弁護士べんごしとして都心としんはたらいていた髙山亜希子あきこさんは43さいのとき、一人娘ひとりむすめとともにしまらしをスタートしました。仕事しごと忙殺ぼうさつされていた日々ひびから一転いってんし、自然しぜんかこまれたおだやかな生活せいかつに。しかし移住いじゅうから3ねんふたた都心としんもど決断けつだんをしました。したへんでは、そのきっかけや、CAMPFIREであらたなキャリアをあゆはじめた経緯けいいきました。

うえ激務げきむ小豆島しょうどしま移住いじゅうした弁護士べんごし奮闘ふんとう 43さいからいどんだこと
した弁護士べんごししま移住いじゅう→「仕事しごとはセーブ」のつもりがスタートアップ役員やくいん今回こんかいはココ

しまらしからふたた都会とかい生活せいかつもどった理由りゆう

 一人娘ひとりむすめが4さいのとき、親戚しんせき小豆島しょうどしまいとな観光かんこうホテルを再生さいせいさせるために弁護士べんごし事務所じむしょめ、移住いじゅうした髙山亜希子あきこさん(50さい)。さまざまな改革かいかくおこない、経営けいえい軌道きどうはじめたころ、ある決意けついかためた。

 「移住いじゅうして3ねんがたち、むすめ小学校しょうがっこう1ねんになりました。おっとはほぼ毎週まいしゅう小豆島あずしままでいにてくれたのですが、この生活せいかつをずっとつづけるわけにもいかないともおもいました。小豆島あずしまでの生活せいかつ大好だいすきでしたが、家族かぞくなんはない、45さいのときにふたた都心としんもどることをめました」

「引っ越すときは、島のみんなが港まで船の出航を見送りに来てくれて、ドラマのような涙、涙のお別れでした」
すときは、しまのみんながみなとまでふね出航しゅっこう見送みおくりにてくれて、ドラマのようななみだなみだのおわかれでした」

移住いじゅうわった仕事しごと価値かちかんどもとの時間じかん大切たいせつにしたい」

 2019ねん都心としんもどってきたものの、かつてのように法律ほうりつ事務所じむしょ所属しょぞくして、弁護士べんごしとしてだい一線いっせんはたらきたいという気持きもちにはなれなかったという髙山さん。

 「小豆島あずしまどもとおおくの時間じかんごし、さまざまなスモールビジネスにれたことで、これまでっていた仕事しごとへの価値かちかんおおきくわりました。法律ほうりつ事務所じむしょはたらいているときは、弁護士べんごしとしてバリバリはたらくことが自分じぶんにとってたりまえでした。しかし、移住いじゅうわたしには業務ぎょうむ時間じかんがしっかりまっていて、比較的ひかくてき子育こそだてに時間じかんける一般いっぱん企業きぎょう法務ほうむ関連かんれん部署ぶしょのほうが、いているとおもうようになりました」