(Translated by https://www.hiragana.jp/)
クリーブランド・ガーディアンズ - Wikipedia

クリーブランド・ガーディアンズ

アメリカのプロ野球やきゅうチーム

クリーブランド・ガーディアンズえい: Cleveland Guardians略称りゃくしょう: CLE、ガぐん)は、メジャーリーグベースボール以下いか、MLB)アメリカンリーグちゅう地区ちく所属しょぞくのプロ野球やきゅうチーム。本拠地ほんきょちオハイオしゅうクリーブランドにあるプログレッシブ・フィールド。1915ねんから2021ねんまでの球団きゅうだんめいクリーブランド・インディアンスえい: Cleveland Indians)であった。

クリーブランド・ガーディアンズ
Cleveland Guardians
1901とし創設そうせつ
所属しょぞくリーグ
チームめい
  • クリーブランド・ガーディアンズ (2022ねん - )
    • クリーブランド・ブルーバーズ (1901ねん)
    • クリーブランド・ブロンコス (1902ねん)
    • クリーブランド・ナップス (1903ねん - 1914ねん)
    • クリーブランド・インディアンス (1915ねん - 2021ねん)
    • クリーブランド・ガーディアンズ (2022ねん - )
本拠地ほんきょち
1901-現在の位置(アメリカ合衆国内)
1901-現在
1901-現在げんざい
永久えいきゅう欠番けつばん
獲得かくとくタイトル獲得かくとくねん
ワールドシリーズ優勝ゆうしょう(2かい)
リーグ優勝ゆうしょう(6かい)
地区ちく優勝ゆうしょう(11かい)
  • 1995
  • 1996
  • 1997
  • 1998
  • 1999
  • 2001
  • 2007
  • 2016
  • 2017
  • 2018
  • 2022
ワイルドカード(1かい)
  • 2013
  • 2020
球団きゅうだん組織そしき
オーナー ラリー・ドーラン
ポール・ドーラン
GM マイク・チャーノフ
監督かんとく スティーブン・ボート

概要がいよう

編集へんしゅう
 
げんチームめい由来ゆらいとなった「交通こうつう守護神しゅごじんぞう(Guardians of Traffic)」

ア・リーグ創設そうせつから存在そんざいする古参こさん球団きゅうだん

1900ねんウェスタン・リーグから改称かいしょうしたさい、グランドラピズ・ラスラーズがクリーブランド移転いてんし、これが現在げんざいのクリーブランド・ガーディアンズの起源きげんである。

このとしアメリカン・リーグはまだマイナー・リーグであったが、翌年よくねんにメジャー・リーグに昇格しょうかく宣言せんげんをしてメジャー・リーグとなった初年度しょねんど1901ねんはクリーブランド・ブルーバーズ、翌年よくねん1902ねんにはクリーブランド・ブロンコスと名乗なのったが、1902ねんにフィラデルフィア・アスレチックスからナポレオン・ラジョイ獲得かくとくし、かれ主軸しゅじく打者だしゃとして中心ちゅうしんメンバーとなり、かれ通称つうしょうであったナップから1903ねんからナップスとばれ、ナップ・ラジョイ中心ちゅうしんとなって活躍かつやくしたチームだった。このあいだにはかつてクリーブランド・スパイダーズにいたサイ・ヤングシューレス・ジョー・ジャクソン一時いちじ在籍ざいせきした。そしてかれがチームをはなれたことで1915ねんにインディアンスと改名かいめいし、やがて1920ねんトリス・スピーカー中心ちゅうしんとした打線だせんでリーグ優勝ゆうしょうしてワールドシリーズち、1948ねんにはたま投手とうしゅボブ・フェラーようするルー・ブードロー遊撃手ゆうげきしゅけん監督かんとくでチームをささえ、さらにジャッキー・ロビンソンにつづいて2人ふたり黒人こくじん選手せんしゅラリー・ドビー獲得かくとくし、ふたたびリーグ優勝ゆうしょうたし、ワールドシリーズでもブレーブスをくだした。しかし、そのなが低迷ていめいつづけ、1954ねんのリーグ優勝ゆうしょう最後さいご1994ねんまでワールドシリーズからはとおざかった。そのため、1989ねんには映画えいがメジャーリーグ』のモデル球団きゅうだんになるなど、弱小じゃくしょうチームの代名詞だいめいしとしてられた。

1990年代ねんだい後半こうはんになるとマニー・ラミレスジム・トーミといったスター選手せんしゅようし、1995ねんから1999ねんまで5ねん連続れんぞく地区ちく優勝ゆうしょうたすなど、黄金おうごんきずいた。2000ねん以降いこう緊縮きんしゅく財政ざいせいのため上記じょうき主力しゅりょく選手せんしゅ流失りゅうしつしてしまい、きびしいたたかいをいられた。しかし、その主力しゅりょく選手せんしゅえにグレイディ・サイズモアトラビス・ハフナーCC・サバシアといった有望ゆうぼう新人しんじんそだて、2004ねん地区ちく32005ねん地区ちく22007ねんには地区ちく1着実ちゃくじつちからをつけている。

地元じもとでの人気にんきはもちろんのこと、映画えいがメジャーリーグ』のだいヒットにより、メジャーでも知名度ちめいどたかい。1995ねん6がつ12にちから2001ねん4がつ4にちまで、ホームゲームで455試合しあい連続れんぞく満員まんいん御礼おれいという記録きろくつくっている。これを記念きねんし、455ばんがチームの永久えいきゅう欠番けつばんとなった。なお、そのボストン・レッドソックスが2003ねんから2013ねんにかけて、794試合しあい連続れんぞく満員まんいん御礼おれいとして記録きろく更新こうしんしている。交流こうりゅうせんではヤンキースメッツのサブウェイ・シリーズのように、おなじオハイオしゅうシンシナティ・レッズとのカードが“バトル・オブ・オハイオ”とばれ地元じもとでは人気にんきあつめている。

本拠地ほんきょちであるプログレッシブ・フィールドは、2007ねんまでジェイコブス・フィールドとばれていたが、2008ねん自動車じどうしゃ保険ほけん会社かいしゃプログレッシブしゃが、16ねん5800まんドルでネーミングライツ獲得かくとくしたことでこの名前なまえ変更へんこうした。クリーブランドの市街地しがいちにあり、タワーシティ・センターとばれる電車でんしゃやバスのターミナル(クリーブランド・ホプキンス国際こくさい空港くうこうからの電車でんしゃもここにとままる)から徒歩とほ圏内けんない途中とちゅうNBAクリーブランド・キャバリアーズ本拠地ほんきょちクイックン・ローンズ・アリーナがある。

「インディアンス」という球団きゅうだんめいは、ネイティブ・アメリカンけいでは最初さいしょ選手せんしゅとされるルイス・ソカレキス(スパイダーズに所属しょぞく)を顕彰けんしょうする意図いと命名めいめいされたものだったが(詳細しょうさい後述こうじゅつ[1]ポリティカル・コレクトネス配慮はいりょし、2021ねん7がつ23にちに2022ねんシーズンから「ガーディアンズ」に変更へんこうすることが発表はっぴょうされた[2]。ガーディアンズの由来ゆらい市内しないのホープメモリアルきょうはたててある「交通こうつう守護神しゅごじんぞう(ガーディアンズ・オブ・トラフィック Guardians of Traffic)」に由来ゆらいする[3][4]

球団きゅうだん歴史れきし

編集へんしゅう

球団きゅうだん創設そうせつまえ

編集へんしゅう

本拠地ほんきょちであるクリーブランドのプロ野球やきゅうチームの歴史れきしは、1860年代ねんだい創設そうせつされた『フォレストシティ・ベース・ボール・クラブ』にさかのぼる。このチームはのちにセミプロし、1871ねん創設そうせつされた全米ぜんべいプロ野球やきゅう選手せんしゅ協会きょうかい(ナショナル・アソシエーション)のプロリーグに「クリーブランド・フォレストシティーズ」として2年間ねんかん参加さんかした。そのナショナルリーグには、1879ねんから1884ねんまでクリーブランド・ブルースというチームが、また1889ねんから1899ねんまでクリーブランド・スパイダーズというチームが所属しょぞくして活動かつどうした。

ブルースは、通算つうさん265しょうげたジム・マコーミック選手せんしゅ兼任けんにん監督かんとくとし、まずまずの成績せいせきほこっていた。しかし、1884ねんユニオン・アソシエーション創立そうりつされたさい主力しゅりょく選手せんしゅ移籍いせき、チームは一気いっき弱体じゃくたいし、このとしかぎりで解散かいさんした。一方いっぽうのスパイダーズは、MLB最多さいた通算つうさん511しょうげたサイ・ヤングがメジャーデビューした球団きゅうだんとしてられる。スパイダーズはヤングをはじめおおくの優秀ゆうしゅう選手せんしゅそろえたが、なかなか優勝ゆうしょうとどかなかった。1898ねん、これにごうやしたオーナーたちが、どうリーグのセントルイス・ブラウンズ(げん:セントルイス・カージナルス)を買収ばいしゅうし、パーフェクトズと改名かいめい(1ねんにカージナルスとなった)、ヤングをはじめとした選手せんしゅ大半たいはん移籍いせきさせた。このあおりをけたスパイダーズは、1899ねんを20しょう134はいという成績せいせきえ、このシーズンを最後さいごにチームは解散かいさんした。

これらのチームがクリーブランドを本拠ほんきょとしたが、今日きょうのクリーブランド・ガーディアンズの起源きげんは、まったべつであった。

ラジョイとインディアンス

編集へんしゅう
 
ナップ・ラジョイ

1900ねん当時とうじマイナー・リーグであったウエスタン・リーグがアメリカン・リーグに改称かいしょうしたときに、ミシガンしゅうグランドラピズを本拠地ほんきょちとしていたチームをクリーブランドに移転いてんさせたことでチームの歴史れきしはじまった。よく1901ねん、マイナー・リーグであったアメリカンリーグがメジャー・リーグ宣言せんげんすると、クリーブランド・ブルーバーズという名前なまえで、リーグ創設そうせつ以来いらい球団きゅうだんとなった。初年度しょねんど1901ねんこそ、54しょう78はいし、リーグ7わってしまったが、よく1902ねんにクリーブランド・ブロンコスとあらため、そしてこのシーズン途中とちゅうに、フィラデルフィア・アスレチックス(げん:オークランド・アスレチックス)からナップ・ラジョイ獲得かくとくした。ラジョイは期待きたいにたがわぬ活躍かつやくでチームを牽引けんいんし、ファンから絶大ぜつだい人気にんきほこった。このとし一般いっぱん公募こうぼによって、チームめいもクリーブランド・ナップスとあらためて、1905ねんにはラジョイが選手せんしゅ兼任けんにん監督かんとく就任しゅうにんし、文字通もじどおりラジョイのチームとなった。

ラジョイは1903ねん1904ねんと2ねん連続れんぞく首位しゅい打者だしゃ獲得かくとくし、監督かんとく退しりぞいたのち1910ねんには、タイ・カッブ首位しゅい打者だしゃ獲得かくとくしたものの、打率だりつ.384で打率だりつ1記録きろくしている(当時とうじ記録きろくでは、カッブがラジョイの打率だりつをわずかに上回うわまわっていたが、のちにカッブの記録きろくあやまりがつかり、カッブの打率だりつは.383となった。しかし公式こうしき首位しゅい打者だしゃはカッブのまま変更へんこうはされなかった)。ほかにもアディ・ジョスエルマー・フリックといった選手せんしゅ活躍かつやくし、チームはしをつづけるものの、なかなか優勝ゆうしょうにはとどかなかった。

1909ねん、サイ・ヤングがクリーブランドに復帰ふっきし、42さいという高齢こうれいにもかかわらず、防御ぼうぎょりつ2.26・19しょう15はいという成績せいせきのこした。よく1910ねんには、アスレチックスでくすぶっていたジョー・ジャクソン獲得かくとく1911ねんには打率だりつ.408を記録きろくし、1912ねん1913ねんと2ねん連続れんぞく最多さいた安打あんだはなった。しかし、このころにはジョスの急死きゅうしやヤングの移籍いせき投手とうしゅじん脆弱ぜいじゃくなものとなり、チームはさら低迷ていめいした。ついに1914ねんには、51しょう102はいおおきく最下位さいかいになってしまった。よく1915ねんには、ラジョイが古巣ふるすフィラデルフィア・フィリーズ復帰ふっきし、1915ねんのシーズン途中とちゅうには、ジャクソンがシカゴ・ホワイトソックス移籍いせきしたことで、57しょう95はいと2ねん連続れんぞくおおきくした。このとしには、チームめいもクリーブランド・インディアンスにわっている(この名前なまえ由来ゆらいはMLBはつインディアンのプロ野球やきゅう選手せんしゅであり、1897ねんから1899ねんまでスパイダーズで活躍かつやくしたルイス・ソカレキス敬意けいいあらわしてつけられたといわれる[1])。

はつのワールドシリーズ優勝ゆうしょう

編集へんしゅう
 
1920ねん当時とうじのインディアンスのメンバー

1916ねん、マイナーでごしていたスタン・コベレスキジム・バグビーをメジャーに昇格しょうかくさせ、ボストン・レッドソックスからトリス・スピーカー獲得かくとくした。コベレスキとバグビーはチームのあたま成長せいちょうし、スピーカーはこのとし打率だりつ.388で首位しゅい打者だしゃ獲得かくとくした。チームも次第しだい上昇じょうしょう気流きりゅうり、1919ねんのシーズン途中とちゅうにはチームの中心ちゅうしん選手せんしゅだったスピーカーが選手せんしゅ兼任けんにん監督かんとく就任しゅうにんする。

1920ねんにチームは首位しゅい快走かいそうしていたが、8がつ16にちニューヨーク・ヤンキースせん悲劇ひげきこる。ヤンキースの投手とうしゅカール・メイズとうじたたまが、当時とうじインディアンスの遊撃手ゆうげきしゅだったレイ・チャップマン頭部とうぶ直撃ちょくげきし、翌日よくじつチャップマンが死亡しぼうしてしまったのである。これはMLBにおいて、試合しあいちゅうのプレーが原因げんいん死亡しぼうした唯一ゆいいつれいとなり、そのインディアンスの選手せんしゅたち喪章もしょうをつけてプレーすることとなった。チャップマンが死亡しぼうしたことで、新人しんじんジョー・シーウェル代役だいやくとしてレギュラーに定着ていちゃくし、のちにシーウェルはMLB最高さいこうのコンタクトヒッターとばれるまでに成長せいちょうする。

シーズン終盤しゅうばん、ジョー・ジャクソンらが大審院だいしんいん証言しょうげんおこない、前年ぜんねんこったブラックソックス事件じけん話題わだい再燃さいねんするなか、インディアンスはヤンキースとホワイトソックスの追撃ついげきり、はつのリーグ優勝ゆうしょうかざった。ブルックリン・ロビンス(げん:ロサンゼルス・ドジャース)との対戦たいせんとなったワールドシリーズでは、5しょう2はいでこれをくだし、はつのワールドシリーズ優勝ゆうしょうたした。このシリーズではコベルスキが3試合しあい登板とうばんし、すべての試合しあい完投かんとう勝利しょうりおさめ、ロビンスにわせて2てんしかあたえなかった。また二塁手にるいしゅビル・ワムズガンスがワールドシリーズでは史上しじょう唯一ゆいいつの「補殺ほさつさんじゅうころせ」を成功せいこうさせている。

フェラーの登場とうじょう

編集へんしゅう
 
たま投手とうしゅばれたボブ・フェラー(1936ねん)

1920ねん以降いこうは、ベーブ・ルースようしたヤンキースが台頭たいとうし、インディアンスは優勝ゆうしょうからとおざかることとなった。1920年代ねんだい中盤ちゅうばんには、チームのようであったスピーカーやコベルスキがつづけてチームをはなれ、わってチームの中心ちゅうしん選手せんしゅだったシーウェルも、1931ねんにヤンキースに移籍いせきした。1929ねんアール・アベリルが27さいという遅咲おそざきでメジャーデビューする。アベリルはデビュー以来いらい、6ねん連続れんぞくで3わり記録きろくし、1936ねんには打率だりつ.378とこう打率だりつ記録きろくするなど、好成績こうせいせきのこした。しかし、アベリルは優勝ゆうしょうとはえんがないままチームをはなれることとなった。1930年代ねんだいはいると、してシーズンはえるものの、優勝ゆうしょうあらそいにはほとんどからむことができず、3や4てい位置いちとなった。

そんななか、1936ねんボブ・フェラーが17さいでメジャーデビューする。アイダホしゅう農場のうじょうまれ、野球やきゅうきの父親ちちおやからピッチングをおそわってそだったフェラーの才能さいのうをインディアンスが見出みいだしたものだった。フェラーは、デビューせんでいきなり1試合しあい15だつ三振さんしん記録きろくすると、つぎ試合しあいでも17だつ三振さんしん記録きろくし、デビュー当初とうしょからその才能さいのう遺憾いかんなく発揮はっきした。1938ねんからは先発せんぱつレギュラーに定着ていちゃくし、1941ねんまでの4年間ねんかん最多さいただつ三振さんしん4かい最多さいた勝利しょうり3かい最優秀さいゆうしゅう防御ぼうぎょりつ1かい受賞じゅしょうするなど、リーグを代表だいひょうする投手とうしゅ成長せいちょうする。しかし1941ねん太平洋戦争たいへいようせんそうはじまると、フェラーは兵役へいえきき、1945ねん終戦しゅうせんまでチームをはなれることとなった。

チーム改革かいかく

編集へんしゅう
 
ミュニシパル・スタジアム

1946ねんビル・ベックがチームのオーナーとなり、数々かずかずのチーム改革かいかく実践じっせんする。ベックはほかにもリグレー・フィールド外野がいやフェンスのツタ考案こうあんするなど、様々さまざまなアイデアでチーム改革かいかくおこなうオーナーとして有名ゆうめいだった。ベックは、それまで併用へいようしていたリーグ・パークでの試合しあいめ、本拠地ほんきょち球場きゅうじょうミュニシパル・スタジアム一本いっぽんした。また、ミュニシパル・スタジアムの改修かいしゅうにもつとめ、女性じょせいきゃくむために、託児たくじしょもうけて保育ほいくやとったり、女性じょせいトイレを清潔せいけつたもつようにした。こうした努力どりょくみのり、まんねん中位ちゅうい戦争せんそう影響えいきょう観客かんきゃくすうっていたインディアンスは、飛躍ひやくてき観客かんきゃくすうばすこととなった(1948ねんにはリーグしん記録きろくとなる262まんにん動員どういんする)。

1942ねんにはインディアンスの遊撃手ゆうげきしゅだったルー・ブードロー監督かんとく兼任けんにん志願しがんし、MLB最年少さいねんしょうとなる24さい選手せんしゅ兼任けんにん監督かんとく就任しゅうにんする。ブードローは選手せんしゅ監督かんとくというそく草鞋わらじ見事みごときこなし、選手せんしゅとしては1944ねん首位しゅい打者だしゃ獲得かくとく監督かんとくとしてはブードロー・シフトを考案こうあんするなど奇抜きばつなアイデアを駆使くししてチームをひきいた。1946ねん復帰ふっきしたフェラーが最多さいたしょう最多さいただつ三振さんしん獲得かくとくし、わらぬ健在けんざいぶりをしめすと、野手やしゅだったボブ・レモン投手とうしゅとして4しょうげ、その片鱗へんりんはじめる。また1947ねんのシーズン途中とちゅうには、同年どうねんにメジャーデビューしていたジャッキー・ロビンソンつづき、ラリー・ドビー戦後せんご2にんアフリカけいアメリカじんプレイヤーとしてメジャーデビューするなど、チームの戦力せんりょく充実じゅうじつする。

2度目どめのワールドシリーズ

編集へんしゅう
 
サッチェル・ペイジ(1949ねん)

1948ねん上記じょうき選手せんしゅがフル稼働かどうし、シーズン序盤じょばんからはげしい首位しゅいあらそいをえんじた。シーズン途中とちゅうには、ニグロリーグ長年ながねんプレーしたサチェル・ペイジが、42さいという史上しじょうさい高齢こうれい新人しんじん投手とうしゅとしてメジャーデビューする。ペイジはデビューせん完封かんぷう勝利しょうりかざり、シーズンでは6しょうをあげる活躍かつやくでチームに貢献こうけんした。最終さいしゅうてきに96しょう58はいボストン・レッドソックス同率どうりつ首位しゅいならび、ワンゲームプレイオフおこなわれることとなった。この試合しあいでは、監督かんとく内野ないやしゅであったルー・ブードローが2本塁打ほんるいだふくむ4打数だすう4安打あんだ活躍かつやくをみせ、8たい3でレッドソックスをくだし、2度目どめのリーグ優勝ゆうしょうたした。

つづワールドシリーズでは、ボストン・ブレーブス(げん:アトランタ・ブレーブス)と対戦たいせん。このシリーズは、インディアンスのフェラー、レモンにたいして、ブレーブスはウォーレン・スパーンジョニー・セインという左右さゆうのエースをかかえており、それぞれのエース同士どうし対戦たいせんでもあった。だい1せんではフェラーとセインがい、どちらも7かいまで0てんおさえる好投こうとうをみせたが、結局けっきょく1たい0でセインがち、ブレーブスが勝利しょうりおさめた。つづだい2せんではレモンとスパーンが対戦たいせん、5かいにスパーンがくずれ、4たい1でインディアンスが勝利しょうりした。だい3せんだい4せんとインディアンスが連勝れんしょうし、だい5せんではブレーブスが一矢いっしむくいた。3しょう2はいむかえただい6せんでは、レモンが7かいまで1てんおさえる好投こうとうでブレーブスをくだし、インディアンスが28ねんぶり2度目どめのワールドチャンピオンにかがやいた。

長期ちょうき低迷ていめい

編集へんしゅう

1951ねんにはブードローにわり、アル・ロペス監督かんとく就任しゅうにん。このころにはふたたびヤンキースが黄金おうごんむかえ、インディアンスは優勝ゆうしょうからとおざかることとなった。戦力せんりょくてきにはヤンキースとほとんど遜色そんしょくなかったが、優勝ゆうしょうにはいまいちおよばず、とくに1951ねんから1953ねんまでは3ねん連続れんぞくでヤンキースにぐ2あまんじてしまった。1954ねんにはレモンとアーリー・ウィンが23しょうをあげてとも最多さいたしょう打撃だげきじんではラリー・ドビーが32本塁打ほんるいだ・116打点だてんかんおうボビー・アビラ打率だりつ.341で首位しゅい打者だしゃ獲得かくとく主要しゅよう個人こじんタイトルをインディアンスの選手せんしゅがほぼ独占どくせんするかたちとなり、チームは111しょう43はい勝率しょうりつ.721という圧倒的あっとうてき成績せいせきで、3度目どめのリーグ優勝ゆうしょうげた。しかし、ワールドシリーズでは、ニューヨーク・ジャイアンツ(げん:サンフランシスコ・ジャイアンツ)に4連敗れんぱいきっしてしまった(このシリーズではウィリー・メイズの「ザ・キャッチ」とばれる伝説でんせつてきなプレーもあった)。以降いこう、インディアンスは40ねんあまりにわたってワールドシリーズに進出しんしゅつできなかった。

1960年代ねんだいはいると、インディアンスの低迷ていめい一層いっそう深刻しんこくなものとなった。1960ねんから1993ねんまでの33年間ねんかんで3以上いじょうになったのは、1968ねんのわずか1かいのみで、すべて4以下いかでシーズンをえた。シーズン途中とちゅう監督かんとく解任かいにんげき毎年まいとしのようにおこなわれ、それでも状況じょうきょう改善かいぜんされることはほとんどなかった。1969ねんには地区ちくせい導入どうにゅうされ、インディアンスはひがし地区ちく所属しょぞくすることとなったが、チームはよわいままで、むしろ成績せいせきがる一方いっぽうだった。1975ねんにはフランク・ロビンソン選手せんしゅ兼任けんにん監督かんとく就任しゅうにん。アフリカけいアメリカじんはつのMLB監督かんとくとなったが、結果けっかのこせず、1977ねんのシーズン途中とちゅう監督かんとく解任かいにんされた。そんなチームの惨状さんじょうをつけたのが、映画えいがメジャーリーグ』だった。1989ねん公開こうかいされたこの映画えいがは、のち続編ぞくへんつくられるほどだいヒットし、低迷ていめいしていたインディアンスの観客かんきゃくすう回復かいふく一役ひとやくったとされる。しかし映画えいが同様どうようにインディアンスが優勝ゆうしょうちかづくには、あとすうねんたなければならなかった。

黄金おうごん

編集へんしゅう
 
プログレッシブ・フィールド

チームの黄金おうごんは1990年代ねんだい後半こうはんおとずれる。1991ねんマイク・ハーグローヴ監督かんとく就任しゅうにん。そしてこのころからアルバート・ベルケニー・ロフトンジム・トーミマニー・ラミレスといった若手わかて選手せんしゅ台頭たいとうはじめる。

1994ねんに3地区ちくせい導入どうにゅうされると、インディアンスはアメリカンリーグちゅう地区ちく移動いどうし、老朽ろうきゅうすすんだミュニシパル・スタジアムからジェイコブス・フィールド(げん:プログレッシブ・フィールド)に本拠地ほんきょちうつす。シーズンでは1994ねんから1995ねんのMLBストライキでシーズンが中断ちゅうだんされるまで、首位しゅいのホワイトソックスに1ゲームの2というこう位置いち維持いじした。

1995ねん開幕かいまくからチームを圧倒あっとうし、2とは30ゲームの100しょう44はい地区ちく優勝ゆうしょうげる。このとしには主砲しゅほうのベルが50本塁打ほんるいだ・126打点だてん活躍かつやくかんおう獲得かくとくし、リードオフマンのロフトンも54盗塁とうるい盗塁とうるいおう獲得かくとくするなどの活躍かつやくをみせた。ディビジョンシリーズではレッドソックスを3連勝れんしょう一蹴いっしゅうすると、つづリーグチャンピオンシップシリーズでは、シアトル・マリナーズを4しょう2はいくだし、41ねんぶりのリーグ優勝ゆうしょうたした。しくも前回ぜんかいおなじブレーブスとの対戦たいせんとなったワールドシリーズでは2しょう4はいやぶれ、2度目どめのワールドシリーズ優勝ゆうしょうとはならなかった。

1996ねんは、ベル(48ほん)、トーミ(38ほん)、ラミレス(33ほん)による前年ぜんねん以上いじょう強力きょうりょくなクリーンナップを形成けいせいし、99しょう62はいと2ねん連続れんぞく地区ちく優勝ゆうしょうげたが、ディビジョンシリーズでボルチモア・オリオールズやぶれた。1997ねんかぎりでベルが退団たいだんすると、わりにマット・ウィリアムズデビッド・ジャスティス獲得かくとく。ベルのけたあなおぎなってあまりある活躍かつやくをみせ、3ねん連続れんぞく地区ちく優勝ゆうしょうたした。ディビジョンシリーズでは3しょう2はいでヤンキースとの激闘げきとうせいし、つづくリーグチャンピオンシップシリーズではオリオールズを4しょう2はいくだしてリーグ優勝ゆうしょうめた。ワールドシリーズではフロリダ・マーリンズとの対戦たいせんとなり、最終さいしゅうせん延長えんちょうまでもつれだい熱戦ねっせんとなったが、結局けっきょくだい7せん延長えんちょう11かいにサヨナラけをきっし、またしてもワールドシリーズ優勝ゆうしょうはならなかった。

1998ねん1999ねん地区ちく優勝ゆうしょうたすが、いずれもプレーオフでやぶれ(1998ねんはヤンキース、1999ねんはレッドソックスと対戦たいせん)、リーグ優勝ゆうしょうはならなかった。なおこのあいだ本拠地ほんきょちジェイコブス・フィールドでは満員まんいん御礼おれい試合しあいつづき、1995ねん6がつ12にちから2001ねん4がつ4にちまで、「455試合しあい連続れんぞく入場にゅうじょう券売けんばいれ」という記録きろくつくっている。

2000年代ねんだい

編集へんしゅう

2000ねんにはハーグローヴにわり、打撃だげきコーチだったチャーリー・マニエル監督かんとく就任しゅうにん

2001ねんには地区ちく優勝ゆうしょうたす。しかしディビジョンシリーズで、このとしデビューしたイチローようするシアトル・マリナーズ敗退はいたい

2002ねんにはおおきくしたため、マニエルはシーズン途中とちゅう解任かいにんされた。このころにはチームの主砲しゅほうであるラミレス、トーミが相次あいついで移籍いせきし、かれらにわる若手わかて選手せんしゅ育成いくせいちからそそぐこととなった。主力しゅりょく選手せんしゅけたあなおおきく、2002ねんからは3ねん連続れんぞく勝率しょうりつ5わりるシーズンがつづいたが、きのC.C.サバシアビクター・マルティネス2003ねんテキサス・レンジャーズから移籍いせきしたトラビス・ハフナーといった若手わかて選手せんしゅ着実ちゃくじつちからばした。

2005ねん上記じょうき選手せんしゅくわえ、クリフ・リーグレイディ・サイズモア活躍かつやくもあり、ホワイトソックスと首位しゅいあらそいをひろげた。しかし最終さいしゅうてきに93しょう69はい地区ちく2となり、ワイルドカードあらそいでもレッドソックスにやぶれるかたちとなった(このとしにはホワイトソックスが88ねんぶりとなるワールドシリーズ制覇せいはげ、これによってちゅう地区ちくではインディアンスがもっともワールドチャンピオンからとおざかっているチームとなった)。

2006ねんは78しょう84はいし、優勝ゆうしょうあらそいにくわわることなくシーズンをえている。

2007ねん開幕かいまくから首位しゅいはしり、シーズン中盤ちゅうばんには独走どくそう態勢たいせいをとった。投手とうしゅじんではエースのサバシアと2ねんファウスト・カルモナともに19しょうをあげる活躍かつやくをみせ、打撃だげきじんでは30本塁打ほんるいだ以上いじょうはなった選手せんしゅはいなかったものの、マルティネスを中軸ちゅうじくとして効果こうかてき得点とくてんかさねた。またシーズン途中とちゅう復帰ふっきしたロフトンも、シーズン終盤しゅうばん足踏あしぶみしたチームのなかおおきな存在そんざいとなった。そして最終さいしゅうてきに96しょうをあげ、6ねんぶりに地区ちく優勝ゆうしょうたした。しかしリーグチャンピオンシップシリーズではレッドソックスを3しょう1はいむものの、そこから3連敗れんぱいきっしてしまい、リーグ優勝ゆうしょうはならなかった。

2008ねんはチーム状態じょうたいのなにがわるいのか評論ひょうろんあたまをひねるほどの悪循環あくじゅんかんにはまった。このとしサイ・ヤングしょう受賞じゅしょうしたクリフ・リーがひとり状態じょうたいつづき、勝率しょうりつ5わりをキープするのがやっとでなつまえにはシーズンをあきらめなくてはならない状態じょうたいであった。

2009ねんぜん評判ひょうばんではア・リーグちゅう地区ちく優勝ゆうしょう候補こうほとする評論ひょうろんおお存在そんざいしていたが[5][6]開幕かいまく5連敗れんぱいきっしたのち主力しゅりょく怪我けが相次あいつぎ、早々そうそうにシーズンをあきらめてトレードでクリフ・リー、ビクター・マルティネスらの主力しゅりょく放出ほうしゅつすることになった。9月には11連敗れんぱいきっし、カンザスシティ・ロイヤルズならんでア・リーグちゅう地区ちく最下位さいかいという2000年代ねんだい最悪さいあく成績せいせきわった。

2010年代ねんだい

編集へんしゅう

2010ねんわか選手せんしゅ育成いくせいじく再建さいけんおこなったが、オールスターまえ脱落だつらくおさえのケリー・ウッド、エースのジェイク・ウェストブルック放出ほうしゅつし、最下位さいかいにはならなかったが、地区ちく4わった。

2011ねんはこれまでおもにショートをまもったオーランド・カブレラをセカンドとしてくわえ、守備しゅび強化きょうか成功せいこうすると、わか投手とうしゅじんじくかい進撃しんげきすすめ、首位しゅい独走どくそうするも長丁場ながちょうばたたかった経験けいけんのない若手わかて徐々じょじょにブレーキ。福留ふくとめ孝介こうすけウバルド・ヒメネス、かつての主砲しゅほう・トーミをくわえて有望ゆうぼうかぶ6にんちかだい出血しゅっけつトレードで勝負しょうぶけるも、二塁にるいまもったカブレラが移籍いせきをするとだい失速しっそく若手わかて成長せいちょうもあって80しょうするもし、地区ちく2わった。

2012ねん先発せんぱつ投手とうしゅじん整備せいび勝負しょうぶけたが、ぎゃく先発せんぱつじん完全かんぜん崩壊ほうかいしたのにつづき、ブルペンも崩壊ほうかい打線だせん貧打ひんだおちいり、地区ちく4わった。

2013ねんボストン・レッドソックスぜん監督かんとくだったテリー・フランコーナ監督かんとく就任しゅうにん。チーム最高さいこう年俸ねんぽうだったハフナーの退団たいだんによっていた資金しきん使つかってニック・スウィッシャーマーク・レイノルズマイケル・ボーンブレット・マイヤーズジェイソン・ジアンビ、トレードでちょう有望ゆうぼうかぶトレバー・バウアー獲得かくとく成功せいこう優勝ゆうしょうねらえる陣形じんけいととのえた。

2016ねんはシーズンに開幕かいまくからかい進撃しんげきつづけ、フランコーナ監督かんとく確実かくじつてん野球やきゅうでリーグ3の31犠打ぎだとリーグ最多さいたの60犠飛ぎひ記録きろく。アメリカンリーグ2連覇れんぱちゅうのロイヤルズのおかぶうばうリーグ最多さいたの134盗塁とうるい機動きどうりょくけ、7がつ世代せだい交代こうたい敢行かんこうしていたヤンキースからアンドリュー・ミラー獲得かくとくすると、リリーフ防御ぼうぎょりつがリーグ1の3.32とリリーフじん安定あんてい。9ねんぶりの地区ちく優勝ゆうしょうたした。ディビジョンシリーズではひがし地区ちく優勝ゆうしょうのボストン・レッドソックスを3連勝れんしょうでスイープし、ALCSではワイルドカードのトロント・ブルージェイズを4しょう1はいやぶり、1997ねん以来いらい19ねんぶり6度目どめのリーグ優勝ゆうしょうとなった[7]。とくにミラーがすべてイニングまたぎの登板とうばんながら失点しってんおさえ、リリーフとしては史上しじょう4にん投手とうしゅとなった。しかし、むかえたシカゴ・カブスとの顔合かおあわせとなったワールドシリーズでは、3しょう1はいさきにワールドシリーズ優勝ゆうしょう王手おうてをかけたところから3連敗れんぱいきっし、またしてもワールドシリーズ優勝ゆうしょうたすことはできなかった。カブスの優勝ゆうしょうによってりょうリーグでワールドシリーズ優勝ゆうしょうからもっととおざかっているチームとなった。

2017ねん8がつ24にちのレッドソックスせんからちをかさね9がつ13にちのタイガースせんにおいてアメリカンリーグしん記録きろくとなる21連勝れんしょう記録きろく[8]。9月14にちにはアメリカンリーグ連勝れんしょう記録きろくを22連勝れんしょう更新こうしんすると同時どうじに、1935ねんのシカゴ・カブスをえるMLBしん記録きろくとなる「22連勝れんしょう」を記録きろくした[9]。しかし、むかえたポストシーズンでは、ヤンキースに2連勝れんしょうさきALCS進出しんしゅつ王手おうてをかけた状況じょうきょうから3連敗れんぱいきっして敗退はいたい。2ねん連続れんぞくのリーグ優勝ゆうしょうたすことはできなかった。

2018ねん抜群ばつぐん安定あんていかんせ、2に13.0をつけて地区ちく優勝ゆうしょうめた。しかしポストシーズンでは、ディビジョンシリーズでヒューストン・アストロズにスイープされて敗退はいたいした。

2019ねんは3ゲームタンパベイ・レイズにワイルドカード2うばわれた。

2020年代ねんだい

編集へんしゅう

2020ねんCOVID-19の影響えいきょうで60試合しあい短縮たんしゅくシーズンとなるなか、35しょう25はいのこし、アメリカンリーグちゅう地区ちくミネソタ・ツインズぐ2位置いちし、ワイルドカードでプレーオフにすすんだ。プレーオフではニューヨーク・ヤンキースに2はいきっし、敗退はいたい。オフの12月13にちにポリティカル・コレクトネス対策たいさくとして2021ねんシーズンにチームめい変更へんこうすることが発表はっぴょうされ、オーナーのポール・ドーランはチームめい変更へんこうについてインタビューで「2021ねんはまだインディアンスだよ。これからわたしたちはあたらしいチームめいかんがえるが、まち相応ふさわしい名前なまえにするのは困難こんなん複雑ふくざつみちのりだよ。できるだけ迅速じんそくにチームめい変更へんこうかって行動こうどうしていくが、変更へんこうまでには必要ひつよう時間じかんがある」とコメントした[10]

2021ねん7がつ23にちに、2022ねんシーズンからチームめいを「ガーディアンズ」に変更へんこうすることが球団きゅうだんから発表はっぴょうされた[2]。9月2にちにチームからエマヌエル・クラセがリリーバー・オブ・ザ・マンスを受賞じゅしょうした[11]。9月11にちのブルワーズせんでノーヒットノーランをきっし、MLB史上しじょうはじめてシーズン3のノーヒットノーランをされたチームとなった[12]。オフの11月18にち正式せいしきにチームめい変更へんこうされた[13]

選手せんしゅ名鑑めいかん

編集へんしゅう

現役げんえき選手せんしゅ

編集へんしゅう
クリーブランド・ガーディアンズ ロースター
40にんロースター 監督かんとく・コーチ/

投手とうしゅ

捕手ほしゅ

内野ないやしゅ

外野がいやしゅ


監督かんとく

コーチ

60にち故障こしょうしゃリスト


* アクティブ・ロースターがい
2024ねん7がつ7にち更新こうしん

公式こうしきサイト(英語えいご)より:アクティブ・ロースター, 40にんロースター, コーチ, 選手せんしゅ移籍いせき故障こしょう情報じょうほう, 予想よそうオーダー

ロースター一覧いちらん

アメリカ野球やきゅう殿堂でんどう表彰ひょうしょうしゃ

編集へんしゅう


永久えいきゅう欠番けつばん

編集へんしゅう
番号ばんごう 選手せんしゅ ポジション 備考びこう
3 アール・アベリル (Earl Averill) 外野がいやしゅ 1975ねん指定してい
5 ルー・ブードロー (Lou Boudreau) 遊撃手ゆうげきしゅ監督かんとく 1970ねん指定してい
14 ラリー・ドビー (Larry Doby) 外野がいやしゅ、コーチ 1994ねん指定してい
18 メル・ハーダー (Mel Harder) 投手とうしゅ、コーチ 1990ねん指定してい
19 ボブ・フェラー (Bob Feller) 投手とうしゅ、コーチ 1956ねん指定してい
20 フランク・ロビンソン (Frank Robinson) 外野がいやしゅ監督かんとく 2017ねん指定してい
21 ボブ・レモン (Bob Lemon) 投手とうしゅ、コーチ 1998ねん指定してい
25 ジム・トーミ (Jim Thome) 一塁いちるいしゅ指名しめい打者だしゃ三塁手さんるいしゅ 2018ねん指定してい
42 ジャッキー・ロビンソン (Jackie Robinson) 二塁手にるいしゅ ぜん球団きゅうだん共通きょうつう永久えいきゅう欠番けつばん
455 ザ・ファンズ (The Fans) ファン 2001ねん指定してい

14 - アメリカンリーグはつ黒人こくじん選手せんしゅ (1947ねん)

455 - 1995ねんから2001ねんまで当時とうじ記録きろく455試合しあい連続れんぞく満員まんいんになった記念きねん

歴代れきだい所属しょぞく日本人にっぽんじん選手せんしゅ

編集へんしゅう

クリーブランド・ガーディアンズ殿堂でんどう

編集へんしゅう

クリーブランド・ガーディアンズ殿堂でんどうCleveland Guardians Hall of Fame)はすくなくとも3シーズンをガーディアンズでごし、引退いんたいしてから1ねん以上いじょう経過けいかしている選手せんしゅ対象たいしょうとなる[14]。プログレッシブ・フィールドのヘリテージパーク(歴史れきし公園こうえん)に位置いちしており、ヘリテージパークにはフランチャイズの歴史れきしたたえるブロンズ記念きねんプラークなどが展示てんじされている[15]

殿堂でんどう表彰ひょうしょうしゃ

編集へんしゅう

クリーブランド・ガーディアンズ殿堂でんどう1951ねん設立せつりつされ、2014年度ねんど選考せんこうわった時点じてんで40にん選出せんしゅつされている[16]太字ふとじはアメリカ野球やきゅう殿堂でんどうりもたした人物じんぶつ


傘下さんかマイナーチーム

編集へんしゅう
クラス チーム 参加さんかリーグ 提携ていけい 本拠地ほんきょち
AAA コロンバス・クリッパーズ
Columbus Clippers
インターナショナルリーグ
International League
2009ねん  オハイオしゅうコロンバス
ハンティントン・パーク
AA アクロン・ラバーダックス
Akron RubberDucks
イースタンリーグ
Eastern League
1997ねん  オハイオしゅうアクロン
キャナル・パーク
High-A レイクカウンティ・キャプテンズ
Lake County Captains
ミッドウェストリーグ
Midwest League
1991ねん  オハイオしゅうイーストレイク英語えいごばん
クラシック・パーク
Low-A リンチバーグ・ヒルキャッツ
Lynchburg Hillcats
カロライナリーグ
Carolina League
2015ねん  バージニアしゅうリンチバーグ
カルヴィン・ファルウェル・フィールド
Rookie アリゾナ・コンプレックスリーグ・ガーディアンズ
Arizona Complex League Guardians
アリゾナ・コンプレックスリーグ
Arizona Complex League
2009ねん  アリゾナしゅうグッドイヤー
グッドイヤー・ボールパーク
ドミニカン・サマーリーグ・ガーディアンズ
Dominican Summer League Guardians
ドミニカン・サマーリーグ
Dominican Summer League
1988ねん  ドミニカ共和国どみにかきょうわこく
ラス・アメリカズ

マスコットキャラクター

編集へんしゅう
 
マスコットのスライダー

ガーディアンズのチームマスコットには、インディアンス時代じだいの1990ねんからスライダー(Slider)というピンク色ぴんくいろぐるみのマスコットが存在そんざいしているが、それ以前いぜんより球団きゅうだんペットマークとう使つかわれている「ワフー酋長しゅうちょう」という名前なまえの、「してにやつくあかかおをした」インディアンキャラクターがある。

このキャラクターは「人種じんしゅ差別さべつてきインディアンステレオタイプである」として、「アメリカインディアン運動うんどう」(AIM)など多数たすうのインディアン権利けんり団体だんたい個人こじんが、「インディアンス」のチームめいともに、その意匠いしょう廃絶はいぜつもとめてはげしいポリティカル・コレクトネスをはん世紀せいきちかっていた。その結果けっか、2018ねんシーズンを最後さいご廃止はいしされた[17]

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ a b 阿佐あささとし (2020ねん12月19にち). “MLBインディアンス、名称めいしょう変更へんこうへ。アメリカ大陸あめりかたいりくでは定番ていばんのニックネームのすえは?”. Yahoo!ニュース. https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d5def56b37fb01ef5bc41cb3eefab4df02746535 2021ねん1がつ1にち閲覧えつらん 
  2. ^ a b New for '22: Meet the Cleveland Guardians” (英語えいご). MLB.com. 2021ねん7がつ23にち閲覧えつらん
  3. ^ しんチームめいは「ガーディアンズ」。100ねん以上いじょうにわたってしたしまれていた「インディアンス」のはなぜわるのか<SLUGGER>
  4. ^ MLBインディアンス、球団きゅうだんめいを「ガーディアンズ」に変更へんこう
  5. ^ http://www.cbssports.com/mlb/story/11578622
  6. ^ http://sports.espn.go.com/mlb/preview09/news/story?page=09expertpicks
  7. ^ インディアンス、19ねんぶり6度目どめリーグ優勝ゆうしょう”. 日刊にっかんスポーツ (2016ねん10がつ20日はつか). 2016ねん10がつ20日はつか閲覧えつらん
  8. ^ 21 pilots! Tribe flying, win streak is AL record MLB.com 英語えいご (2017ねん9がつ14にち) 2017ねん9がつ15にち閲覧えつらん
  9. ^ Extra Indians: Tribe's 22nd straight W wows! MLB.com 英語えいご (2017ねん9がつ14にち) 2017ねん9がつ15にち閲覧えつらん
  10. ^ Cleveland Indians will keep name, uniforms in 2021 season before making change” (英語えいご). CBSSports.com. 2021ねん7がつ23にち閲覧えつらん
  11. ^ David Adler (2021ねん9がつ2にち). “Clase, Williams tabbed top August relievers” (英語えいご). MLB.com. 2021ねん9がつ3にち閲覧えつらん
  12. ^ Mandy Bell (2021ねん9がつ12にち). “Plesac, Indians no-hit for 3rd time in 2021” (英語えいご). MLB.com. 2021ねん9がつ14にち閲覧えつらん
  13. ^ Indians changing name to Guardians on Friday” (英語えいご). ESPN.com (2021ねん11月17にち). 2021ねん11月19にち閲覧えつらん
  14. ^ Carlos Baerga, John Hart to be inducted into Cleveland Indians Hall of Fame” (英語えいご). THE OFFICIAL SITE OF THE CLEVELAND INDIANS. MLB.com. 2014ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  15. ^ Heritage Park at Progressive Field. Where Legends Live.” (英語えいご). THE OFFICIAL SITE OF THE CLEVELAND INDIANS. MLB.com. 2014ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  16. ^ Omar Vizquel will be inducted into Cleveland Indians Hall of Fame on Saturday, June 21” (英語えいご). Cleveland.com. 2014ねん2がつ18にち閲覧えつらん
  17. ^ インディアンス、ロゴの使用しよう中止ちゅうしへ 先住民せんじゅうみんへの人種じんしゅ差別さべつとの抗議こうぎけ べいメジャーリーグ - ハフィントンポスト(2018ねん1がつ30にち

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

外部がいぶリンク

編集へんしゅう