S-44 (USS S-44, SS-155 ) は、アメリカ海軍 かいぐん の潜水 せんすい 艦 かん 。S級 きゅう 潜水 せんすい 艦 かん の1隻 せき である。
S-44は1921年 ねん 2月 がつ 19日 にち にマサチューセッツ州 しゅう クインシー のベスレヘム造船 ぞうせん 株式会社 かぶしきがいしゃ で起工 きこう した。1923年 ねん 10月 がつ 27日 にち にH・E・グリーシェーバー夫人 ふじん によって命名 めいめい 、進水 しんすい し、1925年 ねん 2月 がつ 16日 にち に艦長 かんちょう A・H・ベイトマン大尉 たいい の指揮 しき 下 か 就役 しゅうえき した。
就役 しゅうえき 後 ご 1925年 ねん の夏 なつ はニューイングランド 沖 おき で活動 かつどう する。8月 がつ 後半 こうはん にコネチカット州 しゅう ニューロンドン を出航 しゅっこう しパナマ運河 うんが に向 む かい、9月5日 にち にココ・ソロ に到着 とうちゃく 、第 だい 19潜水 せんすい 戦隊 せんたい (SubDiv 19 ) に加 くわ わる。部隊 ぶたい で S-44は1927年 ねん の春 はる まで訓練 くんれん 、艦隊 かんたい 演習 えんしゅう および陸海 りくかい 軍 ぐん 合同 ごうどう 演習 えんしゅう 、カリブ海 かりぶかい や太平洋 たいへいよう 、ラテンアメリカ の港 みなと への親善 しんぜん 訪問 ほうもん を行 おこな う。1927年 ねん 春 はる から1930年 ねん 12月 がつ まで部隊 ぶたい と共 とも にカリフォルニア州 しゅう サンディエゴ 沖 おき での作戦 さくせん 活動 かつどう に従事 じゅうじ し、その間 あいだ ハワイ 水域 すいいき での演習 えんしゅう 「フリート・プロブレム 」に2度 ど 参加 さんか した。
1930年 ねん 12月に S-44はハワイに移動 いどう し、第 だい 11潜水 せんすい 戦隊 せんたい (SubDiv 11 ) に配属 はいぞく 、真珠湾 しんじゅわん を母港 ぼこう として4年間 ねんかん 活動 かつどう する。その後 ご サンディエゴに帰還 きかん し、1937年 ねん にはココ・ソロに移動 いどう する。
1941年 ねん の春 はる 、第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん へのアメリカの関与 かんよ が大 おお きくなると共 とも に、パナマ に派遣 はけん されていたSボートはオーバーホール のため東海岸 ひがしかいがん への帰還 きかん を命 めい じられた。S-44は姉妹 しまい 艦 かん の S-42 (USS S-42, SS-153 ) 、S-46 (USS S-46, SS-157 ) とともにニューロンドンに移動 いどう し、11月にはペンシルベニア州 しゅう フィラデルフィア に移動 いどう 、同地 どうち で作業 さぎょう は完了 かんりょう した。
オーバーホール後 ご の公 おおやけ 試 ためし は1942年 ねん まで行 おこな われ、1月 がつ 7日 にち に S-44はパナマへ向 む かう。1月16日 にち に到着 とうちゃく し、24日 にち に S-21 (USS S-21, SS-126 ) 、S-26 (USS S-26, SS-131 ) 、S-28 (USS S-28, SS-133 ) 、と共 とも にバルボア を出航 しゅっこう 、運河 うんが の西 にし 入口 いりくち を警戒 けいかい した。同夜 どうや 、S-26は駆潜艇 くせんてい PC-460と衝突 しょうとつ 、沈没 ちんぼつ した。S-44は S-26の救助 きゅうじょ 作業 さぎょう に従事 じゅうじ した。
所属 しょぞく 部隊 ぶたい の第 だい 53潜水 せんすい 戦隊 せんたい はパナマから太平洋 たいへいよう 南西 なんせい 部 ぶ への移動 いどう を命 めい じられた。3月 がつ 初 はじ めに出航 しゅっこう し、4月 がつ 半 なか ばにブリスベン に到着 とうちゃく する。S-44は4月 がつ 24日 にち にモートン湾 わん から最初 さいしょ の哨戒 しょうかい に出撃 しゅつげき した。3日 にち 後 ご 、左舷 さげん のエンジンが停止 ていし する。しかしながら乗員 じょういん たちの36時 じ 間 あいだ に及 およ ぶ修理 しゅうり により回復 かいふく し、S-44は作戦 さくせん 活動 かつどう を継続 けいぞく した。4月29日 にち から日 ひ 中 ちゅう は潜航 せんこう し、夜間 やかん に浮上 ふじょう 、バッテリーの充電 じゅうでん と艦内 かんない の換気 かんき を行 おこな った。5月2日 にち までに哨戒 しょうかい 海域 かいいき のニューブリテン島 とう とニューアイルランド島 とう の間 あいだ に到達 とうたつ する。6日 にち 後 ご 、雨 あめ のもやの中 なか 船影 せんえい を観測 かんそく し、2発 はつ の魚雷 ぎょらい を発射 はっしゃ したものの命中 めいちゅう せず、再 さい 攻撃 こうげき のため接近 せっきん を試 こころ みたが、船 ふね は間 ま もなく姿 すがた を消 け した。翌日 よくじつ の午後 ごご 、S-44はアドラー湾 わん 東 ひがし で敵 てき 駆逐 くちく 艦 かん への接近 せっきん を試 こころ みたが、これもすぐに引 ひ き離 はな されることとなった。5月10日 にち 、セントジョージ岬 みさき 沖 おき で別 べつ の標的 ひょうてき に接近 せっきん したものの、敵 てき に発見 はっけん され攻撃 こうげき を受 う けた。
5月12日 にち の午後 ごご 遅 おそ く、セントジョージ岬 みさき から15マイル (24 km) の海域 かいいき で商船 しょうせん および機雷 きらい 敷設 ふせつ 艦 かん を観測 かんそく した。当初 とうしょ 天候 てんこう および艦 かん の位置 いち 、敵艦 てきかん の航路 こうろ は S-44にとって最適 さいてき であった。4発 はつ の魚雷 ぎょらい を発射 はっしゃ し2発 はつ が機雷 きらい 敷設 ふせつ 艦 かん 沖島 おきのしま を救援 きゅうえん 中 ちゅう の貨物 かもつ 船 せん 松栄 まつえ 丸 まる (松岡 まつおか 汽船 きせん 、5,644トン)命中 めいちゅう 、松栄 まつえ 丸 まる は沈没 ちんぼつ し、S-44はその後 ご 潜航 せんこう した。松栄 まつえ 丸 まる の護衛 ごえい 艦 かん はS-44の攻撃 こうげき に移 うつ り16発 はつ 以上 いじょう の爆雷 ばくらい を投下 とうか したが、至近 しきん 距離 きょり で爆発 ばくはつ したものはなかった。5月14日 にち に S-44は帰路 きろ に就 つ き、5月23日 にち にブリスベンに到着 とうちゃく した。
オーバーホールの後 のち 6月 がつ 7日 にち に S-44はモートン湾 わん を出航 しゅっこう し、再 ふたた びソロモン諸島 しょとう へと向 む かった。その週 しゅう の内 うち にガダルカナル島 とう 沖 おき での哨戒 しょうかい に入 はい り、同島 どうとう からサボ島 とう 、フロリダ島 とう 沖 おき を哨戒 しょうかい した。数日 すうじつ 後 ご ガダルカナル島 とう 南方 なんぽう へ向 む かい、6月21日 にち に特設 とくせつ 砲艦 ほうかん 京 きょう 城丸 しろまる (朝鮮 ちょうせん 郵船 ゆうせん 、2,626トン)に2発 はつ の魚雷 ぎょらい を発射 はっしゃ 、これを撃沈 げきちん した。爆発 ばくはつ と破片 はへん の雨 あめ および日本 にっぽん 軍機 ぐんき の攻撃 こうげき で S-44は潜航 せんこう を強 し いられた。14:15、S-44は砲艦 ほうかん に魚雷 ぎょらい を発射 はっしゃ した。14:18に敵 てき 機 き が爆 ばく 弾 だん を投下 とうか 、これが司令塔 しれいとう の至近 しきん 距離 きょり で爆発 ばくはつ し30ガロンの海水 かいすい が流入 りゅうにゅう 、測深 そくしん 機 き 、ジャイロコンパス および製氷 せいひょう 機 き を破損 はそん し海水 かいすい の漏出 ろうしゅつ が始 はじ まった。S-44 の1番 ばん 潜望鏡 せんぼうきょう は損傷 そんしょう したものと思 おも われたが、修理 しゅうり のため浮上 ふじょう すると日本 にっぽん 兵 へい のコートが引 ひ っかかっていたことが判明 はんめい した。
3日 にち 後 ご 、S-44はルンガ水道 すいどう にあった。6月26日 にち に天候 てんこう が悪化 あっか し、S-44が帰路 きろ に就 つ くまで一帯 いったい は悪天候 あくてんこう に覆 おお われた。S-44は6月 がつ 29日 にち に哨戒 しょうかい 海域 かいいき を離 はな れ、7月 がつ 5日 にち にモートン湾 わん に帰還 きかん した。
S-44は7月 がつ 24日 にち にブリスベンを出航 しゅっこう 、再 ふたた び哨戒 しょうかい に向 む かった。曇天 どんてん が辺 あた りを覆 おお い、スコールが始 はじ まった。7月31日 にち にラバウル島 とう とツラギ島 とう 間 あいだ の航路 こうろ の哨戒 しょうかい を始 はじ めた。翌日 よくじつ S-44はセントジョージ岬 みさき 沖 おき で船団 せんだん を確認 かくにん する。しかしながら海 うみ の激 はげ しいうねりが深度 しんど のコントロールと速度 そくど の上昇 じょうしょう を妨 さまた げ、船団 せんだん を攻撃 こうげき することは出来 でき なかった。その後 ご セントジョージ岬 みさき からニューアイルランド島 とう 東岸 とうがん へ移動 いどう し、そこから北 きた の岬 みさき およびカビエン に向 む かい、そこで待機 たいき した。
重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん 加古 かこ
8月 がつ 7日 にち 、連合 れんごう 軍 ぐん 部隊 ぶたい はガダルカナル島 とう 、ツラギ島 とう 、ガブツ島 とう およびフロリダ島 とう への上陸 じょうりく を開始 かいし した。8月9日 にち 、サボ島 とう 沖 おき で日本 にっぽん 軍 ぐん の第 だい 八 はち 艦隊 かんたい は連合 れんごう 軍艦 ぐんかん 隊 たい に対 たい して太平洋戦争 たいへいようせんそう における最悪 さいあく の打撃 だげき の1つを与 あた えた。翌朝 よくあさ 、日本 にっぽん 軍 ぐん の重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん がカビエンに接近 せっきん した。
07:50、S-44はおよそ900ヤード (800 m) を航行 こうこう する4隻 せき の重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん を視認 しにん する。08:06に700ヤード (600 m) の距離 きょり から4発 はつ の魚雷 ぎょらい を巡洋艦 じゅんようかん の後方 こうほう に向 む けて発射 はっしゃ した。08:08までに4発 はつ の魚雷 ぎょらい は全 すべ て爆発 ばくはつ した。重 じゅう 巡洋艦 じゅんようかん 加古 かこ に命中 めいちゅう しこれを撃沈 げきちん した。S-44は海域 かいいき の離脱 りだつ を始 はじ めた。08:12までに日本 にっぽん の駆逐 くちく 艦 かん は爆雷 ばくらい 攻撃 こうげき を始 はじ めたが、それは徒労 とろう に終 お わった。
3日 にち 後 ご 、S-44は再 ふたた び激 はげ しいうねりと戦 たたか うこととなった。艦 かん 首部 しゅぶ 分 ぶん に損傷 そんしょう を受 う け、索具 さくぐ を装着 そうちゃく するのに3時 じ 間 あいだ を要 よう した。S-44は8月 がつ 23日 にち にブリスベンで停泊 ていはく した。
9月17日 にち 、S-44は第 だい 4の哨戒 しょうかい を始 はじ めた。翌日 よくじつ 、前部 ぜんぶ バッテリー室 しつ 区画 くかく において水素 すいそ による火災 かさい が発生 はっせい したが、3分 ふん で鎮火 ちんか した。9月22日 にち 、 S-44は夜間 やかん のみの浮上 ふじょう を始 はじ める。2日 にち 後 ご にファイシ島 とう からガダルカナル島 とう への補給 ほきゅう を行 おこな う日本 にっぽん 船団 せんだん を迎 むか え撃 う つためニュージョージア島 とう 沖 おき での哨戒 しょうかい を始 はじ めた。この哨戒 しょうかい 中 ちゅう 、S-44の敵 てき 船 せん 探索 たんさく は日本 にっぽん 軍 ぐん の航空機 こうくうき および対 たい 潜水 せんすい 上 じょう 艦 かん によって妨 さまた げられ、その作戦 さくせん 活動 かつどう 能力 のうりょく は爆雷 ばくらい 攻撃 こうげき による損害 そんがい と物資 ぶっし の欠乏 けつぼう によって制限 せいげん されていた。
10月4日 にち の朝 あさ 、 S-44は敵 てき 駆逐 くちく 艦 かん に損傷 そんしょう を与 あた え、敵 てき の集中 しゅうちゅう 的 てき な爆雷 ばくらい 攻撃 こうげき を小破 しょうは のみで切 き り抜 ぬ けた。翌日 よくじつ 潜航 せんこう したとき、艦内 かんない に水 みず が流入 りゅうにゅう する。S-44は浮上 ふじょう して誘導 ゆうどう バルブの修理 しゅうり を行 おこな い、その後 ご 50フィート (15 m) の深 ふか さに潜航 せんこう した。漏水 ろうすい は機関 きかん 室 しつ および魚雷 ぎょらい 室 しつ のフラップで発見 はっけん された。魚雷 ぎょらい 室 しつ の漏水 ろうすい は止 と められたが、機関 きかん 室 しつ は水 みず が吹 ふ き込 こ み2基 き のモーターにかかり続 つづ けた。1時間 じかん 以内 いない に4隻 せき の日本 にっぽん 軍 ぐん 駆逐 くちく 艦 かん がその海域 かいいき に移動 いどう してきた。S-44は70フィート (21 m) まで潜航 せんこう し、漏水 ろうすい は激 はげ しくなった。モーターはキャンバスとシート・ゴムで覆 おお われ、乗組 のりくみ 員 いん たちは駆逐 くちく 艦 かん が艦上 かんじょう を通過 つうか するのを待 ま った。敵艦 てきかん が海域 かいいき を離脱 りだつ すると、S-44は55フィート (17 m) まで移動 いどう 、フラップ部分 ぶぶん の修理 しゅうり が行 おこな われた。その夜 よる 、S-44はサンタイサベル島 とう 沖 おき で浮上 ふじょう し、さらなる修理 しゅうり が行 おこな われた。真夜中 まよなか までに S-44は哨戒 しょうかい 海域 かいいき に戻 もど った。10月7日 にち に天候 てんこう が悪化 あっか し、8日 にち に S-44は哨戒 しょうかい 海域 かいいき を離 はな れ、14日 にち にモートン湾 わん に到着 とうちゃく した。
1ヶ月 かげつ 後 ご 、S-44はブリスベンを出航 しゅっこう し帰国 きこく の途 と に就 つ いた。1943年 ねん 1月 がつ 初 はじ めに S-44はパナマ運河 うんが を通過 つうか し、カリブ海 かりぶかい を横断 おうだん して大西洋 たいせいよう 沿岸 えんがん を北上 ほくじょう 、フィラデルフィアに向 む かった。同地 どうち で4月 がつ から6月 がつ までオーバーホールを行 おこな い、7月 がつ にパナマ運河 うんが を通過 つうか 、カリフォルニア州 しゅう サンディエゴ を経由 けいゆ してアリューシャン列島 れっとう へ向 む かった。
S-44は9月16日 にち にダッチハーバー に到着 とうちゃく した。9月26日 にち にアッツ島 とう を出航 しゅっこう 、最後 さいご の哨戒 しょうかい に向 む かう。哨戒 しょうかい 海域 かいいき の北 きた 千島 ちしま 列島 れっとう に向 む かう途中 とちゅう 、日本 にっぽん 軍 ぐん の哨戒 しょうかい 機 き に発見 はっけん され攻撃 こうげき を受 う ける。この戦闘 せんとう では損傷 そんしょう を受 う けることなく、S-44は西 にし へと巡航 じゅんこう を継続 けいぞく した。10月7日 にち の夜 よる 、レーダーで「小型 こがた 商船 しょうせん 」を観測 かんそく し、攻撃 こうげき のため浮上 ふじょう して接近 せっきん した。「幸光 ゆきみつ 丸 まる 」(1520トン)を護衛 ごえい していた海防 かいぼう 艦 かん 「石垣 いしがき 」が「S-44」を発見 はっけん して砲撃 ほうげき を開始 かいし し、砲戦 ほうせん が開始 かいし された。艦長 かんちょう ブラウン少佐 しょうさ は潜航 せんこう を命 めい じたものの「S-44」は浮上 ふじょう したままであった。連続 れんぞく して被弾 ひだん し、ブラウン少佐 しょうさ が総員 そういん 退 すさ 艦 かん を命 めい じるとともに、枕 まくら カバーが降伏 ごうぶく の白旗 はっき として前部 ぜんぶ バッテリー室 しつ のハッチに掲 かか げられた。しかし、「石垣 いしがき 」は砲撃 ほうげき を継続 けいぞく し、「S-44」は沈没 ちんぼつ した。海中 かいちゅう に飛 と び込 こ んだ8名 めい のうち2名 めい のみが「石垣 いしがき 」に救助 きゅうじょ され、艦長 かんちょう 以下 いか 61名 めい が戦死 せんし した。
救助 きゅうじょ された水雷 すいらい 担当 たんとう 下士官 かしかん のアーネスト・A・デューヴァおよび三 さん 等 とう 無線 むせん 士 し ウィリアム・F・ホワイトモアは幌 ほろ 筵 むしろ 島 とう に連 つ れて行 い かれ、続 つづ いて大船 おおふな の海軍 かいぐん 兵士 へいし の収容 しゅうよう 所 しょ で尋問 じんもん を受 う けた。その後 ご 二 に 人 にん は大戦 たいせん の終了 しゅうりょう まで足尾 あしお 銅山 どうざん での労役 ろうえき に就 つ き、戦後 せんご 本国 ほんごく に送還 そうかん された。
S-44は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 中 なか の戦功 せんこう で2個 こ の従軍 じゅうぐん 星章 せいしょう を受章 じゅしょう した。
S-44を沈 しず めた石垣 いしがき は、1944年 ねん 5月 がつ 31日 にち にヘリング (USS Herring, SS-233 ) の雷撃 らいげき によって沈 しず められた。
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