施ほどこせ舉(?—1657年ねん),南明なんめい永えい曆れき年間ねんかん延のべ平たいら王おう鄭てい成功せいこう部將ぶしょう,官かん至いたり「水みず師し後ご鎮」。
永えい曆れき七なな年ねん(1653年ねん),鄭てい軍ぐん以船艦かん直入なおいり長江ながえ,因いん時制じせい宜むべ使つかい清きよし軍ぐん無む暇ひま南みなみ顧,時じ鄭てい軍ぐん光こう復ふく閩省會かい師し浙直指ゆび日び可か待まて,鄭てい成功せいこう遂とげ遣や施ほどこせ舉領後ご鎮官兵へい挺進ていしん長江ちょうこう。[1]1657年ねん,鄭てい成功せいこう令れい水みず師し前ぜん鎮指揮しき李り順じゅん與あずか施ほどこせ舉領導しるべ的てき後ご鎮會師し,前ぜん往浙江せっこう省しょう定てい海うみ等とう處しょ採と探さがせ消息しょうそく,時じ招來しょうらい松まつ門もん漁民ぎょみん以為進取しんしゅ長江ちょうこう的てき嚮導きょうどう,後ご施ほどこせ舉至定じょう關せき遇ぐう風ふう不順ふじゅん,坐すわ駕が船せん寡不敵てき清きよし軍ぐん,所屬しょぞく部隊ぶたい為ため清きよし軍ぐん所しょ滅めつ。施ほどこせ舉不屈こごめ,投とう海うみ殉國じゅんこく。