デジタル大辞泉だいじせん 「袴着はかまぎ」の意味いみ・読よみ・例文れいぶん・類語るいご はかま‐ぎ【×袴着はかまぎ】 幼児ようじが初はじめて袴はかまをつける儀式ぎしき。古ふるくは3歳さい、後世こうせいでは5歳さいまたは7歳さいに行おこない、しだいに11月15日にちの七なな五ご三さんの祝いわいとして定着ていちゃく。着き袴はかまちゃっこ。 出典しゅってん 小学館しょうがくかんデジタル大辞泉だいじせんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい
精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてん 「袴着はかまぎ」の意味いみ・読よみ・例文れいぶん・類語るいご はかま‐ぎ【袴着はかまぎ】 〘 名詞めいし 〙① 幼児ようじから少年しょうねん少女しょうじょに成長せいちょうすることを祝いわって、初はじめて袴はかまをつける儀式ぎしき。年齢ねんれいは家庭かていの状況じょうきょうにより一定いっていしないが、もっぱら三さん歳さいから七なな歳さいまでに行おこなった。江戸えど時代じだい、一いち一いち月がつ一いち五ご日にちに、七なな・五ご・三さんの祝いわいとして、男女だんじょ三さん歳さいの時ときの髪かみ置おきと、女子じょし七なな歳さいの帯おび解ときをあわせて祝いわった。着き袴はかま(ちゃっこ)。袴はかまの着ちゃく初はつ。はかま。《 季語きご・冬ふゆ 》袴着はかまぎ①〈小笠原おがさわら諸しょ礼れい大全たいぜん〉[初出しょしゅつの実例じつれい]「この御子みこ、三みっつになり給きゅうふ年ねん、御ごはかまぎのこと一いちの宮みやのたてまつりしにおとらず」(出典しゅってん:源氏物語げんじものがたり(1001‐14頃ごろ)桐きり壺つぼ)② 袴はかまをはくこと。着ちゃく袴はかま。[初出しょしゅつの実例じつれい]「流人るにんとして先例せんれいのない袴着はかまぎ(ハカマギ)帯刀たいとうの姿すがたで」(出典しゅってん:堺さかい事件じけん(1914)〈森もり鴎外おうがい〉) 出典しゅってん 精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてん精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい
改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん 「袴着はかまぎ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 袴着はかまぎ (はかまぎ) 平安朝へいあんちょうの宮廷きゅうてい貴族きぞく社会しゃかいで行おこなわれた通過つうか儀礼ぎれいの一ひとつで,男女だんじょとも3~7歳さいぐらいのころ初はじめて袴はかまを着つける儀式ぎしきをいう。袴はかま著ちょとも書かき,和文わぶんの文学ぶんがく作品さくひんでの呼よび方かたで,漢かん文体ぶんたいの公卿くぎょう日記にっき,儀典ぎてん書しょなどでは〈着き(著ちょ)袴はかま(ちやつこ)〉という。戸と令れいに〈凡およそ男女だんじょは3歳さい以下いかを黄き(幼児ようじの年齢ねんれい区分くぶん呼称こしょう)と為ため(せ)よ〉とあり,この時期じきを成長せいちょう段階だんかいの第だい一いち区分くぶんと考かんがえていたのであろう。皇子おうじ・皇女おうじょでは3歳さいの例れいがもっとも多おおい。吉きち日吉ひよし時じを選えらんで行おこなわれた。式しきで腰こしを結むすぶ役やくは重要じゅうよう視しされ,皇子おうじや皇女おうじょの場合ばあいは天皇てんのうみずからその任にんに当あたることが多おおかった。鎌倉かまくら時代じだい以後いごは武家ぶけでも行おこなわれ,室町むろまち時代じだいには直垂ひたたれ(ひたたれ),江戸えど時代じだいには武家ぶけ・庶民しょみんとも麻あさ裃かみしも(あさかみしも)を用もちいた。式しきのあと宴えんを設もうけ,産土うぶすな(うぶすな)神かみにもうでたりした。現在げんざいの皇室こうしつでは,数かぞえ年どし5歳さいで初はじめて袴はかまを着つける〈着き袴はかまの儀ぎ〉が行おこなわれ,男子だんしは白しろい袴はかまに童形どうぎょう(どうぎよう)服ふく,女子じょしは濃こき色いろ(濃こい紫色むらさきいろ)の袴はかまに袿(うちぎ)を着つける。執筆しっぴつ者しゃ:中村なかむら 義雄よしお 出典しゅってん 株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ「改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん」改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてんについて 情報じょうほう
ブリタニカ国際こくさい大だい百科ひゃっか事典じてん 小しょう項目こうもく事典じてん 「袴着はかまぎ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 袴着はかまぎはかまぎ 着き袴はかま (ちゃっこ) ともいう。幼児ようじに初はじめて袴はかまをはかせる儀式ぎしき。古ふるくは男女だんじょの別べつなく3~7歳さいの間あいだに行おこない,江戸えど時代じだい以降いこう5歳さいの男児だんじに定着ていちゃくした。平安へいあん時代じだいにはもっぱら公家くげの間あいだに行おこなわれたものであるが,のちに武家ぶけ,さらに庶民しょみんの間あいだにも行おこなわれるようになった。幼児ようじを吉きちの方角ほうがくに向むけて碁盤ごばんの上うえに立たたせ,麻あさの裃かみしも (かみしも) を着きせ,左ひだりの足あしから袴はかまをはかせ,初はじめて双そう刀かたなを差ささせた。父親ちちおやか高こう職しょくにある人ひとや夫婦ふうふ健全けんぜんで子孫しそん隆盛りゅうせいな人ひとを親おやと頼たのみ,氏神うじがみに詣もうで,親戚しんせきや知人ちじん宅たくを訪たずねたり,自宅じたくに客きゃくを招まねいて小宴しょうえんを開ひらいて祝いわった。近世きんせい以降いこう旧暦きゅうれき 11月がつ 15日にちに行おこなわれるようになり,七五三しめ (11月 15日にち) の風習ふうしゅうとなった。 出典しゅってん ブリタニカ国際こくさい大だい百科ひゃっか事典じてん 小しょう項目こうもく事典じてんブリタニカ国際こくさい大だい百科ひゃっか事典じてん 小しょう項目こうもく事典じてんについて 情報じょうほう
百科ひゃっか事典じてんマイペディア 「袴着はかまぎ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 袴着はかまぎ【はかまぎ】 幼年ようねん期きから少年しょうねん期きへの移うつりめの儀式ぎしき。以後いごは男女だんじょ異ことなる衣服いふくをつける。平安へいあん時代じだいには3歳さい,近世きんせいには7歳さいに行いった。吉日きちじつを選えらび,子こを碁盤ごばん上じょうに立たたせて初はじめて袴はかまをはかせるが,烏帽子えぼし(えぼし)親おやと同様どうよう,腰紐こしひも(こしひも)を結むすぶのを有力ゆうりょく者しゃに依頼いらいすることも多おおかった。→関連かんれん項目こうもく七なな五ご三さん 出典しゅってん 株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ百科ひゃっか事典じてんマイペディアについて 情報じょうほう
歌舞伎かぶき・浄瑠璃じょうるり外題げだいよみかた辞典じてん 「袴着はかまぎ」の解説かいせつ 袴着はかまぎはかまぎ 歌舞伎かぶき・浄瑠璃じょうるりの外題げだい。初演しょえん寛文ひろふみ8.12(江戸えど・松平まつだいら大和やまと守もり邸てい) 出典しゅってん 日外にちがいアソシエーツ「歌舞伎かぶき・浄瑠璃じょうるり外題げだいよみかた辞典じてん」歌舞伎かぶき・浄瑠璃じょうるり外題げだいよみかた辞典じてんについて 情報じょうほう
日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ) 「袴着はかまぎ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 袴着はかまぎはかまぎ →着き袴はかま 出典しゅってん 小学館しょうがくかん 日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)について 情報じょうほう | 凡例はんれい
世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん(旧版きゅうばん)内うちの袴着はかまぎの言及げんきゅう 【七なな五ご三さん】より …現在げんざいでは髪かみ置おけ祝しゅくは東北とうほくから九州きゅうしゅうにわたって言葉ことばとして残のこっているにすぎない。男児だんじ5歳さいの袴着はかまぎ(はかまぎ)の祝いわいは,武家ぶけの風かぜを受うけつぐもので,明治めいじ時代じだいには士族しぞくや上流じょうりゅう家庭かていでは,5歳さいの男児だんじにはじめて袴はかまをつけて碁盤ごばんの上うえに立たたせて祝宴しゅくえんを行おこなった。北陸ほくりく,中部ちゅうぶ地方ちほうなどでは,袴はかま祝しゅくとか袴はかまつけ,裃かみしも着ぎ(かみしもぎ)などといい,男児だんじだけの祝いわいをする例れいが多おおいが,5歳さいの女児じょじがヒモオトシ,オビツケの祝いわいを行おこなう地方ちほうもある。… ※「袴着はかまぎ」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつの一部いちぶを掲載けいさいしています。 出典しゅってん|株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ「世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん(旧版きゅうばん)」