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書家 - Wikipedia

書家しょか(しょか)は、しょにおける高度こうど技術ぎじゅつ教養きょうようった専門せんもんのこと。日本にっぽんではしょじんともいい、近年きんねん[いつ?]異称いしょうであるが書道しょどうともいわれるようになった。中国ちゅうごくでは、書法しょほう繁体字はんたいじ)という。独自どくじ感性かんせいすみ文字もじアート、ぼくぞう手掛てがけているは、書家しょかとはことなる。

らんていじょ』(部分ぶぶん
かみりゅうはんしるしほん 王羲之おうぎし
『哭澄上人しょうにん』(部分ぶぶん
嵯峨天皇さがてんのう宸筆しんぴつ
しょ』(部分ぶぶん
まごにわしょ

書家しょか異称いしょう

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能書のうがき能筆のうひつ
一般いっぱんてきには、くことが上手じょうずなこと、また、そのひとのことをいう。すぐれた書作しょさくひんとして使つかわれることもある。日本にっぽん書法しょほう教授きょうじゅ職業しょくぎょうとする「書家しょか」があらわれたのは江戸えど時代じだい中期ちゅうき以降いこうとされているが、それまでの書家しょか存在そんざいしない時代じだいしょ上手じょうずひと能書のうがき手書てがしょうした[1]。『万葉集まんようしゅう』のなかで「羲之」や「大王だいおう」を「テシ」()とませ、王羲之おうぎし能書のうがき代名詞だいめいしとしていた。いまでも歴史れきしじょうしょじん能書のうがき能筆のうひつしょうしている。
能書のうがき能筆のうひつ
能書のうがき能筆のうひつ同様どうよう使つかわれるが、きん現代げんだい書家しょかたいしても、おおくの書家しょかからその能書のうがきたることをみとめられている場合ばあい使つかわれる。いわゆるしょ名人めいじん書道しょどうかい大御所おおごしょである。中国ちゅうごくでは書法しょほう大師だいし書法しょほう大家たいかという。
文人ぶんじん書家しょか
篆刻てんこくねる書家しょか日本にっぽんでも中国ちゅうごくでも古今ここんれいおおいが、中国ちゅうごくでは多芸たげいおもんじる傾向けいこうつよく、とくに、しょ篆刻てんこくかくくしてよんぜっ称賛しょうさんされ、文人ぶんじん書家しょかともしょうされる。中国ちゅうごく呉昌碩ごしょうせきがその代表だいひょうであり、最後さいご文人ぶんじんである。
書道しょどう
古典こてん作品さくひんざしたしょもちい、いわゆるしょだんしょりゅうぞくすものを書家しょかというのにたいし、書道しょどうもちいたパフォーマンスひとし活動かつどうせんらにするもの書道しょどうぶ。書家しょかしょ、すなわち古典こてんざした内面ないめんてき美意識びいしき要諦ようたいとするのにたいして、書道しょどう書道しょどう、すなわち西洋せいようてき芸術げいじゅつ解釈かいしゃくから広範こうはん活動かつどうゆるされることをもっおこなうものである。しょは、文字もじせい構造こうぞうせい言語げんごせい必須ひっす要素ようそであり、あくまで文字もじとしての要素ようそのこすことにあるため、誤字ごじかたち間違まちがい、歴史れきしてき仮名遣かなづかいなどのあやまりにきびしいため、研究けんきゅう非常ひじょう重視じゅうしされ、いるほどにその練達れんたつみがかれる老成ろうせい芸術げいじゅつともばれる。しかし書道しょどうにおいては、西洋せいよう芸術げいじゅつ許容きょようひろ解釈かいしゃくによって、これらのしょ必須ひっす要素ようそをほぼ無視むししてよい[2]という解釈かいしゃくがされ、手軽てがるたのしめる利点りてんがある[3]ふるくから独立どくりつけい前衛ぜんえいけい書家しょか中心ちゅうしんだい字書じしょいち字書じしょばれるジャンルなどで現在げんざいのパフォーマンスにちかいものはおこなわれていたが、近年きんねん[いつ?]のインターネットの発達はったつにより活動かつどう環境かんきょうととのえられ、書道しょどう増加ぞうか傾向けいこうにある[よう出典しゅってん]
デザイン書家しょか
古典こてん作品さくひんもとづき、それを継承けいしょうしていく芸術げいじゅつ表現ひょうげんとしてのしょとはことなり、ただしい字形じけい筆法ひっぽうなどを意識いしきすることなく、自由じゆう独創どくそうてき表現ひょうげん広告こうこくてき観点かんてんによる訴求そきゅうせい重視じゅうしした表現ひょうげんおこなっている書家しょか。このような作品さくひん分野ぶんやは、デザイン書道しょどう、デジタル書道しょどう、アート書道しょどう商業しょうぎょう書道しょどうなどとばれている。

日本にっぽん書家しょか

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日本にっぽん代表だいひょうする書家しょか
平安へいあん時代じだい空海くうかい橘逸勢たちばなのはやなり嵯峨天皇さがてんのうさんぴつをはじめ、名家めいか輩出はいしゅつし、名筆めいひつのこそんした。また、かなが出現しゅつげんし、かなと漢字かんじとの調和ちょうわ日本にっぽん書道しょどうおおきな課題かだいとして提示ていじされ、これにおうじて和様わよう書道しょどう完成かんせいされた。その完成かんせいしゃは、しょう野道のみちふうである。みちふうのち藤原ふじわらたすく藤原ふじわらこうなりと、いわゆるさんあと相継あいつぎ、黄金おうごん時代じだい現出げんしゅつした。
内閣ないかく大臣だいじん官房かんぼう人事じんじには報道ほうどう披露ひろうされる元号げんごう官記かんきなどの揮毫きごう専門せんもんとする辞令じれい専門せんもんかん官邸かんてい書家しょか[4])がおり、公務員こうむいんではあるが一般いっぱん試験しけん採用さいようではなく書家しょか任命にんめいされている[5]

書家しょか一覧いちらん

  • 飛鳥あすか時代じだいから江戸えど時代じだい
  • 明治めいじ時代じだいから現代げんだい

中国ちゅうごく書家しょか

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中国ちゅうごく代表だいひょうする書家しょか
しょ名家めいかは、こうかんちょうしばたかし鍾繇あずますすむ王羲之おうぎし王献之おうけんしである。王羲之おうぎしは、「おおくのしょなかで、鍾繇とちょうしばぐんいてよい。そのるにりない。」という。そして、鍾繇とちょうしばが歿して、羲之とけんじこれがこれをぐことになる。羲之はまた、「わがしょを鍾繇とちょうしばくらべると、鍾繇には拮抗きっこうする。しかし、ちょうしば草書そうしょは、いまなお雁行がんこう[6]する。」といっている。鍾繇の楷書かいしょちょうしば草書そうしょ王羲之おうぎしのそれと比較ひかくした場合ばあい、羲之の各々おのおの書体しょたいは鍾繇・ちょうしばっていないが、羲之はかく書体しょたいつうじているというてん卓越たくえつしている。王献之おうけんし筆跡ひっせきは、羲之の書法しょほうをほぼ伝承でんしょうしているとおもわれるが、そうでないめん色々いろいろ逸話いつわ物語ものがたっており、けんじこれが羲之におよばないのはうたがいない[7]

書家しょか一覧いちらん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 書道しょどう用語ようご一覧いちらん#参照さんしょう
  2. ^ 字形じけいあやまりや、誤字ごじ誤用ごようとうについては、文字もじ文化ぶんか破壊はかいであるとうおおくの批判ひはんがある。
  3. ^ 書道しょどうパフォーマンスについては、高等こうとう学校がっこうでは芸術げいじゅつ書道しょどう学習がくしゅう科目かもくとしているため、書道しょどうしたしみをもたせることができるとの観点かんてんからおこなわれるところもおおいが、小中学校しょうちゅうがっこうにおいては国語こくご書写しょしゃという科目かもくがあり、言語げんごとして適切てきせつ文字もじ学習がくしゅうさせる義務ぎむ教育きょういく目的もくてきから、学習がくしゅう指導しどう要領ようりょうによって書道しょどうおこなわないものとされており、パフォーマンスはおこなわれない。もし書写しょしゃパフォーマンスをおこな場合ばあいには、学習がくしゅう指導しどう要領ようりょうしたがい、誤字ごじあやまった字形じけいとならないような適切てきせつ指導しどうのぞまれる。
  4. ^ Furoshiki@Kanteiについて - 首相しゅしょう官邸かんてい
  5. ^ 「これまでの功績こうせき、これからの重責じゅうせきへのおもいをふでめて」 - 人事院じんじいん
  6. ^ 雁行がんこう(がんこう)とは、さきってくこと。
  7. ^ しょ』の一部分いちぶぶん要約ようやく

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 木村きむらぼくどう日本にっぽん中国ちゅうごくしょ日本にっぽんしょ作家さっか協会きょうかい、1971ねん
  • 鈴木すずき翠軒すいけん伊東いとうさんしゅう新説しんせつ和漢わかん書道しょどう日本にっぽん習字しゅうじ普及ふきゅう協会きょうかい、1996ねん11月、ISBN 4-8195-0145-3ISBN 978-4-8195-0145-3
  • 図説ずせつ日本にっぽん書道しょどう」『ぼくスペシャルだい12ごう 芸術げいじゅつ新聞しんぶんしゃ、1992ねん7がつ
  • 相川あいかわてつがけ書法しょほう二玄社にげんしゃ、2002ねんISBN 4-544-01468-9ISBN 978-4-544-01468-6

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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  • "書道しょどう". 13さいのハローワーク公式こうしきサイト(13hw) -中高生ちゅうこうせいのための…未来みらいのヒントに出会であ場所ばしょ。-. 2015ねん6がつ19にち時点じてんのオリジナルよりアーカイブ。2022ねん2がつ21にち閲覧えつらん