信 つうしん インタフェースに予約 よやく 、など、周辺 しゅうへん 機器 きき は標準 ひょうじゅん 的 てき なスロット位置 いち に実装 じっそう されることが半 なか ば強制 きょうせい されている。この制約 せいやく のためユーザーは周辺 しゅうへん 機器 きき を、その物理 ぶつり 的 てき な実装 じっそう 位置 いち によって、たとえばPR#6、CATALOG, D1といった具合 ぐあい に識別 しきべつ しなくてはならなかった[6] 。Apple IIIではApple SOS (“Appleソース”と発音 はつおん する)と呼 よ ばれる改良 かいりょう されたオペレーティングシステムが導入 どうにゅう された。周辺 しゅうへん 機器 きき にその物理 ぶつり 的 てき な実装 じっそう 位置 いち ではなく、名称 めいしょう でアドレッシングできる能力 のうりょく によって、Apple IIIのスケーラビリティは向上 こうじょう した。さらにApple SOSは、Apple ProFile ハードディスク 装置 そうち などのような記憶 きおく 装置 そうち の全 ぜん 容量 ようりょう を単一 たんいつ のボリュームとして扱 あつか うことができたし、また階層 かいそう 化 か ファイルシステム (HFS) をサポートした。Apple SOSの機能 きのう やコードベースの一部 いちぶ は、Lisa 7/7 や Macintosh system software のみならず、Apple IIの ProDOS やGS/OS オペレーティングシステムへと進 すす んで行 い った。
また、Apple IIIにはApple III Business BASIC と呼 よ ばれる新 あたら しいBASIC インタプリタ が導入 どうにゅう された。そして、後 のち にはより構造 こうぞう 化 か されたプログラミングのために、UCSD Pascal が導入 どうにゅう された。
Appleは、Apple IIIがホビイスト向 む けではないと見 み ていたことから、Apple IIに添付 てんぷ していたようなソフトウエア に関 かん する技術 ぎじゅつ 情報 じょうほう のほとんどを公開 こうかい しなかった[7] 。Apple IIIは当初 とうしょ Apple IIシリーズを直接 ちょくせつ 置 お き換 か えることを狙 ねら っていたので、Apple IIソフトウエアに対 たい して後方 こうほう 互換 ごかん 性 せい を持 も つよう設計 せっけい されていた。しかし、Apple IIプラットフォームでの開発 かいはつ が継続 けいぞく されることはAppleにとって望 のぞ ましくなかったため、この互換 ごかん 性 せい は特別 とくべつ な“Apple IIモード”上 じょう だけに存在 そんざい し、その能力 のうりょく は48 KバイトApple II+のエミュレーションに制限 せいげん されていた。さらに大 だい 容量 ようりょう のメモリーなどApple IIIの改良 かいりょう された機能 きのう へのアクセスを妨 さまた げるために、わざわざ特別 とくべつ なチップが搭載 とうさい されていた。Apple IIIが発売 はつばい されたこの当時 とうじ 、Apple IIのビジネス向 む けプログラムは大抵 たいてい が、たとえば16Kバイトの“ランゲージカード”を搭載 とうさい した48KバイトApple IIなど、最低 さいてい でも64KバイトのRAMを必要 ひつよう としていたので、Apple IIIとは互換 ごかん 性 せい がなかった。このことはユーザーの乗 の り換 か えを阻害 そがい する一因 いちいん となった。
Apple IIIには、システムの再 さい 構成 こうせい およびファイル操作 そうさ を行 おこな うためのSystem Utilities programというプログラムが組 く み込 こ まれていた。このほかにもSystem Utilities programに統合 とうごう され様々 さまざま なプログラムを起動 きどう できるように作 つく られたSelector IIIというプログラムがあった。このプログラムはON THREEという大 おお きなApple IIIのユーザーグループによって開発 かいはつ された。またCatalystという競合 きょうごう する製品 せいひん をQuark Software という企業 きぎょう が開発 かいはつ していた。CatalystはSelector IIIにくらべて粗雑 そざつ なインタフェースだが、そのかわりにプログラムスイッチング機能 きのう とコピープロテクションをサポートしていた。プログラムの発売 はつばい 元 もと はこの機能 きのう によって、許可 きょか なく製品 せいひん をバックアップされたりコピーされる心配 しんぱい なしに、ユーザーがハードディスクからプログラムを起動 きどう するライセンスを発行 はっこう することができた。AppleがCatalystを新型 しんがた のProFileハードディスクにバンドルすることを決定 けってい したことにより、Quarkはその名 な が世 よ に知 し られたが[要 よう 出典 しゅってん ] 、それでもON THREEはSelector IIIを廃止 はいし することなくその月刊 げっかん 誌 し を通 つう じて販売 はんばい を続 つづ けた。Selector IIIの販売 はんばい とサポートは、QuarkがApple III用 よう 製品 せいひん ラインを廃止 はいし した後 のち も長 なが く続 つづ けられた。
Apple IIの拡張 かくちょう カード にはApple IIIとの互換 ごかん 性 せい はあったが、電波 でんぱ 障害 しょうがい (RFI) の規格 きかく に違反 いはん する危険 きけん があり、また専用 せんよう のドライバ が必要 ひつよう だった。しかし「Appleはそれを作 つく るための情報 じょうほう を事実 じじつ 上 じょう 一切 いっさい 公開 こうかい していない」とBYTE 誌 し は述 の べている。ソフトウエアに関 かん して、Appleはハードウエアの情報 じょうほう をほんのわずかしか公開 こうかい しなかった[7] 。Apple製 せい 新型 しんがた 周辺 しゅうへん 機器 きき がApple IIIのためにいくつか開発 かいはつ された。オリジナルのApple IIIには内蔵 ないぞう 型 がた リアルタイムクロックが搭載 とうさい されており、Apple SOSから読 よ み取 と ることができた。このクロックは、後 ご の“改良 かいりょう 型 がた ”からは取 と り外 はず され、そのかわりに追加 ついか 機能 きのう として購入 こうにゅう できるようになった。
Apple IIIには内蔵 ないぞう フロッピードライブのほかに、3台 だい までの外 そと 付 づ けDisk III フロッピーディスクドライブを追加 ついか することができた。公式 こうしき にApple IIIとの互換 ごかん 性 せい が認 みと められたのはこのDisk IIIだけだった。Apple III PlusのDB-25ディスクポートにこのDisk IIIを接続 せつぞく するためには、Apple製 せい のアダプタが必要 ひつよう だった[8] 。
オリジナルの発売 はつばい から1年 ねん 後 ご 、Appleは改良 かいりょう 型 がた Apple IIIの発売 はつばい とともにProFile 外 そと 付 づ けハードディスクシステムの提供 ていきょう を開始 かいし した[9] 。価格 かかく は5Mバイトで3,499USドルで、さらに拡張 かくちょう スロットにProFileコントローラカードを実装 じっそう する必要 ひつよう があった。
リアルタイムクロック未 み 装備 そうび 仕様 しよう [ 編集 へんしゅう ]
後述 こうじゅつ する不具合 ふぐあい の対策 たいさく 改良 かいりょう 版 ばん 。
Apple III Plus [ 編集 へんしゅう ]
1983年 ねん 12月にApple III Plus が発売 はつばい され、同時 どうじ に改良 かいりょう 版 ばん のApple IIIの販売 はんばい が打 う ち切 き られた。その価格 かかく は2,995USドルだった[9] 。この新型 しんがた 機 き には内蔵 ないぞう クロック、インターレースビデオ、標準 ひょうじゅん 化 か された背面 はいめん ポートコネクタ、標準 ひょうじゅん で256KバイトのRAM、そして新 あら たに設計 せっけい されたキーボードが搭載 とうさい されていた。キーボードは初期 しょき のベージュのw:Apple IIe スタイルのデザインだった[9] 。
初期 しょき 型 がた のApple IIIオーナーは、新型 しんがた のロジックボードを保守 ほしゅ 用 よう 部品 ぶひん として入手 にゅうしゅ することができた。また、“Apple III Plus アップグレードキット”と銘打 めいう たれたキーボードアップグレードキットも購入 こうにゅう できるようになっており、キーボード、カバー、エンコーダーROMと交換 こうかん 用 よう のロゴがついてきた。このアップグレードは認定 にんてい を受 う けたサービスマンが組 く み込 こ むことになっていた。
技術 ぎじゅつ 的 てき ・商業 しょうぎょう 的 てき 失敗 しっぱい [ 編集 へんしゅう ]
様々 さまざま な理由 りゆう から、Apple IIIは失敗 しっぱい 作 さく として見 み られている。
ウォズニアックによれば、Apple IIIには「100%のハードウエアに異常 いじょう があった」[5] 。
初期 しょき のApple IIIは組 く み込 こ みのリアルタイムクロック付 つ きで出荷 しゅっか された。しかし、このハードウエアは長時間 ちょうじかん の使用 しよう で故障 こしょう した[7] 。Appleは、ナショナル セミコンダクター が出荷 しゅっか 前 まえ にすべての部品 ぶひん をテストしていだろうことを当 あ てにしてこの水準 すいじゅん のテストを実施 じっし していなかった。またAppleはこの部品 ぶひん をボードに直接 ちょくせつ はんだ付 づ けしていたので、不 ふ 良品 りょうひん のチップが見 み つかったとしても簡単 かんたん に交換 こうかん するわけには行 い かなかった。結局 けっきょく Appleは、リアルタイムクロックを搭載 とうさい して出荷 しゅっか するのではなく、Apple IIIの仕様 しよう からこれを削除 さくじょ してレベル1の技術 ぎじゅつ 者 しゃ が組 く み込 こ む周辺 しゅうへん 機器 きき として発売 はつばい することで、この問題 もんだい を解決 かいけつ してしまった[10] 。
スティーブ・ジョブズ は、コンピュータの騒音 そうおん をなくすために、冷却 れいきゃく ファンも通気 つうき 孔 あな も設 もう けないという考 かんが えにこだわった。後 のち にジョブズは彼 かれ が指揮 しき したApple Lisa、Macintosh 128KからiMac にいたる、ほとんどすべてのApple製品 せいひん で同様 どうよう のイデオロギーを押 お し通 とお した[11] 。コンピュータからの熱 ねつ を放散 ほうさん させるため、Apple IIIのベースは重量 じゅうりょう のある鋳造 ちゅうぞう アルミニウム で作 つく られており、これが放熱 ほうねつ 器 き として機能 きのう するはずだった。アルミ製 せい のケースの明 あき らかな利点 りてん のひとつは、歴代 れきだい のApple IIを悩 なや ませ続 つづ けた無線 むせん 妨害 ぼうがい (RFI) の問題 もんだい を軽減 けいげん することだった。電源 でんげん 部 ぶ は、Apple IIシリーズのような独立 どくりつ したカバーを持 も たず、ロジックボードから分離 ぶんり された専用 せんよう のコンパートメントの中 なか に搭載 とうさい された。このアルミ製 せい のケースを使 つか うという決定 けってい が、最終 さいしゅう 的 てき にはApple IIIの信頼 しんらい 性 せい の問題 もんだい へと連 つら なる技術 ぎじゅつ 的 てき な障害 しょうがい を引 ひ き起 お こした。ケースの製造 せいぞう には長 なが い時間 じかん がかかり、このケースがなければマザーボード を完成 かんせい させることができなかった。やがてマザーボードには十分 じゅうぶん な余地 よち がなく、すべての部品 ぶひん を搭載 とうさい するためにはプリントパターンの幅 はば を縮 ちぢ めなくてはならないことが明 あき らかになった。
Apple IIIの放熱 ほうねつ 器 き と鋳造 ちゅうぞう アルミニウムのケース
BYTE 誌 し が述 の べているように、「ICがそのソケットからさまよいでる傾向 けいこう がある[7] 」ことからApple IIIの故障 こしょう が多発 たはつ した。Apple IIIで多発 たはつ した発熱 はつねつ によるトラブルは、不十分 ふじゅうぶん な冷却 れいきゃく と、効果 こうか 的 てき に熱 ねつ を放散 ほうさん する能力 のうりょく の欠如 けつじょ によるものだと言 い われている。この問題 もんだい に対処 たいしょ するため、後 のち になってApple IIIには放熱 ほうねつ 器 き が取 と り付 つ けられたが、それでもなおケースの設計 せっけい が原因 げんいん で十分 じゅうぶん な放熱 ほうねつ を行 おこな うことはできなかった。あるユーザーは、そのApple IIIがボードからICチップが飛 と び出 だ すほど熱 あつ くなって画面 がめん には意味 いみ 不明 ふめい のデータが表示 ひょうじ され、あるいはディスクがスロットの中 なか で「溶 と けて」しまう、と述 の べている。テクニカルマニュアルには、ある種 しゅ の問題 もんだい に遭遇 そうぐう した場合 ばあい にICチップをロジックボードにしっかり挿入 そうにゅう するために、マシンを3インチ (76mm) ほど持 も ち上 あ げてから落下 らっか させる方法 ほうほう が説明 せつめい されていた[10] 。
ケースの設計 せっけい 者 しゃ であるジェリー・マノック は、マシンが適切 てきせつ に内部 ないぶ の熱 ねつ を放散 ほうさん させられることはテストによって証明 しょうめい されていたと述 の べて、設計 せっけい の欠陥 けっかん であるという非難 ひなん を否定 ひてい する。そして第 だい 一 いち の原因 げんいん はロジックボードの設計 せっけい 上 じょう の問題 もんだい にあると主張 しゅちょう している。このロジックボードは細 ほそ いプリントパターンを狭 せま いピッチで走 はし らせる“fineline”テクノロジーを用 もち いて設計 せっけい されていたが[12] 、この技術 ぎじゅつ は設計 せっけい 当時 とうじ 、十分 じゅうぶん に成熟 せいじゅく したものではなかった。チップがボードに挿入 そうにゅう されたあと、ボードはウェーブソルダリング にかけられるが、このとき本来 ほんらい 接続 せつぞく されるべきではないパターンの間 あいだ に、はんだブリッジが形成 けいせい される。この結果 けっか 、無数 むすう のショートサーキットが生 しょう じて、コストのかかる長時間 ちょうじかん の診断 しんだん と手作業 てさぎょう による修正 しゅうせい が必要 ひつよう になった。Appleは基板 きばん 層 そう 数 すう を増 ふ やして、通常 つうじょう のパターン幅 はば をもった新 あたら しい回路 かいろ 基板 きばん を設計 せっけい した。新 あたら しい基板 きばん のレイアウトは、それまでのボードで使 つか われていた高価 こうか なCAD きゃど -CAM システムではなく、たった一人 ひとり の設計 せっけい 者 しゃ によって膨大 ぼうだい な数 かず の製図 せいず 板 ばん を使 つか って設計 せっけい され、そしてうまく動 うご いた。通常 つうじょう のパターン幅 はば で設計 せっけい されたボードには、すべての部品 ぶひん を搭載 とうさい できるだけの余地 よち はなかったので、RAMのための独立 どくりつ したドーターボードを既存 きそん のヒートシンクに合 あ わせて設計 せっけい しなくてはならなかった[要 よう 出典 しゅってん ] 。
深刻 しんこく な安定 あんてい 性 せい に関 かん する問題 もんだい のため、設計 せっけい の全般 ぜんぱん 的 てき な見直 みなお しと製品 せいひん のリコールを余儀 よぎ なくされた。Apple IIIは開発 かいはつ と生産 せいさん が1984年 ねん 4月 がつ 24日 にち に打 う ち切 き られ、またIII Plusは1985年 ねん 9月 がつ にAppleの製品 せいひん ラインから姿 すがた を消 け した[10] 。
ロジックボードの設計 せっけい 上 じょう の欠陥 けっかん が明 あき らかになると、ただちに新 あら たな設計 せっけい のボードが製作 せいさく された。このボードには低 てい 消費 しょうひ 電力 でんりょく の回路 かいろ 、幅 はば の広 ひろ いプリントパターン、改良 かいりょう されたICソケットなどが織 お り込 こ まれた[9] 。この3,495USドルの改良 かいりょう 版 ばん のマシンにはさらに、256KバイトのRAMが標準 ひょうじゅん 構成 こうせい として搭載 とうさい された[9] 。販売 はんばい 済 ず みだった14,000台 だい のオリジナルのApple IIIは返送 へんそう されて完全 かんぜん な新品 しんぴん の改良 かいりょう 版 ばん に交換 こうかん された。
数々 かずかず の安定 あんてい 性 せい の問題 もんだい や製品 せいひん リコールにも関 かか わらず、Appleはついには信頼 しんらい 性 せい を備 そな えた実用 じつよう 的 てき なバージョンのApple IIIを製造 せいぞう できるようになった。しかしすでにこのマシンの悪 わる い評判 ひょうばん は確固 かっこ としたものになっており、これが直接的 ちょくせつてき な原因 げんいん となって商業 しょうぎょう 的 てき に成功 せいこう することはできなかった。最終 さいしゅう 的 てき には65,000〜75,000台 だい のApple IIIコンピュータが販売 はんばい されたと見積 みつ もられており[2] [10] 、Apple III Plusを含 ふく めると約 やく 120,000台 だい に達 たっ した[10] 。
Appleの共同 きょうどう 創業 そうぎょう 者 しゃ であるスティーブ・ウォズニアック は、「システムの開発 かいはつ がそれまでのAppleのやり方 かた だった技術 ぎじゅつ 者 しゃ 主導 しゅどう ではなく、販売 はんばい 部門 ぶもん によって行 おこな われたことがApple IIIの失敗 しっぱい の第 だい 一 いち の原因 げんいん だった」と述 の べている[13] 。Apple IIIの失敗 しっぱい によって、AppleはApple IIを段階 だんかい 的 てき に廃止 はいし していくという計画 けいかく の再 さい 評価 ひょうか を迫 せま られ、結局 けっきょく 古 ふる いマシンの開発 かいはつ を継続 けいぞく することになった。この結果 けっか 、後 ご のApple IIのモデルは、熱転写 ねつてんしゃ プリンター のApple Scribe Printerなどのハードウェアや、Apple IIIのソフトウエア技術 ぎじゅつ が組 く み合 あ わされるようになった。
販売 はんばい 開始 かいし 時点 じてん での価格 かかく は4,340USドルから7,800USドルで、当時 とうじ 販売 はんばい されていたCP/M ベースのビジネスコンピュータの大 だい 部分 ぶぶん よりもずっと高価 こうか だった[1] 。VisiCalcのほかにはApple III用 よう のソフトウエアはほとんど手 しゅ に入 はい らなかった。またこのマシンはApple II互換 ごかん として売 う られていたが、そのエミュレーション機能 きのう は意図 いと 的 てき に制限 せいげん されており、このためApple IIIの改良 かいりょう された機能 きのう (とりわけ、膨大 ぼうだい な数 かず のPASCALベースのApple II用 よう ソフトウエアで必要 ひつよう な64Kバイトを越 こ えるRAMへのアクセス)が使用 しよう できなくなっており、その有用 ゆうよう 性 せい を損 そこ なっていた。
Apple IIIのオペレーティングシステムだったApple SOSのファイルシステム や、いくつかのデザインに関 かん するアイデアはApple IIIが終 お わったあとも、そのビジネスマーケットでの事実 じじつ 上 じょう の後継 こうけい 者 しゃ のApple Lisaばかりではなく、Apple IIシリーズの主要 しゅよう なオペレーティングシステムであるApple ProDOSやApple GS/OSの一部 いちぶ ともなった。HFS はMacintoshの進化 しんか に影響 えいきょう を与 あた えた。当初 とうしょ Macintoshのファイルシステム (MFS) は、フロッピーディスクのために作 つく られた、サブディレクトリを持 も たないフラットなファイルシステムだが、以降 いこう のファイルシステムは階層 かいそう 化 か されている。同 おな じくフロッピーディスク用 よう であるIBM PCの最初 さいしょ のファイルシステム (これもまた)はフラットだが、ハードディスク用 よう に設計 せっけい された後 のち のバージョンは同様 どうよう に階層 かいそう 化 か されていた。
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