正岡子規を敬い継承していった作家、伊藤左千夫
伊藤左千夫は、1864年に千葉の農家で生まれました。明治から大正にかけて活躍した詩人、文学者です。正岡子規に師事し、後継者とも言われました。子規の写生文に感化されて描いたのが、代表作『野菊の墓』です。
実は、作者が小説や歌を書き始めたのは30代になってからのことでした。それまでは牛乳業者を営み、毎日多くの時間を仕事に費やしていたそうです。
師匠である子規の亡き後は、子規の教えを正しく広め、継承していく活動を行いました。左千夫自身も早くに亡くなるまで、たくさんの詩集を残しています。
伊藤左千夫の代表作。菊の花に託した思い
『野菊の墓』は、少年・政夫と年上の女の子・民子との切ない恋を描いた小説です。
民子は政夫の家のお手伝いとして、同じ屋根の下で小さい頃から過ごしていました。ふたりの関係は大きくなっても変わらず、2人で遊んだり、話したりして、多くの時間を一緒に過ごします。しかし、政夫は遠くの学校へ通うため、家を出てしまうのです。
- 著者
- 伊藤 左千夫
- 出版日
- 1955-10-27
2人は想い合っていましたが、周りやお互いにはい出せずにいました。お互いの気持ちに気づいたのは、政夫が遠くの学校へ通うと決まってからのことです。
離れ離れになる前に2人で出かけた際、お互いに似合う花を言いあうシーンがとても切なく感じます。
「『政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか』『さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ』『それで政夫さんは野菊が好きだって……』『僕大好きさ』」(『野菊の墓』より引用)
野菊が好き、野菊は民子に似ている、だから君が好きだよ。そんなメッセージを感じ、思わず胸が苦しくなります。
しかし、二人の関係は長く続かないのです。
政夫の母親は民子のことを自分の娘のように思っていましたが、政夫と結婚するとなっては話が別です。身分の差から、民子はその思いを拒否され、他のところへお嫁にいかされてしまいました。
それから、民子は帰らぬ人となってしまうのです。
政夫の母親は、自分のやった事を悔いています。しかし、読者は母親が性悪なのではなく、時代の流れがそうさせたと、考えざるを得ません。政夫と民子の関係をなぜ許してあげられなかったのか、自分のせいにして涙する母親の狂ったようなシーンにも、切なさを感じる事でしょう。
終盤にも登場する野菊、花言葉は「無常の美」です。そちらも心に留めながら読んでみてください。
全世代に読んでほしい、現代語版伊藤左千夫の名作
本書は、どうしても昔の文章に抵抗がある……そんな人にオススメの作品です。
名作『野菊の墓』を内容はそのまま、文体だけ現代語にして、幅広い世代の方が読めるよう工夫されています。原文と読み比べても、親子3代で読んでもおもしろいでしょう。
- 著者
- 伊藤 左千夫
- 出版日
現代人に馴染みのない文章で描かれていると、どうしても読むのをためらってしまうこともあるでしょう。そんな方にもぜひ、『野菊の墓』の世界観を味わってほしいと思います。
『野菊の墓』の主人公、政夫と民子は、現代ではあまりない理由で引き離されてしまいました。時代の変化と共に、日本の古くからある文化は受け継がれなくなっています。
だからこそ、昔は身分の違いによって引き離されることがあったのだと感じさせることができるのが、この作品の見所なのではないでしょうか。
読みやすい文章で書かれているため、老若男女問わず、同じ作品に慣れ親しむことができるでしょう。年配の方には懐かしく、若い方からは新鮮に思えるような内容です。
現代であれば、身分の差という理由が障害にはならず、2人の恋は成就したのかもしれません。どうにもできない理由によって引き離される2人の気持ちを、全世代が感じることができるでしょう。