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イタリア人 - Wikipedia

イタリアじん(イタリアじん、: italiani)は、

  1. イタリア共和きょうわこく国民こくみんとして国籍こくせき保持ほじするひと
  2. イタリア民族みんぞくみずからのアイデンティティとするひと
イタリアの旗 イタリアじん
italiani
1れつ: アレッサンドロ・ボルタエンリコ・フェルミロレンツォ・デ・メディチリータ・レーヴィ=モンタルチーニジャコモ・レオパルディ
2れつ: レオナルド・ダ・ヴィンチクリストファー・コロンブスフェデリコ・フェリーニジュゼッペ・ヴェルディダンテ・アリギエーリ
3れつ: アンナ・マニャーニウーゴ・フォスコロ, ウンベルト・エーコガブリエーレ・ダンヌンツィオガリレオ・ガリレイ
4れつ: アントニオ・ヴィヴァルディグリエルモ・マルコーニジュゼッペ・ガリバルディアレッサンドロ・マンゾーニグラツィア・デレッダ
5れつ: ジョズエ・カルドゥッチルチアーノ・パヴァロッティニッコロ・マキャヴェッリマルコ・ポーロバレンティーノ・ロッシ
6れつ: セルジオ・レオーネルイジ・ピランデルロピエル・パオロ・パゾリーニジャン・ロレンツォ・ベルニーニサルヴァトーレ・クァジモド
そう人口じんこう
140,000,000にん(イタリアけい移民いみんふくんだ数値すうち
居住きょじゅう地域ちいき
イタリアの旗 イタリア 5500まんにん
アルゼンチンの旗 アルゼンチン3,000まんにん[1]
ブラジルの旗 ブラジル2,400まんにん[2]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ1,780まんにん[3]
コロンビアの旗 コロンビア2,000,000にん[4]
フランスの旗 フランス1,800,000にん[5]
ウルグアイの旗 ウルグアイ1,500,000にん[6]
カナダの旗 カナダ1,445,335にん[7]
ベネズエラの旗 ベネズエラ900,000にん[8]
オーストラリアの旗 オーストラリア852,418にん[9]
ドイツの旗 ドイツ611,000にん[10]
ペルーの旗 ペルーやく500,000にん[11]
ベルギーの旗 ベルギー290,000にん[12]
スペインの旗 スペインやく153,700にん[13]
イギリスの旗 イギリス133,500にん[14]
ルーマニアの旗 ルーマニア40,000にん[15]
南アフリカ共和国の旗 みなみアフリカ35,000にん[14]
クロアチアの旗 クロアチア19,636にん[16]
メキシコの旗 メキシコ15,000にん[17]
モナコの旗 モナコ10,000にん[18]
言語げんご
イタリアいくつかの地方ちほう言語げんごふくむ)
宗教しゅうきょう
カトリック
関連かんれんする民族みんぞく
ギリシャじんエトルリアじんラテンじんローマじんスペインじんフランスじん

国民こくみんとしてのイタリアじん

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この場合ばあいの「イタリアじん」は、イタリア政府せいふからおおやけ国籍こくせきあたえられ国民こくみんとして認知にんちされた人々ひとびとす。

国籍こくせき取得しゅとくするうえにおいて、のイタリアじんおな言語げんごもちい、おな民族みんぞくてき価値かちかんゆうすること有利ゆうりであるのは事実じじつであるが、かならずしも必要ひつようというわけではない。困難こんなんではあるが、そうした要件ようけんたさずとも国籍こくせき取得しゅとくし「国民こくみんとしてのイタリアじん」という立場たちばこと可能かのうなのである(帰化きか)。

ただ、そうした間口まぐちひろさゆえに、後述こうじゅつする「民族みんぞくとしてのイタリアじん」からは外国がいこくじんとして排撃はいげき運動うんどう対象たいしょうにされることすくなくない。

民族みんぞくとしてのイタリアじん

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この場合ばあいの「イタリアじん」はみずからが「イタリア民族みんぞく」にぞくしていると自認じにんする人々ひとびと、つまりみずからの民族みんぞくてきルーツが「イタリア民族みんぞく」にあるとかんがえる人々ひとびとす。

民族みんぞく要件ようけん

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民族みんぞくとは、「自分じぶんたちおなじグループにぞくしている」という仲間なかま意識いしき集団しゅうだん意味いみする。ゆえ人種じんしゅのような生物せいぶつがくてき分類ぶんるいではないし、一般いっぱんかんがえられがちな宗教しゅうきょう文化ぶんか言語げんご絶対ぜったいてき決定けってい要素ようそになるわけでもない。それらはたん共通きょうつうてんおおければ仲間なかま意識いしきいだやすく、グループ(=民族みんぞく形成けいせい)しやすいということぎない。ゆえにイタリア民族みんぞく場合ばあいも、イタリア地方ちほう居住きょじゅうしゃおおられる特徴とくちょうであるコーカソイド白人はくじん)・イタリア話者わしゃ・イタリア文化ぶんか理解りかい・イタリアてき価値かちかん保持ほじなどがもとめられることおおいが、それらも絶対ぜったい条件じょうけんというわけではなく、決定けってい要素ようそとなりうるのは周囲しゅうい認知にんち自認じにんえるであろう。

フランスだいさん共和きょうわせい首相しゅしょうだったジョルジュ・クレマンソーは、中世ちゅうせいいちせんねんちかくのあいだ、みなみイタリアアラブじんイスラム教徒きょうと支配しはいされていたことから、「イタリアじん半分はんぶんきたなはいっている」と公言こうげんしていた[19]。「きたな」とは「ヨーロッパじんではない」のことであり、アラブをしており、みなみイタリアは地中海ちちゅうかいみなみにあり、文化ぶんかてきにもきたアフリカちかく、はだいろ褐色かっしょくであることをしている[19]

ローマ時代じだい

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民族みんぞくとしてのイタリアじん」がはじめて歴史れきしじょうあらわれるのは、古代こだいローマ時代じだいにまでさかのぼる。共和きょうわせい中期ちゅうき、イタリア全土ぜんど統合とうごうする国家こっかとなったローマ共和きょうわこくのイタリア居住きょじゅうしゃ尊重そんちょうしつつも、自国じこく中核ちゅうかくローマ民族みんぞくかんしては従来じゅうらいどお都市とし国家こっか時代じだい所領しょりょうまうみんのみに限定げんていし、あくまでも都市とし民族みんぞくとしての概念がいねん維持いじしていた。このことに不満ふまんいたほかのイタリア居住きょじゅうしゃ反発はんぱつによっていち状況じょうきょう改善かいぜんするための改革かいかくこころみられたものの、最終さいしゅうてきには改革かいかく主導しゅどうしたまもるみんかんマルクス・リヴィウス・ドゥルーススが謀殺ぼうさつされたことで頓挫とんざ平和へいわてき解決かいけつ絶望ぜつぼうしたローマ国籍こくせきたないローマけいイタリア居住きょじゅうしゃうち、ピノチェントぞく・パエリーノぞく・ヴィスティーノぞく・マルッキーノぞく・マルシぞく・フレンターノぞく・サムニウムぞく・ヒルピーノぞくなどはち部族ぶぞくはんローマを旗印はたじるししん国家こっか「イタリア」を建国けんこくコルフィニウムさだめた。

において同盟どうめい戦争せんそうとしてられるこのだい反乱はんらんは、執政しっせいかんルキウス・ユリウス・カエサルがイタリアぜん居住きょじゅうしゃローマ国籍こくせき付与ふよし、ぜんイタリアじんをローマ民族みんぞく統合とうごうすることで終息しゅうそくした。このたたかいののち目的もくてきえた「イタリア」は解体かいたいされるが、上述じょうじゅつぜんイタリアじんへの国籍こくせき付与ふよによってそれまで都市とし民族みんぞくわくとどまっていたローマ民族みんぞくはイタリア居住きょじゅうしゃ全体ぜんたい統合とうごうする地域ちいき民族みんぞくへと発展はってんげ、以降いこう帝政ていせいローマ後期こうきカラカラみかどぜんローマ領民りょうみん国籍こくせき付与ふよし、地中海ちちゅうかい世界せかい居住きょじゅうしゃすべてを統合とうごう代表だいひょうする世界せかい民族みんぞく発展はってんするまでのちょうきにわたって「イタリア居住きょじゅうしゃ統合とうごうする民族みんぞく」でありつづけた。ゆえ近世きんせい以降いこう、イタリア・ナショナリズムが勃興ぼっこうすると、イタリアの民族みんぞく主義しゅぎしゃたち共和きょうわせい中期ちゅうきから帝政ていせい中期ちゅうきまで(論者ろんしゃによってはアントニヌスみことのりれいふくむ)ローマ民族みんぞく古代こだいにおける実質じっしつてきな「イタリア民族みんぞく」であったとかんがえ、ローマ文明ぶんめい自民じみんぞく根源こんげんてきルーツをもとめたものジュゼッペ・マッツィーニ青年せいねんイタリアとうにもその端緒たんしょうかがえる)がおおかった。

上述じょうじゅつのカラカラみかどによるぜん領土りょうど住民じゅうみんへの国籍こくせき付与ふよによってローマ民族みんぞく地域ちいき民族みんぞくから世界せかい民族みんぞくへと飛躍ひやくげたが、それは同時どうじにローマ民族みんぞくが「イタリアの民族みんぞく」という意味合いみあいをおおきくうしなうことを意味いみしていた。さら統一とういつローマ分裂ぶんれつと、イタリア地方ちほうぞくした西にしマ帝国まていこく崩壊ほうかいがそうしたイタリア居住きょじゅうしゃのアイデンティティの喪失そうしつ拍車はくしゃけた。

中世ちゅうせい時代じだい

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西にしローマ崩壊ほうかいゲルマニア地方ちほう出身しゅっしんしょ民族みんぞくえてほんこうではゲルマン民族みんぞくとは呼称こしょうしない)がゆたかな土地とちもとめてイタリア半島はんとう侵入しんにゅうこころみてきた。西にしローマをほろぼした傭兵ようへい隊長たいちょうオドアケルたおしイタリアを征服せいふくしたひがしゴート民族みんぞくおうは、オドアケルの西にしローマ皇帝こうてい返還へんかんによってローマの統一とういつみかどとしての地位ちいていた中世ちゅうせいローマ皇帝こうていよりイタリア総督そうとく地位ちいあたえられ、ひがしゴート王国おうこくひらいた。このさいはいんできたゴートじんかずやく30まん程度ていどわれ、はらじゅうのイタリア居住きょじゅうしゃからすれば圧倒的あっとうてき人数にんずうすくなかったこともあって権力けんりょく基盤きばんよわく、ひがしゴートのおうは「イタリアじんおう(rex Italiae)」と名乗なのらず、たんに「rex(おう)」と名乗なのった。ひがしゴートじん統治とうち短命たんめいわったこともあり、ほとんどのイタリア居住きょじゅうしゃ従来じゅうらいどおりローマ民族みんぞくぞくしているとかんがえていた。

中世ちゅうせいマ帝国まていこくとの戦争せんそうほろんだひがしゴートにいでイタリアを征服せいふくしたのはランゴバルド民族みんぞく(ロンバルド)民族みんぞくであり、かれらはゴートじん同様どうようすうじゅうまんにん程度ていどかずはらじゅうしゃくら圧倒的あっとうてきかずすくなかったため、積極せっきょくてきにローマ時代じだい文化ぶんか法律ほうりつ吸収きゅうしゅうし、みずからの言語げんごよりも積極せっきょくてきラテン語らてんごイタリアもちい、混血こんけつ奨励しょうれいすることでみずからローマ民族みんぞくへの同化どうかはかった。結果けっか、ゴート王国おうこくくらどう民族みんぞくによる統治とうち安定あんていし、フランク王国おうこくによってランゴバルド王国おうこくほろぼされるまで支配しはいつづき、現在げんざいロンバルディアしゅうロマンス諸語しょごロンバルドなどに影響えいきょうのこす。

フランク王国おうこくによる支配しはいはランゴバルド王国おうこく脅威きょういいたローマ教皇きょうこう要請ようせいによって、ランゴバルド王国おうこくほろぼされたのちはじまる。みずからの庇護ひごもとめたローマ教皇きょうこうカール大帝たいてい独断どくだん西にしローマ帝位ていいあたえ(なおあきらかな越権えっけん行為こういであるこの戴冠たいかんをローマ教皇きょうこうは「西にしマ帝国まていこくはコンスタンティヌスみかどだい贖罪しょくざいとして教会きょうかい寄進きしんされた。ゆえ戴冠たいかんけん教会きょうかいにある」とした。しかしその証拠しょうことして提示ていじされていたコンスタンティヌスの寄進きしんじょう現在げんざいでは教会きょうかいによる偽書ぎしょ判明はんめいしている。)、これによってフランク・マ帝国まていこく領土りょうどとして統治とうちされる。フランクによる支配しはいかく地方ちほう有力ゆうりょくしゃ爵位しゃくいあたえての地方ちほう分権ぶんけんてき方法ほうほうであったこと、フランク帝国ていこく自身じしんマ帝国まていこく後継こうけい自負じふしたことなどから、従来じゅうらいどおりローマ民族みんぞくぞくするとかんがえるイタリア居住きょじゅうしゃがほとんどであった。

フランク帝国ていこく崩壊ほうかいしイタリアが政治せいじてき空白くうはくおちいると、北部ほくぶ王位おういあらそ貴族きぞく領土りょうど林立りんりつし、中部ちゅうぶ教会きょうかい私有地しゆうちし、南部なんぶ教会きょうかいうしたてヴァイキングアラブじんはら王政おうせい国家こっかきずかれた。これ以降いこう、サルデーニャ王国おうこくによる統一とういついたるまでのちょうきにわたって、多少たしょう勢力せいりょく変動へんどうはありつつもイタリアは政治せいじてき分裂ぶんれつ渦中かちゅうでさまよいつづけることとなり、イタリアに居住きょじゅうする人々ひとびと次第しだいによりちいさな集団しゅうだんすなわ郷土きょうどあい立脚りっきゃくした地方ちほう民族みんぞく主義しゅぎへと傾斜けいしゃしていった。

ルネッサンス

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イタリアの統一とういつとファシズム

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現代げんだいのイタリア

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ http://www.consultanazionaleemigrazione.it/itestero/Gli_italiani_in_Brasile.pdf
  2. ^ Lee, Adam (2006ねん4がつ3にち). “Unos 20 millones de personas que viven en la Argentina tienen algún grado de descendencia italiana” (Spanish). 2008ねん6がつ27にち閲覧えつらん
  3. ^ S0201. Selected Population Profile in the United States - Population Group: Italian (030-031, 051-074) - Data Set: 2006 American Community Survey - Survey: 2006 American Community Survey”. American Factfinder. U.S. Census Bureau. 2008ねん5がつ8にち閲覧えつらん
  4. ^ https://web.archive.org/web/20180209002829/http://www.ilmondo.tv/it/notizie-emigrazione/3410-convenzioni-inps-estere-fedi-sollecita-nuova-zelanda-ma-anche-cile-e-filippine.html
  5. ^ Insee - Population - Enquêtes annuelles de recensement 2004 et 2005 - Près de 5 millions d'immigrés à la mi-2004” (French). 2009ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  6. ^ Ethnic origins, 2006 counts, for Uruguay, provinces and territories - 20% sample data
  7. ^ Ethnic origins, 2006 counts, for Canada, provinces and territories - 20% sample data
  8. ^ Santander Laya-Garrido, Alfonso. Los Italianos forjadores de la nacionalidad y del desarrollo economico en Venezuela. Editorial Vadell. Valencia, 1978
  9. ^ Australian Census 2006
  10. ^ Immigration Laws: October, 2003 - Number #14”. MigrationInt.com. 2007ねん5がつ4にち閲覧えつらん
  11. ^ http://www.lucanidelperu.com/presenza%20italiana.html
  12. ^ Informazioni sul Belgio”. 2009ねん2がつ28にち閲覧えつらん
  13. ^ Demographía” (PDF) (Spanish). Ine.es (2006ねん). 2007ねん5がつ4にち閲覧えつらん
  14. ^ a b Elenco Riassuntivo Degli Italiani All'Estero” (Italian). Ministry of Foreign Affairs (1998ねん). 2007ねん5がつ4にち閲覧えつらん
  15. ^ Associatia Italienilor din Romania
  16. ^ Population by Ethnicity, by Towns/Municipalities, Census 2001”. DZS.hr (2001ねん). 2007ねん5がつ9にち閲覧えつらん
  17. ^ Italian diaspora in figures
  18. ^ CIA - The World Factbook - Monaco”. CIA.gov (2007ねん4がつ17にち). 2007ねん5がつ9にち閲覧えつらん Includes native Monegasque.
  19. ^ a b 中西なかにし輝政てるまさ日本人にっぽんじんらない世界せかい日本にっぽん見方みかた 本当ほんとう国際こくさい政治せいじがくとはPHP研究所けんきゅうじょPHP文庫ぶんこ〉、2014ねん4がつ3にち、166ぺーじISBN 978-4569761671https://www.google.co.jp/books/edition/日本人にっぽんじんらない世界せかい日本にっぽん/laGA2v5fZCMC?hl=ja&gbpv=1&pg=PA166&printsec=frontcover 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • クリストファー・ダガンちょ 河野こうのはじめやく 『ケンブリッジばん世界せかい各国かっこく「イタリアの歴史れきし」』
  • ピーター・バーグちょ 森田もりた義之よしゆき 柴野しばのひとしわけ新版しんぱん イタリアルネサンスの文化ぶんか社会しゃかい
  • ジャン・フランコ・ヴィネちょ 柴野しばのひとしやく 『ファシズム体制たいせいのイタリアじんらし』
  • マクス・ガロちょ 木村きむらひろしぬしわけ 『ムッソリーニの時代じだい

関連かんれん項目こうもく

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