戒壇
歴史
これ
脚注
- ^ ただし、
当時 得度 の人数 が厳 しく制限 されていたために、私 度 僧 のまま修行 を行 う僧 も少 なからずいたことも明 らかにされている。 - ^ ただし、
当時 三 戒壇 では女子 の授戒 は認 めておらず、延暦寺 もこれにならったために、鎌倉 時代 に諸派 が独自 に授戒 を行 うまで尼 が正式 な僧侶 として否認 されていた時代 が長 く続 くことになる。 - ^
奈良 の東大寺 やその影響 を受 けた三 戒壇 などを小乗 戒壇 と呼称 する場合 もあるが、「小乗 」には「大乗 (偉大 な教 え)」に反対 する劣 った考 えという意味合 いも含 まれているため、適切 な呼称 ではない。一説 には延暦寺 の戒壇 を認 めようとしない南都 寺院 に対 する延暦寺 側 の反感 から生 まれた呼称 とする。 - ^
叡尊 は治 天 の君 後 嵯峨 上皇 や執権 北条 時 頼 の帰依 を受 けていたことから、西大寺 の戒壇 は事実 上 黙認 された。また、法華寺 に尼 戒壇 を設 けて尼 への授戒 を復興 した。 - ^
各地 で戒壇 が成立 したあとも朝廷 の公式 の場 では三 戒壇 か延暦寺 での授戒 者 のみしか参列 を許 されなかった。このため、室町 幕府 で僧 録 などに任 じられた臨済宗 五山 派 の禅僧 は禅僧 としての授戒 の他 に延暦寺 や東大寺 でも授戒 を受 けている。これに対 して西大寺 以下 の国家 非 公認 の戒壇 出身 者 は主 に社会 への布教 活動 に従事 していくことになる。
参考 文献
松尾 剛 次 『勧進 と破戒 の中世 史 中世 仏教 の実像 』(吉川弘文館 、1995年 ) ISBN 4642027505