音楽をテーマに男女の姿を紡ぎだす短編集『夜想曲集』
大人の音楽というと、ジャズというイメージがあります。淡い光の落ちる少し薄暗いバーカウンターにジャズが流れる、それだけで大人な雰囲気を感じ取ることができるということは、音から発生するイメージは、人間に大きな影響を及ぼしているといえるのでしょう。
日系イギリス人のカズオ・イシグロが描く音楽の物語が凝縮された海外恋愛小説が『夜想曲集』。副題に『音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』とあるように、音楽をテーマに5組の男女の関係を描いていきます。
登場するのは、音楽的な才能を持っているものの、日の目を見ない者たちばかり。ヴェネツィアの流しのギタリストが、老いた歌手から奇妙な依頼を受ける「老歌手」。英会話教師が同級生夫婦の元を訪問した際の失態を描く「降っても晴れても」。姉夫婦が経営する宿泊施設でミュージシャンの青年が観光客の夫婦と出会う「モールバンヒルズ」。売れないサックス奏者がセレブな女性と知り合う表題作「夜想曲」。チェリストと指導者の女性の不思議な関係を見せる「チェリスト」。長編作品にはない、短編ならではのコメディタッチでユーモアにあふれた恋愛小説ばかりです。
- 著者
- カズオ イシグロ
- 出版日
- 2011-02-04
特に「降っても晴れても」は、友人のために彼と妻との関係を修復すべく引き立て役の「ぼく」が奮闘する姿を描く物語。若い夫婦ではなく、50歳近い夫婦ということもあって、老齢離婚という言葉がちらつきます。親友のために頑張っていたはずなのに、うっかり見てしまった日記に自分のことが書かれてあって怒り心頭。しわくちゃにしてしまった日記を伸ばすために悪戦苦闘する姿が笑いを誘います。
なんでもない日常に、些細な変化を与えてくれるだれかと不意に出会うという、ちょっとした非日常が入り込んでくるような設定にしている手法が見事です。「夜想曲」は、醜男であることを妻に指摘され、整形手術を受けたサックス奏者である語り手の「私」が主人公。整形手術後の包帯ぐるぐる巻き姿が「オペラ座の怪人」のように思え、物語を思わぬところから盛り上げます。
音楽家を目指していたことがあるカズオ・イシグロの経歴通り、音楽と夕暮れの描写が見事な恋愛小説ばかり。肩の力を抜いて楽しめる短編集です。
革命運動下で展開される恋物語『存在の耐えられない軽さ』
人が住むところに国があり、国は法や規則で人を縛ることで規律を守らせています。しかし、国民の意思とは関係なく、国の形を維持するために、いびつさを増していき、やがてその形を、人が生きていくには苦しい方向へと変えていってしまうのです。
『存在の耐えられない軽さ』は、チェコ出身でフランスに亡命した作家、ミラン・クンデラによる恋愛小説。1968年、社会主義の政権下で、自由化と民主化を叶えるべくチェコスロバキアで起こった改革を、ソ連をはじめとしたワルシャワ条約機構の5カ国軍が抑圧した、いわゆるプラハの春を題材に、その渦中で生きる男女の恋を描きました。
- 著者
- ミラン クンデラ
- 出版日
普通の恋愛小説よりは哲学的で、人の価値観の中での重さと軽さの判断基準に疑問を投げかけてきます。物理的なものではなく、例えば生まれや身分によって、命の重さは変わるのか。愛は何かに替えられるほど軽いものなのか。作中では政変により人生や生命が軽く扱われてしまうような状況下で、ニーチェの思想である「永劫回帰」を根底に置き、男女関係の中に様々な思想を交え、読者に語り掛けてくるのです。
ミラン・クンデラの問いかけに、読者は両手に言葉を抱えたままで、物語を彷徨いながら答えを探っていきます。政治、哲学的な思想が散りばめられているため、純粋な恋の物語を楽しむというよりは、恋を媒介に人間の思想と考察を堪能する物語という側面が強い本作。純文学の極みのような恋愛小説ですが、ミラン・クンデラの問いかけと考察に深く浸ることができる名作です。
若き王子が愛した二人の女『ハムレット』
シェイクスピアの作品で恋愛ものといえば『ロミオとジュリエット』が有名ですが、復讐劇として知られる本作にも悲恋のエピソードが出てきます。
デンマーク王子のハムレットは父王を亡くした悲しみと、母が父の死後間もなく叔父クローディアスと再婚したことで深く傷ついています。城壁に父の亡霊が出現すると聞いて確かめに行った彼は、父の死が、王位と王妃を狙うクローディアスの陰謀であったことを知り、復讐を誓うのです。
クローディアスに怪しまれぬよう、狂人のふりをするハムレット。彼は母の部屋で盗み聞きをしていた宰相を殺してしまいます。更に彼が求愛していた宰相の娘オフィーリアは、恋人の変わり様と父の死を悲しむあまり本当に発狂し、誤って川に落ちて亡くなってしまうのです。最終的にハムレットは復讐を果たすのですが、母である王妃や宰相の息子、自分自身も死に至るという悲しい結末になっています。
- 著者
- ウィリアム シェイクスピア
- 出版日
- 1967-09-27
ハムレットはオフィーリアを愛していました。しかし、彼の中にはもう1人大切な女性がいました。それは母である王妃ガートルードです。当時の慣習では義弟との再婚は近親相姦にあたり恥ずべきものであったと考えられています。清く尊敬すべき存在であってほしい母が再婚することさえ苦しいのに、それが罪深い結婚であったということは、ハムレットを絶望させます。彼はそんな母から生まれた自分を穢れた存在だと感じ自尊心を失ったことでしょう。復讐を決意した後のハムレットのオフィーリアへの言葉は、狂人を装っていたにしても激しい拒絶に満ちており、彼が人間不信、特に女性不信に陥ったことが伺えます。
しかし、オフィーリアの埋葬場面に出くわした彼は深い悲しみを表し、彼女への愛を口にします。それが彼女の兄レアティーズとの言い争いを呼び、彼らの最期へと続く道を作ることとなってしまうのでした。
『ハムレット』は戯曲です。はじめは戸惑うかもしれませんが、セリフだけで構成されている分、読み始めるとサクサクと読めてしまいます。また、普通の本に比べて場面の想像も膨らみやすいことでしょう。是非この機会に手にしてみてください。