ヒトの体をいう。人体でもっとも特徴的であり、また高度な働きをもつ部分は神経系である。この神経系は、人間が下肢で立ち、歩く生活を始めた段階で発達したものであり、他の動物と人間との差を大きく分けるに至った。そして、とくに他の霊長類と人間とを大きく区別したのは、人間が周囲の環境に適応する能力に加えて、環境を人間に適応させる能力(知力)をも兼ね備えるに至ったことであろう。そしてその原動力となったのは人体の肉体的構造である。これによって人体は環境に適応するように進化・発達するとともに、環境を人間に適応させる能力が発達して現在に至ったと考えられる。肉体的構造のなかで、もっとも驚異的であり、精密であるのは脳である。人間は脳を駆使することによって複雑な体の仕組みを統御・調節し、さらにそれらの仕組みを高度に発達させたといえる。脳の働きに応じてとくに活躍したのは骨格と筋の構造である。人間は下肢によって立つ生活を始めたことにより、上肢を使用することが可能となり、飛躍的に発達したと考えることができる。
[嶋井和世]
動物学上、脊椎(せきつい)動物に属するヒトは、基本的には魚類、両生類、爬虫(はちゅう)類、鳥類と共通した秩序によって脊柱の構造ができあがっている。しかし、ヒトの場合には、とくに立位歩行(二足歩行)に対する適応を示すいろいろな特徴が備わっている。哺乳(ほにゅう)類のうちの四足動物では、脊柱が脊髄を保護する重要な器官であると同時に、体勢を維持する、内臓の諸器官を脊柱に付着するなどの役割があるが、ヒトではさらに体の中軸としての重要な役を果たしている。脊柱は33~35個の脊椎骨が、それぞれの脊椎骨の間に椎間円板という軟骨を挟みながら積み重なってつくられており(体節という)、屈伸性やねじれのような運動を可能にしている。たとえば、ヒトでは体をねじる動作は可能であるが、イヌではねじる運動はできない。これは、ヒトの脊柱の構造が体節からなっているということによる。このように、ヒトにおいても、節足動物(昆虫・甲殻類)、環形動物(ミミズ)などにみられる明瞭(めいりょう)な体節構造と同じ機構を備えた部分があり、胴体の長軸の方向に一定間隔で同じ構造が繰り返されている。完成した人体ではあまりこの構造は明瞭でなくなるが、脊柱、肋間(ろっかん)神経、肋間筋、静脈などの一部分にその傾向が認められる。なお、脊柱が自然の彎曲(わんきょく)を示すのは、これによって立位歩行の活動が最小の努力で行えるという生理的結果である。発育期にあまり座位ばかりの生活を続けると、筋の発育の不均衡によってさまざまな異常彎曲を生じ、姿勢が悪くなることがある。
[嶋井和世]
人体を構成する各部の三次元的構造についてその方向や位置を示す場合、一定の解剖学用語が用いられる。一般的表示としては、体を左右等しく半分に分ける線を正中線、この線に一致する割面を正中面、正中面につねに平行な面を矢状(しじょう)面(放った矢の方向)、前頭(額(ひたい))に平行する面を前頭面あるいは前額(ぜんがく)面とよび、この面は正中面や矢状面と直角に交わる面となる。さらに正中面に近い部分は内側、正中面から離れて遠い部分が外側となる。
体幹では上方向を頭側、下方向を尾側、顔面(口吻(こうふん))の方向を吻側、体幹の前を腹側、後ろを背側とよぶ。体肢(上肢・下肢)の場合は運動によって方向、位置が変化することから、上肢では橈(とう)側(橈骨のある側。外側、母指側ともいう)、尺側(尺骨のある側。内側、小指側ともいう)、下肢では脛(けい)側(脛骨のある側。内側、母指側ともいう)と腓(ひ)側(腓骨のある側。外側、小指側ともいう)の区別がある。また、体幹に近い部分を近位、遠く離れる部分を遠位とよぶ。これらの用語はとくに人体と動物体とを比較表現する場合に必要となる。人体の構造の場合、外形や骨格、筋は正中矢状断によって分けても左右がほぼ等大の対称的構造であるが、各部分についてみると非対称的な部分もかなり多い。内臓についてはとくにその傾向が強い。なお、上肢の場合、右利きでは右上肢が左上肢よりも長いとされる。また内臓が正常の位置とまったく逆の場合がまれにあり、これを全逆位という。
[嶋井和世]
人体は外形から頭頸部(とうけいぶ)、体幹(躯幹(くかん)・胴体)および体肢(四肢)に区別され、体幹は、胸部、背部、胴部および骨盤部(会陰(えいん)を含む)を区別する。頭は前面に顔面、その上方に頭蓋(とうがい)が区別できる。頭と胴は頸(くび)でつながり、頸の背側部が項(うなじ)となる。頭に続く部分として上方から頸、胸、腹があり、下端に骨盤を内容とした腰が位置する。頸、胸、腹の後ろが全長にわたって背部になる。この最下部は殿部(臀部(でんぶ))となる。胴は全体としてほぼ円柱形であるが、多少前後に扁平(へんぺい)となっている。ヒトの四肢は立位歩行の生活様式に適応するように他の四足動物とは異なる形態変化を示すが、とくに下肢にその特徴が著明に表れている。動物の前肢に相当するヒトの上肢は細かい屈伸作用や把握の運動、感覚などが発達し、活動範囲も広いが、骨、筋の発育は下肢と比べて著しく小さく、弱い。下肢は人類の表徴ともいうべき部分で、全体にわたり強大な発育を示し、頑丈につくられている。下肢は歩行、走行、跳躍などの運動の基本的な役割を果たしているが、運動範囲は上肢よりも狭い。上肢は上腕・前腕・手を区別し、下肢では大腿(だいたい)・下脚・足を区別する。なお、ヒトの骨盤は立位歩行の段階で腹部内臓諸器官の受け皿としての意義が深くなってくる。とくに女性の骨盤は、子宮による胎児の維持、胎児出産の産道の役割を果たすため、男性よりも広く発達している。
[嶋井和世]
人体の全表面は皮膚で覆われているが、口、鼻孔、肛門(こうもん)、泌尿器、生殖器の開口部では皮膚から内腔(ないくう)の粘膜へ移行するのがみられる。皮膚はその一部である毛、爪(つめ)などとともに体表面を防護しているが、体を取り巻く環境状況を把握する受容器の一部でもあるため、感覚器官にも属している。また、皮膚は体温調節器でもある。骨格は人体の基礎として体全体を支えるとともに、骨格に付着する骨格筋やそれらに伴う血管、神経などの支配を受けて運動にも関与する。なお、頭蓋骨は脳を収容して人体の統御器官を保護している。人体内部にはこの頭蓋腔のほかに、横隔膜によって仕切られる体腔(上方の胸腔と下方の腹腔)がある。胸腔には主として呼吸器、循環器(左右肺臓・心臓)が収まる。胸腔のなかで左・右肺に挟まれた中間腔は胸縦隔とよび、心臓、胸大動脈、気管、気管支、食道などの重要な臓器を収容している。腹腔にはおもに消化器系と泌尿生殖器系の臓器が収まる。骨盤腔内に収められている臓器は膀胱(ぼうこう)や生殖器官であり、これを骨盤臓器とよぶ。これらの人体臓器の栄養と呼吸代謝をつかさどるのが血管系であり、血管系は胸腔の心臓から始まる。まず心臓から動脈が出て身体各器官に達するが、その間に動脈はしだいに細くなり、毛細血管となる。毛細血管は、ついで静脈にかわり、静脈はしだいに太さを増し心臓に戻る。動脈と静脈とは体内では原則的には並行して走るが、皮下静脈や門脈系では単独に走る。また、全身に張り巡らされたリンパ系も最終的には静脈に流入する。
これらの人体を構成する器官は一般に、骨格系、筋系(骨格筋系)、循環器系(血管、リンパ管)、消化器系、呼吸器系、泌尿器系、生殖器系、感覚器系(耳、鼻、舌、目、皮膚)、神経系、内分泌系というように、いくつかの系統に分けられている。
[嶋井和世]
人体の大きさを示す身長、体重は、ともに年齢差、個人差があるほか、生活環境、食生活、健康状態によってもさまざまな差が出るが、日本人成人の身長、体重の平均(2000年の平均)は次のようになる。身長は20歳男子で170.4センチメートル、女子で158.2センチメートル、体重は20歳男子で65.1キログラム、女子で52.5キログラムである。日本人の体の大きさはかつては小柄であったが、生活内容の向上、生活様式の変化に伴って、しだいに身長、体重の平均値が増大している。また、一般に身長、体重ともに1日の生活のなかで変化を示す。身長は午後になると1~2センチメートル短縮し、体重は夕刻ころになると平均2キログラム前後増加する。
従来から日本人は胴長短足といわれ、全体の姿勢からみると見栄えはよくないとされるが、これは人種差、遺伝的な素因などがかかわるため、解決しがたい要素といえる。胴長を数字的に表現するのは座高であるが、座高と身長との比を座高比とよび、この比は平均身長が伸びてもあまり変化しないものである。人間の場合、股(また)の位置を境にして上体と下体の比はおよそ1対1である。また、成人では頭長を1とすると、それ以下は7の割合となるいわゆる八頭身がもっとも均衡のとれた体型といわれる。
体の発育の程度はいろいろの指数によって示されるが、よく用いられる指数には、比体重(体重を身長で除した値)、ローレル指数(体重を身長の3乗で割り、107を乗じた値)、クラウス指数(胸囲の2乗を身長で除した値)などがある。また、人体の各部、つまり頭部、頸部、胸部、腹部、下肢などの長さの比率は成長の時期によって著しい変化を示すし、男女差もあるが、新生児では四頭身を示す。
人体の体型については人種差、男女差が基本的に存在するほか、年齢差、個人差が加わって複雑になるが、体型の分類でもっとも一般的なのはドイツの精神科医クレッチマーによる体型分類である。これは体型を3型に分類するもので、第1型は細長(狭長)型、第2型は筋骨型、第3型は肥満型となる。細長型は一般にやせ型で、身長は高いが骨格も細く、筋の発育が弱い。また、体重は身長のわりに少なく、全体に弱々しい感じの体型である。筋骨型は全体に骨格がしっかりとしており、筋肉もよく発育している型で、肩幅や胸郭が広く、身長は平均値よりも高い。肥満型は脂肪組織が多量に存在する型で、とくに体幹部に脂肪組織が沈着しているのが特徴である。そのため腹部の膨隆が目だち、頸は太くて短い。頭髪も年齢増加に伴ってはげやすくなる。このほか、体型分類には無力性体型とか、内臓下垂型、筋力型などに分類するものもあるが、個人個人をこうした体型に明確に位置づけることは困難であるため、多くの場合、混合型となる。
[嶋井和世]
すでに述べたように、人体の構造は解剖学的にはいくつかの系統に分けられ、それらの各系統に属する諸器官は総合的に働いて人体の生活活動を支えている。その生活に「動」の統御・調節を行うのが神経系のなかの脳脊髄である。神経系は、その働きのうえから動物神経系と植物神経系に分けられる。動物神経系は人体の運動作用や感覚作用など、動物一般に備わっている働きをつかさどるため、この名称がある。植物神経系は人体の消化、呼吸、腺(せん)分泌や排泄(はいせつ)、血液の循環、生殖作用など、われわれの意志の活動とは別に、生命現象を統御・調節する自律的な作用をつかさどるもので、同様の作用が植物の代謝、生育活動にもみられることからこの名称がある。これらの神経系の活動によって人体には高度の精神作用が発達していることとなる。
人体の諸器官は基本的には4組織、つまり上皮組織、支持組織、筋組織、神経組織の組合せによって構成されている。これら組織をつくる単位が細胞である。人体の細胞の大きさは平均すれば10~20マイクロメートルほどであるが、最小は血液中のリンパ球(径5マイクロメートル)、最大は卵子(径200マイクロメートル)である。なお、種々の刺激興奮を伝達する神経細胞の突起(神経線維)は1メートルほどになるものもある。体内では同じ形態、同じ働きをもつ細胞が集まって一つの組織をつくる。
上皮組織は、体の表面(皮膚)やこれに続く器官の内腔の表面(粘膜)を覆う細胞の集まりであり、分化した分泌腺も上皮組織からできている。支持組織は体内ではもっとも広く分布するものであり、その種類も多い。支持組織の一つである結合組織は、各器官相互間や器官の実質の中に入り込んで細胞のつなぎの役をするものであり、その働きはきわめて複雑である。また、結合組織は器官の修復にも重要な役割を果たしている。支持組織に含まれるその他の組織として、骨(こつ)組織、軟骨組織、血液などがある。筋組織は筋細胞(線維)で構成され、もっぱら収縮をその役割としている。人体では平滑筋、横紋筋、心筋の3種類がある。神経組織は、神経細胞とその突起(神経線維)およびそれらの間を埋めている神経膠細(こうさい)からなっている。
人体の各臓器はこれら各種の組織の組合せで構成されている。たとえば、胃や腸の場合は上皮組織、支持組織のうちの結合組織、筋組織で構成されており、脳脊髄はほとんど神経組織だけでできているなどである。1個の受精卵から出発した人体は、その分裂・増殖と分化によって、これまで述べてきたようなきわめて精密な、また複雑な構造と機能をもつに至るわけである。このことを考えれば、人体にはまだまだ多くの未知、未開の部分があるということができる。
[嶋井和世]