紀伊 国
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きのくに | |
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「紀伊 」の名称 と由来
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領域
沿革
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近世 以降 の沿革
国内 の施設
国府
国分寺 ・国分 尼寺
紀伊 国分寺 跡 (紀 の川 市 打田 町 、北緯 34度 16分 7.60秒 東経 135度 20分 21.00秒 / 北緯 34.2687778度 東経 135.3391667度 )国 の史跡 。跡地 上 の八光山醫王院国分寺が法燈 を伝承 する。
紀伊 国分 尼寺 跡 不 詳 。西国分 廃寺 跡 (岩出 市 西国分 、北緯 34度 15分 57.14秒 東経 135度 19分 53.66秒 / 北緯 34.2658722度 東経 135.3315722度 、国 の史跡 )を国分 尼 寺跡 とする説 がある。
神社
伊都 郡 丹生 都 比 女神 社 名 草 郡 日前 神社 名 草 郡 国 懸 神社 比定 社 :日前 神宮 ・國 懸 神宮 (和歌山 市 秋月 )
名 草 郡 伊太 祁󠄀曽 神社 名 草 郡 大屋 都 比 売 神社 名 草 郡 都 麻 都 比 売 神社 比定 論 社 :都 麻 津 姫 神社 (和歌山 市 吉礼 、北緯 34度 12分 18.49秒 東経 135度 14分 6.79秒 / 北緯 34.2051361度 東経 135.2352194度 )比定 論 社 :都 麻 都 姫 神社 (和歌山 市 平尾 、北緯 34度 12分 30.30秒 東経 135度 14分 49.90秒 / 北緯 34.2084167度 東経 135.2471944度 )比定 論 社 :高 積 神社 (和歌山 市 禰宜 、北緯 34度 14分 2.19秒 東経 135度 15分 17.06秒 / 北緯 34.2339417度 東経 135.2547389度 )
名 草 郡 鳴神 社 名 草 郡 伊達 神社 名 草 郡 志 磨 神社 名 草 郡 静 火 神社 比定 社 :静 火 神社 (和歌山 市 和田 、北緯 34度 12分 10.63秒 東経 135度 12分 28.80秒 / 北緯 34.2029528度 東経 135.2080000度 ) -竈山 神社 境 外 摂社 。
在田 郡 須佐 神社 牟婁 郡 熊野 早 玉 神社 -名神 大社 ではない。牟婁 郡 熊野 坐 神社
- 『
中世 諸国 一宮 制 の基礎 的 研究 』に基 づく一宮 以下 の一覧 [5]。
地域
郡
伊都 郡 -指 理 那賀 郡 -那賀 ・荒川 ・□前 名 草 郡 -大屋 ・直川 ・大川 ・忌部 ・旦 来 、片岡 海部 郡 -可 太 ・浜中 ・木本 ・□現在 は海草 郡 に統合 (海 部 郡 +名 草 郡 )
在田 郡 (有田 郡 ) -吉備 ・英 太 ・幡 陀日高 郡 -財 ・清水 ・内原 ・南部 牟婁 郡 -岡田 ・牟婁 ・栗栖
※はじめの
江戸 時代 の藩
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人物
国司
紀伊 守
山村 王 (従 五 位 上 ):天平 宝 字 3年 (759年 )任官 小野 小 贄 (従 五 位 下 ):天平 宝 字 8年 (764年 )任官 伊 刀 王 (従 五 位 下 ):宝 亀 2年 (771年 )任官 占 野 王 (従 五 位 下 ):天 長 3年 (826年 )任官 文室 海田 麻呂 (従 五 位 下 ):天 長 8年 (831年 )任官 紀 良 門 (従 五 位 上 ):承 和 元年 (834年 )任官 藤原 豊 仲 (従 五 位 上 ):承 和 3年 (836年 )任官 伴 龍男 (従 五 位 下 ):承 和 13年 (846年 )任官 文室 真 室 (従 五 位 上 ):嘉 祥 3年 (850年 )任官 紀 真 高 (従 五 位 下 ):斉 衡元年 (854年 )任官 在原 善 淵 (従 五 位 下 ):天 安 2年 (858年 )任官 紀 恒 身 (従 五 位 下 ):天 安 2年 (858年 )任官 (権守 )
文室 益 善 (従 五 位 上 ):貞 観 2年 (860年 )任官 並 山王 (従 五 位 上 ):貞 観 5年 (863年 )任官 在原 善 淵 (従 四 位 下 ):貞 観 6年 (864年 )任官 藤原 仲 統 (従 四 位 上 ):貞 観 7年 (865年 )任官 菅野 利 陰 (従 五 位 下 )):延喜 12年 (912年 )任官 紀 文利 (従 五 位 下 ):康 保 5年 (968年 )任官 藤原 棟 利 (従 五 位 下 ):天 禄 3年 (972年 )任官 藤原 景 斉 :天 延 2年 (974年 )任官 藤原 景 斉 :貞元 2年 (977年 )任官 大江 景 理 :長 徳 4年 (998年 )任官 源 経 相 :長和 4年 (998年 )離任 高階 成章 (従 五 位 下 ):寛仁 3年 (1019年 )任官 平定 家 :永 承 2年 (1047年 )任官 平 教成 :天 喜 2年 (1054年 )任官 藤原 兼 綱 :天 喜 6年 (1058年 )任官 藤原 重 経 :康平 6年 (1063年 )任官 藤原 範 永 :康平 8年 (1065年 )任官 源 師 俊 :治 暦 3年 (1067年 )任官 藤原 師 仲 :延久 4年 (1072年 )任官
守護
鎌倉 幕府
1 | としま ありつね |
1184 |
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2 | さはら よしつら |
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3 | 1207 |
- | |
4 | みうら よしむら |
1221 |
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5 | さはら いえつら |
1223 |
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6 | ほうじょう ひさとき |
1280 |
|
7 | ほうじょう ときかね |
1291 |
|
8 |
室町 幕府
1 | はたけやま くにきよ |
1336 |
|
---|---|---|---|
2 | はたけやま くにきよ |
1360 |
|
3 | ほそかわ うじはる |
1373 |
|
4 | ほそかわ なりひで |
1378 |
|
5 | やまな よしただ |
1378 |
|
6 | おおうち よしひろ |
1392 |
|
7 | はたけやま もとくに |
1399 |
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8 | はたけやま みつのり |
1406 |
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9 | はたけやま みついえ |
1408 |
|
10 | はたけやま もちくに |
1433 |
|
11 | はたけやま もちなが |
1441 |
|
12 | はたけやま もちくに |
1441 |
|
13 | はたけやま よしひろ |
1455 |
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14 | はたけやま まさなが |
1460 |
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15 | はたけやま よしひろ |
1467 |
|
16 | はたけやま まさなが |
1467 |
|
17 | はたけやま よしとよ |
1493 |
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18 | はたけやま よしひで |
1499 |
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19 | はたけやま ひさよし |
1507 |
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20 | はたけやま たねなが |
1517 |
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21 | はたけやま まさくに |
1545 |
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22 | はたけやま たかまさ |
1550 |
戦国 大名
紀伊 国 は国人 領主 の力 が強 く、強力 な戦国 大名 は誕生 しなかった。豊臣 政権 の大名
武家 官位 としての紀伊 守
江戸 時代 以前
織田 広 遠 :戦国 時代 の武将 畠 山高 政 :戦国 時代 の紀伊 ・河内 の守護 大名 三村 家 親 :戦国 時代 の武将 、備中 国 の戦国 大名 。備中 松山 城 主 松平 光重 :戦国 時代 の武将 。大草 松平 家 初代 当主 。青木 一 矩 :戦国 時代 から安土 桃山 時代 にかけての武将 ・大名 。紀伊 入山 城主 、播磨 立石 城主 、越前 北 ノ庄 城 主 池田 恒 興 :戦国 時代 から安土 桃山 時代 にかけての武将 ・大名 。尾張 犬山 城 主 、摂津 兵庫 城 主 、美濃 大垣 城 主 池田 元助 :池田 恒 興 の嫡男 で、池田 輝政 の兄 佐伯 惟 教 :戦国 時代 から安土 桃山 時代 の武将 。豊後 佐伯 氏 第 12代 当主 立花 道 雪 :戦国 時代 から安土 桃山 時代 にかけての武将 。立花 宗茂 の養父 和田 惟政 :戦国 時代 から安土 桃山 時代 にかけての武将 ・大名 (摂津 半 国守 護 )。足利 義昭 、後 に織田 信長 の家臣 内藤 信正 :戦国 時代 から江戸 時代 にかけての武将 ・大名 。近江 長浜 藩 第 2代 藩主 、摂津 高槻 藩 、山城 伏見 藩 主 松 平家 忠 :戦国 時代 から江戸 時代 にかけての武将 。形原 松平 家 第 5代 当主
江戸 時代
紀伊 国 の合戦
脚注
注釈
出典
- ^
狂言 における関西 訛 せりふ考 (PDF) (名古屋女子大学 ) - ^ 『
中世 終焉 ――秀吉 の太田 城 水攻 めを考 える』(清文 堂 出版 、2008年 ) ISBN 978-4-7924-0652-3冒頭 より。 - ^
下北山 村 を知 る奈良 県 下北山 村 オフィシャルサイト - ^
府中 遺跡 第 6次 発掘 調査 現地 説明 会 資料 (PDF) (公益 財団 法人 和歌山 市 文化 スポーツ振興 財団 )。 - ^ 『
中世 諸国 一宮 制 の基礎 的 研究 』(岩田 書院 、2000年 )pp. 522-525。
参考 文献
角川 日本 地名 大 辞典 30和歌山 県 旧 高 旧領 取調 帳 データベース
関連 項目
歴史
列車 名
かつて存在 した列車 名
鉄道 駅名
ほかの