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Wがた12気筒きとう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

Wがた12気筒きとう(ダブリュがたじゅうにきとう)はピストンしき内燃ないねん機関きかんレシプロエンジン)のシリンダー配列はいれつ形式けいしきひとつで、Wがたエンジン一種いっしゅW12りゃくされることもある。

現在げんざいまでにWがた12気筒きとうは2種類しゅるいことなる構成こうせいもの製造せいぞうされた。ひとつはネイピア ライオンエンジンに代表だいひょうされる4のシリンダーが3つのシリンダーバンクにけられて12気筒きとう構成こうせいする3バンクがたであり、もうひとつがせまかくVがたエンジン技術ぎじゅつ応用おうようして2つのせまかくVがた6気筒きとうエンジンをわせ、かけじょう4バンクのシリンダーバンクを構成こうせいするように設計せっけいされたものである。後者こうしゃのものを前者ぜんしゃのものと区別くべつするためWR12という略称りゃくしょうもちいることもある。

ネイピア・ライオン

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ブルックランズ博物館はくぶつかん所蔵しょぞうのネイピア・ライオン

もっと有名ゆうめいなWがた12気筒きとうひとつとして、だいいち世界せかい大戦たいせんなかの1917ねんから1930年代ねんだい後半こうはんにかけてイギリスネイピア・アンド・サンによって航空機こうくうきようレシプロエンジンとして設計せっけい生産せいさんされたネイピア ライオンエンジンがげられる。このエンジンはアルミ合金ごうきんせいシリンダーブロックシリンダーヘッドをもつそう排気はいきりょう24Lのエンジンで、3つのシリンダーバンクは60角度かくど結合けつごうされ、生産せいさん時期じきにより450馬力ばりきから900馬力ばりき出力しゅつりょく発揮はっきした。

このエンジンは航空機こうくうき以外いがいレーシングカーでもジョン・コッブマルコム・キャンベルにより使用しようされ、航空機こうくうきレースでもen:Supermarine_S.5シュナイダー・トロフィー・レースせいした記録きろくのこる。また、en:Hubert_Scott-Paineパワーボートen:Miss_Britain_IIIもちいて競技きょうぎもちいた記録きろくもある。

ネイピア・ライオンを参考さんこう開発かいはつされたロレーヌ 12Eは8,000だい生産せいさんされた。

このような3バンクしきWがた12気筒きとうフォルクスワーゲンアウディせまかくVがたエンジンを応用おうようしたWR12エンジンを開発かいはつするまえ試作しさくされた記録きろくがあるほか、イギリスの自動車じどうしゃメーカーのサンビーム自社じしゃen:Sunbeam_Arabエンジンを改良かいりょうしてen:Sunbeam Kaffirエンジンとして開発かいはつしていたが、いずれもネイピア・ライオンのような成功せいこうおさめることなくわっている。

フォルクスワーゲンの4バンクしきWがた12気筒きとう

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フォルクスワーゲンの4バンクしきWがた12気筒きとう

正式せいしき名称めいしょう W12。フォルクスワーゲンが設計せっけい製造せいぞうしたせまかくVがた6気筒きとうエンジンVR6を2つわせることで、外観がいかんじょう4つのシリンダーバンクをつダブルせまかくVがた6気筒きとう構成こうせいの12気筒きとうエンジン。VRがたエンジンをわせたダブルV(VV)構成こうせいとなっていることから、WRがた12気筒きとう(WR12)ともばれる。

2001ねん東京とうきょうモーターショウにて、フォルクスワーゲンはコンセプトカーフォルクスワーゲン・W12ナルド出展しゅってん、4バンクしきWがた12気筒きとうはじめて世界せかい公開こうかいされた。W12ナルドはミッドシップレイアウトのこう駆動くどうくるまで、6.0Lの4バンクしきWがた12気筒きとうエンジンを搭載とうさいしていた。 最大さいだい出力しゅつりょくは600馬力ばりき以上いじょうとされ、モーターショウ出展しゅってんの1週間しゅうかんまえには24あいだ連続れんぞく走行そうこうテストにおいて、平均へいきん速度そくど295.24km/hで7,085.7kmをはしりきり、従来じゅうらい世界せかい記録きろくを12km更新こうしんする24あいだ走行そうこう距離きょり世界せかい記録きろく樹立じゅりつしたばかりであった。

W12ナルドクーペはこののち市販しはんされることも計画けいかくされていたが、結局けっきょく中止ちゅうしされた。しかし、この4バンクしきWがた12気筒きとうエンジンはそのフォルクスワーゲングループ市販しはん車両しゃりょうおおくに搭載とうさいされている。

なお、フォルクスワーゲンはこの4バンクしきWがた12気筒きとう平行へいこうしてブガッティのコンセプトカーけに3バンクしきWがた18気筒きとうエンジンも試作しさくしていたが、こちらはその市販しはんされることなくわっている。ブガッティ・ヴェイロンには4バンクしきWがた12気筒きとう拡張かくちょうした4バンクしきWがた16気筒きとう採用さいようされた。

4バンクしきWがた12気筒きとう採用さいようした車種しゃしゅ下記かきとおりである。

F1でのWがた12気筒きとう

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1980年代ねんだい後半こうはん、2つのWがた12気筒きとうエンジンがF1のために開発かいはつされた。

ひとつはフランスen:Guy Negre開発かいはつしたMGNエンジンで、ひとつのクランクピンに3つのコネクティングロッド接続せつぞくして4気筒きとう3バンクしきWがた12気筒きとうエンジンを実現じつげんしていた。このエンジンは非常ひじょうにコンパクトに設計せっけいされており、燃焼ねんしょうしつのバルブには一般いっぱんてきポペットバルブではなくロータリーバルブ採用さいようしていたことが特徴とくちょうであった。

しかし、このエンジンはAGS試作しさくF1カーとNormaしゃ試作しさくスポーツカーでテストがおこなわれたものの、実際じっさいにレースに投入とうにゅうされることなくわっている。

ライフせいW12エンジン(グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード2009にて)

もうひとつのWがた12気筒きとうエンジンはイタリアライフ・F1チームによって1990ねんのF1世界せかい選手権せんしゅけん投入とうにゅうされたものである。このエンジンの開発かいはつ担当たんとうしたのは1949ねんから1979ねんまでスクーデリア・フェラーリのエンジンデザイナーとして活躍かつやくしたフランコ・ロッキであり、基本きほん設計せっけいかれ自身じしん1967ねん開発かいはつたずさわった498ccの実験じっけんようWがた3気筒きとうエンジン、およびこのエンジンを6結合けつごうした試作しさくWがた18気筒きとうエンジンのデザインがもとになっている。

ロッキが1967ねん当時とうじ開発かいはつしたWがた3気筒きとうエンジンは、MGNエンジンのようにかくバンクのコネクティングロッドが直接ちょくせつクランクピンに接続せつぞくされるのではなく、中央ちゅうおうのマスターコンロッドに3つのスレーブコンロッドが接続せつぞくされてクランクシャフト回転かいてんさせる構成こうせいっていた。これによりかくシリンダーあいだのオフセットを非常ひじょうせまことができ、クランクピンのながさを短縮たんしゅくすることにも成功せいこうしていた。なお、ロッキがデザインしたWがたエンジンは、かつてフェラーリもF1に投入とうにゅうしていた水平すいへい対向たいこうエンジン真上まうえ直列ちょくれつエンジン追加ついかしたような外見がいけんであると形容けいようされることもある。

このエンジンは1967ねん当時とうじ時点じてんでも開発かいはつ手間取てまどったうえに、当時とうじのレギュレーションの問題もんだい1972ねんに12気筒きとうえる気筒きとうすうのエンジンが禁止きんしされた)でることなくわっていたが、ロッキはフェラーリをったのち、10すうねん雌伏しふくときてイタリアじんビジネスマンのエルネスト・ヴィータをパトロンむかえ、自身じしん設計せっけいしたWがたエンジンの性能せいのううためだけにライフをげたのである。しかし、当時とうじのシャーシデザイナーやF1関係かんけいしゃおおくはすで過去かこ人間にんげんとなってひさしいロッキ自身じしんおよび、ロッキのエンジンデザインの実用じつようせい疑問ぎもんし、ライフへの協力きょうりょくしゃ当初とうしょからきわめてすくなかった。そのため、シャーシは自製じせいではなく計画けいかくがとんしたファースト・レーシングのF1計画けいかくさいつくられたシャーシを購入こうにゅうし、そこに自製じせいのW12エンジンを搭載とうさいした[1]。しかしマシンの熟成じゅくせいもエンジンの信頼しんらいせい一向いっこうがらず、予備よび予選よせんの30分間ふんかんでろくな走行そうこうもできないWがた12気筒きとうエンジン自体じたい問題もんだいあいまり[2]結局けっきょく参戦さんせんした14せんすべてで予備よび予選よせん通過つうかという悲惨ひさん結末けつまつわっている[3]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ F1断念だんねんのファーストがライフ・レーシング・エンジンにF1シャシーを売却ばいきゃく Racing On No.055 37ぺーじ たけしゅう書房しょぼう 1989ねん8がつ15にち発行はっこう
  2. ^ ゲイリーがライフをる。ジャコメリが後任こうにんに グランプリ・エクスプレス '90サンマリノGPごう 31ぺーじ 山海さんかいどう 1990ねん6がつ2にち発行はっこう
  3. ^ ライフとブルン日本にっぽんGPにあらわれず 予備よび予選よせんなくなる グランプリ・エクスプレス 日本にっぽんGPごう 46ぺーじ 1990ねん11月8にち発行はっこう

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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