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ジャック (潜水艦) - Wikipedia

ジャック (USS Jack, SS-259) は、アメリカ海軍かいぐん潜水せんすいかんガトーきゅうかんめいアジ総称そうしょうちなむ。なお、退役たいえきから9ねんパーミットきゅう原子力げんしりょく潜水せんすいかん7ばんかんとして2代目だいめジャック (SSN-605)」が就役しゅうえきしている。

USS ジャック
基本きほん情報じょうほう
建造けんぞうしょ エレクトリック・ボート造船ぞうせんしょ
運用うんようしゃ アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍かいぐん
かんしゅ 攻撃こうげきがた潜水せんすいかん (SS)
きゅうめい ガトーきゅう潜水せんすいかん
かんれき
起工きこう 1942ねん2がつ2にち[1]
進水しんすい 1942ねん10月26にち[1]
就役しゅうえき 1) 1943ねん1がつ8にち[1]
2) 1957ねん12月20にち[2]
退役たいえき 1) 1946ねん6月8にち[2]
2) 1958ねん4がつ21にち[2]
除籍じょせき 1967ねん9月1にち[2]
その 1958ねん4がつ21にちギリシャ海軍かいぐん貸与たいよ[3]
ギリシャ海軍かいぐんより返還へんかん、1967ねん9月5にち標的ひょうてき処分しょぶん[2]
要目ようもく
水上すいじょう排水はいすいりょう 1,525 トン[3]
水中すいちゅう排水はいすいりょう 2,424 トン[2]
全長ぜんちょう 311フィート9インチ (95.02 m)[3]
水線すいせんちょう 307フィート (93.6 m)[3]
最大さいだいはば 27フィート3インチ (8.31 m)[3]
吃水きっすい 17フィート (5.2 m)(最大さいだい[3]
おも H. O. R.せいディーゼルエンジン×4
ゼネラルモーターズせい278A 16気筒きとうディーゼルエンジン×4[4]
電源でんげん ゼネラル・エレクトリックせい発電はつでん×2[4]
出力しゅつりょく 5,400馬力ばりき (4.0 MW)[4]
電力でんりょく 2,740馬力ばりき (2.0 MW)[4]
推進すいしん スクリュープロペラ×2じく[4]
最大さいだい速力そくりょく 水上すいじょう:21ノット
水中すいちゅう:9ノット[5]
航続こうぞく距離きょり 11,000カイリ/10ノット[5]
航海こうかい日数にっすう 潜航せんこう2ノット48あいだ哨戒しょうかい活動かつどう75日間にちかん[5]
潜航せんこう深度しんど 試験しけん:300フィート (91 m)[5]
乗員じょういん平時へいじ士官しかん4めい兵員へいいん56めい[5]
へいそう
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シマアジ通称つうしょうStriped jack
ヒレナガカンパチ(Almaco jack
バー・ジャック(Bar jack

かんれき

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「ジャック」はコネチカットしゅうグロトンエレクトリック・ボートしゃ起工きこうする。1942ねん10がつ16にちにフランシス・シーリー夫人ふじんによって進水しんすいし、艦長かんちょうトーマス・M・ダイカース少佐しょうさアナポリス1927ねんぐみ)の指揮しき1943ねん1がつ6にちにニューロンドンで就役しゅうえきする。ニューイングランド沿岸えんがん整調せいちょう、4がつ26にちニューロンドン出航しゅっこう太平洋たいへいようでの任務にんむはいる。5月21にち真珠湾しんじゅわん到着とうちゃくし、補給ほきゅうけた。

だい1、だい2の哨戒しょうかい 1943ねん6がつ - 10月

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6月5にち、「ジャック」は最初さいしょ哨戒しょうかい日本にっぽん近海きんかいかった。6月20にちあさ北緯ほくい3403ふん 東経とうけい13949ふん / 北緯ほくい34.050 東経とうけい139.817 / 34.050; 139.817地点ちてんで1,500トンきゅうトロとろル船るせん発見はっけんし、魚雷ぎょらいを3ほん発射はっしゃするも回避かいひされる[8]。6月26にち未明みめいには、北緯ほくい3313ふん 東経とうけい13903ふん / 北緯ほくい33.217 東経とうけい139.050 / 33.217; 139.050八丈島はちじょうじまおきで5せきからだい3625船団せんだん発見はっけん[9][10][11]。4せき目標もくひょうたいして魚雷ぎょらいけい10ほん発射はっしゃし、特設とくせつ運送うんそうせん東洋とうようまる」(沢山さわやま汽船きせん、4,163トン)の後部こうぶに1ほん海軍かいぐんちょう傭船ようせんあきらやままる」(山本やまもと汽船きせん、5,857トン)に2ほん魚雷ぎょらい命中めいちゅうさせて撃沈げきちん[9][12]つづいてのこ目標もくひょうたい魚雷ぎょらいを1ほんずつ発射はっしゃしたが回避かいひされ、また護衛ごえい特設とくせつ砲艦ほうかん平壌ぴょんやんまる」(朝鮮ちょうせん郵船ゆうせん、2,627トン)[13]爆雷ばくらいか、「あきらやままる」の沈没ちんぼつさい爆発ばくはつした搭載とうさい爆雷ばくらい影響えいきょうで、船体せんたいが25かたむいて深度しんど116mまでげられたが、ダイカース艦長かんちょう確実かくじつに「東洋とうようまる」と「あきらやままる」の沈没ちんぼつ潜望鏡せんぼうきょうしに確認かくにんした[12][14]。6月27にちから7がつ3にちまでは相模灘さがみなだなどで哨戒しょうかい[注釈ちゅうしゃく 1]。 7月4にち午後ごご北緯ほくい3433ふん 東経とうけい13837ふん / 北緯ほくい34.550 東経とうけい138.617 / 34.550; 138.617御前崎おまえざきおきだい7704船団せんだん発見はっけんし、魚雷ぎょらいを3ほん発射はっしゃ[18]魚雷ぎょらいは1ほん輸送ゆそうせんにちひさまる」(日産にっさん汽船きせん、6,529トン)に命中めいちゅうし、これを撃沈げきちんした[19]。「ジャック」はひがしかい、7がつ8にちには北緯ほくい3656ふん 東経とうけい14105ふん / 北緯ほくい36.933 東経とうけい141.083 / 36.933; 141.083地点ちてんで「あか城丸しろまるかた輸送ゆそうせん」を発見はっけんし、魚雷ぎょらいを3ほん発射はっしゃしたが命中めいちゅうしなかった[20]。7月19にち、40日間にちかん行動こうどうえて真珠湾しんじゅわん帰投きとうした。

9月5にち、「ジャック」は2かい哨戒しょうかい日本にっぽん近海きんかいかった。9月26にち北緯ほくい3345ふん 東経とうけい14122ふん / 北緯ほくい33.750 東経とうけい141.367 / 33.750; 141.367地点ちてんで「神風かみかぜがた駆逐くちくかん」とおぼしき艦艇かんてい発見はっけんし、魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃしたが命中めいちゅうしなかった[21]。しかし、哨戒しょうかい自体じたいは9月24にちだい2エンジンのクランクシャフト破損はそんし、のこりのエンジンも逐次ちくじ破損はそんしたため中止ちゅうしとなった[22]。10月10にち、30日間にちかん行動こうどうえて真珠湾しんじゅわん帰投きとう。「H.O.R.エンジン搭載とうさいかんは1せきのこらず、暫時ざんじエンジンをかわそうするように」という合衆国がっしゅうこく艦隊かんたい司令しれい長官ちょうかんけん海軍かいぐん作戦さくせん部長ぶちょうアーネスト・キング大将たいしょう命令めいれいにより、メア・アイランド海軍かいぐん造船ぞうせんしょ回航かいこうされて、はなは旧式きゅうしきでトラブルがおお信頼しんらいせいけていたH.O.R.エンジンを、本来ほんらい搭載とうさいされるGMしゃせい278A16気筒きとうエンジンにかわそうした。ダイカースは後年こうねん、「H.O.R.エンジンのせいで、30せきから40せきもの日本にっぽんせんたもたれた」と回想かいそうしている[23]

だい3の哨戒しょうかい 1944ねん1がつ - 3がつ

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1944ねん1がつ16にち、「ジャック」は3かい哨戒しょうかい南シナ海みなみしなかいかった。この海域かいいきはさすがに重要じゅうよう船団せんだん重要じゅうようせんおおかった。2月19にち358ふんごろ、レーダーが北緯ほくい1437ふん 東経とうけい11407ふん / 北緯ほくい14.617 東経とうけい114.117 / 14.617; 114.117地点ちてん複数ふくすう目標もくひょう探知たんちした[24]。よく確認かくにんすると、それは日本にっぽんけて北上ほくじょうするヒ40船団せんだんで、5せきのタンカーと3せきぐらいの護衛ごえいかんがいると判断はんだんされた[24]。「ジャック」はヒ40船団せんだん接近せっきんしつつ、相手あいて隊列たいれつれつ縦隊じゅうたいであることを確認かくにんし、よいポジションをめるべく行動こうどうした[24]。442ふんてんき、2せき目標もくひょうけて魚雷ぎょらいを3ほんずつけい6ほん発射はっしゃ[25]。うち2ほんがタンカー「みなみ栄丸さかえまる」(日東にっとう汽船きせん、5,019トン)に命中めいちゅうだい爆発ばくはつしょうじさせ撃沈げきちんし、もう2ほんは「ジャック」からは死角しかくになっていてえなかったが、べつのタンカー「国栄こくえいまる」(日東にっとう汽船きせん、5,155トン)に命中めいちゅう撃沈げきちんした。護衛ごえい海防かいぼうかんうらないもり」がこちらにかう気配けはいせたため「ジャック」は避退し、だいげきをかけるべく準備じゅんびいそいだ[26]。やがてのぼりつつあるころ船団せんだん姿すがたがはっきりえるようになった[26]。「ジャック」はひる浮上ふじょうし、速力そくりょくげて250キロもの距離きょり移動いどうして船団せんだん前方ぜんぽう潜航せんこうし、せた[26]午後ごご船団せんだん再度さいど発見はっけんし、それから1時間じかんった1849ふん北緯ほくい1546ふん 東経とうけい11557ふん / 北緯ほくい15.767 東経とうけい115.950 / 15.767; 115.950地点ちてんで2せきのタンカーにたいして魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃ[27]魚雷ぎょらいはタンカー「一洋かずひろまる」(浅野あさの物産ぶっさん、5,106トン)と「日輪にちりんまる」(昭和しょうわタンカー、5,163トン)に命中めいちゅうし2せきとも沈没ちんぼつした。のこるは特設とくせつ運送うんそうせん給油きゅうゆ)「みなみくにまる」(飯野海運いいのかいうん、10,033トン)と海軍かいぐんちょう傭船ようせん浅間あさままる」(日本郵船にっぽんゆうせん、16,975トン)だけとなった。「ジャック」は1あいだ浮上ふじょうし2052ふん北緯ほくい1545ふん 東経とうけい11539ふん / 北緯ほくい15.750 東経とうけい115.650 / 15.750; 115.650地点ちてん魚雷ぎょらいを3ほん発射はっしゃしたが命中めいちゅうせず[28]、2233ふんにも北緯ほくい1559ふん 東経とうけい11555ふん / 北緯ほくい15.983 東経とうけい115.917 / 15.983; 115.917地点ちてん魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃし、3つの命中めいちゅうがあったとした[29]。「ジャック」は17ほん魚雷ぎょらいをもってひとつの船団せんだん事実じじつじょう壊滅かいめつ状態じょうたいんだ[30]。3月1にち未明みめいには北緯ほくい1452ふん 東経とうけい11748ふん / 北緯ほくい14.867 東経とうけい117.800 / 14.867; 117.800地点ちてんで1せきのタンカーと3せき輸送ゆそうせん、2せき護衛ごえいかんからなる輸送ゆそう船団せんだん探知たんちし、2番目ばんめ目標もくひょうたいして魚雷ぎょらいを3ほん発射はっしゃして2ほん命中めいちゅう確認かくにん[31]つづいて2せき輸送ゆそうせんたいして魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃし、これも2つの命中めいちゅう確認かくにんした[32]。この攻撃こうげき魚雷ぎょらいちつくしたので、「ジャック」は哨戒しょうかいることとした[33]。3月13にち、51日間にちかん行動こうどうえてフリーマントル帰投きとうした。

だい4、だい5の哨戒しょうかい 1944ねん4がつ - 7がつ

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4がつ6にち、「ジャック」は4かい哨戒しょうかい南シナ海みなみしなかいかった。4月14にちよる南緯なんい0326ふん 東経とうけい12528ふん / 南緯なんい3.433 東経とうけい125.467 / -3.433; 125.467地点ちてんで2せき輸送ゆそうせんと4せき護衛ごえいかん発見はっけん[34]追跡ついせきうえよく4がつ15にち未明みめい南緯なんい0333ふん 東経とうけい12430ふん / 南緯なんい3.550 東経とうけい124.500 / -3.550; 124.500地点ちてんにいたって魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃしたが命中めいちゅうしなかった[35]。4月25にち午後ごご北緯ほくい1806ふん 東経とうけい11940ふん / 北緯ほくい18.100 東経とうけい119.667 / 18.100; 119.667ルソン島るそんとう沿岸えんがんで、ニューギニア増援ぞうえん部隊ぶたいおくたけいち船団せんだん発見はっけん[36]。この船団せんだんは15せき輸送ゆそうせんと13せき護衛ごえいかん構成こうせいされただい規模きぼ船団せんだんであった。「ジャック」は浮上ふじょうしてたけいち船団せんだんとの接触せっしょくたもち、4がつ26にち未明みめい魚雷ぎょらいを6ほん発射はっしゃし、うち4ほんを2せきの6,000トンきゅう輸送ゆそうせん命中めいちゅうさせて、1せき撃沈げきちんし1せき撃破げきは判定はんていした[37]。1あいだの237ふん魚雷ぎょらいけい10ほん発射はっしゃし、この攻撃こうげきでは6ほん命中めいちゅうさせ、5,000トンきゅう、6,000トンきゅうおよび7,000トンきゅうかくきゅう輸送ゆそうせんを1せきずつ撃沈げきちんしたと判定はんていされた[38]度目どめ攻撃こうげきからふたたび1あいだおいた342ふんかん発射はっしゃかんから魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃしようとしたが、9ばん発射はっしゃかん故障こしょうひらかず3ほん発射はっしゃとなり、この攻撃こうげきでは5,500トンきゅう輸送ゆそうせん撃破げきはほうじる[39]一連いちれん攻撃こうげきで、陸軍りくぐん輸送ゆそうせんだいいち吉田よしだまる」(山下やました汽船きせん、5,425トン)に2ほん命中めいちゅうし、船体せんたいりにして撃沈げきちんした。4月27にちには、北緯ほくい1932ふん 東経とうけい12221ふん / 北緯ほくい19.533 東経とうけい122.350 / 19.533; 122.350地点ちてん浮上ふじょう砲戦ほうせんにより32トンきゅうトロとろル船るせん撃沈げきちん[40]。4月28にちにも北緯ほくい1734ふん 東経とうけい12406ふん / 北緯ほくい17.567 東経とうけい124.100 / 17.567; 124.100地点ちてんで50トンきゅうトロとろル船るせんを3インチほうと20ミリ機銃きじゅうしずめた[41]。5月10にち、35日間にちかん行動こうどうえてフリーマントルに帰投きとう艦長かんちょうがアーサー・E・クラプフ少佐しょうさ(アナポリス1934ねんぐみ)にわった。

6月4にち、「ジャック」は5かい哨戒しょうかい南シナ海みなみしなかいかった。ルソン島るそんとう沿岸えんがんかい、6月25にち早朝そうちょう北緯ほくい1609ふん 東経とうけい11941ふん / 北緯ほくい16.150 東経とうけい119.683 / 16.150; 119.683地点ちてんマニラからてきたマタ23船団せんだん発見はっけんした[42]船団せんだん左側ひだりがわから魚雷ぎょらいを6ほん発射はっしゃし、タンカー「さんぺどろまる」(三菱みつびし汽船きせん、7,268トン)の左舷さげん魚雷ぎょらいが1ほん命中めいちゅうだい火災かさいはっした「さんぺどろまる」は、いちばんえて沈没ちんぼつした[43][44]。6月30にち未明みめいには北緯ほくい1430ふん 東経とうけい11943ふん / 北緯ほくい14.500 東経とうけい119.717 / 14.500; 119.717マニラ湾まにらわん西方せいほう180キロ地点ちてんで、おりからの悪天候あくてんこうなかサイゴンからマニラにけてべい輸送ゆそうしていたサマ08船団せんだん発見はっけん[45]。312ふんに、ジャックはサマ08船団せんだんたい魚雷ぎょらいけい10ほん発射はっしゃ[46]魚雷ぎょらい陸軍りくぐん輸送ゆそうせん鶴島つるしままる」(山下やました汽船きせん、4,652トン)に3ほん命中めいちゅう撃沈げきちん[47]。1あいだの422ふんには魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃし、陸軍りくぐん輸送ゆそうせん松川まつかわまる」(川崎汽船かわさききせん、3,832トン)にすべ命中めいちゅうして撃沈げきちん[47][48]。さらにかん発射はっしゃかんから魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃし、3つの爆発ばくはつ確認かくにんした[49]。7月14にち、39日間にちかん行動こうどうえてフリーマントルに帰投きとう。ここまでの戦績せんせきたいして殊勲しゅくん隊章たいしょう授与じゅよされた。

だい6、だい7の哨戒しょうかい 1944ねん8がつ - 12月

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8がつ6にち、「ジャック」は6かい哨戒しょうかいセレベスかい方面ほうめんかった。8月25にち午後ごご北緯ほくい0321ふん 東経とうけい12049ふん / 北緯ほくい3.350 東経とうけい120.817 / 3.350; 120.817地点ちてんで150トンきゅう沿岸えんがん輸送ゆそうせん発見はっけんし、浮上ふじょう砲戦ほうせんでこれを仕留しとめた[50]。8月29にち未明みめい北緯ほくい0215ふん 東経とうけい12349ふん / 北緯ほくい2.250 東経とうけい123.817 / 2.250; 123.817セレベスとうマナド近海きんかいでH33船団せんだん発見はっけんし、つきぼっするのをって攻撃こうげきおこなうこととなった。まず魚雷ぎょらいを2ほん発射はっしゃし、うち1ほん陸軍りくぐん輸送ゆそうせんめきこころざしまる」(大阪おおさか商船しょうせん、5,785トン)に命中めいちゅうし、同船どうせん搭載とうさいしていた弾薬だんやく燃料ねんりょう延焼えんしょうしたのち沈没ちんぼつした[51][52]。1あいだふたた魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃし、1ほんが「だい28ごう掃海そうかいてい」の後部こうぶ命中めいちゅうして火災かさい発生はっせいさせる[53][54]。30ふんにはさらに魚雷ぎょらいを1ほん発射はっしゃしたが命中めいちゅうせず[55]あいだかず魚雷ぎょらいを2ほん発射はっしゃして、「だい28ごう掃海そうかいてい」の中央ちゅうおうに2ほんとも命中めいちゅうしてようやく撃沈げきちんした[54][56]。9月24にち、48日間にちかん行動こうどうえてフリーマントルに帰投きとう艦長かんちょうがアルバート・S・ファーマン少佐しょうさ(アナポリス1937ねんぐみ)にわった。

10月27にち、「ジャック」は7かい哨戒しょうかい南シナ海みなみしなかいかった。11月14にちよるインドシナ半島いんどしなはんとうパダランみさき近海きんかいでレーダーによりミ25船団せんだん発見はっけんして追跡ついせきし、潜水せんすいかん行動こうどうするには条件じょうけんがよいとはえない海域かいいきながら攻撃こうげき仕掛しかけた[57]よく11がつ15にち未明みめい北緯ほくい1111ふん 東経とうけい10856ふん / 北緯ほくい11.183 東経とうけい108.933 / 11.183; 108.933地点ちてんにいたったところでまず魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃし、輸送ゆそうせん日永ひながまる」(日本郵船にっぽんゆうせん、5,397トン)の左舷さげん魚雷ぎょらい命中めいちゅうさせて撃沈げきちん[58][59]つづ度目どめ攻撃こうげき再度さいど魚雷ぎょらいを4ほん発射はっしゃし、「なにか」に2ほん命中めいちゅうしたようだと判定はんていされた[60]。「なにか」の正体しょうたい日永ひながまる後方こうほう航行こうこうちゅう輸送ゆそうせんだい勇山ゆうざんまる」(山本やまもと汽船きせん、6,930トン)で、同船どうせん沈没ちんぼつふせぐために座礁ざしょうしててた[59][61]。このころには日本にっぽん南方なんぽう航路こうろ黄昏たそがれおおきくかたむいており、必死ひっし日本にっぽんかうふねにもっと出会であってもよさそうであったが、この哨戒しょうかいではこれ以上いじょう戦果せんかげることはなく、「ジャック」は真珠湾しんじゅわんへの帰還きかんめいじられた。12月27にち、58日間にちかん行動こうどうえて真珠湾しんじゅわん帰投きとう。ジャックはサンフランシスコ回航かいこうされ、ベスレヘム・スチールオーバーホールはいった[7]。オーバーホールがわると、1945ねん4がつ1にち真珠湾しんじゅわんもどってきた[62]

だい8、だい9の哨戒しょうかい 1945ねん4がつ - 8がつ

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4がつ26にち、「ジャック」は8かい哨戒しょうかい日本にっぽん近海きんかいかった。しかし、このころ日本にっぽんでは大方おおかた船舶せんぱく姿すがたし、のこったふね大半たいはん稼動かどう不能ふのう状態じょうたいおちいっていた。そういうこともあり、この哨戒しょうかいでのおも任務にんむ機動きどう部隊ぶたいB-29のパイロットを救助きゅうじょするというものであった。6月18にち、51日間にちかん行動こうどうえてグアムアプラこう帰投きとうした。

7がつ12にち、「ジャック」は9かい哨戒しょうかい台湾たいわん近海きんかいかった。8月15にち日本にっぽん降伏ごうぶくするまでパイロットの救助きゅうじょおも任務にんむとした。戦争せんそう終了しゅうりょうの8がつ29にち、48日間にちかん行動こうどうえてミッドウェーとう帰投きとうした。

戦後せんご・ギリシャ海軍かいぐん

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HHMS アンフィトリティ
 
1961ねん
基本きほん情報じょうほう
運用うんようしゃ   ギリシャ海軍かいぐん
かんれき
就役しゅうえき 1958ねん4がつ21にち
退役たいえき 1967ねん
その アメリカ海軍かいぐん返還へんかん
要目ようもく
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「ジャック」は9月5にち帰途きとき、真珠湾しんじゅわんパナマ運河うんが地帯ちたい経由けいゆして10がつ3にちニューヨーク到着とうちゃくする。1946ねん6がつ8にちにニューロンドンで退役たいえきし、大西洋たいせいよう予備よびやく艦隊かんたいりする。

「ジャック」は1957ねん12がつ20日はつかさい就役しゅうえきし、短期間たんきかん訓練くんれんのち1958ねん4がつ21にちギリシャ海軍かいぐん貸与たいよされた。「アンフィトリティ (HHMS Amfitriti, S-17) 」と改名かいめいされ、1967ねんまで活動かつどうした。そのギリシャより返還へんかんされ、1967ねん9がつ5にちだい6艦隊かんたい演習えんしゅう標的ひょうてきかんとして地中海ちちゅうかいしずめられた。

「ジャック」のそう撃沈げきちんトン数とんすうは76,687トンにのぼる。だい世界せかい大戦たいせん戦功せんこうで7従軍じゅうぐん星章せいしょう殊勲しゅくん隊章たいしょう受章じゅしょうした。だい2とだい9をのぞすべての哨戒しょうかい成功せいこうとして記録きろくされた。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ このさい、「ジャック」が浜松はままつおき特設とくせつ敷設ふせつてい高千穂たかちほまる」(みなみ貿汽せん、342トン)などの攻撃こうげきけて損傷そんしょうしたとするせつがある[15]が、「ジャック」は6がつ27にちなん戦闘せんとうおこなっていない[16]。「高千穂たかちほまる」などがたいせん攻撃こうげきおこなったのは事実じじつだが[17]、その相手あいて潜水せんすいかん彼我ひが記録きろく勘案かんあんすると「ジャック」ではない。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c SS-259, USS JACK, p. 3.
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  10. ^ #あきらさんまるp.26
  11. ^ #よん1806p.31
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  22. ^ SS-259, USS JACK, pp. 38, 40 43.
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  24. ^ a b c SS-259, USS JACK, p. 54.
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参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
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外部がいぶリンク

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