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四谛 - 维基百科,自由的百科全书

よん

现代佛教ぶっきょうかく宗派しゅうは共同きょうどうてき基本きほんきょう义,简称为苦谛、あつまり谛、灭谛和道かずみち
重定しげさだこう

よん圣谛梵文ぼんぶんचत्वारि आर्यसत्यानिcatvāri āryasatyāniともえとしcattāri ariyasaccāni標準ひょうじゅんぞうབདེན་པ་བཞི།),またたたえよんよんよんしゅ神聖しんせいてきたいそくひじりたいしゅうひじりたいめつひじりたいめつどうひじりたい,簡稱ため谛、あつまり谛、灭谛和道かずみち谛,釋迦牟尼しゃかむにほとけこれじくこころ教法きょうほう[1]やめしょうはつはてせい智慧ちえめいよんひじりたいあかしはつはてまえ凡夫ぼんぷ智慧ちえ學習がくしゅうめい四諦したい

簡介

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梵语 satya[2] 翻譯ほんやくため真實しんじつてき道理どうりそく真理しんり漢語かんごたい翻譯ほんやく原義げんぎしん知事ちじ物的ぶってき內在含義あるもの意義いぎ[3]佛教ぶっきょうささえ分化ぶんか根本ねもと原因げんいん四諦したい精進しょうじん,卻各自かくじ創出そうしゅつしん方法ほうほう,捨棄四諦為修行次第軸心,最終さいしゅう不斷ふだん異變いへんひとじょう及天じょうてき四諦したいてき定義ていぎせきしゅうてき定義ていぎ寂滅じゃくめつてき定義ていぎあずかめつてき次第しだい方法ほうほうやめ八苦はっく次第しだい精進しょうじんいたりさんたいおもえがい內身,目標もくひょうだんさんゆい

ともえとしsacca,[4] すんで以是名詞めいし中性ちゅうせいまた以是形容詞けいようしわか名詞めいし意思いしたい事實じじつある真理しんりわか形容詞けいようしゆび真實しんじつてき真正しんせいてき四聖しせいたい(catu-ariya-saccāni)ゆかり數詞すうしよん(catu)、聖者せいじゃてき(ariya)、たい(saccāni)組合くみあい而成てきふくあいそくゆび四種由聖者所證悟的真理,不能ふのう推翻,ゆかり佛陀ぶっだ輔陳傳授でんじゅ外道げどうしょ排斥はいせき

四聖しせいたい

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釋迦牟尼しゃかむにふつ菩提ぼだい伽耶かや菩提樹ぼだいじゅ成道じょうどういたり鹿野かのえんはつてん法輪ほうりんそくため憍陳如、ばつつつみばつ訶男及阿說示せつじ五位沙門宣說四聖諦,五人各有所證悟,而求出家しゅっけなりため比丘びくそう此知どう,四聖諦就是凡夫斷三縛結,進入しんにゅうせいみちてきせきかぎ

ざつおもね含經·さんななきゅう·てん法輪ほうりんけい》:

一時いちじふつじゅう鹿野かのえんちゅう仙人せんにん住處すみかなんじ世尊せそんつげ比丘びく: 「此苦ひじりたい本所ほんじょ曾聞ほう當正とうせい思惟しいなまさとしあきらさとし;此苦しゅう、此苦ほろび、此苦めつどうあとひじりたい本所ほんじょ曾聞ほう當正とうせい思惟しいなまさとしあきらさとし。」 「ふくひじりたいさとしとうふく本所ほんじょ未聞みもんほう當正とうせい思惟しいなまさとしあきらさとししゅうひじりたいやめとうだん本所ほんじょ曾聞ほう當正とうせい思惟しいなまさとしあきらさとしふくしゅうほろび,此苦めつひじりたいやめとうさくしょう本所ほんじょ未聞みもんほう當正とうせい思惟しいなまさとしあきらさとしふく以此めつどうあとひじりたいやめとうおさむ本所ほんじょ曾聞ほう當正とうせいおもえ維,なまさとしあきらさとし。」 「ふく比丘びく!此苦ひじりたいやめやめしょ未聞みもんほう當正とうせい思惟しいなまさとしあきらさとしふく,此苦しゅうひじりたいやめやめだんしょ未聞みもんほう當正とうせい思惟しいなまさとしあきらさとしふくめつひじりたいやめやめさくしょうしょ未聞みもんほう當正とうせい思惟しいなまさとしあきらさとしふくめつどうあとひじりたいやめやめおさむところ曾聞ほう當正とうせい思惟しいなまさとしあきらさとし。」 「しょ比丘びくわが於此四聖諦三轉十二行不生眼、さとしあきらさとししゃわがおわりとく於諸てん、梵、沙門しゃもん婆羅門ばらもん聞法眾中,ため解脫げだつためためはなれまた自證じしょうおもね耨多さんさん菩提ぼだいわがやめ於四ひじりたいさんてんじゅうぎょうせいさとしあきらさとし於諸てん、梵、沙門しゃもん婆羅門ばらもん聞法眾中,とくとくぬげ自證じしょうとくなりおもね耨多さんさん菩提ぼだい。」 なんじ世尊せそんせつほう尊者そんじゃ憍陳如及八萬諸天遠塵垢,とく法眼ほうげんきよし


ざつおもね含經·さんきゅうさんけいとう記載きさいせい弟子でししょうじょうよん沙門しゃもんはて辟支ほとけはて,及大乘だいじょう菩薩ぼさつあかしふつはてみなとく如實にょじつ知見ちけんよんひじりたい可知かち四聖諦就是修行之主軸,よんひじりたいよんひじりたいあいだとうぞうじょう精進しょうじん

ざつおもね含經·さんきゅうさんけい》:「如是にょぜ我聞がもん一時いちじふつじゅう㮈國仙人せんにん住處すみか鹿野かのえんちゅうなんじ世尊せそんつげしょ比丘びくわか善男ぜんなん正信まさのぶいえ出家しゅっけがくどうかれ一切所應當知四聖諦法。何等なんらためよんいいひじりたいしゅうひじりたいめつひじりたいめつどうあとひじりたい比丘びく!於四聖諦未無間等者,とうつとむ方便ほうべんおさむあいだとう,如此章句しょうく一切いっさいよんひじりたいけいおうとうせつ佛說ぶっせつ此經やめしょ比丘びく聞佛所說しょせつ歡喜かんき奉行ぶぎょう如是にょぜ如是にょぜ如是にょぜあいだとう,悉應とうせつ

またさんゆいつきとく須陀洹,一切いっさい當知とうち四聖しせいたい何等なんらためよんいいひじりたいしゅうひじりたいめつひじりたいめつどうあとひじりたい如是にょぜ當知とうち如是にょぜとうあいだとう佛說ぶっせつ此經やめしょ比丘びく聞佛所說しょせつ歡喜かんき奉行ぶぎょう

わかさんゆいつきむさぼ、恚、うすとく斯陀含,かれ一切皆於四聖諦如實知故。何等なんらためよんいいひじりたいしゅうひじりたいめつひじりたいめつどうあとひじりたい如是にょぜ當知とうち如是にょぜとう如是にょぜあいだとうまた如是にょぜせつ

下分しもぶんゆいつきなま般涅槃阿含,かえ此世,かれ一切いっさいよんひじりたい何等なんらためよんひじりたいしゅうひじりたいめつひじりたいめつどうあとひじりたい如是にょぜ如是にょぜ如是にょぜあいだとうまた如是にょぜせつ

わか一切いっさいつきこころ解脫げだつとし解脫げだつほうさくしょう:『わがなまやめつき,梵行やめりつ所作しょさやめさく受後ゆう。』かれ一切いっさい悉知よんひじりたい何等なんらためよんいいひじりたいしゅうひじりたいめつひじりたいめつどうあとひじりたい如是にょぜ如是にょぜ如是にょぜあいだとうまた如是にょぜせつ

わかとく辟支佛道ぶつどうしょうかれ一切知四聖諦故。何等なんらためよんいいひじりたいしゅうひじりたいめつひじりたいめつどうあとひじりたい如是にょぜ如是にょぜ如是にょぜあいだとうまた如是にょぜせつわか上等じょうとう正覺しょうがくかれ一切知四聖諦故。何等なんらためよんいいひじりたいしゅうひじりたいめつひじりたいめつどうあとひじりたい如是にょぜ如是にょぜ如是にょぜあいだとうまた如是にょぜせつ佛說ぶっせつ此經やめしょ比丘びく聞佛所說しょせつ歡喜かんき奉行ぶぎょう。」

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(Dukkha):佛陀ぶっだ一開始就是開演四聖諦,たいゆう真理しんり不可ふか推翻てき意思いしかいいん時代じだい文化ぶんか科技かぎ進步しんぽ改變かいへんてき定義ていぎ外道げどうせつ痛苦つうく恆久こうきゅうとう凡夫ぼんぷやくてきたいてき意思いし無常むじょうはつはてやくてきてき意思いしゆうほら[5](Dukkha),ゆかりぜんつづりてきduあずか名詞めいしてきkhaりょう合成ごうせい。“du”ゆうあくなんこのみてき、壞、困難こんなん舒服。“kha”ゆび虛空こくう空間くうかんある天空てんくうごうざいいちおこりてきdukkha やくためゆうほら[6]

佛陀ぶっだ教授きょうじゅ凡夫ぼんぷしたがえがい(そと世間せけん)八苦はっく入門にゅうもんひろ(ほぼさがせひろ)伺(ほそ觀察かんさつ):なまおいやめあい別離べつり、怨憎かいもとめ五蘊ごうんおきもりひろ伺已,(やめ知道ともみち)、(やめしょう)そと(そと世間せけん)みな不離ふりなまおいやめあい別離べつり、怨憎かいもとめ、五蕴熾盛有漏故苦。八苦はっくさい細分さいぶんじゅういちとうすえみなみ佛教ぶっきょうなかてき长部》描述,佛陀ぶっだ也把“ぶんじゅういち种(“じゅういちほう”):なまおい、愁、悲、ゆう、惱、怨憎かいあい別離べつりもとめ[7]無論むろん如何いか細分さいぶんひろ伺的最後さいご重點じゅうてんざいさんぎょう、壞苦、いんためじんてんじょう目標もくひょうだんさんゆいちゅうだん五蘊ごうん」,就是五蘊ごうんおきもり」及「さん」而斷。[8]

八苦はっく

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八苦はっく專門せんもんため凡夫ぼんぷ初學しょがくじんてんじょう四諦したい建立こんりゅう簡易かんい入門にゅうもんひろ容易ようい解說かいせつ凡夫ぼんぷ知見ちけんためよろし。二乘及大乘聖佛弟子,さん次第しだい深入ふかいり[8]它們

  1. なま有生ゆうせい必有なま一切いっさいてき起源きげん
  2. ろう,眾生いんおとろえろう造成ぞうせいてき
  3. 病苦びょうく四大しだいかりごう身体しんたい必然ひつぜん会得えとくびょう
  4. 世事せじ无常,にん必然ひつぜんかい死亡しぼうそく使つかい一生健康无病无灾,也必然ひつぜんかい經歷けいれき最大さいだいてき无常——死亡しぼう
  5. 爱别离苦,しょあいところよく總有そうゆう分別ふんべつ
  6. 怨憎かいしょにくしょ怨,かいめん往來おうらい,致使しんせい嗔怒せんじこれ
  7. もとめとく欲求よっきゅう而得いたてき
  8. 五蘊ごうん炽盛凡夫ぼんぷ次第しだいひろ伺前ななやめ最後さいごひろ五蘊ごうんおきもりいち學習がくしゅうせい五蘊ごうん定義ていぎ」,次第しだいはち正道せいどう五蘊ごうんしかこう學習がくしゅうせいおきもり原因げんいん」,最後さいごあいだとうひろ伺「五蘊ごうんおきもり」。四聖諦如實知見五蘊熾盛苦,のうだん五蘊ごうん」。[9]

八苦はっく歸納きのうため蘊苦」,いんため不知ふち五蘊ごうんおきもりある五蘊熾盛但不知五蘊熾盛苦,無量むりょうずい無知むち不斷ふだんちょうやしなえ

さん

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  1. くだりさんせいりゅう遷(くだりてきほら)。知見ちけんくだり」,りゅう建立こんりゅう過去かこ現在げんざい未來みらいさんせい),あいだとう知見ちけんぎょう知見ちけん過去かこ現在げんざい未來みらいさんせいてきほらはなれあいだ地獄じごく
  2. 壞苦,なまじゅう壞(壞)建立こんりゅうてきほら)。知見ちけん壞苦やめ知見ちけん一切いっさいさく(一切作用的漏洞),かい迷於「のうさく」及「所作しょさ」,のうはなれ斷滅だんめつ
  3. たい也是三世流遷及依生住壞而建立,たい不離ふりほら)。

しゅうたい

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しゅうたい(samudaya),しゅうしゃしゅうおこりよしまたたたええんしゅうまたたたえしゅうあるあいしゅう[10]

しゅうぜんえんせきしゅうてき意思いしまた翻譯ほんやくためしん」,せき集名しゅうめいしん學習がくしゅうひろ伺前えん必須ひっすやめ知見ちけんたい知道ともみち一切いっさいぜんえん不離ふり知見ちけんたい而說しゅうたいきゅうつき探索たんさくぜんえん,必墮「梵我そう」,有我ありがなま一切いっさいそうきゅうつき推猜えんのり必墮「斷滅だんめつそう」,一切法住壞消失,外道げどうしょ困惑こんわく

にがたい知見ちけんしゅうたい知見ちけん未來みらい現在げんざい建立こんりゅう現在げんざい就是未來みらいてきしゅういん知見ちけん過去かこ」也是現在げんざい建立こんりゅう現在げんざい也是過去かこてきしゅういん知見ちけん「壞」なるじゅう建立こんりゅうなりじゅう就是壞的しゅういん知見ちけん三世依流遷而建立,ゆえりゅう遷是さんせいてきしゅういん知見ちけん一切いっさいぜんえんみな不離ふりひろ伺前えん無量むりょうただし外道げどう四諦したい不知ふちたい不知ふち過去かこ現在げんざい未來みらいてきほら(知行ちぎょう),不能ふのう知見ちけん壞苦及苦最終さいしゅう必墮梵我見がけん

知見ちけんしゅうたいやめにがたい知見ちけんあいしゅうたい知見ちけん現在げんざい瞋,未來みらいむさぼてきしゅういん(不滿ふまん現在げんざい未來みらい);知見ちけん現在げんざいむさぼ未來みらい瞋的しゅういん(滿足まんぞく現在げんざいいやあく未來みらいはたしつ)。知見ちけん過去かこむさぼ瞋,現在げんざい受樂受的しゅういんひろ伺無りょうただし外道げどう四諦したい不知ふちあいむさぼ瞋痴,不知ふちひろ伺前えんせきしゅうてき用途ようと不能ふのうおさむあいしゅうたい無明むみょう其集いん[11]

めつたい

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めつたいてきめつ寂滅じゃくめつてき意思いし,「壞滅かいめつてき意思いしほぼしゃくにがひじりたいあいしゅうひじりたいたいろくしょしょみみはなしたしょ如實にょじつ知見ちけん一切いっさいほうあいだとう如實にょじつ知見ちけん一切緣愛積集所依皆不離苦[12]解脫げだつ於苦やめしみちょだん捨、吐盡、無欲むよくほろびとめぼつあまりそくしゅうめつひじりたい外道げどう不知ふちよんひじりたいぼつゆう次第しだい精進しょうじんにがひじりたいあいしゅうひじりたいあやまかいめつたい就是とうどう「壞」てき意思いし不知ふち壞苦誤解ごかいめつたい就是不要ふようそう痛苦つうくおもえじょ痛苦つうく就要消滅しょうめつさんせい痛苦つうくてき原因げんいんむさぼ、嗔、”。[13]

みちたい

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またたたえためしゅうめつどうひじりたい。就是ひろ伺四ひじりたいてき過程かてい必定ひつじょう隨順ずいじゅんはち正道せいどう[14]せい就是四聖しせいたいため主軸しゅじく,聞正ただし思惟しい,就不能ふのう成就じょうじゅせいせい思惟しいやめただし記念きねんじゅう,就不能ふのう成就じょうじゅせいじょう(そく禪定ぜんじょう智慧ちえてき確定かくてい),おうけん查加きょうせい思惟しいせい正業せいぎょうせいいのちあるせい精進しょうじん,如斯類推るいすい。八步幫助定證成績,於苦ひじりたい成就じょうじゅせいじょう,就必のう記憶きおく忘,過程かてい必歷けいせい思惟しいせいとう。而佛陀勸つとむつね精進しょうじん懈怠けたい,就是すすむつとむ佛子ぶっしおう精進しょうじんつとむ方便ほうべんぞう上正かみしょうじょうただし聞知ぶんち而少正道せいどうそく懈怠けたい障礙しょうがい進步しんぽはち正道せいどうさい細分さいぶん化成かせいさんじゅう七道しちどうひん

四聖しせいたいさんてんじゅうぎょう

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佛陀ぶっだざい鹿野かのえんむかい比丘びく開示かいじさんてんじゅうぎょうしも帝國ていこく西元にしもと2世紀せいき犍陀浮雕。

四聖しせいたいぶんためさんてんじゅうぎょう[15]

  1. はつてんよんぎょう
    1. かん察到てきしゅうおこりいん
    2. 知道ともみちてきしゅうおこりいん,而知てきいんわかほろびのりのうほろび
    3. 知道ともみちてきしゅうおこりいんしたがえ發展はってんめつてき方法ほうほう
  2. てんよんぎょう
    1. たいさら深入ふかいり了解りょうかい
    2. たいいんさら深入ふかいり了解りょうかい
    3. やめけいゆう些許てきいんため執行しっこうめつてき方法ほうほう而滅
    4. たい於滅方法ほうほう積極せっきょくてき執行しっこう
  3. さんてんよんぎょう
    1. 知道ともみちやめ再來さいらい
    2. いんやめしょうじょかん畢;
    3. 所有しょゆうみな滅盡めつじん
    4. めつ方法ほうほうやめけい徹底てってい執行しっこう完成かんせい

此處ここてき和知わちいんじゅう因緣いんねんみつ不可分ふかぶん,而四ひじりたいさんてんじゅうぎょうそくためじゅう因緣いんねんしたがえ了解りょうかいいた滅盡めつじんてき過程かてい四聖しせいたいあずかじゅう因緣いんねんなみ非分ひぶんひらけてきりょうたね理論りろん次第しだい內容てき不同ふどうめんこう敘述。

よんじゅうろくぎょうしょう

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きたでんだかもんろん[16]

  1. よんそう非常ひじょう(anitya)、(duḥkha)、そら(śūnyatā)、非我ひが(anātmaka);
  2. しゅうよんそういん(hetu)、しゅう(samudaya)、なま(prabhava)、えん(pratyaya);
  3. めつよんそうほろび(nirodha)、せい(śānta)、みょう(praṇīta)、はなれ(niḥsaraṇa);
  4. みちよんそうみち(mārga)、如(nyāya)、くだり(pratipad)、(nairyāṇika)。

みなみでん小部こべ·無礙むげかいどう[17]

  1. たいよんそう逼迫ひっぱく(pīḷana)、有為ゆうい(saṅkhata)、ねつ惱(santāpa)、へんえき(vipariṇāma);
  2. しゅうたいよんそう堆積たいせき(āyūhana)、因緣いんねん(nidāna)、ゆいばく(saṃyoga)、障礙しょうがい(palibodha);
  3. めつたいよんそう出離しゅつり(nissaraṇa)、とおはなれ([pa]viveka)、無為むい(asaṅkhata)、不死ふし(amata);
  4. みちたいよんそう(niyyāna)、いん(hetu)、(dassana)、ぞうじょう(ādhipateyya)。

まいり

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參考さんこう文獻ぶんけん

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  1. ^ 长部·だい般涅槃經》:“いんため通曉つうぎょうあかしさとる四聖しせいたいわがあずかなんじとう長久ちょうきゅう以來いらい流轉るてん於生なにいいよんひじりたいいちしゃひじりたい,二者苦集聖諦,三者苦滅聖諦,四者苦滅道跡聖諦。”
    ざつおもね含經·さんきゅう五經ごきょう》:“一時いちじふつじゅう[*奈]こく仙人せんにん住處すみか鹿野かのえんちゅうなんじ世尊せそんつげしょ比丘びく:「わか日月じつげつ出世間しゅっせけんしゃ,一切眾星亦不出於世間,晝夜ちゅうや半月はんつきいちがつ時節じせつとしすう、尅數、須臾しゅゆみな悉不げんせいあいだつねめい有明ありあけあきらただゆう長夜ちょうや純大じゅんだいやみげん於世あいだわか如來にょらいおうきょうとう正覺しょうがく出世間しゅっせけんせつひじりたいしゅうひじりたいめつひじりたいめつどうあとひじりたいげん於世あいだ世間せけんめくらめい有明ありあけあきら如是にょぜ長夜ちょうや純大じゅんだいやみめいげん於世あいだ。」「わか日月じつげつ於世あいだ,眾星またげん晝夜ちゅうや半月はんつきいちがつ時節じせつとしすう、尅數、須臾しゅゆ,悉現世間せけん長夜ちょうやあきらあきら於世あいだ如是にょぜ如來にょらいおうとう正覺しょうがく於世あいだせつひじりたいげん於世あいだしゅうひじりたいめつひじりたいめつどうあとひじりたいげん於世あいだふくやみめい長夜ちょうや照明しょうめいじゅんいち智慧ちえげん於世あいだ。」”
    根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶雜事》:ふくつげおもねなん陀:「世尊せそんふく於何しょせつだいけい?」おもねなん陀以せいとおるおとこたえごと:「世尊せそんまた於婆痆斯。」「ためだれせつ耶?」「ため苾芻。」「所說しょせつうんなに?」こたえごと:「さく如是にょぜせつ:『なんじとう苾芻當知とうちゆうよんひじりたいうんなんためよん所謂いわゆるしゅうほろびみちひじりたいうんなんひじりたいいいせい病苦びょうくろう愛別離苦あいべつりく、怨憎かいもとめとくわか略說りゃくせつしゃいいおもむき蘊苦,めいためうんなんしゅうひじりたいいいあい俱行隨處ずいしょせいしみめいためしゅううんなんめつひじりたいいい此喜あい俱行隨處ずいしょせいしみさら受後ゆう,於如とう悉皆しっかいじょめつ棄捨へん吐,しみあい俱盡しょうみょう涅槃ねはんめいめつうんなんおもむきめつどうひじりたいいいはち正道せいどうせいせいおもえせい正業せいぎょうせいいのちせいつとむ正念しょうねんせいじょうめいおもむきめつどうひじりたい。』せつ此法ことぶきおもねわか憍陳如,於諸煩惱ぼんのう心得こころえ解脫げだつあまり四苾芻離諸塵垢得法眼淨。」ことぶきおもねわか憍陳如,つげことぶきだい迦攝曰:「如是にょぜとうほうわが於佛しょおや聽聞ちょうもん我聞がもんほうやめ於諸煩惱ぼんのう心得こころえ解脫げだつあまり四苾芻離諸塵垢得法眼淨。」「わがやめ結集けっしゅう世尊せそんだいしょ說經せっきょうきょう,於同梵行しょゆうたがえぎゃくまた訶厭,當知とうち此經ふつ真教まさのり。」
  2. ^ 《Monier Williams Sanskrit-English Dictionary》:सत्य  : n. truth , reality ( सत्येन , " truly " , " certainly " , " really " ; क्/अस्मात् स्/अत्यात् , " for what reason , how is it that? " त्/एन सत्य्/एन , " for that reason , so truly " ; यथा-तेन [or एवं] सत्येन , " as-so truly " ; with Buddhists truth is of two kinds , viz. संवृति- and परमा*र्थ-सत्यम् , " truth by general consent " and " self-evident truth " Dharmas. 95 ; for the four fundamental truths of Buddhists » MWB. 43 ; 56 ) RV. &c
  3. ^ かん字典じてん·たい》:【せつぶん審也しんや。【しょ·ひろしはん·あなでん】必微たい。【疏】聽當べつかれ是非ぜひ,必微みょう而審たい也。【こうかん·祭祀さいしこころざし】褅之ためごとたい也。たい諟昭きよしみこと𤰞これまたくもでんみかどしゃたい也。【註】しんたい於物也。【こころざし·あかりみかどくんたい勿誤也。【せきいん·九藥くやくへんたい毫末ごうまつしゃ天地てんちだい。【りゅう勰·しんろん·せんがくへんこころ在學ざいがく而强諷誦ふうしょう,雖入於耳而不たい於心。
  4. ^ ともえかんてん》:【なか事實じじつたい。 【かたち真實しんじつてき真正しんせいてき
  5. ^ Arvon:《佛教ぶっきょう》,ぺーじ33-34。
  6. ^ 《PTS Pali-English dictionary》
  7. ^ 长部》(まき25):“なまろう,愁、悲、ゆう、惱是,怨憎かいあい別離べつりしょもとめとく也是。簡而ごと:五取蘊即苦。”
  8. ^ 8.0 8.1 ぞういちおもね含經·四諦したいひん》:「かれうんなんめいためたい所謂いわゆるたいしゃなまろう病苦びょうくゆう悲惱.怨憎かいおん愛別離苦あいべつりくしょほしとくようげんもりかげいいめいためたい。」
    根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶雜事》:「うんなんひじりたいいいせい病苦びょうくろう愛別離苦あいべつりく、怨憎かいもとめとくわか略說りゃくせつしゃいいおもむき蘊苦,めいため。」
  9. ^ ちゅうおもね含經》(まきなな):「諸賢しょけんせつりゃくもりかげしゃ,此說なんいんいいしょくもりかげさとしおもえくだり、識盛,諸賢しょけんせつりゃくもり蘊苦しゃいん此故せつ諸賢しょけん過去かこひじりたい未來みらい現在げんざいひじりたい真諦しんたいきょ不離ふり於如(不離ふり於無あいだとう),また顛倒てんとう真諦しんたいしんごう如是にょぜたいせい所有しょゆうきよししょせい所見しょけんきよしところりょうせい所得しょとくきよししょとう正覺しょうがくせつひじりたい。」。
  10. ^ 根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶雜事》:「うんなんしゅうひじりたいいい(nandi)あい(rāga)俱行,隨處ずいしょせいしみめいためしゅう。」
    舍利しゃりどるおもね毘曇ろん》:「うんなんしゅうひじりたい?此愛(taṇhā)ふく有喜うきよくかれかれしみめいしゅうひじりたい。」
    中部ちゅうぶ141けい》:「而,學友がくゆう們!什麼いんもしゅうひじりたい這導致再生さいせい(ponob-bhavikā)、ばんずい歡喜かんきあずかむさぼ(nandī-rāga-sahagatā)、いたしょ歡喜かんき(tatra-tatrābhinandinī)てき渴愛(taṇhā),そくよくてき渴愛(kāma-taṇhā)、ゆうてき渴愛(bhava-taṇhā)、虛無きょむてき渴愛(vibhava-taṇhā),學友がくゆう們!這被しょうためしゅうひじりたい。」
    安世やすよだかてん法輪ほうりんけい》:「なにいい習?いいしたがえあい,而令ふく有樂うらくせい不離ふりざいざいむさぼ憙,よくあいいろあいいろあい習為。」
    根本こんぽんせつ一切有部毘奈耶破僧事》:「うんなんめいしゅうひじりたい所謂いわゆる愛欲あいよく(tṛṣṇā)、さら受後ゆうあい(paunar-bhavikā)、むさぼ俱行あい(nandī-rāga-sahagatā)、かれかれ欣樂しみあい(tatra-tatrābhinandinī)。」
  11. ^ 舍利しゃりどるおもね毘曇ろん·いとぐちぶん·かりしんひん》:「心性しんせい清淨せいじょうためきゃくちりしみ凡夫ぼんぷ聞故。不能ふのう如實にょじつ知見ちけんまたおさむこころ聖人せいじん聞故。如實にょじつ知見ちけんまたゆうおさむこころ心性しんせい清淨せいじょうはなれきゃくちりあか凡夫ぼんぷ聞故。不能ふのう如實にょじつ知見ちけんまたおさむこころ聖人せいじん聞故。のう如實にょじつ知見ちけんまたゆうおさむこころ。」
    ざつおもね含經·ろくななけい》:「しょ比丘びくとうぜん思惟しい觀察かんさつ於心。所以ゆえんしゃなに長夜ちょうやこころため貪欲どんよく使しみ瞋恚しんに愚癡ぐち使しみゆえ比丘びくこころ惱故眾生惱。こころきよし眾生きよし。」
  12. ^ ともえとし三藏さんぞう·あい应部》(12かん):“ゆかり無明むみょうはなれむさぼほろびゆうぎょうめつ由行よしゆきほろび有識ゆうしきめつよし識滅,有名ゆうめいしょくめつよしめいしょくほろびゆうろくしょめつよしろくしょほろびゆうさわめつよしさわほろびゆう受滅。よし受滅,ゆうあいめつよしあいほろびゆうめつよしほろびゆうゆうめつよしゆうほろびゆう生滅しょうめつよし生滅しょうめつゆう老死ろうし、愁、悲、ゆう、惱等めつ如是にょぜぜん蘊之めつ。”
  13. ^ ちゅうおもね含分べつひじりたいけい》:「諸賢しょけんうんなんあいめつめつひじりたいいい眾生じつゆうあいろくしょしょみみはなしたしょかれわか解脫げだつしみちょだん捨、吐盡、無欲むよくほろびとめぼつしゃめいめつ。」
    安世やすよだか四諦したいけい》:「何等なんらため賢者けんじゃつき賢者けんじゃたいゆう賢者けんじゃためじんろく自身じしんちゅうしゅいれため受,とくしたがえかいともさらやめだんやめ捨、あいはなれやめつきふくもちやめほろび寂然じゃくねんめつ。」
    大乘だいじょうおもね達磨だるましゅうろん》:「何等なんら差別さべつ(paryāya)いいあまりながだん(aśeṣa-prahāna)えいいずる(pratiniḥsarga)えい吐(vyantībhāva)つき(kṣaya)はなれほっ(virāga)めつ(nirodha)寂靜じゃくじょう(vyupaśama)ぼつ(astaṅgama)とう何故なぜめいあまりながだんよしあまりゆえ何故なぜめいえいいずるえいいずるしょまといゆえ何故なぜめいなが吐。えい吐隨ねむゆえ何故なぜめいつきどうたいどくはなれ繫故。何故なぜめいはなれよく修道しゅうどうたいどくはなれ繫故。何故なぜめいめつ當來とうらいかれはてなまゆえ何故なぜめい寂靜じゃくじょう。於現ほうちゅうかれはてしんひさしくだりゆえ何故なぜめいぼつ餘所よそ有事ゆうじながめつぼつゆえ。」
    中部ちゅうぶ141けい》:「而,比丘びく們!這是めつひじりたい:就是渴愛(taṇhā)てき褪去あずかめつ(asesa-virāga-nirodho)、捨棄(cāgo)、斷念だんねん(paṭinissagga)、解脫げだつ(mutti)、じゅう(anālaya,おもねよりゆき)。 」
  14. ^ ともえとし三藏さんぞう·长部》(22かん):“しょなにいいしるべいたりめつみちひじりたい?此即はちささえせいみち,這就せいせい思惟しいせい正業せいぎょうせいいのちせい精進しょうじん正念しょうねんせいじょう。”
  15. ^ 瑜伽ゆがろん》:「ふくよししゅしょうてん法輪ほうりんしゃ當知とうちめいためぜんてん法輪ほうりん。一者世尊為菩薩時為得所得所緣境界。しゃためとく所得しょとく方便ほうべん。三者證得自所應得。四者得已樹他相續。れい自證じしょうふかなましんかい。五者令他於他所證深生信解。當知とうち此中。所緣しょえんさかいしゃいいよんひじりたい。此四聖諦安立體相。如前おうわかりゃくわかこう聲聞しょうもんとく方便ほうべんしゃいいそく於此よんひじりたいちゅう。三周正轉十二相智。最初さいしょてんものいいむかし菩薩ぼさついれげんかんとき如實にょじつ了知りょうちひじりたいこうせつ乃至ないしどうひじりたい。於中所有しょゆうげんりょうひじりさとしのうだんどうしょだん煩惱ぼんのうなんじせつめいせいせい慧眼けいがんそく由依ゆい去來きょらいこんゆう差別さべつ。如其次第しだいめい智明ともあきさとしだいてんものいいゆうがく以其みょうとし如實にょじつ通達つうたつわがとう於後なおゆう所作しょさおうとうあまね未知みちたいおうとうながだんだんしゅうたいおうとうさくしょうあかしめつたいおうとう修習しゅうしゅう修道しゅうどうたい如是にょぜまたゆうよんしゅぎょうしょう。如前おうだいさんてんものいい無學むがくやめつきさとしなまさとしげんしょおうさくわがみなやめさく如是にょぜまたゆうよんしゅぎょうしょう。如前おう。此差別さべつしゃいいまえてんよんしゅぎょうしょう其有がく真聖まさたか慧眼けいがん最後さいご一轉いってん其無がく真聖まさたか慧眼けいがんとく所得しょとくしゃいいとく上正かみしょうとう菩提ぼだい相續そうぞくれい自證じしょうせいしんかいしゃいい如長ろうおもねわか憍陳。したがえ世尊せそんしょ聞正ほうやめ最初さいしょさとるかいよんひじりたいほう。」
  16. ^ おもね達磨だるましゅうもんあしろん》:「ふくゆうよんさとしいいさとししゅうさとしめつさとしみちさとしさとしうんなにこたえ於五蘊。思惟しい非常ひじょうそら非我ひがしょおこりさとしめいさとししゅうさとしうんなにこたえ於有いん思惟しいいんしゅうなまえんしょおこりさとしめいしゅうさとしめつさとしうんなにこたえ於諸めつ思惟しいほろびせいみょうはなれしょおこりさとしめいめつさとしみちさとしうんなにこたえ於無みち思惟しいどう、如、くだり出所しゅっしょおこりさとしめいどうさとし。」
    だい毘婆すなろん》:「とい何故なぜめいくだりしょうくだりしょうなんこたえ於諸さかいしょう簡擇而轉これぎょうしょうとい何故なぜめいこうせつ乃至ないし何故なぜ名出なでこたえ(1)きずつう逼迫ひっぱく如荷じゅう擔。たがえぎゃく聖心せいしんめいため。(2)よし緣故えんこせつめい非常ひじょういちよし所作しょさよしぞくえんよし所作しょさしゃしょ有為ゆういほう一剎那頃能有所作。だい二剎那不復能作。よしぞく緣者えんじゃしょ有為ゆういほう繫屬眾緣かたゆう所作しょさ。(3)たがえわが所見しょけんめいためそら。(4)たがえ我見がけんめい非我ひが。(5)如種子しゅしほうめいためいん。(6)のうとう出現しゅつげんめいためしゅう。(7)れいゆうぞくおこりめいためせい。(8)のうゆうなり辦故めいためえんたとえ如埿だんなわすいとう眾緣合成ごうせい辦瓶とう。(9)蘊永つきめいためめつ。(10)有為ゆういしょういきめいためせい。(11)ぜんつねめいためみょう。(12)さい極安ごくやすかくれめいためはなれはなれ自體じたいゆうはなれゆえ。(13)たがえがい邪道じゃどうめいためどう。(14)たがえがい非理ひりめいため如。(15)おもむき涅槃ねはんみやめいためぎょう。(16)のうながちょうめいため是能これよしせいぼつせいゆえふく(1)麁重しょ逼故めいため。(2)せい究竟きゅうきょうめい非常ひじょう。(3)內離おっと作者さくしゃ受者さく受者めいためそら。(4)せい自在じざいめい非我ひが。(5)引發しょゆうめいためいん。(6)れいゆうとうげんめいためしゅう。(7)のうゆうしげるさんめいためせい。(8)ゆうしょ造作ぞうさくめいためえん。(9)せい相續そうぞくつきしょ相續そうぞくめいためめつ。(10)三火永寂故名為靜。(11)だつしょわざわいよこめいためみょう。(12)だし眾過患故めいためはなれ。(13)要路ようろめいためどう。(14)のうちぎりせいめいため如。(15)のうせい趣向しゅこうめいためぎょう。(16)えいちょう生死せいしめいため。」
  17. ^ げんとおるてらやく小部こべ·無礙むげかいどう》:「於苦有害ゆうがいよし有為ゆういよしはんねつよしへん壞之よしあまね智之としゆきよし,於集ゆう存續そんぞくよし因緣いんねんよしゆいよし障礙しょうがいよしだんよし,於滅ゆう出離しゅつりよしはなれよし無為むいよし不死ふしよしげんしょうよし,於道ゆうよしいんよしこれぞう上之うえの修習しゅうしゅう。此依しょ知之ともゆきさとし了知りょうちとし。」
    ひとしやく清淨せいじょうどうろん》:「如何いか如實にょじつ四諦したいいち通達つうたつ呢?じゅう六行相的如實之義而四諦是一時通達的。そく(1)逼迫ひっぱく,(2)有為ゆういよし,(3)ねつ惱義,(4)へんえきよし,這是てき如實にょじつ;(5)增益ぞうえき,(6)因緣いんねんよし,(7)ゆいばく,(8)障礙しょうがいよし,這是しゅうてき如實にょじつ;(9)出離しゅつり,(10)とおはなれ,(11)無為むい,(12)不死ふしよし,這是めつてき如實にょじつ;(13)よし,(14)いん,(15)よし,(16)ぞうじょうよし,這是どうてき如實にょじつ此等じゅうろくぎょうしょうてき如實にょじつよしのり四諦したいためいち。此一ためいちせい一性由一智而通達,所以ゆえんせつ四諦したいいち通達つうたつてき。」
    清淨せいじょうどうろん》:「此中:「什麼いんもてきさとしそくよしえんしょ生起せいきてきとし及知かい」,ゆかり此等方法ほうほうまたそく以一一諦為所緣而說諦智。また這樣てき方法ほうほう:「しょ比丘びくしゃまた其集」とうせつ以一たい為所しどころえんまたとく完成かんせいざい其餘しょたいてき作用さよう。此中:以一一諦為所緣之時,さきよし於見「しゅう」,またとくあかり暸於其自せいてき逼迫ひっぱくしょうてきてき有為ゆうい;(なん以故?)いんため這(よし增益ぞうえきしょうてきしゅうしょ增益ぞうえき作為さくい及聚しゅうてきまたいんためどう煩惱ぼんのうねつ而極清涼せいりょうてき所以ゆえんよし於見「みち」,而明暸它(てきねつ惱」せい如尊しゃなん陀,ゆかり於見天女てんにょ而明暸彌陀利てき不美ふみ。其次よし於見不變ふへんえきてきめつ」,而明暸它てきへんえきよしさら必說りょう同樣どうようてきゆかり於見「」,またとくあかり暸於其自せいてき增益ぞうえきしょうてきしゅうてき因緣いんねんせい如因よし於不てきてき食物しょくもつ所生しょせいてきびょう,而明暸食ぶつびょうてき因緣いんねんよし於見はなれ繫的「めつ」,またあきら暸(しゅうてき)「障礙しょうがい同樣どうようてきゆかり於見とおはなれてきしゅう」,またとくあかり暸「出離しゅつりしょうてきめつてきとおはなれよし於見「みち」,あきら暸(めつてき)「無為むいしか而此瑜伽ゆがしゃ,雖於はじめてきかい而未曾見どうただしよしためかれみち有緣うえん有為ゆうい所以ゆえん無緣むえんほうめつてき無為むい而極其明しろよし此見「」,またあきら暸此(めつてき)「不死ふしよしためどく,而涅槃是不死ふし同樣どうようてきゆかり於見「しゅう」,またとくあかり暸於「だししょうてきみちてきよしよしそく此(しゅういたり涅槃ねはんいん,而此(みちとく涅槃ねはんいんよし於見「めつ」,またあきら暸(みちてき)「せい如見じょけんごく細微さいびいろしゃあきら暸其眼睛がんせいてきあかりきよしせつ:「てき眼睛がんせい實在じつざいあかりきよし」。よし於見「」,またあきら暸(みちてき)「ぞうじょう」,よしせい如見じょけん種種しゅじゅびょうつう貧窮ひんきゅうこれにん,而明暸自在じざい人的じんてき莊嚴しょうごん。」