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セリーヌ・ディオン - Wikipedia

セリーヌ・ディオン

カナダの歌手かしゅ(1968年生ねんせい)

セリーヌ・マリー・クローデット・ディオンふつ: Céline Marie Claudette Dion [selin djɔ̃] ( 音声おんせいファイル)1968ねん3月30にち - )は、カナダ歌手かしゅ

セリーヌ・ディオン
Céline Dion

CC OQ
2017ねんアリーナ・バーミンガムにて
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい セリーヌ・マリー・クローデット・ディオン
生誕せいたん (1968-03-30) 1968ねん3月30にち(56さい
出身しゅっしん カナダの旗 カナダ
ケベック州の旗 ケベックしゅうシャルルマーニュ
ジャンル
職業しょくぎょう
担当たんとう楽器がっき ボーカル
活動かつどう期間きかん 1980ねん -
レーベル
公式こうしきサイト CelineDion.com | The Official Website of Celine Dion

人物じんぶつ

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カナダじん歌手かしゅとして史上しじょう最多さいた売上うりあげ記録きろくつほか、ぜん世界せかいでのそう売上うりあげ枚数まいすうは2おくまいえており、世界せかい音楽おんがく史上しじょうもっとれたアーティスト一人ひとりである[2][3][4]代表だいひょうきょくに「美女びじょ野獣やじゅう」「パワー・オブ・ラヴ」「ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー」「オール・バイ・マイセルフ」「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン(タイタニックあいのテーマ)」などがある。

FALLING INTO YOU』で最優秀さいゆうしゅうアルバムしょう、「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」で最優秀さいゆうしゅうレコードしょうなどけい5かいグラミーしょう受賞じゅしょうしている[5]ニールセン・サウンドスキャン英語えいごばん集計しゅうけいで、ディオンは全米ぜんべいで2番目ばんめれた女性じょせいアーティストであり、『FALLING INTO YOU』と『レッツ・トーク・アバウト・ラヴ』はいずれもアメリカ国内こくないでダイアモンドに認定にんていされているほか、イギリスではげが100まんまいえるシングルが2まいある唯一ゆいいつ女性じょせいアーティストでもある[6]。また、1995ねんのアルバム『フレンチ・アルバム』は、フランス語ふらんすごアルバムとしては史上しじょう最多さいた売上うりあげ枚数まいすう記録きろくした[7]ぜん世界せかいにおけるアルバム売上うりあげ枚数まいすうが1おく7500まんまい上回うわまわった直後ちょくごの2004ねん、ディオンは最多さいた売上うりあげ枚数まいすう女性じょせいアーティストをめるワールド・ミュージック・アワードでショパールダイヤモンドしょう受賞じゅしょうしている[8][9]

ディオンがきょく発売はつばいするたび、その圧倒的あっとうてき声量せいりょう技術ぎじゅつてき卓越たくえつした歌唱かしょうりょく評価ひょうか対象たいしょうとなっている[10][11][12]

その音楽おんがくは、ポップスロックR&Bソウルのほかに、ゴスペルクラシックなど幅広はばひろいジャンルに影響えいきょうされていて、ファンや評論ひょうろんにはディオン自身じしんこえ歌詞かし本来ほんらい意味いみうたげる能力のうりょくなどがたか評価ひょうかされている。

もともとフランス語ふらんすご母語ぼごであるが、現在げんざいでは英語えいご達者たっしゃとなり日常にちじょうてき使用しようしている。

来歴らいれき

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カナダ東部とうぶケベックしゅうはフランスけい移民いみんフランスけいカナダじん)のおお地域ちいきであり、フランス語ふらんすごカナダ・フランス語ふらんすご)が公用こうようとなっている。1968ねん、ディオンはそのケベックしゅうシャルルマーニュモントリオール郊外こうがい)で、14にん兄弟きょうだいすえとしてまれた。

幼少ようしょうより、たぐいまれなうた才能さいのう発揮はっきした。その才能さいのうはやくから見抜みぬいたのがルネ・アンジェリルで、のちにディオンの音楽おんがくマネージャー、さらにはディオンのおっととなる人物じんぶつである。アンジェリルはディオンの才能さいのうみ、自宅じたく抵当ていとうれてまでディオンのデビューアルバムの発売はつばい資金しきん調達ちょうたつするなどして、尽力じんりょくした。

ディオンはさまざまなジャンルの音楽おんがく影響えいきょうけ、12さいでプロとしてデビューした。

1980年代ねんだい

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1986ねん

1981ねんフランス語ふらんすごのファースト・アルバムを発売はつばい。ファーストアルバム発売はつばいすうおおくのツアーのさそいがあったにもかかわらず、アンジェリルは「この才能さいのうをつぶすわけにはいかない」という理由りゆうですべての依頼いらいことわった。

1982ねん、「だい13かいヤマハ世界せかい歌謡かよう音楽おんがくさい出場しゅつじょうのためにはつ訪日ほうにち金賞きんしょう獲得かくとくした。1984ねんにはパリオランピア劇場げきじょう最年少さいねんしょう出演しゅつえん

1980年代ねんだい初頭しょとうおおくリリースしたフランス語ふらんすごアルバムにつづき、1986ねんにはCBSレコードカナダ契約けいやくした。1987ねんの8まいのアルバム『INCOGNITO』(インカニート)は地元じもとケベックしゅうだいヒットとなり、音楽おんがく関係かんけいしゃにその存在そんざいられるようになった。1988ねんユーロビジョン・ソング・コンテストで「スイス代表だいひょう」として出場しゅつじょうし、スイスぜい32ねんぶりの優勝ゆうしょうるなど、すうおおくの国際こくさいコンテストのしょうそうなめにした。このようにして 1980年代ねんだいには国際こくさいてき認知にんちはじめていた[13][14]

カナダで活動かつどうしていた当時とうじ、ディオンは英語えいごがまったくはなせず、英語えいごでの簡単かんたん会話かいわすらできなかった。つまりディオンはカナダ・フランス語ふらんすごしかはなせなかったのだが、その英語えいごもう勉強べんきょうした。

1990年代ねんだい

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1998ねんワシントンD.C.にて

ディオンは最初さいしょ英語えいごのアルバムのレコーディングのために、デイヴィッド・フォスターとともにロス・アンジェルス(L.A.)にきょうつした。なおこの時点じてんで、ディオンはL.A.にいがひとりもいない状態じょうたいだった[ちゅう 1]

1991ねんはつ英語えいごアルバム『ユニゾン』を発売はつばいし、世界せかいてきスターへのみちあゆみはじめる。 1992ねんにはアルバム『Celine Dion』を発売はつばい

1991ねんの『美女びじょ野獣やじゅう』(上述じょうじゅつの『Celine Dion』にも集録しゅうろく)、1997ねんの『タイタニック』など、すうおおくの映画えいがにサウンドトラックを提供ていきょうし、また1996ねんアトランタオリンピック開会かいかいしきで『パワー・オブ・ザ・ドリーム』をうたった。

1994ねんはつ訪日ほうにち公演こうえん。12月17にちにアンジェリルと結婚けっこん

日本にっぽんではフジテレビの1995ねんのドラマ『恋人こいびと』の主題歌しゅだいか使つかわれた「トゥ・ラヴ・ユー・モア」が130まんまい以上いじょうげるだいヒットとなった。このきょくにはクライズラー&カンパニー参加さんかした(このえん1996ねんからのワールドツアーに3年間ねんかん加瀬かせ太郎たろう参加さんか[15])。

1995ねん発売はつばいされたフランス語ふらんすごアルバム『フレンチ・アルバム』がフランス国内こくないで400まんまいえる売上うりあげとなり、歴代れきだい最高さいこう売上うりあげ記録きろくとなる。この功績こうせきにより翌年よくねん1996ねんにフランス政府せいふより芸術げいじゅつ文化ぶんか勲章くんしょう授与じゅよされる。

1997ねん、2度目どめ来日らいにち公演こうえん全国ぜんこく6都市とし10公演こうえんのアリーナツアー。

1998ねんケベック国家こっか勲章くんしょう(National Order of Quebec)、カナダ勲章くんしょう(Order of Canada)を受勲じゅくん

1999ねん、3度目どめ来日らいにち公演こうえん全国ぜんこく3都市とし5公演こうえんのドームツアー。ベストアルバム『ザ・ベリー・ベスト発売はつばい同時どうじ活動かつどう休止きゅうし発表はっぴょう

1990年代ねんだいには、「ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー」、「イッツ・オール・カミング・バック・トゥ・ミー・ナウ」や、1997ねん公開こうかい映画えいがタイタニック』の主題歌しゅだいかになった「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」の世界せかいてきだいヒットなどで、ディオンは英語えいごけんフランス語ふらんすごけんにおけるポピュラーミュージックかい大御所おおごしょとなった。

1990年代ねんだいにはアンジェリルのマネージメントのもと、エピック・レコードとの契約けいやく英語えいごアルバムやそれまでと同様どうようフランス語ふらんすごアルバムのリリースを世界せかいてき名声めいせい獲得かくとくし、ポップミュージックの歴史れきしじょうもっとも成功せいこうしたアーティストのひとりとなっていた[16][17]。しかし人気にんき絶頂ぜっちょうであった1999ねん自身じしん出産しゅっさんや、がんわずらっていたおっととの時間じかん大切たいせつにしたいとの理由りゆうから芸能げいのう活動かつどう休止きゅうし発表はっぴょうした[17][18]

2000年代ねんだい

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2008ねんモントリオールにて

2002ねんには活動かつどう再開さいかいし、アルバム『ア・ニュー・デイ・ハズ・カム』で復帰ふっき2003ねんからはネバダしゅうパラダイスラスベガス都市としけん一部いちぶ)のシーザーズ・パレスコロシアムにおいて専用せんよう劇場げきじょうショーを契約けいやくし、New Day... Live in Las Vegasという定期ていき公演こうえん毎晩まいばん3年間ねんかん(のちに2007ねんまでに延長えんちょう)にわたって継続けいぞくした[19][20][21]

 
カナダ・ウォーク・オブ・フェーム英語えいごばんひだり)とハリウッド・ウォーク・オブ・フェームみぎ)のほし

2005ねん1がつ6にち、スターの名前なまえきざんだハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに2,244にん仲間入なかまいりをした。このときのぜん世界せかいでのセールスは1おく5せんまんまい

2007ねん1がつ、アメリカの経済けいざい『フォーブス』がエンターテイメントかい活躍かつやくする女性じょせい資産しさんおお女性じょせいトップ20を発表はっぴょうし、そう資産しさん303おくえんだい5にランクインした。2007ねん11月7にち、アルバム『Taking Chances』を日本にっぽん先行せんこうでリリース。

2008ねん2がつ14にちから10ねんぶりとなるワールドツアー『Taking Chances』をおこなった。2008ねんには9ねんぶりとなる4度目どめ来日らいにち公演こうえん東京とうきょう大阪おおさかぜん4公演こうえんのドームツアー)をおこなった。

2008ねんから現在げんざいいたるコンサートでは、尊敬そんけいするクイーンフレディ・マーキュリーへのトリビュートとして「ウィ・ウィル・ロック・ユー」と「ショウ・マスト・ゴー・オン」をうたっている。

2010年代ねんだい

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2012ねん

2011ねん3月15にちよりシーザーズ・パレス・ホテルの特設とくせつコロシアムにて2度目どめ長期ちょうき公演こうえん「セリーヌ」を開始かいし2019ねん6月8にちまでけい1,141かいおこなわれた[22]

 
2012ねんおっとルネ・アンジェリルみぎ)と

2014ねん11月11にちから19にちに5度目どめ訪日ほうにち公演こうえん予定よていされていたが、マネージャーでもあるおっと看病かんびょう家族かぞくとの時間じかん専念せんねんするため、またディオン本人ほんにんのど炎症えんしょうきる病気びょうきわずらかんなおしていなかったため、ぜん公演こうえん中止ちゅうしとなった。これにともない、7がつ29にち以降いこうラスベガスで予定よていされていた公演こうえん期限きげん中止ちゅうし、アジアツアーのぜん日程にってい中止ちゅうしとなった。[23]

2015ねん8がつ27にち、ラスベガスのシーザーズ・パレスのショーから復帰ふっき[24]

2016ねん1がつ14にちおっと、その2にち16にちにはあにくす[25]

2020年代ねんだい

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2022ねん12月8にちいたみをともな筋肉きんにく硬直こうちょく痙攣けいれんなどの症状しょうじょう難病なんびょうスティッフパーソン症候群しょうこうぐん」と診断しんだんされたことをあきらかにし、翌年よくねんのツアーの延期えんき中止ちゅうし発表はっぴょうした[26]

ディスコグラフィ(抜粋ばっすい

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とし シングル 最高さいこう
べい えい
1990 かなしみのハートビート 6 4 72
1992 イフ・ユー・アスクト・ミー・トゥ 3 4 57
ビューティー・アンド・ザ・ビースト〜美女びじょ野獣やじゅう(ピーボ・ブライソンとのデュエット) 2 9 9
1993 パワー・オブ・ラヴ 1 1 4
ジギィ
1994 シンク・トワイス 14 95 1
1995 トゥ・ラヴ・ユー・モア」 with クライズラー&カンパニー 1
1995 あいをふたたび 7
わたしらない
1996 ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー 1 1 5
イッツ・オール・カミング・バック・トゥ・ミー・ナウ 2 2 3
1997 オール・バイ・マイセルフ 4 6
あいつたえて〜Tell Him(バーブラ・ストライサンドとのデュエット) 12 3
1998 ザ・リーズン 11
マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン 14 1 1 34
イモータリティ(ビージーズとのデュエット) 5
アイム・ユア・エンジェルR・ケリーとのデュエット) 37 1 3
あいするだけでよかったら
2000 アイ・ウォント・ユー・トゥ・ニード・ミー 1
2001 ふうかれるままに(ガルーとのデュエット)
2002 ア・ニュー・デイ・ハズ・カム 2 22 7
2003 アイ・ドローヴ・オール・ナイト 1 45 27
おとこたちのかねすべて 2
2005 あなたをわすれない
2007 あいのうた
Taking Chances 54
とし ツアーめい 音源おんげん
1983ねん - 1984ねん Les chemins de ma maison tournée なし
1985ねん C'est pour toi tournée ビニールレコード Céline Dion en concert
1988ねん Incognito tournée なし
1990ねん - 1991ねん Unison Tour VHS Unison
1992ねん - 1993ねん Celine Dion Tour なし
1994ねん - 1995ねん The Colour of My Love Tour DVD、VHS The Colour of My Love Concert; CD À l'Olympia
1995ねん D'eux Tour DVD、VHS Live à Paris; CD Live à Paris
1996ねん - 1997ねん Falling into You Tour VHS Live in Memphis
1998ねん - 1999ねん Let's Talk About Love Tour DVD、VHS Au cœur du stade; CD Au cœur du stade
2003ねん - 2007ねん A New Day... DVD Live in Las Vegas - A New Day...; CD A New Day... Live in Las Vegas
2008ねん - 2009ねん Taking Chances Tour なし

関連かんれんした作品さくひん

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2021ねん、フランスの女優じょゆう映画えいが監督かんとくヴァレリー・ルメルシェがディオンの半生はんせいをモチーフにしたフィクション映画えいが、「ヴォイス・オブ・ラブ」(原題げんだい、Aline)をリリースした[27][28]

2024ねんAmazonMGMスタジオ から自身じしんのドキュメンタリー映画えいが「I am(I Am: Celine Dion )」とサウンドトラック「I am:Celine Dion」が公開こうかいAmazonPrimeVideo視聴しちょうができる。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ L.A.ではディオンはこの時点じてんではまったくの無名むめい歌手かしゅで、だれもディオンのことをらなかったという。L.A.ではディオンに友達ともだちがいないので、マネージャーのアンジェリルはこれを考慮こうりょして、音楽おんがくプロデューサーのポール・ファーバーマンを食事しょくじやスタジオなどになんさそい、交流こうりゅうふかめていったという。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c Yeung, Neil Z.. Céline Dion | Biography & History - オールミュージック. 2021ねん5がつ29にち閲覧えつらん
  2. ^ Villarreal, Yvonne (2010ねん6がつ23にち). “Hollywood Star Walk: Celine Dion”. Los Angeles Times (Tribune Company). http://projects.latimes.com/hollywood/star-walk/celine-dion/ 2013ねん4がつ20日はつか閲覧えつらん 
  3. ^ "Dion Named All-time Best-selling Canadian Act Archived 2010ねん7がつ26にち, at the Wayback Machine.". (6 January 2000). Allbusiness. Retrieved 12 October 2009.
  4. ^ Josh Learn (2010ねん10がつ3にち). “High Fidelity: Top Selling Canadian Artists”. The Brock Press. 2009ねん10がつ15にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2014ねん8がつ30にち閲覧えつらん
  5. ^ Past Winners Search (Celine Dion)”. Grammy.com. 2013ねん10がつ15にち閲覧えつらん
  6. ^ Featured Artists Celine Dion”. Officialcharts.com. 2014ねん9がつ27にち閲覧えつらん
  7. ^ "The real Céline: Céline Dion’s new French album shows her personal side Archived 2007ねん5がつ31にち, at the Wayback Machine." 29 May 2007. CBC. Retrieved 12 October 2009.
  8. ^ Celine Dion honoured by World Music Awards アーカイブ 2014ねん10がつ16にち - ウェイバックマシン Canada.com Retrieved 1 December 2010
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  10. ^ Alexander, Charles P. (2004ねん3がつ7にち). “The Power of Celine Dion”. Time. http://content.time.com/time/magazine/article/0,9171,980285,00.html 2013ねん9がつ25にち閲覧えつらん  (よう登録とうろく)
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  12. ^ Cove Magazine”. The 100 Outstanding Pop Vocalists. 2006ねん7がつ16にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2006ねん8がつ29にち閲覧えつらん
  13. ^ Bliss, Karen (2004ねん3がつ1にち). “25 years of Canadian artists”. Canadian Musician ( よう購読こうどく契約けいやく). オリジナルの2014ねん8がつ21にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140821180100/http://www.highbeam.com/doc/1P3-620333701.html 2014ねん2がつ9にち閲覧えつらん 
  14. ^ Eurovision Song Contest 1988”. Eurovision Song Contest. European Broadcasting Union. 2014ねん2がつ9にち閲覧えつらん
  15. ^ わたし恩人おんじん加瀬かせ太郎たろう 世界せかい歌姫うたひめまなんだ過去かこ(THE PAGE)”. Yahoo!ニュース. 2021ねん6がつ6にち閲覧えつらん
  16. ^ Taylor, Chuck (1999ねん11月6にち). “Epic/550's Dion offers Hits”. Billboard: p. 1 
  17. ^ a b “The 'ultimate diva'”. People in the News (CNN). (2002ねん10がつ22にち). https://edition.cnn.com/CNN/Programs/people/shows/dion/profile.html 2013ねん9がつ25にち閲覧えつらん 
  18. ^ Celine Dion. "Interview with Celine Dion." Peter Nansbridge. The National. With Alison Smith. CBC-TV. 28 March 2002. Transcript.
  19. ^ Helligar, Jeremy (31 March 2003). Céline Dion livin' la vida Vegas!. p. 56. 
  20. ^ "Celine Dion Releases 1st CD Since 1997". (15 April 2002). Digital Journal Retrieved (12 October 2009)
  21. ^ Hilburn, Robert (2002ねん4がつ11にち). “Ashanti Displaces Dion at Top”. Los Angeles Times. http://articles.latimes.com/2002/apr/11/news/wk-albums11 2014ねん2がつ9にち閲覧えつらん 
  22. ^ セリーヌ・ディオン、ラスベガス長期ちょうき公演こうえん閉幕へいまく記念きねんしたライブ音源おんげん映像えいぞう公開こうかい”. BARKS (2019ねん6がつ11にち). 2023ねん5がつ12にち閲覧えつらん
  23. ^ セリーヌ・ディオン Japan Tour 2014 公演こうえん中止ちゅうしのおらせ H.I.P. 来日らいにち公演こうえん公式こうしきサイト 2014ねん8がつ13にちづけ
  24. ^ “セリーヌ・ディオン「はかない」がん闘病とうびょうおっとささ復帰ふっき. 日刊にっかんスポーツ. (2015ねん8がつ25にち). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/1528214.html 2015ねん8がつ26にち閲覧えつらん 
  25. ^ セリーヌ・ディオン、おっとつづけいがんくす”. BARKS (2016ねん1がつ18にち). 2016ねん1がつ29にち閲覧えつらん
  26. ^ “セリーヌ・ディオンさん難病なんびょう告白こくはく. デイリースポーツ online (株式会社かぶしきがいしゃデイリースポーツ). (2022ねん12月9にち). https://www.daily.co.jp/society/culture/2022/12/09/0015876735.shtml 2022ねん12月9にち閲覧えつらん 
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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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