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道中奉行(ドウチュウブギョウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

道中どうちゅう奉行ぶぎょうみ)ドウチュウブギョウ

デジタル大辞泉だいじせん道中どうちゅう奉行ぶぎょう」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

どうちゅう‐ぶぎょう〔ダウチユウブギヤウ〕【道中どうちゅう奉行ぶぎょう

江戸えど幕府ばくふ職名しょくめい老中ろうじゅう支配しはいにあって、街道かいどう宿場しゅくば伝馬てんまてんま宿屋やどや飛脚ひきゃくまり、道路どうろ管理かんり訴訟そしょうなどをつかさどった。大目おおめづけ勘定かんじょう奉行ぶぎょう兼職けんしょく

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どうちゅう‐ぶぎょうダウチュウブギャウ道中どうちゅう奉行ぶぎょう

  1. 名詞めいし 江戸えど幕府ばくふ職名しょくめい街道かいどうとその付属ふぞく街道かいどう宿駅しゅくえき伝馬てんま宿泊しゅくはく飛脚ひきゃくなどの取締とりしまり、道路どうろ橋梁きょうりょうなどの普請ふしん宿場しゅくば公事こうじ訴訟そしょうなど、道中どうちゅうすじ一切いっさいのことをつかさどった。万治まんじねんいちろくきゅう)、だい目付めつけ高木たかぎ伊勢いせまもるもりひさ兼任けんにん最初さいしょで、元祿げんろくいちいちねんいちろくきゅうはち)、勘定かんじょう奉行ぶぎょう松平まつだいら美濃みの守重もりしげりょう兼務けんむして以後いご大目おおめづけ勘定かんじょう奉行ぶぎょうからいちにんずつ兼帯けんたいした。老中ろうじゅう支配しはいぞくし、配下はいか道中どうちゅうかたがあった。
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「道中どうちゅう奉行ぶぎょう道中どうちゅうすじにおゐて、ごまのはい、くもすけなとさるものゆう」(出典しゅってん触書ふれがきひろし集成しゅうせい正徳しょうとくろくねん(1716)よんがつ)

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道中どうちゅう奉行ぶぎょう (どうちゅうぶぎょう)

江戸えど時代じだい街道かいどうとその付属ふぞく街道かいどうにおける宿駅しゅくえき取締とりしまりや道路どうろ橋梁きょうりょうなど,道中どうちゅう一切いっさいのことをそうかんした幕府ばくふ役職やくしょく。その史料しりょうじょうはつは《吏徴べつろく》が〈大目おおめづけ 寛永かんえい九年壬申十二月始置四人,道中どうちゅう奉行ぶぎょう兼帯けんたい〉として水野みずの河内かわうちまもるもりしんら4めいをあげた記事きじであるが,一般いっぱんてきには1659ねんまん2)7がつ19にち大目おおめづけ高木たかぎ伊勢いせまもるもりひさはじめて道中どうちゅう奉行ぶぎょう兼帯けんたいしたのをはじまりとする。道中どうちゅう奉行ぶぎょう大目おおめづけ兼帯けんたい1人ひとりしょくであったが,98ねん元禄げんろく11)勘定かんじょう奉行ぶぎょう松平まつだいら美濃みの守重もりしげりょう道中どうちゅう奉行ぶぎょうやくとなって以来いらい大目おおめづけ勘定かんじょう奉行ぶぎょう兼帯けんたいする2人ふたりしょくとなり,大目おおめづけねる場合ばあい兼帯けんたいといって主席しゅせき勘定かんじょう奉行ぶぎょうのそれはやくといって次席じせきとした。道中どうちゅう奉行ぶぎょうしたには道中どうちゅうかたがあり,勘定かんじょう組頭くみがしらのうち伺方,帳面ちょうめんかた組頭くみがしらのいずれかがね,支配しはい勘定かんじょう4にんがこれに付属ふぞくした。その職掌しょくしょうは,伝馬てんま宿やど入用にゅうようとう下付かふまいきん宿やど貸付かしつけじょさとわりかえ並木なみき管理かんりみちきょう普請ふしん等々とうとう多岐たきにわたる。なお,道中どうちゅう奉行ぶぎょうやくりょうは,1723ねんとおる8)以降いこう年間ねんかんまい3000せきずつ,1805ねん文化ぶんか2)からは年間ねんかんきん250りょうずつを支給しきゅうされた。
執筆しっぴつしゃ

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道中どうちゅう奉行ぶぎょう【どうちゅうぶぎょう】

江戸えど幕府ばくふ職名しょくめい街道かいどうとその付属ふぞく街道かいどうにおける宿駅しゅくえき取締とりしまり,道路どうろ橋梁きょうりょうその道中どうちゅうかんするすべそうかんした。17世紀せいきなか大目おおめづけ兼帯けんたい1人ひとり)としてはじまり,のち勘定かんじょう奉行ぶぎょう兼帯けんたい2人ふたりせいとなる。やくりょうは1723ねん以降いこう300せき,1805ねんからかね250りょう配下はいか道中どうちゅうかたがいる。
関連かんれん項目こうもく犬伏いぬぶし京街道きょうかいどう街道かいどう日光にっこう成道じょうどう日光にっこう例幣れいへい使街道かいどうわき街道かいどう

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日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)道中どうちゅう奉行ぶぎょう」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

道中どうちゅう奉行ぶぎょう
どうちゅうぶぎょう

江戸えど時代じだい街道かいどうとその付属ふぞく街道かいどう取締とりしまりや道路どうろ橋梁きょうりょう(きょうりょう)など、道中どうちゅう関係かんけいのすべてを管掌かんしょうした幕府ばくふ役職やくしょく道中どうちゅう奉行ぶぎょうはつは『吏徴べつろく』の「大目おおめづけ(おおめつけ) 寛永かんえい(かんえい)きゅうねんみずのえさる(みずのえさる)(1632)じゅうがつはじめおけよんにん道中どうちゅう奉行ぶぎょう兼帯けんたい」という記事きじであるが、一般いっぱんてきには1659ねんまん2)大目おおめづけ高木たかぎ伊勢いせまもるまもりひさし(いせのかみもりひさ)がはじめて道中どうちゅう奉行ぶぎょう兼任けんにんしたのをはじまりとする。その、1698ねん元禄げんろく11)勘定かんじょう(かんじょう)奉行ぶぎょう松平まつだいら美濃みのまもる(みのかみ)重良しげよし(しげなが)が道中どうちゅう奉行ぶぎょうやく(かやく)となって以降いこう大目おおめづけ勘定かんじょう奉行ぶぎょう兼任けんにん二人ふたりしょくとなった。大目おおめづけしたには道中どうちゅうかたがあり、勘定かんじょう組頭くみがしらのうち伺方(うかがいかた)、帳面ちょうめんかた組頭くみがしら一方いっぽうね、支配しはい勘定かんじょう4にんがこれに付属ふぞくした。その職掌しょくしょうは、伝馬てんま宿やど入用いりよう(ごてんまじゅくにゅうよう)などの下付かふまいきん宿やど貸付かしつけじょさとわりかえ(すけごうわりかえ)、並木なみき管理かんりみちきょう普請ふしん(ふしん)など多岐たきにわたる。

丸山まるやま雍成

丸山まるやま雍成ちょ近世きんせい宿駅しゅくえき基礎きそてき研究けんきゅう だいいち』(1975・吉川弘文館よしかわこうぶんかん)』

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道中どうちゅう奉行ぶぎょう
どうちゅうぶぎょう

江戸えど幕府ばくふ職名しょくめい街道かいどうとその付属ふぞく街道かいどう宿駅しゅくえき伝馬てんま旅宿りょしゅく飛脚ひきゃくなどの取締とりしまりや,道路どうろ橋梁きょうりょう以下いか道中どうちゅうかんするすべてのことを管掌かんしょうした。はつしつらえは1632ねん(寛永かんえい9)の記事きじがあるが,一般いっぱんてきには59ねん(まん2)大目おおめづけ兼任けんにんをはじめとする。98ねん(元禄げんろく11)以降いこう大目おおめづけ勘定かんじょう奉行ぶぎょう兼任けんにん2人ふたりしょくとなった。老中ろうじゅう支配しはいやくりょうは1723ねん(とおる8)以後いご3000せき,1805ねん(文化ぶんか2)からはかね250りょう支給しきゅう下僚かりょう道中どうちゅうかたがあり,勘定かんじょう組頭くみがしらのうち伺方・帳面ちょうめんかた組頭くみがしら一方いっぽう兼任けんにんし,支配しはい勘定かんじょう4にんがこれに付属ふぞくした。職掌しょくしょう伝馬てんま宿やど入用にゅうようきんなどの下付かふまいきん宿やどじょさと貸付かしつけじょさとわりかえ街道かいどう並木なみき一里塚いちりづか管理かんりみちきょう普請ふしんなどであった。

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道中どうちゅう奉行ぶぎょう
どうちゅうぶぎょう

江戸えど幕府ばくふ職名しょくめい万治まんじ2 (1659) ねん大目おおめづけ兼職けんしょくとして設置せっちされ,元禄げんろく 11 (98) ねん勘定かんじょう奉行ぶぎょうくわわって2人ふたりとなり,そのした道中どうちゅうかたがおかれた。街道かいどう管理かんりし,宿場しゅくば飛脚ひきゃくなど交通こうつう通信つうしんかんする行政ぎょうせいにあたった。

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世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばんうち道中どうちゅう奉行ぶぎょう言及げんきゅう

街道かいどう】より

…2~3さとごとに宿やどもうけて,人馬じんば常備じょうびさせ,公用こうよう旅行りょこうしゃ物資ぶっし逓送ていそうさせた。それらの管理かんり初期しょきには代官だいかんまた老中ろうじゅうなども関与かんよしていたが,1659ねん(まん2)以降いこう道中どうちゅう奉行ぶぎょういて専管せんかんさせた。道中どうちゅう奉行ぶぎょう管理かんりにあったのは,東海道とうかいどう(品川しながわ京都きょうとだいざか),中山道なかせんどう(板橋いたばし守山もりやま草津くさつ東海道とうかいどうとなる),日光にっこうどうちゅう(千住せんじゅ日光にっこう),奥州おうしゅうどうちゅう(宇都宮うつのみや白河しらかわ),甲州こうしゅうどうちゅう(内藤ないとう新宿しんじゅく上諏訪かみすわ下諏訪しもすわ中山道なかせんどうむすぶ)の街道かいどうのほか,東海道とうかいどう中山道なかせんどうむす美濃みの(熱田あつた垂井たるい),東海道とうかいどうわき街道かいどうというべき佐屋さた(熱田あつた桑名くわな),本坂ほんざかどおり(浜松はままつあぶらまたは吉田よしだ),山崎やまざきとおる(伏見ふしみ山陽さんようどう西宮にしのみや),中山道なかせんどう日光にっこうどうちゅうむす例幣れいへい使どう(倉賀野くらがの壬生みぶ(みぶ)どおり楡木たまのきへ),日光にっこうどうちゅうわき街道かいどうというべき日光にっこう成道じょうどう(岩淵いわぶちがんつき日光にっこうどうちゅう幸手さってへ),壬生みぶ(みぶ)どおり(日光にっこうどうちゅう小山こやまからかれ,飯塚いいづか壬生みぶひとし日光にっこうどうちゅう今市いまいちへ)がある。…

街道かいどう】より

街道かいどう付属ふぞくして,美濃みの佐屋さたほん坂道さかみち(ほんさかみち)(ひめ街道かいどう),山崎やまざき街道かいどう日光にっこう成道じょうどう壬生みぶどおり,日光にっこう例幣れいへい使どう水戸みと佐倉さくらどう(一部いちぶ)などがあって,幕府ばくふ直轄ちょっかつになった。幕府ばくふではこれらを管理かんりするために1659ねん(まん2)に道中どうちゅう奉行ぶぎょうき,大目おおめづけ1めいねさせ,98ねん(元禄げんろく11)勘定かんじょう奉行ぶぎょうの1めいにもねさせ,以来いらい2めいとなった。街道かいどう改修かいしゅう整備せいび架橋かきょう渡船とせん並木なみき宿駅しゅくえきじょさと人馬じんば賃銭ちんせんかんすることなどは,まくりょうわたしりょうわず道中どうちゅう奉行ぶぎょう管轄かんかつした。…

※「道中どうちゅう奉行ぶぎょう」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつ一部いちぶ掲載けいさいしています。

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