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カイリー・ミノーグ - Wikipedia

カイリー・ミノーグ

オーストラリアの歌手かしゅ (1968-)

カイリー・アン・ミノーグ OBEKylie Ann Minogue, OBE, 1968ねん5月28にち - )は、オーストラリアビクトリアしゅうメルボルンまれのシンガーソングライター女優じょゆうである。2021ねん現在げんざい英国えいこくからオーストラリア住居じゅうきょをUターン移住いじゅうし、活動かつどうしている。身長しんちょう153cm[1]いもうとダニエル・ジェーン・ミノーグ(Danielle Jane Minogue)もポップ歌手かしゅである。

カイリー・ミノーグ
  • 2020ねん
  • 直筆じきひつサイン
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい カイリー・アン・ミノーグ
生誕せいたん (1968-05-28) 1968ねん5月28にち(56さい
出身しゅっしん オーストラリアの旗 オーストラリア
ビクトリアしゅうメルボルン
ジャンル
職業しょくぎょう シンガーソングライター
担当たんとう楽器がっき ボーカル
活動かつどう期間きかん 1987 – 現在げんざい (歌手かしゅ)
1979 – 現在げんざい (女優じょゆう)
レーベル
著名ちょめい家族かぞく ダニー・ミノーグいもうと
公式こうしきサイト Kylie.com

人物じんぶつ

編集へんしゅう

1979ねんに「ザ・サリヴァンス」に出演しゅつえん子役こやくとして女優じょゆうデビュー、1987ねんには歌手かしゅデビューもし、母国ぼこくオーストラリアやイギリスを中心ちゅうしんだいヒットを数多かずおおばす。一時いちじは「低迷ていめい」とばれる時期じきもあったが2000年代ねんだいはいって復活ふっかつ。2001ねん発表はっぴょうしたアルバム『フィーヴァー』とシングル「あつむねがして」がだい成功せいこうして以降いこうはその歌唱かしょうりょく美術びじゅつセンスのコラボレーションや、コンサートでのカイリーの「こしり」にも話題わだいあつまるようになった。また、歌手かしゅ活動かつどう平行へいこうして女優じょゆう活動かつどう香水こうすいなどのプロデュースもおこなっている。ゲイ・アイコン代表だいひょうてき一人ひとりとしてもられている。

2018ねんの『ゴールデン』から2023ねんの『テンション』まで4さく連続れんぞくでイギリスとオーストラリア両方りょうほうのアルバムチャートで首位しゅい獲得かくとくしており、とくに2020ねんのアルバム『ディスコ』の首位しゅいによってイギリスでは1980年代ねんだいから2020年代ねんだいまで5年代ねんだいで1獲得かくとくした最初さいしょのアーティストになった。音楽おんがく作品さくひんそう売上うりあげ枚数まいすうは8,000まんまい以上いじょう[2][3]そう資産しさんは2020ねん現在げんざいで86おくえん

代表だいひょうきょくに「ラッキー・ラヴ」「ロコモーション」「あつむねがして」「ラヴ・アット・ファースト・サイト」「スロウ」「パダム・パダム」、日本にっぽんではWinkもカバーした「あいまらない 〜ターン・イット・イントゥ・ラヴ〜」などが有名ゆうめい

来歴らいれき

編集へんしゅう

1968-1992:誕生たんじょうからPWL時代じだい

編集へんしゅう

1968ねん5がつ28にちオーストラリアメルボルンまれた。父親ちちおやのロナルド・チャールズ・ミノーグ(Ronald Charles Minogue)は会計士かいけいしアイルランドけい母親ははおやのキャロル・ミノーグ(Carol Minogue)はウェールズけいいもうとのダニーのほかに、末弟ばっていのブレンダン・ミノーグの5にん家族かぞく

1980ねん、オーストラリアのTV番組ばんぐみ『スカイウェイズ』に子役こやくとして出演しゅつえんした。

1986ねん2がつ24にちから、オーストラリアの人気にんきドラマ『ネイヴァーズ』にシャーリーンのやく出演しゅつえん人気にんきはくした。

1987ねん3がつ人気にんき女優じょゆうとしてオーストラリアの『ロギー・アワード』銀賞ぎんしょう獲得かくとくした。

同年どうねん7がつ、オーストラリアのマッシュルームレコードから、リトル・エヴァ(Little Eva)のカバーきょくロコモーション」でデビューした。カイリーのカバーきょくは、ビルボード(Billboard)週間しゅうかんチャートにおいて1988ねん11月12にちづけ最高さいこうだい3まで上昇じょうしょうした。1988ねん年間ねんかんチャートではだい51だった。ビルボード集計しゅうけいでは2012ねん現在げんざいまでにおけるカイリー・ミノーグ最大さいだいのチャートヒットである。本国ほんごくオーストラリアでは7しゅう連続れんぞく1だいヒットとなった。

1988ねん1がつイギリスとオーストラリアでセカンドシングル(“世界せかいデビューきょく”とばれることもおおい)「ラッキー・ラヴ」を発売はつばいし、イギリスのヒットチャートで6しゅう連続れんぞく1記録きろく。「ラッキー・ラヴ」は、イギリスの「ユーロビート」のヒットメーカーチームであるストック・エイトキン・ウォーターマン(Stock-Aitken-Waterman)のプロデュースで、発売はつばいしたレコード会社かいしゃかれらのレーベルPWLである。同年どうねん7がつにはデビューアルバム『ラッキー・ラヴ』(ぜんえい1はつ登場とうじょうぜんえい年間ねんかん売上うりあげだい1)を発表はっぴょうぜんえいチャートはつ登場とうじょうから8しゅう連続れんぞく1独走どくそうするだいヒットとなった。アルバムからは「こいいそがず」、「なみだしょくあめ(ジュ・ヌ・セ・パ・プークワ)」などだいヒットを連発れんぱつ。また、日本にっぽんでは「あいまらない 〜ターン・イット・イントゥ・ラヴ〜」がデビューアルバムから独自どくじにシングルカットされ、当時とうじ絶大ぜつだい人気にんきほこっていたアイドルWinkがカバーした相乗そうじょう効果こうかもありだいヒットした。

1989ねん、2ndアルバム『エンジョイ・ユアセルフ』を発表はっぴょう、アルバムは2さく連続れんぞくぜんえい1かがやいた。

同年どうねんにはスクリーンデビューさくこいはしって」に主演しゅえんし、オーストラリア、イギリスでだいヒットとなり、カイリーが担当たんとうした主題歌しゅだいか「ティアーズ・オン・マイ・ピロー」もだいヒットした。日本にっぽんでは劇場げきじょう公開こうかいだが映像えいぞう作品さくひんされている。

1990ねん、3rdアルバム『リズム・オブ・ラヴ』を発表はっぴょう翌年よくねんには4thアルバム『あなたも、M?』を発売はつばいした。

1992ねんはつのベストアルバムとなった『グレイテスト・ヒッツ』(ぜんえい1はつ登場とうじょう)を最後さいごにカイリーはデコンストラクションへと移籍いせきする。

1994-1998:デコンストラクション時代じだい

編集へんしゅう

1990年代ねんだい以降いこうアイドル路線ろせんから歌唱かしょうりょく比重ひじゅういたプロモーション変更へんこうしたが、人気にんきぎゃく低迷ていめいしてしまう。このあいだアメリカ映画えいがストリートファイター』(1994ねん)にキャミィやく出演しゅつえんする。この映画えいがではほぼスタントなしでアクション演技えんぎ披露ひろうした。

1994ねん、5thアルバムとなる『カイリー・ミノーグ』(ぜんごう3はつ登場とうじょうぜんえい4)を発表はっぴょう。アルバムめい自分じぶん名前なまえかんしたこの作品さくひんはカイリーのさいデビューとでもいうべき、記念きねんてき作品さくひんとなる。

1997ねんにはデコンストラクションでのだいさくとなる『インポッシブル・プリンセス』(ぜんごう4ぜんえい10)を発表はっぴょうした。この作品さくひんはインディーロックやトリップホップなどをんだ野心やしんてき作品さくひんとなった。しかしシングル・ヒットもずアルバム自体じたいげもおおきくなやんだ。そしてカイリーは再度さいど移籍いせきすることとなる。

1999-2005:パーロフォンへの移籍いせきと『フィーヴァー』のだい成功せいこう

編集へんしゅう
 
2011ねん、「あつむねがして」を披露ひろうするカイリー

1999ねん、EMI傘下さんかのパーロフォンに移籍いせき自身じしんのアルバム発表はっぴょう先駆さきがけ、おなじくパーロフォン所属しょぞくペット・ショップ・ボーイズ楽曲がっきょく"In Denial"(アルバム『ナイトライフ収録しゅうろく)にゲスト参加さんかする。

2000ねん移籍いせきはつのアルバム『ライト・イヤーズ』を発表はっぴょう。リードシングル「スピニング・アラウンド」が10ねんぶりにぜんえいシングルチャートで1獲得かくとく劇的げきてき復活ふっかつげ、「オン・ア・ナイト・ライク・ディス」(ぜんえい2)やロビー・ウィリアムズとの「キッズ」(ぜんえい2)など後続こうぞくのシングルカットも次々つぎつぎヒットしてだい2の黄金おうごん創出そうしゅつする。また、「スピニング・アラウンド」のミュージック・ビデオでせたゴールドのホットパンツや、同年どうねんオーストラリアで開催かいさいされたシドニーオリンピック閉会へいかいしきでの歌唱かしょう話題わだいとなった。

かぜったカイリーは2001ねんにアルバム『フィーヴァー』を発表はっぴょう。リードシングル「あつむねがして」はぜんえい1かがやいたのみならず世界中せかいじゅうでナンバーワンを獲得かくとくやく100まんまい彼女かのじょのキャリア史上しじょう最大さいだいのセールスをげた。そして、このシングルは2001ねん世界一せかいいちげを記録きろくした[4]。また、2002ねんはいってアメリカでもだいヒット(ビルボードでは最高さいこう7、ダンスチャートでははつの1かがやいた)。さらに「フィーヴァー」はぜんえいアルバムチャートで9ねんぶりの首位しゅい獲得かくとくするだけでなく、全米ぜんべいでも3まで上昇じょうしょうするなどデビュー当時とうじ上回うわまわ人気にんき獲得かくとくした。カイリーのアルバムが全米ぜんべいビルボードのアルバムチャートTOP3にチャートインするのはこれがはつであった。このアルバムからはほかにも「イン・ユア・アイズ」(ぜんえい3豪州ごうしゅう1)、「ラヴ・アット・ファースト・サイト」(ぜんえい2全米ぜんべいダンスチャート1)などのヒットがまれた。さらにカイリーがどんどん増殖ぞうしょくするミシェル・ゴンドリー監督かんとくの「カム・イントゥ・マイ・ワールド」のMVは話題わだいんだ。

同年どうねんおなじオーストラリア出身しゅっしんバズ・ラーマン監督かんとくの『ムーラン・ルージュ』にアブサン妖精ようせい "The Green Fairy" として登場とうじょう。『サウンド・オブ・ミュージック』をうたった。

2003ねん、9まいのアルバム『ボディ・ランゲージ』を発表はっぴょう先行せんこうシングル「スロウ」は自身じしん7きょくぜんえい1となった。

2004ねん、『フィーヴァー』から最後さいごのシングルとしてカットされていた「カム・イントゥ・マイ・ワールド」でグラミーしょう "Best Dance Recording部門ぶもん" を受賞じゅしょう

このとしには自身じしんのキャリアを総括そうかつしたベスト・アルバム『コンプリート・ベスト』が発売はつばいされた。

2005-2010:乳癌にゅうがん克服こくふくからキャリアはつ北米ほくべいツアー

編集へんしゅう

2005ねん3月から「ショーガール:ザ・グレイテスト・ヒッツ・ツアー」を開始かいし

2005ねん5がつ、ツアーの最中さいちゅう乳癌にゅうがん発覚はっかくし、地元じもとメルボルンでの闘病とうびょう生活せいかついられたものの、早期そうき発見はっけんさいわいし、半月はんつきほどで治療ちりょう成功せいこうした。退院たいいんは、ガンとの闘病とうびょう生活せいかつおく子供こどもたちを見舞みまうために病院びょういんおとずれるなどの活動かつどうおこなった。

2006ねん11月、シドニー皮切かわきりに「ショーガール:ホームカミング・ツアー」とタイトルを変更へんこう, ぜん衣装いしょう一部いちぶ曲目きょくもくなども変更へんこうしてツアーを再開さいかい。2007ねん1がつ23にち終了しゅうりょうぜん公演こうえん完全かんぜんソールドアウト。

2007ねん11月には、復活ふっかつさくとなる10まいのアルバム『X発売はつばい

2007ねん12月 イギリスのエリザベス2せい女王じょおうより、だいえい帝国ていこく勲章くんしょう(OBE)を授与じゅよされることまった。

2007ねん12月に10ねんぶりの来日らいにち。アルバムと香水こうすいのプロモーション、そして日本にほんテレビけいMusic Lovers』でのゲストライブをおこなった。番組ばんぐみないでは「あつむねがして」、「ラッキー・ラヴ」、「2・ハーツ」をうたった。

 
2009ねん北米ほくべいツアー

2008ねん2がつに、『SMAP×SMAP』にゲスト出演しゅつえん同年どうねん4がつには、アメリカでアルバム『X』が発売はつばい、USでのリードシングルには独自どくじに「オール・アイ・シー」がえらばれ、「This Is Why I'm Hot」のだいヒットでられるラッパーのMIMSが参加さんかしたリミックス正式せいしきつくられる。

2008ねん5がつ フランス・パリ皮切かわきりに「KYLIEX2008」ツアーが開始かいしされる。

2008ねん7がつ 英国えいこくバッキンガム宮殿きゅうでんにて、だいえい帝国ていこく勲章くんしょう(OBE)を正式せいしき授与じゅよされる。

2009ねん9がつ、キャリアはつ北米ほくべいツアー『For You, For Me Tour』を開始かいししツアーはだい成功せいこうわる。

2010-2015:『アフロディーテ』、歌手かしゅデビュー25周年しゅうねんはつのクリスマス・アルバム

編集へんしゅう
 
2011ねん
 
2011ねん

2010ねん7がつ 最新さいしんアルバム『アフロディーテ』を、2010ねん6がつ30にち世界せかい先駆さきがけた日本にっぽん先行せんこうリリース(EMI Music Japan)を筆頭ひっとうに、おもに7がつ初旬しょじゅんぜん14ヵ国かこく相次あいついでリリースした。このアルバムはぜんえいアルバムチャートで9ねんぶりの首位しゅい獲得かくとくしたのみならず、全米ぜんべいでも『フィーヴァー以来いらいのTOP20りをたしている。

さらに『アフロディーテ』がぜんえい1になったことによって、カイリーはイギリスのチャートで4世代せだい(80年代ねんだい、90年代ねんだい、00年代ねんだい、10年代ねんだい)それぞれで1獲得かくとくしたはつ女性じょせいソロアーティストとなった[5]

2011ねん2がつから「アフロディーテ・レ・フォリ・ツアー」(一部いちぶ地域ちいきでは「アフロディーテ・ツアー」)をスタートさせる。このツアーはぜんえいふくむヨーロッパ、北米ほくべい、アジアやアフリカなどをまわぜん77公演こうえんおこなわれた。このツアーでは 1991ねんの「リズム・オブ・ラヴ・ツアー」以来いらい20ねんぶりの来日らいにちコンサートが実現じつげんし4がつ23にちと24にち幕張まくはりメッセ、25にち大阪城おおさかじょうホール公演こうえんおこなった。

来日らいにちまえ3月11にち東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい発生はっせいおおくのアーティストが来日らいにち公演こうえんりやめるなか予定よていどお公演こうえんおこなわれた。また、4がつ25にちには VERBALとともに東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい支援しえんのための楽曲がっきょく、「ウィー・アー・ワン」が発表はっぴょうされた[6]

11月27にちには彼女かのじょのこれまでのキャリアの功績こうせきみとめられて、オーストラリアレコード産業さんぎょう協会きょうかい殿堂でんどうりをたした。

2012ねんにはデビュー25周年しゅうねんむかえそれを記念きねんして「K25」プロジェクトが発足ほっそく

3月18にちからはアンタイ・ツアーを開始かいし、このツアーはBめん発表はっぴょうきょく、アルバムきょく中心ちゅうしんとしたコアなファンけのセットリストとなっており、比較的ひかくてき小規模しょうきぼ会場かいじょうおこなわれた。

5月25にち配信はいしん限定げんていでニューシングル『タイムボム』が発表はっぴょうされた、このきょくは「K25」の一環いっかんとしてリリースされた新曲しんきょく世界せかい同時どうじ配信はいしんから4ふんツイッターのワールドワイド・トレンド・トピックで1になるなど話題わだいんだ[7]

10月24にち過去かこのヒットきょくアビイ・ロード・スタジオでフルオーケストラとともにさい録音ろくおんした『女神めがみ(アフロディーテ)のすべて 〜アビイ・ロード・セッションズ〜』が日本にっぽん先行せんこう発売はつばいされた[8]

 
2014ねん

2014ねん1がつからはBBC人気にんき番組ばんぐみザ・ヴォイスUK』(だい3シーズン)にコーチとして出演しゅつえん。カイリーの出演しゅつえんによって番組ばんぐみ視聴しちょうりつ大幅おおはばにアップしたことによって「カイリー効果こうか」とよばれた[9]。 2014ねん3がつ19にちやく4ねんりとなる12まいのアルバム『キス・ミー・ワンス』を発売はつばい

2015ねん11月18にち自身じしんはつとなるクリスマス・アルバム『カイリー・クリスマス』を発売はつばい

2016-2020: 『ゴールデン』とグラストンベリー・フェスティバル

編集へんしゅう
 
2015ねん

2016ねん2がつ19にち、19さい年下とししたのジョシュア・ザッセとの婚約こんやく発表はっぴょう[10]。しかし2017ねん2がつ婚約こんやく解消かいしょう発表はっぴょうした。 同年どうねんにはBMG UKとあらたにレコード契約けいやくむすぶ。

2018ねん1がつには14まいとなるアルバム『ゴールデン』を4がつ発売はつばいするとのアナウンスがある。同時どうじ新曲しんきょくダンシング」も公開こうかいされる。 アルバム『ゴールデン』はぜんえいアルバムチャートで8ねんぶりの1獲得かくとくしたのみならず[11]、オーストラリアでも1記録きろくした[12]。カイリーのアルバムがイギリスとオーストラリア両方りょうほうくに同時どうじに1獲得かくとくするのは自身じしんとしては2001ねんの『フィーヴァー』以来いらいやく17ねんぶりの快挙かいきょであった。

2019ねん6がつ28にち、ベストばんステップ・バック・イン・タイム: ザ・ディフィニティヴ・コレクション』を発売はつばい前作ぜんさく『ゴールデン』につづぜんえいぜんごう両方りょうほうのアルバムチャートで1記録きろく[13]

6月30にちグラストンベリー・フェスティバルにレジェンドわくとして出演しゅつえん[14]

2019ねん12月、オーストラリア政府せいふ観光かんこうきょくのキャンペーンに起用きよう。オーストラリアの観光かんこうプロモーションビデオに出演しゅつえんした[15]

グラストンベリーでのパフォーマンスののち、「ポップ・ディスコなアルバムをつくりたい。パフォーマンス新作しんさくのレコーディングにはいるつもりだ」と言及げんきゅうした。新作しんさく製作せいさくは2020ねんコロナなかつづけられた。ロックダウンのさいはカイリーの自宅じたくスタジオを使用しようしている。所属しょぞくレコード会社かいしゃBMGの社長しゃちょう、アリスタ・ノーブリーは、カイリーがロックダウンちゅうすみやかに作業さぎょうおこなうため、音楽おんがくソフトウェア「ロジックプロ」を使つかってヴォーカルの録音ろくおん編集へんしゅうをする方法ほうほうについてまなんでいると、業界ぎょうかい「ミュージックウィーク」でべている。

2020- :『ディスコ』『テンション』と「パダム・パダム」の成功せいこう、ラスベガス常設じょうせつ公演こうえん

編集へんしゅう
 
2019ねん

2020ねん7がつ23にち、15まいのアルバム『ディスコ』よりファーストシングルとなる「セイ・サムシング」が発表はっぴょうされた。9月24にちにはセカンドシングル「マジック」、10月23にちにはプロモーションシングル「アイ・ラヴ・イット」が発表はっぴょうされている。『ディスコ』は2020ねん11月6にち発売はつばいされ、イギリスのアルバムチャートでいち獲得かくとくしている。 これによりカイリーは80年代ねんだいから20年代ねんだいの5つの年代ねんだいでナンバーワンアルバムを獲得かくとくした最初さいしょ女性じょせいソロアーティストになった。アルバム発売はつばい翌日よくじつには配信はいしんコンサート『インフィニット・ディスコ』を開催かいさい

同月どうげつBBCのチャリティー番組ばんぐみ「Children in Need's」にチャリティーシングル「ストップ・クライング・ユア・ハート」で出演しゅつえんしている。

2021ねん10がつやく30年間ねんかんらしたイギリスから母国ぼこくオーストラリアへUターン移住いじゅう家族かぞくとの時間じかん大切たいせつにしたいというおもいから母国ぼこく居住きょじゅううつした。

2023ねん5がつ、16まいのアルバム『テンション』よりファースト・シングルの「パダム・パダム」を発表はっぴょう、12ねんぶりにイギリスのシングルチャートのTOP10にはいるなど久々ひさびさにシングルでのだいヒットを記録きろくだい66かいグラミーしょうでは15ねんぶりにノミネートされ、20ねんぶりに受賞じゅしょう最優秀さいゆうしゅうポップ・ダンス・レコーディングしょう[16]ARIAミュージック・アワードでも4部門ぶもんにノミネート、そのうちベスト・ポップ・リリース部門ぶもん受賞じゅしょうするなどたか評価ひょうかあつめた。

11月、ラスベガスのベネチアンホテルないにあるヴォルテールでキャリアはつ常設じょうせつ公演こうえん開始かいし

2024ねんにはブリット・アワードグローバル・アイコンしょう英語えいごばん受賞じゅしょう、ヒット・メドレーを披露ひろうした。また4がつ17にちにはアメリカの雑誌ざっしタイムえらぶ「2024ねん 世界せかいもっと影響えいきょうりょくのある100にん」に選出せんしゅつされた[17]

ディスコグラフィ

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2009ねん

チャート漢字かんじ表記ひょうき一覧いちらん:イギリス(えい),オーストラリア(ごう),全米ぜんべい(べい),日本にっぽん(日)にち,フランス(ふつ),ドイツ(どく),アイルランド(あい),カナダ(),オーストリア(おう),イタリア(),スペイン(西にし),オランダ(らん),ベルギー(しろ),スウェーデン(みず),ロシア(),デンマーク(ひのと),フィンランド(芬),ハンガリー(ひろし),台湾たいわん(だい)

オリジナル・アルバム

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コンピレーション・アルバム (一部いちぶ)

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ライヴ・アルバム

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- 1987ねん

  • ロコモーション」(えい2,ごう1,1,1,芬1,あい1,みなみ1,べい3,どく3,ふつ5,らん6,6)(べいCLUB12)
  • ラッキー・ラヴ」(えい1,ごう1,どく1,1,あい1,おう4,6,25,べい28,ふつ4)(べいCLUB10)

- 1988ねん

- 1989ねん

  • いつわりのハート」(えい1,ごう4,あい1,こう1,2,どく17,らん19,ふつ8)
  • 「いつだってラヴ・ユー」(えい2,ごう6,どく24,ふつ19)
  • ネヴァー・トゥー・レイト」(えい4,ごう14,らん29,どく45,ふつ26)

- 1990ねん

- 1991ねん

- 1992ねん

  • 「ギヴ・ミー・ジャスト・ア・リトル・モア・タイム」(えい2,みなみ1,ごう24,どく51)[18]
  • ファイナー・フィーリングス」(えい11,ごう60)
  • 「ホワット・カインド・オブ・フール」(えい14,ごう17,どく81)
  • セレブレーション」(えい20,ごう21)

- 1994ねん

- 1995ねん

- 1997ねん

- 1998ねん

- 2000ねん

- 2001ねん

  • 「ユア・ディスコ・ニーズ・ユー」(ごう20,どく31,らん50,ふつ31)
  • 「バタフライ」(べいCLUB 14)
  • あつむねがして」(えい1,ごう1,どく1,1,ふつ1,らん1,あい1,おう1,西にし1,みず1,しろ1,ひのと1,べい7)(べいCLUB 1)

- 2002ねん

- 2003ねん

  • スロウ」(えい1,ごう1,西にし1,ひのと1,6,6,どく8,らん8,20,ひろし4,べい91)(べいCLUB 1)

- 2004ねん

- 2005ねん

- 2007ねん

  • 2・ハーツ」(えい4,ごう1,西にし1,2,どく13,ふつ15)

- 2008ねん

  • ワウ」(えい5,ごう11,ふつ15)(べいCLUB 19)
  • 「イン・マイ・アームズ」(えい10,ごう35,どく8,らん20,20,ふつ10)
  • 「オール・アイ・シー」(81)(べいCLUB 3)
  • 「ザ・ワン」(えい36,61)

- 2010ねん

  • オール・ザ・ラヴァーズ」(えい3,ふつ3,はく4,おう5,西にし6,あい6,6,どく10,ごう13,ひろし2,14)(べいCLUB 1)
  • ゲット・アウタ・マイ・ウェイ」(えい12,しろ5,西にし11)(べいCLUB 1)
  • 「ベター・ザン・トゥデイ」(えい32,ごう55,ふつ63)(べいCLUB 1)

- 2011ねん

- 2012ねん

  • タイムボム」(えい31,ごう12)(べいCLUB 1) (配信はいしん限定げんていリリース
  • 「フラワー」(えい96)

- 2013ねん

  • 「スカート」(べいCLUB 1) (Beatportのみの配信はいしん限定げんていリリース)

- 2014ねん

  • 「イントゥ・ザ・ブルー」(べいCLUB 1)
  • 「アイ・ワズ・ゴナ・キャンセル」
  • 「クリスタライズ」(チャリティー・シングルとして発表はっぴょう)

- 2015ねん

- 2016ねん

- 2018ねん

- 2019ねん

- 2020ねん

- 2021ねん

- 2022ねん

  • 「キャント・ストップ・ライティング・ソングス・アバウト・ユー」(グロリア・ゲイナーとのデュエット)

- 2023ねん

コラボレーション・シングル

編集へんしゅう

- 1988ねん

- 1989ねん

  • 「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」(えい1) (バンド・エイドII一員いちいんとして参加さんか) (チャリティー・シングル)

- 1991ねん

  • 「キープ・オン・パンピン・イット」(えい49) (ヴィジョンマスターズ&トニー・キングのフィーチャリング・アーティストとして参加さんか

- 1995ねん

- 1998ねん

- 2000ねん

- 2005ねん

- 2008ねん

  • 「Lhuna」(コールドプレイとのコラボレーション、チャリティー・シングルとして発表はっぴょう

- 2010ねん

  • 「エヴリバディ・ハーツ」 (えい1,あい1) (Helping Haitiの一員いちいんとして参加さんか)(ハイチだい地震じしんのチャリティー・シングルとして発表はっぴょう
  • 「ハイアー」(えい8,べい24,どく3,ふつ7,13) (べいCLUB 1)(タイオ・クルーズのフィーチャリング・アーティストとして参加さんか

- 2011ねん

- 2013ねん

- 2014ねん

- 2015ねん

- 2023ねん

  • 「テン・アウト・オブ・テン」(オリバー・ヘルデンスとのコラボレーション)
  • 「グレイテスト・ヒッツ・ライブ〜イン・シドニー」(2001ねん)
  • フィーヴァー2002 ライヴ・イン・マンチェスター」(2002ねん)
  • ボディ・ランゲージ・ライヴ」(2004ねん)
  • 「コンプリート・ベスト DVD」(2004ねん)
  • 「ショウガール - ザ・グレイテスト・ヒッツ・ツアー 2005」(2005ねん)
  • 「ホワイト・ダイアモンド/ホームカミング」(2007ねん)
  • Kylie X 2008」(2008ねん)
  • 「アフロディーテ・レ・フォリ -ライヴ・イン・ロンドン-」(2011ねん)(ライヴ音源おんげん収録しゅうろくしたCD2まいぐみどうこりされている)
  • 「キス・ミー・ワンス・ライヴ」(2015ねん)(ライヴ音源おんげん収録しゅうろくしたCD2まいぐみどうこりされている)
  • 「ゴールデン:ライヴ・イン・コンサート」(2019ねん)
  • 「Kylie X 2008」(2008ねん)
  • 「アフロディーテ・レ・フォリ -ライヴ・イン・ロンドン-」(2011ねん)
  • 「キス・ミー・ワンス・ライヴ」(2015ねん)(ライヴ音源おんげん収録しゅうろくしたCD2まいぐみどうこりされている)

受賞じゅしょうれき

編集へんしゅう
しょう 年度ねんど 部門ぶもん 対象たいしょう
日本にっぽんゴールドディスク大賞たいしょう 1989ねん THE GRAND PRIX NEW ARTIST OF THE YEAR ラッキー・ラヴ
THE GRAND PRIX SINGLE OF THE YEAR
ブリット・アワード 2002ねん 最優秀さいゆうしゅう国際こくさいアルバム フィーヴァー
最優秀さいゆうしゅう国際こくさい女性じょせい カイリー・ミノーグ
2008ねん 国際こくさい女性じょせいソロアーティスト
2024ねん グローバル・アイコンしょう
MTV VMA 1998ねん 国際こくさい聴者ちょうしゃ投票とうひょうしょう(オーストラリア) ディド・イット・アゲイン
2002ねん 最優秀さいゆうしゅう振付ふりつけしょう あつむねがして
MTV EMA 2002ねん 最優秀さいゆうしゅうポップ歌手かしゅしょう カイリー・ミノーグ
最優秀さいゆうしゅうダンス歌手かしゅしょう
グラミーしょう 2004ねん ベストダンスレコーディング カム・イントゥ・マイ・ワールド
2024ねん 最優秀さいゆうしゅうポップ・ダンス・レコーディング パダム・パダム

日本にっぽんでのテレビ出演しゅつえん

編集へんしゅう
  • よるのヒットスタジオDELUXE(1988ねん11月2にち、1989ねん8がつ9にち、フジテレビ)※スタジオせい出演しゅつえん
  • SMAP×SMAP(2008ねん2がつ11にち、フジテレビけい)※トーク&パフォーマンス

日本にっぽん公演こうえん

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1988ねんだい19かい世界せかい歌謡かようさい出場しゅつじょうのためはつ来日らいにち予定よていされていたが、しょ事情じじょうにより中止ちゅうし決定けっていされた。

10月2にち 名古屋なごやレインボーホール、6にち 東京とうきょうドーム、7にち,8にち 大阪城おおさかじょうホール
  • 1991ねん Rhythm of Love Tour
3月3にち:東京とうきょうベイNKホール 3月6にち:横浜よこはまアリーナ、3月8にち:名古屋なごや公会堂こうかいどう、3がつ10日とおか:神戸こうべワールド記念きねんホール
  • 2011ねん APHRODITE LIVE 2011
4がつ23にち・24にち 幕張まくはりメッセイベントホール、25にち 大阪城おおさかじょうホール

ドラマ・テレビ

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  • 「ザ・サリヴァンス」(1979ねん〜1982ねん・オーストラリア)
  • 「ヘンダーソンキッズ」(1985ねん〜1987ねん・オーストラリア)
  • 「フェイム&ミスフォーチュン」(1986ねん〜1989ねん・オーストラリア)
  • ネイバーズ」(1986ねん〜1988ねん・オーストラリア)
  • 「キャス&キム」(2002ねん〜2005ねん・オーストラリア)
  • 「The Kylie Show」(2007ねん・イギリス)
  • 「Playhouse Presents」(2012ねん放映ほうえいちゅう・イギリス)
  • 「ヤング&ハングリー」(2014ねん〜2018ねん・アメリカ)
  • 「ギャラヴァント」(2015ねん〜2016ねん・イギリス)
  • 「リアルストーリーズ」(2018ねん放映ほうえいちゅう・イギリス)
  • 「Kylie Secret Night」(2019ねんクリスマス番組ばんぐみ・イギリス)
  • 「Vicar of Dibley:Inside Out」(2021ねん放映ほうえいちゅう・イギリス)

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Kylie Minogue - Biography - IMDb
  2. ^ http://wmg.jp/artist/kylieminogue/WPZR000030528.html
  3. ^ http://www.hmv.co.jp/news/article/1401270049/
  4. ^ [1] - TSORT
  5. ^ Kylie Minogue claims UK number one album BBC News
  6. ^ Kylie Minogue × VERBAL / We Are One
  7. ^ timebomb-is-here Kylie.com
  8. ^ Ro69.jp
  9. ^ http://abcdane.net/site/music/2014/02/Kylie-thevoice-effect.html
  10. ^ カイリー・ミノーグ、19さいえい俳優はいゆう婚約こんやく”. 映画えいが.com (2016ねん2がつ23にち). 2016ねん2がつ24にち閲覧えつらん
  11. ^ Kylie Minogue Is 'Golden' With Sixth U.K. No. 1 Album”. Billboard (2018ねん4がつ16にち). 2018ねん5がつ26にち閲覧えつらん
  12. ^ Kylie Minogue, Drake Lead Australia's Charts”. Billboard (2018ねん4がつ16にち). 2018ねん5がつ26にち閲覧えつらん
  13. ^ Kylie Minogue reaches top spot on Australian and UK charts”. 7 NEWS (2019ねん7がつ6にち). 2019ねん9がつ5にち閲覧えつらん
  14. ^ カイリー・ミノーグ、グラストンベリーにレジェンドわく出演しゅつえん決定けってい”. VOGUE JAPAN (2018ねん12月21にち). 2019ねん9がつ5にち閲覧えつらん
  15. ^ 離脱りだつ問題もんだいわすれて豪州ごうしゅう休暇きゅうかを、K・ミノーグ出演しゅつえん映像えいぞう観光かんこう誘致ゆうち”. ロイター (2019ねん12月27にち). 2019ねん12月29にち閲覧えつらん
  16. ^ Kylie Minogue wins second Grammy Award, 20 years after the first - BBC
  17. ^ カイリー・ミノーグ、べいタイムの「2024ねんもっと影響えいきょうりょくのある100にん」に選出せんしゅつ”. Billboard JAPAN (2024ねん4がつ18にち). 2024ねん4がつ24にち閲覧えつらん
  18. ^ a b フジテレビ系列けいれつ深夜しんや放送ほうそうされていた音楽おんがく番組ばんぐみBEAT UK』では、UKシングルチャートNo.1を獲得かくとく

外部がいぶリンク

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