この項目 こうもく では、個人 こじん を特定 とくてい する名称 めいしょう について説明 せつめい しています。江戸 えど 時代 じだい の制度 せいど ・身分 みぶん については「人名 じんめい (江戸 えど 時代 じだい ) 」をご覧 らん ください。
出典 しゅってん は列挙 れっきょ するだけでなく、脚注 きゃくちゅう などを用 もち いてどの記述 きじゅつ の情報 じょうほう 源 げん であるかを明記 めいき してください。記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく をお願 ねが いいたします。(2011年 ねん 8月 がつ )
人名 じんめい ( じんめい ) は、特定 とくてい の人間 にんげん 社会 しゃかい において特定 とくてい の個人 こじん を弁別 べんべつ するために使用 しよう される言語 げんご 的 てき 表現 ひょうげん 又 また は記号 きごう の一 ひと つ。
山田 やまだ 太郎 たろう 。典型 てんけい 的 てき な形式 けいしき の日本人 にっぽんじん の名前 なまえ として、書類 しょるい の記入 きにゅう 例 れい などに良 よ く用 もち いられる、または、本名 ほんみょう が不明 ふめい な男性 だんせい 個人 こじん を指 さ すこと。なお「太郎 たろう 」とは江戸 えど 期 き 以前 いぜん の、仮名 かめい (けみょう)の内 うち の輩 やから 行 ぎょう 名 めい (はいこうめい)に由来 ゆらい する。
榊原 さかきばら 撃剣 げっけん 会 かい 絵図 えず 。魁 さきがけ 斎 とき 芳年 ほうねん 筆 ふで 。榊原 さかきばら 鍵 かぎ 吉 きち や、その弟子 でし の松平 まつだいら 康年 やすとし などの名 な が見 み える。
その人物 じんぶつ の家族 かぞく や家系 かけい 、地域 ちいき など共同 きょうどう 体 たい への帰属 きぞく 、信仰 しんこう や願 ねが い、職掌 しょくしょう 、あるいは一連 いちれん の音 おと の繋 つな がりなどをもって、人 ひと (ひと)の個人 こじん としての独立 どくりつ 性 せい を識別 しきべつ し呼称 こしょう する為 ため に付 つ けられる語 かたり 。「人名 じんめい 」事典 じてん は便宜上 べんぎじょう 、戸籍 こせき 名 めい や通称 つうしょう などを使用 しよう する場合 ばあい が多 おお い。本 ほん 項 こう で扱 あつか う「人名 じんめい 」とは一般 いっぱん に「正式 せいしき な名 な 」「本当 ほんとう の名前 なまえ 」といった意 い を含 ふく む。
名前 なまえ と人間 にんげん の関 かか わりは古 ふる く、名 な の使用 しよう は有史 ゆうし 以前 いぜん に遡 さかのぼ るとされる。姓 せい などの氏族 しぞく 集団 しゅうだん 名 めい や家族 かぞく 名 めい の使用 しよう も西方 せいほう ではすでに古代 こだい ギリシア などにその形跡 けいせき があるとされ、東方 とうほう では周 しゅう 代 だい から後世 こうせい につながる姓 せい や氏 し の制度 せいど が確立 かくりつ されていることが確認 かくにん できる。
ある社会 しゃかい においては様々 さまざま な理由 りゆう で幼児 ようじ に名前 なまえ を付 つ けない慣習 かんしゅう が見 み られる地域 ちいき もあるが、1989年 ねん に国連 こくれん 総会 そうかい で採択 さいたく された児童 じどう の権利 けんり に関 かん する条約 じょうやく 7条 じょう 1項 こう は、「児童 じどう は、出生 しゅっしょう の後 のち 直 ただ ちに登録 とうろく される」「ただの出生 しゅっしょう 児 じ から1つの名 な となる権利 けんり を有 ゆう すべきである (shall have the right from birth to a name)」と定 さだ めている。
日本 にっぽん の場合 ばあい は民法 みんぽう により「氏 し +名 な (=氏名 しめい )」という体系 たいけい をもつ。他 た に「姓 せい +名 めい (=姓名 せいめい )」や「名字 みょうじ と名前 なまえ 」ともいう。「名前 なまえ 」は「氏名 しめい 」「氏 し 」「名 な 」のいずれかを指 さ すため、「氏 し 」を「上 うえ の名前 なまえ 」、「名 な 」を「下 した の名前 なまえ 」と呼 よ ぶこともある(縦 たて 書 が きにしたとき「氏 し 」は上部 じょうぶ 、「名 な 」は下部 かぶ になるため)。他者 たしゃ から呼称 こしょう される場合 ばあい は、「氏 し 」のみ、「名 な 」のみ、あだ名 な 、敬称 けいしょう ・職名 しょくめい などとの組 く み合 あ わせ、同一 どういつ の人名 じんめい の世襲 せしゅう などがある。
後述 こうじゅつ するように、「氏 し +名 な 」という構成 こうせい は日本 にっぽん の文化 ぶんか に基 もと づいた体系 たいけい である。人名 じんめい は、共同 きょうどう 体 たい の慣習 かんしゅう により異 こと なる名付 なづ けの体系 たいけい を持 も ち、また、呼称 こしょう する場合 ばあい も慣習 かんしゅう によって独特 どくとく の方法 ほうほう を持 も つことが多 おお い。漢字 かんじ 文化 ぶんか 圏 けん において氏 し と姓 せい 、さらには日本 にっぽん における名字 みょうじ は本来 ほんらい は互 たが いに異 こと なる概念 がいねん だが、今日 きょう では同一 どういつ 視 し されている。日本 にっぽん でも、明治維新 めいじいしん 以前 いぜん は「氏 し (うじ)」「姓 せい (本姓 ほんせい )」と「名字 みょうじ 」は区別 くべつ されていた。
人名 じんめい は、呼 よ ぶ側 がわ と呼 よ ばれる側 がわ が互 たが いに相手 あいて を認識 にんしき し、意思 いし の疎通 そつう をとる際 さい に使 つか われる(記号 きごう 論 ろん )。多 おお くの場合 ばあい 、戸籍 こせき など公的 こうてき 機関 きかん に登録 とうろく される名前 なまえ を本名 ほんみょう として持 も つ。呼 よ び名 な としては、戸籍 こせき 名 めい のままや、「さん」、「君 きみ 」、「ちゃん」等 とう の敬称 けいしょう が付 つ け加 くわ えられたり、名前 なまえ を元 もと にした呼 よ び方 かた 、あだ名 な との組 く み合 あ わせなどとなることが多 おお い。
名前 なまえ にはその主要 しゅよう な属性 ぞくせい として、発音 はつおん と表記 ひょうき がある。例 たと えば日本人 にっぽんじん の個人 こじん 名 めい が外国 がいこく の文字 もじ で表記 ひょうき されることがあるが、これは1つの名前 なまえ の「別 べつ 表記 ひょうき 」と考 かんが えることができる。逆 ぎゃく に、漢字 かんじ 名 めい の場合 ばあい 、複数 ふくすう の読 よ み・音 おと と訓 くん の組 く み合 あ わせによって読 よ み方 かた が変 か わることがある。こういった表記 ひょうき 、発音 はつおん の変化 へんか に対 たい する呼 よ ばれる側 がわ としての許容 きょよう 範囲 はんい は様々 さまざま である[注釈 ちゅうしゃく 1] 。
また、名 な は特定 とくてい の個人 こじん を指 さ し示 しめ す記号 きごう であることから、人名 じんめい そのものが、自己 じこ 、自我 じが 、アイデンティティ 、自分 じぶん というクオリア に大 おお きく関係 かんけい するという考 かんが え方 かた がある。各国 かっこく ・各 かく 文化 ぶんか の歴史 れきし を見 み ても、霊的 れいてき な人格 じんかく と密接 みっせつ に結 むす びついていると考 かんが えられていたり、真 しん の名 な を他者 たしゃ が実際 じっさい に口 くち にして用 もち いることに強 つよ いタブー 意識 いしき を持 も っていたりする社会 しゃかい は多 おお くあった。
たとえば日本 にっぽん では「諱 いみな 」がこれにあたる。これは、元服 げんぷく 前 まえ の「幼名 ようみょう 」、「字 じ (あざな)」、出家 しゅっけ ・死去 しきょ の際 さい に付 つ ける「戒名 かいみょう 」などと合 あ わせて、名 な を単 たん なる記号 きごう として扱 あつか おうとしない一 ひと つの文化 ぶんか である[注釈 ちゅうしゃく 2] 。この文化 ぶんか は近世 きんせい ・近代 きんだい と「諱 いみな 」を持 も つ層 そう が減 へ り、逆 ぎゃく に「名字 みょうじ 」を持 も つ層 そう が増 ふ えるにしたがい(苗字 みょうじ 帯刀 たいとう 御免 ごめん 、平民 へいみん 苗字 みょうじ 必称義務 ぎむ 令 れい )、希薄 きはく 化 か してきたと言 い える。
だが、21世紀 せいき 初頭 しょとう の日本 にっぽん においても、名付 なづ ける者 もの が名付 なづ ける対象 たいしょう に特別 とくべつ な読 よ みを与 あた えることで特別 とくべつ な意味 いみ を見 み い出 だ そうとして名付 なづ けたと解釈 かいしゃく する限 かぎ りでの難読 なんどく 名 めい などに見 み られるように、名 な に特別 とくべつ な意味 いみ を与 あた えようとする思 おも いは[注釈 ちゅうしゃく 3] 、散見 さんけん されるものである。
日本 にっぽん における状況 じょうきょう
編集 へんしゅう
日本 にっぽん では現代 げんだい 社会 しゃかい の一般人 いっぱんじん の日常 にちじょう 生活 せいかつ でもインターネット を用 もち いたコミュニケーションが普及 ふきゅう するにつれ、見 み ず知 し らずの相手 あいて には、名前 なまえ は一切 いっさい 開示 かいじ せず接触 せっしょく し、相手 あいて の素性 すじょう を知 し ってから段階 だんかい 的 てき に開示 かいじ するということは、よく行 おこな われる。また、インターネット上 じょう のコミュニティ などでは、本名 ほんみょう は出 だ さず、ハンドルネーム などを示 しめ すのが一般 いっぱん 的 てき である。様々 さまざま なことを考慮 こうりょ すると、やはり本名 ほんみょう をあまりに安易 あんい に不 ふ 特定 とくてい 多数 たすう に開示 かいじ してしまうことはそれなりにリスク が伴 ともな う、という判断 はんだん がある(関連 かんれん する事象 じしょう として、名誉 めいよ 毀損 きそん やプライバシー などの項 こう も参照 さんしょう 可 か )。また、多少 たしょう 意味合 いみあ いが異 こと なることは多 おお いが、芸術 げいじゅつ 家 か ・作家 さっか ・評論 ひょうろん 家 か などで、ペンネーム・アーティスト名 めい などを用 もち いて、本名 ほんみょう は開示 かいじ しないことは多々 たた 見 み られる。
一方 いっぽう 、個々 ここ の名前 なまえ のアイデンティティの重要 じゅうよう 性 せい は、幼名 ようみょう などが一般 いっぱん 的 てき だった江戸 えど 時代 じだい 、養子 ようし などが一般 いっぱん 的 てき であった戦前 せんぜん などと異 こと なり、増 ま している。近年 きんねん の選択 せんたく 的 てき 夫婦 ふうふ 別姓 べっせい を求 もと める声 こえ などは、現代 げんだい で、個々 ここ の名前 なまえ のアイデンティティの重要 じゅうよう 性 せい が増 ま してきたことの表 あらわ れである。
人名 じんめい の構造 こうぞう 、使用 しよう とその多様 たよう 性 せい
編集 へんしゅう
人 ひと の名前 なまえ は多 おお くの文化 ぶんか で、2つかそれ以上 いじょう の種類 しゅるい の部分 ぶぶん からなる。
多 おお くの場合 ばあい 、「所属 しょぞく を示 しめ す名前 なまえ 」と「個人 こじん を指 さ す名前 なまえ 」の組合 くみあい わせが用 もち いられる(ここでは便宜上 べんぎじょう 仮 かり に後者 こうしゃ を"個人 こじん 名 めい "と呼 よ ぶことで説明 せつめい する)。あるいはそのどちらか1種類 しゅるい だけの場合 ばあい もある。その数 かず や扱 あつか いについては様々 さまざま な習慣 しゅうかん ・制度 せいど が見 み られる(詳細 しょうさい は後述 こうじゅつ )。
分 わ かりやすい例 れい としては、その個人 こじん が属 ぞく する「家 いえ (家族 かぞく )の名前 なまえ 」と「個人 こじん の名前 なまえ 」の組 く み合 あ わせである。英語 えいご 圏 けん では、個人 こじん 名 めい (与 あた えられた名 な = given name )+ 家族 かぞく 名 めい (family name )の順 じゅん に表記 ひょうき されることが多 おお い(配置 はいち に着目 ちゃくもく し、ファーストネーム = first name、 ラストネーム = last name とも呼 よ ばれるが、文脈 ぶんみゃく に応 おう じ逆順 ぎゃくじゅん で表記 ひょうき されることや文化 ぶんか 混合 こんごう による混乱 こんらん を避 さ けるために、given name という呼称 こしょう を用 もち いる流 なが れがある)。現代 げんだい の日本 にっぽん の一 いち 例 れい を挙 あ げれば「山田 やまだ + 太郎 たろう 」であり、この場合 ばあい は「家族 かぞく 名 めい + 個人 こじん 名 めい 」の並 なら びとなる。家族 かぞく 名 めい 、個人 こじん 名 めい はそれぞれ、姓 せい (せい) 、名 な (めい) などと呼 よ ばれる。家族 かぞく 名 めい はまた苗字 みょうじ 、名字 みょうじ とも呼 よ ばれる。"個人 こじん 名 めい "の部分 ぶぶん は「名 な (な)」と呼 よ んだり、なんら明確 めいかく には呼 よ ばずに済 す ませたりする。
(注 ちゅう )日本語 にほんご の人名 じんめい では、英語 えいご の given name にあたる概念 がいねん を、他 た の概念 がいねん と明確 めいかく に区別 くべつ し、かつ肯定 こうてい 的 てき に指 さ し示 しめ す名称 めいしょう が成立 せいりつ していない。明治 めいじ 時代 じだい 以前 いぜん の今日 きょう より複 ふく 合 あい 的 てき で複雑 ふくざつ な人名 じんめい 要素 ようそ における「いみな(諱 いみな )(=忌 い み名 めい )」などという名称 めいしょう には既 すで に否定 ひてい 的 てき な概念 がいねん が含 ふく まれており(ただしそれ自体 じたい を忌避 きひ して否定 ひてい 的 てき にとらえているのではなく、霊 れい 的 てき 人格 じんかく との一体 いったい 性 せい という概念 がいねん ゆえの神聖 しんせい 視 し により、みだりに用 もち いるのを忌避 きひ しているのであるが)、その裏返 うらがえ しとして成立 せいりつ している「字 じ (あざな)」では正式 せいしき の本名 ほんみょう ではないという含意 がんい からのズレがあり、どちらも現代 げんだい 的 てき な使用 しよう には向 む かない。また「名 な (な、めい)」では、フルネームを指 さ す可能 かのう 性 せい があり、明確 めいかく な指示 しじ が困難 こんなん になる。明治 めいじ 期 き に、法令 ほうれい によって人名 じんめい の近代 きんだい 化 か を迅速 じんそく に行 い った影響 えいきょう が今日 きょう も後 ご を引 ひ いているとも、今日 きょう の日本人 にっぽんじん の人名 じんめい 構成 こうせい 様式 ようしき が、まだ非常 ひじょう に浅 あさ い歴史 れきし しか持 も たないものだとも言 い える。そのため「下 した の名前 なまえ 」または「ファーストネーム」が使 つか われる。以下 いか の説明 せつめい では「名 な 」(な)という言葉 ことば で"個人 こじん 名 めい "を指 さ している箇所 かしょ があるので注意 ちゅうい されたい。
構成 こうせい 要素 ようそ の数 かず
編集 へんしゅう
姓名 せいめい の構成 こうせい 要素 ようそ の数 かず 、すなわち、ある個人 こじん のフルネームがいくつの部分 ぶぶん から構成 こうせい されているかは、文化 ぶんか によって異 こと なっている。アメリカ大陸 あめりかたいりく の先住民 せんじゅうみん 族 ぞく など、個人 こじん を指 さ す名前 なまえ のみを用 もち いる文化 ぶんか もある。サウジアラビア のように、3代 だい 前 まえ にまで遡 さかのぼ って4つの部分 ぶぶん からなるフルネームを用 もち いることが当 あ たり前 まえ の文化 ぶんか などもある。ブラジル のように一貫 いっかん していない場合 ばあい もある(これは、姓 せい を持 も つ習慣 しゅうかん が普及 ふきゅう しつつあるが、完全 かんぜん に普及 ふきゅう しきっていないためであると考 かんが えられる)。
また、親子 おやこ の間 あいだ での姓 せい をめぐる取扱 とりあつか いも文化 ぶんか によって異 こと なる。子供 こども が両親 りょうしん のいずれか、あるいは両方 りょうほう の名前 なまえ を受 う け継 つ ぐ習慣 しゅうかん や制度 せいど があるかどうかは文化 ぶんか によって異 こと なっている。受 う け継 つ がれていくのは姓 せい に代表 だいひょう される血縁 けつえん 集団 しゅうだん 名 めい 、家系 かけい 名 めい であるとは限 かぎ らない。姓 せい を持 も たない文化 ぶんか においては、一連 いちれん の名 な と続柄 つづきがら の連続 れんぞく をフルネームとする場合 ばあい もある。(たとえば安倍晋三 あべしんぞう が姓 せい を持 も たない文化 ぶんか に生 う まれたとすると、「晋 すすむ 三 さん 、晋 すすむ 太郎 たろう の息子 むすこ 、寛 ひろし の孫 まご 」といった名前 なまえ になる。)インドでは逆 ぎゃく に「taro、taichiroの父 ちち 」などといった形 かたち で、ある子供 こども が生 う まれた時 とき に与 あた えられる名前 なまえ に、さらにその子供 こども の名前 なまえ として使 つか われるべき名 な (taichiro)が含 ふく まれているものもある。
構成 こうせい 要素 ようそ の順序 じゅんじょ
編集 へんしゅう
姓名 せいめい の構成 こうせい 要素 ようそ の順序 じゅんじょ についても、民族 みんぞく ・文化 ぶんか 圏 けん ・使 つか われる場面 ばめん などにより異 こと なることが知 し られている[注釈 ちゅうしゃく 4] [注釈 ちゅうしゃく 5] 。例 たと えば、ヨーロッパ諸国 しょこく やアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく では、日常 にちじょう 的 てき な文書 ぶんしょ や会話 かいわ などでは、名前 なまえ は名 な →姓 せい の順 じゅん をとることが多 おお い。ただし、公的 こうてき 文書 ぶんしょ や学術 がくじゅつ 文書 ぶんしょ などにおいては順序 じゅんじょ が逆転 ぎゃくてん することがある。姓 せい を前 まえ 置 おけ することで検索 けんさく 性 せい の向上 こうじょう や誤認 ごにん の回避 かいひ につながるためである。文献 ぶんけん 表 ひょう においては第 だい 一 いち 著者 ちょしゃ については姓 せい →名 な の順 じゅん を取 と り、第 だい 二 に 以下 いか は名 な →姓 せい で示 しめ す。この場合 ばあい 姓 せい の後 のち にカンマを付 つ ける。日本 にっぽん 、中国 ちゅうごく 、韓国 かんこく 、ハンガリー などでは名前 なまえ は姓 せい →名 な の順 じゅん をとる。つまり、あえてフルネームで呼 よ んだり記 しる したりする場合 ばあい には、その順 じゅん で呼 よ んだり記 しる したりする、ということである。
名前 なまえ を記 しる す際 さい などに、その一部 いちぶ を省略 しょうりゃく することも多 おお く行 おこな われる。英語 えいご 圏 けん ではミドルネーム (middle name )はイニシャル だけが記 しる されることが多 おお くある。スペイン語 ご 圏 けん では、複数 ふくすう 部分 ぶぶん からなる姓 せい の一部 いちぶ が省略 しょうりゃく されることがある。また古代 こだい ローマでは使 つか われていた名 な の種類 しゅるい がとても少 すく ないため、1~2文字 もじ に略 りゃく して評 ひょう することがあった。
基本 きほん 的 てき には、人名 じんめい は通常 つうじょう 、慣習 かんしゅう や法 ほう などによって決 き まっている部分 ぶぶん (姓 せい )や生 う まれた時 とき に両親 りょうしん などによって与 あた えられ、それ以後 いご 変 か わることのない部分 ぶぶん (名 な )のいずれか、またはその組合 くみあい わせからなることが多 おお く、生涯 しょうがい を通 つう じて変 か わらない文化 ぶんか も多 おお い。だが、ここにも例外 れいがい がある。
例 たと えば、婚姻 こんいん や婚姻 こんいん の解消 かいしょう に際 さい して、夫婦 ふうふ 間 あいだ の姓 せい の変更 へんこう が行 おこな われる文化 ぶんか がある。婚姻 こんいん やその解消 かいしょう は親子 おやこ 関係 かんけい の変更 へんこう を含 ふく むこともあるため、子 こ の名前 なまえ の変更 へんこう を伴 ともな うこともある。
婚姻 こんいん 以外 いがい にも、人生 じんせい の節目 ふしめ において名前 なまえ を与 あた えられたり改 あらた めたりする場合 ばあい がある。一部 いちぶ のドイツ人 じん の間 あいだ では洗礼 せんれい に伴 ともな ってミドルネームが与 あた えられ、以後 いご はファーストネームではなくその洗礼 せんれい 名 めい が頻繁 ひんぱん に用 もち いられることになる。
また、家系 かけい 名 めい や個人 こじん 名 めい の多様 たよう 性 せい も文化 ぶんか によって大 おお きく異 こと なる。
日本人 にっぽんじん の苗字 みょうじ の種類 しゅるい は10万 まん とも30万 まん ともいわれ(推計 すいけい 値 ち の為 ため 、様々 さまざま な説 せつ がある。丹羽 にわ 基 はじめ 二 に は30万 まん 姓 せい としている)、世界 せかい でも特 とく に苗字 みょうじ の種類 しゅるい が多 おお い民族 みんぞく とされる。一方 いっぽう 、中国人 ちゅうごくじん の姓 せい は5000以下 いか であるとされる。最近 さいきん の中国科学院 ちゅうごくかがくいん の調査 ちょうさ では、李 り ・王 おう ・張 ちょう ・劉 りゅう ・陳 ひね がトップ5とのことで、特 とく に李 り (7.4%)・王 おう (7.2%)・張 ちょう (6.8%) の3つで20%強 つよし (約 やく 3億 おく 人 にん )を占 し める。ベトナム人 じん は、最 もっと も多 おお い3つの姓 せい で59%を占 し める[1] (百 ひゃく 家 いえ 姓 せい 参照 さんしょう のこと)。韓国 かんこく 人 じん の姓 せい は、金 きむ (김 )・李 り (이 )・朴 ぼく (박 )・崔 ちぇ (최 )・鄭 てい (정 )の5種類 しゅるい で55%にのぼり、「石 いし を投 な げれば金 きむ さんに当 あ たる」[2] 「ソウル で金 きむ さんを探 さが す(無用 むよう な努力 どりょく の喩 たと え)」[3] [4] などという成句 せいく もある。
韓国 かんこく 人 じん は子 こ の名 な を付 つ ける際 さい に、基本 きほん 的 てき に他 た の誰 だれ も持 も っていないオリジナルな名 な を与 あた える(ただし、ある程度 ていど の流行 りゅうこう はある)。これに対 たい して、ドイツでは「すでに存在 そんざい する名前 なまえ 」しか受理 じゅり されない[要 よう 検証 けんしょう – ノート ] 。フランスにおいても、ナポレオン法典 ほうてん の時代 じだい には、新生児 しんせいじ の名 な は誕生 たんじょう 日 ひ ごとに決 き められた聖人 せいじん の名前 なまえ から選 えら ぶこととされていた。このため、既存 きそん の名前 なまえ を組 く み合 あ わせることが流行 りゅうこう した(例 たと えばルイ=ニコラ・ダヴー の名 めい ルイ=ニコラは、聖人 せいじん の名前 なまえ ルイとニコラを組 く み合 あ わせたものである)。
さらに、多 おお くの文化 ぶんか においては、正式 せいしき な名前 なまえ とは別 べつ に愛称 あいしょう ・敬称 けいしょう などがあり、そのパターンは文化 ぶんか ごとに異 こと なっている。そうした呼称 こしょう は名前 なまえ を省略 しょうりゃく したり変形 へんけい して用 もち いる場合 ばあい もあり、名前 なまえ ではなく帰属 きぞく や当事 とうじ 者 しゃ 間 あいだ の関係 かんけい (父 ちち と子 こ など)を用 もち いる場合 ばあい もある。
人名 じんめい と文化 ぶんか 、社会 しゃかい
編集 へんしゅう
人名 じんめい をめぐる習慣 しゅうかん や制度 せいど は一般 いっぱん 的 てき に、次 つぎ のような文化 ぶんか 的 てき ・社会 しゃかい 的 てき 事象 じしょう と結 むす び付 つ いている傾向 けいこう にある。
個人 こじん ・家族 かぞく ・帰属 きぞく についての考 かんが え方 かた (とりわけ姓 せい をめぐる習慣 しゅうかん や制度 せいど )
価値 かち 観 かん 。人 ひと にとって何 なに がよい性質 せいしつ であるか(とりわけ名 な をめぐる習慣 しゅうかん や制度 せいど )
また、こうした姓名 せいめい についての知識 ちしき は次 つぎ のような場面 ばめん で活用 かつよう される。
歴史 れきし 研究 けんきゅう や家系 かけい 図 ず の作成 さくせい などに際 さい しての資料 しりょう の解釈 かいしゃく 、記録 きろく された名前 なまえ と個人 こじん の対応 たいおう 付 づ け
戸籍 こせき ・名簿 めいぼ などの管理 かんり ・作成 さくせい 。それに関連 かんれん したコンピュータ・データベースの構築 こうちく
日本人 にっぽんじん の名前 なまえ
編集 へんしゅう
この節 ふし は検証 けんしょう 可能 かのう な参考 さんこう 文献 ぶんけん や出典 しゅってん が全 まった く示 しめ されていないか、不十分 ふじゅうぶん です。 出典 しゅってん を追加 ついか して記事 きじ の信頼 しんらい 性 せい 向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。(このテンプレートの使 つか い方 かた ) 出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "人名 じんめい " – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2022年 ねん 12月 )
江戸 えど 時代 じだい 末 まつ から明治 めいじ にかけて活躍 かつやく した月岡 つきおか 芳年 よしとし の錦絵 にしきえ 。大石 おおいし 良金 よしかね の名 な を「大石 おおいし 主税 ちから 藤原 ふじわら 良金 よしかね 」と「名字 みょうじ 、通称 つうしょう 、姓 せい 、諱 いみな 」の順 じゅん で書 か いている。
明治維新 めいじいしん 以前 いぜん の日本 にっぽん の成人 せいじん 男性 だんせい は、とりわけ社会 しゃかい の上層 じょうそう に位置 いち する者 もの は、家 いえ の名 な である「名字 みょうじ 」・「家名 かめい 」、家 いえ が属 ぞく する氏 し の名 な である「姓 せい (本姓 ほんせい )」、そしてその姓 せい の区別 くべつ を示 しめ す「姓 せい (カバネ )」と実名 じつめい にあたる「諱 いみな 」を持 も っていた。
上古 じょうこ では『物部麁鹿火 もののべのあらかび 大連 たいれん 』のように、氏 し の名 な ・実名 じつめい ・カバネの順 じゅん で表記 ひょうき されていたが、欽明天皇 てんのう の頃 ころ から『蘇我 そが 大臣 だいじん 稲 いね 目 め 』のように氏 し の名 な ・カバネ・実名 じつめい の順 じゅん となり、氏 し の名 な の後 のち に「の」をつけて「そがの おおおみ いなめ」のように読 よ まれるようになった。
公式 こうしき 文書 ぶんしょ である朝廷 ちょうてい の口 くち 宣 せん 案 あん 等 とう に記 しる される際 さい は、「位階 いかい もしくは官職 かんしょく 、その両方 りょうほう 」「本姓 ほんせい 」「カバネ」「諱 いみな 」の順 じゅん で書 か かれる。例 たと えば『勧修寺 かんしゅうじ 家 か 文書 ぶんしょ 』にある徳川 とくがわ 家康 いえやす 従 したがえ 二 に 位 い 叙位 じょい の際 さい の口 くち 宣 せん 案 あん には「正 せい 三 さん 位 い 源 げん 朝臣 あそん 家康 いえやす (徳川 とくがわ 家康 いえやす )」「蔵人 くろうど 頭 あたま 左 ひだり 近衛 このえ 権 けん 中将 ちゅうじょう 藤原 ふじわら 慶 けい 親 おや (中山 なかやま 慶 けい 親 おや )」の二人 ふたり の名前 なまえ が見 み られる[6] 。公式 こうしき や公的 こうてき な文書 ぶんしょ で用 もち いられるのは本姓 ほんせい であり、徳川 とくがわ や中山 なかやま といった名字 みょうじ は用 もち いられなかった。
書状 しょじょう などで呼称 こしょう する場合 ばあい は官職 かんしょく 名 めい や通称 つうしょう である仮名 かめい を用 もち いることがほとんどであった。また「道長 みちなが 朝臣 あそん 」や「親房 ちかふさ 朝臣 あそん 」のように名 な とカバネを連 つら ねて呼 よ ぶことは、特 とく に「名字 みょうじ 朝臣 あそん 」と呼 よ ばれ、四 よん 位 い の人物 じんぶつ に対 たい して用 もち いられることが多 おお かった[8] 。
家康 いえやす が外交 がいこう 文書 ぶんしょ で「源 みなもと 家康 いえやす 」と署名 しょめい したように、姓 せい と諱 いみな をあわせる形式 けいしき はあったものの、現代 げんだい のような名字 みょうじ と諱 いみな だけを用 もち いた「織田 おだ 信長 のぶなが 」という形式 けいしき はあまり用 もち いられなかった。『勢 いきおい 州 しゅう 軍記 ぐんき 』の「織田 おだ 上総 かずさ 守 まもる 平 たいら 信長 のぶなが 」や、『新編 しんぺん 武蔵 むさし 風土記 ふどき 稿 こう 』の「熊谷 くまがい 次郎 じろう 平 たいら 直実 なおみ 」など、軍記物語 ぐんきものがたり や文芸 ぶんげい 等 とう では本姓 ほんせい と名字 みょうじ ・通称 つうしょう ・諱 いみな などをつらねて書 か かれたものもあるが、正式 せいしき なものではない。
大和 やまと 朝廷 ちょうてい (ヤマト王権 おうけん ) の成立 せいりつ 前後 ぜんこう 、日本 にっぽん には「氏 し 」と呼 よ ばれる氏族 しぞく 集団 しゅうだん が複数 ふくすう あり、氏族 しぞく の長 ちょう である氏 し 上 じょう とその血縁 けつえん 者 しゃ である氏 し 人 じん 、それに属 ぞく する奴婢 ぬひ である部 ぶ 曲 きょく (部民 ぶみん )も同 おな じ「氏 し の名 な 」を称 しょう していた。これら氏 し には、天皇 てんのう から氏 し の階級 かいきゅう や職掌 しょくしょう を示 しめ す「カバネ(姓 せい )」が授 さづ けられた。
やがて氏 し の名 な は天皇 てんのう より報奨 ほうしょう として授 さづ けられるものとなり、「カバネ」も同時 どうじ に授 さづ けられるようになった。このように氏 し とカバネで秩序 ちつじょ 付 つ けられた制度 せいど を「氏姓 しせい 制度 せいど 」と呼 よ ぶ。
古代 こだい の律令 りつりょう 国家 こっか の時代 じだい には、庶民 しょみん も「氏 し の名 な 」を称 しょう していた。養老 ようろう 5年 ねん (721年 ねん )に作成 さくせい された戸籍 こせき では、戸 と に属 ぞく するものは妻 つま や妾 わらわ にいたるまで同 おな じ氏 し の名 な を称 しょう していた。
天武天皇 てんむてんのう の時代 じだい には20以上 いじょう あったカバネが8つに再 さい 編成 へんせい され、「八 はち 色 しょく の姓 せい 」と称 しょう されるようになった。この頃 ころ には「氏 し 」と「姓 せい (カバネ)」の区別 くべつ は曖昧 あいまい になり、『日本書紀 にほんしょき 』でも藤原鎌足 ふじわらのかまたり が「藤原 ふじわら 」の氏 し を受 う けた際 さい には「賜 たまもの 姓 せい 」と表記 ひょうき される。奈良 なら 時代 じだい 頃 ごろ には氏 し を指 さ して「姓 せい 」と称 しょう するようになっていた。また奈良 なら 時代 じだい から平安 へいあん 時代 じだい にかけては既存 きそん の氏族 しぞく が賜 たまもの 姓 せい を願 ねが い出 で て新 あら たな氏 し の名 な に改 あらた めることもしばしばあった。土師 はじ 氏 し の一部 いちぶ が菅原 すがわら 氏 し ・秋 あき 篠 しの 氏 し を賜 たまもの 姓 せい されたように、大和 やまと 時代 じだい 以来 いらい の氏 し の名 な はほとんど失 うしな われていった。また懲罰 ちょうばつ により氏 し の名 な を改名 かいめい されることもあった。
本姓 ほんせい は基本 きほん 的 てき には父系 ふけい の血統 けっとう を示 しめ すため、養子 ようし に入 はい っても変 か わらないのが原則 げんそく であった[注釈 ちゅうしゃく 6] 。また女性 じょせい が婚姻 こんいん によって別姓 べっせい の家 いえ に嫁 とつ いでも同様 どうよう であった。平 ひら 姓 せい 畠山 はたけやま 氏 し の名跡 みょうせき を源氏 げんじ の父 ちち を持 も つ畠山 はたけやま 泰 やすし 国 こく が継 つ いだため、以降 いこう の畠山 はたけやま 氏 し は源 みなもと 姓 せい を称 しょう したのはその例 れい である。しかし、後世 こうせい には養子 ようし となった場合 ばあい にはその家 いえ の本姓 ほんせい に変 か わることも多 おお くなった。例 たと えば上杉 うえすぎ 謙信 けんしん の場合 ばあい 、家系 かけい である長尾 ながお 氏 し は平 たいら 氏 し であるため「平 たいら 景虎 かげとら 」を称 しょう していたが、藤 ふじ 姓 せい 上杉 うえすぎ 氏 し の名跡 みょうせき を継 つ いだあとは藤原 ふじわら 氏 し を称 しょう した。公家 くげ や社家 しゃけ においても同様 どうよう で、近衛 このえ 家 か や紀伊 きい 国造 くにのみやつこ 家 いえ などが皇室 こうしつ や他 た 氏 し から養子 ようし を迎 むか えても、姓 せい は家 いえ 本来 ほんらい のものから変更 へんこう されなかった。
1200年 ねん 頃 ごろ には、「源平 げんぺい 藤 ふじ 橘 たちばな (源 みなもと 氏 し ・平 たいら 氏 し ・藤原 ふじわら 氏 し ・橘 たちばな 氏 し )」という代表 だいひょう 的 てき な4つの本姓 ほんせい を「四姓 しせい 」と呼 よ ぶことが行 おこな われるようになった。また島津 しまつ 氏 し が藤原 ふじわら 氏 し から源 みなもと 氏 し を称 しょう するようになったように、情勢 じょうせい によって本姓 ほんせい を変更 へんこう することもあった。豊臣 とよとみ 政権 せいけん 期 き には多 おお くの大名 だいみょう や家臣 かしん に対 たい して豊臣 とよとみ 氏 し の姓 せい が氏 し 長者 ちょうじゃ である秀吉 ひでよし らによって下賜 かし され、位記 いき 等 とう においても称 しょう していたが、江戸 えど 幕府 ばくふ の成立 せいりつ により豊臣 とよとみ 氏 し を称 しょう する家 いえ は減少 げんしょう し、木下 きのした 氏 し などごく一部 いちぶ が称 しょう するのみとなった[19] 。
名字 みょうじ (苗字 みょうじ 、家名 かめい )
編集 へんしゅう
「名字 みょうじ 」とは上古 じょうこ には姓名 せいめい を指 さ し、平安 へいあん 時代 じだい には個人 こじん の実名 じつめい を指 さ していた。鎌倉 かまくら 時代 ときよ には個人 こじん の「名乗 なの り」を指 さ す言葉 ことば となり、南北 なんぼく 朝 あさ 時代 じだい には地名 ちめい や家 いえ の名 な を指 さ すこともあった。江戸 えど 時代 じだい には「苗字 みょうじ 」という語 かたり が用 もち いられるようになり、いわゆる「氏 し 」ではない「家名 かめい 」を指 さ す言葉 ことば として用 もち いられるようになった。ここでは便宜上 べんぎじょう 家 いえ の名 な を「名字 みょうじ 」として解説 かいせつ する。
平安 へいあん 時代 じだい には藤原 ふじわら 一族 いちぞく が繁栄 はんえい し、官界 かんかい の多 おお くを藤原 ふじわら 氏 し の氏 し 人 じん が占 し めるようになった。この状況 じょうきょう で、藤原 ふじわら 一族 いちぞく の氏 し 人 じん が互 たが いを識別 しきべつ するために、「一条殿 いちじょうでん 」や「洞 ほら 院 いん 殿 どの 」のように住居 じゅうきょ の所在地 しょざいち 名 めい を示 しめ す「称号 しょうごう 」で呼 よ ぶことが始 はじ まった。この時代 じだい は親 おや と子 こ が別々 べつべつ の住居 じゅうきょ に住 す むことや転居 てんきょ も行 おこな われていたため、婚姻 こんいん や転居 てんきょ によって称号 しょうごう も変化 へんか した。やがて平安 へいあん 時代 じだい 末期 まっき に嫁 よめ 取 と 婚 こん が一般 いっぱん 化 か し、住居 じゅうきょ の相続 そうぞく が父系 ふけい によって行 おこな われるようになると、称号 しょうごう は親子 おやこ によって継承 けいしょう されるものとなっていき、12世紀 せいき 頃 ごろ には家系 かけい の名 な を指 さ すようになった。公家 くげ 社会 しゃかい ではこれを「名字 みょうじ 」と呼 よ んだ。
東国 とうごく では名字 みょうじ の発生 はっせい は10世紀 せいき から11世紀 せいき 頃 ごろ と推定 すいてい されている。地方 ちほう 豪族 ごうぞく らは本領 ほんりょう の地名 ちめい によって名字 みょうじ を名乗 なの るようになり、その地 ち を「名字 みょうじ の地 ち 」として所領 しょりょう の中 なか でも重要 じゅうよう 視 し していた。これは荘園 しょうえん 領主 りょうしゅ 等 とう にその地 ち の権利 けんり を誇示 こじ する役割 やくわり があったとみられる。足利 あしかが 荘 そう を領 りょう した足利 あしかが 氏 し 、三浦 みうら 郡 ぐん の三浦 みうら 氏 し 、北条 ほうじょう 郷 さと の北条 ほうじょう 氏 し などがその例 れい である。また藤原 ふじわら 木工 もっこう 助 すけ の子孫 しそん が「工藤 くどう 氏 し 」、藤原 ふじわら 加賀 かが 守 まもる の子孫 しそん が「加藤 かとう 氏 し 」を称 しょう するように、先祖 せんぞ の本姓 ほんせい と官職 かんしょく を合 あ わせた名字 みょうじ や、「税所 さいしょ 氏 し 」や「留守 るす 氏 し 」・「問 とい 註所氏 し 」のように朝廷 ちょうてい や幕府 ばくふ の官職 かんしょく や荘園 しょうえん 内 ない での職掌 しょくしょう を示 しめ した名字 みょうじ も発生 はっせい している。またこれらの名字 みょうじ は分割 ぶんかつ 相続 そうぞく によってさらに多 おお く派生 はせい していった。これらの分家 ぶんけ は総領 そうりょう である一族 いちぞく の支配 しはい 下 か に置 お かれ、分家 ぶんけ の確立 かくりつ が過渡 かと 的 てき な段階 だんかい においては「佐々木 ささき 京極 きょうごく 」や「新田 にった 岩松 いわまつ 」と総領 そうりょう 家 か の名字 みょうじ を上 うえ に冠 かん して称 しょう されることもあった。
また紀伊 きい 国 こく 隅田 すみた 荘 そう の隅田 すみた 党 とう のように、血縁 けつえん ではない別々 べつべつ の家 いえ の集団 しゅうだん が「隅田 すみた 〇〇」という複 ふく 合名 ごうめい 字 じ を名乗 なの り、やがて「隅田 すみた 」のみを家名 かめい としたように、同一 どういつ の名字 みょうじ を名乗 なの ることで結束 けっそく を固 かた めることもあった。
武士 ぶし 階級 かいきゅう の間 あいだ では「名字 みょうじ 」を主君 しゅくん から授 さづ けることがしばしばあった。例 たと えば織田 おだ 信長 のぶなが は明智 あけち 光秀 みつひで に「惟任 これとう 」、丹羽 にわ 長秀 ながひで に「惟 おもんみ 住 じゅう 」の名字 みょうじ を名乗 なの らせている。また、家臣 かしん に対 たい して主君 しゅくん と同 どう じ、もしくはゆかりのある「名字 みょうじ 」を名乗 なの らせ、擬制 ぎせい 的 てき な一門 いちもん として扱 あつか うこともしばしば行 おこな われた。徳川 とくがわ 氏 し が松平 まつだいら 姓 せい を有力 ゆうりょく 大名 だいみょう や血縁 けつえん のある大名 だいみょう に名乗 なの らせた例 れい はよく知 し られている(前田 まえだ 氏 し ・島津 しまつ 氏 し などの有力 ゆうりょく 外様 とざま 大名 だいみょう や一部 いちぶ の譜代 ふだい 大名 だいみょう 、鷹司 たかつかさ 松平 まつへい 家 か など)。豊臣 とよとみ 秀吉 ひでよし は特 とく に幅広 はばひろ くこの政策 せいさく を行 おこな い、本姓 ほんせい である豊臣 とよとみ 朝臣 あそん や名字 みょうじ の羽柴 はしば 姓 せい を多 おお くの大名 だいみょう や家臣 かしん に称 しょう させた。また今川 いまがわ 貞世 さだよ が今川 いまがわ の名字 みょうじ を名乗 なの ることを禁 きん じられ、「堀越 ほりこし 」の名字 みょうじ を称 しょう したように、名字 みょうじ の使用 しよう を停止 ていし する懲罰 ちょうばつ も存在 そんざい した。
庶民 しょみん は平安 へいあん 時代 じだい 頃 ごろ までは氏 し の名 めい もしくは名字 みょうじ を名乗 なの っていたが、中世 ちゅうせい に入 はい ると禁令 きんれい が出 だ されたわけでもないが、記録 きろく に残 のこ らなくなった。豊田 とよだ 武 たけし は村落 そんらく 内 ない の上層 じょうそう 部 ぶ が下層 かそう 民 みん に対 たい して名字 みょうじ の私 わたし 称 しょう を禁 きん じたことを指摘 してき している。江戸 えど 時代 じだい には、「名字 みょうじ 」は支配 しはい 階級 かいきゅう である武士 ぶし や、武士 ぶし から名乗 なの ることを許 ゆる された者 もの のみが持 も つ特権 とっけん 的 てき な身分 みぶん 表徴 ひょうちょう とされ、武士 ぶし 階級 かいきゅう も庶民 しょみん に対 たい して名字 みょうじ を称 しょう することを禁 きん じていると認識 にんしき するようになった。公式 こうしき な場 ば で「名字 みょうじ 」を名乗 なの るのは武士 ぶし や公家 くげ などに限 かぎ られていた。一方 いっぽう で時代 じだい が下 くだ ると領主 りょうしゅ 層 そう の武家 ぶけ は名主 なぬし や有力 ゆうりょく 商人 しょうにん に対 たい し「苗字 みょうじ 」の公称 こうしょう を許可 きょか し、その代償 だいしょう として冥加金 みょうがきん 等 とう を収 おさ めさせる例 れい が頻発 ひんぱつ した。
しかし、百姓 ひゃくしょう 身分 みぶん や町人 ちょうにん 身分 みぶん の者 もの も、村 むら や町 まち の自治 じち 的 てき 領域 りょういき 内 ない では個々 ここ の「家 いえ 」に属 ぞく しており、当然 とうぜん ながら「家名 かめい 」を有 ゆう した。こうした百姓 ひゃくしょう や町人 ちょうにん の「家名 かめい 」は私 わたし 称 しょう の「名字 みょうじ 」と言 い える。武家 ぶけ 政権 せいけん は、村 むら や町 まち を支配 しはい しても、その内部 ないぶ の家 いえ 単位 たんい の組織 そしき 編制 へんせい には立 た ち入 い らなかったため、個々 ここ の百姓 ひゃくしょう や町人 ちょうにん を呼 よ ぶ場合 ばあい は「名字 みょうじ 」を冠 かんむり せず、百姓 ひゃくしょう 何某 なにぼう 、町人 ちょうにん 何某 なにぼう と呼 よ んだ。
町人 ちょうにん には、大黒屋 だいこくや 光太夫 こうだゆう など屋号 やごう を「名字 みょうじ 」のように使 つか う例 れい も見 み られた。東日本 ひがしにっぽん では、百姓 ひゃくしょう も屋号 やごう を名乗 なの ることが多 おお かった。八 はち 左衛門 さえもん などといった家長 かちょう が代々 だいだい 襲名 しゅうめい する名乗 なの りを屋号 やごう とすることが多 おお く、これをしばしば私 わたし 称 しょう の「名字 みょうじ 」と組 くみ にして用 もち いた。
通称 つうしょう (仮名 かめい 、字 じ 、号 ごう 、百官 ひゃっかん 名 めい 、東 ひがし 百官 ひゃっかん 、受領 じゅりょう 名 めい )
編集 へんしゅう
中国 ちゅうごく 、朝鮮 ちょうせん 、日本 にっぽん 、ベトナム など漢字 かんじ 文化 ぶんか 圏 けん では、人物 じんぶつ の本名 ほんみょう 、実名 じつめい である「諱 いみな (いみな)」はその人物 じんぶつ の霊的 れいてき な人格 じんかく と強 つよ く結 むす びつき、その名 な を口 くち にするとその霊的 れいてき 人格 じんかく を支配 しはい することができると考 かんが えられた。そのため「諱 いみな 」で呼 よ びかけることは親 おや や主君 しゅくん などのみに許 ゆる され、それ以外 いがい の者 もの が目上 めうえ に当 あ たる者 もの の「諱 いみな 」を呼 よ ぶことは極 きわ めて無礼 ぶれい とされた(実名 じつめい 敬 けい 避俗 )。これを貴人 きじん に対 たい して実践 じっせん したものが「避諱 (ひき)」である。特 とく に皇帝 こうてい とその祖先 そせん の「諱 いみな 」については、時代 じだい によって厳 きび しさは異 こと なるが、あらゆる臣下 しんか がその「諱 いみな 」あるいはそれに似 に た音 おと の言葉 ことば を書 か いたり話 はな したりすることを慎重 しんちょう に避 さ けた。中国 ちゅうごく などでは「避諱」によって、使用 しよう する漢字 かんじ を避 さ けて別 べつ の漢字 かんじ を充 あ てる「偏 へん 諱 いみな 」が行 おこな われた。
日本 にっぽん においては「通称 つうしょう 」や「仮名 かめい (けみょう)」が発達 はったつ した。一方 いっぽう で、律令 りつりょう 期 き に遣唐使 けんとうし の菅原 すがわら 清 きよし 公 おおやけ の進言 しんげん によるとする「諱 いみな 」への漢 かん 風 ふう の使用 しよう が進 すす められ、これに貴人 きじん から臣下 しんか への恩恵 おんけい の付与 ふよ 、血統 けっとう を同 おな じくする同族 どうぞく の証 あかし として「通 つう 字 じ 」も進 すす んだ。後述 こうじゅつ の「諱 いみな 」を参照 さんしょう 。
男性 だんせい の場合 ばあい 、こうした「通称 つうしょう 」には、太郎 たろう 、二郎 じろう 、三郎 さぶろう などの誕生 たんじょう 順 じゅん (輩 やから 行 ぎょう )や、武蔵 むさし 守 もり 、上総 かずさ 介 かい 、兵衛 ひょうえ 、将 はた 監 かん などの「官職 かんしょく 」の名 な がよく用 もち いられた。後者 こうしゃ は自 みずか らが官職 かんしょく に就 つ いているときだけではなく、父祖 ふそ の官職 かんしょく にちなんで名付 なづ けることが行 おこな われた。北条 ほうじょう 時 じ 頼 よりゆき の息子 むすこ 時 どき 輔 は、父 ちち が相模 さがみ 守 もり であることにちなんで「相模 さがみ 三郎 さぶろう 」と称 しょう し、さらに「式部 しきぶ 丞 すすむ 」の官職 かんしょく について「相模 さがみ 式部 しきぶ 丞 すすむ 」となり、さらに式部 しきぶ 丞 すすむ を辞 じ して叙爵 じょしゃく されて「相模 さがみ 式部 しきぶ 大夫 たいふ 」と称 しょう した。このような慣行 かんこう に加 くわ えて、時代 じだい が下 くだ ると正式 せいしき な任命 にんめい を受 う けずに官職 かんしょく を僭称 せんしょう することが武士 ぶし の間 あいだ に一般 いっぱん 化 か し、江戸 えど 時代 じだい には、武士 ぶし の官職 かんしょく 名 めい は実際 じっさい の官職 かんしょく とは分離 ぶんり された単 たん なる名前 なまえ となった。島津 しまつ 斉彬 なりあきら は正式 せいしき には「松平 まつだいら 薩摩守 さつまのかみ 」を名乗 なの ったが、当時 とうじ は「薩摩守 さつまのかみ 」はあくまで「通称 つうしょう 」と捉 とら えられ、斉彬 なりあきら の「官職 かんしょく 」といえば「左 ひだり 近衛 このえ 権 けん 中将 ちゅうじょう 」を指 さ した。この趨勢 すうせい は、ついには一見 いっけん すると官職 かんしょく の名 な に似 に ているが明 あき らかに異 こと なる百官 ひゃっかん 名 めい (ひゃっかんな)や東 ひがし 百官 ひゃっかん (あずまひゃっかん)に発展 はってん した。
女性 じょせい の名前 なまえ は、庶民 しょみん が氏 し を名乗 なの っていた中世 ちゅうせい 前期 ぜんき までは、清原 きよはら 氏 し を名乗 なの る凡下 ぼんげ 身分 みぶん の女性 じょせい ならば名前 なまえ は「清原 きよはら 氏 し 女 おんな 」(きよはらのうじのにょ)などと記 しる された。氏 し は中国 ちゅうごく と同様 どうよう に父系 ふけい の血統 けっとう を表現 ひょうげん する記号 きごう であったから、婚姻 こんいん 後 ご も氏 し が変更 へんこう されることは本来 ほんらい はありえなかった。官職 かんしょく を得 え て出仕 しゅっし すると新 あら たな名前 なまえ をつけられるが「式部 しきぶ 」(紫式部 むらさきしきぶ )や「少納言 しょうなごん 」(清少納言 せいしょうなごん )のように「女房 にょうぼう 名 めい 」という通称 つうしょう で呼 よ ばれた[37] 。
宮 みや 、御 ご 屋形 やかた 様 さま 、大殿 おおいどの 、大御所 おおごしょ 、政所 まんどころ 、御 ご 台所 だいどころ や、上皇 じょうこう や女院 にょいん の院 いん という呼 よ び名 な も、直接 ちょくせつ 名 めい を口 くち にするのを避 さ けて居所 きょしょ で呼 よ んだことに由来 ゆらい する通称 つうしょう である(詳 くわ しくは仮名 かめい (通称 つうしょう ) の頁 ぺーじ を参照 さんしょう )。
明確 めいかく に「避諱」を目的 もくてき とするのではなく、隠居 いんきょ 時 どき や人生 じんせい の転機 てんき などに、名 な を号 ごう と呼 よ ばれる音読 おんよ みや僧侶 そうりょ 風 ふう ・文化 ぶんか 人 じん 風 ふう のものに改 あらた める風習 ふうしゅう もあった(例 れい :島津 しまつ 義久 よしひさ の「龍 りゅう 伯 はく 」、穴山 あなやま 信 しん 君 くん の「梅雪 ばいせつ 」、細川 ほそかわ 藤孝 ふじたか の「幽斎 ゆうさい 」など)。この風習 ふうしゅう は芸能 げいのう 関係 かんけい 者 しゃ にも広 ひろ まり、画家 がか ・書家 しょか や文人 ぶんじん の雅号 がごう も広 ひろ く行 おこな われた。狩野 かの 永 ひさし 徳 とく 、円山 まるやま 応挙 おうきょ 等 ひとし の画 が 号 ごう 、松尾 まつお 芭蕉 ばしょう 、与謝 よさ 蕪村 ぶそん のような俳号 はいごう 、上田 うえだ 秋成 あきなり 、大田 おおた 南畝 なんぽ のような筆名 ひつめい も広 ひろ く行 おこな われた。中 なか には、曲亭馬琴 きょくていばきん や十返舎一九 じっぺんしゃいっく のように諱 いみな と全 まった く異 こと なるものも現 あらわ れた。これが、現在 げんざい の芸能人 げいのうじん の芸名 げいめい や俳名 、源氏名 げんじな などの習慣 しゅうかん につながっている。
諱 いみな (本名 ほんみょう 、実名 じつめい )
編集 へんしゅう
個人 こじん 名 めい である「諱 いみな (いみな)」は、公家 くげ 武家 ぶけ を問 と わず、通 つう 字 じ を用 もち いる習慣 しゅうかん が見 み られる。鎌倉 かまくら 北条 ほうじょう 氏 し の「時 じ 」、足利 あしかが 氏 し の「義 よし 」、武田 たけだ 氏 し や織田 おだ 氏 し の「信 しん 」、後 こう 北条 ほうじょう 氏 し の「氏 し 」、徳川 とくがわ 氏 し の「家 いえ 」、伊達 だて 氏 し の「宗 むね 」などが有名 ゆうめい である。家 いえ 祖 そ あるいは中興 ちゅうこう の祖 そ として崇 あが められるような家 いえ を飛躍 ひやく させた祖先 そせん にあやかり、同 おな じ諱 いみな を称 しょう する「先祖返 せんぞがえ り」という習慣 しゅうかん もあった。これは伊達 だて 政 まさし 宗 むね が有名 ゆうめい である。
先祖 せんぞ や創始 そうし 者 しゃ の諱 いみな を代々 だいだい 称 しょう する武家 ぶけ もあった。これは、市川 いちかわ 團 だん 十郎 じゅうろう ・中村 なかむら 歌右衛門 うたえもん のような歌舞伎 かぶき 役者 やくしゃ や笑 わらい 福 ぶく 亭 てい 松 まつ 鶴 づる ・柳家 やなぎや 小 こ さん などの落語 らくご 家 か などで名人 めいじん とされた人 ひと の名 な を襲名 しゅうめい する習慣 しゅうかん や、上記 じょうき のような商人 しょうにん の屋号 やごう の継承 けいしょう (茶屋 ちゃや 四郎次 しろうじ 郎 ろう など)という形 かたち で庶民 しょみん にも広 ひろ がった。
武家 ぶけ では、主君 しゅくん の諱 いみな の一 いち 字 じ を拝領 はいりょう をすることが栄誉 えいよ とされた。与 あた えられた字 じ のことを「偏 へん 諱 いみな (へんき・かたいみな)」と言 い う。有名 ゆうめい な例 れい では足利 あしかが 高 たかし 氏 し は北条 ほうじょう 高 だか 時 じ の一 いち 字 じ を拝領 はいりょう し、鎌倉 かまくら 幕府 ばくふ が滅 ほろ んだ後 のち に後醍醐天皇 ごだいごてんのう (名 な が尊 みこと 治 ち )の一 いち 字 じ を拝領 はいりょう して足利尊氏 あしかがたかうじ に改名 かいめい した。主君 しゅくん のほか、烏帽子 えぼし 親 おや の一 いち 字 じ を受 う けることも多 おお かった(北条 ほうじょう 高 だか 時 じ は高 こう 氏 し の烏帽子 えぼし 親 おや でもある)。
偏 へん 諱 いみな には、代々 だいだい の通 つう 字 じ を与 あた える場合 ばあい と通 つう 字 じ ではない方 ほう の字 じ を与 あた える場合 ばあい があった。前者 ぜんしゃ は特 とく に主家 しゅか に功績 こうせき のあった者 もの や縁者 えんじゃ 、後者 こうしゃ は与 あた えた人物 じんぶつ との個人 こじん 的 てき な主従 しゅうじゅう 関係 かんけい による例 れい が多 おお い。豊臣 とよとみ 秀吉 ひでよし の場合 ばあい 、前者 ぜんしゃ に小早川 こばやかわ 秀秋 ひであき 、宇喜多 うきた 秀家 ひでいえ 、後者 こうしゃ に田中 たなか 吉政 よしまさ 、堀尾 ほりお 吉晴 よしはる 、大谷 おおや 吉 きち 継 ままし がいる。
偏 へん 諱 いみな の授与 じゅよ によって、改名 かいめい を繰 く り返 かえ した例 れい もある。上杉 うえすぎ 謙信 けんしん は、元服 げんぷく 時 じ の長尾 ながお 景虎 かげとら (景 けい は長尾 ながお 氏 し の通 つう 字 じ )→上杉 うえすぎ 景虎 かげとら (関東 かんとう 管領 かんりょう 山内 やまうち 上杉 うえすぎ 氏 し から姓 せい を授 さず かる)→上杉 うえすぎ 政 せい 虎 とら (上杉 うえすぎ 憲政 のりまさ の偏 へん 諱 いみな )→上杉 うえすぎ 輝 てる 虎 とら (足利 あしかが 義輝 よしてる の偏 へん 諱 いみな )→上杉 うえすぎ 謙信 けんしん (出家 しゅっけ による戒名 かいみょう )と目 め まぐるしい。
江戸 えど 時代 じだい には、将軍 しょうぐん から偏 へん 諱 いみな を受 う けることが決 き まっていた大名 だいみょう 家 か もある(島津 しまつ 氏 し 、伊達 だて 氏 し など)。
諱 いみな は、朝廷 ちょうてい との関 かか わりが生 しょう じるような階層 かいそう 以外 いがい は、実生活 じっせいかつ で使 つか うことが滅多 めった になかったため、周囲 しゅうい の者 もの が諱 いみな を知 し らなかったり、後世 こうせい に伝 つた わらないことも起 お こった。「西郷 さいごう 吉之助 よしのすけ 平 ひら 隆 りゅう 永 ひさし 」(さいごうきちのすけたいらのたかなが)は、親友 しんゆう の吉井 よしい 友実 ともみ が父 ちち の諱 いみな 「隆盛 りゅうせい 」を彼 かれ のものと勘違 かんちが いして朝廷 ちょうてい に奏上 そうじょう してしまったため、新 しん 政府 せいふ の公文書 こうぶんしょ では「平 ひら 朝臣 あそん 隆盛 りゅうせい 」、戸籍 こせき 令 れい 以降 いこう は「西郷 さいごう 隆盛 たかもり 」と呼 よ ばれるようになってしまったという逸話 いつわ が知 し られる。
在家 ありいえ の者 もの の諱 いみな に対 たい し、僧侶 そうりょ や出家 しゅっけ した者 しゃ は戒名 かいみょう を名乗 なの った。禅僧 ぜんそう は戒名 かいみょう の上 うえ にさらに法号 ほうごう を付 つ けることもあった。一休宗純 いっきゅうそうじゅん は、一休 いっきゅう が法号 ほうごう 、宗 そう 純 じゅん が戒名 かいみょう である。
出家 しゅっけ するということは、俗世 ぞくせ との縁 えん を絶 た つということを意味 いみ したため、世俗 せぞく の名字 みょうじ や諱 いみな を捨 す て、仏門 ぶつもん の戒律 かいりつ を守 まも る者 もの の名 な という意味 いみ の戒名 かいみょう を漢字 かんじ 二 に 字 じ でつけた。従 したが って、上杉 うえすぎ 謙信 けんしん や武田 たけだ 信玄 しんげん のように、世俗 せぞく の名字 みょうじ の下 した に戒名 かいみょう を付 つ けて名乗 なの るのは、本来 ほんらい はおかしなことである。
『吾妻 あづま 鏡 きょう 』古 こ 活字 かつじ 本 ほん 寛永 かんえい 版 ばん ・林 はやし 羅山 らざん の跋文 ばつぶん 。出家 しゅっけ した後 のち の号 ごう 「道春 どうしゅん (どうしゅん)」の名 な が書 か かれている
宗 そう 福 ぶく 寺 てら にある源 みなもと 清 きよし 麿 まろ の墓 はか 。戒名 かいみょう が大 おお きく刻 きざ まれ、その下 した に俗名 ぞくみょう として本名 ほんみょう の「山浦 やまうら 環 たまき 」が刻 きざ まれている。「源 みなもと 清 きよし 麿 まろ 」の名前 なまえ は刀 かたな 名 めい として刻 きざ まれている。
平仮名 ひらがな の表記 ひょうき が残 のこ ってないため音読 おんよ み か訓読 くんよ み か不明 ふめい な人物 じんぶつ も多 おお い[37] 。
封建 ほうけん 時代 じだい のイエズス会 かい 士 し ロドリゲス の記録 きろく (日本語 にほんご 小 しょう 文典 ぶんてん )によれば、「高貴 こうき な人 ひと は仮名 かめい (かりな)の他 ほか 、実名 じつめい (名乗 なの り )も命名 めいめい されていた」という[38] 。ここで「仮名 かめい 」とは、のちに官職 かんしょく を得 え て、その官職 かんしょく 名 めい (百官 ひゃっかん 名 めい 、受領 じゅりょう 名 めい )を名乗 なの ることができるまでの間 あいだ の仮 かり の名 な である[39] 。
また、「実名 じつめい 」の命名 めいめい にあたっては、「漢字 かんじ 2文字 もじ の4音節 おんせつ 」で、上下 じょうげ の語 かたり ともに特定 とくてい の82種 しゅ の語 かたり 中 ちゅう から選択 せんたく されたという[40] 。(官職 かんしょく 者 しゃ ・人名 じんめい 一覧 いちらん の記載 きさい された歴史 れきし 書 しょ は、このような命名 めいめい 法 ほう の参考 さんこう 資料 しりょう となると思 おも われる[41] 。)
漢字 かんじ には複数 ふくすう の読 よ み方 かた があり、「美 よし 」を「はる(美子 よしこ (昭憲皇太后 しょうけんこうたいごう ) )」や「よし(三条 さんじょう 公美 くみ )」・「とみ(三条 さんじょう 実美 みみ )」と読 よ んだりするような人名 じんめい のみで用 もち いられる特殊 とくしゅ な読 よ み方 かた も多 おお い。このため歴史 れきし 上 じょう の人物 じんぶつ の名 な の正 ただ しい読 よ み方 かた が不明 ふめい であったり、議論 ぎろん となることもある。最上 もがみ 義光 よしみつ は当初 とうしょ 、名 な は「よしみつ」もしくは「よしてる」と読 よ まれていたが、妹 いもうと の義 ぎ 姫 ひめ に宛 あ てた手紙 てがみ が近年 きんねん 発見 はっけん され、その手紙 てがみ で自身 じしん の名 な を「よしあき」と平仮名 ひらがな で書 か いていたため、ようやく正 ただ しい読 よ みが判明 はんめい したという事例 じれい もある。また字 じ が異 こと なるが同 おな じ読 よ みの文字 もじ が当 あ て字 じ として使用 しよう されることや、同 おな じ漢字 かんじ を用 もち いた親族 しんぞく などで読 よ み方 かた が類推 るいすい されるなどの例 れい もある。
しかしこのような類推 るいすい できる史料 しりょう がない人物 じんぶつ も多 おお い。藤原 ふじわら 明子 あきこ や藤原 ふじわら 彰子 あきこ 、明石 あかし 全 ぜん 登 とう など、読 よ み方 かた に諸説 しょせつ ある人物 じんぶつ も多 おお い。僧侶 そうりょ の戒名 かいみょう (法名 ほうみょう )は原則 げんそく 的 てき に音読 おんよ みであるため類推 るいすい は行 おこな いやすいが、公 おおやけ 暁 あかつき (くぎょう・こうぎょう)のように異 こと なる解釈 かいしゃく が行 おこな われる例 れい もある。近代 きんだい の人物 じんぶつ でも、徳川 とくがわ 慶喜 よしのぶ は将軍 しょうぐん 就位 しゅうい 後 ご に「よしひさ」と読 よ むという布告 ふこく を発 はっ しているが、現在 げんざい でも主流 しゅりゅう となっている読 よ まれ方 かた は「よしのぶ」である。このため、徳川 とくがわ 慶喜 よしのぶ →「けいき」のように読 よ み方 かた が不明 ふめい である人名 じんめい を音読 おんよ み することもしばしば行 おこな われる。
和歌 わか の世界 せかい では、藤原 ふじわら 俊成 としなり (としなり・しゅんぜい)や藤原 ふじわら 定家 さだいえ (さだいえ・ていか)、藤原家隆 ふじわらのいえたか (いえたか・かりゅう)のように、本来 ほんらい 訓読 くんよ みである人名 じんめい を符牒 ふちょう として音読 おんよ みで読 よ み慣 なら わすことがあり、これは有職 ゆうしょく 読 よ み ・故実 こじつ 読 よ みなどと呼 よ ばれる。
女性 じょせい は諱 いみな が記録 きろく に残 のこ ることが少 すく なく、後世 こうせい でも通称 つうしょう でしか知 し られず実名 じつめい や読 よ みが不明 ふめい の人物 じんぶつ が多 おお い[37] 。平安 へいあん 時代 じだい には出生 しゅっしょう 時 じ に届 とど け出 で る幼名 ようみょう で過 す ごし、宮中 きゅうちゅう に出仕 しゅっし する際 さい に新 あら たな名前 なまえ をつけるが、女房 にょうぼう 名 めい を名乗 なの るため本名 ほんみょう が不明 ふめい の人物 じんぶつ も多 おお い[37] 。また出仕 しゅっし していない女性 じょせい は幼名 ようみょう のままか、「(父親 ちちおや の名前 なまえ )の娘 むすめ 」と呼 よ ばれていたという推測 すいそく もある[37] 。読 よ みは訓読 くんよ みだったと考 かんが えられているが、後 ご の国文学 こくぶんがく 界 かい では便宜 べんぎ 的 てき に音読 おんよ みを使 つか ったことで「平安 へいあん 期 き の女性 じょせい =音読 おんよ み」のイメージが広 ひろ がったとされる[37] 。
源 みなもと 頼朝 よりとも の正室 せいしつ である北条 ほうじょう 政子 まさこ は正式 せいしき な実名 じつめい が明 あき らかになっておらず、豊臣 とよとみ 秀吉 ひでよし の正室 せいしつ 高台院 こうだいいん もその本名 ほんみょう には論争 ろんそう がある。これらの高位 こうい に列 れつ した女性 じょせい は、位記 いき では本姓 ほんせい と諱 いみな を用 もち いて「平政子 たいらのまさこ 」や「豊臣 とよとみ 吉子 よしこ 」と表記 ひょうき されるが、父 ちち や夫 おっと の一 いち 字 じ を用 もち いたあくまで公式 こうしき 用 よう の名前 なまえ である。
朝廷 ちょうてい や貴人 きじん に仕 つか える女性 じょせい は女房 にょうぼう 名 めい で呼 よ ばれる(祐子 ゆうこ 内親王 ないしんのう 家 か 紀伊 きい 、今 こん 参 さん 局 きょく 、春日局 かすがのつぼね )。後世 こうせい においては生家 せいか の名字 みょうじ や本姓 ほんせい を用 もち いた呼称 こしょう (三条 さんじょう の方 ほう )、在所 ざいしょ などに由来 ゆらい する名 な (淀殿 よどどの 、築山殿 ちくやまどの )が用 もち いられる。貴人 きじん の正室 せいしつ や生母 せいぼ に対 たい しては大政所 おおまんどころ (摂関 せっかん 母 はは )や北政所 きたのまんどころ (摂関 せっかん 妻 つま )、御 ご 台所 だいどころ (大臣 だいじん ・征夷大将軍 せいいたいしょうぐん 正室 せいしつ )などの敬称 けいしょう が用 もち いられ、側室 そくしつ や娘 むすめ にたいしてもそれぞれの敬称 けいしょう が用 もち いられることもあった。
江戸 えど 期 き の女性 じょせい の名 な の例 れい を大田 おおた 南畝 なんぽ (蜀 しょく 山人 さんじん )の随筆 ずいひつ 「半日 はんにち 閑話 かんわ ・女 おんな 藝者 げいしゃ 吟味 ぎんみ 落着 らくちゃく 」から引用 いんよう する[42] 。(50音 おと 順 じゅん にした。)
(あ行 くだり )長助 ちょうすけ 娘 むすめ いと、助 じょ 七 なな 娘 むすめ いと、甚之助 じんのすけ 妹 いもうと いね、孫 まご 兵衛 ひょうえ 姪 めい いよ、平 ひら 七 なな 娘 むすめ うた。
(か行 くだり )寅吉 とらきち 娘 むすめ かつ、小 しょう 助 じょ 娘 むすめ かよ、十次郎 じゅうじろう 従弟 じゅうてい 女 おんな きち、喜右衛門 きうえもん 娘 むすめ きち、藤五郎 とうごろう 娘 むすめ きの、五郎 ごろう 娘 むすめ うた事 じ こと。
(さ行 ぎょう )文 ぶん 六 ろく 娘 むすめ さと、藤 ふじ 兵衛 ひょうえ 娘 むすめ しほ、長八 ちょうはち 娘 むすめ せん、権右衛門 ごんうえもん 娘 むすめ そめ。
(た行 こう )善蔵 ぜんぞう 姉 あね たか、藤 ふじ 助 じょ 娘 むすめ たみ、八右衛門 はちえもん 娘 むすめ たよ、十次郎 じゅうじろう 従弟 じゅうてい 女 おんな ちよ、源 みなもと 八 はち 娘 むすめ ちを、権右衛門 ごんうえもん 姪 めい つる、鉄次郎 てつじろう 姉 あね つる、 武 たけ 兵衛 ひょうえ 娘 むすめ でん、清 せい 九郎 くろう 娘 むすめ とき、新 しん 兵衛 ひょうえ 妹 いもうと とみ、佐 さ 兵衛 ひょうえ 娘 むすめ とみ、助 じょ 八 はち 娘 むすめ とよ。
(な行 ぎょう )磯 いそ 治郎 じろう 娘 むすめ なみ、金次郎 きんじろう 従弟 じゅうてい 女 おんな なみ、小三郎 こさぶろう 妹 いもうと なを。
(は行 こう )清 きよし 八 はち 娘 むすめ はつ、大吉 だいきち 娘 むすめ はな、半兵衛 はんべえ 娘 むすめ はま。
(ま行 くだり )宇右衛門 えもん 娘 むすめ まさ、新 しん 右 みぎ 衛門 えもん 姪 めい みよ、半 はん 七 なな 姪 めい みよ、伝兵衛 でんべえ 妹 いもうと みわ、平吉 へいきち 妹 いもうと みを、藤次郎 とうじろう 娘 むすめ もよ。
(や行 くだり )新 しん 八 はち 姉 あね よし。
(ら行 ぎょう )孫 まご 兵衛 ひょうえ 方 かた に居候 いそうろう りう。
その他 た 、現代 げんだい ではあまり見聞 みき きしなくなったものに、ても(熊本 くまもと 民謡 みんよう の「おてもやん」)、うし(牛 うし が食 た べ物 もの ではなかった時代 じだい )、かめ(大田 おおた 南畝 なんぽ のつると同様 どうよう 、長寿 ちょうじゅ を意味 いみ する名前 なまえ )、とら(寅 とら 年 ねん 生 う まれか)、などがある。
北海道 ほっかいどう 、樺太 からふと 、北方領土 ほっぽうりょうど 、千島 ちしま 列島 れっとう の先住民 せんじゅうみん 族 ぞく であるアイヌ は、今 いま でこそ彼 かれ らが居住 きょじゅう する地域 ちいき の大勢 おおぜい を占 し める日本 にっぽん 式 しき の姓名 せいめい を名乗 なの っている。また、チュプカ諸島 しょとう (新知 しんち 郡 ぐん ・占 うらない 守 もり 郡 ぐん )の千島 ちしま アイヌ も伝統 でんとう を保 たも っていたが、18世紀 せいき にロシアに征服 せいふく され支配 しはい 下 か に置 お かれた後 のち はロシア式 しき の姓名 せいめい を名乗 なの っていた。しかし、幕末 ばくまつ までは民族 みんぞく の伝統 でんとう に即 そく した命名 めいめい のもとに人生 じんせい を送 おく っていた。
アイヌの伝統 でんとう 的 てき な命名 めいめい 法 ほう では。生 う まれて間 あいだ もない赤子 あかご には正式 せいしき の名前 なまえ を付 つ けず、泣 な き声 ごえ から「アイアイ 」、あるいは「テイネㇷ゚ 」(濡 ぬ れたもの)、「ポイソン 」(小 ちい さな古 こ 糞 くそ )、「シオンタㇰ 」(古 こ 糞 くそ の固 かた まり)など、わざと汚 きたな らしい名前 なまえ で呼 よ ぶ。死亡 しぼう 率 りつ が高 たか い幼児 ようじ を病魔 びょうま から守 まも るための配慮 はいりょ で、きれいなものを好 この み、汚 きたな いものを嫌 いや がる病魔 びょうま から嫌 きら われるようにとの考 かんが えである。あるいは「レサㇰ 」(名無 なな し)など、はじめから存在 そんざい しないことにして病魔 びょうま を欺 あざむ く。
ある程度 ていど 成長 せいちょう して、それぞれの個性 こせい が現 あらわ れ始 はじ めると「本式 ほんしき 」の名前 なまえ がつけられる。「ハクマックㇽ 」(あわて者 しゃ )、「クーカㇽクㇽ 」(弓 ゆみ を作 つく る者 もの )、「クーチンコㇿ 」(弓 ゆみ と毛皮 けがわ 干 ほ しの枠 わく を持 も つ者 もの )、「ムイサシマッ 」(掃 は く女 おんな )、「キナラブック 」(蒲 がま の節 ふし をいじる者 もの )、「タネランケマッ 」(種蒔 たねま き女 おんな )、「イウタニマッ 」(杵 きね の女 おんな )、「カクラ 」(ナマコのように寝転 ねころ ぶ)、「カムイマ 」(熊 くま の肉 にく を焼 や く)など。
また、病弱 びょうじゃく な子供 こども や並外 なみはず れて容貌 ようぼう に優 すぐ れた子供 こども は、綺麗 きれい なものを好 この むという病魔 びょうま から嫌 きら われるよう、神 かみ に見込 みこ まれて天界 てんかい に連 つ れて行 い かれる=死 し ぬことのないよう、幼児 ようじ と同 おな じように汚 きたな らしい名前 なまえ をつける。「トゥルシノ 」(垢 あか まみれ)、「エカシオトンプイ 」(爺 じい さんの肛門 こうもん )などの例 れい がある。このような例 れい は、諸 しょ 民族 みんぞく においても珍 めずら しい事例 じれい ではなく、例 たと えば日本 にっぽん では牛 ぎゅう 若 わか 丸 まる など武士 ぶし の子 こ の幼名 ようみょう に頻繁 ひんぱん に使 つか われた「丸 まる 」という字 じ は、古来 こらい 、糞 くそ を意味 いみ していた。また、中国 ちゅうごく でも前漢 ぜんかん の武 たけ 帝 みかど は、魔除 まよけ けのために「彘(てい:ブタ の意 い )」という幼名 ようみょう を付 つ けられた。
妻 つま は夫 おっと の名前 なまえ を呼 よ ぶことが許 ゆる されず、すでに死 し んだ人間 にんげん の名 な を命名 めいめい することは不吉 ふきつ とされ、他人 たにん と似 に た名 な はその人 ひと に行 い くはずの不幸 ふこう を呼 よ び込 こ むものとされていたので、とにかく人 ひと と違 ちが う、独創 どくそう 的 てき な名前 なまえ を命名 めいめい するよう心 こころ がけていた。また、大 おお きな災難 さいなん に遭遇 そうぐう したり、似 に た名前 なまえ の者 もの が死 し んだりした場合 ばあい は「名前 なまえ が災難 さいなん に好 す かれた」との考 かんが えから、すぐに改名 かいめい した。そのためアイヌ民族 みんぞく には「太郎 たろう と花子 はなこ 」「ジョンとエリザベス」のような、「平凡 へいぼん な名前 なまえ 」「民族 みんぞく を代表 だいひょう する名前 なまえ 」が存在 そんざい しない。
日本 にっぽん においては明治 めいじ 初期 しょき になると戸籍 こせき 法 ほう や平民 へいみん 苗字 みょうじ 必称義務 ぎむ 令 れい の浸透 しんとう から、アイヌもそれまでの名前 なまえ を意訳 いやく 、あるいは漢字 かんじ で音訳 おんやく した「日本 にっぽん 式 しき の姓 せい 」を名乗 なの るようになったが、「名前 なまえ 」は明治 めいじ 中期 ちゅうき までは、それまでのアイヌ語 ご 式 しき がかなりの例 れい で受 う け継 つ がれていた。戸籍 こせき に名 な を記入 きにゅう する際 さい は、アイヌ語 ご の名前 なまえ を見 み ただけでは男女 だんじょ の区別 くべつ がつきかねる和人 わじん のために、男性 だんせい はカタカナ で、女性 じょせい はひらがな で記入 きにゅう されていた。
沖縄 おきなわ の人 ひと の名前 なまえ
編集 へんしゅう
琉球 りゅうきゅう 国 こく 金丸 かねまる 世 よ 主 ぬし 書状 しょじょう (1471年 ねん )。左端 ひだりはし に、尚 なお 円 えん 王 おう の即位 そくい 以前 いぜん の名 な 「金丸 かねまる 」が署名 しょめい されている。
史料 しりょう から見 み る限 かぎ り、1392年 ねん に帰化 きか したといわれる閩人三 さん 十 じゅう 六 ろく 姓 せい 及 およ びその子孫 しそん である久米 くめ 村 むら 士族 しぞく を例外 れいがい として、第 だい 一 いち 尚 しょう 氏 し 王 おう 統 みつる が成立 せいりつ するまでの王 おう 名 めい を始 はじ めとする人名 じんめい のほとんどは「琉球 りゅうきゅう 語 ご /琉球 りゅうきゅう 方言 ほうげん 」によると推測 すいそく される名 な のみであり、姓 せい ないし氏 し があったことは確認 かくにん できない。尚 なお 巴 ともえ 志 こころざし 王 おう が三 さん 山 やま を統一 とういつ し明 あきら に朝貢 ちょうこう すると、国 くに 姓 せい として「尚 なお 」を賜 たまわ り、以後 いご の王 おう は中国 ちゅうごく 風 ふう の姓名 せいめい をもつようになった。中国 ちゅうごく 風 ふう の姓名 せいめい は「唐名 とうみょう (からなー)」と呼 よ ばれ、以後 いご 士族 しぞく 一般 いっぱん に広 ひろ がった。
これに対 たい し、第 だい 二 に 尚 しょう 氏 し 王 おう 統 みつる 成立 せいりつ 後 ご 、士族 しぞく はその采 さい 地 ち (国王 こくおう より与 あた えられた領地 りょうち )の地名 ちめい を位階 いかい 称号 しょうごう に冠 かん して呼 よ ばれる慣習 かんしゅう が一般 いっぱん 化 か し、さらに日本 にっぽん 風 ふう の「名乗 なの り」(前節 ぜんせつ の「諱 いみな 」に相当 そうとう 、ただし全 すべ て音読 おんよ み で読 よ まれる)を持 も つことが普通 ふつう になると、「采 さい 地名 ちめい 」+「位階 いかい 称号 しょうごう 」+「名乗 なの り」が別 べつ の呼称 こしょう システムとして確立 かくりつ した。これを「大和 やまと 名 めい (やまとぅなー)」と呼 よ ぶことがある。「采 さい 地名 ちめい 」の人名 じんめい 化 か は日本 にっぽん における「氏 し 」(苗字 みょうじ )の起源 きげん と並行 へいこう するが、日本 にっぽん のように「采 さい 地名 ちめい 」が固定 こてい 化 か した「氏 し 」になることはなく、采 さい 地 ち の変更 へんこう にともなって変 か わりうる一時 いちじ 的 てき な呼称 こしょう にとどまった(王 おう の世子 せいし は中城 なかしろ を所領 しょりょう とし、常 つね に「中城 なかしろ 王子 おうじ 」と称 しょう した。つまり「中城 なかしろ 」という「采 さい 地名 ちめい 」は王 おう 世子 せいし のみに与 あた えられる称号 しょうごう であり、継承 けいしょう されない)。また、それまでつけられていた「琉球 りゅうきゅう 語 ご /琉球 りゅうきゅう 方言 ほうげん 」による名 な は「童 わらわ 名 めい (わらびなー)」とカテゴライズされ、公共 こうきょう 領域 りょういき からは排除 はいじょ されていった。
このようにして、同 どう 一人物 いちじんぶつ が「大和 やまと 名 めい 」と「唐名 とうみょう 」の双方 そうほう を持 も つようになったため、後世 こうせい 、特 とく に近代 きんだい 以降 いこう にそれ以前 いぜん の歴史 れきし 上 じょう の人物 じんぶつ を呼 よ ぶ場合 ばあい 、人物 じんぶつ によって通用 つうよう する名前 なまえ が異 こと なる現象 げんしょう が生 しょう じている(主 おも に久米 くめ 村 むら 士族 しぞく が「唐名 とうみょう 」で呼 よ ばれる)。例 たと えば羽 はね 地 ち 朝 あさ 秀 しゅう (唐名 とうみょう :向 こう 象 ぞう 賢 けん )は「大和 やまと 名 めい 」が、蔡温 (大和 やまと 名 めい :具志頭 ぐしかみ 文 ぶん 若 わか )は「唐名 とうみょう 」の方 ほう が通用 つうよう している。
薩摩 さつま 藩 はん の琉球 りゅうきゅう 侵攻 しんこう 以後 いご 、「大和 やまと めきたる」風俗 ふうぞく の禁止 きんし に伴 ともな い、多 おお くの地名 ちめい (したがって「采 さい 地名 ちめい 」)の漢字 かんじ が日本 にっぽん 本土 ほんど に見 み られないものに置 お き換 か えられたため、本土 ほんど と語源 ごげん が共通 きょうつう する「采 さい 地名 ちめい 」も異 こと なる漢字 かんじ で書 か かれるようになった。
琉球 りゅうきゅう 処分 しょぶん 後 ご 、日本 にっぽん の戸籍 こせき 制度 せいど が沖縄 おきなわ 県 けん にも適用 てきよう されると、国民 こくみん 皆 みな 姓 せい 制度 せいど の導入 どうにゅう と姓名 せいめい の単一化 たんいつか が迫 せま られた。士族 しぞく 、及 およ び分家 ぶんけ として「采 さい 地名 ちめい 」をもっていた王族 おうぞく はすべて「大和 やまと 名 めい 」(「采 さい 地名 ちめい 」+「名乗 なの り」)を戸籍 こせき 名 めい としたが、尚 なお 泰 たい 王 おう のみは「采 さい 地名 ちめい 」をもたなかったため、王 おう とその直系 ちょっけい の子孫 しそん のみは(「采 さい 地名 ちめい 」をもっていても)「尚 なお 」を姓 せい とし、「唐名 とうみょう 」を戸籍 こせき 名 めい とした。このため、王族 おうぞく 出身 しゅっしん 者 しゃ でも「大和 やまと 名 めい 」を名乗 なの った分家 ぶんけ (伊江 いえ 家 か 、今帰仁 なきじん 家 か など)では姓名 せいめい の形式 けいしき がより「本土 ほんど 風 ふう 」であるのに対 たい し、「尚 なお 」家 か の多 おお くの男子 だんし は今 いま も原則 げんそく として漢字 かんじ 一 いち 字 じ をもって命名 めいめい されている。また、全体 ぜんたい として王族 おうぞく 、士族 しぞく 出身 しゅっしん 者 しゃ の名 な の読 よ みには音読 おんよ みが根強 ねづよ く残 のこ っている。
その後 ご 、独特 どくとく の漢字 かんじ 遣 づか いをする姓 せい を「本土 ほんど 風 ふう 」の漢字 かんじ に置 お き換 か える改姓 かいせい を行 おこな ったり、逆 ぎゃく に同 おな じ漢字 かんじ を使 つか いながら読 よ みを標準 ひょうじゅん 語 ご に近 ちか づけるなど、日本 にっぽん 本土 ほんど への同化 どうか 傾向 けいこう が見 み られる。
先 さき 島 とう 諸島 しょとう においても、尚 なお 真 ま 王 おう による征服 せいふく 以前 いぜん に分立 ぶんりつ していた領主 りょうしゅ の名前 なまえ には、領地 りょうち 名 めい を名 な に冠 かん したと考 かんが えられるもの(石垣島 いしがきじま の平久保 ひらくぼ 加 か 那 な 按司)、名 な だけが伝 つた えられているもの(石垣島 いしがきじま のオヤケアカハチ 、与那国島 よなぐにじま のサンアイイソバなど)など、独特 どくとく のものがある。
現行 げんこう の
法 ほう 制度 せいど における「
氏名 しめい 」についての
法 ほう 制度 せいど については
氏名 しめい を
参照 さんしょう
大日本帝国 だいにっぽんていこく 憲法 けんぽう の上諭 じょうゆ 。右 みぎ ページの御璽 ぎょじ の上方 かみがた に「睦 むつみ 仁 じん 」と、明治天皇 めいじてんのう の「名 な 」(諱 いみな )が自署 じしょ されている。また、左 ひだり ページには、国務大臣 こくむだいじん の官 かん 名 めい と爵位 しゃくい に続 つづ けて、「氏名 しめい 」が自署 じしょ されている。
国会 こっかい 開設 かいせつ の詔 みことのり 。太政大臣 だじょうだいじん 三条 さんじょう 実美 みみ の署名 しょめい がある。
明治維新 めいじいしん によって新 しん 政府 せいふ が近代 きんだい 国家 こっか として国民 こくみん を直接 ちょくせつ 把握 はあく する体制 たいせい となると、新 あら たに戸籍 こせき を編纂 へんさん し、旧来 きゅうらい の氏 し (姓 せい )と家名 かめい (苗字 みょうじ )の別 べつ 、および諱 いみな と通称 つうしょう の別 べつ を廃 はい して、全 すべ ての人 ひと が国民 こくみん としての姓名 せいめい を公式 こうしき に名乗 なの るようになった。この際 さい 、今 いま まで自由 じゆう だった改名 かいめい の習慣 しゅうかん が禁止 きんし された。明治 めいじ 以降 いこう の日本人 にっぽんじん の戸籍 こせき 人名 じんめい は、氏 し は家名 かめい の系譜 けいふ を、名 な は諱 いみな と通称 つうしょう の双方 そうほう の系譜 けいふ を引 ひ いている要素 ようそ が大 おお きい。例 たと えば夏目 なつめ 漱石 そうせき の戸籍 こせき 名 めい である夏目 なつめ 金之助 きんのすけ は通称 つうしょう 系 けい 、野口 のぐち 英世 ひでよ は諱 いみな 系 けい の名 な である。
日本人 にっぽんじん の名前 なまえ は、法律 ほうりつ 上 じょう 、原則 げんそく として「氏 し 」(うじ)と「名 な 」(な)との組 く み合 あ わせから成 な る「氏名 しめい 」(しめい)で呼称 こしょう され[注釈 ちゅうしゃく 7] 、戸籍 こせき 上 うえ 「氏 し 」「名 な 」で記録 きろく される。「氏 し 」は民法 みんぽう の規定 きてい によって定 さだ まり(民法 みんぽう 750条 じょう 、810条 じょう 等 とう )、「名 な 」は戸籍 こせき 法 ほう に定 さだ める出生 しゅっしょう 届 とどけ に際 さい して定 さだ められる(戸籍 こせき 法 ほう 29条 じょう 柱 はしら 書 しょ 、50条 じょう 、57条 じょう 2項 こう 等 とう )。「氏 し 」は現代 げんだい においては姓 せい (せい)または苗字 みょうじ ・名字 みょうじ (みょうじ)とも呼 よ ばれ、古 ふる くは一定 いってい の身分 みぶん 関係 かんけい にある一団 いちだん の、近代 きんだい 以降 いこう は家族 かぞく の人間 にんげん の共通 きょうつう の呼称 こしょう として、個人 こじん がその集団 しゅうだん に属 ぞく することを示 しめ す。「名 な 」はさらにその集団 しゅうだん の中 なか の個人 こじん を示 しめ す役割 やくわり を果 は たしている[43] 。
日本人 にっぽんじん の氏名 しめい を含 ふく む身分 みぶん 関係 かんけい (家族 かぞく 関係 かんけい )は、戸籍 こせき に登録 とうろく される。例外 れいがい として、天皇 てんのう 及 およ び皇族 こうぞく の身分 みぶん 関係 かんけい は、戸籍 こせき ではなく皇統 こうとう 譜 ふ に登録 とうろく される(皇室 こうしつ 典範 てんぱん 26条 じょう )。また、天皇 てんのう 及 およ び皇族 こうぞく は、「氏 し 」を持 も たない。これは歴史 れきし 的 てき に氏 し や姓 せい が身分 みぶん が上 うえ の者 しゃ から与 あた えられるものだったためである。
氏 し の種類 しゅるい は、30万 まん 種 しゅ を超 こ えるとされている[44] 。氏 し の多 おお くは2文字 もじ の漢字 かんじ から成 な っており、人数 にんずう の多 おお い上位 じょうい 10氏 し はすべて漢字 かんじ 2文字 もじ から成 な る[45] 。
また氏 し の多 おお くは地名 ちめい に由来 ゆらい するため、地名 ちめい に関 かん する漢字 かんじ を含 ふく むものが多 おお い。
※1文字 もじ から3文字 もじ の氏 し は、人数 にんずう の多 おお い順 じゅん [45] 。読 よ み方 かた は代表 だいひょう 的 てき なものを記載 きさい 。
海外 かいがい からの移民 いみん を除 のぞ き、基本 きほん 的 てき に日本人 にっぽんじん の氏 し は漢字 かんじ である。
氏 し の大半 たいはん は地名 ちめい に基 もと づいている(この理由 りゆう を17世紀 せいき のイエズス会 かい 士 し ロドリゲス は「日本語 にほんご 小 しょう 文典 ぶんてん 」のなかで、「名字 みょうじ (苗字 みょうじ のこと)は個々 ここ の家 いえ が本来 ほんらい の所有 しょゆう 者 しゃ として、所有 しょゆう している土地 とち に因 ちな んでつける」と記述 きじゅつ している[46] 。)。このため、地名 ちめい に多 おお い田 た ・山 やま ・川 かわ ・村 むら ・谷 たに ・森 もり ・木 き ・林 はやし ・瀬 せ ・沢 さわ ・岡 おか ・崎 さき など、地形 ちけい や地勢 ちせい を表 あらわ す漢字 かんじ 、植物 しょくぶつ や道 みち に関 かん するものなど及 およ び方位 ほうい を含 ふく む氏 し が多数 たすう を占 し める。色彩 しきさい の一 いち 字 じ のみで表 あらわ される氏 し (白 しろ ・黒 くろ ・赤 あか ・青 あお ・黄 き など)はあまり存在 そんざい しないが「緑 みどり 」氏 し や「金 かね 」氏 し (ただし読 よ みは「こん」)の例 れい はあるほか在日 ざいにち コリアンに「白 しろ 」氏 し がいる(緑 みどり 健児 けんじ 、金 きむ 易 えき 二郎 じろう 、白 はく 仁 ひとし 天 てん )。
氏 し の取得 しゅとく と変動 へんどう
編集 へんしゅう
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他 た の出典 しゅってん の追加 ついか も行 おこな い、記事 きじ の正確 せいかく 性 せい ・中立 ちゅうりつ 性 せい ・信頼 しんらい 性 せい の向上 こうじょう にご協力 きょうりょく ください。出典 しゅってん 検索 けんさく ? : "人名 じんめい " – ニュース · 書籍 しょせき · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2023年 ねん 3月 がつ )
現在 げんざい 、日本 にっぽん では氏 し の取得 しゅとく と変動 へんどう は民法 みんぽう の規定 きてい によって定 さだ まる。夫婦 ふうふ は、婚姻 こんいん の際 さい に定 さだ めるところに従 したが い、夫 おっと 又 また は妻 つま の氏 し を称 しょう する(民法 みんぽう 750条 じょう )。嫡出 ちゃくしゅつ である子 こ は父母 ちちはは の氏 し を称 しょう し、嫡出 ちゃくしゅつ でない子 こ は母 はは の氏 し を称 しょう する(民法 みんぽう 790条 じょう )。また、養子 ようし は養親 ようしん の氏 し を称 しょう する(民法 みんぽう 810条 じょう )。
この法 ほう では、夫婦 ふうふ の「氏 し 」は夫婦 ふうふ が互 たが いの氏 し から自由 じゆう に選 えら べる。しかし慣習 かんしゅう 的 てき に多 おお くの夫婦 ふうふ は、夫 おっと の氏 し を選択 せんたく している(2005年度 ねんど (平成 へいせい 17年度 ねんど )の1年間 ねんかん に婚姻 こんいん した夫婦 ふうふ を対象 たいしょう とする調査 ちょうさ によれば、全体 ぜんたい の96.3%の夫婦 ふうふ が夫 おっと の氏 し を選択 せんたく した[47] )。これは1948年 ねん (昭和 しょうわ 23年 ねん )の改正 かいせい 前 ぜん 民法 みんぽう (家族 かぞく 法 ほう )に見 み られるように、婚姻 こんいん を妻 つま が夫 おっと の「家 いえ 」に入 はい ると考 かんが える(家 いえ 制度 せいど )と、全 すべ ての「家 いえ 」の構成 こうせい 員 いん が、夫 おっと を筆頭 ひっとう とする「家 いえ の氏 し 」にまとめられるという、男系 だんけい 家 か 制度 せいど の慣習 かんしゅう を反映 はんえい している。婚姻 こんいん 又 また は養子 ようし 縁組 えんぐみ によって氏 し が変更 へんこう があると、もとの氏 し を「旧姓 きゅうせい 」という[注釈 ちゅうしゃく 8] 。
なお、夫婦 ふうふ 同氏 どうし 制 せい (夫婦 ふうふ 同姓 どうせい )については、1996年 ねん (平成 へいせい 8年 ねん )に法制 ほうせい 審議 しんぎ 会 かい が出 だ した「民法 みんぽう 改正 かいせい 案 あん 要綱 ようこう 」[48] で、選択 せんたく 的 てき 夫婦 ふうふ 別 べつ 氏 し 制度 せいど (夫婦 ふうふ 別姓 べっせい )が定 さだ められたことをきっかけに、その賛否 さんぴ が論 ろん じられている。東 ひがし アジアにおける中国 ちゅうごく 、朝鮮半島 ちょうせんはんとう 、インドでは、伝統 でんとう 的 てき に夫婦 ふうふ 別姓 べっせい であった。タイは名字 みょうじ を用 もち い始 はじ めたのは20世紀 せいき 以降 いこう であり、その際 さい には妻 つま は夫 おっと の姓 せい を称 しょう することが義務付 ぎむづ けられていた。ドイツやタイでは夫婦 ふうふ 同氏 どうし を義務 ぎむ としていたが、憲法 けんぽう 違反 いはん であるとして改正 かいせい されている。現在 げんざい では、日本 にっぽん 以外 いがい の国家 こっか はすべて夫婦 ふうふ 別姓 べっせい を取 と ることが可能 かのう であり、夫婦 ふうふ 同姓 どうせい のみを義務 ぎむ とする国家 こっか は日本 にっぽん のみとなっている。日本 にっぽん では、職業 しょくぎょう やその他 た の理由 りゆう によって、夫婦 ふうふ の片方 かたがた が旧姓 きゅうせい を通称 つうしょう として名乗 なの り続 つづ けることがある。2011年 ねん に最高裁判所 さいこうさいばんしょ は夫婦 ふうふ 同姓 どうせい 義務 ぎむ は憲法 けんぽう 違反 いはん ではないという判決 はんけつ を下 くだ しているが、別 べつ の姓 せい を称 しょう することをまったく認 みと めないことに合理 ごうり 性 せい はないという少数 しょうすう 意見 いけん も出 だ された。
ヨーロッパでは姓 せい を夫婦 ふうふ で共通 きょうつう する義務 ぎむ 規定 きてい はなかったもの、夫 おっと の姓 せい にあわせることが多数 たすう 派 は であった。1995年 ねん の調査 ちょうさ では、ドイツ、イギリス、オーストリア、フランス、アイルランドでの9割 わり の既婚 きこん 女性 じょせい は夫 おっと の姓 せい を称 しょう していた。フランスは、1794年 ねん の婚姻 こんいん 法 ほう で生 う まれた時 とき の姓 せい を称 しょう するよう定 さだ めているが、実際 じっさい には婚姻 こんいん 後 ご の女性 じょせい は夫 おっと の姓 せい を名乗 なの ることが多 おお かった。これは通称 つうしょう の姓 せい (仏 ふつ : nom d'usage )として名乗 なの ることが慣例 かんれい であった。現代 げんだい のフランスでも、配偶 はいぐう 者 しゃ の姓 せい (あるいは自分 じぶん の姓 せい と相手 あいて の姓 せい をハイフンで合 あ わせた複 ふく 合 あい 姓 せい )をnom d'usage[注釈 ちゅうしゃく 9] として称 しょう することができる。イタリアやスペインでは夫 おっと の姓 せい を名乗 なの る割合 わりあい が低 ひく いが、イギリスでは14世紀 せいき 頃 ごろ から妻 つま が夫 おっと の姓 せい を称 しょう することが始 はじ まり、2014年 ねん の調査 ちょうさ でも50%の女性 じょせい が夫 おっと の姓 せい を称 しょう している。
アメリカでは夫婦 ふうふ 同姓 どうせい を強制 きょうせい する法律 ほうりつ はなかったが、結婚 けっこん 改姓 かいせい しない女性 じょせい は社会 しゃかい 的 てき に非難 ひなん されていた。女性 じょせい 運動 うんどう 家 か であるルーシー・ストーン (英語 えいご 版 ばん ) は1855年 ねん に結婚 けっこん した際 さい 、夫 おっと の同意 どうい を得 え て結婚 けっこん 後 ご も夫 おっと の姓 せい にしなかったが、土地 とち 購入 こうにゅう の際 さい には夫 おっと の姓 せい でサインすることを求 もと められたという。1920年 ねん にはルーシー・ストーン同盟 どうめい (英語 えいご 版 ばん ) が結成 けっせい され、自 みずか らの姓 せい をアイデンティティとする活動 かつどう を行 おこな い、1972年 ねん には女性 じょせい が生来 せいらい の姓 せい を使用 しよう する権利 けんり が裁判所 さいばんしょ で認 みと められた。1970年 ねん のニューヨーク・タイムズ の調査 ちょうさ では結婚 けっこん 改姓 かいせい を行 おこな わない女性 じょせい の割合 わりあい は17%であり、1980年 ねん に14%、1990年 ねん に18%となっている。また別 べつ の調査 ちょうさ では2000年 ねん に26%、2014年 ねん は29.5%となっているものもある。
日本 にっぽん と諸 しょ 外国 がいこく の違 ちが いは、選択 せんたく の有無 うむ ではなく、家族 かぞく の姓 せい の統一 とういつ を重視 じゅうし して夫婦 ふうふ と子 こ を同姓 どうせい にするかそれとも出生 しゅっしょう から死亡 しぼう までの個人 こじん の姓 せい を重視 じゅうし するか、あくまで本名 ほんみょう の姓 せい に関 かん する考 かんが え方 かた の違 ちが いである。これは、異 こと なる文化 ぶんか ・歴史 れきし 的 てき 背景 はいけい が国民 こくみん の身分 みぶん の在 あ り方 かた に影響 えいきょう しているといえる。またアメリカにおいては、結婚 けっこん 時 じ に改姓 かいせい をする女性 じょせい は「人 ひと に依存 いぞん する傾向 けいこう があり、志 こころざし が低 ひく く、あまり知的 ちてき ではない」という逆 ぎゃく の偏見 へんけん が研究 けんきゅう 者 しゃ や社会 しゃかい にもあるという指摘 してき も行 おこな われている。
一方 いっぽう で、日本 にっぽん では通称 つうしょう としての旧姓 きゅうせい に関 かん して、旧姓 きゅうせい 使用 しよう の可否 かひ に関 かん する明確 めいかく な規範 きはん がまだないという課題 かだい が残 のこ っている。もっとも、およそ令 れい 和 わ 期 き に入 はい ってからは旧姓 きゅうせい を身分 みぶん 証 しょう (運転 うんてん 免許 めんきょ 証 しょう 、個人 こじん 番号 ばんごう カード、パスポートなど)に併記 へいき することが可能 かのう になったことから、旧姓 きゅうせい が通用 つうよう しない日常 にちじょう 的 てき 場面 ばめん がすでに減 へ ってきている。
新生児 しんせいじ が生 う まれたときには、14日 にち 以内 いない (国外 こくがい で出生 しゅっしょう があったときは、3ヶ月 かげつ 以内 いない )に届 とど け出 で なければならず(戸籍 こせき 法 ほう 第 だい 49条 じょう )、事実 じじつ 上 じょう 、新生児 しんせいじ の名 な はこの出生 しゅっしょう 届 とどけ のときに定 さだ められる。子 こ の命名 めいめい において使用 しよう できる文字 もじ には制限 せいげん が設 もう けられている(戸籍 こせき 法 ほう 50条 じょう 1項 こう 、戸籍 こせき 法 ほう 施行 しこう 規則 きそく 60条 じょう 参照 さんしょう )。人名 じんめい については固有 こゆう の読 よ み方 かた をさせる場合 ばあい があるが、法的 ほうてき な制限 せいげん はない(→人名 じんめい 訓 くん )。そのため、漢字 かんじ 表記 ひょうき と読 よ み仮名 がな に全 まった く関連 かんれん がないものや当 あ て字 じ なども許容 きょよう される(例 れい :風 ふう と書 か いて「ういんど」、太陽 たいよう と書 か いて「サン」など)。 また、文字数 もじすう にも制限 せいげん はない。皇族 こうぞく の場合 ばあい 、生後 せいご 7日 にち (御七夜 おしちや )を迎 むか えた時 とき に命名 めいめい の儀 ぎ が行 おこな われ、命名 めいめい される。
(同 おな じ戸籍 こせき 内 ない にいる人物 じんぶつ と同 おな じ文字 もじ の名 な を付 つ けることはできないが、同 おな じ読 よ み方 かた の名 な を付 つ けることはできる。例 たと えば「昭雄 あきお (あきお)」と「昭夫 あきお (あきお)」のように同音 どうおん 異字 いじ の場合 ばあい は可能 かのう であり、「慶 けい 次 じ (よしつぐ)」と「慶 けい 次 じ (けいじ)」のように異 い 音 おと 同 どう 字 じ の場合 ばあい は不可能 ふかのう である。なぜなら、戸籍 こせき に読 よ み方 かた は記載 きさい されないからである(翻 ひるがえ せば、読 よ みを替 か えるだけなら改名 かいめい の必要 ひつよう はないことになる)。なお、「龍 りゅう 」と「竜 りゅう 」のように新 しん 字体 じたい と旧 きゅう 字体 じたい とは同 おな じ字 じ とみなされるため、「龍雄 たつお 」と「竜雄 たつお 」のような場合 ばあい は不可能 ふかのう である。稀 まれ に夫婦 ふうふ で同名 どうめい というケースもあるが、これは問題 もんだい ない。)
氏名 しめい の読 よ み・表記 ひょうき ・呼 よ び方 かた
編集 へんしゅう
氏名 しめい の「読 よ み」と表記 ひょうき
氏 し ・名 めい のどちらも、比較的 ひかくてき 独自 どくじ の語彙 ごい があるため、ある人 ひと の氏名 しめい を聞 き いて、それが人 ひと の氏名 しめい とわかるのが普通 ふつう である。また、氏 し か名 めい かいずれかを聞 き いた場合 ばあい 、「ゆうき」「しょうじ」「はやみ」「わかな」「はるな」「よしみ」「あいか」「まさき」「とみお」などのごく稀 まれ な例外 れいがい を除 のぞ いて、それがどちらであるかを区別 くべつ することも比較的 ひかくてき 易 やさ しい(これは、例 たと えば英語 えいご でRyan, Douglas, Scottのように氏 し にも名 な にも用 もち いられる語 かたり がかなり多 おお くの人名 じんめい に使 つか われていることと対照 たいしょう 的 てき である)。
しかし、氏名 しめい を聞 き いた時 とき にそれがどのような文字 もじ で書 か かれるかについては必 かなら ずしも分 わ からない場合 ばあい が多 おお い。これは同 おな じ読 よ みの漢字 かんじ がたくさん存在 そんざい するという日本語 にほんご の特徴 とくちょう のためである。また、漢字 かんじ で書 か かれた氏名 しめい から正 ただ しい読 よ み方 かた が特定 とくてい できない場合 ばあい もある。これは、馴染 なじ みの薄 うす い読 よ み方 かた (難読 なんどく 人名 じんめい )であるために起 お こることもあるが、単 たん に2つ以上 いじょう のよく知 し られた読 よ み方 かた があるために起 お こる場合 ばあい もある。日本 にっぽん の漢字 かんじ は読 よ み方 かた が多 おお いためこのようなことが起 お こりやすい(例 たと えば、「裕史 ゆうじ 」という名 な はひろし、ひろふみ、ゆうし、ゆうじ、などと最低 さいてい 4通 とお りの読 よ みがある / 字面 じめん 通 どお りの読 よ みである必要 ひつよう はないので、実際 じっさい にそれ以上 いじょう 存在 そんざい する)。そのため、各種 かくしゅ の申込 もうしこみ 書 しょ ・入会 にゅうかい 書 しょ ・願書 がんしょ ・申請 しんせい 書 しょ などに名 な を記 しる す時 とき に振 ふ り仮名 がな の記載 きさい を求 もと められる場合 ばあい が多 おお いが、法的 ほうてき にそれを証明 しょうめい する手段 しゅだん は少 すく ない。これは、戸籍 こせき が読 よ みではなく字 じ を基準 きじゅん にした制度 せいど であるためである。
名前 なまえ の呼 よ び方 かた
人 ひと が互 たが いを呼 よ び合 あ う際 さい には、氏 し と名 な の全 すべ て(フルネーム)を呼 よ ぶことは多 おお くない。あだ名 な や、氏 し ・名 めい に「さん」「ちゃん」などの呼称 こしょう を付 つ け、あるいは、肩書 かたが きや続柄 つづきがら に関 かん する呼称 こしょう 、二人称 ににんしょう 代名詞 だいめいし 、まれに字 じ (あざな)などを用 もち いることが多 おお い。また、親 した しくない相手 あいて に、名 な のみで呼 よ びかけるのは失礼 しつれい との考 かんが えを持 も つ人 ひと が少 すく なくない。
一般 いっぱん に、呼称 こしょう をめぐる習慣 しゅうかん は非常 ひじょう に複雑 ふくざつ であり、簡潔 かんけつ に説明 せつめい することは困難 こんなん である。当事 とうじ 者 しゃ 間 あいだ の年齢 ねんれい や血縁 けつえん や仕事 しごと 上 じょう の関係 かんけい 、社会 しゃかい 的 てき な文脈 ぶんみゃく などによって大 おお きく変化 へんか するが、そうした文脈 ぶんみゃく の制約 せいやく 条件 じょうけん だけからは一意的 いちいてき に決 き まらないことが多 おお く、個人 こじん 的 てき な習慣 しゅうかん や好 この みなども影響 えいきょう する。さらに、方言 ほうげん などと絡 から んだ地方 ちほう 差 さ も認 みと められる。
英語 えいご 表記 ひょうき
2000年 ねん には国語 こくご 審議 しんぎ 会 かい が「言語 げんご や文化 ぶんか の多様 たよう 性 せい を生 い かすため名字 みょうじ を先 さき にするのが望 のぞ ましい」とする答申 とうしん を出 だ したが、理工 りこう 系 けい の研究 けんきゅう 者 しゃ の論文 ろんぶん やサッカーの登録 とうろく 選手 せんしゅ 名 めい などを除 のぞ くと広 ひろ まっておらず、政府 せいふ 機関 きかん でも名 な →姓 せい の表記 ひょうき が続 つづ いていることから2019年 ねん には柴山 しばやま 昌彦 まさひこ 文部 もんぶ 科学 かがく 大臣 だいじん が関係 かんけい 機関 きかん に対 たい し姓 せい →名 な の表記 ひょうき を要請 ようせい した[54] 。2019年 ねん 10月 がつ 25日 にち 、『公用 こうよう 文 ぶん 等 とう における日本人 にっぽんじん の姓名 せいめい のロ ろ ーマ字 まじ 表記 ひょうき について 』が首相 しゅしょう 官邸 かんてい から交付 こうふ され、2020年 ねん 1月 がつ 1日 にち より公文書 こうぶんしょ 等 とう における日本人 にっぽんじん の姓名 せいめい のロ ろ ーマ字 まじ 表記 ひょうき は姓 せい →名 な となった。例 たと えば、「安倍晋三 あべしんぞう 」はロ ろ ーマ字 まじ 表記 ひょうき で「Shinzo Abe」ではなく「Abe Shinzo」となる。
日本人 にっぽんじん の多 おお くは、死亡 しぼう すると、仏教 ぶっきょう 式 しき の葬儀 そうぎ を行 おこな い、戒名 かいみょう (法名 ほうみょう [注釈 ちゅうしゃく 10] )を付 つ ける。戒名 かいみょう とは、仏門 ぶつもん に帰依 きえ して授戒 じゅかい した出家 しゅっけ ・在家 ありいえ の者 もの に与 あた えられる名 な で、多 おお くは僧侶 そうりょ が与 あた える。戒名 かいみょう の形式 けいしき はそれぞれの宗派 しゅうは によって異 こと なる(例 れい :○○大 だい 居士 こじ 、○○居士 こじ (大姉 だいし )、○○信士 しんじ (信女 しんにょ )、釈 しゃく ○○など)。
漢字 かんじ 文化 ぶんか 圏 けん の名前 なまえ
編集 へんしゅう
中国人 ちゅうごくじん の名前 なまえ
編集 へんしゅう
袁世凱 の署名 しょめい
中国人 ちゅうごくじん の名前 なまえ は漢字 かんじ 一 いち 字 じ (まれに二 に 字 じ )の漢 かん 姓 せい と、一 いち 字 じ か二 に 字 じ の名 な からなり、「父方 ちちかた の姓 せい 」「その父系 ふけい 血族 けつぞく の同 どう 世代 せだい に共通 きょうつう の漢字 かんじ (輩 やから 行 ぎょう 字 じ )」「子 こ に特有 とくゆう の漢字 かんじ 」という順 じゅん に表記 ひょうき される(現在 げんざい では輩 やから 行 ぎょう 字 じ に従 したが わない命名 めいめい もある)。例 たと えば毛沢東 もうたくとう には2人 ふたり の弟 おとうと がおり、それぞれ毛 もう 沢民 たくみん 、毛 もう 沢 さわ 覃 という名 な であったが、この3人 にん に共有 きょうゆう されている「沢 さわ 」が輩 やから 行 ぎょう 字 じ である。まれに輩 やから 行 ぎょう 字 じ と特有 とくゆう の漢字 かんじ は逆 ぎゃく になる場合 ばあい もある(例 たと えば蔣経国 こく と蔣緯国 こく )。漢字 かんじ 一 いち 文字 もじ 名 めい には輩 やから 行 ぎょう 字 じ がないことになるが、その場合 ばあい でも同 どう 世代 せだい で共通 きょうつう の部首 ぶしゅ を持 も つ字 じ のみを名付 なづ けることがある。たとえば「紅 べに 楼 ろう 夢 ゆめ 」の主人公 しゅじんこう 賈宝玉 だま の父 ちち の名 な は賈政であるが伯父 おじ の名 な は賈赦、賈政と同 どう 世代 せだい の親族 しんぞく の一人 ひとり は賈敬である。元来 がんらい 姓 せい は父系 ふけい の血統 けっとう を示 しめ すので原則 げんそく としては夫婦 ふうふ 別姓 べっせい であるが、現代 げんだい の中国 ちゅうごく や台湾 たいわん では、男女 だんじょ 平等 びょうどう の観点 かんてん から、女性 じょせい は結婚 けっこん に伴 ともな って、夫 おっと の姓 せい を名乗 なの ることも選択 せんたく 可能 かのう なことが法律 ほうりつ で保証 ほしょう されている。夫 おっと の姓 せい に続 つづ けて自分 じぶん の姓 せい を書 か く(従 したが って漢字 かんじ 四 よん 文字 もじ になる)場合 ばあい もある。二 に 文字 もじ の姓 せい (複 ふく 姓 せい )もあり、諸 しょ 葛 かずら ・上官 じょうかん ・欧 おう 陽 ひ ・公孫 こうそん ・司馬 しば などが有名 ゆうめい である。
また、歴史 れきし を遡 さかのぼ れば姓 せい と氏 し は別 べつ のものであった。周 しゅう の代 だい には王 おう 「「周 しゅう 」の一族 いちぞく は「姫 ひめ 」、太公望 たいこうぼう 「呂 りょ 尚 ひさし 」の子孫 しそん である「斉 ひとし 」公 おおやけ の一族 いちぞく は「姜 きょう 」、後 のち に始皇帝 しこうてい を出 だ した「秦 はた 」公 おおやけ の一族 いちぞく は「嬴 」といった姓 せい を持 も ったが、これは漢 かん 族 ぞく 形成 けいせい 以前 いぜん の部族 ぶぞく 集団 しゅうだん の呼称 こしょう とでもみるべきもので、族長 ぞくちょう 層 そう だけがこれを名乗 なの った。こうした族 ぞく 集団 しゅうだん の内部 ないぶ の父系 ふけい 血族 けつぞく 集団 しゅうだん が氏 し であった。例 たと えば周 しゅう 代 だい の姫 ひめ 姓 せい 諸侯 しょこう である晋 すすむ 公 おおやけ の重臣 じゅうしん であり、後 のち に独立 どくりつ 諸侯 しょこう にのし上 あ がった「韓 かん 」氏 し は「姫 ひめ 」姓 せい であって周 しゅう の族長 ぞくちょう 層 そう に出自 しゅつじ するが、氏 し は「韓 かん 」であった。しかし戦国 せんごく 時代 じだい になると社会 しゃかい の流動 りゅうどう 性 せい が高 たか くなり、それによって姓 せい はその根拠 こんきょ となる族 ぞく 集団 しゅうだん が形骸 けいがい 化 か していった。また姓 せい を持 も たず氏 し のみを持 も つ非 ひ 族長 ぞくちょう 層 そう も社会 しゃかい の表 おもて 舞台 ぶたい に立 た つようになっていった。そして「漢 かん 」の代 だい になると古代 こだい の姓 せい の多 おお くが忘 わす れられ、氏 し が姓 せい とも呼 よ ばれて両者 りょうしゃ が混同 こんどう される形 かたち で父系 ふけい の血縁 けつえん 集団 しゅうだん を示 しめ す語 かたり として用 もち いられるようになったのである。前漢 ぜんかん の皇帝 こうてい を出 だ した劉 りゅう 氏 し も姓 せい を持 も たない階層 かいそう に出自 しゅつじ した。
さらに伝統 でんとう 的 てき に下層 かそう 階級 かいきゅう 以外 いがい の男性 だんせい は目上 めうえ の者 もの だけが呼 よ んでよい名 な (「諱 いみな 」とも言 い う)と別 べつ に同等 どうとう 者 しゃ や目下 めした の者 もの が呼 よ ぶ「字 じ (あざな)」という呼 よ び名 な を持 も った。現在 げんざい は字 じ の風習 ふうしゅう は廃 すた れつつあるようである。
香港 ほんこん や台湾 たいわん のように、外国 がいこく に支配 しはい されていた期間 きかん が長 なが かった地域 ちいき は、欧米 おうべい や日本 にっぽん などの名前 なまえ を模 も して、本名 ほんみょう とは別 べつ の名前 なまえ を持 も つ場合 ばあい がある。特 とく に香港 ほんこん は、近年 きんねん までイギリスの支配 しはい 下 か であったため、イギリス風 ふう の名前 なまえ を持 も っている場合 ばあい が多 おお い(ジャッキー・チェン 、アグネス・チャン 、ブルース・リー )。台湾 たいわん でも65歳 さい 以上 いじょう の女性 じょせい には日本 にっぽん 式 しき に「子 こ 」を止 と め字 じ とする名前 なまえ も少 すく なからず見 み られる。中国 ちゅうごく では婚姻 こんいん による名字 みょうじ の変更 へんこう はなく、子供 こども の名字 みょうじ は、父親 ちちおや の名字 みょうじ を名乗 なの るのが通例 つうれい である。香港 ほんこん では、イギリス風 ふう の名前 なまえ はパスポート などの身分 みぶん 証明 しょうめい 書 しょ にも使用 しよう できるなど、広 ひろ く使 つか われている。名 な づけ方 かた は、キリスト教徒 きりすときょうと の家系 かけい なら洗礼 せんれい 名 めい という形 かたち で親 おや が付 つ ける場合 ばあい もあるが、学校 がっこう の先生 せんせい が付 つ けたり、本人 ほんにん が自分 じぶん で付 つ けたりする場合 ばあい もある。名 な づけ方 かた はかなり自由 じゆう 度 ど が高 たか く、英語 えいご 圏 けん には存在 そんざい しない名前 なまえ も多 おお く、男性 だんせい 名 めい が女性 じょせい にも使用 しよう される事 こと もある[55] [56] 。
朝鮮半島 ちょうせんはんとう の名前 なまえ
編集 へんしゅう
「韓国 かんこく 併合 へいごう ニ関 せき スル条約 じょうやく 」に関 かん する李 り 完 かん 用 よう への全権 ぜんけん 委任 いにん 状 じょう 。大韓 たいかん 帝国 ていこく の内閣 ないかく 総理 そうり 大臣 だいじん 李 り 完 かん 用 よう の名前 なまえ や、最後 さいご の皇帝 こうてい 純 じゅん 宗 むね の名 な である坧 の署名 しょめい が見 み える。
韓国 かんこく では、金 きむ ・李 り ・朴 ほお ・崔 ちぇ ・鄭 てい の5つの姓 せい だけで、国民 こくみん の約 やく 54%を占 し める。 金 きむ (김)
李 り (이)
朴 ぼく (박)
崔 ちぇ (최)
鄭 てい (정)
朝鮮半島 ちょうせんはんとう の人名 じんめい は中国 ちゅうごく の影響 えいきょう を受 う けて、典型 てんけい 的 てき には漢字 かんじ 一 いち 字 じ (まれに二 に 字 じ )の漢 かん 姓 せい と、一 いち 字 じ か二 に 字 じ の名 な からなる。特 とく に、金 きむ ・李 り ・朴 ほお ・崔 ちぇ ・鄭 てい の姓 せい を持 も つ人 ひと は非常 ひじょう に多 おお く、この5つの姓 せい だけで、国民 こくみん の約 やく 54%を占 し める。同 おな じ姓 せい でもいくつかの氏族 しぞく に別 わか れており、金 きむ 海 うみ 金 きん 氏 し が最 もっと も多 おお い。
統一 とういつ 新 しん 羅 ら の時代 じだい 以前 いぜん は今 いま とまったく違 ちが う名前 なまえ を用 もち いていた。『日本書紀 にほんしょき 』や『古事記 こじき 』に見 み られる朝鮮半島 ちょうせんはんとう 系 けい の渡来 とらい 人 じん の名 な は中国 ちゅうごく 式 しき の名 な (当時 とうじ の百済 くだら ・高句麗 こうくり などの非 ひ 朝鮮 ちょうせん 系 けい の人々 ひとびと は現在 げんざい の中国人 ちゅうごくじん 名 めい とは異 こと なる名前 なまえ であったため)ではなかったことからもわかる。
例 たと えば、高句麗 こうくり 王朝 おうちょう 末期 まっき の貴族 きぞく 、淵 ふち 蓋 ぶた 蘇 そ 文 あや は今日 きょう の韓国 かんこく では漢語 かんご 発音 はつおん で「ヨン・ゲソムン 」と呼 よ ばれているが、『日本書紀 にほんしょき 』の「伊 い 梨 なし 柯須弥 わたる 」という表記 ひょうき から当時 とうじ の高句麗 こうくり では「イリ・カスミ 」と発音 はつおん したことが知 し られている。「イリ 」は高句麗 こうくり 語 ご で淵 ふち を意味 いみ すると言 い われており、日本語 にほんご の訓読 くんよ みに類似 るいじ した表記 ひょうき 方法 ほうほう 、「カスミ 」を「蓋 ぶた 蘇 そ 文 あや 」とするのは漢語 かんご の発音 はつおん を用 もち いて高句麗 こうくり 語 ご を表現 ひょうげん した、日本 にっぽん の万葉仮名 まんようがな に類似 るいじ した表記 ひょうき 方法 ほうほう と考 かんが えられる。
現在 げんざい の姓名 せいめい 体系 たいけい は統一 とういつ 新 しん 羅 ら の時代 じだい に中国 ちゅうごく 式 しき を真似 まね たものである。姓 せい は基本 きほん 的 てき には漢字 かんじ 一 いち 文字 もじ であるが、皇 すめらぎ 甫 はじめ などの二 に 字 じ 姓 せい (複 ふく 姓 せい )も少数 しょうすう だが存在 そんざい する。これとは別 べつ に、祖先 そせん の出身 しゅっしん 地 ち (本 ほん 貫 ぬき )を持 も ち、同 おな じ姓 せい ・同 おな じ本 ほん 貫 ぬき (同姓 どうせい 同 どう 本 ほん )を持 も つ者 もの を同族 どうぞく と見 み なす。この同族 どうぞく 意識 いしき はかなり強固 きょうこ なものであり、かつては同姓 どうせい 同 どう 本 ほん 同士 どうし の結婚 けっこん は法的 ほうてき に禁止 きんし されていた(大韓民国 だいかんみんこく 民法 みんぽう 第 だい 809条 じょう (英語 えいご 版 ばん ) )。ただし、同姓 どうせい でも本 ほん 貫 ぬき が違 ちが う場合 ばあい は問題 もんだい ない。現在 げんざい 、朝鮮半島 ちょうせんはんとう 内 ない で最 もっと も多 おお いのは金 きむ 海 うみ 金 きん 氏 し (釜山 ぷさん 広域 こういき 市 し 付近 ふきん の金 きむ 海 うみ 市 し を本 ほん 貫 ぬき とする「金 きむ 」氏 し )である。族 ぞく 譜 ふ (족보 )という先祖 せんぞ からの系譜 けいふ を書 か いたものが作製 さくせい ・継承 けいしょう され、親族 しんぞく 関係 かんけい の象徴 しょうちょう として尊重 そんちょう されるが、女性 じょせい の名 な は族 ぞく 譜 ふ に記載 きさい されない。族 ぞく 譜 ふ は朝鮮 ちょうせん 王朝 おうちょう の時代 じだい に党争 とうそう の激 はげ しくなったころから作 つく られ始 はじ めた。日本 にっぽん の系図 けいず 類 るい と同様 どうよう 、族 ぞく 譜 ふ も初期 しょき の系譜 けいふ は伝説 でんせつ に依拠 いきょ していたり古代 こだい の偉人 いじん に仮託 かたく したものが多 おお く、史料 しりょう としての価値 かち はさほど高 たか くない。
名 な が漢字 かんじ 二 に 文字 もじ の場合 ばあい 、同族 どうぞく で同 どう 世代 せだい の男子 だんし が世代 せだい 間 あいだ の序列 じょれつ を表 あらわ すために名 な に同 おな じ文字 もじ を共有 きょうゆう する行列 ぎょうれつ 字 じ (ko:항렬 )という習慣 しゅうかん がある。行列 ぎょうれつ 字 じ は中国 ちゅうごく の輩 やから 行 ぎょう 字 じ と同様 どうよう のもので、陰陽 いんよう 五 ご 行 ぎょう 説 せつ に基 もと づいて決 き められる。つまり「木 き ・火 ひ ・土 ど ・金 きむ ・水 みず 」の入 はい った字 じ を順番 じゅんばん に付 つ けていく。たとえば、ある世代 せだい で「木 き 」の入 はい った字 じ (根 ね 、桓 )、次 つぎ の世代 せだい は「火 ひ 」の入 はい った字 じ (煥 、榮 さかえ )、次 つぎ の世代 せだい は「土 ど 」の入 はい った字 じ (圭 けい 、在 ざい )……と続 つづ く。十干 じっかん (甲 きのえ ・乙 おつ ・丙 へい ・丁 ちょう ・戊 つちのえ ・己 おのれ ・庚 かのえ ・辛 からし ・壬 みずのえ ・癸 みずのと )、十二支 じゅうにし (子 こ ・丑 うし ・寅 とら ・卯 う ・辰 たつ ・巳 み ・午 うま ・未 み ・申 さる ・酉 とり ・戌 いぬ ・亥 い )を使 つか うこともある。ある世代 せだい で名前 なまえ の漢字 かんじ 二 に 文字 もじ のうち前 まえ の字 じ を行列 ぎょうれつ 字 じ にしたら、次 つぎ の世代 せだい は後 ご の字 じ を行列 ぎょうれつ 字 じ にする。
現在 げんざい の韓国 かんこく においては、漢字 かんじ がほとんど使 つか われなくなっているため、姓名 せいめい もハングル で表記 ひょうき される。金 きむ ハヌル や尹 いん ビッガラム など、若 わか い世代 せだい では名 な の部分 ぶぶん に関 かん して固有 こゆう 語 ご をそのまま用 もち いる例 れい もある。
子 こ は、中国 ちゅうごく の氏 し と同様 どうよう 、姓 せい が父系 ふけい の血統 けっとう を表現 ひょうげん するものであることから、当然 とうぜん に父 ちち の姓 せい を名乗 なの るものとされていた。しかし、2005年 ねん の法 ほう 改正 かいせい により、子 こ は、父母 ちちはは が婚姻 こんいん 届出 とどけで の時 とき に協議 きょうぎ した場合 ばあい には母 はは の姓 せい に従 したが うこともできるようになった[57] 。
なお、在日 ざいにち コリアン は、民族 みんぞく 名 めい (朝鮮半島 ちょうせんはんとう 式 しき の姓名 せいめい )のほかに日本 にっぽん 式 しき の通 つう 名 めい を持 も っている場合 ばあい が多 おお い。原因 げんいん としては創 はじめ 氏 し 改名 かいめい の名残 なごり 、あるいは戦後 せんご の混乱 こんらん 期 き の様々 さまざま な事情 じじょう などによるものとされるが、在日 ざいにち コリアンへの差別 さべつ が公 おおやけ に非難 ひなん されるようになった社会 しゃかい の意識 いしき の変化 へんか により、エスニックなアイデンティティへの見直 みなお しが進 すす み、通 つう 名 めい 使用 しよう は減少 げんしょう しつつある。[要 よう 出典 しゅってん ]
ベトナム人 じん (キン族 ぞく )の名前 なまえ は姓 せい ・間 あいだ の名 な ・称 しょう する名 な により構成 こうせい される
ベトナム (越 こし 南 みなみ )は漢字 かんじ 文化 ぶんか 圏 けん に属 ぞく しており、人名 じんめい も主要 しゅよう 民族 みんぞく であるキン族 ぞく (京 きょう 族 ぞく )を中心 ちゅうしん に、漢 かん 民族 みんぞく の人名 じんめい に類似 るいじ する。典型 てんけい 的 てき な人名 じんめい は、Nguyễn Văn Huệ (グエン・ヴァン・フエ、阮文恵 めぐみ )のように、漢 かん 姓 せい である一 いち 音節 おんせつ のHọ (姓 せい )と、一 いち 音節 おんせつ のTên đệm (間 あいだ の名 な 、直訳 ちょくやく すると「苫 とま の名 な 」)、一 いち 音節 おんせつ のtên chính (称 しょう する名 な )からなる構造 こうぞう である。
相手 あいて が地位 ちい の高 たか い人間 にんげん であっても、人 ひと の呼称 こしょう として使 つか うのは姓 せい ではなく「称 しょう する名 な 」である。例 たと えば「ゴ・ディン・ジエム 大統領 だいとうりょう 」は、姓 せい が「ゴ(呉 ご )」、間 あいだ の名 な が「ディン(廷)」、称 しょう する名 な が「ジエム(琰)」であるため、「ゴ大統領 だいとうりょう 」ではなく「ジエム大統領 だいとうりょう 」と呼称 こしょう する。姓 せい を呼称 こしょう に使 つか うのはきわめて例外 れいがい 的 てき な高 たか い敬意 けいい を表 あらわ すときに限 かぎ られ、これはHồ Chí Minh (ホー・チ・ミン 、胡志明 ほうちみん )を「ホーおじさん(Bác Hồ 、伯 はく 胡 えびす )」と呼 よ ぶような場合 ばあい である。
モンゴル人 じん は縁起 えんぎ の良 よ い言葉 ことば や仏教 ぶっきょう 的 てき な言葉 ことば を選 えら んで子供 こども を名付 なづ ける。姓 せい にあたるものはないが、氏族 しぞく (オボク)の名称 めいしょう が姓 せい に近 ちか い役割 やくわり を持 も ち、中国 ちゅうごく の内モンゴル自治 うちもんごるじち 区 く では氏族 しぞく 名 めい を姓 せい として中国 ちゅうごく 式 しき に姓名 せいめい で表記 ひょうき することがある。例 たと えば、チンギス・ハーン 家 いえ のオボク はボルジギン 氏族 しぞく (孛児只 ただ 斤 きん 氏 し )であるため、内 うち モンゴル出身 しゅっしん のチンギス・ハーン の子孫 しそん はボルジギン ・某 ぼう (孛児只 ただ 斤 きん 某 ぼう )と称 しょう する。
これに対 たい し、モンゴル国 こく ではロシアの影響 えいきょう で父 ちち の名 な を姓 せい の代 か わりに使 つか い、本人 ほんにん の名 な の前 まえ に置 お く(父 ちち 称 しょう )。例 たと えば、朝 あさ 青 あお 龍 りゅう 明徳 あきのり の本名 ほんみょう ドルゴルスレン・ダグワドルジ は、ダグワドルジ が本人 ほんにん の名 な 、ドルゴルスレン が父 ちち の名 な である。また、夫婦 ふうふ 別姓 べっせい である。
インドシナ半島 いんどしなはんとう の名前 なまえ
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漢字 かんじ 文化 ぶんか 圏 けん に属 ぞく したベトナム を除 のぞ いて、伝統 でんとう 的 てき にこの地域 ちいき では姓 せい はない。しかし、ラオス 、カンボジア でも旧 きゅう 宗主 そうしゅ 国 こく フランスの影響 えいきょう で父 ちち の名 な などを姓 せい として名 な のうしろに付加 ふか するようになった。
ミャンマー には家系 かけい に共通 きょうつう の姓 せい はなく、必要 ひつよう な時 とき には両親 りょうしん いずれかの名 な と自分 じぶん の名 な が併用 へいよう される。戸籍 こせき 名 めい を付 つ ける際 さい には、その子 こ が生 う まれた曜日 ようび によって頭文字 かしらもじ を決 き め、ビルマの七曜 しちよう 制 せい や月 つき の名前 なまえ 、土地 とち の名前 なまえ 等 とう から名付 なづ けられることが多 おお い。また成長 せいちょう につれ、隣 となり 近所 きんじょ で通用 つうよう する幼名 ようみょう 、学校 がっこう 内 ない で通用 つうよう する通称 つうしょう 、大人 おとな になってからの自称 じしょう など、複数 ふくすう の名 な をもつことが多 おお い。外国 がいこく との交渉 こうしょう (旅券 りょけん 等 とう の発行 はっこう や移住 いじゅう 時 じ に姓 せい や氏 し の記入 きにゅう を求 もと められる情況 じょうきょう )では、便宜 べんぎ 的 てき に敬称 けいしょう や尊称 そんしょう や謙称 けんしょう (社会 しゃかい 的 てき 地位 ちい のある男性 だんせい であれば「ウ」、若 わか い男性 だんせい であれば「マウン」、成人 せいじん 女性 じょせい なら「ドー」など)を使 つか って、苗字 みょうじ とする場合 ばあい もある。例 たと えば、元 もと 国連 こくれん の事務 じむ 総長 そうちょう ウ・タント の「ウ 」は敬称 けいしょう である(しかし、本人 ほんにん は謙遜 けんそん 故 ゆえ か「マウン・タント」と署名 しょめい することが多 おお かった)。
タイ に関 かん しては、タイの人名 じんめい を参照 さんしょう 。
マレー・ポリネシア系 けい の名前 なまえ
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インドネシア・マレーシアの名前 なまえ
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この両国 りょうこく でも姓 せい は義務 ぎむ づける法 ほう はなく、例 たと えばスハルト やスカルノ は姓 せい を持 も たないが1つのファーストネームのみで正式 せいしき なフルネームである。スマトラ島 すまとらとう のバタク人 じん や、マルク諸島 しょとう (モルッカ諸島 しょとう )、フロレス島 とう などでは氏族 しぞく 名 めい を姓 せい のように用 もち いる。ジャワ島 じゃわとう のジャワ人 じん とスンダ人 じん の多 おお くは名 な しか持 も たないが、貴族 きぞく の家系 かけい は姓 せい を持 も っていて名 な の後 うし ろにつける。イスラム教徒 きょうと のマレー人 じん 、アチェ人 じん 、ジャワ人 じん 、スンダ人 じん はアラブ式 しき に父 ちち の名 な による呼 よ び名 な を持 も ち、名 な の後 うし ろにつけて姓 せい のように使 つか う場合 ばあい もある。
フィリピンのキリスト教 きりすときょう 社会 しゃかい では、名前 なまえ は西洋 せいよう 式 しき に「名 な 、ミドルネーム、姓 せい 」の3つの部分 ぶぶん からなる。その場合 ばあい 、未婚 みこん 者 しゃ および男性 だんせい は母親 ははおや の旧姓 きゅうせい を、結婚 けっこん して夫 おっと の姓 せい となった女性 じょせい は自分 じぶん の旧姓 きゅうせい をミドルネームとしていることが多 おお い。かつてはスペインの植民 しょくみん 地 ち だった背景 はいけい から、スペインや中南米 ちゅうなんべい 諸国 しょこく 同様 どうよう 、スペイン式 しき の「名 な 、父 ちち の第 だい 一 いち 姓 せい 、母 はは の第 だい 一 いち 姓 せい 」構成 こうせい であったが、アメリカ領 りょう になってからは現在 げんざい の構成 こうせい に変 か わった。ミドルネームに母方 ははかた の旧姓 きゅうせい を使用 しよう しているのにはスペイン式 しき の名残 なごり である。ミドルネームはイニシャルのみを記 しる す場合 ばあい と、そのまま書 か き表 あらわ す場合 ばあい がある(例 れい :グロリア・マカパガル・アロヨ )。姓 せい は植民 しょくみん 地 ち 時代 じだい にスペイン人 じん の姓 せい から選 えら んで名乗 なの ったため、スペイン語 ご 姓 せい が主流 しゅりゅう であるが、華人 かじん 系 けい の姓 せい も多 おお い。名 な は旧来 きゅうらい のスペイン語 ご の名前 なまえ に加 くわ えて、英語 えいご その他 た 主 ぬし にヨーロッパ系 けい の名前 なまえ が自由 じゆう につけられている。
婚姻 こんいん の際 さい には、従来 じゅうらい の法律 ほうりつ では、結婚 けっこん 時 じ に女性 じょせい 側 がわ は、自分 じぶん の姓 せい を用 もち い続 つづ け相手 あいて の姓 せい をミドルネームとして加 くわ えるか、相手 あいて の姓 せい を用 もち いるか、相手 あいて のフルネームにMrs.をつけるか、を選 えら ぶことが可能 かのう 、とされていたが、2010年 ねん に、裁判所 さいばんしょ は、女性 じょせい の権利 けんり を守 まも る観点 かんてん から、これらに加 くわ えて、相手 あいて の姓 せい を用 もち いず自分 じぶん の姓 せい のみを用 もち い続 つづ けることも可能 かのう 、との判断 はんだん を下 くだ した[58] 。
アラビア語 ご 圏 けん ・イスラム教 いすらむきょう 圏 けん の名前 なまえ
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オスマン朝 ちょう マフムト2世 せい のトゥグラ による署名 しょめい 。「アブデュルハミト の息子 むすこ マフムト・ハン、永遠 えいえん の勝利 しょうり 者 しゃ 」と読 よ める
アラブ人 じん の伝統 でんとう 的 てき な名前 なまえ はクンヤ (「某 ぼう の親 おや 」)、イスム (本人 ほんにん の名 な )、ナサブ (「某 ぼう の子 こ 」)、ニスバ (出自 しゅつじ 由来 ゆらい 名 めい )、ラカブ (尊称 そんしょう ・あだな)の要素 ようそ から成 な り立 た っている。
クンヤ
クンヤは「アブー・某 ぼう 」(某 ぼう の父 ちち )、「ウンム・某 ぼう 」(某 ぼう の母 はは )という形 かたち を取 と る。アラブ圏 けん では兄弟 きょうだい 姉妹 しまい といった近親 きんしん の名前 なまえ が某 ぼう 部分 ぶぶん に来 く るものもクンヤと呼 よ ぶ。
初代 しょだい 正統 せいとう カリフ のアブー・バクル は本名 ほんみょう がアブドゥッラー(改宗 かいしゅう 前 まえ はアブドゥルカアバ)だったが、ラクダが好 す きだったことからついたあだ名 な アブー・バクル(若 わか ラクダの父 ちち )の方 ほう が後世 こうせい まで定着 ていちゃく 。さらには彼 かれ への崇敬 すうけい から一般 いっぱん 的 てき な男児 だんじ 名 めい として使 つか われるようにもなりイスムに転 てん じた。
エジプト女性 じょせい 歌手 かしゅ のウンム・クルスーム という名前 なまえ は預言 よげん 者 しゃ ムハンマドの娘 むすめ の名前 なまえ として元々 もともと 有名 ゆうめい だが、こちらはアブー・バクルの例 れい と違 ちが い本名 ほんみょう としてつけられたものでほほがふっくらしている愛 あい らしさから「クルスーム(ほほがむちむちの男 おとこ の子 こ )の母 はは 」という複 ふく 合名 ごうめい で呼 よ ばれるに至 いた ったケースである。(なお第 だい 三 さん 代 だい 正統 せいとう カリフであるウスマーンの姉妹 しまい もウンム・クルスームという名 な だった。)
このクンヤは職業 しょくぎょう 名 めい としても使 つか われることがあり、アブーの後 のち に品名 ひんめい を添 そ えて「~屋 や 」を意味 いみ するなどした。息子 むすこ の名前 なまえ を添 そ えた基本 きほん 的 てき なクンヤも含 ふく め家名 かめい に転 てん じたケースが多 おお く、現代 げんだい アラブ世界 せかい ではファミリーネーム、ラストネームとして用 もち いられていることも少 すく なくない。
またクンヤは既婚 きこん 未婚 みこん ・子 こ の有無 うむ に関係 かんけい なくニックネームに使 つか われる用法 ようほう があり、本人 ほんにん のファーストネームから想起 そうき させる人名 じんめい と結 むす びつけて青年 せいねん 等 とう を「アブー・某 ぼう 」と呼 よ ぶ慣例 かんれい が見 み られる。さらにはゲリラ名 めい として用 もち いられてきた経緯 けいい があり、実子 じっし の名前 なまえ とは関係 かんけい が無 な い「アブー・アンマール」(パレスチナのアラファト議長 ぎちょう のあだ名 な )等 とう が有名 ゆうめい である。
イスム
イスムは本人 ほんにん の名 な である。男性 だんせい には預言 よげん 者 しゃ ムハンマド の本名 ほんみょう やその別名 べつめい (アフマド、マフムード、ムスタファー等 とう )、ウマル 、ウスマーン 、アリー など正統 せいとう カリフ、イブラーヒーム(アブラハム )、ムーサー(モーゼ )、イーサー(イエス )といった預言 よげん 者 しゃ たち、アッラーの持 も つ99の美名 びめい ・属性 ぞくせい 名 めい に「しもべ」を意味 いみ する「アブド」を繋 つな げたアブドゥッラー(神 かみ の僕 ぼく )、アブドゥッラフマーン(慈悲 じひ 深 ふか き者 しゃ のしもべ)などの名 な も好 この まれる。預言 よげん 者 しゃ ムハンマドと正統 せいとう カリフアリーの子孫 しそん であるハサン 、フサイン らの名前 なまえ も広 ひろ く命名 めいめい に用 もち いられるが、ジャアファル なども含 ふく めシーア派 は イマームとなった人物 じんぶつ の名称 めいしょう についてはシーア派 は 信徒 しんと に特 とく に好 この まれる傾向 けいこう があり宗派 しゅうは 差 さ が大 おお きい。
女性 じょせい にはハディージャ 、ファーティマ 、アーイシャ 、ザイナブ など預言 よげん 者 しゃ ムハンマドの親族 しんぞく に由来 ゆらい する名前 なまえ やガゼル、花 はな などにちなんだ美 うつく しさや愛 あい らしさを意味 いみ する名前 なまえ が好 この まれてきたが、現代 げんだい では音感 おんかん 重視 じゅうし の命名 めいめい 傾向 けいこう があり女児 じょじ 名 めい については流行 りゅうこう の影響 えいきょう が比較的 ひかくてき 強 つよ く見 み られる。
ナサブ
ナサブはその人物 じんぶつ の系譜 けいふ を示 しめ すもので「イブン・某 ぼう 」(某 ぼう の息子 むすこ )、「ビント・某 ぼう 」(某 ぼう の娘 むすめ )という形 かたち を取 と る。また、某 ぼう (本人 ほんにん の名 な )・イブン・某 ぼう ・イブン・某 ぼう ・…と本人 ほんにん の名 な の後 のち にナサブを連結 れんけつ して先祖 せんぞ をたどる表現 ひょうげん もできるが基本 きほん 的 てき に現代 げんだい アラブ人 じん はそのようなフルネームは使 つか わずアラビア半島 はんとう の王族 おうぞく や部族 ぶぞく 民 みん のフルネームで用 もち いるのみとなっている。
ナサブは日本語 にほんご だとイブンで書 か くのが慣習 かんしゅう となっているがアラビア語 ご の文語 ぶんご では格 かく に応 おう じてブヌ、ブニ、ブナと発音 はつおん が変 か わる。格 かく 母音 ぼいん を取 と り去 さ った場合 ばあい の発音 はつおん に対応 たいおう するのがブン、そして口語 こうご 的 てき な発音 はつおん に近 ちか いカタカナ表記 ひょうき がビン(アラビア半島 はんとう 等 とう )やベン(主 おも に北 きた アフリカ諸国 しょこく )である。
現代 げんだい アラブ世界 せかい ではこのナサブの表記 ひょうき を用 もち いる地域 ちいき は少 すく なく普段 ふだん ナサブ抜 ぬ きで本人 ほんにん のイスム・父 ちち の名前 なまえ ・祖父 そふ の名前 なまえ /家名 かめい などと併記 へいき のみしているケースでも、本人 ほんにん の系譜 けいふ を明示 めいじ する場合 ばあい にはイブンを用 もち いて表記 ひょうき することもある。またアラビア半島 はんとう 地域 ちいき ではフルネーム表記 ひょうき にイブンを入 い れて書 か くこともあるが、毎回 まいかい そうした表記 ひょうき という訳 わけ ではなくイブン抜 ぬ きの現代 げんだい 式 しき フルネームを使 つか うといった具合 ぐあい に、同 どう 一人物 いちじんぶつ であってもイブン有 あ り・無 な しの両 りょう バージョンを使 つか い分 わ けていることもある。
アラブ諸国 しょこく ではこのナサブが家名 かめい となっている例 れい も少 すく なくなく、代々 だいだい 引 ひ き継 つ いで「イブン某 ぼう 家 か 」「ビン某 ぼう 家 か 」と呼 よ ばれるなどしている。
ニスバ
ニスバは出身 しゅっしん 地 ち ・所属 しょぞく 部族 ぶぞく ・所属 しょぞく 宗派 しゅうは に形容詞 けいようし 形 がた 語尾 ごび 「イー」を付 つ けた形 かたち を取 と る。マグリブ 出身 しゅっしん ならばマグリビー、アフガニスタン 出身 しゅっしん ならアフガーニー となる。中世 ちゅうせい では本人 ほんにん や比較的 ひかくてき 近 ちか い父 ちち ・祖父 そふ などの出身 しゅっしん 地 ち をファーストネームに添 そ えて表記 ひょうき していたが、現代 げんだい ではファミリーネーム相当 そうとう のものとして何 なん 代 だい にもわたり継承 けいしょう する傾向 けいこう が強 つよ く、遠 とお い祖先 そせん の出身 しゅっしん 地 ち ・近代 きんだい に祖先 そせん が所有 しょゆう していた荘園 しょうえん 名 めい ・帰属 きぞく する大 だい 部族 ぶぞく 名 めい を示 しめ す場合 ばあい が多 おお い。
また元々 もともと 部族 ぶぞく 名 めい 由来 ゆらい のニスバを元々 もともと 名乗 なの っていた家系 かけい でも途中 とちゅう で職業 しょくぎょう 名 めい や家長 かちょう 名 めい 由来 ゆらい のファミリーネームに切 き り替 か えるケースも多 おお く、家系 かけい をたどらないと何 なん 部族 ぶぞく の末裔 まつえい なのか分 わ からない場合 ばあい が多 おお い。
ラカブ
ラカブは本人 ほんにん のもつ尊称 そんしょう ・称号 しょうごう もしくはあだ名 な である。称号 しょうごう ・尊称 そんしょう については中世 ちゅうせい 以降 いこう 功績 こうせき あるに授与 じゅよ されていたもの、あだ名 な については身体 しんたい 的 てき 特徴 とくちょう 等 とう 由来 ゆらい のものである。例 たと えばアイユーブ朝 あさ の建設 けんせつ 者 しゃ ユースフ・ブン=アイユーブはサラーフッディーン (転訛 てんか した「サラディン」の名 な でよく知 し られている)のラカブを持 も っていたがこれは称号 しょうごう に相当 そうとう するものである。現代 げんだい ではそうした称号 しょうごう の授与 じゅよ は行 おこな われておらず、基本 きほん 的 てき にファーストネームであるイスムとして使 つか われている。
また身体 しんたい 的 てき 特徴 とくちょう 等 とう に由来 ゆらい するラカブについては家長 かちょう 名 めい として用 もち いられていたケースが多 おお いため、現代 げんだい ではファミリーネームとして用 もち いられていることがしばしばある。
以上 いじょう から分 わ かるように、本来 ほんらい アラブ人 じん には親子 おやこ 代々 だいだい が継承 けいしょう する姓 せい は厳密 げんみつ には存在 そんざい しないがファミリーネームに相当 そうとう する現代 げんだい では西欧 せいおう のファーストネーム、ラストネーム・ファミリーネームに影響 えいきょう された用法 ようほう が普及 ふきゅう してきており中世 ちゅうせい の人名 じんめい 録 ろく のような旧式 きゅうしき の人名 じんめい 表記 ひょうき が適用 てきよう できないケースもしばしば見受 みう けられる。
家名 かめい についてはその由来 ゆらい や文法 ぶんぽう 的 てき 用法 ようほう により複数 ふくすう のパターンがあり一律 いちりつ ではない。家名 かめい の種類 しゅるい にも地域 ちいき 性 せい がある。アラビア半島 はんとう のように大半 たいはん が大 だい 部族 ぶぞく に帰属 きぞく する地域 ちいき ではは定冠詞 ていかんし と語尾 ごび を形容詞 けいようし 形 がた にした「アル=◯◯イー」を用 もち いるが、分家 ぶんけ 名 めい を家名 かめい として用 もち いる場合 ばあい は「アール・某 ぼう 」「(アール)・アブー某 ぼう 」「(アール)・ビン某 ぼう 」などとなる。地中海 ちちゅうかい 沿岸 えんがん 地域 ちいき には職業 しょくぎょう 名 めい 由来 ゆらい の家名 かめい が多 おお く、大工 だいく ・陶工 とうこう ・鍛冶屋 かじや など実 じつ に多様 たよう である。日本 にっぽん や欧米 おうべい の人々 ひとびと には一般 いっぱん に姓 せい と見 み なされているウサーマ・ビン=ラーディン のビン=ラーディンは、何 なん 代 だい 前 まえ もの先祖 せんぞ 某 ぼう の名 な を使 つか った「ビン=某 ぼう 」がいわば『家名 かめい 』のようなものとして用 もち いられた例 れい にあたるが、ビン=ラーディンの場合 ばあい は近代 きんだい になってビン=ラーディン財閥 ざいばつ が形成 けいせい されたことによりビン=ラーディンファミリーという家名 かめい で広 ひろ く知 し られることとなった。(注 ちゅう ;ビン某 ぼう という家名 かめい はビン=ラーディン家 か 出身 しゅっしん のイエメンに多 おお い方式 ほうしき 。)
現代 げんだい において人名 じんめい はファーストネーム、ラストネームのみの2つだけを挙 あ げる方式 ほうしき が広 ひろ がっている。しかしながら国民 こくみん 登録 とうろく においては4つの名 な の記載 きさい を求 もと める国 くに が多 おお い。4つの名前 なまえ の記載 きさい をする場合 ばあい 人 じん によって異 こと なり、サウジアラビアのように部族 ぶぞく 成員 せいいん が多 おお い地域 ちいき では「本人 ほんにん の名 な +父 ちち の名 な +祖父 そふ の名 な +部族 ぶぞく 名 めい 由来 ゆらい 形容詞 けいようし 等 とう の家名 かめい 」が多 おお いが、姓 せい の使用 しよう が少 すく ないエジプトのような「本人 ほんにん の名 な +父 ちち の名 な +祖父 そふ の名 な +曽 そ 祖父 そふ の名 な 」というパターンもありまちまちである。部族 ぶぞく 成員 せいいん は家長 かちょう 名 めい を用 もち いたファミリーネームを名乗 なの っていることも多 おお いのでフルネームから出身 しゅっしん 部族 ぶぞく をい当 いあ てることは必 かなら ずしもできないが、出身 しゅっしん 大 だい 部族 ぶぞく 名 めい を形容詞 けいようし 化 か したニスバ(家名 かめい )を使 つか っている場合 ばあい は出自 しゅつじ が明確 めいかく に示 しめ される。
ちなみにアラビア半島 はんとう の元首 げんしゅ ファミリーは部族 ぶぞく 名 めい 由来 ゆらい の形容詞 けいようし 形 がた を名乗 なの りに用 もち いることは少 すく なく、たいていが「アール某 ぼう 」という分家 ぶんけ 名 めい を公的 こうてき なファミリーネームとしている。サウジアラビア王国 おうこく 場合 ばあい は元々 もともと の出身 しゅっしん 大部 たいぶ 族 ぞく (バヌー・ハニーファ)を示 しめ す形容詞 けいようし アル=ハナフィーは名乗 なの っておらず、分家 ぶんけ ・支族 しぞく の家長 かちょう 名 めい に由来 ゆらい する「アール・サウード」としている。サウジアラビア王国 おうこく 内 ない において家名 かめい がアール・サウードとなっている人間 にんげん は必 かなら ずサウード家 か の人間 にんげん である。家名 かめい は生涯 しょうがい 不変 ふへん がアラブ人名 じんめい の原則 げんそく であり、生 う まれた子供 こども は認知 にんち を受 う ける限 かぎ り必 かなら ず父親 ちちおや の家名 かめい を継承 けいしょう する。このため外 そと から嫁 とつ いできた女性 じょせい らはアール・サウードではないが、王女 おうじょ らの家名 かめい は全 すべ てアール・サウードとなる。
イラク の場合 ばあい は、元 もと 大統領 だいとうりょう サッダーム・フセイン・アブドゥル=マジード・アッ=ティクリーティー (Ṣaddām Ḥusayn ʿAbd al-Majīd al-Tikrītī) はティクリート 出身 しゅっしん のアブドゥルマジードの子 こ フセインの子 こ サッダームという意味 いみ である。アッ=ティクリーティーはアラブ人名 じんめい の現代 げんだい 的 てき 用法 ようほう により半 なか ば家名 かめい のように使 つか われており、本人 ほんにん がティクリートで生 う まれていなくとも子供 こども らが継承 けいしょう して名乗 なの っていた。長男 ちょうなん ウダイ・サッダーム・フセイン・アッ=ティクリーティー (Uday Saddām Husayn al-Tikrītī、厳密 げんみつ なアラビア語 ご 発音 はつおん はウダイイ)はティクリート出身 しゅっしん 家 か でフセインの子 こ サッダームの子 こ ウダイ、サッダームの次男 じなん クサイ・サッダーム・フセイン・アッ=ティクリーティー (Qusay Saddām Husayn al-Tikrītī、厳密 げんみつ なアラビア語 ご 発音 はつおん はクサイイ)はティクリート出身 しゅっしん 家 か でフセインの子 こ サッダームの子 こ クサイといった意味 いみ となる。
非 ひ アラブのイスラム教徒 きょうと の間 あいだ では、ペルシア語 ご で「息子 むすこ 」を意味 いみ する「ザーデ」、トルコ語 ご で「息子 むすこ 」を意味 いみ する「オウル(オグル、オール)」の語 かたり を、ナサブに該当 がいとう する部分 ぶぶん に用 もち いる他 ほか は、概 おおむ ねアラブ人 じん の名 な と似通 にかよ った名 な が伝統 でんとう 的 てき に使 つか われていた。しかし、トルコ とイラン ではそれぞれ1930年代 ねんだい に「創 そう 姓 せい 法 ほう 」が制定 せいてい され、全 すべ ての国民 こくみん に姓 せい をもつことが義務付 ぎむづ けられたため、上流 じょうりゅう 階級 かいきゅう はアラブと同 おな じように先祖 せんぞ の名前 なまえ や出自 しゅつじ に由来 ゆらい する『家名 かめい 』を姓 せい とし、庶民 しょみん は父 ちち の名 な 、あだ名 な 、居住 きょじゅう 地名 ちめい 、職業 しょくぎょう 名 めい や、縁起 えんぎ の良 よ い言葉 ことば を選 えら んで姓 せい をつけた。この結果 けっか 、両国 りょうこく では姓名 せいめい は「本人 ほんにん の名 な 」・「家 いえ の姓 せい 」の二 に 要素 ようそ に統合 とうごう された。例 たと えば、トルコ人 じん レジェップ・タイイップ・エルドアン (Recep Tayyip Erdoğan) はレジェップ・タイイップが名 な 、エルドアンが姓 せい であり、イラン人 じん マフムード・アフマディーネジャード (Mahmūd Ahmadīnejād) はマフムードが名 な 、アフマディーネジャードが姓 せい である。
トルコ では、1934年 ねん に導入 どうにゅう された創 そう 姓 せい 法 ほう によって、国民 こくみん 全員 ぜんいん が姓 せい を持 も つことが義務付 ぎむづ けられた。
また、旧 きゅう ソ連 それん のアゼルバイジャン ・トルクメニスタン ・ウズベキスタン ・タジキスタン ・キルギスタン ・カザフスタン やロシア に住 す むチェチェン人 じん などのイスラム教徒 きょうと は、長 なが くロシア人 じん の強 つよ い影響 えいきょう 下 か にあったために、スラブ語 ご の父 ちち 称 しょう を用 もち いたスラブ式 しき の姓 せい が一般 いっぱん 的 てき である。例 たと えば、アリーから創 つく られた姓 せい はアリエフ 、ラフマーンから創 つく られた姓 せい はラフモノフ と言 い い、ソビエト連邦 れんぽう 解体 かいたい 後 ご もそのまま使 つか われている。
日本 にっぽん ではイスラム教 いすらむきょう に入信 にゅうしん した者 もの がハサン中田 なかだ 考 こう のようにムスリム名 めい を本名 ほんみょう に繋 つな げる例 れい もある。イスラム教徒 きょうと やイスラム教 いすらむきょう 圏 けん 出身 しゅっしん 者 しゃ と日本人 にっぽんじん の間 あいだ に生 う まれた子供 こども の場合 ばあい は伝統 でんとう 的 てき な名前 なまえ 、父 ちち 姓 せい +日本 にっぽん 名 めい 、日本 にっぽん 姓 せい +イスムなどがある。ガーナ 人 ひと の父親 ちちおや と日本人 にっぽんじん の母 はは の間 あいだ に生 う まれた陸上 りくじょう 選手 せんしゅ のサニブラウン・アブデル・ハキーム は「アブデルハキーム(賢 かしこ き者 しゃ の僕 ぼく )」という伝統 でんとう 的 てき な命名 めいめい であり、イラン 人 ひと のダルビッシュセファット[注釈 ちゅうしゃく 11] ・ファルサと日本人 にっぽんじん の母 はは の間 あいだ に生 う まれたダルビッシュ・セファット・ファリード・有 ゆう は「ファリード・有 ゆう 」の部分 ぶぶん が「アリー・ファリード(比類 ひるい なきアリー)」という伝統 でんとう 的 てき な名前 なまえ と漢字 かんじ を組 く み合 あ わせた名前 なまえ となっている。
キリスト教 きりすときょう 圏 けん の名前 なまえ
編集 へんしゅう
キリスト教 きりすときょう 圏 けん では、姓 せい についての慣習 かんしゅう は各国 かっこく 語 ご 圏 けん で異 こと なるが、名 な については聖人 せいじん ・天使 てんし に由来 ゆらい する名前 なまえ が好 この んで付 つ けられる。例 たと えば、「マイケル 」(英語 えいご )・「ミヒャエル 」(ドイツ語 ご )・「ミシェル 」(フランス語 ふらんすご )・「ミケーレ 」(イタリア語 ご )・「ミゲル 」(スペイン語 ご )・「ミハイル 」(ロシア語 ご )・「ミカ 」(フィンランド語 ご )は、すべて大 だい 天使 てんし ミカエル に由来 ゆらい する名 な である。その他 た 、聖書 せいしょ に登場 とうじょう する人物 じんぶつ や、キリスト教 きょう の聖人 せいじん に由来 ゆらい する名 な が多 おお い。ポール・パウル・パオロ・パブロ・パヴェル(聖 ひじり パウロ )、ジョン・ハンス・ヨハン・ヨハネス・ジャン・ジョヴァンニ・フアン・ジョアン・イヴァン・ヨアニス・ヤン・ショーン(使徒 しと ヨハネ )、ルイス・ルートヴィヒ・ロドヴィコ・ルイージ・ルドヴィクス(聖 ひじり ルイ )など。
また、古代 こだい ローマ人 じん の名 な を由来 ゆらい とすることも多 おお い(例 れい :ジュリアス←ガイウス・ユリウス・カエサル の「ユリウス」の英語 えいご 読 よ み)。女性 じょせい については、花 はな などの名前 なまえ を付 つ けることも多 おお い(例 れい :ローズ←バラ )。
また、修道 しゅうどう 士 し は基本 きほん 的 てき に本名 ほんみょう は呼 よ ばれず、日本 にっぽん の僧侶 そうりょ などと同 おな じく、修道 しゅうどう 名 めい でのみで知 し られる事例 じれい が多 おお い。
アイスランド では、家系 かけい に共通 きょうつう の姓 せい はない。姓名 せいめい は通常 つうじょう 、子供 こども の名 な と、父 ちち の名 な の語尾 ごび に接尾 せつび 語 ご を加 くわ えた名 な の2つの部分 ぶぶん からなる。詳細 しょうさい はアイスランド人 じん の名前 なまえ を参照 さんしょう 。
英語 えいご 圏 けん の名前 なまえ
編集 へんしゅう
アメリカ独立 どくりつ 宣言 せんげん に記 しる されたジョン・ハンコック の署名 しょめい
英語 えいご 圏 けん の姓名 せいめい は多 おお くの場合 ばあい 、3つの構成 こうせい 要素 ようそ からなる。ファーストネーム、ミドルネーム、ラストネームである。ファーストネームはギブンネーム (given name ) とも呼 よ ばれ、ラストネームはサーネーム (surname )、ファミリーネーム (family name ) などとも呼 よ ばれる。
ラストネームは、日本 にっぽん における姓 せい とほぼ同 おな じもので、父系 ふけい の家系 かけい を通 つう じて受 う け継 つ がれる。稀 まれ に、母 はは のラストネームが父 ちち のラストネームとハイフン でつながれて子 こ に受 う け継 つ がれることなどもある。
ミドルネームはファーストネームと同時 どうじ に親 おや が、同姓 どうせい 同名 どうめい の別人 べつじん がいた場合 ばあい に備 そな えて名付 なづ けるもので(一般 いっぱん には洗礼 せんれい 名 めい )、多 おお くの場面 ばめん でイニシャル だけの省略 しょうりゃく 系 けい が用 もち いられる(ミドルイニシャルと呼 よ ばれる)。稀 まれ にイニシャルのみで、略称 りゃくしょう でさえもない場合 ばあい もある。好例 こうれい がハリー・S・トルーマン で、このようにイニシャルだけを与 あた えることはアメリカ南部 なんぶ に見 み られた風習 ふうしゅう だとされる(トルーマンは「“エス”というミドルネームだ」と冗談 じょうだん を言 い った)。なお、ミドルネームが無 な い場合 ばあい もある。
西欧 せいおう 社会 しゃかい では女性 じょせい は結婚 けっこん と共 とも にそれまでの姓 せい を夫 おっと の姓 せい に換 か えることが普通 ふつう であったが、アメリカでは、20世紀 せいき 中 なか ごろから女性 じょせい が結婚 けっこん 後 ご も姓 せい を変 か えない風習 ふうしゅう がひろまりつつある。また、両者 りょうしゃ の姓 せい を併記 へいき するカップルもいる。ヒラリー・ローダム・クリントン のように旧姓 きゅうせい と夫 おっと の姓 せい を組 く み合 あ わせて(「ローダム」はヒラリーの旧姓 きゅうせい である)名前 なまえ を作 つく る例 れい もある。
オランダ では前置詞 ぜんちし 「van 」(ファン)を含 ふく んだ姓 せい (surname ) が多 おお く見 み られる。van は英語 えいご of あるいは from の意味 いみ を持 も ち、出身 しゅっしん 地 ち を示 しめ すが、現代 げんだい ではもとの意味 いみ はほとんど失 うしな われている。英語 えいご 圏 けん で見 み られるようなミドルネームは持 も たない。複数 ふくすう の個人 こじん 名 めい (given name ) を持 も つこともあるが、日常 にちじょう 的 てき に用 もち いるのはそのうちの1つだけであり、ほとんどの場合 ばあい はファーストネームを使 つか う。そのため大 だい 部分 ぶぶん の人 ひと はファーストネーム・サーネームの組 く み合 あ わせで広 ひろ く知 し られることになるが、フルネームで最 もっと も良 よ く認識 にんしき されている場合 ばあい もある。貴族 きぞく の家系 かけい では Huyssen van Kattendijke などの複 ふく 合 あい 姓 せい (double surname ) を持 も つこともあり、この場合 ばあい Huyssen はファーストネームではない。ナイト に対応 たいおう する称号 しょうごう としては ridder が知 し られる。
ファーストネームが複雑 ふくざつ な場合 ばあい には省略 しょうりゃく した通称 つうしょう で呼 よ ばれることもあり、例 たと えば Hiëronymus(ヒエロニムス) (オランダ語 ご 版 ばん ) は通称 つうしょう でJeroen(イェルン) (英語 えいご 版 ばん ) などと呼 よ ばれる。大 おお きな契約 けいやく や結婚 けっこん 、IDカードなど以外 いがい には通称 つうしょう を用 もち いるのが普通 ふつう である。複数 ふくすう の個人 こじん 名 めい を持 も っている場合 ばあい 、通称 つうしょう も複数個 ふくすうこ からなるものを用 もち いることがある。
結婚 けっこん の際 さい には、夫 おっと の氏 し は不変 ふへん で、妻 つま は夫 おっと の姓 せい (同姓 どうせい )または自己 じこ の姓 せい (別姓 べっせい )を称 しょう することを選択 せんたく 可能 かのう である。妻 つま は自己 じこ の姓 せい を後 こう 置 おけ することもできる[59] 。
オットー・フォン・ビスマルク の署名 しょめい
18世紀 せいき ドイツにおいては、洗礼 せんれい の際 さい にミドルネームが与 あた えられることがあった(必 かなら ず与 あた えられたわけではない)。もしミドルネームが与 あた えられた場合 ばあい には、その人 ひと はそのミドルネームで知 し られることになり、ファーストネームは余 あま り用 もち いられなかった。しばしば教会 きょうかい の記録 きろく などでもファーストネームが省略 しょうりゃく され、ミドルネームとラストネームだけが用 もち いられた。また、ある一家 いっか の男 おとこ の子 こ 達 たち が全員 ぜんいん ヨハネスというファーストネームを持 も つ、というようなこともあった。この場合 ばあい でも、洗礼 せんれい と共 とも に各人 かくじん に別々 べつべつ の名前 なまえ が与 あた えられ、その名前 なまえ が用 もち いられるようになるため、問題 もんだい がなかったとされる。
また、女性 じょせい のファミリーネームを記録 きろく する際 さい には元 もと の名前 なまえ の最後 さいご にinを付 ふ す習慣 しゅうかん があった(例 たと えば「Hahn」が「Hahnin」と書 か かれる)。また、一家 いっか で最初 さいしょ に生 う まれた男 おとこ の子 こ には父方 ちちかた の祖父 そふ の名 な を、一家 いっか で最初 さいしょ に生 う まれた女 おんな の子 こ には母方 ははかた の祖母 そぼ の名 な をつけることがしばしば見 み られた。「花 はな の咲 さ く土地 とち 」を意味 いみ すると思 おも われる姓 せい Floryに、他 ほか にもFlori、Florea、Florey、Flurry、Flury、Florie、など似 に た姓 せい が数多 かずおお くある。これはその姓 せい を持 も っていた人々 ひとびと が文字 もじ を書 か くことができず、名前 なまえ を発音 はつおん することはできても綴 つづ ることができなかったため、筆記 ひっき を行 おこな った人 ひと によって異 こと なる綴 つづ りになったと考 かんが えられる。貴族 きぞく はその領地 りょうち 名 めい や爵位 しゃくい 名 めい や城 しろ 名 めい などと「~の」を意味 いみ する「von 」をつけて姓 せい のように用 もち いた(例 れい :ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ )。
なお、現代 げんだい ドイツでは選択 せんたく 的 てき 夫婦 ふうふ 別姓 べっせい が導入 どうにゅう されており、婚姻 こんいん 時 じ の夫婦 ふうふ の姓 せい は、婚姻 こんいん 時 じ に夫婦 ふうふ の姓 せい を定 さだ める、あるいは定 さだ めない場合 ばあい は別姓 べっせい となる。
日本 にっぽん の夫婦 ふうふ 同姓 どうせい のお手本 てほん になったとされるが、ドイツ国内 こくない においては、伝統 でんとう 的 てき には家族 かぞく 名 めい としての姓 せい を用 もち い、1957年 ねん までのドイツ民法 みんぽう の条文 じょうぶん は、妻 つま は夫 おっと の氏 し を称 しょう するとされていた。[60]
1957年 ねん 、妻 つま が出生 しゅっしょう 氏 し を二 に 重 じゅう 氏 し として付加 ふか できるとする法 ほう 改正 かいせい が行 おこな われ、1976年 ねん の改正 かいせい では婚 こん 氏 し 選択 せんたく 制 せい を導入 どうにゅう し、婚 こん 氏 し として妻 つま の氏 し を選択 せんたく する可能 かのう 性 せい を認 みと めたが、決定 けってい されない場合 ばあい は夫 おっと の氏 し を婚 こん 氏 し とするとされた。
しかし、1991年 ねん 3月 がつ 5日 にち の連邦 れんぽう 憲法 けんぽう 裁判所 さいばんしょ の決定 けってい が両性 りょうせい の平等 びょうどう 違反 いはん としてこの条文 じょうぶん を無効 むこう とし、人間 にんげん の出生 しゅっしょう 氏 し が個性 こせい 又 また は同一 どういつ 性 せい の現 あらわ れとして尊重 そんちょう され保護 ほご されるべきことを明言 めいげん した。その結果 けっか 、1993年 ねん の民法 みんぽう 改正 かいせい で[61] 、夫婦 ふうふ の姓 せい を定 さだ めない場合 ばあい は別姓 べっせい になるという形 かたち で選択 せんたく 的 てき 夫婦 ふうふ 別姓 べっせい となった[62] 。
ウラジーミル・レーニン の署名 しょめい
ロシア人 じん の名前 なまえ をフルネームで表記 ひょうき する時 とき は、原語 げんご での順序 じゅんじょ は「名 な ・ミドルネーム・姓 せい 」となる。但 ただ し公式 こうしき 文書 ぶんしょ 等 とう では「姓 せい ,名 な ・ミドルネーム」と書 か かれる(例 たと えば、在 ざい ユジノサハリンスク日本国 にっぽんこく 総領事館 そうりょうじかん のサイトの2022年 ねん 10月 がつ の現地 げんち 政治 せいじ 概況 がいきょう 紹介 しょうかい ページではロシア側 がわ の政治 せいじ 家 か の名前 なまえ は全 すべ て「姓 せい ・名 めい ・父 ちち 称 しょう 」の順 じゅん となる[63] )。公式 こうしき な場 ば (例 たと えば大統領 だいとうりょう へのインタビュー等 とう )での呼 よ び掛 か け、あるいは目上 めうえ の人 ひと に対 たい する呼 よ び掛 か けでは「名 な ・ミドルネーム」が使用 しよう される。それ以外 いがい では、呼 よ び掛 か けには専 せん ら名 めい の愛称 あいしょう 形 がた が使用 しよう される。ミドルネームは父 ちち 称 しょう (ふしょう;Отчество )といい父親 ちちおや の名前 なまえ を基 もと にして作 つく るので性別 せいべつ を同 おな じくする同 どう 父 ちち 兄弟 きょうだい のミドルネームと姓 せい は必 かなら ず同一 どういつ となる。性別 せいべつ を同 おな じくすると特 とく にことわるのは、ロシア語 ご には文法 ぶんぽう 上 うえ の性 せい として男性 だんせい 、中性 ちゅうせい 、女性 じょせい の三 さん 性 せい がありロシア人 じん のミドルネーム・姓 せい は殆 ほとん ど全 すべ ての場合 ばあい 個人 こじん の生物 せいぶつ 学 がく 上 じょう の性 せい に依 よ って男性 だんせい 形 がた ・女性 じょせい 形 がた の異 こと なる語尾 ごび を採 と る為 ため である[注釈 ちゅうしゃく 12] 。
ロシア人 じん の父 ちち 称 しょう の付 つ け方 かた
父 ちち の名 な の語尾 ごび
父 ちち 称 しょう
男性 だんせい 形 がた
女性 じょせい 形 がた
-a/-ja
-ich
-ichna/-inichna
-i/-ji
-jevich
-jevna
(子音 しいん )
-ovich
-ovna
父 ちち 称 しょう は父親 ちちおや の名前 なまえ にその語尾 ごび の音 おと に応 おう じた適切 てきせつ な語尾 ごび を付加 ふか して作 つく られる(右 みぎ 表 ひょう 参照 さんしょう )。父 ちち 称 しょう の男性 だんせい 形 がた は男性 だんせい のミドルネーム・女性 じょせい 形 がた は女性 じょせい のミドルネームに用 もち いられる。
例 たと えば父 ちち の名 な が1) "Илья "(Ilija、イリヤ)、2) Николай (Nikolaji、ニコライ)、3) Иван (Ivan、イヴァン)の三 みっ つの場合 ばあい で父 ちち 称 しょう 男性 だんせい 形 がた はそれぞれ、1) Ильич (Iliich、イリイチ)、2) Николаевич (Nikolajevich、ニコラエヴィチ)、3) Иванович (Ivanovich、イワノヴィチ)とそれぞれ変化 へんか し、一方 いっぽう 父 ちち 称 しょう 女性 じょせい 形 がた は、1) Ильинична (イリイニチナ)、2) Николаевна (Nikolajevna、ニコラエヴナ)、3) Ивановна (Ivanovna、イヴァノヴナ)となる。現代 げんだい 男性 だんせい 名 めい では「---イチ」の形 かたち が父 ちち 称 しょう に多 おお くなってはいるが、中世 ちゅうせい までは「-ш 、-シ」(「〜の息子 むすこ 」という意味合 いみあ い)という語尾 ごび を採 と る父 ちち 称 しょう が多 おお かった。これらは南部 なんぶ スラヴ人種 じんしゅ (ブルガリア など)に一部 いちぶ 残 のこ っている傾向 けいこう がある.
姓 せい の部分 ぶぶん は形容詞 けいようし の変化 へんか に準 じゅん じて男性 だんせい 形 がた ・女性 じょせい 形 がた となる。-ский (-skij)、-ин (-in)、-ев (-jev)、-ов (-ov) 等 とう は地名 ちめい などについてその場所 ばしょ に帰属 きぞく する、又 また は出身 しゅっしん である等 とう を示 しめ してスラブ人 じん の姓 せい を造 つく る接尾 せつび 辞 じ であるが、これらは形容詞 けいようし 男性 だんせい 形 がた で対応 たいおう する形容詞 けいようし 女性 じょせい 形 がた 語尾 ごび は、-ская (-skaja)、-ина (-ina)、-ева (-jeva)、-ова (-ova) 等 とう となる(-in, -jev, -ovは姓 せい に限 かぎ らず一般 いっぱん に名詞 めいし に付 つ けて物 もの 主 ぬし 形容詞 けいようし を造 つく る接尾 せつび 辞 じ である)。こうして自分 じぶん の名 な がニコライ、姓 せい がカレーニンで父 ちち の名 な がイヴァンという男性 だんせい の場合 ばあい はニコライ・イヴァノヴィチ・カレーニンが正式 せいしき なフルネームとなる。この人 ひと の姉妹 しまい で、アンナという女性 じょせい の場合 ばあい は、アンナ・イヴァノヴナ・カレーニナがフルネームとなる。またストラヴィンスキーなどの姓 せい は女性 じょせい の場合 ばあい ストラヴィンスカヤとなる。ロストフ (Rostov) というような姓 せい は女性 じょせい だとロストヴァ (Rostova) となる。なお注視 ちゅうし すべきはウクライナ系 けい の「~エンコ」(-енко )やグルジア系 けい の「~シヴィリ」(-швили )などは男女 だんじょ とも中性 ちゅうせい 名詞 めいし であり、性別 せいべつ 関係 かんけい 無 な く無 む 変化 へんか の場合 ばあい や、「~イチ」(-ич )やアルメニア系 けい の「~ヤン」(-ян )などのロシア人 じん の姓名 せいめい に付 つ いては歴史 れきし 的 てき 経緯 けいい から、同姓 どうせい で男性 だんせい のみ格 かく 変化 へんか を起 お こす場合 ばあい があるなど、個々 ここ の相違 そうい 点 てん が見 み られる。
ウクライナ人 じん の名前 なまえ をフルネームで表記 ひょうき する時 とき は、一般 いっぱん では「名 な ・父 ちち 称 しょう ・姓 せい 」の順番 じゅんばん だが[64] 、公式 こうしき 文書 ぶんしょ などでの順序 じゅんじょ は「姓 せい ・名 めい ・父 ちち 称 しょう 」となる[65] 。日本 にっぽん で言論 げんろん 活動 かつどう を行 おこな っているウクライナ人 じん のグレンコ・アンドリー [66] [67] 、ナザレンコ・アンドリー [68] [69] は、いずれも「姓 せい ・名 めい 」の表記 ひょうき を用 もち いている。
フランス ではナポレオン法典 ほうてん によって子供 こども につけられる名前 なまえ が聖人 せいじん の名前 なまえ などに限定 げんてい されたことがある。Jean-PaulやJean-Lucのような2語 ご からなるファーストネームがフランスで一般 いっぱん 化 か したのは、そのような状況 じょうきょう の中 なか で名前 なまえ に独自 どくじ 性 せい を持 も たせようとした当時 とうじ の工夫 くふう のためである。フランスでは子供 こども に付 つ けられる名前 なまえ が少 すく なく(アラン、フィリップなど)、同 おな じ名前 なまえ の人物 じんぶつ が多数 たすう いる。また、婚姻 こんいん によって姓 せい が強制 きょうせい 的 てき に変 か わることはない(別姓 べっせい )。
この名付 なづ けの制限 せいげん は、1966年 ねん に僅 わず かに緩和 かんわ され、つづりが違 ちが う名前 なまえ や外国 がいこく 風 ふう の名前 なまえ も認 みと められるようになった。そして、1993年 ねん 、名前 なまえ に関 かん する制限 せいげん はほぼ撤廃 てっぱい され、両親 りょうしん が子 こ の名前 なまえ を自由 じゆう に選 えら べるようになった。しかし、奇妙 きみょう な名前 なまえ については、司法 しほう 当局 とうきょく が却下 きゃっか することがある[70] 。
スペイン語 ご 圏 けん の名前 なまえ
編集 へんしゅう
スペイン本土 ほんど では一般 いっぱん に「名 な 、父 ちち の第 だい 一 いち 姓 せい 、母 はは の第 だい 一 いち 姓 せい 」で構成 こうせい される。これが繰 く り返 かえ されることにより母方 ははかた の姓 せい は孫 まご の代 だい には消 き えてしまうが、希望 きぼう すれば母方 ははかた の姓 せい を第 だい 一 いち 姓 せい にすることも可能 かのう である。また結婚 けっこん しても名前 なまえ が変 か わらない。つまり、生 う まれた時 とき の名 な が一生 いっしょう 続 つづ くのである。したがって、両親 りょうしん が再婚 さいこん した場合 ばあい など、兄弟 きょうだい 同士 どうし でも姓 せい が異 こと なる。
中南米 ちゅうなんべい のスペイン語 ご 圏 けん では、姓 せい は他 た の多 おお くの国 くに と同 おな じ様 さま に、基本 きほん 的 てき に父方 ちちかた から子 こ へと父系 ふけい 相続 そうぞく で伝 つた えられるのが基本 きほん となるが、個人 こじん の姓名 せいめい を構成 こうせい する部分 ぶぶん の数 かず は人 ひと によって異 こと なる。名 な が最初 さいしょ に来 く る点 てん では共通 きょうつう で、それに続 つづ く部分 ぶぶん は父方 ちちかた の姓 せい と母方 ははかた の姓 せい の一部 いちぶ または全部 ぜんぶ からなる。例 たと えば「名 な 、父方 ちちかた の祖父 そふ の姓 せい 、母方 ははかた の祖父 そふ の姓 せい 」と3つの部分 ぶぶん からなる名前 なまえ がある。あるいは「名 な 、父方 ちちかた の祖父 そふ の姓 せい 、母方 ははかた の祖父 そふ の姓 せい 、父方 ちちかた の祖母 そぼ の姓 せい 」「名 な 、父方 ちちかた の祖父 そふ の姓 せい 、父方 ちちかた の祖母 そぼ の姓 せい 、母方 ははかた の祖父 そふ の姓 せい 」「名 な 、父方 ちちかた の祖父 そふ の姓 せい 、父方 ちちかた の祖母 そぼ の姓 せい 、母方 ははかた の祖父 そふ の姓 せい 、母方 ははかた の祖母 そぼ の姓 せい 」と4つまたは5つの部分 ぶぶん からなる姓名 せいめい を持 も つ場合 ばあい もある。
名 な の場合 ばあい は一 ひと つの名 な によって構成 こうせい される単純 たんじゅん 名 めい と、二 ふた つの名 な (それ以上 いじょう の場合 ばあい もある)によって構成 こうせい される複 ふく 合名 ごうめい もある。たとえば政治 せいじ 家 か のホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ のホセ・ルイスは複 ふく 合名 ごうめい である。複 ふく 合名 ごうめい の人 ひと に対 たい し、呼 よ び掛 か ける場合 ばあい は、フォーマルな場面 ばめん では省略 しょうりゃく は通常 つうじょう しないが、親 した しい間柄 あいだがら 、インフォーマルな場面 ばめん では、どちらか一方 いっぽう を使用 しよう することが一般 いっぱん 的 てき で、どちらを使 つか うかは自由 じゆう で、呼 よ ばれる側 がわ が希望 きぼう する場合 ばあい もあるし、同 おな じ人 じん に対 たい して、ある人 ひと は第 だい 一 いち 要素 ようそ のほうを、別 べつ の人 ひと は第 だい 二 に 要素 ようそ のほうを呼 よ ぶということもある。また、多 おお くの場合 ばあい 名前 なまえ には決 き められた愛称 あいしょう 形 がた があり、それで呼 よ ぶことも多 おお い。また、複 ふく 合名 ごうめい にはホセ・マリーアや、マリーア・ホセのようなものもあり、前者 ぜんしゃ は男性 だんせい 名 めい で、後者 こうしゃ は女性 じょせい 名 めい である。
例 れい :
Juan Ramón Jiménez Mantecón (Jiménez が父方 ちちかた の姓 せい 、Mantecón が母方 ははかた の姓 せい で、Juan Ramón は複 ふく 合名 ごうめい )
そしてその妻 つま のZenobia Camprubí Aymar (Camprubí が父方 ちちかた の姓 せい 、Aymar が母方 ははかた の姓 せい )は
Zenobia Camprubí Aymar de Jiménez が公的 こうてき な正式 せいしき 名 めい [要 よう 出典 しゅってん ] となる。
また、例 れい としてはパブロ・ピカソ#名前 なまえ も参照 さんしょう 。
ポルトガル語 ご 圏 けん の名前 なまえ
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ポルトガル語 ご 圏 けん では、姓名 せいめい の構成 こうせい はスペイン語 ご 圏 けん によく似 に ているが、姓名 せいめい に父方 ちちかた の姓 せい と母方 ははかた の姓 せい を並称 へいしょう する場合 ばあい は「名 な 、母方 ははかた の祖父 そふ の姓 せい 、父方 ちちかた の祖父 そふ の姓 せい 」の語順 ごじゅん となり、スペイン語 ご 圏 けん と反対 はんたい である。
ポルトガルでは、婚姻 こんいん の際 さい は、姓 せい を変更 へんこう しないこと、または、従来 じゅうらい の姓 せい に相手 あいて の姓 せい を加 くわ えることの、いずれかを選 えら べる。ポルトガルでは、多 おお くの場合 ばあい は、ファーストネーム - 第 だい 二 に 姓 せい (父方 ちちかた の姓 せい )で呼 よ ぶのが一般 いっぱん 的 てき である。
また、ブラジルでは、フルネームが長 なが くなることと、名字 みょうじ で呼 よ ぶ習慣 しゅうかん がないことなどから、名前 なまえ で呼 よ ぶことが多 おお いが、名前 なまえ の種類 しゅるい が少 すく ないため、特 とく にサッカー選手 せんしゅ の登録 とうろく 名 めい などでは、一部 いちぶ を変化 へんか させた愛称 あいしょう (ロナウジーニョ )、出身 しゅっしん 地 ち の地名 ちめい などに由来 ゆらい する愛称 あいしょう (ジュニーニョ・パウリスタ 、パウリスタ は「サンパウロ の」という意味 いみ )、その他 た の理由 りゆう による愛称 あいしょう (ジーコ 、「痩 や せっぽち」の意 い )などで呼称 こしょう されることが多 おお い。また、名字 みょうじ も含 ふく めて表記 ひょうき される場合 ばあい もあるが、その場合 ばあい 多 おお くはポルトガルと同様 どうよう 、基本 きほん 的 てき にファーストネーム - 第 だい 二 に 姓 せい (父方 ちちかた の姓 せい )で表記 ひょうき される。
古代 こだい ローマ人 じん の名前 なまえ
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古代 こだい ローマ の自由 じゆう 人 じん 男性 だんせい の氏名 しめい は多 おお くの場合 ばあい 3〜4の部分 ぶぶん からなっていた。個人 こじん の名前 なまえ 、氏族 しぞく の名前 なまえ 、家族 かぞく の名前 なまえ 、および添 そ え名 めい である。例 たと えばガイウス・ユリウス・カエサル は、「ユリウス氏 し 族 ぞく のカエサル家 か のガイウス」という名 な であった。このうち個人 こじん 名 めい のバリエーションは少 すく なく、20種類 しゅるい ほどに限 かぎ られていた。そしてクィントゥスは日本語 にほんご 的 てき には「五郎 ごろう 」といった感 かん じで数字 すうじ 由来 ゆらい の名 な を付 つ けることも多 おお い。また個人 こじん 名 めい はバリエーションが少 すく ないこともあって略 りゃく して記 しる されることも少 すく なくない。以下 いか はその対応 たいおう 。
長男 ちょうなん は父 ちち の名前 なまえ をそのまま受 う け継 つ ぐことが多 おお く、一族 いちぞく で同 おな じ名前 なまえ が頻出 ひんしゅつ するため「マイヨル(大 だい )」や「ミノル(小 しょう )」を付 つ けて区別 くべつ した。自由 じゆう 人 じん 女性 じょせい には個人 こじん 名 めい はなく、父 ちち の名前 なまえ のうち個人 こじん の名前 なまえ を除 のぞ く部分 ぶぶん の女性 じょせい 形 がた が用 もち いられた。たとえば「プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル 」の娘 むすめ は「コルネリア・スキピオニス・アフリカナ 」と呼 よ ばれた。この場合 ばあい 、氏族 しぞく の名前 なまえ が個人 こじん の名前 なまえ の役割 やくわり を果 は たした。またあだ名 な を用 もち いることも多 おお かった。娘 むすめ が二 に 人 にん 以上 いじょう いる場合 ばあい 、ユリア・セクンダ(「二人 ふたり 目 め のユリア」)などというように数 かぞ えられて呼 よ ばれていた。
養子 ようし の場合 ばあい にはもとの姓 せい を家族 かぞく 名 めい の後 うし ろにつけた。例 たと えば、オクタウィアヌス の場合 ばあい 「ガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス」がカエサル家 か に養子 ようし となった後 のち は「ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス」となった。
添 そ え名 めい は国家 こっか に功績 こうせき のある場合 ばあい などに元老 げんろう 院 いん の決議 けつぎ などにより与 あた えられた。多 おお くアフリカヌス、ゲルマニクスなど勲功 くんこう を上 あ げた土地 とち の名 な にちなんで与 あた えられた。また出身 しゅっしん 地 ち の名称 めいしょう からとられることもあった。こうした添 そ え名 めい は一 いち 代 だい 限 かぎ りのものも多 おお かったが世襲 せしゅう を許 ゆる され、家族 かぞく 名 めい として用 もち いられるものもあった。
その他 た の文化 ぶんか 圏 けん における名前 なまえ
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インド については、インド人 じん の名前 なまえ を参照 さんしょう 。
メソポタミア のシュメール では記録 きろく 上 じょう 最古 さいこ の個人 こじん 名 めい としてクシムという人名 じんめい (組織 そしき 説 せつ も有 あ り)が会計 かいけい 記録 きろく の粘土 ねんど 板 ばん に登場 とうじょう する。
ユダヤ人 じん の名前 なまえ については、ユダヤ人 じん の姓名 せいめい を参照 さんしょう 。
エチオピア 人 ひと は、ベトナムを除 のぞ くインドシナ半島 いんどしなはんとう やマレーシア、インドネシア同様 どうよう に姓 せい ・氏 し ・苗字 みょうじ に当 あた る呼称 こしょう がなく、「本人 ほんにん 名 めい +父親 ちちおや 名 めい (+祖父 そふ 名 めい )」が基本 きほん である。イスラム圏 けん の名前 なまえ に似 に るが、クンヤ・イサブ・ニスバ・ラカブなどに当 あ たるものはない。「アベベ・ビキラ 」はアベベが本人 ほんにん の名 な 、ビキラが父 ちち の名 な である。日本 にっぽん では、1960年代 ねんだい に活躍 かつやく したアベベやマモ・ウォルデ は本人 ほんにん 名 めい を略称 りゃくしょう として報道 ほうどう されていたが、1970年代 ねんだい 以降 いこう のミルツ・イフター 、ベライン・デンシモ 、ファツマ・ロバ 、ハイレ・ゲブレセラシェ らは父親 ちちおや 名 めい をファミリーネームのように扱 あつか って略 りゃく することが多 おお い。「本人 ほんにん の特定 とくてい 」という意味 いみ ではこれは誤 あやま りである。
日本 にっぽん においては、戸籍 こせき 法 ほう によって戸籍 こせき として使用 しよう できる漢字 かんじ は、簡単 かんたん な人名 じんめい 用 よう 漢字 かんじ から使用 しよう するよう決 き められている。問題 もんだい になるような命名 めいめい がなされると、命名 めいめい 権 けん の濫用 らんよう として出生 しゅっしょう 届 とどけ を拒否 きょひ される。外国 がいこく においては、アイスランド人 じん の名前 なまえ などのように事前 じぜん のリストから選 えら ばれたり、問題 もんだい がある命名 めいめい に罰金 ばっきん 刑 けい が制定 せいてい されている場合 ばあい がある。
フランス - 1993年 ねん まで、ナポレオン が制定 せいてい に関 かか わったフランス民法 みんぽう 典 てん によって付 つ けられる名前 なまえ に制限 せいげん があった[71] 。それ以降 いこう は、問題 もんだい がない限 かぎ り自由 じゆう な名前 なまえ が付 つ けられる。
ドイツ - 人口 じんこう 動態 どうたい 統計 とうけい 局 きょく (ドイツ語 ご 版 ばん ) で許可 きょか される必要 ひつよう がある。ナチス時代 じだい には、ユダヤ人 じん が名乗 なの るべき名前 なまえ と他 た の国民 こくみん が名乗 なの る名前 なまえ のリストがあり、そこから付 つ けるよう法律 ほうりつ が制定 せいてい された[72] 。
スウェーデン - 1901年 ねん 12月5日 にち に、貴族 きぞく ではない者 もの が貴族 きぞく の名前 なまえ を名乗 なの るのを禁止 きんし するため、スウェーデンの命名 めいめい 規則 きそく (英語 えいご 版 ばん ) が制定 せいてい された。後 のち に、宗教 しゅうきょう 的 てき な名称 めいしょう やキラキラネームに罰金 ばっきん が生 しょう じるよう改定 かいてい された。
ニュージーランド - ニュージーランド内務省 ないむしょう が命名 めいめい を承認 しょうにん する。名前 なまえ が階級 かいきゅう や肩書 かたが きに似 に ている(プリンセス、ロイヤル、裁判官 さいばんかん を意味 いみ するジャスティスなど)、長 なが すぎる(70文字 もじ 以内 いない )、数字 すうじ や句読点 くとうてん やバックスラッシュなどの記号 きごう を使用 しよう している、または人 ひと に不快 ふかい 感 かん を与 あた える場合 ばあい などに拒否 きょひ される。毎年 まいとし 、拒否 きょひ された名前 なまえ のリストが公開 こうかい される[73] 。
トルコの命名 めいめい 法 ほう (英語 えいご 版 ばん ) 。1934年 ねん 6月 がつ 21日 にち までは苗字 みょうじ はなかった。この法律 ほうりつ 制定 せいてい 後 ご 、すべての国民 こくみん は苗字 みょうじ を名乗 なの る義務 ぎむ が発生 はっせい した。使用 しよう 言語 げんご はトルコ語 ご でなければならない。
^ 作家 さっか ・安部 あべ 公房 こうぼう は本名 ほんみょう 「きみふさ」だが、筆名 ひつめい 「こうぼう」と読 よ ませるなど、逆 ぎゃく に使 つか い分 わ ける場合 ばあい もある。
^ 言霊 ことだま 信仰 しんこう が影響 えいきょう している可能 かのう 性 せい がある。
^ 日本 にっぽん では、寿 ことぶき 限 げん 無 な の噺 はなし において、縁起 えんぎ のよい特別 とくべつ な名 な を付 つ けようとする笑 わら い話 ばなし がある。縁起 えんぎ のよい名 な を重 かさ ねたものを名 な とする実例 じつれい としては、洗礼 せんれい 名 めい であるが、たとえばモーツァルト のそれがある。すなわちヨハンネス・クリゾストムス・ヴォルフガングス・テオフィルス・モーツァルト (Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart)。3人 にん の聖人 せいじん の名 な を冠 かん する。
^ 基本 きほん 的 てき には、その文化 ぶんか の言語 げんご においての被 ひ 修飾 しゅうしょく 句 く と修飾 しゅうしょく 句 く の順 じゅん に沿 そ うことが多 おお い。これは、個人 こじん 名 めい が個人 こじん を表 あらわ すものであり、姓 せい はそれを修飾 しゅうしょく している関係 かんけい にあたる、と解釈 かいしゃく することも可能 かのう である。
^ また、名 な 以外 いがい に姓 せい が必要 ひつよう になってくる場面 ばめん に関 かん しては、「名前 なまえ 空間 くうかん 」の概念 がいねん も参考 さんこう になる。近 ちか しいグループや集団 しゅうだん では(名前 なまえ が重 かさ ならないようにあらかじめ注意 ちゅうい して名 な づけることが多 おお いので)、個人 こじん 名 めい だけを使 つか って呼 よ び合 あ っても名前 なまえ が衝突 しょうとつ (同 どう 一 いち 名 めい が現 あらわ れてしまう)することは少 すく ないが、他 た 集団 しゅうだん と接触 せっしょく した時 とき や別 べつ の場所 ばしょ に移動 いどう した時 とき に名前 なまえ の衝突 しょうとつ が起 お き、個人 こじん 名 めい ・固体 こたい 名 めい 以外 いがい の名称 めいしょう (姓 せい など)を使用 しよう する必要 ひつよう 性 せい が高 たか まる。
^ 奈良 なら 時代 じだい の橘 たちばな 氏 し は橘 たちばな 宿禰 すくね 姓 せい を受 う けた県 けん 犬 けん 養 やしなえ 三 さん 千 せん 代 だい の姓 せい を子 こ の橘諸兄 たちばなのもろえ ・橘 たちばな 佐 たすく 為 ため が継承 けいしょう しており、また藤原 ふじわら 弟 おとうと 貞 さだ が母 はは の藤原 ふじわら 朝臣 あそん を臣籍 しんせき 降下 こうか 後 のち に賜 たまもの 姓 せい されたように母親 ははおや の姓 せい を名乗 なの る例 れい がある。
^ 多 おお くの日本人 にっぽんじん は、ミドルネーム を持 も たない。そのため、ミドルネームは、「名 な 」の一部 いちぶ とするか、通称 つうしょう としての使用 しよう にとどまる。
^ 英語 えいご では、女性 じょせい に限 かぎ り結婚 けっこん 以前 いぜん の姓 せい を「maiden name 」と言 い う。
^ Nom marital(婚姻 こんいん 姓 せい )とも呼 よ ばれる。
^ 浄土真宗 じょうどしんしゅう では授戒 じゅかい がないため法名 ほうみょう という。
^ 「ダルヴィーシュ のような人 ひと 」の意味 いみ
^ ただし、一般 いっぱん 名詞 めいし にа やя で終 お わる名詞 めいし はほとんど女性 じょせい 名詞 めいし であることに対 たい し、男性 だんせい のファーストネームにイリヤ (Илья )、ニキータ (Никита )やサーシャ (Саша )など、а やя で終 お わるものも多 おお い。なお、これらの人名 じんめい の語形 ごけい 変化 へんか は文法 ぶんぽう 上 じょう の語形 ごけい の変化 へんか 法則 ほうそく にのっとるが、修飾 しゅうしょく 語 ご はその人 ひと の性別 せいべつ の方 ほう で変化 へんか する。
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