『エセー 』(仏 ふつ : Les Essais )もしくは『随想 ずいそう 録 ろく 』(ずいそうろく)は、フランス のモラリスト 、ミシェル・ド・モンテーニュ が107の随筆 ずいひつ を集 あつ めて1580年 ねん に刊行 かんこう した書物 しょもつ である。モンテーニュは随筆 ずいひつ (エッセイ、エセー)という、特定 とくてい の話題 わだい に関 かん する主観 しゅかん 的 てき な短 みじか い文章 ぶんしょう の形式 けいしき を発明 はつめい したのであり、この書物 しょもつ はそのエセーを収 おさ めている。人間 にんげん のあらゆる営為 えいい を断続 だんぞく 的 てき な文章 ぶんしょう で省察 せいさつ することによりモンテーニュは人間 にんげん そのものを率直 そっちょく に記述 きじゅつ しようとし、モラリスト文学 ぶんがく の伝統 でんとう を開 ひら いた。フランス語 ふらんすご のessai は「試 こころ み」や「企 くわだ て」という意味 いみ である。
2023年 ねん 、エセーの著者 ちょしゃ 加筆 かひつ 訂正 ていせい 本 ほん のボルドー本 ほん (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) は世界 せかい の記憶 きおく に登録 とうろく された[ 1] 。
モンテーニュは読者 どくしゃ の興味 きょうみ をそそり、巻 ま き込 こ むように意図 いと された巧妙 こうみょう なレトリック を用 もち いて書 か いており、ある時 とき には話題 わだい から話題 わだい へと意識 いしき の流 なが れ に沿 そ って動 うご くように見 み え、またある時 とき には作品 さくひん のより教育 きょういく 的 てき な性質 せいしつ を強調 きょうちょう する構造 こうぞう 的 てき な文体 ぶんたい を用 もち いてもいる。古代 こだい ギリシア 、ラテン文学 ぶんがく 、イタリア文学 ぶんがく からの引用 いんよう がしばしば補強 ほきょう として用 もち いられる。
モンテーニュの目的 もくてき は人間 にんげん 、特 とく に彼 かれ 自身 じしん を、完全 かんぜん に率直 そっちょく に記述 きじゅつ することであると『随想 ずいそう 録 ろく 』の中 なか で述 の べている。モンテーニュは人間 にんげん 性 せい の大 おお きな多様 たよう 性 せい と移 うつ り変 か わりやすさこそがその最大 さいだい の特徴 とくちょう であると認識 にんしき していた。「私 わたし 自身 じしん というものよりも大 おお きな怪物 かいぶつ や驚異 きょうい は見 み たことがない。」[ 2] というのが典型 てんけい 的 てき な引用 いんよう 句 く である。
モンテーニュは自身 じしん の貧弱 ひんじゃく な記憶 きおく 力 りょく や、本当 ほんとう に感情 かんじょう 的 てき にはならずに問題 もんだい を解決 かいけつ し争 あらそ いを仲裁 ちゅうさい する能力 のうりょく や、後世 こうせい にまで残 のこ る名声 めいせい を欲 ほ しがる人間 にんげん への嫌悪 けんお 感 かん や、死 し に備 そな え世俗 せぞく から離 はな れようとする試 こころ みのことなどを書 か いている。
当時 とうじ のカトリック とプロテスタント の間 あいだ の暴力 ぼうりょく 的 てき で(モンテーニュの意見 いけん によれば)野蛮 やばん な紛争 ふんそう をモンテーニュは嫌悪 けんお しており、その書 か き物 もの にはルネサンス らしからぬ悲観 ひかん 主義 しゅぎ と懐疑 かいぎ 主義 しゅぎ が覗 のぞ いている。
総 そう じて、モンテーニュはユマニスム の強力 きょうりょく な支持 しじ 者 しゃ であった。モンテーニュは神 かみ を信 しん じ、カトリック教会 きょうかい を受 う け入 い れていたが、神 かみ の摂理 せつり がどのような意味 いみ で個々 ここ の歴史 れきし 上 じょう の出来事 できごと に影響 えいきょう していたかを述 の べることは拒否 きょひ していた。
新 しん 世界 せかい の征服 せいふく に反対 はんたい しており、それが原住民 げんじゅうみん にもたらした苦 くる しみを嘆 なげ いていた。
ミシェル・ド・モンテーニュ
マルタン・ゲール 事件 じけん を例 れい に引 ひ きながら、モンテーニュは人間 にんげん が確実 かくじつ さを獲得 かくとく できないと考 かんが えている。その懐疑 かいぎ 主義 しゅぎ は、セクストス などから影響 えいきょう を受 う け、『レイモン・ズボン (英語 えいご 版 ばん ) の弁護 べんご 』[ 3] という長 なが いエセーに最 もっと も良 よ く現 あらわ れており、この章 あきら はしばしば単独 たんどく でも出版 しゅっぱん されてきた。我々 われわれ は自身 じしん の推論 すいろん を信用 しんよう できない、なぜなら思考 しこう は我々 われわれ に起 お こるものであるから。我々 われわれ は本当 ほんとう の意味 いみ ではそれらをコントロールできない。我々 われわれ が動物 どうぶつ よりも優 すぐ れていると考 かんが える相応 そうおう の理由 りゆう はない。モンテーニュは拷問 ごうもん によって得 え られた自白 じはく には極 きわ めて懐疑 かいぎ 的 てき で、そのような自白 じはく は拷問 ごうもん から逃 のが れるために容疑 ようぎ 者 しゃ がでっちあげたものかもしれないと指摘 してき している[要 よう 出典 しゅってん ] 。通常 つうじょう 「知識 ちしき は人 ひと を善良 ぜんりょう にはできない」と題 だい されている節 ふし において、モンテーニュは自身 じしん のモットーが「私 わたし は何 なに を知 し っているのか?」 (Que sçay-je? ) であると書 か いている。ズボン弁護 べんご のエセーは表面 ひょうめん 的 てき にはキリスト教 きりすときょう を弁護 べんご している。しかしながら、モンテーニュはキリスト教徒 きりすときょうと ではない古代 こだい ギリシア・ローマの著述 ちょじゅつ 家 か たちに言及 げんきゅう し引用 いんよう しており、特 とく に原子 げんし 論 ろん 者 しゃ ルクレティウス に多 おお く言及 げんきゅう している。
モンテーニュは結婚 けっこん を子供 こども を育 そだ てるためには必要 ひつよう だと考 かんが えていたが、恋愛 れんあい による激 はげ しい感情 かんじょう は自由 じゆう にとって有害 ゆうがい なものとして嫌 きら った。「結婚 けっこん は鳥 とり 籠 かご のようなものである。その外 そと にいる鳥 とり は必死 ひっし になって入 にゅう ろうとするが、中 なか にいる鳥 とり は必死 ひっし になって出 で ようとする。」という言葉 ことば がある。
教育 きょういく に関 かん しては、抽象 ちゅうしょう 的 てき な知識 ちしき を無 む 批判 ひはん で受 う け入 い れさせることよりも具体 ぐたい 的 てき な例 れい や経験 けいけん の方 ほう を好 この んでいた。「子供 こども の教育 きょういく について」[ 4] というエセーはディアヌ・ド・フォワ (フランス語 ふらんすご 版 ばん ) に捧 ささ げられている。
モンテーニュのエセーに明白 めいはく に現 あらわ れている思考 しこう の現代 げんだい 性 せい は、今日 きょう でも人気 にんき を保 たも っており、啓蒙 けいもう 時代 じだい までのフランス哲学 てつがく で最 もっと も傑出 けっしゅつ した作品 さくひん となっている。フランスの教育 きょういく と文化 ぶんか に及 およ ぼす影響 えいきょう は依然 いぜん として大 おお きい。フランスの元 もと 大統領 だいとうりょう フランソワ・ミッテラン の公式 こうしき な肖像 しょうぞう 写真 しゃしん では『随想 ずいそう 録 ろく 』を手 て に持 も って開 ひら いている。
モンテーニュによる『随想 ずいそう 録 ろく 』への書 か き込 こ み
モンテーニュは1572年 ねん からエセーの執筆 しっぴつ を始 はじ め、1580年 ねん の初版 しょはん 刊行 かんこう 後 ご も生涯 しょうがい を通 つう じて編集 へんしゅう し続 つづ けた。1語 ご だけ挿入 そうにゅう することもあれば、複数 ふくすう の節 ふし をまるごと挿入 そうにゅう することもあった。後世 こうせい の多 おお くの版 はん ではこれを以下 いか の記号 きごう で表 あらわ している。
A: 1571-1580に書 か かれた節 ふし 。1580年刊 ねんかん
B: 1580-1588に書 か かれた節 ふし 。1588年刊 ねんかん
C: 1588-1592に書 か かれた節 ふし 。1595年刊 ねんかん (死後 しご の刊行 かんこう )[ 5] [ 6]
版 はん の間 あいだ の差異 さい や追加 ついか 分 ぶん を分析 ぶんせき することで、モンテーニュの思考 しこう が時間 じかん と共 とも にどう変遷 へんせん していったかが分 わ かる。現在 げんざい の考 かんが えと矛盾 むじゅん している時 とき でさえも、モンテーニュは以前 いぜん の記述 きじゅつ を取 と り除 のぞ くことはなかったようである。
関根 せきね 訳 やく (全 ぜん 6冊 さつ )、荒木 あらき 訳 やく (全 ぜん 3冊 さつ [ 9] )、宮下 みやした 訳 やく (全 ぜん 7冊 さつ )は、各 かく ・電子 でんし 書籍 しょせき で再刊 さいかん
^ “UNESCO Memory of the World Register ”. UNESCO. 2023年 ねん 5月 がつ 27日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 第 だい 3巻 かん 11章 しょう 。ウィキソース原文 げんぶん
^ 第 だい 2巻 かん 12章 しょう 。ウィキソース原文 げんぶん
^ 第 だい 1巻 かん 26章 しょう 。ウィキソース原文 げんぶん
^ Montaigne, Michel de. The Complete Essays . Trans. M. A. Screech. London: Penguin, 2003 (1987), p. 1284
^ Les Essais (1595 text), Jean Céard, Denis Bjaï, Bénédicte Boudou, Isabelle Pantin, Hachette, Pochothèque, 2001, Livre de Poche, 2002.
^ 原 はら 訳 やく の別 べつ 版 ばん は、各 かく ・筑摩書房 ちくましょぼう で『世界 せかい 古典 こてん 文学 ぶんがく 全集 ぜんしゅう 37・38 モンテーニュ』、『筑摩 ちくま 世界 せかい 文学 ぶんがく 大系 たいけい 13・14 モンテーニュ』
^ 全集 ぜんしゅう (新版 しんぱん )は全 ぜん 9巻 かん 。他 た は「旅 たび 日記 にっき 」「書簡 しょかん 集 しゅう 」
^ 荒木 あらき 訳 やく (編 へん 訳 やく )はグーテンベルク21 で、関根 せきね 訳 やく は国書刊行会 こくしょかんこうかい で、各 かく ・2024年 ねん に電子 でんし 書籍 しょせき 化 か 。
フランス語 ふらんすご 版 ばん ウィキソースに
本 ほん 記事 きじ に
関連 かんれん した
原文 げんぶん があります。