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アルゼンチン・タンゴ - Wikipedia

アルゼンチン・タンゴ

アルゼンチンふうのタンゴ

アルゼンチン・タンゴは、ラプラタがわ流域りゅういき近辺きんぺん[注釈ちゅうしゃく 1]演奏えんそうされるタンゴいち伝統でんとう様式ようしき言葉ことばである[1]

ブエノスアイレス市内しないのタンゴ

成立せいりつ

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もともとタンゴはよんふん音符おんぷはちふん音符おんぷ構成こうせいされるリズム・パターンのひとつであった。起源きげんは1880ねんごろとわれているが確実かくじつ証拠しょうこはない。これにヴァルスミロンガカンドンベフォックストロットなどのパターンもみ、ピアノバンドネオンヴァイオリンコントラバス編成へんせい楽団がくだん組織そしきされるようになって、タンゴはパターンからジャンルへ進化しんかしたとかんがえられている。

1900年代ねんだい以降いこう

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タンゴの編成へんせい固定こていされたものはまったくなく、フルートヴァイオリンギタロン[注釈ちゅうしゃく 2]バンドネオンという編成へんせいをとっていたのもファン・マグリオ[注釈ちゅうしゃく 3]だが、当時とうじ録音ろくおん技術ぎじゅつ劣悪れつあくでフルートはんでいるほどのおとでしかれなかった。このためフルートははや段階だんかい除去じょきょされ、ギタロンではなくピアノ[注釈ちゅうしゃく 4]ってわられた。またタンゴの速度そくど一定いっていではなく、ロベルト・フィルポ楽団がくだんみょうはやみをおこなっている。このころの楽団がくだん消滅しょうめつしたものもおおく、ほとんどデータののこっていないオルケスタ・ティピカ・テレ-フォンのようなケースもおおい。吹奏楽すいそうがくのタンゴというtubatangoといったものさえあった。Antología del tango rioplatense. Vol. 1[2]では1907ねんから1920ねんまでにはピアノロール、バレルオルガン、ヴァイオリンとマンドリンとギター、など様々さまざま編成へんせい試行しこうされていた。Alonso-Minottoも採用さいようしているテンポはかなりはやいが、Duardo Arolasはばいちかおそくなるなど楽団がくだんによってテンポの増減ぞうげん相当そうとうおおきい。この時期じきはモダンタンゴで定番ていばんとなった32ふん音符おんぷのバリアシオンはまだあらわれていない。

1920年代ねんだい以降いこう

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この時期じきオデオンしゃは「五大ごだい楽団がくだん」をかまえていた。フィルポ、カナロ、カロー、ロムート、フレセドのかく楽団がくだん次々つぎつぎとSPばんんではかたぱしから音源おんげんおこなっていった。その一方いっぽうでビクターしゃはオデオンしゃではかかえることのむずかしい若手わかて次々つぎつぎとスカウト[3]した。その典型てんけいれいオルケスタ・ティピカ・ヴィクトルだが、若手わかてばかりをかこっていたのではなく、フリオ・ポジェーロ楽団がくだんファン・ギド楽団がくだんマフィア=ラウレンス・バンドネオンデュオなど、古典こてんタンゴの名手めいしゅもビクター79000番台ばんだい録音ろくおんおこなつづけている。この時期じきのタンゴの録音ろくおん海賊版かいぞくばんは2010年代ねんだいになってもリリースが相次あいついでおり、いまだに聴取ちょうしゅしゃそううすくならない。クラシックピアノをフェルッチョ・ブゾーニ師事しじしながら廃業はいぎょうし、タンゴに転身てんしんしたアドルフォ・カラベリみみが、いい加減かげん録音ろくおんのがさずひかっていたというせつもある。32ふん音符おんぷのバリアシオンでタンゴの終止しゅうしかう様式ようしき確立かくりつされたのは1920年代ねんだい末期まっき推定すいていされている。[注釈ちゅうしゃく 5]

1930年代ねんだいはいると、和声わせい対位法たいいほうやテクスチュアといったてんに1920年代ねんだい伝統でんとう打破だはするきざしがかくれするようになる。1920ねんまでに活躍かつやくした楽団がくだん差異さいをききとることはかなりむずかしいが、20年代ねんだい末期まっきから30年代ねんだいはいると録音ろくおん技術ぎじゅつ利用りようしたエフェクト[注釈ちゅうしゃく 6]次々つぎつぎはいってくるようになり、どの楽団がくだん演奏えんそうしているのかが明瞭めいりょうになってくる。この変化へんか明瞭めいりょうあらわれているのがファン・ギド楽団がくだんである。テンポのおそさを維持いじしていた1920年代ねんだい低迷ていめいしていたのが、のちの巨匠きょしょうファン・ダリエンソである。カルロス・ガルデルがウルグアイにとされた私生児しせいじであったことから、ウルグアイとアルゼンチンの文化ぶんか対立たいりつはすでにこのときからはじまっており、「ウルグアイ・タンゴ」と「アルゼンチン・タンゴ」を区別くべつするべきという強硬きょうこうまでまれている。

1920-30年代ねんだいはSP蓄音機ちくおんき音盤おんばん入手にゅうしゅできる一部いちぶ富裕ふゆうそうが「日本にっぽんだいいちタンゴブーム」をささえていたが、だい2世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつとともに「フランシスコ・ロムートのヌンカ・マスをまえいちかいだけかせてくれとたのんだのち赤紙あかがみけた」人物じんぶつや、「いえ蓄音機ちくおんきもろともばくげき破壊はかいされた」人物じんぶつとともにそのブームはわった。

1940年代ねんだい以降いこう

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アルフレド・ゴビフリオ・デ・カロカルロス・ディ・サルリ代表だいひょうされるモダン・タンゴの時代じだいまくひらくことになる。伝統でんとうタンゴによってまもられていたスピードは急激きゅうげきげられ、その限界げんかい挑戦ちょうせんするファン・ダリエンソスタイルが一世いっせい風靡ふうびする。この時代じだい決定けっていづけるものは、録音ろくおん技術ぎじゅつ向上こうじょう意識いしきした音楽おんがく様式ようしき変化へんかである。音色ねいろ立体りったいてき造形ぞうけいされていることをレコードがはじめてとらえるようになり、「極端きょくたんなまでのレガートとスタッカート(Di Sarli)」・「リズムパターンのするど交代こうたい(De Caro)」・「楽器がっき編成へんせい拡張かくちょう(Canaro)」・「ジャズのテンションコードの導入どうにゅう(Francini=Pontier)」、「楽器がっき編成へんせいまたは音色ねいろ対比たいひ(Gobbi)」など、次々つぎつぎしん発明はつめいほどこしてはタンゴのイディオムをひろげていった。この時期じき競争きょうそうもっとはげしく、どこかの楽団がくだんはいってはるをかえすといったメンバーも相当そうとうすうのぼっており、ダリエンソにいたってはダリエンソ以外いがい全員ぜんいん脱退だったいという事件じけんこしている。ただし、このような楽団がくだんのメンバーのいちじるしい変更へんこうこそがモダン・タンゴの起爆きばくざいになったことは否定ひていできず、このころ裏方うらかた編曲へんきょくまわってうでみがいたのがオラシオ・サルガンである。タンゴに電子でんし機器ききもちいることを決断けつだんしたのがフランシスコ・カナロであり、カナロがハモンドオルガンあやつっているジャケットや電子でんし楽器がっき使つかったとおもわれるテイクも存在そんざいする。

1944ねんにはオルケスタ・ティピカ・ヴィクトルが活動かつどう終了しゅうりょうし、古典こてんタンゴの時代じだいわったとまでしょうされた。1950年代ねんだいはいるとかつてのスペイン来訪らいほうられたくに日本にっぽん戦時せんじ統制とうせいかせからし、自前じまえのタンゴ楽団がくだんかかえ、タンゴ番組ばんぐみがラジオでかかりつづけるという爆発ばくはつてき流行りゅうこうむかえた。演奏えんそうしつ向上こうじょうし、「オルケスタ・ティピカ・東京とうきょう」・「坂本さかもと政一まさかずとオルケスタ・ティピカ・ポルテニヤ[注釈ちゅうしゃく 7]」は人気にんきはくし、「オルケスタ・ティピカ・ポルテニヤ[注釈ちゅうしゃく 8]」は現地げんちみん要求ようきゅうわせたアレンジ[注釈ちゅうしゃく 9]たか人気にんき国外こくがいでもほこった。かれらはタンゴの衰退すいたいはいった1960年代ねんだいはいっても活動かつどうをつづけ、あまりの出演しゅつえん過多かたなやんだ坂本さかもと政一まさかず日本にっぽん帰国きこくしてタンゴ低迷ていめいにはわすられたが、早川はやかわ真平まっぴらはそうなることをまぬかれた。

この時期じきはいるとアコーディオンは完全かんぜん除去じょきょされ[注釈ちゅうしゃく 10]バンドネオンにとってわるようになった。トロイロ=グレラよん重奏じゅうそうだんたんなる偶然ぐうぜんからできたバンドネオンソロ、ギタロン、ギター、コントラバスという編成へんせい[注釈ちゅうしゃく 11]だが、ギターのタンゴ演奏えんそう復活ふっかつおおきく寄与きよした。もともとタンゴの終止しゅうしにルールのようなものはなかったが、ダリエンソはおと丸々まるまるカット、プグリエーセは終止しゅうしまえはく強調きょうちょう、デ・カロはACCELをくわえたそっけないかた、などかく楽団がくだんごとに個性こせいがみられるようになる。ディ・サルリが1960ねん死去しきょしたことで、タンゴの黄金おうごんわりをむかえた。1950年代ねんだいの「日本にっぽんだいタンゴブーム」もNHKのラジオ番組ばんぐみりとともにわった。

1960年代ねんだい以降いこう

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エルヴィス・プレスリービートルズをポルテニアっがききだすようになると、タンゴの人気にんき激減げきげんする。この時期じきをタンゴ低迷ていめいぶが、トロイロやプグリエーセ、ポンティエルのかく楽団がくだん録音ろくおん点数てんすうをそれなりにのこしている。しかし、これらを「過度かどのタンゴ」とんで敬遠けいえんするファンもおおい。この時期じきもっとをあげたのがアストル・ピアソラであり、1970年代ねんだいから1980年代ねんだいはいっても人気にんきおとろえなかった一方いっぽうで、はんピアソラ攻撃こうげき対象たいしょうにもなっていた。タンゴアルバムのパーソナリティ岡田おかだひろし[4]によると、日本にっぽんではほとんどがはんピアソラでほとんどの識者しきしゃかたまっていたにもかかわらず、現地げんち人間にんげんは「これからはもうアストル・ピアソラだよ」と平然へいぜんこたえていたことに衝撃しょうげきけたらしい。SP時代じだいのタンゴをLPに復刻ふっこくしてよいおときたいという願望がんぼうつよまったのもこの時期じきで、ファン・ダリエンソ楽団がくだんしんろくくわえてきゅうろくれるほどの需要じゅようがあった。

この時期じきフランシスコ・カナロのただいちだけの来日らいにち公演こうえんられているほか、オスヴァルド・プグリエーセ楽団がくだんはつ来日らいにちたしている。LP時代じだいアニバル・トロイロはSP時代じだいのトロイロとはってわって歌手かしゅやピアノに名人めいじんげいほどこすようになり、録音ろくおん技術ぎじゅつ精度せいどたかさとともに過度かどタンゴの折衷せっちゅうてき特徴とくちょう見事みごとあらわしている。かつては人気にんきのあったアルフレド・デ・アンジェリス楽団がくだんはこの時代じだい変化へんかについていけず、録音ろくおん点数てんすう激減げきげんしている。オラシオ・サルガンピアノヴァイオリンコントラバスバンドネオンエレキギター重奏じゅうそう改組かいそした「キンテート・レアル」の日本にっぽん公演こうえんやそれにともなうスタジオ録音ろくおんは、過度かどタンゴではあるが前衛ぜんえいてき視点してんうしなわなかった稀有けうれいとしてられる。メンバーあいだおと混濁こんだくきらったサルガンならではの生存せいぞんさくであった。この時期じき最後さいごに、近代きんだい和声わせいリズム探求たんきゅう極限きょくげんまでめた前衛ぜんえいタンゴのゆうエドゥアルド・ロビーラが55さいくなった。

日本にっぽん国内こくないにおいては、1970ねんから民音みんおんが「民音みんおんタンゴ・シリーズ」をスタートし、毎年まいとしタンゴのアーティストを招聘しょうへいする興業こうぎょうおこなわれるようになった。どうシリーズは2019ねんにシリーズ50かいにもおよび、ロングランの公演こうえんとなっている。

1980年代ねんだい以降いこう

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ヨーロッパ・タンゴではなく、アルゼンチン・タンゴの世界せかい他国たこくから転身てんしんしてまでタンゴをもとめる人種じんしゅ北米ほくべいやロシア、ヨーロッパにまでおよぶようになり、そのうち北米ほくべいいたっては「アメリカン・タンゴ」、フィンランドにいたっては「フィニッシュ・タンゴ」とんで差支さしつかえのない編成へんせい次々つぎつぎ出現しゅつげんした。これらはアルゼンチンになかったトロンボーンをれた編成へんせい古典こてんてきなピアノトリオ、などアルゼンチンじんのパレットになかった編成へんせいでアルゼンチン・タンゴの本質ほんしつせまこころみをしており、近年きんねん注目ちゅうもくされている。1992ねんにピアソラがぼっするとどこのCDショップでもピアソラがかかりギドン・クレーメルのアルバムが世界せかいてきだいヒットになるなど、一時いちじてきにはピアソラブームをした。また、イヴァ・ミカショフ世界せかい作曲さっきょくへタンゴを委嘱いしょくするプロジェクトを実現じつげん、タンゴ復興ふっこうアルゼンチンじん目論見もくろみとは明後日みょうごにち方向ほうこう実現じつげんするちん現象げんしょうられた。アルゼンチンもタンゴの電子でんしにはさからえず、現場げんば演奏えんそうされるタンゴもなんらかのかたち電子でんし機器きき使つかっていることはもうめずらしくなくなった。

日本にっぽんもタンゴ音楽家おんがくかの2せい出現しゅつげんするようになるなど、音楽家おんがくかしつ向上こうじょうには問題もんだいがないものの、日本にっぽんタンゴアカデミーなどアルゼンチン・タンゴをかこ環境かんきょう少子しょうし高齢こうれいによる音源おんげん資料しりょうのアーカイブの散逸さんいつ危惧きぐされるようになった。また、SPばん著作ちょさくけん問題もんだい[注釈ちゅうしゃく 12]深刻しんこくになっており、とう発売はつばい会社かいしゃ版権はんけん無頓着むとんじゃく理由りゆう海賊版かいぞくばん出回でまわ事態じたい改善かいぜんされていない。タンゴはくなった音楽家おんがくか早世そうせいしてしまった人物じんぶつおおく、もっと海賊版かいぞくばん問題もんだい解決かいけつしていないジャンルのひとつである。これはクラシック現代げんだい音楽おんがく世界せかいつねにメジャーレーベルが監視かんししている環境かんきょうくら対照たいしょうてきである。そのわり、熱心ねっしんなファンやコレクターのでディスコグラフィーや音盤おんばんリストが整備せいびされるなど、熱狂ねっきょうてき信者しんじゃえることがないというてんにおいて、そく廃盤はいばんになったのちだれ復刻ふっこくできない現代げんだい音楽おんがく世界せかいとはぎゃく状況じょうきょうである。

1990年代ねんだい小松こまつ亮太りょうたやロベルト杉浦すぎうらなどのこうレヴェルの日本人にっぽんじん演奏えんそう時代じだいふたたかえってきたこともふくめて、ヨーロッパタンゴではなく「アルゼンチン・タンゴ」にようやくふうがまたした印象いんしょうがあったものの、J-POPの氾濫はんらんにはてず在京ざいきょうFMのオンエアにはきびしい時代じだいであった。この逆境ぎゃっきょうは2000年代ねんだいはいるとコミュニティFMへのスポンサーの支援しえんで、若干じゃっかん好転こうてんられる。

2000年代ねんだい以降いこう

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2016ねんルイス・スタソマリアーノ・モーレスフアン・カルロス・カビエージョオラシオ・サルガンくなり、タンゴ黄金おうごんひきいた人物じんぶつはすべてこのった。にもかかわらず、商業しょうぎょうてき成功せいこうするのかしないのかといった問題もんだいのぞけば、タンゴはけっしておとろえてはおらず、黎明れいめいにまで典拠てんきょもとめた楽団がくだんまでがすうひゃくもひしめいており、その混迷こんめいはとくにヨーロッパで顕著けんちょである。日本にっぽんではダリエンソ・スタイル、プグリエーセ・スタイルなどかつて昭和しょうわ時代じだい来日らいにちたしたスタイルの後継こうけいしゃこのまれるようだが、世界せかいてきにはそうとはえない。2010年代ねんだい国際こくさいてきにファンの交流こうりゅうすすんでいるなど、よこのネットワークの整備せいびすすんでいる[5]

Club Tango Argentino、La Asociación De La Musica Porteña、Disco Latinaなどによる有志ゆうし善意ぜんいによる復刻ふっこくおおくのアルゼンチン・タンゴのCDが販売はんばいされたのが、この2000年代ねんだいである。すでにアルゼンチン・タンゴをおと復刻ふっこくする作業さぎょうは1980年代ねんだいからあったが、CDいちまい値段ねだん暴落ぼうらくした「ゼロ年代ねんだい」にはいってその復刻ふっこく作業さぎょうはペースをげた。現在げんざいはゴビ、プグリエーセ、トロイロ、ラウレンスほかの全集ぜんしゅうがbuenos aires tango clubから通販つうはん入手にゅうしゅ可能かのうであるほか、AmazonミュージックやSpotifyでもかなりのCDが収録しゅうろくされている。2010年代ねんだいにはかはんのこまちタンゴ(エフエム椿台つばきだい)やブエノスディアス、タンゴでおはよう(CTY-FM)、レコードエイジのおくものSPアワー(FMいるか)などのタンゴせんもん紹介しょうかい番組ばんぐみがたとえコミュニティFMというせまわくであっても、インターネット通信つうしんによってあらためて注目ちゅうもくされているほか、ラジオ関西かんさいのオールディーズセレクションにもアルゼンチン・タンゴがピックアップされた。また、昭和しょうわ30年代ねんだいからききこんだ聴取ちょうしゅしゃ根強ねづよ支持しじによる各種かくしゅWebサイト、西村にしむら秀人ひでとによるNHK公開こうかい講座こうざほかが話題わだいとなっている。La Asociación De La Musica Porteñaの設立せつりつじんはすでにくなっており、Club Tango Argentinoの設立せつりつじん病気びょうき療養りょうようのためディスク制作せいさく中断ちゅうだんされている。

「2010年代ねんだい日本にっぽんだい3タンゴブーム」を提唱ていしょうするものもえており、それを裏付うらづけるように2011ねん5月3にちにはNHK-FMで「今日きょういちにちタンゴ三昧ざんまい」、2017ねん11月17にちにはNHKラジオ深夜しんや便びんで「ロマンチックコンサート ポピュラー名曲めいきょくアルバム:タンゴ名曲めいきょくしゅう」、2019ねん1がつ26にちにもNHKラジオ深夜しんや便びんで「ロマンチックコンサート リラックス・サウンズ~アルフレッド・ハウゼ作品さくひんしゅう[6]」が放送ほうそうされた。ジャック・パウエル指揮しきアルフレッド・ハウゼによるミリタリー・タンゴ演奏えんそう開始かいしされる「キユーピー・メロディーホリデー」のなかでもブルー・タンゴ[7]選曲せんきょく、また『ヤミと帽子ぼうしほん旅人たびびと』、『シムーン』、『えない彼女かのじょそだてかた』のBGMにおいてもタンゴ調ちょう楽曲がっきょく要求ようきゅうされるなど、かつてのオールドファンの思惑おもわくどおりではないにせよ受容じゅようしずかにひろがっている。『すじをピン!と〜鹿しかだか競技きょうぎダンスへようこそ〜』の連載れんさい期間きかんだい3日本にっぽんタンゴブームの隆盛りゅうせい、およびDJ BalaszのDanceable Tangos of the Yearと一致いっちするのは、象徴しょうちょうてき出来事できごとであった。2019ねん8がつ29にちのラジオ深夜しんや便びんにおいてもロマンチックコンサート「ポピュラー名曲めいきょくアルバム~日本人にっぽんじん演奏えんそう歌手かしゅタンゴ作品さくひんしゅう」が特集とくしゅうされた[8]

日本にっぽんでは自作じさくのタンゴを披露ひろうする伝統でんとう細々こまごまのこっており、まれにCD収録しゅうろくがなされる場合ばあいもある。はなやかなオルケスタ・ティピカ結成けっせいできる金銭きんせんてき余裕よゆうはなくなってしまったが、タンゴはコントラバス・ピアノ・バンドネオンの3にんそろえば古典こてんきょく演奏えんそうできるため、このたねしょう編成へんせい確実かくじつ根付ねついてきている。

アルゼンチン・タンゴ専門せんもんラジオ番組ばんぐみタンゴアルバムが2017ねん10がつ29にち終了しゅうりょう[注釈ちゅうしゃく 13]し、AMきょくのタンゴせん門番もんばんぐみ日本にっぽんではすべて終了しゅうりょうした。

2020年代ねんだい以降いこう

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かはんのこまちタンゴSPアワー終了しゅうりょうしたため、唯一ゆいいつ存続そんぞくしてるタンゴ番組ばんぐみブエノスディアス、タンゴでおはようのみとなった。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 厳密げんみつにはアルゼンチンウルグアイ両者りょうしゃ対立たいりつはげしくウルグアイじん一切いっさいふくめないという手厳てきびしい論者ろんしゃもいるが、便宜上べんぎじょう地理ちりてき分類ぶんるい採用さいようしている。
  2. ^ ギタロンは21世紀せいきむかえた現在げんざい使用しようされている。外部がいぶリンク
  3. ^ トロイロ=グレラよん重奏じゅうそうだんのチューニングはAまで下降かこうできず、きゅう音域おんいきがる編曲へんきょくになっているがおな楽器がっきである。
  4. ^ 当時とうじのアルゼンチンではよいピアノがほとんど輸入ゆにゅうされておらず、音量おんりょう問題もんだい解決かいけつしたが、調律ちょうりつという問題もんだいはなかなか厄介やっかいで、おとくるったままのピアノで録音ろくおんというケースもすくなくなかった。
  5. ^ カジェタノ・プグリッシラ・クンパルシータ演奏えんそうが1929ねんである。
  6. ^ 典型てんけいてきなものはバンドネオン重奏じゅうそうによるエピソード
  7. ^ 当時とうじ広告こうこくには、タンゴをポルテニヤ音楽おんがくしるされているものもある。
  8. ^ オルケスタ・ティピカ・ポルテニアの表記ひょうきられる
  9. ^ 同名どうめい楽団がくだんがすでにヴィクトルしゃにあったため改名かいめい要求ようきゅうされ、「オルケスタ・フジヤマ」・「オルケスタ・サカモト」として華々はなばなしく現地げんちデビューをかざった。
  10. ^ それまではアコーディオンとバンドネオンがEdgardo Donato,El adiós(1938)のように共存きょうぞんすることもあった。
  11. ^ コントラバスが除去じょきょされたバンドネオンソロ、ギタロン、ギターというトリオ編成へんせいこのまれた。
  12. ^ 1923ねん以前いぜんのSPばんについては問題もんだいがないものの、それ以降いこう発売はつばいされたアルバムについては親会社おやがいしゃ金属きんぞく原盤げんばん廃棄はいきするなどの不手際ふてぎわのせいで、SPコレクターが有志ゆうし復刻ふっこくするという手作業てさぎょう現在げんざいおこなわれている。またアルゼンチンは日本にっぽん同様どうようにカセットテープのリリースという形態けいたいもあり、音質おんしつ劣悪れつあくだが貴重きちょう記録きろくもある。
  13. ^ 制作せいさくきょくRNCが2にちradiko参入さんにゅうひかえており、権利けんりしゃ不明ふめいきょく頻繁ひんぱん放送ほうそうされることからradiko配信はいしんむずかしく、りという最終さいしゅう手段しゅだんた。

出典しゅってん

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  1. ^ The Hidden History of Tango”. www.history-of-tango.com. 2019ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  2. ^ Instituto Nacional de Musicologia "Carlos Vega"
  3. ^ DISCO LATINAビクトル楽団がくだんだいいちしゅうのライナーノートから。DL104
  4. ^ 公式こうしきサイトない文章ぶんしょう参照さんしょう
  5. ^ 外部がいぶリンクない記事きじ参照さんしょう
  6. ^ ラジオ深夜しんや便びん 桜井さくらい洋子ようこ”. www2.nhk.or.jp (2019ねん1がつ26にち). 2019ねん1がつ26にち閲覧えつらん
  7. ^ 外部がいぶリンク 2013ねん5がつ1にち 19:17:00 UTC閲覧えつらん
  8. ^ ポピュラー名曲めいきょくアルバム~日本人にっぽんじん演奏えんそう歌手かしゅタンゴ作品さくひんしゅう”. www2.nhk.or.jp. 2019ねん8がつ29にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • タンゴ入門にゅうもん (1965ねん) -大岩おおいわ 祥浩よしひろ (ちょ), 島崎しまざき 長次郎ちょうじろう (ちょ), 中島なかじま 栄司えいじ (ちょ), 出版しゅっぱんしゃ: 音楽之友社おんがくのともしゃ (1965) ASIN: B000JADJPO
  • タンゴ100ねん (1980ねん) - 高場たかば しょう (ちょ), カラ・プランニング (編集へんしゅう) ASIN: B00QTZO5GU
  • 改訂かいていばん アルゼンチンタンゴ アーティストとそのレコード (1990ねん) 大岩おおいわ 祥浩よしひろ (ちょ) ISBN 978-4943959175

関連かんれん文献ぶんけん

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  • Fernando O. Assunção; El Tango y sus Circunstancias. El Ateneo 1984, ISBN 950-02-8366-2.
  • Andrés M. Carretero; El Compadrito y el Tango. Ediciones Pampa y Ciel, 1964.
  • Barreiro, Javier (1985); El tango. Gijón: Júcar. ISBN 84-334-2064-X.
  • Bottomer, Paul (1999); Tango. Madrid: Susaeta.
  • Cadícamo, Enrique (1973); Café de camareras. Buenos Aires: Sudamericana.
  • Ferrer, Horacio (1980); Libro del tango: arte popular de Buenos Aires (3 tomos). Buenos Aires: Antonio Tersol.
  • Hidalgo Huerta, Manuel (2001); Tango. Biblioteca Nueva. ISBN 84-7030-987-0.
  • Judkovski, José (1998); El tango. Una historia con judíos. Buenos Aires: Fundación IWO. ISBN 987-96990-0-9.
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  • Nudler, Julio (1998); Tango judío (del ghetto a la milonga). Buenos Aires: Sudamericana. ISBN 950-07-1498-1.
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  • Vidart, Daniel (1964); El Tango y su Mundo. Ediciones Tauro S.R.L., 1967.
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  • Sergio Pujol; Historia del Baile – de la Milonga a la Disco. EMECÉ Editores, 1999, ISBN 950-04-2064-3.
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  • Raul Outeda; La Historia De 500 Tangos, ISBN 978-9500510363
  • Raul Outeda and Roberto Cassinelli; Anuario del Tango, ISBN 978-9500510950

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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