嘉よしみ祥さち里さと,是ぜ台灣たいわん南部なんぶ自じ明あきら鄭てい時期じき至いたり清治きよじ時期じき的てき一いち個こ行政ぎょうせい區劃くかく,其範圍はんい約やく為ため今いま高こう雄市ゆういち的てき岡山おかやま區く東北とうほく部ぶ、阿おもね蓮はちす區く全部ぜんぶ、田た寮りょう區く中ちゅう南部なんぶ及燕つばめ巢す區く北部ほくぶ。
嘉よしみ祥さち里さと為ため1664年ねん(明あきら鄭てい永えい曆れき十じゅう八はち年ねん)明あきら鄭てい時期じき始はじめ設しつらえ的てき四坊しぼう二に十じゅう四よん里り之これ一いち,其西南せいなん邊べ為ため仁じん壽ことぶき里さと,西にし邊べ為ため維新いしん里さと、長治ながはる里さと,北邊ほくへん為ため崇たかし德とく里さと,東ひがし邊べ及南邊べ為ため尚なお未み納入のうにゅう管轄かんかつ地區ちく[1]。
嘉よしみ祥さち里さと後來こうらい分ぶん拆為嘉よしみ祥さち內里、嘉よしみ祥さち外里とざと[2]。