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叙爵 - Wikipedia

叙爵じょしゃく(じょしゃく)とは、

す。

律令りつりょう国家こっかにおける叙爵じょしゃく

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叙爵じょしゃく加階かかい

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"位階いかいくわえる"という意味いみの「加階かかい」と"爵をじょする"という意味いみの「叙爵じょしゃく」は本来ほんらい貴族きぞくかんじん位階いかい昇進しょうしん意味いみするどういち用語ようごであった。しかし、平安へいあん時代じだい中期ちゅうき以降いこうろくあいだ階級かいきゅうあいだ格差かくさ拡大かくだいし、さらろく以下いか位階いかい制度せいど形骸けいがいはじめた。そのため、貴族きぞく社会しゃかいではろくからへの昇進しょうしん重要じゅうようするようになり、「叙爵じょしゃく」をろくからしたがえ)に昇進しょうしんするさい限定げんていしてぶように変化へんかし、それ以外いがい位階いかい昇進しょうしんしたがえじょうからせいじょうからよんへの昇進しょうしんなど)を「加階かかい」とぶようになって両者りょうしゃ区別くべつされるようになった[1]

したがえ位階いかいへの叙爵じょしゃく

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ろく以下いかあるいは無位むい人物じんぶつ貴族きぞくとしてみとめられるしたがえじょせられること(ただし、えつかい場合ばあいには、叙爵じょしゃくしたがえじょう以上いじょう叙位じょいける場合ばあいもある)は、古代こだい中世ちゅうせい朝廷ちょうていでは栄誉えいよなこととされ、したがえのことを栄爵えいしゃく(えいしゃく)とぶようになり、のち叙爵じょしゃく栄爵えいしゃくおなよう意味いみとしてもちいられるようになった。

もっとも、12世紀せいきはいって家格かかく家職かしょく固定こていされるようになると、ろくしょ大夫たいふ地下ちかじんさむらいなかにはがることで官位かんい相当そうとうせいもとづいて官職かんしょくうしなうことのほうおそれるようになり、としろうめぐによってがれる機会きかいてもじょとめられない場合ばあいにはかえって叙爵じょしゃくされないようにはたらきかけるようになった[2]

寺院じいんおよ宮司ぐうじ特権とっけんとしての叙爵じょしゃく

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毎年まいとし寺院じいんないし宮司ぐうじ1人ひとりぶん叙爵じょしゃくけん付与ふよし、寺院じいんおよ宮司ぐうじ叙爵じょしゃく希望きぼうしゃよりじょりょうおさめさせることで、したがえ叙爵じょしゃくさせることができるとされた。当該とうがい制度せいど平安へいあん時代じだい初期しょきにはじまったとされる。また、成功せいこうによって叙爵じょしゃくける場合ばあいもあったが、これもあらかじめ成功せいこう宣旨せんじけるなどの手続てつづきじょうちがいがあるものの、基本きほんてきには同一どういつのものである。いん三宮さんのみやたいしてじょりょうおさめさせるわりに叙爵じょしゃくするとしおなじくうれによるものであったが、平安へいあん時代じだい末期まっきから鎌倉かまくら時代じだいにかけて栄爵えいしゃく成功せいこうによる昇叙しょうじょ(加階かかい)がさかんとなった。

叙爵じょしゃく申請しんせいしゃ栄爵えいしゃくさいしておさめる費用ひよう栄爵えいしゃくりょう叙爵じょしゃくりょうといい、そのがくについては、万寿まんす2ねん(1025ねん)の『ひだりけい』には700せき定法じょうほうとすることがみられ、弘安ひろやす10ねん(1287ねん)には諸国しょこく権守ごんもり同様どうように、最高さいこうがくの1500疋とさだめられた。

近代きんだい国家こっかにおける叙爵じょしゃく

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爵位しゃくいへの叙爵じょしゃく

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後世こうせいにおいて、栄誉えいよある地位ちい爵位しゃくいのこと、あるいは地位ちいたか爵位しゃくい異称いしょうとして栄爵えいしゃくかたりもちいられたり、爵位しゃくい授与じゅよされることを叙爵じょしゃくしょうするのはその名残なごりである。

明治めいじ政府せいふでは、明治めいじ17ねん7がつ7にち華族かぞくに「栄爵えいしゃく」をあたえる詔勅しょうちょくがあり、「叙任じょにん」とだいしてあたらしく公爵こうしゃく侯爵こうしゃく伯爵はくしゃく子爵ししゃく爵位しゃくい華族かぞく維新いしん功臣こうしん名簿めいぼ公布こうふされた(爵位しゃくいこうひょう:「明治めいじ17ねん7がつ7にち叙勲じょくん」を参照さんしょう[3]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 高田たかだあつし加階かかいとしろう-平安へいあん時代じだいにおける位階いかい昇進しょうしん方式ほうしきについて-」初出しょしゅつ:『栃木とちぎ史学しがく』3、1989ねん/所収しょしゅう:倉本くらもと一宏かずひろ へん王朝おうちょう時代じだい実像じつぞう1 王朝おうちょう再読さいどく臨川りんせん書店しょてん、2021ねん 倉本くらもとへん、P70.
  2. ^ 佐古さこあいおのれとしろうせい変遷へんせん」(初出しょしゅつ:『たていのちかん文学ぶんがく』575ごう(2002ねん)/所収しょしゅう:佐古さこ平安へいあん貴族きぞく社会しゃかい秩序ちつじょ昇進しょうしん』(2012ねん思文閣出版しぶんかくしゅっぱんISBN 978-4-7842-1602-4
  3. ^ 大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく へん官報かんぽう日本にっぽんマイクロ写真しゃしん、「華族かぞく榮爵えいしゃくたまものル」 (明治めいじじゅうななねんなながつななにち)/「叙任じょにん」 (明治めいじじゅうななねんなながつななにち))、1884ねん7がつ8にち、1-5ぺーじNDLJP:2943511https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2943511 

関連かんれん項目こうもく

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