R&D SPORT

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株式会社かぶしきがいしゃアールアンドデースポーツ
R&D SPORT Co., Ltd.
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
本社ほんしゃ所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
254-0012
神奈川かながわけん平塚ひらつか大神おおがみ2584-1
設立せつりつ 1991ねん11月7にち
業種ぎょうしゅ 輸送ゆそうよう機器きき
法人ほうじん番号ばんごう 5021001039203
事業じぎょう内容ないよう レーシングカーの製作せいさく販売はんばいおよびメンテナンス受託じゅたく
レーシングチーム運営うんえい
マリンスポーツ商品しょうひん販売はんばい
自動車じどうしゃ部品ぶひん販売はんばい販売はんばい
設計せっけい開発かいはつ業務ぎょうむ受託じゅたく
代表だいひょうしゃ 代表だいひょう取締役とりしまりやく社長しゃちょう 本島もとじま伸次しんじ
資本しほんきん 1,000まんえん
外部がいぶリンク http://www.rdsport.net/
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'R&D SPORT'
SUBARU BRZ R&D SPORT (2022年仕様)
SUBARU BRZ R&D SPORT (2022ねん仕様しよう)
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
本拠地ほんきょち 神奈川かながわけん平塚ひらつか
チーム代表だいひょう 本島もとじま伸次しんじ
関係かんけいしゃ 辰己たつみ英治えいじSTI そう監督かんとく
活動かつどう期間きかん 1992ねん - 現在げんざい
カテゴリ JGTCSUPER GT
チームズ
タイトル
GT300 1(2021)
ドライバーズ
タイトル
GT300 1(2021)
公式こうしきサイト R&D SPORT
2024ねんのSUPER GT (GT300)
エントリーめい R&D SPORT
レーサー 日本の旗 井口いぐちたくじん
日本の旗 山内やまうち英輝ひでき
マシン 61. SUBARU BRZ R&D SPORT
タイヤ ダンロップ
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R&D SPORT(アールアンドディースポーツ)は、SUPER GT参戦さんせんする日本にっぽんのレーシングチームである。正式せいしき商号しょうごう株式会社かぶしきがいしゃアールアンドデースポーツ

元々もともとはレーシングカーコンストラクターの東京とうきょうR&D関連かんれん会社かいしゃだったが、2008ねん3がつまつ資本しほん関係かんけい解消かいしょうしている[1]

レース参戦さんせんれき[編集へんしゅう]

2001ねん[編集へんしゅう]

全日本ぜんにほんGT選手権せんしゅけん(JGTC:げん SUPER GT)GT300クラスに、ポルシェ・911 GT3Rの2だい体制たいせい参戦さんせん開始かいしする。62号車ごうしゃをエースカーとし、もう1だいの63号車ごうしゃレイジュンとのジョイントによる参戦さんせんであった。前年ぜんねん同型どうけいしゃ活躍かつやくけて性能せいのう調整ちょうせいほどこされた関係かんけいで、苦戦くせんいられたが、最終さいしゅうせんだい7せんでポールポジションを獲得かくとくした。しかし勝利しょうりげることはできなかった。

2002ねん[編集へんしゅう]

つづきJGTCに2だい体制たいせい参戦さんせん。62号車ごうしゃ前年ぜんねんの911 GT3Rにえて、イギリスのVEMAC共同きょうどう開発かいはつして制作せいさくされたヴィーマック・RD320Rだい2せんより投入とうにゅう。エンジンはホンダ・C32Bがた V6エンジンを改造かいぞう搭載とうさいされた。デビューせんではポテンシャルのたかさをアピールし、パーフェクトウィン(ポールトゥーウィンファステストラップ)を達成たっせいした。もちろんチームにとってはじめての勝利しょうりとなった。

そのはやさをアピールしたものの、開発かいはつ途上とじょうのマシンのため信頼しんらいせいけトラブルでリタイヤするケースが目立めだった。鈴鹿すずか1000kmでの勝利しょうりはさんで後半こうはんせんからは信頼しんらいせい向上こうじょうしたものの、あまりにポテンシャルがたかすぎてライバルとは桁違けたちがいのがあったため、度重たびかさなる性能せいのう調整ちょうせいほどこされてしまう。しかし、それでもRD320Rは順調じゅんちょう勝利しょうりかさねた。そして、最終さいしゅうせんでは性能せいのう調整ちょうせいとしてウェイト150kgととてつもない調整ちょうせいほどこされてしまい、チャンピオン獲得かくとくはならなかった。

このとし成績せいせきは、62号車ごうしゃはポールポジション4かい優勝ゆうしょう3かい。63号車ごうしゃつづきマシンの戦闘せんとう能力のうりょくひくいため苦戦くせんしたものの、だい3せん混戦こんせんなか着実ちゃくじつ順位じゅんいげ、3獲得かくとくした。

2003ねん[編集へんしゅう]

GT500クラスにステップアップをたす。GT500への参戦さんせんにあたって大幅おおはば戦闘せんとうりょく向上こうじょう必要ひつようであり、新型しんがたマシンヴィーマック・RD350R製作せいさくされ、前年ぜんねんデビューウィンをかざった富士ふじスピードウェイでデビューした。

しかし、GT500では巨大きょだい設備せつびったワークス・チーム相手あいてとなるため、かれらにくらべて設備せつびめんおと開発かいはつもそれほどはやすすめることはできなかったRD350Rは苦戦くせんいられ、シーズンをとおして上位じょうい進出しんしゅつすることはできなかった。また、350Rは320Rと車体しゃたいめんおおきながなく、エンジンもザイテックせい ZV348がた V8エンジンがリストリクター関係かんけいでパワー不足ふそくであったことも原因げんいんであった。しかし、だい4せんではタイヤ選択せんたくのおかげでコースコンディションの変化へんか対応たいおうでき、その結果けっか8獲得かくとくした。

なお、みずからのチームでGT300クラスには参戦さんせんしないものの、プライベーターに前年ぜんねん参戦さんせんしていた320Rを供給きょうきゅうした。

2004ねん[編集へんしゅう]

前年ぜんねん苦戦くせんけ、専用せんようマシンを新規しんき開発かいはつする必要ひつようがあったため開発かいはつ専念せんねんすることとなり、JGTCへのフル参戦さんせんはしなかった。

そのわり、かつてジョイント参戦さんせんしたレイジュンが前年ぜんねん最終さいしゅうせんよりRD320Rで参戦さんせん。マシンメンテナンスを担当たんとうし、間接かんせつてきではあるがGT300クラスに復帰ふっきした。マシン開発かいはつ順調じゅんちょうすすみ、あきごろにはマシンが完成かんせいしシェイクダウンがおこなわれた。このマシンはヴィーマック・RD408Rというくるまで、エンジンはRD350Rのザイテックせいエンジンが非力ひりきであったことを反省はんせいし、あらたにM-TECせい MF408Sがた V8エンジンが搭載とうさいされた。

当初とうしょ翌年よくねんから参戦さんせん予定よていだったが、先行せんこうてき最終さいしゅうせんにスポット参戦さんせんすることになった。結果けっか序盤じょばんのアクシデントにまれたせいで上位じょうい進出しんしゅつすることはできなかったが、おおきなトラブルもなく完走かんそうした。

2005ねん[編集へんしゅう]

RD408RでSUPER GT(このとしにJGTCから名称めいしょう変更へんこう)GT500クラスに参戦さんせん予定よていしていたが、急遽きゅうきょ予定よてい変更へんこうし、2003ねんにGT500に参戦さんせんしたRD350RをGT300に投入とうにゅう参戦さんせんすることとなった。しかし、アクシデントにまれたり、アクシデントの原因げんいんつくってしまったこともあったため、おもったほどの活躍かつやくができずにシーズンをえた。

また、このとしより参戦さんせんしたディレクシブとこれまでNSXで参戦さんせんしてきたベルノ東海とうかいドリーム28のRD320Rのメンテナンスを担当たんとうした。

2006ねん[編集へんしゅう]

RD350Rにわって、GT300クラスに、2004ねん最終さいしゅうせんにGT500クラスでスポット参戦さんせんしたRD408Rで参戦さんせんした(おなしゃだが、クラスダウンにともないリストリクター制限せいげんきびしくなり、エンジン出力しゅつりょくとう低下ていかしている)。だい3せんでチームとしては2002ねんだい7せん以来いらいとなる優勝ゆうしょうかざった。

だい5せんより柴原しばはらしんかいのパートナーが八木やぎ宏之ひろゆきから黒澤くろさわ治樹はるきわった。最終さいしゅうせんでもトップを快走かいそうしていたが、最後さいご最後さいごでガスかけになってしまいリタイアとなってしまった。しかし、このことがこんシーズンのタイトルあらそいにおおきく影響えいきょうしたといえるだろう。

まただい7せんより、まえせん鈴鹿すずか1000km)を最後さいご活動かつどう中止ちゅうしとなったディレクシブにわってRD320Rをはしらせることとなった。これは、ディレクシブでドライブしていたみつさんさちわれ谷口たにぐちしんてるのドライバーズランキングがトップであることから、このまま参戦さんせん継続けいぞくしドライバーズタイトルを獲得かくとくしようということで、メンテナンスをっていたR&Dがエントラントとなって参戦さんせんすることになった。監督かんとくには鈴木すずき利男としおあらたにむか盤石ばんじゃく体制たいせいのこり3せんたたかう。これにより、しんマシンめいは「アネブルADVAN RD320R」となった。しかし、資金しきん不足ふそくによりテストに参加さんかできなかったことが原因げんいん失速しっそくしてしまい、ラスト2せん大事だいじなところでノーポイントにわりタイトル獲得かくとくはならなかった。結果けっかはシリーズ3となっている。

2007ねん[編集へんしゅう]

前年ぜんねん同様どうようGT300クラスにRD408Rを開発かいはつしながら参戦さんせんすることとなった。ドライバーも柴原しばはら黒澤くろさわのコンビで継続けいぞくされる。だい5せんより従来じゅうらいのマシンでのノウハウをもとにあらたに制作せいさくされた新車しんしゃにスイッチした。この新車しんしゃ投入とうにゅう調子ちょうし上向うわむだい6せんでは3だい7せんでは2だい8せんでは優勝ゆうしょうという3連続れんぞく表彰台ひょうしょうだい一気いっきにタイトルあらそいにくわわるが、最終さいしゅうせんではウェイトハンデがおも本来ほんらいはしりができず、しくもタイトル獲得かくとくのがしたが、シリーズ3という成績せいせき獲得かくとくした。

2008ねん[編集へんしゅう]

SUPER GTにおける体制たいせいめんやドライバーやマシンは前年ぜんねんわらずおな布陣ふじんでの参戦さんせんとなったが、だい1せん鈴鹿すずか予選よせんちゅう柴原しばはらしんかいがクラッシュにより負傷ふしょうしたため、だい2せん以降いこう代役だいやくとしてみつさんさち参戦さんせん規定きてい変更へんこうともな前年ぜんねんよりコーナリングスピードをげる改良かいりょうほどこしたが、それが裏目うらめとなりストレートスピードがまったびない事態じたい見舞みまわれ前年ぜんねんいきおいをうしなってしまった。だい5せん開幕かいまくせん負傷ふしょうした柴原しばはら復帰ふっきたしたが、結局けっきょく前年ぜんねん同様どうよう活躍かつやくせることなく、このとし優勝ゆうしょうたすことができず、最終さいしゅうせんで2はいったのが唯一ゆいいつ表彰台ひょうしょうだいとなった。

またこのとしには、ル・マン24あいだレース参戦さんせんする東海大学とうかいだいがくチームの監督かんとくつとめるはやし義正よしまさから支援しえんもとめられ、どうチームにメカニックの派遣はけんとう協力きょうりょくおこなっている。

2009ねん[編集へんしゅう]

富士重工業ふじじゅうこうぎょう スバル・レガシィB4(2009ねん仕様しよう

RD408Rから、スバル・レガシィ B4車両しゃりょう変更へんこうし、だい6せん鈴鹿すずかより出場しゅつじょうした。デビューせんでは予選よせんちゅうにフロントデフのトラブルにより出火しゅっかし、出走しゅっそうりやめた。その開発かいはつすすめたが、目立めだった結果けっかせなかった。

また、同年どうねん7がつ27にちには2008ねん3がつまつ時点じてん東京とうきょうR&Dから完全かんぜん独立どくりつしていたことをあきらかにした。

2010ねん[編集へんしゅう]

体制たいせいはそのままにドライバーは前年ぜんねんから継続けいぞくとなる山野やまの哲也てつやくわ佐々木ささきたかしふとし加入かにゅうした。車両しゃりょう前年ぜんねんつづきレガシィを使用しようするが、前年度ぜんねんどまでのAWDをFRしての参戦さんせんとなった。さらにだい5せんからトランスアクスル実施じっしし、だい6せん鈴鹿すずかでレガシィのはつ勝利しょうりげたものの表彰台ひょうしょうだいはこの1だけとなった。

2011ねん[編集へんしゅう]

前年ぜんねんまったおな体制たいせい・ドライバー・マシンでの参戦さんせんとなった。このとしはラウンドをかさねるごとにはやさをせてき、だい5せん鈴鹿すずかだい7せんオートポリスの2しょうげたものの、だい2せんだい4せんでのノーポイントがひびきチャンピオンあらそいにくわわること出来できなかった。

2012ねん[編集へんしゅう]

SUBARU BRZ R&D SPORT

ドライバーは前年ぜんねんから継続けいぞくであるが、マシンはスバル・BRZへと変更へんこうされ、マシン開発かいはつSTI担当たんとうしR&Dはチーム運営うんえい担当たんとうするというかたちでのジョイント参戦さんせんとなる。

デビューイヤーでは8戦中せんちゅう5せん、ポイントを獲得かくとくするもいち表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくすることはなくシリーズ14えた。

2013ねん[編集へんしゅう]

タイヤをヨコハマからミシュラン変更へんこうだい5せん鈴鹿すずかではBRZはつ優勝ゆうしょうかざった。コースレコードや年間ねんかんポール記録きろく更新こうしんするなど予選よせんでのはやさはあったものの、決勝けっしょうではストレートスピードがなやみ、だい5せん鈴鹿すずかでの勝利しょうりのみにとどまった。年間ねんかんとおして順調じゅんちょうにポイントをかさねたもののシリーズ4でシーズンをえた。

だい8せんもてぎでは山野やまの哲也てつやがこのとしかぎりで勇退ゆうたいすることを発表はっぴょうした[2]

2014ねん[編集へんしゅう]

山野やまの勇退ゆうたいしたことをけて、昨年さくねんだい5せん鈴鹿すずかだい3ドライバーをつとめた井口いぐちたくじん加入かにゅうした。だい1・2せんではおもうような結果けっかせなかったが、だい3せんでは2表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくだい4せんでは苦戦くせんいられたが、だい5せんではポールポジションを獲得かくとくし、決勝けっしょうでも圧倒的あっとうてきはやさをせつけ、最終さいしゅうてきには悪天候あくてんこうによるセーフティカーランのままチェッカーをけ、いちもトップをゆずることなく優勝ゆうしょうした。

だい6せんでは9、7せんでは5入賞にゅうしょうをし、シリーズ5めくくった。

2015ねん[編集へんしゅう]

山内やまうち英輝ひでき加入かにゅうし、タイヤをミシュランからダンロップへスイッチした。だい2〜6せんまで比較的ひかくてきコンスタントにポイントをかさねるが、いまひとつランキング上位じょういにはとどかずシリーズ13

2016ねん[編集へんしゅう]

菅生すがお今季こんきはつ表彰台ひょうしょうだいつづ富士ふじでもおなじく3獲得かくとくし、鈴鹿すずか1000kmレースで今季こんきはつ優勝ゆうしょうかざった。鈴鹿すずかでの優勝ゆうしょうにより、ランキングトップにったがだい7せんにてクラッシュによりリタイア。熊本くまもと地震じしんによって中止ちゅうしとなっただい3せん代替だいたいレースではライバルと接触せっしょくしリタイア、最終さいしゅうせん順位じゅんいとし、チャンピオン獲得かくとくはならなかった。

2017ねん[編集へんしゅう]

開幕かいまくせん岡山おかやまでは好調こうちょうはしりをせるもマシントラブルによりリタイア。だい3せんオートポリスではまれ僅差きんさで2表彰台ひょうしょうだい獲得かくとく。そのだい6せんまではポイント圏内けんない完走かんそうしたが、だい7・8せんではマシントラブルによりリタイアし、シリーズランキング9

2018ねん[編集へんしゅう]

だい2・4・5せんにてマシントラブルにより前年ぜんねん同様どうようにリタイアが目立めだつシーズンとなったが、だい3せんでは3表彰台ひょうしょうだいだい6せん菅生すがおではポールトゥーウィンを獲得かくとくし、2016ねんだい6せん鈴鹿すずか以来いらい優勝ゆうしょうとなった。だい8せんもてぎでは6入賞にゅうしょうたし、シリーズ8という結果けっかえた。

2019ねん[編集へんしゅう]

開幕かいまくせん岡山おかやまにて4獲得かくとくだい2せん富士ふじではリタイアしたものの、だい3せん鈴鹿すずかでは3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくだい5せん富士ふじにて10完走かんそうしたが、だい6せんだい8せんはマシントラブルなどになやみ、シリーズ18という不本意ふほんい結果けっかわった。

まただい7せん菅生すごうにて今季こんきはつのポール獲得かくとく、コースレコード更新こうしん快挙かいきょ達成たっせいした。

2020ねん[編集へんしゅう]

開幕かいまくせん富士ふじでリタイアしたもののだい2せん富士ふじにて今季こんきはつ表彰台ひょうしょうだい獲得かくとく[3]だい3せん鈴鹿すずかで4[4]だい4せんもてぎで3つづけに上位じょういでゴール[5]だい5せん富士ふじではウェイトハンデにくるしみ[6]だい6せん鈴鹿すずかでは優勝ゆうしょう可能かのうせいがあったがセーフティカーのタイミングがわず、ポイント圏外けんがい完走かんそう[7]だい7せん今季こんきはつのポールポジションを獲得かくとく[8]だい6せん同様どうよう優勝ゆうしょう可能かのうせいがあったが、またしてもセーフティカーのタイミングがわずレース終盤しゅうばんにライバルとの接触せっしょくにより順位じゅんいとし5(チェッカーは6けたが接触せっしょくしたライバルにペナルティがせられたため[9]。ドライバーズランキング5でチャンピオンあらそいの勝負しょうぶけんってむかえた最終さいしゅうせん富士ふじでは、フリー走行そうこうおよ予選よせんでコースレコードを更新こうしんした(記録きろくとしてのこったのはライバルの52号車ごうしゃ[10]決勝けっしょうでは一時いちじトップに浮上ふじょうしたが、後半こうはんでタイヤの摩耗まもうくるしみペースがげられず8でチェッカーを[11]、チームランキング6、ドライバーズランキング5でシーズンをえ、チャンピオン獲得かくとくかなわなかった[12]

2021ねん[編集へんしゅう]

マシンがスバル・BRZ(2代目だいめモデル)へ変更へんこうされた[13]開幕かいまくせん岡山おかやまでは苦戦くせんいられたが、だい2せん富士ふじでは今季こんきはつのポールポジションおよび2表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくした[14]だい3せん鈴鹿すずかでは今季こんき2度目どめのポールポジションを獲得かくとくしたものの[15]決勝けっしょうだい4せん共々ともどもタイヤの摩耗まもうくるしみ不本意ふほんい結果けっかわった。だい5せん菅生すがおでは今季こんき3度目どめのポールポジション獲得かくとく決勝けっしょうではポールトゥーウィンをたし、ランキングトップにった[16]つづだい6せんオートポリスでは、最大さいだいサクセスウェイト100kg+BOP50kgを搭載とうさいすることになったが、予選よせんでは2番手ばんて決勝けっしょうでは3でチェッカーをけてこんシーズン3かい表彰台ひょうしょうだいり、単独たんどくでのドライバーズタイトル、チームランキングでも1単独たんどく浮上ふじょうとなった[17]だい7せんは6わってしまったが、最終さいしゅうせん富士ふじにて今季こんき4度目どめのポールポジション獲得かくとく決勝けっしょう結果けっかで3という成績せいせきおさ悲願ひがんはつドライバータイトル、チームランキングともにシリーズチャンピオン獲得かくとくとなった[18]だい6せんオートポリス、だい7せんもてぎ、最終さいしゅうせん富士ふじ予選よせんではコースレコードを更新こうしんし、このうち富士ふじでのタイムがコースレコードとしてのこった[19]

2022ねん[編集へんしゅう]

チャンピオンナンバーの「0」を使用しようせず本来ほんらいのナンバーである「61」を継続けいぞく使用しようする。開幕かいまくせん岡山おかやまではコースレコードを更新こうしんするタイムでポールポジションを獲得かくとくしたものの、決勝けっしょうレースちゅうのピットアウトにエンジンが再始動さいしどうしないトラブルに見舞みまわれ、9わったが[20]だい2せん富士ふじでもポールポジションを獲得かくとくし、今季こんきはつの3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくした[21]だい3せん鈴鹿すずかでは予選よせんQ2ちゅうにマシントラブルに見舞みまわれ、予選よせん15決勝けっしょう12となった[22]だい4せん富士ふじ山内やまうち英輝ひできのGT参戦さんせん100せんとなった。Q2でポールポジションへ0.017びょうとどかずフロントローからのスタート。決勝けっしょうでは86しゅうに11号車ごうしゃをパスし、そのままトップチェッカーとなり今季こんきはつ優勝ゆうしょうとなった[23]だい5せん鈴鹿すずかはサクセスウェイト89Kg+BOP75Kgを搭載とうさいすることとなり、苦戦くせんいられ、予選よせん22決勝けっしょう18となった[24]だい6せん菅生すごうまえせんつづきサクセスウェイト89Kg+BOP75Kgを搭載とうさいしながらも、ポールポジションを獲得かくとくし、8完走かんそうとなった[25]だい7せんオートポリスはサクセスウェイトが半減はんげん今季こんき4度目どめとなるポールポジションを獲得かくとくし、決勝けっしょうは2表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくした[26]最終さいしゅうせんとなるだい8せんモビリティリゾートもてぎではサクセスウェイトが搭載とうさいとなるも、予選よせんでのクラッシュにより16決勝けっしょうでは最終さいしゅうラップでのガスかけにより20となり、チームランキング3、ドライバーランキング2今季こんきえた[27]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 会社かいしゃ分離ぶんり独立どくりつのおらせ(2009.07.27)
  2. ^ 山野やまの哲也てつや今季こんきかぎりでスーパーGTを“勇退ゆうたい””. AS Web. (2013ねん11月1にち). https://www.as-web.jp/past/%e5%b1%b1%e9%87%8e%e5%93%b2%e4%b9%9f%e3%80%81%e4%bb%8a%e5%ad%a3%e9%99%90%e3%82%8a%e3%81%a7%e3%82%b9%e3%83%bc%e3%83%91%e3%83%bcgt%e3%82%92%e5%8b%87%e9%80%80 2014ねん5がつ31にち閲覧えつらん 
  3. ^ SUPER GTだい2せん 富士ふじ、ホンダ NSX-GTがFRとしてはつ優勝ゆうしょう 17号車ごうしゃ KEIHIN NSX-GTがGRスープラぜい”. Car Watch. 2021ねん12月24にち閲覧えつらん
  4. ^ SUPER GTだい3せん 鈴鹿すずかは、日産にっさん GT-Rが2クラス制覇せいは 23号車ごうしゃ MOTUL AUTECH GT-R(松田まつだ次生つぎお/ロニー・クインタレッリ)優勝ゆうしょう”. Car Watch. 2021ねん12月24にち閲覧えつらん
  5. ^ ホンダ NSX-GTがSUPER GTだい4せんもてぎで優勝ゆうしょう 塚越つかこし広大こうだい/ベルトラン・バゲットぐみ今季こんき2しょう”. Car Watch. 2021ねん12月24にち閲覧えつらん
  6. ^ リアライズ日産自動車にっさんじどうしゃだい学校がっこう GT-Rがはつ優勝ゆうしょう表彰台ひょうしょうだいあらそいは最終さいしゅうしゅうまで接戦せっせんに【だい5せん富士ふじGT300決勝けっしょう”. autosport web. 2021ねん12月24にち閲覧えつらん
  7. ^ えた今季こんきはつ勝利しょうり。SUBARU BRZ R&D SPORTがSCまえにピットインできなかった事情じじょうだい6せん鈴鹿すずかGT300”. autosport web. 2021ねん12月24にち閲覧えつらん
  8. ^ SUPER GTだい7せんもてぎ予選よせん、GT300は61号車ごうしゃスバル BRZ、GT500は64号車ごうしゃ ホンダ NSX-GTがポールポジション”. Car Watch. 2021ねん12月24にち閲覧えつらん
  9. ^ 接触せっしょく伏線ふくせんとなった2りん交換こうかん追突ついとつされたBRZ井口いぐちたくじんも「もうわけない」《だい7せんもてぎGT300決勝けっしょうあとみ》”. autosport web. 2021ねん12月24にち閲覧えつらん
  10. ^ SUPER GT最終さいしゅうせん富士ふじ予選よせんをGRスープラが席巻せっけん。GT300もGT500もGRスープラがポールポジション”. Car Watch. 2021ねん12月24にち閲覧えつらん
  11. ^ SUPER GT最終さいしゅうせん富士ふじ、100号車ごうしゃ RAYBRIG NSX-GT(山本やまもと尚貴なおき/牧野まきのつとむゆうぐみ)が年間ねんかんチャンピオン 最終さいしゅうラップ最終さいしゅうコーナーののち劇的げきてきだい逆転ぎゃくてん優勝ゆうしょう”. Car Watch. 2021ねん12月24にち閲覧えつらん
  12. ^ 【ポイントランキング】2020スーパーGTだい8せん富士ふじ終了しゅうりょう時点じてん”. autosport web. 2021ねん12月24にち閲覧えつらん
  13. ^ スバル、スーパーGTにいど新型しんがたBRZ GT300のカラーリングと体制たいせいをお披露目ひろめ王座おうざ獲得かくとく目指めざ”. autosport web. 2021ねん12月18にち閲覧えつらん
  14. ^ SUPER GT だい2せん富士ふじ GT300クラスは“げんミク”の河野こうのがGRスープラで悲願ひがんはつ勝利しょうり”. ASCII.jp. 2021ねん12月18にち閲覧えつらん
  15. ^ SUPER GTだい3せん鈴鹿すずか、GT500はダンロップをいた64号車ごうしゃ NSX-GTが昨年さくねんつづきポール、GT300は新型しんがたBRZが今季こんき2かいのポール獲得かくとく”. Car Watch. 2021ねん12月18にち閲覧えつらん
  16. ^ だい5せんSUGO、GT300のSUBARU BRZ がポールtoウイン!【SUPER GT 2021】”. clicccar. 2021ねん12月18にち閲覧えつらん
  17. ^ GTが九州きゅうしゅうかえってきた! SUPER GTだい6せんは31号車ごうしゃプリウスPHVが5ねんぶりに優勝ゆうしょう”. ASCII.jp. 2021ねん12月18にち閲覧えつらん
  18. ^ SUPER GT最終さいしゅうせん富士ふじ、スバル BRZは3表彰台ひょうしょうだい獲得かくとくし61号車ごうしゃ 井口いぐちたくじん/山内やまうち英輝ひできぐみ悲願ひがんのチャンピオンを獲得かくとく 優勝ゆうしょうは60号車ごうしゃ GR Supra GT”. Car Watch. 2021ねん12月18にち閲覧えつらん
  19. ^ コースレコード:4りん”. 富士ふじスピードウェイ公式こうしきサイト. 2021ねん12月18にち閲覧えつらん
  20. ^ SUPER GT だい1せん 岡山おかやま国際こくさいサーキット|SUBARU/STI MOTORSPORT | 公式こうしきモータースポーツサイト”. SUBARU STI. 2022ねん6がつ3にち閲覧えつらん
  21. ^ SUPER GT だい2せん 富士ふじスピードウェイ|SUBARU/STI MOTORSPORT | 公式こうしきモータースポーツサイト”. SUBARU STI. 2022ねん6がつ3にち閲覧えつらん
  22. ^ SUPER GT だい3せん 鈴鹿すずかサーキット|SUBARU/STI MOTORSPORT | 公式こうしきモータースポーツサイト”. SUBARU STI. 2022ねん6がつ3にち閲覧えつらん
  23. ^ SUPER GT だい4せん 富士ふじスピードウェイ|SUBARU/STI MOTORSPORT | 公式こうしきモータースポーツサイト”. SUBARU STI. 2022ねん8がつ11にち閲覧えつらん
  24. ^ SUPER GT だい5せん 鈴鹿すずかサーキット |SUBARU/STI MOTORSPORT | 公式こうしきモータースポーツサイト”. SUBARU STI. 2022ねん9がつ4にち閲覧えつらん
  25. ^ SUPER GT だい6せん スポーツランドSUGO |SUBARU/STI MOTORSPORT | 公式こうしきモータースポーツサイト”. SUBARU STI. 2022ねん9がつ25にち閲覧えつらん
  26. ^ SUBARU BRZ GT300、シリーズ連覇れんぱつながる2獲得かくとく”. SUBARU/STI MOTORSPORT | 公式こうしきモータースポーツサイト. 2022ねん10がつ5にち閲覧えつらん
  27. ^ SUBARU BRZ GT300 決勝けっしょう20フィニッシュもシリーズ2今季こんきえる”. SUBARU/STI MOTORSPORT | 公式こうしきモータースポーツサイト. 2022ねん12がつ10日とおか閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]