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Microsoft Windows 1.0

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Windows 1.0
Microsoft Windows ファミリー
開発かいはつしゃ
Microsoft
リリース情報じょうほう
リリース 1985ねん11月20にち [info]
最新さいしん安定あんていばん 1.04 - 1987ねん4がつ8にち [info]
ソースモデル クローズドソース
ライセンス Microsoft EULA
先行せんこうひん MS-DOS
後続こうぞくひん Windows 2.0
サポート状態じょうたい
サポート終了しゅうりょう:2001ねん12月31にち

Microsoft Windows 1.0(マイクロソフト ウインドウズ 1.0)は、マイクロソフト1985ねん11月20にち発売はつばいしたMS-DOSうえ動作どうさするオペレーティング環境かんきょうである。

Windows 1.0のカタログ(1986ねん1がつ

概要がいよう

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IBM PCなどx86けいのPCはもともとDOSやBASICなどのようにキャラクタユーザインターフェース (CUI) のOSを採用さいようしていたが、1984ねん登場とうじょうしたAppleのMacintoshではOSが当初とうしょからグラフィカルユーザインターフェース (GUI) をそなえていた[1]。そのようななか、マイクロソフトはMS-DOSにGUI環境かんきょう追加ついかするアドオンの開発かいはつ1983ねんからすすめており、1985ねんにリリースした。これがWindows 1.0である[2]動作どうさには別途べっとMS-DOS(日本語にほんごばんでは Ver. 3.1以上いじょう)が必要ひつようであり、この制限せいげんWindows 3.xまでつづいた[3]

テレビコマーシャルではスティーブ・バルマー熱狂ねっきょうてきにWindows 1.0を宣伝せんでんおおきな印象いんしょうあたえた[4]。しかしIntel 80286搭載とうさいされたプロテクトモードには対応たいおうしていなかったために、メモリ利用りよう上限じょうげんサイズが640KBになっている。また当時とうじ一般いっぱんてきなパソコンの性能せいのうでは動作どうさおもかった。Windowsの発売はつばい延期えんき仕様しよう変更へんこうかえされたことでソフトウェアメーカーがWindows対応たいおうソフトの開発かいはつから退しりぞいてしまったことも影響えいきょうした。結果けっかとして米国べいこくでの発売はつばい発表はっぴょう当時とうじ1983ねん)のさわぎとはぎゃくに、発売はつばい評判ひょうばんはあまりおもわしくなかった[5]

日本にっぽんではMS-DOS Ver. 3.1とともバンドルOSとしてNECせいパソコンPC-9801VX4/WNに採用さいようされ、1986ねん11月発売はつばいされた[3]。しかし、そのすぐのちOS/2Windows 2.0登場とうじょう予期よきされていたこともあり、Windows 1.0にたいする日本にっぽんのソフトウェアメーカーの反応はんのう米国べいこく同様どうようにぶかった[6]

1987ねんにマイクロソフトのロゴが変更へんこうされたため、起動きどう画面がめんのマイクロソフトのロゴはバージョンが1985ねん発売はつばいの1.01と1.02そして1986ねん発売はつばいの1.03までがきゅうロゴ[1]1987ねん発売はつばいのバージョン1.04はしんロゴとなっている。

開発かいはつ

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Windowsの開発かいはつは1981ねん9がつがったInterface Manager(インターフェイスマネージャ)というプロジェクトがきっかけであった。当時とうじWordStarMultiplanといった代表だいひょうてきなものをふくIBM PCようソフトウェアは操作そうさ方法ほうほう共通きょうつうてんがなく、テキストのコピーやファイルの印刷いんさつといったよく使つかわれる操作そうさすら統一とういつされていなかった。また、アプリケーションからプリンターにデータをおく手順てじゅん標準ひょうじゅんされていなかったため、かくソフトウェアがそれぞれの開発かいはつ時点じてんでのプリンターに対応たいおうするドライバ開発かいはつして添付てんぷする必要ひつようがあった。こういった不便ふべん解消かいしょうすべくInterface Managerのプロジェクトが開始かいしされ、つぎ目標もくひょうてられた[7]

  • ハードウェアから独立どくりつしていること。
  • グラフィック・モードでうごくこと。
  • WYSIWYGアプリケーションをサポートすること。
  • アプリケーションのかけを標準ひょうじゅんすること。

当初とうしょ画面がめんのデザインはMultiplanのように画面がめん下部かぶ操作そうさコマンドを表示ひょうじするものがかんがえられていたが、これはXerox StarMacintoshのようなプルダウンメニュー方式ほうしき変更へんこうされた。また、かくアプリケーションのパネルを表示ひょうじするウィンドウはタイルじょうなら方式ほうしき採用さいようしたが、世間せけんではアップルのLisa採用さいようされたかさ表示ひょうじのデスクトップ方式ほうしきけていた。Windowsがまだ完成かんせいまでほどとお状況じょうきょうにあったなか、1980ねんから同様どうようのソフトウェアを開発かいはつしていたビジコープは1982ねんあきVisiOn発表はっぴょうし、1983ねん10がつには出荷しゅっか準備じゅんび完了かんりょうしたと発表はっぴょうした。どう時期じきにクォーターデックからDESQViewという競合きょうごう製品せいひんあらわれた。他社たしゃ先手せんてられたマイクロソフトは1983ねん11がつ10日とおかにWindowsの開発かいはつ正式せいしき発表はっぴょうした。それは2だいのフロッピーディスクドライブと192KBのRAMを必要ひつようとするもので、マイクロソフトはそれをMS-DOSようデバイスドライバとして説明せつめいした。正式せいしき発表はっぴょう、マイクロソフトはハードウェアやソフトウェアのメーカーにWindowsの採用さいようびかけ、1984ねんはじめには20しゃ以上いじょうから賛同さんどう[7]

しかし、Windowsの開発かいはつ延期えんきかさねていった。Windowsは当時とうじのパソコンの平均へいきんてき性能せいのうではあまりにもおもく、開発かいはつ困難こんなんきわめたこと。開発かいはつ言語げんごPascalからLattice CMicrosoft Cへと変更へんこうされたこと[8]。マイクロソフトは1983ねんまつには500にんほどの社員しゃいんかかえていたにもかかわらず、すべてのプロジェクトにビル・ゲイツ責任せきにんつという組織そしき体系たいけいであったため、開発かいはつ進行しんこう問題もんだい把握はあくおくれをもたらしていることがあきらかになった。開発かいはつ体制たいせい問題もんだいは1984ねん8がつ組織そしき改革かいかく改善かいぜんされ、このときスティーブ・バルマーがWindowsを担当たんとうするシステム部門ぶもん責任せきにんしゃとなった[9]。このあいだひょうではVisiOnが開発かいはつ環境かんきょう動作どうさ環境かんきょう問題もんだい市場いちばれられていないことが明白めいはくとなり、マイクロソフトの失態しったいはじめのうちは見逃みのがされていた。ところが開発かいはつはスムーズにはすすまず、1984ねんまつになるとPC Weeksをはじめとする複数ふくすう雑誌ざっし評論ひょうろんから批判ひはんけた。Windowsはマイクロソフトのさい重要じゅうようプロジェクトとして、プログラミング・チームは20にん以上いじょう、マニュアル製作せいさくやテストチームをわせて30にん以上いじょう当時とうじとしてはだい規模きぼなチームになった[7]

1985ねん5がつのCOMDEXでマイクロソフトはWindowsを出展しゅってんし、6がつ発売はつばいすると断言だんげんした。1985ねん6がつ28にち本来ほんらいならWindowsの発売はつばいであったが、Windowsのテストばんがソフトウェア開発かいはつしゃやハードウェアメーカーに配布はいふされるのみだった。名目めいもくじょう正式せいしきリリースまえにテストユーザーからフィードバックをるためとされた。最終さいしゅうてきに、1985ねん11月11にちにマスコミや関係かんけいしゃまねいたWindows完成かんせいパーティーがひらかれ、11月20にちにWindowsが99ドルで発売はつばいされた[7]

機能きのう

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スクリーンショット(Windows 1.0のカタログより)

スタイルは現行げんこうWindows製品せいひん原型げんけいとなったWindows 95や、その前身ぜんしんであるWindows 3.1とはおおきくことなっている。擬似ぎじマルチタスクオペレーティング環境かんきょうで、かくウィンドウはタイルじょう展開てんかいされた。ただしコントロールパネルの個々ここ設定せってい項目こうもくなどのようにダイアログボックス程度ていどちいさなウィンドウであればかさねて表示ひょうじされることもあった。

タイルじょうのウインドウについては、当時とうじのハードウェアてき制約せいやくによるものというせつがある(Windows 1.0が動作どうさする最低限さいていげん環境かんきょうでは仕組しくみが重荷おもにすぎる)が、開発かいはつしゃは「かさなったウインドウは複雑ふくざつなので、ユーザーインターフェースの観点かんてんからあえてそうした」と主張しゅちょうしている。ただし、ダイアログやプルダウンメニューといった要素ようそかるとおり、ウィンドウをかさねる機能きのうまった存在そんざいしないわけではない。Windows 1.0開発かいはつしゃ一人ひとりであり、ゼロックス出身しゅっしんのスコット・マクレガーは、「ユーザビリティを優先ゆうせんさせるため簡略かんりゃくした」とべており、PARC時代じだい実験じっけんから「複数ふくすうのウィンドウをもちいる場合ばあい、それらをかさねるよりべてあつかほう移動いどう効率こうりつい」という実験じっけん結果けっかていたという[よう出典しゅってん]現在げんざいにおいても研究所けんきゅうじょレベルのうちせいシステムなどでは意図いとてきにタイリングを採用さいようするれいはあり、Windows 1.0の設計せっけいかならずしもていレベルというわけではない。開発かいはつチームにはMacのメンバーもおり、タイリングにするかかさねるかで対立たいりつがあったとされている[よう出典しゅってん]

個々ここのウィンドウはタイル表示ひょうじのほかに最大さいだい最小さいしょう(アイコン)も可能かのうである。この意味いみではアプリケーションにはアイコンが存在そんざいするが、あくまでタスクアイコンであり、後述こうじゅつのようにファイルとしてのアイコンはい。アプリケーションのウィンドウは最大さいだいしないかぎりはつね下部かぶ隙間すきまのこかたちになり、デスクトップの一部いちぶえている状態じょうたいになる。Windows 3.x以前いぜんのデスクトップは基本きほんてきにタスクアイコンのであり、このデスクトップ下部かぶ領域りょういきはちょうどタスクバー役割やくわりがあった。Windows 1.0のデスクトップは2.0-3.xのデスクトップとはことなり、下部かぶ領域りょういきはウィンドウの表示ひょうじ領域りょういきとは機能きのうてき独立どくりつしており、より95以降いこうのタスクバーにちかいものだった。ウィンドウ表示ひょうじ領域りょういきつねなんらかのウィンドウが占拠せんきょしており、意図いとてきにすべてのウィンドウをタスクアイコンしないかぎりはデスクトップ背景はいけいえる機会きかいい。このデスクトップ背景はいけいにタスクアイコンをドラッグすればそのタスクのウィンドウがひらくため、下部かぶ領域りょういき以外いがいのデスクトップにアイコンをくことはできない。すでなんらかのウィンドウが占拠せんきょしていた場合ばあい既存きそんのウィンドウとの分割ぶんかつ表示ひょうじ(タイル表示ひょうじ)になる。このときタスクアイコンをドロップした位置いちによってウィンドウがたて分割ぶんかつされるかよこ分割ぶんかつされるかがまる。

ウィンドウは上部じょうぶにタイトルバーやメニューバーをそなえており、これらはそののWindowsと同様どうようである。このころからすでにタイトルバーの左端ひだりはし四角しかく部分ぶぶん(95以降いこうではちいさなアイコンが表示ひょうじされる個所かしょ)にもプルダウンメニューをそなえており、そこをダブルクリックすることでウィンドウをじる機能きのうも、このころから搭載とうさいされている。

しかしウィンドウにはのようなふといウィンドウわく存在そんざいせず、ウィンドウわく直接ちょくせつドラッグすることはできなかった。ウィンドウあいだ境界きょうかい位置いち変更へんこうするにはタイトルバーのみぎはしにある四角しかくいボタンのようなものをドラッグする必要ひつようがあった。このボタンはダブルクリックでウィンドウをフルスクリーン(最大さいだい)にする機能きのうもあった。タイトルバーのみぎはしのボタンはこれ1つだけであり、のようにウィンドウをじたり最小さいしょうしたりするボタンはい。それらの操作そうさはタイトルバーの左端ひだりはしのプルダウンメニューからおこな必要ひつようがあった。

マウスの操作そうさ当時とうじのMacintoshにちかいものだった。たとえばプルダウンメニューをしてもマウスのボタンをはなすとえてしまうため、クリックしたまま移動いどう(ドラッグ)させることで目的もくてき選択肢せんたくしえらび、ボタンをはなすことで決定けっていする必要ひつようがあった。この操作そうさ方法ほうほうはそののWindowsでも可能かのうである。

MS-DOS ウィンドウ

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Windows 1.0から2.xまで使つかわれたシェルプログラムが、MS-DOSウィンドウ (MS-DOS Executive) である。

日本語にほんごばんでは「MS-DOS ウィンドウ」という名称めいしょうだが、まぎらわしいことにDOSまどとは別物べつものであり、あくまでファイルマネージャエクスプローラ相当そうとうするユーザーインターフェースである。ただし表示ひょうじされる情報じょうほうはMS-DOSのDIRコマンドの表示ひょうじ大差たいさなく、ドライブめい(アイコン)とボリュームラベル、カレントディレクトリのパスおよび、ファイルめい羅列られつされるだけのものだった。すなわちファイルにはアイコンが用意よういされておらず、ファイルめい直接ちょくせつダブルクリックすることでプログラム(データファイルの場合ばあい関連付かんれんづけられたプログラム)が起動きどうする。ようするにMS-DOSにおけるコマンド入力にゅうりょく一部いちぶをマウス操作そうさでも可能かのうにした程度ていどのものだった。なおメニューバーからはファイルやディレクトリ、ディスク関連かんれん操作そうさメニューがいくつか用意よういされているが、ファイルはドラッグすることができず[3]複雑ふくざつなファイル操作そうさにはキーボード入力にゅうりょく必要ひつようだった。

MS-DOSウィンドウの表示ひょうじ形式けいしきには、ファイルめいだけの「ショート」と、タイムスタンプやファイルサイズの情報じょうほうふくむ「ロング」があり、前者ぜんしゃはDIRコマンドでうところの「/W」オプションでの表示ひょうじちかい。これらはのファイルマネージャの表示ひょうじメニューでうところの「名前なまえのみ」と「すべての情報じょうほう」に、エクスプローラの表示ひょうじメニューでは「一覧いちらん」と「詳細しょうさい」に、それぞれ相当そうとうする表示ひょうじ形式けいしきである。表示ひょうじじゅんは「名前なまえ」、「日付ひづけ」、「サイズ」、「拡張子かくちょうし」でソート可能かのうなほか、プログラムファイルのみの表示ひょうじや、ワイルドカードによる指定していファイルのみを表示ひょうじすることもできた。

ディレクトリツリーを表示ひょうじする機能きのういものの、複数ふくすうのMS-DOSウィンドウを同時どうじげることができ、ことなるドライブやディレクトリを同時どうじ参照さんしょうすることができた。あたらしいウィンドウをげる実行じっこうファイルは「MSDOS.EXE」で、名称めいしょうこそEXE形式けいしきだが、バイナリはRET命令めいれいのみの1バイトというCOMファイル相当そうとう[ちゅう 1]でしかなく、MS-DOSウィンドウがされるショートカットのような存在そんざいだった。これはWindows 2.xでも同様どうようになっている。

MS-DOSウィンドウはシェルであるため自動じどうがり、すべてのMS-DOSウィンドウをじればWindowsも終了しゅうりょうする。

付属ふぞくアプリケーション

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当時とうじから搭載とうさいされていたおもなアクセサリやツールるいには以下いかのようなものがある。FD運用うんよう場合ばあいにデスクトップアプリケーションディスクにふくまれるプログラムをしゅとしてげる。実行じっこうまえにはショートカットのようなタイトルめい表示ひょうじされていないため、実行じっこうするファイルめいしめした。括弧かっこないはタイトルバーでのタイトル。以下いかのほか画面がめんハードコピーをおこなう「WHCOPY.EXE」がWindowsのシステムディスクがわにあった。

  • CALC.EXE (電卓でんたく
  • CALENDAR.EXE (カレンダー
  • CARDFILE.EXE (カードファイル) - カードがたデータベース
  • CLIPBRD.EXE (クリップボード
  • CONTROL.EXE (コントロールパネル
  • NOTEPAD.EXE (メモちょう
  • PAINT.EXE (ペイント
  • PIFEDIT.EXE (プログラム情報じょうほうエディタ) - MS-DOSプログラム実行じっこうさい個々ここ環境かんきょう設定せっていおこなうPIFファイルを編集へんしゅうする。
  • REVERSI.EXE(リバーシ
  • SPOOLER.EXE (スプーラ) - プリンタスプーラ。
  • TERMINAL.EXE (ターミナル) - 通信つうしんソフト。
  • TIME.EXE (時計とけい
  • WDSKCOPY.EXE (WDSKCOPY) - ディスクコピー。これはオーバーラップウィンドウで実行じっこうされる。
  • WRITE.EXE (ライト) - Windows 95/NT4.0以降いこうワードパッド相当そうとうするワープロソフト。
  • WSWITCH.EXE (スイッチ) - PC-9800シリーズよう場合ばあい。メモリスイッチ設定せっていツール。
  • WUSKCGM.EXE (ユーザー定義ていぎ文字もじ保守ほしゅユーティリティ) - 外字がいじエディタ。

評価ひょうか

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Windows発表はっぴょう直後ちょくご発売はつばい前後ぜんこうでの歓迎かんげいムードから一変いっぺんして、発売はつばい批判ひはんつづけた。

競合きょうごう製品せいひんDESQviewTopViewがテキストベースのオペレーティング環境かんきょうであったのにたいし、Windowsはグラフィックベースであることをつらぬいた。また、べつ競合きょうごう製品せいひんであるGEMはグラフィックベースであるものの、同時どうじひとつのアプリケーションしか実行じっこうできないシングルタスクであったが、Windowsはアプリケーションが負荷ふかときべつのアプリケーションに処理しょりてる擬似ぎじマルチタスクであった[10]。この機能きのうんだぶんだけ性能せいのうにハンデをうことになり、当時とうじ普及ふきゅうしていたIBM PCやPC/XT相当そうとうのパソコンの性能せいのうでは満足まんぞくうごかせず、80286ハードディスク搭載とうさいしたPC/ATですらRAMディスク使つかわないとスムーズにうごかないと指摘してきされた[11]。さらに、Windowsの開発かいはつ表明ひょうめいから発売はつばいまでに発売はつばい延期えんき仕様しよう変更へんこうかえされたため、ロータスアシュトンテイトといった大手おおてソフトウェアメーカーがWindowsようソフトの開発かいはつ興味きょうみしめさなくなったこともおおきなマイナスとなった[7]

性能せいのう問題もんだいたいしては1986ねんまつにマイクロソフトが直々じきじきにIBM PCようCPUアクセラレーターとマウスをどうこりした「Microsoft Mach 10」を発売はつばいしたが[12]、Windows対応たいおうソフトがない問題もんだいのこっているという批判ひはんがった[13]。1987ねんはじめにはマイクロソフトはWindowsを50まんほん出荷しゅっかしたと発表はっぴょうしたが、実際じっさいにユーザーのわたったのはおおくても10まんほんだろうという指摘してきがった[14]

Windowsのコンセプトや機能きのうたいする批判ひはん目立めだったものではなく、当時とうじ平均へいきんてきなパソコンでは性能せいのう不足ふそくだったことと対応たいおうソフトのすくなさに問題もんだいがあったとして結論けつろんづけられた。1987ねん3がつにマイクロソフトのWindows宣伝せんでん担当たんとうは「すわってのんびりしているひまはない。我々われわれはまだスタートしたところだ。だれ最初さいしょのラップでレースに勝利しょうりするとはっていなかった。」とコメントし、Windowsの開発かいはつつづけることをほのめかした[14]

出荷しゅっか本数ほんすう推移すいい

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  • 1987ねん3がつ - 50まんほん突破とっぱ[14]
  • 1987ねん11月 - 100まんほん突破とっぱ[9]

サポート期間きかん

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Windows 1.0 - 2.xはリアルモードようのアプリケーションしかうごかせないため、リアルモードのサポートされたWindows 3.0までは一応いちおうの(メモリ管理かんりじょうの)互換ごかんせいたもたれたものの、Windows 3.0以降いこうでプロテクトモードアプリケーションが主流しゅりゅうになるころには事実じじつじょう製品せいひん寿命じゅみょうえていた。

しかし当時とうじのマイクロソフトでは明確めいかくなサポート期限きげんという概念がいねん存在そんざいせず、製品せいひん寿命じゅみょうぎてフェードアウトした製品せいひんについてはサポートもうやむやになっているような状況じょうきょうだった。しかし企業きぎょうけのみでWindows 95からのえに成功せいこうしたWindows 2000登場とうじょう転機てんきとなり、サポート期間きかんたいするわせが相次あいついだことから、こうけでサポート期限きげんもうけられた[15]。その結果けっか、この時点じてん事実じじつじょう製品せいひん寿命じゅみょうむかえていたWindows 95以前いぜん製品せいひんについて一律いちりつ2001ねん12月31にちにサポートがられ、Windows 1.0も16ねんおよ歴史れきし正式せいしきまくきがおこなわれた。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ RET命令めいれい (0xC3、テキストとしてけば半角はんかくカナの「テ」1文字もじ) はCOMファイルにおいて、開始かいしのスタック状態じょうたいであれば終了しゅうりょうコードとして機能きのうする。わばもっとみじかいCOMプログラムである。

出典しゅってん

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  1. ^ a b [管理人かんりにんのテック雑記ざっきちょう Windowsへん② Windows 1.xのはなし]”. [管理人かんりにんのテック雑記ざっきちょう] Windowsへん② Windows 1.xのはなし. 2021ねん7がつ29にち閲覧えつらん[出典しゅってん無効むこう]
  2. ^ Windowsの歴史れきし Windows 1.0前夜ぜんやへん:MacintoshとWindows 1.0”. ZDnet (2009ねん4がつ21にち). 2015ねん6がつ13にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c 世界せかいのOSたち - GUIの世界せかい移行いこうした「Windows 1.0」”. マイナビ (2013ねん3がつ6にち). 2015ねん6がつ13にち閲覧えつらん
  4. ^ Ballmer sells windows 1.0 - YouTube
  5. ^ 「Windows 1.0」をかえる--帝国ていこくきずくきっかけとなった不評ふひょうOS”. cnet (2013ねん11月21にち). 2015ねん6がつ13にち閲覧えつらん
  6. ^ 特集とくしゅう ウィンドウのこうがわ」『月刊げっかんアスキーだい12かんだい8ごう、1988ねん、166-180ぺーじ 
  7. ^ a b c d e Daniel Ichbiah/Susan L.Knepper ちょむくでん直子なおこ やくだい15しょう 待望たいぼうのWindows」『マイクロソフト-ソフトウェア帝国ていこく誕生たんじょう軌跡きせき-』アスキー、1992ねん7がつ1にち、285-320ぺーじISBN 9784756101181 
  8. ^ わき英世ひでよだいいちしょう おどりでたマイクロソフト」『WINDOWSの時代じだい - マイクロソフトはパソコンをどうえるか』講談社こうだんしゃ、1994ねん3がつ22にち、11-35ぺーじISBN 4061542117 
  9. ^ a b 岩淵いわぶち明男あきお「Part.4 使つかいやすいグラフィカル・ユーザー・インターフェースをつ"ウィンドウズ"の開発かいはつ」『マイクロソフト・ウィンドウズ戦略せんりゃくのすべて - しん情報じょうほうネットワーク時代じだいへの挑戦ちょうせん』TBSブリタニカ、1993ねん10がつ7にち、122-147ぺーじISBN 4484932288 
  10. ^ 福田ふくだ善康よしやす中島なかじまさとし特集とくしゅう 87ねんのOS環境かんきょううらなう MS-WINDOWSのメカニズム」『月刊げっかんアスキーだい11かんだい2ごう、1987ねん、100-105ぺーじ 
  11. ^ Marc Stern (1986-02-03). “Windows Requires Too Much Powers”. Infoworld 8 (5): 33-34. https://books.google.co.jp/books?id=oS8EAAAAMBAJ&lpg=PA33&hl=ja&pg=PA33 2017ねん2がつ11にち閲覧えつらん. 
  12. ^ The Secret History of Microsoft Hardware - Microsoft Mach 10 (1986) - Slideshow from PCMag.com”. Ziff Davis, LLC. (2012ねん7がつ15にち). 2017ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  13. ^ Michael J. Miller (1986-09-01). “Microsoft Depending On Success Of Windows”. Infoworld 8 (35): 30. https://books.google.co.jp/books?id=cS8EAAAAMBAJ&lpg=PA30&hl=ja&pg=PA30. 
  14. ^ a b c Peggy Watt. "Few doing Windows. User, developer apathy plagues year-old interface". Computerworld. March 2, 1987. 2017ねん2がつ11にち閲覧えつらん
  15. ^ マイクロソフト、Windows 98などサポート期限きげんかんする説明せつめいかい開催かいさい”. Impress Watch (2003ねん6がつ10日とおか). 2015ねん8がつ30にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • マーリン・エラー、ジェニファー・エズトロム 『ビル・ゲイツのつみばち三浦みうら明美あけみ(わけ)、アスキー、1999ねんISBN 4-7561-3075-5

外部がいぶリンク

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