屋比久知奈

ミュージカルのはなしをしよう だい15かい [バックナンバー]

屋比久やびく奈、みんな一緒いっしょにその共有きょうゆうする感覚かんかくき(前編ぜんぺん

舞台ぶたい世界せかいむなら“いま”しかないとおもった

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きるためのたたかいから、1人ひとり人物じんぶつ生涯しょうがいえるようなこいときめてしまうほどの喪失そうしつ日常にちじょう風景ふうけいまで、さまざまなストーリーをドラマチックな楽曲がっきょくげ、ものしんげき世界せかいへとはこんでくれるミュージカル。そのきない魅力みりょくを、つくしゅとなるアーティストやクリエイターたちはどんなところにかんじているのだろうか。

このコラムでは、毎回まいかい1にんのアーティストにフィーチャーし、ミュージカルとの出会であいやこれまでの転機てんきのエピソードから、なぜミュージカルにかれ、かかわりつづけているのかをき、その奥深おくふかさをひもといていく。

だい15かい登場とうじょうするのは、けるような歌声うたごえ観客かんきゃくしんをつかむ屋比久やびく。「どこでもうたってしまう子供こどもだった」という屋比久やびくは、4さいからバレエをならはじめ、琉球大学りゅうきゅうだいがく在学ざいがくちゅうに「あつまれ!ミュージカルのど自慢じまん」で最優秀さいゆうしゅうしょう受賞じゅしょう。22さいのとき、ディズニー・アニメーション映画えいがモアナと伝説でんせつうみ」ヒロインやくの吹替と主題歌しゅだいか歌唱かしょう鮮烈せんれつなプロデビューをかざると、その「タイタニック」「レ・ミゼラブル」天使てんしにラブ・ソングを~シスター・アクト~」など、話題わだいのミュージカルに次々つぎつぎ出演しゅつえんした。そんな屋比久やびくに、まずは沖縄おきなわでの幼少ようしょうおもや、アメリカ留学りゅうがくけた衝撃しょうげきえんがつながって実現じつげんした芸能げいのうかいデビューにかたってもらった。

取材しゅざいぶん / 中川なかがわ朋子ともこ

姉妹しまいでモスラをんでいた?バレエや音楽おんがくともごした少女しょうじょ時代じだい

──屋比久やびくさんは、4さいころからクラシックバレエをならっていたそうですね。

はい。ははがバレエの先生せんせいで、わたしあねが3・4さいころ教室きょうしつひらいたんです。ちちはクラシック音楽おんがく大好だいすきで、子供こども時代じだいから音楽おんがくやバレエにれる機会きかいおおかったですね。当時とうじはバレエダンサーにあこがれていましたが、わたしうた大好だいすきで。どこでもうたってしまう子供こどもだったので、よくお風呂ふろうたっていました。近所きんじょのおばあちゃんから「今日きょううたっていたね」とこえをかけられることがあって、ずかしかったです(笑)。こえおおきかったので、家族かぞくには「あなたはうたになるかもね」とわれたことをおぼえています。

ピンと背筋を伸ばして座る、5歳頃の屋比久。

ピンと背筋せすじばしてすわる、5さいごろ屋比久やびく

──ちいさいころはどんな音楽おんがくきだったのですか?

いろいろいていましたが、その時々ときどきみみのこったきょくをひたすら練習れんしゅうしていましたね。ディズニーソングや英語えいご童謡どうようおおかったのですが、あねわたしもなぜか映画えいが「モスラ」のきょくきで。1にちちゅう「モスラーヤ、モスラー♪」とうたっていたので、おやは「勘弁かんべんして!」というかんじだったかも(笑)。それからKiroroさんの「未来みらいへ」はすごくおものこっています。わたしちいさいころははがよくながしていたので、歌詞かし意味いみもわからないままにうたっていましたね。

──人生じんせいはじめてたミュージカルは劇団四季げきだんしきの「ライオンキング」だそうですね。

小学しょうがく1年生ねんせいくらいのとき、家族かぞく東京とうきょうき、観劇かんげきしました。舞台ぶたいにはわたし大好だいすきなおどりやうたがギュッとまっていて、キラキラしていて、「こんな世界せかいがあるんだ!」と衝撃しょうげきけました。CDできょくおぼえて、いえ1人ひとりで「ライオンキング」をえんじていましたね(笑)。「ヤングナラをやってみたいな」という気持きもちもありましたが、当時とうじはただあこがれていたのだとおもいます。以降いこう家族かぞくでよく東京とうきょう観劇かんげききましたし、沖縄おきなわなに公演こうえんがあればそのたびにれてってもらいました。

──初舞台はつぶたいはやはりバレエの発表はっぴょうかい

そのはずですが、じつはまったく記憶きおくがなくて……でも子供こどものときから舞台ぶたいかぎらず、自分じぶんがしたことにたいしてリアクションをもらえることがうれしくて、一発いっぱつげい披露ひろうすることもありました(笑)。まわりのひと拍手はくしゅしてくれたり、笑顔えがおになってくれたりすることがよろこびでしたし、みんなが一緒いっしょにその共有きょうゆうしているという感覚かんかくきですね。

バレエを踊る、13歳頃の屋比久。

バレエをおどる、13さいごろ屋比久やびく

アメリカ留学りゅうがくで「自分じぶんなにっていない」とおもった

──屋比久やびくさんはTOEICで915てんをマークするほど英語えいごがお得意とくいです。なぜ英語えいご興味きょうみったのですか?

英語えいご英語えいごけん文化ぶんかが、むかしから身近みぢかだったんです。ちいさいころから映画えいが字幕じまくたり、はは英語えいごうたかせてくれたりしていて、わりはや段階だんかいでアルファベットをおぼえました。それにわたしのおばはアメリカにんでいますし、沖縄おきなわという土地とちもアメリカと交流こうりゅうがあります。意識いしきてきに「英語えいご勉強べんきょうしたい!」とおもったきっかけは、小学しょうがく6年生ねんせいくらいのときに映画えいが「ハイスクール・ミュージカル」でした。楽曲がっきょく自体じたい素敵すてきですし、リズミカルな英語えいごひびきが音楽おんがくてきですごくき。英語えいごには日本語にほんごとはまたちがったうつくしさやたのしさがあるし、表現ひょうげんはばひろくていなとおもいました。それで自分じぶんなりに歌詞かしして辞書じしょいたりして、勉強べんきょうはじめました。

──高校こうこう在学ざいがくちゅうには、ミシガンしゅう高校こうこうに10カ月かげつあいだ留学りゅうがくされました。留学りゅうがくさき印象いんしょうのこったことは?

やはりアメリカは多様たようせいくにだな、というのがだいいち印象いんしょうでした。「1人ひとりひとりがくにうごかしていくんだ」というエネルギーをかんじて、それがすごくカッコよかった。アメリカでは個々ここ意見いけん価値かちかん尊重そんちょうされているというより、むしろ必要ひつようとされています。調和ちょうわおもんじる日本にっぽんとは教育きょういく方針ほうしんちがうので、授業じゅぎょうかならず「この問題もんだいについてあなた自身じしんはどうおもう?」とわれるし、ディベートやディスカッションが積極せっきょくてきれられていました。議論ぎろんするときって、たとえなんとなくかんがえていることがあっても「みんなにどうおもわれるかな」「反対はんたいされたらどうしよう」とくちすのをためらうことがあるとおもうんです。だけどアメリカでは“反対はんたい”も意見いけんの1つとしてきちんとめてもらえる。こうから否定ひていするのではなく「ではなぜあなたはそうおもうの?」と対話たいわまれることには、とく衝撃しょうげきけました。

多様たようせい必要ひつようとされている以上いじょう、アメリカでは自分じぶんかんがえをしっかりっていないと、きづらさをかんじるかもしれません。わたし自身じしん議論ぎろん時間じかんには、自分じぶんなにっていないことに気付きづかされて。でも「自分じぶんなりの意見いけんがあるひとって素敵すてきだな」とおもえましたし、しっかりと“自分じぶん”をてるひとになりたいなといまでもおもっています。

18歳頃の屋比久(中央)と、アメリカ留学でお世話になったホストファミリー。

18さいごろ屋比久やびく中央ちゅうおう)と、アメリカ留学りゅうがくでお世話せわになったホストファミリー。

えんがつながって出場しゅつじょうした「ミュージカルのど自慢じまん

──高校こうこう卒業そつぎょう琉球大学りゅうきゅうだいがく法文学部ほうぶんがくぶ進学しんがくし、国際こくさい言語げんご文化ぶんか学科がっか英語えいご文化ぶんか専攻せんこうされました。大学だいがく2年生ねんせいのときには「フットルース」を英語えいご上演じょうえんし、ヒロインやくつとめています。

大学だいがくでは英語えいごちや、英文えいぶんほう構造こうぞうなどを勉強べんきょうしました。えいべい文学ぶんがく英語えいごけん文化ぶんか、アメリカの歴史れきし児童じどう文学ぶんがくなどにもれましたね。「フットルース」は大学だいがくのカリキュラムの一環いっかんとしてんだのですが、これはわたしが「ミュージカルを仕事しごとにしたい」とおもったおおきなきっかけの1つです。舞台ぶたいうたっておどること自体じたいたのしかったですし、みんなで1つの世界せかいつくげてお客様きゃくさまにおとどけすることっていなと、あらためてかんじて。だからその大学だいがくかよいながら、ミュージカル「H12」などいくつかの舞台ぶたい参加さんかしました。

──沖縄おきなわ東京とうきょう上演じょうえんされた「H12」に出演しゅつえんしたのは、「フットルース」にたずさわった大学だいがく先生せんせい背中せなかされたからだそうですね。さらにそのは「H12」のプロデューサーのすすめで、2016ねんの「あつまれ!ミュージカルのど自慢じまん」に出場しゅつじょうします。勝負しょうぶの1きょくに「ミス・サイゴン」の「いのちをあげよう」をえらんだのはなぜですか?

「H12」のあとにごえんがあって、あるオムニバス形式けいしきのショーに参加さんかしました。そのなかで「いのちをあげよう」をうたっていたので、当時とうじ自分じぶんもっと練習れんしゅうかさねていて、一番いちばん身体しんたいにしみんでいるきょくだったんです。うたいこなすだけのちからがあるかどうかはいておいて(笑)、せっかく練習れんしゅうしたし、だい舞台ぶたい披露ひろうできる機会きかいがあるのならやってみたいとおもいました。それにきょく自体じたいっているメッセージがすごくつよいので、「きょくたすけてもらおう」という気持きもちもありましたね。

「集まれ!ミュージカルのど自慢」で最優秀賞を受賞した際の屋比久。(写真提供:映画演劇文化協会、東宝演劇部)

あつまれ!ミュージカルのど自慢じまん」で最優秀さいゆうしゅうしょう受賞じゅしょうしたさい屋比久やびく。(写真しゃしん提供ていきょう映画えいが演劇えんげき文化ぶんか協会きょうかい東宝とうほう演劇えんげき

「モアナと伝説でんせつうみ」はこれからもかえりたい作品さくひん

──帝国ていこく劇場げきじょうおこなわれた「ミュージカルのど自慢じまん」グランドファイナルで見事みごと最優秀さいゆうしゅうしょうかがやき、パフォーマンスをていた現在げんざい事務所じむしょのプロデューサーからスカウトされます。当時とうじ現役げんえき大学生だいがくせいだった屋比久やびくさんは、バレエや英語えいごについてもたかいスキルをおちでしたが、進路しんろめることへのまよいはなかったのですか?

やはりまよいはありました。英語えいご使つか仕事しごと興味きょうみがあったので、スキルアップのために海外かいがい大学だいがく進学しんがくすることもかんがえていて。そのためにはおかね語学ごがくりょく必要ひつようですし、「就職しゅうしょくしておかねめながら勉強べんきょうしようかな」とおもっていました。でもわたしむかしからブロードウェイがきで、「いつかあの舞台ぶたいってみたい」というあこがれもあった。そんなときにスカウトしていただいたので、家族かぞくともはなって「こんなチャンスは二度にどとない。海外かいがいって英語えいごのお仕事しごとはじめることはあとからでもできる。だけど舞台ぶたい世界せかいむチャンスはいましかないのだし、きっとこのタイミングでおはなしをいただいたことに意味いみやごえんがあるはず」と、決断けつだんいたりました。じつはバレエの世界せかいでプロになることは、中高生ちゅうこうせいくらいのころあきらめていたんです。でもミュージカルの世界せかい目指めざわたしにとって、バレエのスキルは“宝物ほうもつ”。だから子供こどもころからバレエをつづけてきてかったなとおもいました。

──デビューさくとなった2017ねん公開こうかいのディズニー・アニメーション映画えいが「モアナと伝説でんせつうみ日本語にほんごばんでは、吹替と主題歌しゅだいか歌唱かしょうつとめます。デビューさくでヒロインという大役たいやく見事みごとつとめ、どうさく屋比久やびくさんの代名詞だいめいしともうべき作品さくひんになりました。だい海原うなばら旅立たびだつモアナをえんじた経験けいけんは、ご自身じしんにどんな影響えいきょうあたえましたか?

モアナにはすごく勇気ゆうきをもらいました。この映画えいがは、人間にんげん歴史れきし土地とち自然しぜん家族かぞくあいといったおおきなものにつつまれていることを実感じっかんできる作品さくひんです。沖縄おきなわから東京とうきょうてきたわたし足元あしもとがグラついているがしていましたし、ワクワクかん同時どうじ恐怖きょうふ緊張きんちょう不安ふあんかかえていて。だけどモアナをえんじながら意味いみ自分じぶん自身じしんの“ちいささ”をかんじましたし、「モアナもこんな感覚かんかくだったんだろうな」とおもえました。モアナは冒険ぼうけんなか失敗しっぱいしたり傷付きずつけいたりしますが、彼女かのじょはそれすらもれて、「わたしはここからどうしていきたいか」とかんがえてがれるひとです。はじめてのアフレコではくやしいおもいもしましたが、モアナのおかげでえられたとおもっています。いまでも気分きぶんんだときにモアナの映画えいがたり、音楽おんがくいたりするんですよ。そうすると当時とうじ自分じぶんおもしたり、「あの経験けいけんえられたんだから」という自信じしんいてきたりして。おりれてかえりたい作品さくひんになりましたし、これからもそうありつづけるとおもいます。

バレエを踊る、15歳頃の屋比久。

バレエをおどる、15さいごろ屋比久やびく

前編ぜんぺんでは、沖縄おきなわ音楽おんがくやバレエにかこまれてそだった幼少ようしょう、アメリカ留学りゅうがくけた衝撃しょうげき大学だいがく時代じだい舞台ぶたい出演しゅつえんをきっかけとして、本格ほんかくてきはししたミュージカルへの“みち”についてかたってもらった。後編こうへんでは、プロとしてキャリアをあゆはじめた屋比久やびく代表だいひょうさくかえる。

プロフィール

1994ねん沖縄おきなわけんまれ。2016ねん開催かいさいされた「あつまれ!ミュージカルのど自慢じまん」で最優秀さいゆうしゅうしょう受賞じゅしょう。2017ねん日本にっぽん公開こうかいされたディズニー・アニメーション映画えいが「モアナと伝説でんせつうみ日本語にほんごばんでヒロイン・モアナやくの吹替と主題歌しゅだいか歌唱かしょうつとめ、プロデビューをたした。近年きんねん出演しゅつえん舞台ぶたいオフィス3〇〇 40周年しゅうねん記念きねん公演こうえんにくうみ、ミュージカル「タイタニック」、リーディングドラマ「シスター」、ミュージカル「レ・ミゼラブル」、ミュージカル「天使てんしにラブ・ソングを~シスター・アクト~」、ミュージカル「NINE」ミュージカル「屋根やねうえのヴァイオリンき」がある。今年ことし10がつから12がつまでミュージカル「GREASE」来年らいねん7・8がつからはミュージカル「ミス・サイゴン」ひかえる。

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