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西大寺 (奈良市) - Wikipedia

西大寺さいだいじ (奈良なら)

奈良ならけん奈良なら西大寺芝さいだいじしばまちにある真言しんごんりつむね総本山そうほんざん

西大寺さいだいじ(さいだいじ)は、奈良ならけん奈良なら西大寺芝さいだいじしばまちにある真言しんごんりつむね総本山そうほんざん寺院じいん山号さんごうかち宝山たからやま[注釈ちゅうしゃく 1]本尊ほんぞん釈迦如来しゃかにょらい奈良なら時代じだいこうけん上皇じょうこう重祚じゅうそしてしょうとく天皇てんのう)の発願ほつがんにより、そうつねあが開山かいさん初代しょだい住職じゅうしょく)として建立こんりゅうされた。南都七大寺なんとしちだいじの1つとして奈良なら時代じだいには壮大そうだい伽藍がらんほこったが、平安へいあん時代じだい一時いちじ衰退すいたいし、鎌倉かまくら時代ときよ叡尊えいぞんによって復興ふっこうされた。

西大寺さいだいじ
西大寺 本堂
ひがしとうあとしにのぞ本堂ほんどう重要じゅうよう文化財ぶんかざい
所在地しょざいち 奈良ならけん奈良なら西大寺芝さいだいじしばまち1丁目ちょうめ1-5
位置いち 北緯ほくい3441ふん37びょう 東経とうけい13546ふん46.2びょう / 北緯ほくい34.69361 東経とうけい135.779500 / 34.69361; 135.779500座標ざひょう: 北緯ほくい3441ふん37びょう 東経とうけい13546ふん46.2びょう / 北緯ほくい34.69361 東経とうけい135.779500 / 34.69361; 135.779500
山号さんごう かち寶山たからやま
秋篠あきしのさん旧称きゅうしょう
院号いんごう よんおういん
よんてんいん旧称きゅうしょう
宗派しゅうは 真言しんごんりつむね
寺格じかく 総本山そうほんざん
本尊ほんぞん 釈迦如来しゃかにょらい重要じゅうよう文化財ぶんかざい
創建そうけんねん 天平てんぺい神護かんご元年がんねん765ねん
開山かいさん つねあが
開基かいき こうけん上皇じょうこう勅願ちょくがん
正式せいしきめい かち寶山たからやまよんおういん西大寺さいだいじ
秋篠あきしのさんよんてんいん西大寺さいだいじ旧称きゅうしょう
別称べっしょう 南都なんと西にしだいりつてら
札所ふだしょとう 真言宗しんごんしゅうじゅうはち本山ほんざんだい15ばん
大和やまとじゅうさんふつ霊場れいじょうだい2ばん
西国さいごく愛染あいぜんじゅうなな霊場れいじょうだい13ばん
大和やまと北部ほくぶはちじゅうはちヶ所かしょ霊場れいじょうだい24ばん
南都七大寺なんとしちだいじだい5ばん
神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみちだい23ばん奈良ならだい10ばん
文化財ぶんかざい 絹本けんぽんちょしょく十二天じゅうにてんぞう12ぶく木造もくぞう叡尊えいそん坐像ざぞう金銅かなどう宝塔ほうとうおよおさめおけひんほか(国宝こくほう
本堂ほんどう絹本けんぽんちょしょく釈迦三尊しゃかさんぞんぞう木造もくぞう釈迦如来しゃかにょらい立像りつぞうほか(重要じゅうよう文化財ぶんかざい
公式こうしきサイト 真言しんごんりつむね総本山そうほんざん 西大寺さいだいじ
法人ほうじん番号ばんごう 2150005000193 ウィキデータを編集
西大寺 (奈良市)の位置(奈良県内)
西大寺 (奈良市)
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西大寺 (奈良市)の位置(日本内)
西大寺 (奈良市)
西大寺さいだいじ

歴史れきし 編集へんしゅう

 
創建そうけん西大寺さいだいじ模型もけい奈良なら市役所しやくしょ所蔵しょぞう平城京へいじょうきょう1/1000模型もけい一部いちぶ
北側きたがわから

創建そうけん 編集へんしゅう

たからひさし11ねん780ねん)の『西大寺さいだいじ資財しざいりゅう記帳きちょう』によれば、創建そうけん経緯けいい以下いかのとおりである。天平てんぴょうたから8ねん764ねん)9がつこうけん上皇じょうこう恵美押勝えみのおしかつらん平定へいてい祈願きがんして金銅かなどう四天王してんのうぞう造立ぞうりゅう発願ほつがんした。なお、こうけん上皇じょうこう同年どうねん10がつ重祚じゅうそしてしょうとく天皇てんのうとなった。よく天平てんぺい神護かんご元年がんねん765ねん)、前述ぜんじゅつ四天王してんのうぞう造立ぞうりゅうされ、西大寺さいだいじ創建そうけんされた。この四天王してんのうぞう4たい西大寺さいだいじよん王堂おうどういま安置あんちされるが、かくぞう足元あしもとみつけるよこしまおにだけが創建そうけん当時とうじのもので、ぞう本体ほんたい後世こうせいさくわっている[注釈ちゅうしゃく 2]

西大寺さいだいじ創建そうけん当時とうじそう道鏡どうきょう中央ちゅうおう政界せいかいおおきなちからっており、西大寺さいだいじ建立こんりゅうにあたっても道鏡どうきょう思想しそうてき影響えいきょうおおきかったものと推定すいていされている[1]護国ごこくのために四天王してんのうぞう安置あんちするのは『金光かねみつあきらさいかちおうけい』にもとづくものである。

西大寺さいだいじ」のてらめいはいうまでもなく、大仏だいぶつ有名ゆうめいな「東大寺とうだいじ」にたいするもので、奈良なら時代じだいには薬師くすし金堂こんどう弥勒みろく金堂こんどうよん王堂おうどうじゅういちめんどう東西とうざい五重塔ごじゅうのとうなどがなら壮大そうだい伽藍がらんち、南都七大寺なんとしちだいじの1つにかぞえられるだい寺院じいんであった。前述ぜんじゅつの『資財しざいりゅう記帳きちょう』の記載きさいや、元禄げんろく11ねん1698ねん作成さくせい伽藍がらん絵図えずから復元ふくげんされる伽藍がらん配置はいち以下いかのようなものである。てらいき中心ちゅうしんには薬師くすし金堂こんどうち、その背後はいご通常つうじょう寺院じいんでは講堂こうどうのある位置いちには弥勒みろく金堂こんどうっていた。これら中心ちゅうしん伽藍がらんひがしにはしょうとういん、そのきた食堂しょくどういん(じきどういん)、中心ちゅうしん伽藍がらん西にしにはせいくらいん、そのきた政所まんどころいん(まんどころいん)があった。中心ちゅうしん伽藍がらん前方ぜんぽうみなみ)には東西とうざい2五重塔ごじゅうのとうち、これらのひがしよんおういん西にしじゅういちめんどういんがあり、よんおういんみなみ東南とうなんかくいん(すみいん)、じゅういちめんどういんみなみ西南せいなんかくいんがあった。とうはち角形かくがた計画けいかくされたが、途中とちゅう四角形しかっけいあらためられた。

資財しざいりゅう記帳きちょう』によれば、これらのしょどうには密教みっきょうけいぞうふく多数たすう仏像ぶつぞう安置あんちされ、おおくのかがみ荘厳しょうごんされていた。薬師くすし金堂こんどうには、薬師くすしさんみことぞう中心ちゅうしんけい21たい仏像ぶつぞう安置あんちされ、なかには密教みっきょうけい孔雀くじゃく明王みょうおうぞうふくまれていた。弥勒みろく金堂こんどうにはけい77たいもの仏像ぶつぞう安置あんちされ、弥勒みろくほとけかぶとりつてん浄土じょうど表現ひょうげんしていた[2]

しかし、てら平安へいあん時代じだいはいって衰退すいたいし、火災かさい台風たいふうおおくの堂塔どうとううしなわれ、興福寺こうふくじ支配しはいはいっていた。

叡尊えいそんによる復興ふっこう 編集へんしゅう

西大寺さいだいじ中興ちゅうこうとなったのは鎌倉かまくら時代ときよそう叡尊えいぞんきょうせい菩薩ぼさつたてひとし元年がんねん1201ねん) - せいおう3ねん1290ねん))である。叡尊えいそんたてひとし元年がんねん1201ねん)、大和やまとこく添上そえかみぐんげん大和郡山やまとこおりやま)にまれた。11さいときから醍醐寺だいごじ高野山こうのやまなどで修行しゅぎょうし、ぶんれき2ねん1235ねん)、35さいときはじめて西大寺さいだいじじゅうした。そのいち海龍かいりゅう王寺おうじ奈良なら法華寺ほっけじまち)にじゅうしたのちよしみただし4ねん1238ねん西大寺さいだいじもどり90さいぼっするまで50ねん以上いじょう荒廃こうはいしていた西大寺さいだいじ復興ふっこうくした。叡尊えいそんは、当時とうじ日本にっぽん仏教ぶっきょう腐敗ふはい堕落だらくした状況じょうきょううれい、戒律かいりつ復興ふっこうつとめた。また、貧者ひんじゃ病者びょうしゃなどの救済きゅうさい奔走ほんそうし、今日きょうでいう社会しゃかい福祉ふくし事業じぎょうにもちからくした。西大寺さいだいじ現存げんそんする仏像ぶつぞう工芸こうげいひんなどには本尊ほんぞん釈迦如来しゃかにょらいぞうをはじめ、叡尊えいそん時代じだい制作せいさくされたものがおおい。その忍性にんしょうなどの高僧こうそう輩出はいしゅつするとともに、荒廃こうはいした諸国しょこく国分寺こくぶんじ再興さいこう尽力じんりょくし、南北なんぼくあさ時代じだい明徳めいとく2ねん1391ねん)にされた『西大寺さいだいじ末寺まつじちょう』には8かこくどう時代じだいのその史料しりょうからさらじゅうすうこく国分寺こくぶんじ西大寺さいだいじ末寺まつじであったと推定すいていされている(なお、現存げんそん国分寺こくぶんじのうち、西大寺さいだいじ関係かんけいつのはきゅう伊予いよ国分寺こくぶんじのみであるが、ほかにも複数ふくすう国分寺こくぶんじ真言宗しんごんしゅう各派かくはぞくしている)。

室町むろまち時代じだい以降いこう 編集へんしゅう

西大寺さいだいじあかりおう8ねん1499ねん)12月、大和やまとこくんできた細川ほそかわまさしもと家臣かしん赤沢あかざわちょうけいによってちされたり、ぶんかめ2ねん1502ねん)の火災かさいひがしとう炎上えんじょうするなどおおきな被害ひがいけた。

江戸えど時代じだい江戸えど幕府ばくふより300せき寺領じりょうみとめられると、ようやく再建さいけんいた。現在げんざい伽藍がらんはすべて江戸えど時代じだい以降いこう再建さいけんである。

西大寺さいだいじ1895ねん明治めいじ28ねん)6がつ真言宗しんごんしゅうから独立どくりつし、真言しんごんりつむね組織そしきした。真言しんごんりつむねぞくする寺院じいんは、大本山だいほんざん宝山寺ほうざんじ奈良ならけん生駒いこま)のほか京都きょうと浄瑠璃寺じょうるりでら奈良なら海龍かいりゅう王寺おうじ奈良なら不退寺ふたいじ鎌倉かまくら極楽寺ごくらくじ横浜よこはま称名寺しょうみょうじなどがある。

本堂ほんどう 編集へんしゅう

重要じゅうよう文化財ぶんかざいよせとうづくりほん瓦葺かわらぶき室町むろまち時代ときよ焼失しょうしつ再建さいけんされたどういたんだため、修理しゅうりではなく新築しんちくすることとし、寛政かんせい10ねん1798ねんごろ造営ぞうえい着手ちゃくしゅ文化ぶんか5ねん1808ねんごろ完成かんせいしたものである。かべ一切いっさいもちいず、装飾そうしょくせいすくない伝統でんとうてき様式ようしきになる。江戸えど時代じだい後期こうきだい規模きぼ仏堂ぶつどう建築けんちく代表だいひょうさくとして、1998ねん平成へいせい10ねん)に重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされた。このどうはかつてはたかられき2ねん1752ねん)の建築けんちくとされていたが、まさしくは前述ぜんじゅつのように19世紀せいき初頭しょとう建築けんちくである。鎌倉かまくら時代ときよてられた光明こうみょう真言しんごんどう後身こうしんである。

  • 木造もくぞう釈迦如来しゃかにょらい立像りつぞう重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 西大寺さいだいじ本尊ほんぞんけんちょう元年がんねん1249ねん)、仏師ぶっしぜんけいさく。いわゆる「清凉寺せいりょうじしき釈迦如来しゃかにょらいぞう」の典型てんけいさくで、京都きょうと清凉寺せいりょうじにある三国伝来さんごくでんらい釈迦しゃかぞう(「さんこく」とはインド中国ちゅうごく日本にっぽんのこと)のかたぎこくである。ぞうないには多数たすう納入のうにゅうひんおさめられていた。西大寺さいだいじ鎌倉かまくら復興ふっこう仏像ぶつぞうは、ほんぞう作者さくしゃぜんけいをはじめ、名前なまえに「ぜんもちいるぜんばれる一派いっぱさくおおい。
  • 木造もくぞう文殊もんじゅ菩薩ぼさつおよわきさむらいぞう5たい重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 正安まさやす4ねん1302ねん)のさくぞうないには多数たすう納入のうにゅうひんおさめられていた。

愛染あいぞめどう 編集へんしゅう

奈良ならけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい近衛このえからの寄進きしんけ、京都きょうと御所ごしょにあった近衛このえ家政いえまさしょ御殿ごてん叡尊えいぞんじゅうぼうであった西にししつ跡地あとちたかられき12ねん1762ねん)に移築いちくしたもの(移築いちく年次ねんじ明和めいわ4ねん1767ねん)とも)。

  • 木造もくぞう愛染明王あいぜんみょうおう坐像ざぞう重要じゅうよう文化財ぶんかざい)- たからおさむ2ねん1247ねん)、仏師ぶっしぜんえんさくしょうぞうながら、日本にっぽん愛染明王あいぜんみょうおうぞう代表だいひょうさくの1つ。当初とうしょ彩色さいしききりきん文様もんようがよくのこる。秘仏ひぶつで、毎年まいとし10がつ - 11月ごろひらけとびらされる。作者さくしゃぜんえんは、西大寺本さいだいじほん堂本どうもとたかし釈迦如来しゃかにょらいぞう作者さくしゃであるぜんけい同人どうじん推定すいていされている。ぞうないには、しょうぞうにもかかわらず多数たすう納入のうにゅうひんおさめられていた。
  • 木造もくぞう叡尊えいぞんきょうせい菩薩ぼさつ坐像ざぞう国宝こくほう) - どうないかってひだりあいだ安置あんちされる、西大寺さいだいじ中興ちゅうこう叡尊えいそん肖像しょうぞう彫刻ちょうこく弘安ひろやす3ねん1280ねん)、叡尊えいそん80さいとき肖像しょうぞう作者さくしゃ仏師ぶっし善春よしはるである。なが眉毛まゆげ団子鼻だんごばな風貌ふうぼうぞうぬし面影おもかげつたえるものとおもわれる。西大寺さいだいじ鎌倉かまくら再興さいこう仏像ぶつぞうにはぞうない多数たすう納入のうにゅうひんおさめられているのが特色とくしょくだが、なかでもこのぞうには叡尊えいそん父母ちちはは遺骨いこつをはじめとするおびただしい資料しりょう納入のうにゅうされていた。

よん王堂おうどう 編集へんしゅう

観音堂かんのんどうとも。のべたから2ねん1674ねん再建さいけん

  • 木造もくぞうじゅういちめん観音かんのん立像りつぞう重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 平安へいあん時代じだい後期こうきさく長谷寺はせでらしきじゅう一面観いちめんかんおん正安まさやす2ねん1289ねん)に京都きょうと白河しらかわにあった法勝寺ほっしょうじじゅういちめんどういん本尊ほんぞんよん王堂おうどううつしたもの。
  • 四天王してんのう立像りつぞうどうづくり3たい木造もくぞう1たい)(重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 元々もともとこうけん上皇じょうこう発願ほつがん四天王してんのうぞうだが、現在げんざい足下あしもとよこしまおににのみ奈良なら時代じだいのものをのこす。ぞう本体ほんたい持国天じこくてん増長天ぞうちょうてん広目天こうもくてんぞうどうづくり多聞天たもんてんぞうのみ木造もくぞうで、まえの3たい鎌倉かまくら時代じだい多聞天たもんてん室町むろまち時代じだいさく推定すいていされる。

境内けいだい 編集へんしゅう

  • 本堂ほんどう重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 文化ぶんか5ねん1808ねんごろ再建さいけん解説かいせつすんでじゅつ
  • ひがしとうあと - 本堂ほんどうまえひがしとうあと基壇きだん礎石そせきのこる。元々もともと八角はっかくななじゅうとうとして設計せっけいされたが縮小しゅくしょうされ、四角よつかど五重塔ごじゅうのとうとして建立こんりゅうされた。ぶんかめ2ねん1502ねん)に焼失しょうしつした。
  • 愛染あいぞめどう奈良ならけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい) - たかられき12ねん1762ねん)に現在地げんざいち移築いちく解説かいせつすんでじゅつ
  • 大黒おおくろどう - もと塔頭たっちゅう三光さんこういん本堂ほんどう
  • ほんぼう - 前身ぜんしん塔頭たっちゅうひじりいんである。
    • 庫裏くり
    • 書院しょいん西室にしむろ
    • 奥書おくがきいん
  • きた通用つうようもん
  • 鐘楼しゅろう奈良なら指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい) - 寛文ひろふみ年間ねんかん1661ねん - 1673ねん再建さいけんもと多田院ただいんげん多田ただ神社じんじゃ)の鐘楼しゅろうで、明治めいじはいって神仏しんぶつ分離ぶんりとなり、西大寺さいだいじ移築いちくされたもの。
  • 寺山てらやま大師堂だいしどう - 1960ねん昭和しょうわ35ねん)に建立こんりゅうされ、1973ねん昭和しょうわ48ねん)に弘法大師こうぼうだいし生誕せいたん1200ねん記念きねんして改築かいちくされた。
  • きょうせい菩薩ぼさつどう
  • 光明こうみょう殿どの - 1978ねん昭和しょうわ53ねん建立こんりゅう信徒しんと会館かいかんだいちゃもりしきはここでおこなわれる。
  • きょう正殿せいでん - 信徒しんと会館かいかん
  • 清瀧きよたき権現ごんげん
  • 西国さいこくさんじゅうさんしょ石仏いしぼとけぐん
  • みなみもん奈良ならけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい) - 室町むろまち時代じだい再建さいけん
  • 不動堂ふどうどう護摩堂ごまどう奈良なら指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい) - 寛永かんえい元年がんねん1624ねん再建さいけん1979ねん昭和しょうわ54ねん現在地げんざいち移築いちく
  • 聚宝かん - 1960ねん昭和しょうわ35ねんちく寺宝じほう展示てんじする宝物ほうもつかん
  • よん王堂おうどう観音堂かんのんどう) - のべたから2ねん1674ねん再建さいけん解説かいせつすんでじゅつ
  • 東門ひがしもん
  • よん王堂おうどうみなみもん
  • いし落神おちがみしゃ(いしらくじんじゃ、奈良なら指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい) - 室町むろまち時代じだい再建さいけん西大寺東さいだいじひがし門前もんぜんにある。
  • 西大寺さいだいじ幼稚園ようちえん
  • 西大寺さいだいじ保育園ほいくえん

塔頭たっちゅう 編集へんしゅう

 
おくいん法界ほうかいからだせいいん)のきょうせい菩薩ぼさつ叡尊えいそんびょうとう
  • 一之かずゆきしついん
  • 護国ごこくいん
  • 増長ぞうちょういん - 昭和しょうわ初期しょき再興さいこう
  • はなぞういん - 昭和しょうわ初期しょき再興さいこう
  • ほう寿ことぶきいん
  • 清浄せいじょういん - 1984ねん昭和しょうわ59ねん)に焼失しょうしつするが翌年よくねん再建さいけん
  • 法界ほうかいからだせいいんおくいん) - 奈良なら西大寺野神さいだいじのがみまち所在しょざい
    • きょうせい菩薩ぼさつびょうとう奈良ならけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい) - 五輪ごりんとう
    • 地蔵堂じぞうどう - 江戸えど時代じだい建立こんりゅう
    • 阿弥陀堂あみだどう
    • 骨堂こつどう(コツンドウ、奈良ならけん指定してい有形ゆうけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい) - 納骨のうこつどう室町むろまち時代じだい建立こんりゅう
    • 歴代れきだい長老ちょうろうはか

共通きょうつう拝観はいかんせい 編集へんしゅう

2022ねん4がつ1にちから入山にゅうざん有料ゆうりょうし、よん王堂おうどう本堂ほんどう愛染あいぞめどうのいずれかで拝観はいかんりょうおさめると「共通きょうつう拝観はいかんけん」が発行はっこうされ、これらの堂宇どうう拝観はいかんできる共通きょうつう拝観はいかんせい導入どうにゅうされる(2022ねん3がつ14にち真言しんごんりつむね定期ていきむね議会ぎかい決定けってい[3]。2022ねん1がつ20日はつかからみなみもん閉鎖へいさされており、2022ねん4がつ1にちから参拝さんぱいしゃ東門ひがしもん清浄せいじょういん東側ひがしがわにある通路つうろのみ通行つうこうできる[3]

2022ねん3がつまでは境内けいだいとおけは自由じゆうかくどう個別こべつ拝観はいかんりょう必要ひつようだったが、文化財ぶんかざい管理かんり安全あんぜんせい優先ゆうせんし、寺院じいん信仰しんこう空間くうかん荘厳そうごんさをたもつため、参拝さんぱい目的もくてき以外いがい入山にゅうざんひかえるようもとめることになった[3]

文化財ぶんかざい 編集へんしゅう

国宝こくほう 編集へんしゅう

 
十二天じゅうにてんぞう水天すいてん国宝こくほう
 
金銅かなどうとおる舎利しゃりとう国宝こくほう
 
吉野よしの曼荼羅まんだら
  • 絹本けんぽんちょしょくじゅうてんぞう - 12ぶくかんそんする。全体ぜんたい絵具えのぐ剥落はくらく退色たいしょく目立めだつが、現存げんそん遺品いひんすくない平安へいあん時代じだい前期ぜんき、9世紀せいき仏教ぶっきょう絵画かいが大作たいさくとして貴重きちょう奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかんに6ぶく東京とうきょう京都きょうと国立こくりつ博物館はくぶつかんに3ぶくずつ寄託きたくされている。
  • 木造もくぞう叡尊えいそん坐像ざぞう - ぜん春作はるさくぞうない納入のうにゅうひん[4]ぞうない納入のうにゅうひん細目さいもくこう
  • 金銅かなどうとおる舎利しゃりとう - たかさ37センチメートル小品しょうひんながら、各所かくしょ繊細せんさいとおほどこした入念にゅうねんさくで、鎌倉かまくら時代じだい金属きんぞく工芸こうげい代表だいひょうするものの1つである。
  • 金銅かなどう宝塔ほうとうおよおさめおけひんだんとう) - 宝塔ほうとうとは、円筒えんとうがたとう屋根やねせたかたちとうほん作品さくひんたかやく90センチメートルの金銅かなどうどうきんメッキ)せいとうだが、木造もくぞう建築けんちく外観がいかん忠実ちゅうじつしている。内部ないぶには叡尊えいそん所持しょじしていた舎利しゃりおさめる。ぶんひさし7ねん(1270ねん)のさく正式せいしき国宝こくほう指定してい名称めいしょうつぎのとおり。
いち金銅かなどう宝塔ほうとう 1 ぶんながななねんろくがついちにちほん願主がんしゅ西大寺さいだいじ沙門しゃもん叡尊えいそん鋳物師いもじ友吉ゆうきち入道にゅうどう西にしちんとう在銘ざいめい
いち金銅かなどう宝珠ほうしゅがた舎利しゃりとう 1下層かそうない安置あんち
いち金銅かなどうとう形容けいよう 1ごう
いち赤地あかじ二重襷花文錦小袋 1ふくろ
いち水晶すいしょう五輪ごりんとう 赤地あかじにしき小袋こぶくろども 1
いち水晶すいしょう五輪ごりんとう 織物おりもの縫合ほうごうしょう裹共 1
修理しゅうり文書ぶんしょ 2つう以上いじょう上層じょうそうないおさめおけ
  • 舎利しゃりびん5てつ宝塔ほうとう1:ばこ) - てつ宝塔ほうとう前出ぜんしゅつ金銅かなどう宝塔ほうとうどう形式けいしきとう鉄製てつせいたかさ172センチメートルの大型おおがたとうで、弘安ひろやすななねん(1284ねん)、大工だいく藤原ふじわら宗安むねやすめいがある。内部ないぶ水瓶みずがめ(すいびょう)かたちどうせい舎利しゃり容器ようき5おさめる。
  • 金光かねみつあきらさいかちおうけい 10かん 月輪げつりん牡丹ぼたん蒔絵まきえけいばこ) - 天平てんぴょうたから6ねん(762ねん)の書写しょしゃ百済くだらゆたかむしねがいけい)。(つけたり)指定していけいばこ鎌倉かまくら時代じだいさく
  • だい盧遮那るしゃな成仏じょうぶつ神変しんぺん加持かじけい 7かん - 天平てんぺい神護かんご2ねん(766ねん)、しょうとく天皇てんのうきの女官にょかん吉備きび由利ゆり発願ほつがんし、西大寺さいだいじよん王堂おうどう安置あんちした一切経いっさいきょう一部いちぶ

重要じゅうよう文化財ぶんかざい 編集へんしゅう

建造けんぞうぶつ

  • 本堂ほんどう

絵画かいが

  • 絹本けんぽんちょしょく釈迦三尊しゃかさんぞんぞう仁王におうかい本尊ほんぞん
  • 絹本けんぽんちょしょく文殊もんじゅ菩薩ぼさつぞう
  • 絹本けんぽんちょしょく吉野よしの曼荼羅まんだら[5]

彫刻ちょうこく

  • 木造もくぞう釈迦如来しゃかにょらい立像りつぞう ぜんけいとうさく本堂ほんどう安置あんち)( ぞうない納入のうにゅうひん
  • 木造もくぞう獅文こと菩薩ぼさつ及脇さむらいぞう5ぞうない納入のうにゅうひん
  • 厨子ずしにゅう木造もくぞう愛染明王あいぜんみょうおう坐像ざぞう ぜんえんさく愛染あいぞめどう安置あんち)( ぞうない納入のうにゅうひん
  • 木造もくぞうじゅういちめん観音かんのん立像りつぞうよん王堂おうどう安置あんち
  • 四天王してんのう立像りつぞうどうづくり3、木造もくぞう1)(よん王堂おうどう安置あんち
  • 乾漆かんしつ吉祥天きちじょうてん立像りつぞう
  • こころ乾漆かんしつ阿弥陀如来あみだにょらい釈迦如来しゃかにょらいおもね如来にょらい宝生ほうしょう如来にょらい坐像ざぞう
  • 木造もくぞう行基ぎょうき菩薩ぼさつ坐像ざぞう
  • 木造もくぞう大黒天だいこくてん立像りつぞうぞうない納入のうにゅうひん
  • 木造もくぞう如意輪観音にょいりんかんのん坐像ざぞう[6]

(※釈迦如来しゃかにょらい立像りつぞう獅文こと菩薩ぼさつ及脇さむらいぞう愛染明王あいぜんみょうおう坐像ざぞう大黒天だいこくてん立像りつぞうぞうない納入のうにゅうひん細目さいもくこう

  • 木造もくぞう弥勒菩薩みろくぼさつ坐像ざぞう[7] - ぞうないもととおるねんきゅうがつ(1322ねんとうめいがある。

工芸こうげいひん

  • くろうるし彩色さいしきはながた大壇おおだんくろうるしばこがたれいばん愛染あいぞめどう所在しょざい
  • 金銅かなどう舎利しゃりとうでん叡尊えいぞん於伊ぜい感得かんとく
  • 金銅かなどう舎利しゃりとうでん亀山天皇かめやまてんのうみことのりふう
  • 金銅かなどう密教みっきょうほう いち金剛こんごうばん鈷鈴、独鈷とっこきねさん鈷杵、鈷杵)
  • 金銅かなどうそうさいかくがたな
  • しゅうるしはな天目てんもくぼん とおるとくよんねんめい
  • 大神宮だいじんぐうせいからだ 納入のうにゅう文書ぶんしょ8つう五穀ごこくくすり1つつみども

書跡しょせき典籍てんせき古文書こもんじょ歴史れきし資料しりょう

  • かんがく正記まさき[注釈ちゅうしゃく 3]
  • 叡尊えいそん自筆じひつ書状しょじょう さんがつじゅうきゅうにちどう廿にじゅういちにち 法花寺ほっけいじあてつう)2かん
  • 西大寺さいだいじ三宝さんぼうりょう田畠たばた目録もくろく 徳治とくじ二年叡尊置文及永仁六年鏡恵追録奥書
  • 西大寺さいだいじ寺領じりょう絵図えず大和やまとこく添下ぐん京北けいほくはん 1かん西大寺さいだいじあずか秋篠寺あきしのでらさかいしょうろん絵図えず 1ぶく
    • 西大寺さいだいじ寺中じちゅう曼荼羅まんだら西大寺さいだいじ伽藍がらん絵図えず
  • 西大寺さいだいじばん板木はんぎ 124まい金光かねみつあきらさいかちおうけいだい1じょう大乗だいじょう入道にゅうどう次第しだいぶん1じょう

典拠てんきょ:2000ねん平成へいせい12ねん)までの指定してい物件ぶっけんについては、『国宝こくほう重要じゅうよう文化財ぶんかざい大全たいぜん 別巻べっかん』(所有しょゆうしゃべつ総合そうごう目録もくろく名称めいしょうそう索引さくいん統計とうけい資料しりょう)(毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、2000)による。

くに史跡しせき 編集へんしゅう

  • 西大寺さいだいじ境内けいだい - 指定してい区域くいきげん境内けいだいのほか、叡尊えいそんはか五輪ごりんとうのあるおくいん奈良なら西大寺野神さいだいじのがみまち)、つてしょうとく天皇てんのう山荘さんそうあと奈良なら西大寺さいだいじたからおか)をふくむ。創建そうけん主要しゅよう伽藍がらんがあった土地とちげん境内けいだい北側きたがわ)は住宅じゅうたくとなっており、史跡しせき指定してい範囲はんいがいである。[8]

奈良ならけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい 編集へんしゅう

  • みなみもん 1むね - 室町むろまち時代じだい
  • 愛染あいぞめどう 1むね - 江戸えど時代じだい
  • 五輪ごりんとう 1 - 鎌倉かまくら時代じだい後期こうき
  • 紺地こんじ金泥きんでいりょうさかい曼荼羅まんだら 2ぶく - 鎌倉かまくら時代じだい 奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかん寄託きたく
  • 絹本けんぽんちょしょく釈迦三尊しゃかさんぞんじゅうろくぜんかみ 1ぶく - 鎌倉かまくら時代じだい 奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかん寄託きたく
  • くろうるし手巾しゅきんだい 1つい - えいいさお3ねん1383ねん)。
  • くろうるし光明こうみょう真言しんごん厨子ずし 1 - 鎌倉かまくら時代じだいから南北なんぼくあさ時代じだい
  • もとはん一切経いっさいきょう 3575じょう
  • 海竜かいりゅう王寺おうじ文書ぶんしょ 一括いっかつ - 鎌倉かまくら時代じだいから江戸えど時代じだい
  • かみほん墨書ぼくしょ西大寺さいだいじ資財しざいりゅう記帳きちょう 2かん - 奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかん寄託きたく
  • 西大寺さいだいじ諸国しょこく末寺まつじちょう 1かん - 南北なんぼくあさ時代じだいから明治めいじ時代じだい

奈良ならけん指定してい有形ゆうけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい 編集へんしゅう

  • 西大寺さいだいじおくいん納骨のうこつどうおよ納入のうにゅう資料しりょう 1むね 一括いっかつ

奈良なら指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい 編集へんしゅう

  • 護摩堂ごまどう - 江戸えど時代じだい
  • 鐘楼しゅろう - 江戸えど時代じだい
  • いし落神おちがみしゃ本殿ほんでん - 室町むろまち時代じだい
  • 木造もくぞう大黒天だいこくてん坐像ざぞう
  • 絹本けんぽんちょしょくもとあきら律師りっしぞう - 奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかん寄託きたく
  • 絹本けんぽんちょしょくきょうせい菩薩ぼさつぞう - 奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかん寄託きたく

仏像ぶつぞう画像がぞう写真しゃしん

年中ねんじゅう行事ぎょうじ 編集へんしゅう

  • だいちゃもり - 毎年まいとし1・4・10がつおこなわれる。直径ちょっけい30センチメートル以上いじょうおもさ6 - 7キログラムだい茶碗ちゃわんながさ35センチメートルの茶筅ちゃせんでおちゃて、参拝さんぱいきゃくにふるまわれる。叡尊えいそん西大寺さいだいじ鎮守ちんじゅ八幡宮はちまんぐうちゃ奉納ほうのうし、おがりのちゃ参詣さんけいじんにふるまったのが起源きげんとされる。

学園がくえん施設しせつ 編集へんしゅう

境内けいだい西大寺芝さいだいじしばまち1丁目ちょうめ1-9)に西大寺さいだいじ幼稚園ようちえん昭和しょうわ25ねん創立そうりつ)がある。

前後ぜんご札所ふだしょ 編集へんしゅう

真言宗しんごんしゅうじゅうはち本山ほんざん
14 あさまもる孫子まごこてら - 15 西大寺さいだいじ - 16 長谷寺はせでら
大和やまとじゅうさんふつ霊場れいじょう
1 宝山寺ほうざんじ - 2 西大寺さいだいじ - 3 安倍あべ文殊もんじゅいん
西国さいごく愛染あいぜんじゅうなな霊場れいじょう
12 木津きづてらひさしおさむえんいん - 13 西大寺さいだいじ - 14 宝山寺ほうざんじ
大和やまと北部ほくぶはちじゅうはちヶ所かしょ霊場れいじょう
23 常光寺じょうこうじ - 24 西大寺さいだいじ - 25 喜光よしみつてら
南都七大寺なんとしちだいじ
4 大安寺だいあんじ - 5 西大寺さいだいじ - 6 薬師寺やくしじ
神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみち
22 法華寺ほっけじ - 23 西大寺さいだいじ - 24 唐招提寺とうしょうだいじ

交通こうつうアクセス 編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ 奈良なら時代じだい寺院じいんには山号さんごうはなく、この山号さんごうのちになってけられたものである。
  2. ^ 週刊しゅうかん朝日あさひ百科ひゃっか 日本にっぽん国宝こくほう59』p.5-258の図版ずはん解説かいせつに、よこしまおには4たいとも当初とうしょのものとある。
  3. ^ しょうめいは『きむつよし仏子ぶっし叡尊えいぞんかんがく正記まさき』。ここでは重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定してい名称めいしょうによる。

出典しゅってん 編集へんしゅう

  1. ^ 金子かねこ、1987」、p.17
  2. ^ 歴史れきし」のこうは「金子かねこ、1987」、pp.10 - 49による。
  3. ^ a b c 西大寺さいだいじ入山にゅうざん有料ゆうりょうへ 来月らいげつから共通きょうつう拝観はいかんせい”. 奈良なら新聞しんぶん. 2022ねん3がつ15にち閲覧えつらん
  4. ^ 平成へいせい28ねん8がつ17にち文部もんぶ科学かがくしょう告示こくじだい112ごう
  5. ^ 平成へいせい13ねん6がつ22にち文部もんぶ科学かがくしょう告示こくじだい109ごう
  6. ^ 平成へいせい27ねん9がつ4にち文部もんぶ科学かがくしょう告示こくじだい137ごう
  7. ^ れい4ねん3がつ22にち文部もんぶ科学かがくしょう告示こくじだい38ごう
  8. ^ 図説ずせつ日本にっぽん史跡しせき 5 古代こだい2』、同朋どうほうしゃ出版しゅっぱん、1991、pp.192 - 193

参考さんこう文献ぶんけん 編集へんしゅう

関連かんれん文献ぶんけん 編集へんしゅう

  • 井上いのうえやすし塚本つかもと善隆よしたか監修かんしゅう梅原うめはらたけし松本まつもとみのるどうちょ古寺ふるでら巡礼じゅんれい奈良なら8 西大寺さいだいじ』、あわ交社、1979
  • 大橋おおはしいちしょう; 松原まつばら智美ともみ へん西大寺さいだいじ美術びじゅつ研究けんきゅうのあゆみ─』さとぶん出版しゅっぱん、2018ねんISBN 978-4898064603 
  • 独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん文化財ぶんかざい研究所けんきゅうじょ 奈良なら文化財ぶんかざい研究所けんきゅうじょ奈良ならてら 世界せかい遺産いさんあるく』岩波書店いわなみしょてん、2003
  • 奈良なら国立こくりつ博物館はくぶつかんへん奈良なら西大寺さいだいじてん』(特別とくべつてん図録ずろく)、日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ発行はっこう、1991
  • 日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい 奈良ならけん地名ちめい』、平凡社へいぼんしゃ
  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 奈良ならけん』、角川書店かどかわしょてん
  • 国史こくしだい辞典じてん』、吉川弘文館よしかわこうぶんかん

関連かんれん項目こうもく 編集へんしゅう

外部がいぶリンク 編集へんしゅう