於寬(1433年ねん—?年ねん),字じ德とく裕ひろし,南みなみ直ただし隸常つね州しゅう府ふ武たけ進すすむ縣けん人ひと,四川蜀府工正所匠籍,治ち《禮れい記き》。
九きゅう月がつ二に十じゅう五ご日にち生せい,行ぎょう三さん。由よし國こく子生こなじ中ちゅう式しき四川しせん鄉きょう試ためし第だい二に十じゅう名めい舉人,會かい試ためし中ちゅう式しき第だい二に百ひゃく二に十じゅう七なな名めい[1]。年とし三さん十じゅう二歲中式天順八年甲申科第三甲第一百六十一名進士。
曾祖そうそ於覺通どおり;祖そ於覺福ぶく;父ちち於善亮あきら;母はは高だか氏し。慈侍下か,妻つま劉りゅう氏し,繼妻けいさい錢ぜに氏し;兄けい憲けん;宏ひろし,弟おとうと宣せん;定じょう。