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未来みらいのミライ』アカデミーしょう候補こうほ快挙かいきょ細田ほそだまもる監督かんとく経歴けいれきかえ

 だい91かいアカデミーしょう発表はっぴょう今月こんげつ25にち日本にっぽん時間じかん)にせまっており、世界中せかいじゅう映画えいがファンはおおいに注目ちゅうもくしていることだろう。  日本にっぽんからは是枝これえだ裕和ひろかず監督かんとくの『万引まんび家族かぞく』(2018ねん)が外国がいこく映画えいがしょう候補こうほはいったほか、細田ほそだまもる監督かんとくの『未来みらいのミライ』(どう)が長編ちょうへんアニメ映画えいがしょうにノミネートされている。  長編ちょうへんアニメ映画えいがしょう候補こうほにスタジオジブリ以外いがい日本にっぽんアニメ映画えいがつらねるのははじめての快挙かいきょであるし、それ以前いぜんに『未来みらいのミライ』は今月こんげつ、“アニメかいのアカデミーしょう”ともしょうされるアニーしょう長編ちょうへんインディペンデント作品さくひんしょうかがやいたばかり。  どうさくについて細田ほそだ監督かんとくは「日本にっぽんのとある普通ふつう家族かぞくはなし」とコメントしているが、宮崎駿みやざきはやお監督かんとくの『せん千尋ちひろ神隠かみがくし』(2001ねん以来いらいとなるアカデミーしょう受賞じゅしょうは、もはや射程しゃてい圏内けんないといえるのではないか。  そこで今回こんかいはアカデミーしょう発表はっぴょうまえに、細田ほそだ監督かんとくちや歴代れきだい作品さくひんかえっていきたい。

スタジオジブリの採用さいよう試験しけん合格ごうかくになるも、その理由りゆうは…

 細田ほそだ監督かんとくは1967ねん9がつ19にちまれで、富山とやまけん出身しゅっしん。アニメに目覚めざめたのは中学生ちゅうがくせいころで、トーク番組ばんぐみ『YOU』(NHK教育きょういくテレビ)の自主じしゅアニメ特集とくしゅうて、自分じぶんでもアニメをつくろうとおもえばつくれることをったのだという。  アニメ雑誌ざっし『アニメージュ』を参考さんこうにペーパーアニメを制作せいさくするようになった細田ほそだ監督かんとくは、高校こうこう1年生ねんせいのとき、東映とうえいアニメーションの前身ぜんしんである東映動画とうえいどうが公募こうぼしていた映画えいが少年しょうねんケニヤ』(1984ねん)のアニメーターに応募おうぼ最終さいしゅう選考せんこうまでのこり、はやくも大器たいき片鱗へんりんしめしたわけだが、学校がっこうのテストを理由りゆう上京じょうきょうあきらめたというのだから面白おもしろい。
少年ケニヤ

このときのアニメーター公募こうぼが、のちに細田ほそだ監督かんとくをアニメ業界ぎょうかいへとみちびくことになる(画像がぞうはアトラスから発売はつばいされた『少年しょうねんケニヤ』DVDジャケット)

 その細田ほそだ監督かんとく金沢美術工芸大学かなざわびじゅつこうげいだいがく油絵あぶらえ専攻せんこうし、サークルでは実写じっしゃ映画えいが製作せいさくするなど、アニメとはやや距離きょりいていたそうだ。  しかし大学だいがく卒業そつぎょうのタイミングで、あのスタジオジブリの採用さいよう試験しけんけていたという。結果けっか合格ごうかくだったが、宮崎みやざき監督かんとくから「きみ自分じぶんおもうように作品さくひんつくるほうがいている」という、合格ごうかく理由りゆうしるされた直筆じきひつ手紙てがみおくられてきたとのこと。“ポスト宮崎駿みやざきはやお”とばれることもある細田ほそだ監督かんとくだが、その才能さいのう宮崎みやざき監督かんとく自身じしんわかくしてみとめられていたというあかしではないだろうか。  さて、つづ就職しゅうしょくさきさがしていた細田ほそだ監督かんとくは、先述せんじゅつしたアニメーター公募こうぼのときにえんができていたプロデューサーに連絡れんらくり、1991ねん東映とうえい入社にゅうしゃ。ここから本格ほんかくてきにアニメ業界ぎょうかい仕事しごとをすることになる。  アニメーターとしての活躍かつやくはもちろん、1996~1997ねん放送ほうそうされた『ゲゲゲの鬼太郎おにたろう』(だい4シリーズ)ではじめて演出えんしゅつまかされると、1999ねんには『デジモンアドベンチャー』でついに映画えいが監督かんとくデビューをたした。
デジモンアドベンチャー

20ふんという短編たんぺん映画えいがだっただけに、細田ほそだ監督かんとく力量りきりょうわれていた(画像がぞう東映とうえいビデオから発売はつばいされた『デジモンアドベンチャー』VHSジャケット)

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ときかけ』からは怒涛どとうかい進撃しんげき
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