日本にっぽん相撲すもう協会きょうかいは28にち西にしじゅうりょう4まい豊山とよやま(29=時津風ときつかぜ)が引退いんたいとどけ提出ていしゅつしたことを発表はっぴょうした。27にちまくじた大相撲おおずもう九州きゅうしゅう場所ばしょでは、5しょう10はいとしていた。

新潟にいがた出身しゅっしん豊山とよやまは、金沢かなざわ学院がくいんひがしから東農大とうのうだい進学しんがく強烈きょうれつとっしを武器ぶき個人こじんタイトル5つを獲得かくとくし、さんだん最下位さいかいかく(100まいしの資格しかく取得しゅとくして16ねん春場所はるばしょはつ土俵どひょうんだ。入門にゅうもん当初とうしょ本名ほんみょうの「小柳こやなぎ」をしこにし、デビュー場所ばしょでの一番いちばん相撲すもうでは、おなじくさんだん最下位さいかい格付かくづしデビューとなった近大きんだい出身しゅっしん石橋いしばしげんあさ乃山)と対戦たいせん白星しろぼし発進はっしんし、さんだん全勝ぜんしょう優勝ゆうしょうたした。

よく夏場所なつばしょでは幕下まくした全勝ぜんしょう優勝ゆうしょうたすなどし、同年どうねん九州きゅうしゅう場所ばしょしんじゅうりょう昇進しょうしんした。3場所ばしょ連続れんぞくしをめ、17ねん夏場所なつばしょしん入幕にゅうまく。そのさいにしこを「小柳こやなぎ」から「豊山とよやま」に改名かいめい。18ねん名古屋なごや場所ばしょでは自己じこ最多さいたの12しょうげて、自身じしんはつ敢闘かんとうしょう獲得かくとくした。

さんやく候補こうほ1人ひとりとして奮闘ふんとうしていたが、自己じこ最高さいこうは20ねん名古屋なごや場所ばしょでの西にし前頭まえがしら筆頭ひっとうだった。最近さいきんりょうひじいたみになやまされるなどし、おもうような結果けっかせていなかった。