R&D SPORT (アールアンドディースポーツ)は、SUPER GT に参戦 さんせん する日本 にっぽん のレーシングチームである。正式 せいしき 商号 しょうごう は株式会社 かぶしきがいしゃ アールアンドデースポーツ 。
元々 もともと はレーシングカーコンストラクターの東京 とうきょう R&D の関連 かんれん 会社 かいしゃ だったが、2008年 ねん 3月 がつ 末 まつ で資本 しほん 関係 かんけい を解消 かいしょう している[1] 。
全日本 ぜんにほん GT選手権 せんしゅけん (JGTC:現 げん SUPER GT )GT300クラスに、ポルシェ・911 GT3R の2台 だい 体制 たいせい で参戦 さんせん を開始 かいし する。62号車 ごうしゃ をエースカーとし、もう1台 だい の63号車 ごうしゃ はレイジュン とのジョイントによる参戦 さんせん であった。前年 ぜんねん の同型 どうけい 車 しゃ の活躍 かつやく を受 う けて性能 せいのう 調整 ちょうせい が施 ほどこ された関係 かんけい で、苦戦 くせん を強 し いられたが、最終 さいしゅう 戦 せん の第 だい 7戦 せん でポールポジションを獲得 かくとく した。しかし勝利 しょうり を挙 あ げることはできなかった。
引 ひ き続 つづ きJGTCに2台 だい 体制 たいせい で参戦 さんせん 。62号車 ごうしゃ は前年 ぜんねん の911 GT3Rに換 か えて、イギリスのVEMAC と共同 きょうどう 開発 かいはつ して制作 せいさく されたヴィーマック・RD320R を第 だい 2戦 せん より投入 とうにゅう 。エンジンはホンダ・C32B型 がた V6 エンジンを改造 かいぞう し搭載 とうさい された。デビュー戦 せん ではポテンシャルの高 たか さをアピールし、パーフェクトウィン(ポールトゥーウィン とファステストラップ )を達成 たっせい した。もちろんチームにとって初 はじ めての勝利 しょうり となった。
その後 ご は速 はや さをアピールしたものの、開発 かいはつ 途上 とじょう のマシンのため信頼 しんらい 性 せい に欠 か けトラブルでリタイヤするケースが目立 めだ った。鈴鹿 すずか 1000km での勝利 しょうり を挟 はさ んで後半 こうはん 戦 せん からは信頼 しんらい 性 せい が向上 こうじょう したものの、あまりにポテンシャルが高 たか すぎてライバルとは桁違 けたちが いの差 さ があったため、度重 たびかさ なる性能 せいのう 調整 ちょうせい が施 ほどこ されてしまう。しかし、それでもRD320Rは順調 じゅんちょう に勝利 しょうり を重 かさ ねた。そして、最終 さいしゅう 戦 せん では性能 せいのう 調整 ちょうせい としてウェイト150kgととてつもない調整 ちょうせい が施 ほどこ されてしまい、チャンピオン獲得 かくとく はならなかった。
この年 とし の成績 せいせき は、62号車 ごうしゃ はポールポジション4回 かい 、優勝 ゆうしょう 3回 かい 。63号車 ごうしゃ は引 ひ き続 つづ きマシンの戦闘 せんとう 能力 のうりょく が低 ひく いため苦戦 くせん したものの、第 だい 3戦 せん で混戦 こんせん の中 なか 着実 ちゃくじつ に順位 じゅんい を上 あ げ、3位 い を獲得 かくとく した。
GT500クラスにステップアップを果 は たす。GT500への参戦 さんせん にあたって大幅 おおはば な戦闘 せんとう 力 りょく の向上 こうじょう が必要 ひつよう であり、新型 しんがた マシンヴィーマック・RD350R が製作 せいさく され、前年 ぜんねん デビューウィンを飾 かざ った富士 ふじ スピードウェイ でデビューした。
しかし、GT500では巨大 きょだい な設備 せつび を持 も ったワークス・チーム が相手 あいて となるため、彼 かれ らに比 くら べて設備 せつび 面 めん で劣 おと り開発 かいはつ もそれほど早 はや く進 すす めることはできなかったRD350Rは苦戦 くせん を強 し いられ、シーズンを通 とお して上位 じょうい に進出 しんしゅつ することはできなかった。また、350Rは320Rと車体 しゃたい 面 めん で大 おお きな差 さ がなく、エンジンもザイテック 製 せい ZV348型 がた V8 エンジンがリストリクター の関係 かんけい でパワー不足 ふそく であったことも原因 げんいん であった。しかし、第 だい 4戦 せん ではタイヤ選択 せんたく のおかげでコースコンディションの変化 へんか に対応 たいおう でき、その結果 けっか 8位 い を獲得 かくとく した。
なお、自 みずか らのチームでGT300クラスには参戦 さんせん しないものの、プライベーターに前年 ぜんねん 参戦 さんせん していた320Rを供給 きょうきゅう した。
前年 ぜんねん の苦戦 くせん を受 う け、専用 せんよう マシンを新規 しんき に開発 かいはつ する必要 ひつよう があったため開発 かいはつ に専念 せんねん することとなり、JGTCへのフル参戦 さんせん はしなかった。
その代 か わり、かつてジョイント参戦 さんせん したレイジュンが前年 ぜんねん の最終 さいしゅう 戦 せん よりRD320Rで参戦 さんせん 。マシンメンテナンスを担当 たんとう し、間接 かんせつ 的 てき ではあるがGT300クラスに復帰 ふっき した。マシン開発 かいはつ は順調 じゅんちょう に進 すす み、秋 あき 頃 ごろ にはマシンが完成 かんせい しシェイクダウンが行 おこな われた。このマシンはヴィーマック・RD408R という車 くるま で、エンジンはRD350Rのザイテック製 せい エンジンが非力 ひりき であったことを反省 はんせい し、新 あら たにM-TEC 製 せい MF408S型 がた V8 エンジンが搭載 とうさい された。
当初 とうしょ は翌年 よくねん から参戦 さんせん の予定 よてい だったが、先行 せんこう 的 てき に最終 さいしゅう 戦 せん にスポット参戦 さんせん することになった。結果 けっか は序盤 じょばん のアクシデントに巻 ま き込 こ まれたせいで上位 じょうい に進出 しんしゅつ することはできなかったが、大 おお きなトラブルもなく完走 かんそう した。
RD408RでSUPER GT(この年 とし にJGTCから名称 めいしょう 変更 へんこう )GT500クラスに参戦 さんせん を予定 よてい していたが、急遽 きゅうきょ 予定 よてい を変更 へんこう し、2003年 ねん にGT500に参戦 さんせん したRD350RをGT300に投入 とうにゅう し参戦 さんせん することとなった。しかし、アクシデントに巻 ま き込 こ まれたり、アクシデントの原因 げんいん を作 つく ってしまったこともあったため、思 おも ったほどの活躍 かつやく ができずにシーズンを終 お えた。
また、この年 とし より参戦 さんせん したディレクシブ とこれまでNSXで参戦 さんせん してきたベルノ東海 とうかい ドリーム28のRD320Rのメンテナンスを担当 たんとう した。
RD350Rに代 か わって、GT300クラスに、2004年 ねん の最終 さいしゅう 戦 せん にGT500クラスでスポット参戦 さんせん したRD408Rで参戦 さんせん した(同 おな じ車 しゃ だが、クラスダウンに伴 ともな いリストリクター制限 せいげん が厳 きび しくなり、エンジン出力 しゅつりょく 等 とう は低下 ていか している)。第 だい 3戦 せん でチームとしては2002年 ねん の第 だい 7戦 せん 以来 いらい となる優勝 ゆうしょう を飾 かざ った。
第 だい 5戦 せん より柴原 しばはら 眞 しん 介 かい のパートナーが八木 やぎ 宏之 ひろゆき から黒澤 くろさわ 治樹 はるき に変 か わった。最終 さいしゅう 戦 せん でもトップを快走 かいそう していたが、最後 さいご の最後 さいご でガス欠 かけ になってしまいリタイアとなってしまった。しかし、このことが今 こん シーズンのタイトル争 あらそ いに大 おお きく影響 えいきょう したといえるだろう。
また第 だい 7戦 せん より、前 まえ 戦 せん (鈴鹿 すずか 1000km)を最後 さいご に活動 かつどう 中止 ちゅうし となったディレクシブに代 か わってRD320Rを走 はし らせることとなった。これは、ディレクシブでドライブしていた密 みつ 山 さん 祥 さち 吾 われ と谷口 たにぐち 信 しん 輝 てる のドライバーズランキングがトップであることから、このまま参戦 さんせん 継続 けいぞく しドライバーズタイトルを獲得 かくとく しようということで、メンテナンスを請 う け負 お っていたR&Dがエントラントとなって参戦 さんせん することになった。監督 かんとく には鈴木 すずき 利男 としお を新 あら たに迎 むか え入 い れ盤石 ばんじゃく の体制 たいせい で残 のこ り3戦 せん を戦 たたか う。これにより、新 しん マシン名 めい は「アネブルADVAN RD320R 」となった。しかし、資金 しきん 不足 ふそく によりテストに参加 さんか できなかったことが原因 げんいん で失速 しっそく してしまい、ラスト2戦 せん の大事 だいじ なところでノーポイントに終 お わりタイトル獲得 かくとく はならなかった。結果 けっか はシリーズ3位 い となっている。
前年 ぜんねん 同様 どうよう GT300クラスにRD408Rを開発 かいはつ しながら参戦 さんせん する事 こと となった。ドライバーも柴原 しばはら と黒澤 くろさわ のコンビで継続 けいぞく される。第 だい 5戦 せん より従来 じゅうらい のマシンでのノウハウをもとに新 あら たに制作 せいさく された新車 しんしゃ にスイッチした。この新車 しんしゃ 投入 とうにゅう 後 ご 、調子 ちょうし が上向 うわむ き第 だい 6戦 せん では3位 い 、第 だい 7戦 せん では2位 い 、第 だい 8戦 せん では優勝 ゆうしょう という3連続 れんぞく 表彰台 ひょうしょうだい で一気 いっき にタイトル争 あらそ いに加 くわ わるが、最終 さいしゅう 戦 せん ではウェイトハンデが重 おも く本来 ほんらい の走 はし りができず、惜 お しくもタイトル獲得 かくとく を逃 のが したが、シリーズ3位 い という成績 せいせき を獲得 かくとく した。
SUPER GTにおける体制 たいせい 面 めん やドライバーやマシンは前年 ぜんねん と変 か わらず同 おな じ布陣 ふじん での参戦 さんせん となったが、第 だい 1戦 せん の鈴鹿 すずか で予選 よせん 中 ちゅう に柴原 しばはら 眞 しん 介 かい がクラッシュにより負傷 ふしょう したため、第 だい 2戦 せん 以降 いこう 代役 だいやく として密 みつ 山 さん 祥 さち 吾 わ が参戦 さんせん 。規定 きてい 変更 へんこう に伴 ともな い前年 ぜんねん よりコーナリングスピードを上 あ げる改良 かいりょう を施 ほどこ したが、それが裏目 うらめ となりストレートスピードが全 まった く伸 の びない事態 じたい に見舞 みま われ前年 ぜんねん の勢 いきお いを失 うしな ってしまった。第 だい 5戦 せん に開幕 かいまく 戦 せん で負傷 ふしょう した柴原 しばはら が復帰 ふっき を果 は たしたが、結局 けっきょく 前年 ぜんねん 同様 どうよう の活躍 かつやく を見 み せることなく、この年 とし は優勝 ゆうしょう を果 は たすことができず、最終 さいしゅう 戦 せん で2位 い に入 はい ったのが唯一 ゆいいつ の表彰台 ひょうしょうだい となった。
またこの年 とし には、ル・マン24時 じ 間 あいだ レース に参戦 さんせん する東海大学 とうかいだいがく チームの監督 かんとく を務 つと める林 はやし 義正 よしまさ から支援 しえん を求 もと められ、同 どう チームにメカニックの派遣 はけん 等 とう の協力 きょうりょく を行 おこな っている。
富士重工業 ふじじゅうこうぎょう スバル・レガシィ B4(2009年 ねん 仕様 しよう )
RD408Rから、スバル・レガシィ B4 に車両 しゃりょう を変更 へんこう し、第 だい 6戦 せん 鈴鹿 すずか より出場 しゅつじょう した。デビュー戦 せん では予選 よせん 中 ちゅう にフロントデフのトラブルにより出火 しゅっか し、出走 しゅっそう を取 と りやめた。その後 ご も開発 かいはつ を進 すす めたが、目立 めだ った結果 けっか を出 だ せなかった。
また、同年 どうねん 7月 がつ 27日 にち には2008年 ねん 3月 がつ 末 まつ 時点 じてん で東京 とうきょう R&Dから完全 かんぜん に独立 どくりつ していたことを明 あき らかにした。
体制 たいせい はそのままにドライバーは前年 ぜんねん から継続 けいぞく となる山野 やまの 哲也 てつや に加 くわ え佐々木 ささき 孝 たかし 太 ふとし が加入 かにゅう した。車両 しゃりょう も前年 ぜんねん に引 ひ き続 つづ きレガシィを使用 しよう するが、前年度 ぜんねんど までのAWDをFR化 か しての参戦 さんせん となった。さらに第 だい 5戦 せん からトランスアクスル化 か を実施 じっし し、第 だい 6戦 せん 鈴鹿 すずか でレガシィの初 はつ 勝利 しょうり を上 あ げたものの表彰台 ひょうしょうだい はこの1度 ど だけとなった。
前年 ぜんねん と全 まった く同 おな じ体制 たいせい ・ドライバー・マシンでの参戦 さんせん となった。この年 とし はラウンドを重 かさ ねるごとに速 はや さを見 み せて行 い き、第 だい 5戦 せん 鈴鹿 すずか と第 だい 7戦 せん オートポリスの2勝 しょう を上 あ げたものの、第 だい 2戦 せん と第 だい 4戦 せん でのノーポイントが響 ひび きチャンピオン争 あらそ いに加 くわ わる事 こと は出来 でき なかった。
SUBARU BRZ R&D SPORT
ドライバーは前年 ぜんねん から継続 けいぞく であるが、マシンはスバル・BRZ へと変更 へんこう され、マシン開発 かいはつ をSTI が担当 たんとう しR&Dはチーム運営 うんえい を担当 たんとう するという形 かたち でのジョイント参戦 さんせん となる。
デビューイヤーでは8戦中 せんちゅう 5戦 せん 、ポイントを獲得 かくとく するも一 いち 度 ど も表彰台 ひょうしょうだい を獲得 かくとく することはなくシリーズ14位 い で終 お えた。
タイヤをヨコハマ からミシュラン へ変更 へんこう 。第 だい 5戦 せん 鈴鹿 すずか ではBRZ初 はつ の優勝 ゆうしょう を飾 かざ った。コースレコードや年間 ねんかん ポール記録 きろく を更新 こうしん するなど予選 よせん での速 はや さはあったものの、決勝 けっしょう ではストレートスピードが伸 の び悩 なや み、第 だい 5戦 せん 鈴鹿 すずか での勝利 しょうり のみに留 とど まった。年間 ねんかん を通 とお して順調 じゅんちょう にポイントを重 かさ ねたもののシリーズ4位 い でシーズンを終 お えた。
第 だい 8戦 せん もてぎでは山野 やまの 哲也 てつや がこの年 とし 限 かぎ りで勇退 ゆうたい することを発表 はっぴょう した[2] 。
山野 やまの が勇退 ゆうたい したことを受 う けて、昨年 さくねん 第 だい 5戦 せん 鈴鹿 すずか で第 だい 3ドライバーを務 つと めた井口 いぐち 卓 たく 人 じん が加入 かにゅう した。第 だい 1・2戦 せん では思 おも うような結果 けっか を出 だ せなかったが、第 だい 3戦 せん では2位 い 表彰台 ひょうしょうだい を獲得 かくとく 。第 だい 4戦 せん では苦戦 くせん を強 し いられたが、第 だい 5戦 せん ではポールポジションを獲得 かくとく し、決勝 けっしょう でも圧倒的 あっとうてき な速 はや さを見 み せつけ、最終 さいしゅう 的 てき には悪天候 あくてんこう によるセーフティカーランのままチェッカーを受 う け、一 いち 度 ど もトップを譲 ゆず ることなく優勝 ゆうしょう した。
第 だい 6戦 せん では9位 い 、7戦 せん では5位 い 入賞 にゅうしょう をし、シリーズ5位 い で締 し めくくった。
山内 やまうち 英輝 ひでき が加入 かにゅう し、タイヤをミシュランからダンロップへスイッチした。第 だい 2〜6戦 せん まで比較的 ひかくてき コンスタントにポイントを重 かさ ねるが、今 いま ひとつランキング上位 じょうい には届 とど かずシリーズ13位 い 。
菅生 すがお で今季 こんき 初 はつ の表彰台 ひょうしょうだい に続 つづ き富士 ふじ でも同 おな じく3位 い を獲得 かくとく し、鈴鹿 すずか 1000kmレースで今季 こんき 初 はつ 優勝 ゆうしょう を飾 かざ った。鈴鹿 すずか での優勝 ゆうしょう により、ランキングトップに立 た ったが第 だい 7戦 せん にてクラッシュによりリタイア。熊本 くまもと 地震 じしん によって中止 ちゅうし となった第 だい 3戦 せん の代替 だいたい レースではライバルと接触 せっしょく しリタイア、最終 さいしゅう 戦 せん で順位 じゅんい を落 お とし、チャンピオン獲得 かくとく はならなかった。
開幕 かいまく 戦 せん 岡山 おかやま では好調 こうちょう な走 はし りを見 み せるもマシントラブルによりリタイア。第 だい 3戦 せん オートポリスでは稀 まれ に見 み る僅差 きんさ で2位 い 表彰台 ひょうしょうだい を獲得 かくとく 。その後 ご も第 だい 6戦 せん まではポイント圏内 けんない で完走 かんそう したが、第 だい 7・8戦 せん ではマシントラブルによりリタイアし、シリーズランキング9位 い 。
第 だい 2・4・5戦 せん にてマシントラブルにより前年 ぜんねん 同様 どうよう にリタイアが目立 めだ つシーズンとなったが、第 だい 3戦 せん では3位 い 表彰台 ひょうしょうだい 、第 だい 6戦 せん 菅生 すがお ではポールトゥーウィンを獲得 かくとく し、2016年 ねん 第 だい 6戦 せん の鈴鹿 すずか 以来 いらい の優勝 ゆうしょう となった。第 だい 8戦 せん もてぎでは6位 い 入賞 にゅうしょう を果 は たし、シリーズ8位 い という結果 けっか で終 お えた。
開幕 かいまく 戦 せん 岡山 おかやま にて4位 い を獲得 かくとく 。第 だい 2戦 せん の富士 ふじ ではリタイアしたものの、第 だい 3戦 せん 鈴鹿 すずか では3位 い 表彰台 ひょうしょうだい を獲得 かくとく 。第 だい 5戦 せん 富士 ふじ にて10位 い で完走 かんそう したが、第 だい 6戦 せん 〜第 だい 8戦 せん はマシントラブルなどに悩 なや み、シリーズ18位 い という不本意 ふほんい な結果 けっか に終 お わった。
また第 だい 7戦 せん 菅生 すごう にて今季 こんき 初 はつ のポール獲得 かくとく 、コースレコード更新 こうしん の快挙 かいきょ を達成 たっせい した。
開幕 かいまく 戦 せん 富士 ふじ でリタイアしたものの第 だい 2戦 せん 富士 ふじ にて今季 こんき 初 はつ の表彰台 ひょうしょうだい を獲得 かくとく し[3] 、第 だい 3戦 せん 鈴鹿 すずか で4位 い [4] 、第 だい 4戦 せん もてぎで3位 い と立 た て続 つづ けに上位 じょうい でゴール[5] 。第 だい 5戦 せん 富士 ふじ ではウェイトハンデに苦 くる しみ[6] 、第 だい 6戦 せん 鈴鹿 すずか では優勝 ゆうしょう の可能 かのう 性 せい があったがセーフティカーのタイミングが合 あ わず、ポイント圏外 けんがい 完走 かんそう [7] 。第 だい 7戦 せん で今季 こんき 初 はつ のポールポジションを獲得 かくとく し[8] 、第 だい 6戦 せん 同様 どうよう に優勝 ゆうしょう の可能 かのう 性 せい があったが、またしてもセーフティカーのタイミングが合 あ わずレース終盤 しゅうばん にライバルとの接触 せっしょく により順位 じゅんい を落 お とし5位 い (チェッカーは6位 い で受 う けたが接触 せっしょく したライバルにペナルティが課 か せられた為 ため )[9] 。ドライバーズランキング5位 い でチャンピオン争 あらそ いの勝負 しょうぶ 権 けん を持 も って迎 むか えた最終 さいしゅう 戦 せん 富士 ふじ では、フリー走行 そうこう 及 およ び予選 よせん でコースレコードを更新 こうしん した(記録 きろく として残 のこ ったのはライバルの52号車 ごうしゃ )[10] 。決勝 けっしょう では一時 いちじ トップに浮上 ふじょう したが、後半 こうはん でタイヤの摩耗 まもう に苦 くる しみペースが上 あ げられず8位 い でチェッカーを受 う け[11] 、チームランキング6位 い 、ドライバーズランキング5位 い でシーズンを終 お え、チャンピオン獲得 かくとく は叶 かな わなかった[12] 。
マシンがスバル・BRZ (2代目 だいめ モデル)へ変更 へんこう された[13] 。開幕 かいまく 戦 せん 岡山 おかやま では苦戦 くせん を強 し いられたが、第 だい 2戦 せん 富士 ふじ では今季 こんき 初 はつ のポールポジション及 およ び2位 い 表彰台 ひょうしょうだい を獲得 かくとく した[14] 。第 だい 3戦 せん 鈴鹿 すずか では今季 こんき 2度目 どめ のポールポジションを獲得 かくとく したものの[15] 、決勝 けっしょう は第 だい 4戦 せん 共々 ともども タイヤの摩耗 まもう に苦 くる しみ不本意 ふほんい な結果 けっか に終 お わった。第 だい 5戦 せん 菅生 すがお では今季 こんき 3度目 どめ のポールポジション獲得 かくとく 、決勝 けっしょう ではポールトゥーウィンを果 は たし、ランキングトップに立 た った[16] 。続 つづ く第 だい 6戦 せん オートポリスでは、最大 さいだい サクセスウェイト100kg+BOP50kgを搭載 とうさい することになったが、予選 よせん では2番手 ばんて 、決勝 けっしょう では3位 い でチェッカーを受 う けて今 こん シーズン3回 かい 目 め の表彰台 ひょうしょうだい 入 い り、単独 たんどく でのドライバーズタイトル、チームランキングでも1位 い で単独 たんどく 浮上 ふじょう となった[17] 。第 だい 7戦 せん は6位 い で終 お わってしまったが、最終 さいしゅう 戦 せん の富士 ふじ にて今季 こんき 4度目 どめ のポールポジション獲得 かくとく 、決勝 けっしょう 結果 けっか で3位 い という成績 せいせき を収 おさ め悲願 ひがん の初 はつ ドライバータイトル、チームランキングともにシリーズチャンピオン獲得 かくとく となった[18] 。第 だい 6戦 せん オートポリス、第 だい 7戦 せん もてぎ、最終 さいしゅう 戦 せん 富士 ふじ の予選 よせん ではコースレコードを更新 こうしん し、このうち富士 ふじ でのタイムがコースレコードとして残 のこ った[19] 。
チャンピオンナンバーの「0」を使用 しよう せず本来 ほんらい のナンバーである「61」を継続 けいぞく 使用 しよう する。開幕 かいまく 戦 せん 岡山 おかやま ではコースレコードを更新 こうしん するタイムでポールポジションを獲得 かくとく したものの、決勝 けっしょう レース中 ちゅう のピットアウト時 じ にエンジンが再始動 さいしどう しないトラブルに見舞 みま われ、9位 い で終 お わったが[20] 、第 だい 2戦 せん 富士 ふじ でもポールポジションを獲得 かくとく し、今季 こんき 初 はつ の3位 い 表彰台 ひょうしょうだい を獲得 かくとく した[21] 。第 だい 3戦 せん 鈴鹿 すずか では予選 よせん Q2中 ちゅう にマシントラブルに見舞 みま われ、予選 よせん 15位 い 、決勝 けっしょう 12位 い となった[22] 。第 だい 4戦 せん 富士 ふじ は山内 やまうち 英輝 ひでき のGT参戦 さんせん 100戦 せん 目 め となった。Q2でポールポジションへ0.017秒 びょう 届 とど かずフロントローからのスタート。決勝 けっしょう では86周 しゅう 目 め に11号車 ごうしゃ をパスし、そのままトップチェッカーとなり今季 こんき 初 はつ 優勝 ゆうしょう となった[23] 。第 だい 5戦 せん 鈴鹿 すずか はサクセスウェイト89Kg+BOP75Kgを搭載 とうさい することとなり、苦戦 くせん を強 し いられ、予選 よせん 22位 い 、決勝 けっしょう 18位 い となった[24] 。第 だい 6戦 せん 菅生 すごう は前 まえ 戦 せん に引 ひ き続 つづ きサクセスウェイト89Kg+BOP75Kgを搭載 とうさい しながらも、ポールポジションを獲得 かくとく し、8位 い 完走 かんそう となった[25] 。第 だい 7戦 せん オートポリスはサクセスウェイトが半減 はんげん 。今季 こんき 4度目 どめ となるポールポジションを獲得 かくとく し、決勝 けっしょう は2位 い 表彰台 ひょうしょうだい を獲得 かくとく した[26] 。最終 さいしゅう 戦 せん となる第 だい 8戦 せん モビリティリゾートもてぎではサクセスウェイトが無 む 搭載 とうさい となるも、予選 よせん でのクラッシュにより16位 い 、決勝 けっしょう では最終 さいしゅう ラップでのガス欠 かけ により20位 い となり、チームランキング3位 い 、ドライバーランキング2位 い で今季 こんき を終 お えた[27] 。