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ディエゴ・シメオネ - Wikipedia

ディエゴ・シメオネ

アルゼンチンのサッカー選手せんしゅ監督かんとく

ディエゴ・パブロ・シメオネ・ゴンサレスDiego Pablo Simeone González、スペイン発音はつおん[ˈdjeɣo ˈpaβべーたlo simeˈone]、イタリア発音はつおん[ˈdjeːɡo simeˈoːne]1970ねん4がつ28にち - )は、アルゼンチンブエノスアイレス出身しゅっしんもとサッカー選手せんしゅげんサッカー指導しどうしゃリーガ・エスパニョーラ2011-2012シーズン途中とちゅうの2011ねん12月から、スペインのアトレティコ・マドリード監督かんとくつとめる。もとアルゼンチン代表だいひょう現役げんえき時代じだいのポジションはミッドフィールダー愛称あいしょうチョロ(El Cholo [el ˈtʃolo])。

ディエゴ・シメオネ
(2019ねん
名前なまえ
本名ほんみょう ディエゴ・パブロ・シメオネ・ゴンサレス
Diego Pablo Simeone González
愛称あいしょう チョロ(El Cholo
ラテン文字もじ Diego SIMEONE
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき アルゼンチンの旗 アルゼンチン
スペインの旗 スペイン
生年月日せいねんがっぴ (1970-04-28) 1970ねん4がつ28にち(54さい
出身しゅっしん ブエノスアイレス
身長しんちょう 177cm
体重たいじゅう 70kg
あし 右足みぎあし
クラブ1
とし クラブ 出場しゅつじょう (得点とくてん)
1987-1990 アルゼンチンの旗 CAベレス・サルスフィエルド 76 (14)
1990-1992 イタリアの旗 ACピサ1909 55 (6)
1992-1994 スペインの旗 セビージャFC 64 (12)
1994-1997 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 98 (21)
1997-1999 イタリアの旗 インテルナツィオナーレ・ミラノ 57 (11)
1999-2003 イタリアの旗 SSラツィオ 90 (15)
2003-2005 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 36 (2)
2005-2006 アルゼンチンの旗 ラシン・クルブ 37 (3)
通算つうさん 513 (84)
代表だいひょうれき
1989  アルゼンチン U-20 4 (1)
1988-2002 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 106 (11)
1996  アルゼンチン 五輪ごりん 6 (1)
監督かんとくれき
2006 アルゼンチンの旗 ラシン・クルブ
2006-2007 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ
2007-2008 アルゼンチンの旗 CAリーベル・プレート
2009-2010 アルゼンチンの旗 CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ
2011 イタリアの旗 カルチョ・カターニア
2011 アルゼンチンの旗 ラシン・クルブ
2011- スペインの旗 アトレティコ・マドリード
獲得かくとくメダル
夏季かきオリンピック
銀メダル - 2位 1996 アトランタ大会たいかい
1. 国内こくないリーグせんかぎる。
■テンプレート■ノート 解説かいせつ■サッカー選手せんしゅpj

スペインアトレティコ・マドリードイタリアインテル・ミラノラツィオなどで活躍かつやくした。アルゼンチン代表だいひょうとして、史上しじょうはじめて100試合しあい出場しゅつじょう英語えいごばん達成たっせいし、現在げんざい歴代れきだい4出場しゅつじょう試合しあいすうほこる。現役げんえき時代じだいのポジションは守備しゅびてきミッドフィールダー豊富ほうふ運動うんどうりょうでピッチのいたところかおすプレースタイルから、14さいとき監督かんとくから「チョロ」(El Choloインディオ)というあだけられた。このあだはかつてボカ・ジュニアーズでプレーした同姓どうせい選手せんしゅカルメロ・シメオネ英語えいごばんのあだ引用いんようしたもの[1]だが、ディエゴとカルメロのあいだ血縁けつえん関係かんけいはない。

アトレティコ・マドリード監督かんとくとして、ラ・リーガ歴代れきだい3の323試合しあい以上いじょう指揮しきし、勝利しょうりすうはクラブ史上しじょう最多さいたの200しょう達成たっせいしている。リーグ中位ちゅういしずんでいたクラブを、就任しゅうにんから10シーズン連続れんぞくでリーグ3以内いないとUEFAチャンピオンズリーグ出場しゅつじょうたし、2のUEFAチャンピオンズ・リーグ決勝けっしょう進出しんしゅつコパ・デル・レイ、2のラ・リーガ 、スーペル・コパUEFAヨーロッパ・リーグUEFAスーパー・カップけい8つのタイトルを獲得かくとくし、アトレティコ史上しじょう最高さいこう成功せいこうをもたらしている。

父系ふけいにイタリア、母系ぼけいにスペインにルーツをつ。

選手せんしゅ経歴けいれき

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ベレス・サルスフィエルドでのシメオネ(1987ねん)

1987ねんCAベレス・サルスフィエルドからデビューし、そのはイタリアとスペインでながくプレーした。

1990ねんはじめてヨーロッパにわたり、ミルチェア・ルチェスク監督かんとくつとめるイタリアのACピサ1909移籍いせき。スペイン・リーガ・エスパニョーラセビージャて、1994ねんアトレティコ・マドリード移籍いせきすると、1995-96シーズンにはリーグせんコパ・デル・レイの2かん達成たっせいした。

1997ねんふたたセリエAもどり、インテルではロナウドらとともにプレーした。1998ねんUEFAカップでは、決勝けっしょう英語えいごばんラツィオを3-0でやぶって優勝ゆうしょうした。

1999ねんスヴェン・ゴラン・エリクソン監督かんとくひきいるラツィオに移籍いせきし、ベテランのセンシーニアルメイダクレスポすぐれたパス技術ぎじゅつベロンなどおおくのアルゼンチンじん選手せんしゅたちとともにプレーした。かれらのチームはシメオネの加入かにゅうとともにスクデットあらそいにくわわり、シメオネはユヴェントスFCとの白熱はくねつした首位しゅいあらそ参加さんか貢献こうけんした。最終さいしゅうぶしまえにしててん2けられていたが、ユヴェントスは雨中うちゅうペルージャ・カルチョせんやぶれ、ラツィオはホームのスタディオ・オリンピコ・ディ・ローマレッジーナ1914相手あいて会心かいしん勝利しょうりげたため、自身じしんはつとなるセリエAのタイトルをれた。

1999-2000シーズンはコッパ・イタリアでも決勝けっしょうでインテルをやぶって優勝ゆうしょうし、スペイン時代じだいつづく2かん達成たっせいした。その、2002-03シーズンまでラツィオでプレーした。2001-02シーズン最終さいしゅうぶしのインテルせんでは古巣ふるす相手あいてにゴールをめ、インテルのリーグ制覇せいはゆめくだいた。

2003ねんにアトレティコ・マドリードに復帰ふっきし、2シーズンプレーしたのち母国ぼこくラシン・クラブ移籍いせきした。ファンであるラシン・クラブで引退いんたいするというねがいがかない、なが選手せんしゅ生活せいかつえ、2006ねん引退いんたいした。

代表だいひょう

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1996ねんにはアトランタオリンピック出場しゅつじょうしてぎんメダルを獲得かくとくした。

1988ねんオーストラリアせんアルゼンチン代表だいひょうデビューしてから2002ねんまでに106試合しあい出場しゅつじょうし、アルゼンチン代表だいひょう当時とうじ最多さいた出場しゅつじょう記録きろく更新こうしんした[2]。1991ねんと1993ねんにはコパ・アメリカ優勝ゆうしょうし、1994 ワールドカップ1998 ワールドカップ2002 ワールドカップと3ワールドカップ出場しゅつじょうたしている。

1992ねんキング・ファハド・カップでは決勝けっしょう得点とくてんした。1994ねんのワールドカップではぜん4試合しあいでフル出場しゅつじょう、グループリーグ初戦しょせんギリシャせんで1アシストをめた。

1998 ワールドカップではグループリーグのジャマイカせんガブリエル・バティストゥータのゴールをアシスト、決勝けっしょうトーナメント1回戦かいせんイングランドせんでは、ファウルてPKを獲得かくとく、またシメオネをったデヴィッド・ベッカム報復ほうふく行為こういとみなされて退場たいじょう処分しょぶんけた。シメオネはのちに、ベッカムを退場たいじょうむためにやめがるりをしたことをみとめている[3]つぎせん準々じゅんじゅん決勝けっしょうオランダせんではタックルをけて実際じっさい負傷ふしょうした。最後さいご国際こくさい大会たいかいとなった2002 ワールドカップは2試合しあい先発せんぱつしたが、グループリーグ最終さいしゅうせんのスウェーデンせんでは出場しゅつじょうく、チームは敗退はいたいわった。

プレースタイル

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機動きどうりょくがあり、空中くうちゅうでのうごきがよく、ボールをうばうことも攻撃こうげき起点きてんとなることもできる、ねばづよく、多才たさいで、努力どりょくで、攻守こうしゅにおいて完璧かんぺきなミッドフィルダーとみなされていた。そのため、キャリアをつうじて中盤ちゅうばんのどこでもプレーすることができたが、通常つうじょう中央ちゅうおうボックス・トゥ・ボックス英語えいごばん守備しゅびてきなミッドフィルダーの役割やくわりになっていた[4][5][6]才能さいのうがありながらも戦闘せんとうてき選手せんしゅであるかれは、おもリーダーシップ戦術せんじゅつてき多才たさいさ、知性ちせいつよさ、スタミナでられていた[7] が、テクニック、視野しや範囲はんいひろさでも評論ひょうろんから称賛しょうさんされていた。シメオネは、自分じぶんのスタイルを「あいだにナイフをはさんでいる」と表現ひょうげんした[4]かれ影響えいきょうけた選手せんしゅは、ブラジルじんMFファルカンとドイツじんMFローター・マテウスであった[8]

指導しどうしゃ経歴けいれき

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ラシン・クルブ

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2006ねん2がつ17にち試合しあい現役げんえきえると同時どうじにラシン・クルブの監督かんとく就任しゅうにん。シーズン終了しゅうりょうにクラブの会長かいちょう交代こうたいしたことにともない、レイナルド・メルロ後任こうにんゆずった。

エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ

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2006ねん5がつ18にちエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ監督かんとく就任しゅうにんした。12月13にちボカ・ジュニアーズとのシーズン最終さいしゅうせん優勝ゆうしょう決定けっていせんとなった)に2-1で勝利しょうりし、アペルトゥーラ2006ではクラブを23ねんぶりのリーグ優勝ゆうしょうみちびいた。同年どうねん10がつにOleおこなった投票とうひょうでアルゼンチンリーグの最優秀さいゆうしゅう監督かんとくえらばれ[9]もとアルゼンチン代表だいひょうロベルト・ペルフーモスペインばんに「まれながらの監督かんとく」としょうされた[10]。アペルトゥーラ2007では低調ていちょうなスタートとなり、9試合しあい無敗むはいでシーズンをえたものの、優勝ゆうしょうあらそいにくわわることができず、シーズン終了しゅうりょう退任たいにんした。

リーベル・プレート

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2007ねん12月15にちダニエル・パサレラ後任こうにんとしてリーベル・プレート監督かんとく就任しゅうにんした。コパ・リベルタドーレスでは決勝けっしょうトーナメント1回戦かいせんサン・ロレンソ・デ・アルマグロとの同国どうこく対決たいけつやぶれて早期そうき敗退はいたいしたが、クラウスーラ2008ではエスタディオ・モヌメンタルおこなわれた最終さいしゅうぶしクラブ・オリンポスペインばんを2-1でくだして優勝ゆうしょうした[11]同年どうねんコパ・スダメリカーナではウルグアイのデフェンソール・スポルティングなどをくだして準々じゅんじゅん決勝けっしょう進出しんしゅつしたが、準々じゅんじゅん決勝けっしょうでメキシコのグアダラハラやぶれてベスト8にわった。国内こくないリーグでも11試合しあい連続れんぞく勝利しょうりとなって最下位さいかい低迷ていめいし、2008ねん11月7にち辞任じにんした[12][13]

サン・ロレンソ・デ・アルマグロ

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2009ねん4がつ15にちコパ・リベルタドーレス1回戦かいせん敗退はいたいして解任かいにんされたミゲル・アンヘル・ルッソ後任こうにんとしてサン・ロレンソ・デ・アルマグロ監督かんとく就任しゅうにんした[14]。2010ねん4がつ3にち成績せいせき不振ふしんかさなる批判ひはん責任せきにんって辞任じにんした[15]

カルチョ・カターニア

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2011ねん1がつ解任かいにんされたマルコ・ジャンパオロ後任こうにんとしてセリエAカルチョ・カターニア監督かんとく就任しゅうにんした[16][17]。セリエA残留ざんりゅうという目標もくひょうたし、2010-11シーズン終了しゅうりょうの2011ねん6がつ1にちにカルチョ・カターニアのしょくはなれた[18]

ラシン・クルブ

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2011ねん6がつ21にち、ルッソの後任こうにんとしてラシン・クルブ監督かんとく復帰ふっきした[19]

アトレティコ・マドリード

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2011-12シーズン途中とちゅうの2011ねん12月23にちグレゴリオ・マンサーノ監督かんとくから解任かいにんした古巣ふるすアトレティコ・マドリードから後任こうにんのオファーをけて監督かんとく就任しゅうにん、1ねんはん契約けいやくむすんだ[20]ヨーロッパリーグ 2011-12では、指揮しきをしたぜん9試合しあい勝利しょうりをし優勝ゆうしょうみちびいた。

2012-13シーズンの2012ねん8がつ31にちチェルシーを4-1でやぶり、UEFAスーパーカップ制覇せいはした。国内こくないリーグでは、前半ぜんはんせんバルセロナぐ2え、ライバルのレアル・マドリード上回うわまわ好成績こうせいせきおさめた。最終さいしゅうてきにチームをリーグ3みちびき、当時とうじのアトレティコにとって17年間ねんかん最高さいこう成績せいせきとなった。2013ねん5がつ17にちサンティアゴ・ベルナベウでレアル・マドリードを2-1でやぶり、コパ・デル・レイせいした。2013ねん3がつには契約けいやくを2017ねんまで4年間ねんかん延長えんちょうしたことが発表はっぴょうされた[21]

2013-14シーズン、もぜんシーズンとおなじようなチーム編成へんせい開幕かいまくした。リーグ開幕かいまくまえスーペルコパ・デ・エスパーニャでバルセロナにやぶれたが、リーグせん開幕かいまく8連勝れんしょう記録きろくし、クラブ史上しじょう最高さいこうのスタートをった。このなかには、レアル・マドリードとのアウェーでの1-0の勝利しょうりふくまれており、1999ねんクラウディオ・ラニエリ以来いらい、アトレティコの監督かんとくとしてはじめて、サンティアゴ・ベルナベルでのリーグせん勝利しょうり記録きろく、ダービー連勝れんしょうは、63ねんぶりだった。リーガ首位しゅいでシーズン前半ぜんはんせんえ、てん47でバルセロナと同点どうてんとなった。バルセロナとの優勝ゆうしょうあらそいは最終さいしゅうぶしまでもつれみ、最終さいしゅうぶしカンプ・ノウでのバルセロナせんでは優勝ゆうしょうには以上いじょう必要ひつようとなった。48ふんにコーナーキックからのディエゴ・ゴディンのヘディングでの同点どうてんゴールをもたらし、け、アトレティコが1996ねん以来いらいのリーグ10度目どめのタイトルを獲得かくとくした。アトレティコの選手せんしゅ監督かんとく両方りょうほうでリーグ優勝ゆうしょう経験けいけんしたのは、ルイス・アラゴネスいで2人ふたりだった。シメオネ監督かんとくした、アトレティコはリーグせんてん90を獲得かくとくし、1996ねんてん87を上回うわまわり、2013-14シーズンはクラブ史上しじょうもっと成功せいこうしたシーズンとなった。チャンピオンズリーグ 2013-14では、グループステージで首位しゅいち、ラウンド16でミランを5-1やぶり、準々じゅんじゅん決勝けっしょう進出しんしゅつたした。アトレティコがチャンピオンズリーグの準々じゅんじゅん決勝けっしょう進出しんしゅつしたのは、シメオネが在籍ざいせきしていた1996-97シーズン以来いらいのことだった。準々じゅんじゅん決勝けっしょうでは、バルセロナを2-1でやぶり、準決勝じゅんけっしょうではチェルシーを3-1でやぶり、クラブ史上しじょう2度目どめ、1974ねん以来いらいのチャンピオンズリーグ決勝けっしょう進出しんしゅつたした。決勝けっしょうまえのチャンピオンズリーグで唯一ゆいいつ無敗むはいのチームであり、9しょう3はい記録きろくし、12試合しあいでわずか6失点しってんで、この大会たいかい最高さいこう守備しゅびりょくほこっていた。2014ねん5がつ24にちおこなわれた決勝けっしょうせんでは、リスボンエスタディオ・ダ・ルス市内しないのライバルであるレアル・マドリードと対戦たいせんした。ディエゴ・ゴディンのヘディングで先制せんせいしたものの、93ふん同点どうてんゴールをゆるしてしまった。その延長えんちょうせんすえに1-4でやぶれ、シメオネはルイス・カルニグリアエレニオ・エレーラつづく3にんのアルゼンチンじん監督かんとくとしてチャンピオンズリーグ優勝ゆうしょう決勝けっしょうせんのがした。決勝けっしょうゴールののち、レアル・マドリードのラファエル・ヴァランがシメオネにかってボールをったため、シメオネはいかりのあまりピッチにはしし、退場たいじょうさせられた。シメオネは「自分じぶん反応はんのう間違まちがえてしまった。かれ将来しょうらいせいのあるわかおとこだ」とかたった。また、ストライカーのジエゴ・コスタを先発せんぱつ起用きようしたのは間違まちがいだったとみとめた。

 
ラ・リーガ優勝ゆうしょういわうアトレティコの選手せんしゅたち(2014ねん)

2014-15シーズン、8がつのスーペル・コパではレアル・マドリードをやぶり、9月のリーグせんではベルナベウで前年ぜんねんつづいてのダービーに勝利しょうりした。しかし、リーグせんを3え、チャンピオンズリーグ準々じゅんじゅん決勝けっしょうでレアル・マドリードに1-0でやぶれ、アグリゲーションで敗退はいたいした。

2015-16シーズンは、ヤン・オブラクはじめとした守備しゅびじん奮闘ふんとうもあり、リーグせん38試合しあいで18失点しってんのみとヨーロッパの5だいリーグで最高さいこう守備しゅび成績せいせきのこした。また、もっとおおくのクリーンシートを記録きろくしたチームでもあった。最終さいしゅうぶしまでバルセロナ、レアル・マドリードとリーグタイトルをあらそっていたが、てん88で3しずんだ。チャンピオンズリーグでは、アトレティコを3シーズンぶり2度目どめのチャンピオンズリーグ決勝けっしょうみちびいた。ラウンド16でPSVをPKせんやぶり、ディフェンディングチャンピオンのバルセロナを3-2でやぶり、アウェイゴールでバイエルン・ミュンヘンを2-2でくだし、2014ねん決勝けっしょう以来いらい2ねんぶりにふたたびレアル・マドリードと対戦たいせんすることになった。決勝けっしょうせんでは延長えんちょうせんすえ、1-1のまま終了しゅうりょうし、PKせんとなった。フアンフラン唯一ゆいいつキックをはずし、クリスティアーノ・ロナウドがレアルの最後さいごのPKをめ、アトレティコは3シーズンぶり2度目どめのチャンピオンズリーグ決勝けっしょう敗退はいたいきっした。

2016-17シーズンは、リーグせんではふたたび3わり、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝じゅんけっしょうではふたたびレアル・マドリードにやぶれた。

2017-18シーズン、リーグせんでは、バルセロナにぐ2わった。チャンピオンズリーグ 2017-18では、グループステージで3となり敗退はいたいヨーロッパリーグ 2017-18出場しゅつじょうし、決勝けっしょうマルセイユやぶりチームは優勝ゆうしょうするも、準決勝じゅんけっしょうアーセナルたたかえ1stレグで退場たいじょう処分しょぶんとなり、2ndレグと決勝けっしょうではベンチ出来できなかった[22]。2017ねん9がつ5にち、アトレティコとの契約けいやくを2020ねん6がつまで2ねん延長えんちょうした[23]

2018-19シーズン、リーグせんではふたたびバルセロナにぐ2わった。チャンピオンズリーグ2018-19では、決勝けっしょうトーナメントに進出しんしゅつし、ユヴェントスにホームでの1stレグを2-0で勝利しょうりしたものの、2ndレグではクリスティアーノ・ロナウドに3得点とくてんめられれ、3-0でやぶれた。2019ねん2がつ14にち、アトレティコと契約けいやくを2020ねんまで延長えんちょうした。

2019-20シーズンは、試合しあい形式けいしきわったスーペルコパ・デ・エスパーニャでは、バルセロナをやぶ決勝けっしょう進出しんしゅつするも、レアル・マドリードにやぶじゅん優勝ゆうしょうとなった。リーグせんでは、一時いちじはチャンピオンズリーグ出場しゅつじょう圏内けんない獲得かくとくあやぶまれたが、コロナウイルスによるリーグせん再開さいかいは11試合しあい無敗むはいで、最終さいしゅうてきにはレアル・マドリード、バルセロナにぐ3わった。2020ねん6がつ27にちデポルティーボ・アラベスを2-1でくだし、スペインサッカーのトップリーグで195試合しあい勝利しょうりおさめた。この勝利しょうりにより、ルイス・アラゴネス(194しょう)をいて、クラブ史上しじょう最多さいたのリーガ勝利しょうりすうほこ監督かんとくとなった[24]。7月7にち、セルタせん(リーガ323試合しあい)で、ジョン・トシャックいて、スペインサッカーのトップリーグの歴史れきしじょう、1つのクラブでもっとおおくの試合しあい指揮しきした3にん監督かんとくとなった(ミゲル・ムニョス(レアル・マドリード、424試合しあい)、ルイス・アラゴネス(アトレティコ・マドリード、407試合しあい))。チャンピオンズリーグ 2019-20では、ラウンド16で前回ぜんかい王者おうじゃリヴァプールやぶり、準々じゅんじゅん決勝けっしょう進出しんしゅつするも、準々じゅんじゅん決勝けっしょうではライプツィヒやぶれ、ベスト8にわった。

2020-21シーズン開幕かいまくまえ新型しんがたコロナウイルス陽性ようせい発表はっぴょうされ症状しょうじょうだったが自宅じたくにて待機たいきした[25]。10月17にちセルタ・デ・ビーゴとのアウェイせんでリーグ通算つうさん200しょう達成たっせいした[26]。11月21にち就任しゅうにん以来いらいリーグせん17せん勝利しょうりだったバルセロナせんで、1-0ではつ勝利しょうりした[27]就任しゅうにんから9ねんむかえた2020ねん12月30にちヘタフェせんでアトレティコでの公式こうしきせんで500試合しあい指揮しきとなった[28]通算つうさん成績せいせきは301しょう118け81はい[28]。そしてリーグ最終さいしゅうぶし激戦げきせんせいし、7ねんぶりの優勝ゆうしょうみちびいた[29]好成績こうせいせき結果けっか、クラブとの契約けいやくを2024ねん6がつまつまで延長えんちょうした[30]

2021-22シーズンの2022ねん2がつ13にち、ラ・リーガでヘタフェCF対戦たいせんし、4-3で勝利しょうりしたことで、フェルディナンド・ダウチークいてラ・リーガにおける外国がいこくじん監督かんとくとしてのリーグ最多さいた勝利しょうりげた監督かんとくとなった[31]

2022-23シーズン、2023ねん3がつ4にちのセビージャせんルイス・アラゴネスの612試合しあいいてチームの歴代れきだい監督かんとくとして最多さいた試合しあいすう指揮しきしたこととなった[32]

2023-24シーズン途中とちゅうの2023ねん11月、アトレティコと2027ねん6がつまでの契約けいやく延長えんちょう合意ごういした[33]

戦術せんじゅつ人物じんぶつ

編集へんしゅう
 
アトレティコの監督かんとくとして試合しあい記者きしゃ会見かいけんのぞむシメオネ(2013ねん

シメオネの思想しそう哲学てつがくあらわした「チョリスモ」(シメオネ主義しゅぎ)とばれる徹底てってい守備しゅび堅守けんしゅ速攻そっこうスタイルが特徴とくちょうである。現在げんざいアトレティコ・マドリードでは基本きほんフォーメーションは5バックで、カテナチオ堅守けんしゅ速攻そっこう重視じゅうしする[34][35][36][37]。2022ねん4がつ6にちマンチェスター・シティFCせんなどにて5-5-0フォーメーションのパーク・ザ・バス使用しようしている[34][35][36][37]。アトレティコ・マドリードではリトリート自陣じじん撤退てったいし、強度きょうどのあるプレス堅守けんしゅ徹底てってい失点しってん最小限さいしょうげんおさえ、すきがあれば速攻そっこう仕掛しかけて最小限さいしょうげんちから得点とくてんし、最小限さいしょうげん得点とくてんりょく手堅てがた常勝じょうしょうすることでてんかさねる。シメオネは決断けつだんスピード・細部さいぶへの注意ちゅういりょく変化へんか適応てきおうりょくち、アグレッシブさも特徴とくちょうてきで「どろえたら、わたしはすぐにむ。サッカーの世界せかいまれる挑戦ちょうせんきだ」とかたっている[38]合理ごうり主義しゅぎてき徹底てっていしたリアリストであり「綺麗きれいなサッカー」よりも合理ごうりてきな「よりいサッカー」を重視じゅうししている[38]

以前いぜん基本きほんフォーメーションは4-4-2で、コンパクトなローライン(最終さいしゅうラインのみハイライン)とゾーンディフェンス使用しようしていた[39]。2020ねんからは3バックも使用しようしていた。相手あいてチームがボールを保持ほじしている場合ばあい中央ちゅうおうから片方かたがたのサイドに集中しゅうちゅうしてハードなプレスをかける。ぎゃくサイドのSBも片方かたがたのサイドへスライドし、ローリスクのためにのこりのDF3にん後方こうほうかためる。プレス失敗しっぱい素早すばや自陣じじんにリトリートし強固きょうこ鉄壁てっぺききずく。相手あいて選手せんしゅをサイドへみ、中央ちゅうおうにボールがはいった場合ばあいはトラップが発動はつどう相手あいて選手せんしゅかこむ。ボール奪取だっしゅ流動的りゅうどうてきな4-2-2-2フォーメーションとなり、フォワードは時折ときおりサイドにシフトしてさらにスペースをつく[40][41]。シメオネの堅守けんしゅ徹底てっていしたものであるため、選手せんしゅには不可欠ふかけつハードワーク規律きりつもとめ、逆境ぎゃっきょうなかでチームを勝利しょうりみちびく。

クラウディオ・ラニエリひきいる2015-16年度ねんどプレミアリーグ優勝ゆうしょうチーム レスター・シティFCはコンパクトな4-4-2で強豪きょうごう相手あいて勝利しょうりげ、シメオネのアトレティコ・マドリードと比較ひかくされてきた[42][43]。シメオネは2006ねんエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ監督かんとくに4-4-2をはつ使用しようした。アトレティコ・マドリードでは相手あいてセットプレーからチャンスをつくらせない一方いっぽうでセットプレーからのチャンスメイクを重視じゅうしし、アトレティコ・マドリードが2014年度ねんどリーガタイトル獲得かくとくでの1てんふく重要じゅうようなゴールすうはセットプレーによるものである[44]2015-16 UEFAチャンピオンズリーグ準決勝じゅんけっしょうFCバイエルン・ミュンヘンせんでは1-0でリードされているときに4-4-2から4-1-4-1にフォーメーションを変更へんこうし、CAリーベル・プレート監督かんとくには攻撃こうげきてきな3-3-1-3を使用しようし、カルチョ・カターニャ指揮しきしたさいには4-2-3-1と4-3-1-2を使つかけた。「硬直こうちょくした戦術せんじゅつ自分じぶん化石かせきさせたくない」とかたっている[45]

少年しょうねん時代じだいからラシン・クルブのサポーターであり、CAベレス・サルスフィエルドのユース出身しゅっしんであったがラシン・クルブで引退いんたいすることをえらび、ラシン・クルブへの移籍いせきにCAベレス・サルスフィエルドのサポーターから反感はんかんった。少年しょうねん時代じだいきだった選手せんしゅパウロ・ロベルト・ファルカンウーゴ・サバグノホセ・ベルタ[よう出典しゅってん]。コーチングについて影響えいきょうけた人物じんぶつマルセロ・ビエルサスヴェン・ゴラン・エリクソンアルフィオ・バシーレビクトリオ・スピネット英語えいごばんルイジ・シモーニカルロス・ビラルドラドミル・アンティッチ[46]

3なん2じょ子供こどものうち、長男ちょうなんジョバンニ・シメオネ次男じなんジャンルカ・シメオネ英語えいごばん三男さんなんジュリアーノ・シメオネの3にんは、全員ぜんいんFWのポジションをつとめるサッカー選手せんしゅである。

ディエゴ・ゴディンはシメオネについて「選手せんしゅたちはかれ(シメオネ)のためにぬだろう。かれ我々われわれがもっとおおきなチームときそえるという確信かくしんあたえてくれる。わたしたちはかれおおきな自信じしんっており、わたしたちはぬまでかれ一緒いっしょにいるし、かれわたしたちと一緒いっしょにいる。チーム全体ぜんたい監督かんとく自信じしんっているとしんじているし、自分じぶんたちがすすむべきみち全員ぜんいんっている。そうやって物事ものごとげる。」とかたっている[47][48]

個人こじん成績せいせき

編集へんしゅう

クラブでの出場しゅつじょう記録きろく

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出典しゅってん[49]

クラブ シーズン リーグ カップ スーパーカップ 国際こくさいカップ 通算つうさん
ディビジョン 出場しゅつじょう 得点とくてん 出場しゅつじょう 得点とくてん 出場しゅつじょう 得点とくてん 出場しゅつじょう 得点とくてん 出場しゅつじょう 得点とくてん
ベレス・サルスフィエルド 1987–88 プリメーラ・ディビシオン 28 4
1988–89 16 2
1989–90 32 8
通算つうさん 76 14
ピサ 1990–91 セリエA 31 4 1 0 32 4
1991–92 セリエB 24 2 1 0 25 2
通算つうさん 55 6 2 0 0 0 0 0 57 6
セビージャ 1992–93 ラ・リーガ 33 4 0 0 33 4
1993–94 31 8 0 0 31 8
通算つうさん 64 12 0 0 64 12
アトレティコ・マドリード 1994–95 ラ・リーガ 29 6 8 2 37 8
1995–96 37 12 8 0 45 12
1996–97 32 3 3 0 2 0 7 4 44 7
通算つうさん 98 21 19 2 2 0 7 4 126 27
インテル・ミラノ 1997–98 セリエA 30 6 2 0 9 1 41 7
1998–99 27 5 7 0 9 2 43 7
通算つうさん 57 11 9 0 0 0 18 3 84 14
ラツィオ 1999–00 セリエA 28 5 7 2 12 0 47 7
2000–01 30 2 2 0 1 0 8 1 41 3
2001–02 8 1 0 0 5 0 13 1
2002–03 24 7 3 0 7 0 34 7
通算つうさん 90 15 12 2 1 0 32 1 135 18
アトレティコ・マドリード 2003–04 ラ・リーガ 28 2 4 0 32 2
2004–05 8 0 1 0 6 1 15 1
通算つうさん 36 2 5 0 0 0 6 1 47 3
ラシン 2004–05 プリメーラ・ディビシオン 17 2
2005–06 20 1
通算つうさん 37 3
キャリア通算つうさん 513 84

代表だいひょうでの年別ねんべつ出場しゅつじょう試合しあいすう

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出典しゅってん[50]


アルゼンチン代表だいひょう国際こくさいAマッチ
とし出場しゅつじょう得点とくてん
1988 2 1
1989 3 0
1990 1 0
1991 9 2
1992 3 1
1993 13 1
1994 10 0
1995 8 2
1996 6 2
1997 9 1
1998 12 0
1999 11 1
2000 11 0
2001 6 0
2002 2 0
通算つうさん 106 11

監督かんとく成績せいせき

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2023ねん11月7にち現在げんざい
クラブ くに 就任しゅうにん 退任たいにん 記録きろく
ためし かち ぶん はい 勝率しょうりつ
ラシン   2006ねん2がつ18にち 2006ねん5がつ4にち 14 5 3 6 035.71
エストゥディアンテス   2006ねん5がつ18にち 2007ねん12月3にち 60 34 15 11 056.67
リーベル・プレート   2007ねん12月15にち 2008ねん11月7にち 45 20 13 12 044.44
サン・ロレンソ   2009ねん1がつ19にち 2010ねん4がつ3にち 50 22 9 19 044.00
カターニア   2011ねん1がつ19にち 2011ねん6がつ1にち 18 7 3 8 038.89
ラシン   2011ねん6がつ21にち 2011ねん12月23にち 20 8 10 2 040.00
アトレティコ・マドリード   2011ねん12月23にち 643 380 148 115 059.10
合計ごうけい 850 476 201 173 056.00

選手せんしゅ時代じだい

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アトレティコ・マドリード
インテル
ラツィオ

代表だいひょう

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アルゼンチン代表だいひょう
  • Trofeo EFE : 1995-96

指導しどうしゃ時代じだい

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エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ
リーベル・プレート
アトレティコ・マドリード

著書ちょしょ

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  • 『シメオネちょう効果こうか リーダーの言葉ことばいまあるチームはつよくなる』(ソル・メディア、2014ねんISBN 978-4905349228

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ Diario Deportivo Olé – El más odiado, el más bancado Ole、2002ねん6がつ5にち
  2. ^ RSSSF Argentine international players RSSSF
  3. ^ Carlin, John (2002ねん5がつ19にち). “England v Argentina – A history”. Observer Sport Monthly, 19 May 2002 (London). http://football.guardian.co.uk/worldcup2002/countries/story/0,,716632,00.html 2006ねん11月15にち閲覧えつらん 
  4. ^ a b Unlike Simeone's Atletico, Seedorf's AC Milan still searching for identity”. ESPN FC (2014ねん3がつ10日とおか). 2016ねん7がつ26にち閲覧えつらん
  5. ^ Lazio:| Simeone 'Io in panchina? Prima o poi...'” (Italian). Calcio Mercato. 2014ねん10がつ20日はつか閲覧えつらん
  6. ^ Simeone, alle origini del Cholo: da Pisa a Catania, dall'Inter alla Lazio leader nato” (Italian). La Gazzetta dello Sport (2016ねん5がつ4にち). 2016ねん7がつ18にち閲覧えつらん
  7. ^ Diego Simeone juntaba garra, carácter y una gran técnica” (Spanish). AS.com (2014ねん8がつ1にち). 2014ねん10がつ20日はつか閲覧えつらん
  8. ^ Simeone e le fonti di ispirazione:"Da giovane ammiravo Falcão, poi ho cominciato ad apprezzare Matthäus"” (Italian). F.C. Inter News (2015ねん3がつ17にち). 2016ねん7がつ18にち閲覧えつらん
  9. ^ Simeone, el gran estratega del fútbol argentino Clarin、2006ねん10がつ31にち
  10. ^ El técnico se hace, sí, pero sobre todo nace Archived 2008ねん1がつ8にち, at Archive.is Ole
  11. ^ River Plate crowned champion of Argentine Clausura International Herald Tribune 、2008ねん6がつ9にち
  12. ^ Diego Simeone renunció a la dirección técnica de River ESPN Deportes、2008ねん11月7にち (スペイン
  13. ^ Las causas de una salida inevitable[リンク] Fox Deportes
  14. ^ Ex-River boss Simeone to manage San Lorenzo ESPN soccernet、2009ねん4がつ16にち
  15. ^ Simeone quits San Lorenzo post after dismal run ESPN soccernet、2010ねん4がつ4にち
  16. ^ “ESCLUSIVA TMW - Criscitiello: "Colpo Lo Monaco: Simeone a Catania"” (Italian). Tutto Mercato Web. (2011ねん1がつ19にち). http://www.tuttomercatoweb.com/?action=read&id=248797 2011ねん1がつ19にち閲覧えつらん 
  17. ^ “Diego Pablo Simeone è il nuovo allenatore del Catania” (Italian). Calcio Catania. (2011ねん1がつ19にち). オリジナルの2011ねん7がつ27にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110727105119/http://www.calciocatania.it/comunicati/comunicati.php?id=21846 2011ねん1がつ19にち閲覧えつらん 
  18. ^ “Catania, rescinde Simeone” (Italian). Tutto Mercato Web. (2011ねん6がつ1にち). http://www.tuttomercatoweb.com/?action=read&id=271540 2011ねん6がつ1にち閲覧えつらん 
  19. ^ “Diego Simeone fue presentado como nuevo técnico de Racing Club” (Spanish). ラシン・クルブ公式こうしきサイト. (2011ねん6がつ21にち). オリジナルの2011ねん6がつ25にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110625133750/http://www.racingclub.com.ar/detalle/noticias/2789 2011ねん6がつ21にち閲覧えつらん 
  20. ^ “シメオネがアトレティコのしん監督かんとくに”. UEFA.com. (2012ねん1がつ14にち). http://jp.uefa.com/uefaeuropaleague/news/newsid=1738041.html 2011ねん12月24にち閲覧えつらん 
  21. ^ アトレティコ、シメオネ監督かんとく契約けいやく更新こうしん uefa.com 2013ねん3がつ5にち
  22. ^ “Simeone banned from Europa final touchline”. ESPN.com. http://www.espn.com/soccer/atletico-madrid/story/3483214/diego-simeone-handed-europa-league-final-touchline-ban 2020ねん3がつ14にち閲覧えつらん 
  23. ^ “Diego Simeone: Atletico Madrid manager signs two-year contract extension” (英語えいご). BBC Sport. (2017ねん9がつ5にち). https://www.bbc.com/sport/football/41161373 2020ねん8がつ6にち閲覧えつらん 
  24. ^ シメオネ アトレティコの監督かんとくとしてリーガの最多さいた勝利しょうり記録きろく(SPORT.es)”. Yahoo!ニュース. 2020ねん9がつ13にち閲覧えつらん
  25. ^ A・マドリー指揮しきかんディエゴ・シメオネに新型しんがたコロナ陽性ようせい反応はんのう(ゲキサカ)”. Yahoo!ニュース. 2020ねん9がつ13にち閲覧えつらん
  26. ^ Club Atlético de Madrid - Simeone reaches 200 LaLiga wins” (英語えいご). Club Atlético de Madrid. 2020ねん11月28にち閲覧えつらん
  27. ^ アトレティコ、シメオネ体制たいせいはじめてバルサをリーグせん撃破げきは! 完敗かんぱいバルサはピケ&S・ロベルトが負傷ふしょう…《ラ・リーガ》【ちょうワールドサッカー】”. ちょうワールドサッカー. 2020ねん11月28にち閲覧えつらん
  28. ^ a b アトレティコ、シメオネ政権せいけん500試合しあいとなるヘタフェせんに1-0勝利しょうり!2020ねんホームで無敗むはいつらぬく | Goal.com”. www.goal.com. 2020ねん12月31にち閲覧えつらん
  29. ^ アトレティコ、7ねんぶり通算つうさん11かいのラ・リーガ優勝ゆうしょう!ルイス・スアレス逆転ぎゃくてんだんでバジャドリーをやぶ達成たっせい”. Goal.com (2021ねん5がつ23にち). 2022ねん10がつ10日とおか閲覧えつらん
  30. ^ Simeone renueva hasta 2024” (スペイン). アトレティコ・マドリード公式こうしきサイト (2021ねん7がつ8にち). 2021ねん7がつ9にち閲覧えつらん
  31. ^ Simeone sigue batiendo récords y ya es el técnico extranjero con más triunfos en LaLiga”. マルカ (2022ねん2がつ13にち). 2022ねん2がつ15にち閲覧えつらん
  32. ^ アトレティコがセビージャを6はつ粉砕ふんさい!…指揮しきかんのメモリアルマッチを勝利しょうりかざりラ・リーガ3浮上ふじょう”. サッカーキング (2023ねん3がつ5にち). 2023ねん3がつ5にち閲覧えつらん
  33. ^ シメオネ監督かんとく、アトレティコと契約けいやく延長えんちょう 27ねんまで”. フランス通信つうしんしゃ (2023ねん11月10にち). 2023ねん11月11にち閲覧えつらん
  34. ^ a b アトレティコ"5-5-0システム"が反響はんきょう拡大かくだい おどろきの瞬間しゅんかん海外かいがい注目ちゅうもく「11にん全員ぜんいんがボックスないまもっていた」 | フットボールゾーン”. web.archive.org (2022ねん5がつ28にち). 2023ねん1がつ16にち閲覧えつらん
  35. ^ a b アトレティコの「5-5-0」は未来みらいのサッカーのちょう? "攻撃こうげきりょくほぼゼロ"の代償だいしょうさきにあるモノ | フットボールゾーン”. web.archive.org (2022ねん4がつ13にち). 2023ねん1がつ16にち閲覧えつらん
  36. ^ a b 決勝けっしょうゴールのデ・ブライネ、“5-5-0”のアトレティコに「なにっているひと対戦たいせんしてみて」 | ゲキサカ”. web.archive.org (2023ねん1がつ16にち). 2023ねん1がつ16にち閲覧えつらん
  37. ^ a b アトレティコのちょう守備しゅびてき[5-5-0]をシティはいかに攻略こうりゃくした? 【マンチェスター・シティ 1-0 アトレティコ・マドリー】 | footballista | フットボリスタ”. web.archive.org (2022ねん11月29にち). 2023ねん1がつ16にち閲覧えつらん
  38. ^ a b シメオネが選手せんしゅつたえる現役げんえき時代じだいみずからの資質ししつどろえたらむ」|海外かいがいサッカー|集英社しゅうえいしゃ スポルティーバ 公式こうしきサイト web Sportiva”. 集英社しゅうえいしゃのスポーツ総合そうごう雑誌ざっし スポルティーバ 公式こうしきサイト web Sportiva. 2021ねん5がつ25にち閲覧えつらん
  39. ^ ディエゴ・シメオネ”. サッカー監督かんとく名将めいしょうたち GSCS (2018ねん10がつ14にち). 2021ねん5がつ29にち閲覧えつらん
  40. ^ http://www.zonalmarking.net/2015/02/10/atletico-madrid-4-0-real-madrid-atletico-solid-in-central-areas-when-defending-and-fluid-to-cause-overloads-out-wide-when-attacking/
  41. ^ https://www.youtube.com/watch?v=5j6ZT_NFJ8U
  42. ^ http://www.goal.com/en/news/1862/premier-league/2016/04/27/22851442/filipe-luis-leicester-are-like-atletico
  43. ^ https://www.theguardian.com/football/2017/apr/07/atletico-madrid-title-win-leicester-president
  44. ^ http://www.zonalmarking.net/2014/05/19/barcelona-1-1-atletico-simeones-side-seal-historic-title-victory-at-the-camp-nou/
  45. ^ https://www.theguardian.com/football/these-football-times/2019/feb/20/diego-simeone-italy-catania-atletico-madrid
  46. ^ Archived copy”. 2018ねん9がつ29にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2018ねん9がつ28にち閲覧えつらん
  47. ^ Simeone : Godín players die Simeone belief compete bigger teams” (英語えいご). Scoopnest. 2021ねん12月25にち閲覧えつらん
  48. ^ Godin: We're with Simeone until the death | Goal.com”. www.goal.com. 2021ねん12月25にち閲覧えつらん
  49. ^ :: National Football Teams ::.. Player – Diego Simeone
  50. ^ Diego Pablo Simeone - Century of International Appearances RSSSF
  51. ^ Rohde, Adapted by: Tom (2016ねん5がつ12にち). “Real Madrid the big winners in MARCA Football Awards” (英語えいご). MARCA English. 2020ねん4がつ11にち閲覧えつらん
  52. ^ Consulting, Bendoni. “Diego Pablo Simeone (Master Coach Special Award)” (英語えいご). Globe Soccer Awards. 2020ねん4がつ11にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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