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ハルク・ホーガン - Wikipedia

ハルク・ホーガン

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくのプロレスラー

ハルク・ホーガンHulk Hogan本名ほんみょうTerry Eugene Bollea1953ねん8がつ11にち - )は、アメリカプロレスラージョージアしゅうオーガスタまれ、フロリダしゅうタンパ出身しゅっしん

ハルク・ホーガン
ハルク・ホーガンの画像
2014ねん "Fan Expo Canada" にて

署名しょめい
プロフィール
リングネーム ハルク・ホーガン
ハリウッド・ホーガン
ミスター・アメリカ
テリー "ザ・ハルク" ボールダー
スターリング・ゴールデン
ハルク・マシーン
スーパー・デストロイヤー
本名ほんみょう テリー・ユージーン・ボレア
ニックネーム インクレディブル(Incredible)
インモータル(Immortal)
ハルクスター(Hulkster)
ハリウッド(Hollywood)
リアル・アメリカン(Real American)
超人ちょうじん
現代げんだいのネプチューン
身長しんちょう 201cm[1][2]
体重たいじゅう 137kg(ぜん盛時せいじ[2]
誕生たんじょう (1953-08-11) 1953ねん8がつ11にち(70さい
出身しゅっしん アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
フロリダ州の旗 フロリダしゅう
ヒルズボロぐんタンパ
スポーツれき パワーリフティング
トレーナー ヒロ・マツダ
デビュー 1979ねん12月17にち
引退いんたい 2012ねん1がつ27にち
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長女ちょうじょ歌手かしゅブルック・ホーガンおいもとプロレスラーのホーレス・ホーガン(マイク・ボレア)。

来歴らいれき 編集へんしゅう

自著じちょによると少年しょうねん時代じだいのホーガンは圧倒的あっとうてき体格たいかくかし、野球やきゅうのリトルリーグでは強打者きょうだしゃとして活躍かつやくしていたが、ふとりすぎておりあしおそく、のスポーツは苦手にがてであったという[3]高校こうこう時代じだいボディビルディングからだきたえる一方いっぽうみなみフロリダ大学だいがく時代じだいから「ラッカス(Ruckus)」というロックバンドのベーシスト活動かつどうした。

もともとプロレスファンだったホーガンはスーパースター・ビリー・グラハムあこがれ、自身じしん巨体きょたいとロックバンド時代じだいつちかった観客かんきゃくとのやりりの才覚さいかくかすべく、プロレスラーになることを決意けつい。ビリー・グラハムには弟子入でしいりをことわられるも、NWAフロリダ地区ちくチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)のプロモーターだったエディ・グラハム息子むすこマイク・グラハムかいしてヒロ・マツダのトレーニングをける[4]。レスラーになるのをあきらめさせるためマツダからきびしいシゴキをけてあしられたこともあったが[5][ちゅう 1]1977ねん8がつ覆面ふくめんレスラースーパー・デストロイヤーThe Super Destroyer)として、ブライアン・ブレアー相手あいてにデビューをたした[6]

以後いごテリー・ボールダーTerry Boulder)、スターリング・ゴールデンSterling Golden)などのリングネームをもちい、ビリー・グラハムの影響えいきょうにある筋肉きんにく新鋭しんえい選手せんしゅとして、アラバマサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリングテネシーコンチネンタル・レスリング・アソシエーションジョージアジョージア・チャンピオンシップ・レスリングなど、南部なんぶかくプロモーションをベビーフェイスのポジションで転戦てんせん[2]。アラバマでは1979ねん6がつオックス・ベーカーから南部なんぶばんのNWAサウスイースタン・ヘビーきゅう王座おうざ奪取だっしゅ[7]、12月にはディック・スレーターやぶどう王座おうざ北部ほくぶばん獲得かくとくしている[8]。5月から7がつにかけてはモービルおよびドーサンにて、当時とうじハーリー・レイス保持ほじしていたNWA世界せかいヘビーきゅう王座おうざ度々どど挑戦ちょうせんした[9]。テネシーでは同年どうねん5がつ21にちメンフィスのミッドサウス・コロシアムでどう地区ちく英雄えいゆうてき存在そんざいだったジェリー・ローラーとタッグを[10]、ジョージアでは10月19にちアトランタオムニ・コロシアムスタン・ハンセン対戦たいせんした[11]

どう時期じきテレビドラマ超人ちょうじんハルク主演しゅえんルー・フェリグノおなじカメラにおさまる機会きかいがあり、トップ・ボディビルダーのフェリグノより巨大きょだい肉体にくたい評判ひょうばんとなる[12]。これをに、超人ちょうじんハルクにあやかりザ・ハルクThe Hulk)をニックネームにもちいるようになった[12]一時いちじはプロレスかいはな港湾こうわん労働ろうどうしゃてんじていたこともあったが[13]テリー・ファンクジャック・ブリスコジェリー・ブリスコらのすすめで復帰ふっきたし、WWFりのきっかけをつかむ[14]

WWF時代じだい初期しょき 編集へんしゅう

 
みぎマネージャー "クラッシー" フレッド・ブラッシー(1980ねん

1979ねん12月、WWF(げんWWE)にはつ登場とうじょうビンス・マクマホン・シニア提案ていあんハルク・ホーガンHulk Hogan)とリングネームをあらた[15]フレッド・ブラッシーマネージャーむかえ、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにおけるデビューせんテッド・デビアスから勝利しょうりおさめる[16]

以後いごアンドレ・ザ・ジャイアント巨体きょたい対抗たいこうできるちょう大型おおがたヒールとしてトップ戦線せんせん活躍かつやくゴリラ・モンスーンティト・サンタナドミニク・デヌーチレネ・グレイジョニー・ロッズホセ・エストラーダイワン・プトスキーパット・パターソンらを相手あいてにデビューせんから20すう連勝れんしょうという戦績せんせきのこしたことから「マディソン・スクエア・ガーデンの奇跡きせき」とひょうされ、その全米ぜんべいらしめた。

1980ねんボブ・バックランドWWFヘビーきゅう王座おうざにもフィラデルフィアアレンタウンなどで再三さいさん挑戦ちょうせん[17][18]、8がつ9にちシェイ・スタジアム開催かいさいされたビッグイベント『ショーダウン・アット・シェイ』ではアンドレとのシングルマッチがまれた[17]

しん日本にっぽんプロレス時代じだい 編集へんしゅう

1980ねんから1983ねんにかけて、日本にっぽんでは当時とうじWWFと提携ていけいしていたしん日本にっぽんプロレス主戦しゅせんじょうとする。はつ来日らいにち1980ねん5月の『だい3かいMSGシリーズ』。アメリカでのスケジュールの都合つごうのためリーグせんには参加さんかせず、はつ来日らいにちながらシリーズ後半こうはんせんへの特別とくべつ参加さんかといういで、ストロング小林こばやしから勝利しょうりおさめ、アントニオ猪木いのきとのシングルマッチもテレビ中継ちゅうけいまれた[19]当時とうじ1955ねんまれとしょうしており、金色きんいろのマントをまとい背中せなかにはくろ剛毛ごうもうやしていた。

2度目どめ来日らいにちとなる1980ねん10がつには、タイガー・ジェット・シン外国がいこくじん陣営じんえいじゅんエースかくとして、猪木いのき保持ほじしていたNWFヘビーきゅう王座おうざ挑戦ちょうせん[20]スタン・ハンセンのタッグパートナーとしても活躍かつやくし、同年どうねん11がつ開幕かいまくの『だい1かいMSGタッグ・リーグせん』では猪木いのき&ボブ・バックランドのチームと決勝けっしょうあらそった[21]

1981ねんには、アブドーラ・ザ・ブッチャーしん日本にっぽんプロレスにかれた全日本ぜんにほんプロレスと『全日本ぜんにほんプロレス中継ちゅうけい』の放映ほうえいきょくであった日本にほんテレビによる外国がいこくじん工作こうさくのターゲットにされたことがあり、同年どうねん9がつには全日本ぜんにほんプロレスへの移籍いせき一旦いったん発表はっぴょうされた。実際じっさい同年どうねん5がつボビー・ダンカン経由けいゆテリー・ファンク仲介ちゅうかい契約けいやくしょわす段階だんかいにまでいたった。しかしホーガンはそれを新日本しんにほんせ、ギャラげの交渉こうしょう使つかったためご破算はさんとなったといわれている。和田わだ京平きょうへいによれば、そのテリーはきのターゲットをホーガンからハンセンに変更へんこうしたという[22]。その行動こうどうおこったテリーは京王けいおうプラザホテルでホーガンをなぐたおしたとされているが、テリーは自著じちょ否定ひていしている。

ハンセンが全日本ぜんにほんプロレスに移籍いせきしたのち1982ねんには、ウエスタン・ラリアットしたアックスボンバー右腕うわんをLがたげ、ラリアットのようにひじ相手あいてたたきつけるわざ)をフィニッシャー使用しよう出演しゅつえん映画えいがロッキー3』の公開こうかいもあって本国ほんごく同様どうよう日本にっぽんでもだいブレイクし、ハンセンにわる新日本しんにほん看板かんばん外国がいこくじん選手せんしゅとなる。外国がいこくじんベビーフェイスとして日本人にっぽんじん陣営じんえいにもくわわり、猪木いのきとのタッグやブッチャーとの対戦たいせん実現じつげんした[23]坂口さかぐちせいとのタッグチームでは、キラー・カーン&ブラックジャック・マリガンとの日米にちべい混合こんごうのスーパーヘビーきゅうタッグマッチおこなわれた[24]

1983ねん開催かいさいされた『IWGP決勝けっしょうリーグせん』にはアメリカ代表だいひょうとして参加さんかし、6月2にち蔵前くらまえ国技こくぎかんおこなわれた決勝けっしょうせんでは猪木いのきをアックスボンバーでKOして優勝ゆうしょうたした[25]

1981ねんからはじめた右手みぎて人差ひとさゆび高々たかだかげ「イチバァーン!」とさけめポーズも話題わだいになり、リングコスチュームもくろのショートパンツにしろで「一番いちばん」といたものにする。「一番いちばん」とかれたタンクトップやTてぃーシャツ、ハッピも発売はつばいされた。以降いこう "ICHIBAN" はNo.1を意味いみするかたりとしてアメリカでも有名ゆうめい日本語にほんごの1つとなった[26]

AWA時代じだい 編集へんしゅう

 
みぎジム・ブランゼル(1983ねん

1981ねんからはアメリカでの主戦しゅせんじょうAWAうつし、本国ほんごくアメリカでもベビーフェイスとしてだいブレイクをたす。しかし、AWA世界せかい王者おうじゃニック・ボックウィンクル相手あいてなんとなく「まぼろし勝利しょうり」をげたにもかかわらず、AWAの主宰しゅさいしゃだったバーン・ガニアのスポーツの実績じっせきもなく、単純たんじゅんなパワーファイターのホーガンの商品しょうひん価値かち過小かしょう評価ひょうかAWA世界せかいヘビーきゅう王座おうざあたえなかった。

世界せかい王座おうざ戴冠たいかんたせなかったものの、おなじくスーパースター・ビリー・グラハムあこがれたジェシー・ベンチュラとのこうそうや、ちょう巨漢きょかん選手せんしゅジェリー・ブラックウェルとのボディスラム・マッチなどでも人気にんきはく[27]。また、WWFやしん日本にっぽんプロレスでのきゅうてきであるアンドレ・ザ・ジャイアントともタッグをみ、悪党あくとうマネージャーのボビー・ヒーナンひきいるファミリー(ボックウィンクル、ケン・パテラボビー・ダンカンアドリアン・アドニスミスター・サイトーなど)と軍団ぐんだんこうそう展開てんかいした[28][29]

どう時期じき、ホーガンの知名度ちめいどさら向上こうじょうさせたのが、1982ねん公開こうかいのアメリカ映画えいがロッキー3』への出演しゅつえんである[30]。ホーガンはプロボクサーのロッキー(シルヴェスター・スタローン)とたたか敵役かたきやくのプロレスラー「サンダーリップスThunderlips)」としてプロレスかい以外いがいでもネームバリューをたかめた[ちゅう 2]

WWF時代じだい 編集へんしゅう

1983ねん12月、シニアの後継こうけいしゃとなるビンス・マクマホン・ジュニアにWWF全米ぜんべい進出しんしゅつ計画けいかくのエースとして白羽しらはてられ、日本にっぽん滞在たいざいちゅうにWWFと専属せんぞく契約けいやくわす(AWAのバーン・ガニアは、この突然とつぜん事件じけん激怒げきどしたという)。1984ねん1がつ23にち、MSGにおいて当時とうじ王者おうじゃであったアイアン・シークくだWWF世界せかいヘビーきゅう王座おうざはつ戴冠たいかん[32][33]。2がつ10日とおかにはNWA総本山そうほんざんだったセントルイスキール・オーディトリアムにて、マスクド・スーパースター相手あいてはつ防衛ぼうえい成功せいこう[34]以降いこう同年どうねんより開始かいしされた全米ぜんべい侵攻しんこうサーキットにおいて、ポール・オーンドーフビッグ・ジョン・スタッドデビッド・シュルツロディ・パイパーカウボーイ・ボブ・オートンニコライ・ボルコフグレッグ・バレンタインなどの強豪きょうごうとの防衛ぼうえいせん各地かくちおこなわれた[35]

 
WWF世界せかいヘビーきゅう王者おうじゃ時代じだい(1985ねん

シンディ・ローパーらとともMTV出演しゅつえんするようになると、その圧倒的あっとうてきなカリスマせい単純たんじゅんだがかりやす試合しあいでプロレスファン以外いがいそうにまで人気にんき爆発ばくはつしていった。1985ねん3月31にちレッスルマニアだい1かい大会たいかい開催かいさいされて以降いこう社会しゃかい現象げんしょうべるほどの国民こくみんてき人気にんき獲得かくとくした。このレッスルマニアという名称めいしょう自体じたい「レッスル」とハルクファンの「ハルカマニアHulkamania)」をしたホーガンのための大会たいかいだった。

しん日本にっぽんプロレスへの来日らいにちつづけ、1985ねん6がつ11にちには東京とうきょう体育館たいいくかんにおいて、ダニー・ホッジをレフェリーにむかえて藤波ふじなみ辰巳たつみ相手あいてにWWF王座おうざ防衛ぼうえい[36]。6月13にちには愛知あいちけん体育館たいいくかんにて猪木いのきIWGP選手権せんしゅけんあらそったが[37]同年どうねん10がつしん日本にっぽんプロレスとWWFとの提携ていけい解消かいしょうされたため、しばらく来日らいにち途絶とだえることとなった。

以降いこうもWWF世界せかい王者おうじゃとして活躍かつやくし、カマラキングコング・バンディなどの巨漢きょかんヒールからもとNWA世界せかい王者おうじゃテリー・ファンクハーリー・レイスまでを挑戦ちょうせんしゃむかえてタイトルを防衛ぼうえい[38][39]人気にんき絶頂ぜっちょうおこなわれたアンドレ・ザ・ジャイアントとの対決たいけつ1987ねん3月29にちレッスルマニアIII)では9まん3173にんという観客かんきゃく動員どういんすう記録きろくしている[39]。タッグ戦線せんせんでは、フェイスターンしたきゅうてきのパイパー、オーンドーフ、ドン・ムラコらと共闘きょうとうすることもあった[38][39]

 
雑誌ざっし "Wrestling's Main Event" より(1987ねん

1988ねん2がつ5にちの "WWF The Main Event" におけるアンドレとの防衛ぼうえいせんにおいて、3カウントまえかたげたもののフォールけをられてタイトルをうしなうが、その人気にんきおとろえず、同年どうねん3がつ27にちレッスルマニアIVでのしんWWF世界せかい王者おうじゃ決定けっていせんでは、前年ぜんねんにフェイスターンしていたランディ・サベージ王座おうざ戴冠たいかんをアシストした[2]以後いご、サベージと「メガ・パワーズThe Mega-Powers)」なるタッグチームを結成けっせいし、アンドレ&テッド・デビアスのメガ・バックスやビッグ・ボスマン&アキームのツイン・タワーズなどと抗争こうそうするが仲間割なかまわれ。1989ねん4がつ2にちレッスルマニアVにおいて、ふたたびヒールとなったサベージをやぶり、WWF世界せかい王者おうじゃかえいた[2][32]

レスラーとしての活動かつどう並行へいこうして、さまざまなてい予算よさん映画えいが主演しゅえんして俳優はいゆうとしても活躍かつやく。1989ねん6がつ公開こうかい映画えいがNo Holds Barred』での敵役かたきやくゼウス英語えいごばんとは、同年どうねんサマースラム'89サバイバー・シリーズ'89においてもタッグマッチで対戦たいせんした[2]

1990ねん4がつ1にちレッスルマニアVIにおいてアルティメット・ウォリアーやぶれ、ふたた王座おうざから陥落かんらく[32]同月どうげつ13にち東京とうきょうドーム開催かいさいされた『日米にちべいレスリングサミット』への出場しゅつじょう久々ひさびさ来日らいにちスタン・ハンセンとのシングルマッチで勝利しょうりおさめた[40]

そのアースクェイクとのこうそうて、1991ねん3月24にちレッスルマニアVIIにおいてサージェント・スローターやぶりWWF世界せかい王者おうじゃふたたかえ[32]翌週よくしゅうの3がつ31にち当時とうじのWWFの日本にっぽんでの提携ていけいさきだったSWS東京とうきょうドーム大会たいかい来日らいにち天龍てんりゅう源一郎げんいちろうんでロード・ウォリアーズホーク&アニマル)と対戦たいせんした[41]よく4がつ1にち神戸こうべワールド記念きねんホール大会たいかいでは谷津たにつ嘉章よしあき相手あいてに、しん日本にっぽんプロレス参戦さんせん以来いらいとなる日本にっぽんでのWWF王座おうざ防衛ぼうえいせんおこなった[42]

同年どうねん11がつ27にちサバイバー・シリーズ'91においてジ・アンダーテイカーやぶ王座おうざから陥落かんらく[32]。12月3にちのリターンマッチでいち奪還だっかん成功せいこうするも、りょう試合しあいともリック・フレアー干渉かんしょうによる不透明ふとうめい決着けっちゃくだったため王座おうざ剥奪はくだつされる[2][32]。12月12にちにはSWSの東京とうきょうドーム大会たいかいさい来日らいにちして天龍てんりゅうとシングルマッチで対戦たいせんしたが、試合しあいはノンタイトルせんとなった[43]以降いこう、フレアーやアンダーテイカーと抗争こうそうするが、どう時期じきステロイドスキャンダルの影響えいきょうもあり、1992ねん4がつ5にちレッスルマニアVIIIでのシッド・ジャスティスせんのち、しばらくリングをはなれることとなった[2]

1993ねん3がつ復帰ふっき、4がつ4にち開催かいさいレッスルマニアIXにおいて、ブルータス・ビーフケーキんでデビアス&IRSのマネー・インクが保持ほじしていたWWF世界せかいタッグ王座おうざ挑戦ちょうせん[44]どう大会たいかいのメインイベントではヨコズナブレット・ハートくだしてしんWWF世界せかい王者おうじゃとなったが、試合しあいにハートを介抱かいほうするホーガンをヨコズナのマネージャーのミスター・フジ挑発ちょうはつ、ヨコズナたいホーガンのタイトルマッチが急遽きゅうきょおこなわれ、これに勝利しょうりしたホーガンがやく1ねんはんぶりに王座おうざかえいた[2][32]

しかし、同年どうねん6がつ13にちキング・オブ・ザ・リング'93においてふたたびヨコズナにタイトルをわたし、俳優はいゆうへの本格ほんかくてき転向てんこうによる引退いんたい理由りゆうにWWFを退団たいだんした[2]契約けいやく問題もんだいやステロイド裁判さいばん影響えいきょうでWWFとのあいだ亀裂きれつしょうじたともされるが、ホーガン自身じしん自著じちょにおいて、退団たいだんは3がつ復帰ふっきした時点じてんから合意ごういうえであり「団体だんたいとのあいだ確執かくしつはなかった」と記述きじゅつしている[45]

しん日本にっぽんプロレスさい来日らいにち 編集へんしゅう

WWF時代じだい末期まっき1993ねん5月3にち、8ねんぶりにしん日本にっぽんマットに登場とうじょう福岡ふくおかドームグレート・ムタ対戦たいせんした。このときしん日本にっぽんプロレスはWCW提携ていけいむすんでおり、現役げんえきWWF世界せかいヘビーきゅう王者おうじゃであったホーガンの出場しゅつじょうかんがえられないことであった。また、ムタも当時とうじIWGPヘビーきゅう王者おうじゃであったため、日米にちべいのトップ対決たいけつとしても注目ちゅうもくされた。同年どうねん9がつ23にちには、横浜よこはまアリーナでムタとみ、ヘルレイザーズ対戦たいせんしている。翌年よくねん1がつには藤波ふじなみたつなんじとも対戦たいせんした。

WCW時代じだい 編集へんしゅう

連続れんぞくテレビドラマを制作せいさく主演しゅえんしていた1994ねんおなディズニー・ワールドうちでTVマッチを収録しゅうろくしていたWCW契約けいやくした。WWF時代じだいおなじくベビーフェイスのポジションで活動かつどうし、PPV興行こうぎょうふだとしてリック・フレアーとのWCW世界せかいヘビーきゅう王座おうざせんおこなわれたが、WWFを凌駕りょうがするほどの起爆きばくざいとはならず、ホーガン本人ほんにんあらたなキャラクターをもとめた。1996ねん7がつヒール電撃でんげき転向てんこうし、おなじくWWFから移籍いせきしてきたケビン・ナッシュスコット・ホールともnWo結成けっせい、コスチュームのテーマカラーもレッド&イエローからくろずくめに一新いっしんし、ハリウッド・ハルク・ホーガンHollywood Hulk Hogan)を名乗なのった。くわしくは「マンデー・ナイト・ウォーズ」を参照さんしょう

これによってホーガンは選手せんしゅとしてのキャリアのリセットにも成功せいこうし、またnWoのだいヒットでWCWはWWFの人気にんき上回うわまわるようになっていく。ヒールサイドの主役しゅやくとして活躍かつやくし、WCW世界せかいヘビーきゅう王座おうざなんとなく獲得かくとく1998ねんにはビル・ゴールドバーグとの超人ちょうじん対決たいけつ実現じつげんした。nWo解散かいさんのベテラン選手せんしゅたちとともにミリオネアーズ・クラブなるユニットを結成けっせいしたりもしたが、家族かぞくごす時間じかんしいとの理由りゆうから2001ねんのWCW崩壊ほうかいまえ離脱りだつした。

かつてのレッド&イエローのコスチュームでジミー・ハート旗揚はたあげしたしん団体だんたいXWFのTVテーピングにも参加さんかしたが、どう団体だんたいもほどなく活動かつどう停止ていしした。

WWE復帰ふっき 編集へんしゅう

 
リングインしたさいのパフォーマンス(2004ねん8がつ

2002ねん2がつ、ビンス・マクマホンの刺客しかくnWoの一員いちいんとしてヒールにもどりWWF(げん:WWE)に復帰ふっきする。WrestleMania X8で8ねんぶりのレッスルマニアさい登場とうじょうたし当時とうじ主役しゅやくザ・ロックとの頂上ちょうじょう決戦けっせん実現じつげん。WWEがわは「あく枢軸すうじく」nWoぐん総帥そうすいホーガンを絶対ぜったいてきベビーフェイスのロックがむかつというアングルを構成こうせいしたものの、入場にゅうじょうシーンからホーガンへの爆発ばくはつてき声援せいえん一色いっしょくとなり、ロックのほうがブーイングをびる結果けっかとなった。この試合しあいは「ICONvsICON」という試合しあいタイトルに相応ふさわしい重厚じゅうこうめい勝負しょうぶとなり、ホーガンのハルクアップ、3パンチ、ビッグブート、レッグドロップというフィニッシュ・ムーヴをロックがキックアウトしたシーンはだい歓声かんせいびた。最後さいごはロックがロック・ボトム2連発れんぱつからピープルズ・エルボーフォふぉル勝るがちをおさめた。試合しあいホーガンはnWoのメンバーであったホールとナッシュに裏切うらぎられ、暴行ぼうこうけるが、直後ちょくごロックがたすけにあらわれ、ともむかった。ホーガンはロックに握手あくしゅもとめ、翌日よくじつからnWoを脱退だったいし、ベビーフェイスにもどった。

同年どうねん7がつ4にち独立どくりつ記念きねんには、エッジとのタッグで自身じしんはつWWE世界せかいタッグ王座おうざ獲得かくとくブロック・レスナーとの対戦たいせんのち一時いちじ団体だんたい離脱りだつするが、復帰ふっきしたふゆごろからSmackDown!にてビンスとの対決たいけつアングルまれ、WrestleMania XIX対決たいけつ勝利しょうりする[ちゅう 3]

2003ねん5月には覆面ふくめんレスラーミスター・アメリカMr. America)にふんするも、そのストーリーに不満ふまんいだ同年どうねん6がつにWWEを離脱りだつした。同年どうねん10がつ13にちしん日本にっぽんプロレス『ULTIMATE CRUSH』にワンマッチのみ参戦さんせんちょう正洋まさひろとシングルマッチをおこなった。

2005ねん4がつWWE殿堂でんどうはいり(プレゼンターはシルヴェスター・スタローン)。またWrestleMania 21にてWWEさい登場とうじょうたした。7月にはRAW正式せいしき復帰ふっきして選手せんしゅ登録とうろくもされ、ショーン・マイケルズこうそうひろげた。両者りょうしゃたたかいはサマースラム決着けっちゃく

2006ねんサマースラムではランディ・オートン対戦たいせん勝利しょうり次回じかい試合しあい2007ねんWrestleMania 23でのストーン・コールド・スティーブ・オースチンとのゆめ対決たいけつ、あるいはアンドレ・ザ・ジャイアントせん20周年しゅうねん記念きねんしたビッグ・ショーとの対戦たいせんうわさされていたが、実現じつげんしなかった。

TNA参戦さんせん 編集へんしゅう

2007ねん4がつ、PMG Clash of Legendsに単発たんぱつ出場しゅつじょう。そのは2009ねん10がつ27にちTNA契約けいやくした。その直前ちょくぜんにはエリック・ビショフらとともにしん団体だんたい「ハルカマニア」設立せつりつ発表はっぴょう同年どうねん11がつオーストラリア旗揚はたあ興行こうぎょう開催かいさいした。

WWEさい復帰ふっきからの解雇かいこ、3度目どめ復帰ふっき 編集へんしゅう

 
ジミー・ハート

2014ねん2がつ24にちつぎのレッスルマニアのホストとしてWWEに復帰ふっき公式こうしきサイトにも所属しょぞくレスラーとして掲載けいさいされた。しかし、2015ねん7がつ24にちにWWEはホーガンを解雇かいこしたと発表はっぴょうした。8ねんまえ録音ろくおんされたかれ会話かいわなかで、人種じんしゅ差別さべつ発言はつげんおこなったこと[ちゅう 4]がその理由りゆうとしている。WWEは声明せいめいなかで「従業じゅうぎょういんもレスラーも、世界中せかいじゅうのファンも多様たようであるように、あらゆる出自しゅつじ人々ひとびと賞賛しょうさんしてきたのがWWE。テリー・ボレアとの契約けいやくわりだ」と表明ひょうめい関連かんれん商品しょうひんもすべて発売はつばい停止ていしとなった[46]

しかし、2018ねん7がつ、WWEは突如とつじょ、ホーガンをWWE殿堂でんどうふたた登録とうろくした。ホーガン本人ほんにんは、そのおこなわれたPPV『エクストリーム・ルールズ』の舞台裏ぶたいうらにて団体だんたい関係かんけいしゃらと対面たいめんし、過去かこけんについて謝罪しゃざいしたとほうじられた。そして11月2にちリヤド公演こうえんされた『クラウン・ジュエル』にホーガンが登場とうじょう。マイクパフォーマンスだけであったが、おおいに観客かんきゃくかせ、元気げんき姿すがたせた[47]

2019ねん4がつ6にちニューヨークしゅうブルックリンバークレイズ・センターにおいて、WWE殿堂でんどうむかえられたブルータス・ビーフケーキのインダクターをつとめた[48]同年どうねんマッドドッグ・バション&ブッチャー・バションのドキュメンタリー映画えいが "Mad Dog & The Butcher" にも出演しゅつえんした[49]

同年どうねん12がつ、nWoとして2020ねんのWWE殿堂でんどうりした[50]

ミスター・アメリカ 編集へんしゅう

ホーガンは2002ねん5がつにWWEに復帰ふっきするが、その翌年よくねん、ビンス・マクマホンによって出場しゅつじょう停止ていしにされてしまう。しかし、そのときにスマックダウンすくうためにひとりのマスクマンがさっそうと登場とうじょうした。かれこそがミスター・アメリカである。星条旗せいじょうきふうのロングタイツ、そして中央ちゅうおうほしをあしらったブルーのマスクが特徴とくちょうてきであった。

当初とうしょ、ひげのかたやビルドアップされた筋肉きんにくしろいリストバンドをしていることなどから、その正体しょうたいはハルク・ホーガンではないかとさわがれた。しかし、ビンス・マクマホンのによってうそ発見はっけんにかけられたさい、「あなたはハルク・ホーガンですか?」との質問しつもんにネガティブの結果けっかていることからも、このうわさ否定ひていされている。なお、このさいビンスみずかうそ発見はっけんにかかり、うそ発見はっけん故障こしょうしていないことを証明しょうめいしている。

本人ほんにんは「ハルク・ホーガンにあこがれ、トレーニングをして十分じゅうぶんなビタミンを摂取せっしゅしてこの身体しんたいれた」とかたっている。なお、ハルク・ホーガンがWWEから離脱りだつすると同時どうじにミスター・アメリカも姿すがたをくらませている。そしてビンス・マクマホンが「ミスター・アメリカはハルク・ホーガンだったので解雇かいこした」と番組ばんぐみべ、実際じっさい素顔すがおせている映像えいぞう[ちゅう 5]ながしたことで、ミスター・アメリカが登場とうじょうするストーリーは終了しゅうりょうしている。

家族かぞく 編集へんしゅう

来日らいにちした2003ねん10月12にち東京とうきょうドームホテル記者きしゃ会見かいけんひらかれ、そのなか新日本しんにほんとIWGPにたいするあつおもいをかたったが、最近さいきん新日本しんにほんとWWEの関係かんけい断絶だんぜつされたことから、IWGPヘビーきゅう王座おうざへの挑戦ちょうせんはおろか来日らいにちすらほとんどしなくなった。しかし2007ねん5月9にちむすめブルック・ホーガンインディーズレーベルから歌手かしゅデビューしている)の日本にっぽんデビューのプロモートのために久々ひさびさ来日らいにちした。フジテレビの「さきがけ!音楽おんがく番付ばんづけ」で試合しあい以外いがいではひさりに日本にっぽんのテレビ番組ばんぐみ登場とうじょうした。さらには2007ねん5がつ10日とおか親子おやこGyaOのおひる生放送なまほうそう番組ばんぐみ緊急きんきゅうせい出演しゅつえんし、5月11にちにはわらっていいとも!にもなま出演しゅつえんした。

2005ねんから2007ねんにかけて、人気にんきリアリティ番組ばんぐみHogan Knows Best』に出演しゅつえんしており、ホーガン本人ほんにんはもちろん、つまのリンダ、むすめのブルック、そして長男ちょうなんのニックをふくめたホーガン一家いっか素顔すがお垣間見かいまみられる。左手ひだりて薬指くすりゆび結婚けっこん指輪ゆびわのタトゥーをり、愛妻あいさいとしてられるホーガンだったが、2008ねんむすめのブルックの友人ゆうじんであるクリスティアーヌ・プランテがホーガンとの長年ながねん不倫ふりん関係かんけい告白こくはくした。つまのリンダとは離婚りこんし、ブルックとクリスティアーヌの友情ゆうじょう崩壊ほうかいした。離婚りこん裁判さいばんにより、つまのリンダにほとんどの財産ざいさんうばわれることとなる。

2022ねん2がつ28にち、2010ねん結婚けっこんしたジェニファー・マクダニエルとの離婚りこん正式せいしき発表はっぴょうした。これで自身じしん2度目どめ離婚りこんとなった。直近ちょっきんではあたらしい恋人こいびととされる女性じょせい一緒いっしょ行動こうどうっている写真しゃしん動画どうががホーガンのSNSに投稿とうこうされていた。なおTMZによると、ホーガンは2021ねん10がつ離婚りこんをしたとつたえている[51]

得意とくいわざ 編集へんしゅう

 
ランニング・レッグ・ドロップ

フィニッシュ・ホールド 編集へんしゅう

アックスボンバー日本にっぽんでの必殺ひっさつわざ
ホーガンの初期しょきのパートナーであったスタン・ハンセンのウエスタン・ラリアットを参考さんこうにしてした「うでをLがたてたまま相手あいて顔面がんめんたたむエルボー」。古舘ふるたち伊知郎いちろう海神わたつみネプチューン武器ぶきである「またやり」になぞらえた。アメリカでこのわざは「フォーアーム(4アーム)」とばれエルボーわざ分類ぶんるい一般いっぱんてきわざため、WWEではつなぎわざとしてのみ使用しようされており、実況じっきょう解説かいせつではたんに「エルボー」とされてしまう場合ばあいがある。開発かいはつ段階だんかいはホーガン・ハンマーとばれており、そのまま継続けいぞくしてしょうするマスコミもあった。
アックスボンバーはラリアットにているので、使用しようさいしてはラリアットを必殺ひっさつわざとするスタン・ハンセンに許可きょからないといけなかったが「スタンのラリアットはっすぐばしてやるが、アックスボンバーはうでげてやるので、ちがうんだ」と説明せつめいすると、ハンセンは「オマエが使つかうならいい」とすぐにOKをしてくれた[52]
日米にちべいレスリングサミットでハンセンと対戦たいせんまったさいのTVコメントでは「アックスボンバーいちばん、ウエスタン・ラリアットばん」とアピールしている。
このわざ猪木いのき有名ゆうめいな「した失神しっしん状態じょうたい」にみ、日本人にっぽんじんではほかにも、長州ちょうしゅう藤波ふじなみ天龍てんりゅう、ムタ、ちょうらをしずめた。
ランニング・レッグ・ドロップ(アメリカでの必殺ひっさつわざ
ビッグ・ブーツで仕留しとめたのち馴染なじみのポーズをファンに披露ひろうしてから、ロープのリバウンドを利用りようしてはしり、仰向あおむけになった相手あいてのどにレッグドロップを決行けっこうする。「ハルクスター・レッグドロップ」とも。
カリフォルニア・クラッシュ
アックスボンバーを開発かいはつする以前いぜんのフィニッシュ・ホールド。

打撃だげきわざ 編集へんしゅう

ナックルパート
ビッグ・ブーツ
せいたいする相手あいて顔面がんめんあしうらり、ダウンさせるわざ大抵たいてい、ロープの反動はんどう使つかって、自身じしん相手あいてはしっている状態じょうたい使用しようする。ランニング・レッグ・ドロップへのつなわざ
ジャンピング・ハイ・ニー

わざ 編集へんしゅう

バーティカル・スープレックス
スーパープレックス
ベリー・トゥー・バック・スープレックス
かかしきバックドロップを使用しよう

わざ 編集へんしゅう

ハルク・アップ
ピンチにおちいったさい、ファンの声援せいえんけて全身ぜんしん小刻こきざみにふるわせつつ自身じしん戦意せんい高揚こうようさせるムーブ。この状態じょうたいはほぼ無敵むてきということになっており、相手あいてにパンチでなぐられるとさらに興奮こうふんし、一方いっぽう相手あいてなぐってもかないことから萎縮いしゅくすることになる。
ハルク・アップコンビネーション
これはアメリカにおけるホーガンのフィニッシュ・ムーヴである。
  1. 劣勢れっせいから、ハルクアップでてき攻撃こうげきえしのぐ。
  2. 相手あいてのパンチをめる。
  3. すかさず「You!!」とうでばし相手あいて指差ゆびさしてから、一本いっぽんゆび左右さゆうり「いてないぞ」とアピールする。
  4. ふたたなぐりかかってくる相手あいてのパンチをめ、カウンター相手あいてあたまに2、3はつナックルパートびせる。
  5. 相手あいてをロープにってからビッグ・ブートまたはアックスボンバーでリング中央ちゅうおう仰向あおむきにたおす。
  6. ファンの声援せいえんびてランニング・レッグ・ドロップ
ネック・ハンギング・ツリー
1980年代ねんだい初頭しょとうのヒール使用しよう
タイガースピン
ヘッドロックからからだ反転はんてんさせてカニはさみへ移行いこうするわざ序盤じょばんから中盤ちゅうばん使用しよう。ホーガンがしん日本にっぽん外国がいこくじんエースだったころどう時期じきにジュニアヘビーきゅう活躍かつやくしていた初代しょだいタイガーマスクわざをアメリカへかえったもので、ヘビーきゅうのホーガンは回転かいてん速度そくどがなだらかで回転かいてんすうすくないのが特徴とくちょう

わざ 編集へんしゅう

ヘッドロック

獲得かくとくタイトル 編集へんしゅう

 
WWE殿堂でんどう式典しきてんにて
NWASECW
  • NWAサウスイースタン・ヘビーきゅう王座おうざ北部ほくぶばん):1かい[8]
  • NWAサウスイースタン・ヘビーきゅう王座おうざ南部なんぶばん):2かい[7]
WWF / WWE
WCW
しん日本にっぽんプロレス
プロレス大賞たいしょう
  • 1983年度ねんどプロレス大賞たいしょう 最優秀さいゆうしゅう外人がいじんしょう
  • 1991年度ねんどプロレス大賞たいしょう 年間ねんかん最高さいこう試合しあいしょう(12月12にち東京とうきょうドーム 、天龍てんりゅう源一郎げんいちろう vs ハルク・ホーガン)

入場にゅうじょうきょく 編集へんしゅう

エアギターをしながら入場にゅうじょうする。
  • Ravishing / Bonnie Tylerしん日本にっぽんプロレス)
  • Theme From "Battlestar Galactica" / Maynard Fergusonしん日本にっぽんプロレス)

うた 編集へんしゅう

  • 一番いちばん : ミニ・アルバム(12インチLP)(1983ねん

CharのバンドPINK CLOUDによる演奏えんそう自身じしんうたとBass演奏えんそう共演きょうえん

テレビドラマ 編集へんしゅう

  • 特攻とっこう野郎やろうAチーム 必殺ひっさつ! 最後さいごだい血戦けっせん(1985ねん、アメリカ) - 本人ほんにんやく出演しゅつえん。このエピソードのなかではミーン・ジーン・オーカランドがインタビュアーとして出演しゅつえんしていたり、WWF(当時とうじ)のロゴがてくるなど本人ほんにんやくである。ただしベトナム戦争せんそう参加さんかした過去かこがあるというフィクション設定せっていがある。
  • ほのおのテキサス・レンジャー シーズン8、だい192、ブルー・エンジェルズ(2001ねん、アメリカ) - ギャングがはばかせる荒廃こうはいした地域ちいき再生さいせいけているブーマー・ナイトという少年しょうねんバスケットボールチームのコーチやく出演しゅつえんかお程度ていど出演しゅつえんではなく、暴力ぼうりょくつらぬ重圧じゅうあつ芝居しばい全編ぜんぺんわたりストーリーのキーとなる重要じゅうようやくえんじた。このチャック・ノリスとハルク・ホーガンの競演きょうえんは、全米ぜんべいで1030まんにんもの視聴しちょうしゃ獲得かくとくした。

映画えいが 編集へんしゅう

ゲーム 編集へんしゅう

ハルク・ホーガンをモデルとした架空かくう人物じんぶつとキャラクター 編集へんしゅう

  • キン肉マンきんにくまん』の登場とうじょう人物じんぶつネプチューンマンのモデルの一人ひとりである。いずれもホーガンがモデルとなった読者どくしゃ投稿とうこうキャラ「イチバンマスク」と「ハルクマシーン」が合成ごうせいされ、ホーガンのあだネプチューンにちなんでネプチューンマンとなった[53]
  • 1984ねんから1989ねんまで月刊げっかんコミックボンボン』(講談社こうだんしゃ)にてホーガンをモデルにしたギャグ漫画まんが、『やっぱ!アホーガンよ』(さくかく柴山しばやまみのる)が連載れんさいされていた。当初とうしょはプロレスをモチーフにしていたが、のちにお下劣げれつギャグ漫画まんが方向ほうこう転換てんかんした。
  • ひすゎし原作げんさくマンガ『CAN☆キャンえぶりでい』の主人公しゅじんこうキャンの居候いそうろうさきちちでプロレスラーのふくはる(ハルク・トーサン)のモデルである。
  • カンニンGOOD』にてホーガンをモデルにした悪徳あくとく教師きょうしまるきゅう砲丸ほうがん先生せんせい登場とうじょうしている。
  • ADK対戦たいせんがた格闘かくとうゲームワールドヒーローズ』シリーズに登場とうじょうするプロレスラー、マッスルパワー(クリス・ハンガー)はホーガンをモチーフにしてつくられた。当初とうしょはホーガンによくていたが、のち肖像しょうぞうけん問題もんだい対策たいさくためかおわっている。
  • SNKベルトスクロールアクションゲームバーニングファイト』のステージ2のなかボス、トム・アンダーソンは登場とうじょうに「イチバーン!」とさけび、アックスボンバーをしてくる。
  • スクウェアより発売はつばいされたスーパーファミコンようゲーム『ライブ・ア・ライブ』の現代げんだいへん登場とうじょうするマックス・モーガンは、ホーガンをモデルとしている。
  • ソーシャルゲーム『グランブルーファンタジー』に登場とうじょう課金かきんガチャ排出はいしゅつ)するカジノ闘士とうし・ファスティバは容姿ようし酷似こくじしており、「ラブマックス・ボンバー」というラリアットふう奥義おうぎもちいる。アックス・ボンバーによくたポーズのグラフィックも用意よういされている。
  • バンパイヤンキッズ』に登場とうじょうするナンチャッテ伯爵はくしゃく父親ちちおやはホーガンをモデルとしている。

その 編集へんしゅう

 
  • 20だい前半ぜんはんからかみうすく、当初とうしょバンダナは「ハゲかくし」だったが次第しだいに、それがファッションとなっていった。
  • 日本にっぽんとアメリカでファイトスタイルをたくみに使つかけている。とく日本にっぽん試合しあいをするさい意識いしきてきにグラウンドや密着みっちゃくわざ多用たようし、うでひしぎぎゃく十字じゅうじがためなども使用しよう独特どくとくがたをみせる。これは、ホーガンがしん日本にっぽん常連じょうれん外国がいこくじんだったころの名残なごりであるとおもわれている。この器用きようさがホーガンをトップスターにした要因よういんの1つだとわれている。はつ来日らいにちころはまだまだ荒削あらけずりであったが、しん日本にっぽんプロレスでまれるうちにレスリング技術ぎじゅつ試合しあいはこびがくなったという[26]
  • ホーガンと行動こうどうともにしていたレスラーのブルータス・ビーフケーキはホーガンのおとうととされていたが実際じっさい血縁けつえん関係かんけいはなく、少年しょうねん時代じだいからの幼馴染おさななじみである[ちゅう 6]
  • 現役げんえきのプロレスラーのおおくがホーガンのファンであるらしいが、重視じゅうしのスタイルからレスリング技術ぎじゅつをセールスポイントにするプロレスラーのなかには、ジレンマをかんじるものすくなくないらしい。とく全盛期ぜんせいきのライバル、ランディ・サベージポール・オーンドーフのホーガンぎらいは有名ゆうめいである。
  • 1986ねん、WWFで日本にっぽんからの輸入ゆにゅうかたち活躍かつやくしていたマシーン軍団ぐんだん(ジャイアント・マシーン=アンドレ・ザ・ジャイアント、スーパー・マシーン=マスクド・スーパースター、ビッグ・マシーン=ブラックジャック・マリガン)に加入かにゅうし、ハルク・マシーンHulk Machine)としてMSG定期ていきせん出場しゅつじょうしたことがある[54][55]のミスター・アメリカと同様どうよう正体しょうたい一目瞭然いちもくりょうぜんのファンをたのしませる演出えんしゅつだった。
  • 1990ねんすえから1992ねんにかけては日立ひたちエアコンビッグフロー」「しろくまくん」のCMに登場とうじょうし、いち週間しゅうかんうたうたったり「ホソナガおじさん」として登場とうじょう雲龍うんりゅうがた土俵入どひょうい真似まねたパフォーマンスをおこなったり「ホーソーナガー!」と絶叫ぜっきょうするなどした。ホソナガおじさんについては、後半こうはんのCMではCMソングもつくられている。
  • エレクトリックベースのテクニックもなかなかのものだという。
  • アラン・ファンク英語えいごばんがホーガンの容姿ようし・ファイトスタイルを真似まねオマージュレスラーだが、ホーガンとくらべかなり小柄こがらである。
  • ステロイドざい使用しようみとめている[56]
  • 2012ねん、プライベートでのセックスシーンがインターネットじょう流出りゅうしゅつするというスキャンダルに見舞みまわれる。性交せいこう相手あいて女性じょせいとそのもとおっとでホーガンとも交友こうゆう関係かんけいにあったおとこ共謀きょうぼうぬすめつまみ、ゴシップサイト『ゴーカー』にわたし、ゴーカーが流出りゅうしゅつさせたとされる。ホーガンは2人ふたりとゴーカーにたいして1おくドル(やく79おくえん)の損害そんがい賠償ばいしょうもとめる訴訟そしょうこした。結果けっかはホーガンの全面ぜんめん勝訴しょうそとなり、2016ねん3がつ18にち裁判所さいばんしょはゴーカーにたいし1おく4000まんドル(やく143おく7500まんえん)の支払しはらいをめいじた[57]
  • TNAやWCWで進行しんこうふかかかわって自身じしんつねにストーリーラインの中心ちゅうしんきたがり、親族しんぞく友人ゆうじん縁故えんこ出演しゅつえんさせるなど公私こうし混同こんどうした行動こうどうをとり、強力きょうりょくなトップダウンしき権力けんりょく構造こうぞうつWWEではたびたび起用きようほうめぐってビンスと衝突しょうとつして離脱りだつ復帰ふっきかえすといったおおくのスターレスラーのれいれずエゴイスティックなめんもたびたび指摘してきされている。
  • スタン・ハンセンがしん日本にっぽんのトップとして君臨くんりんしていたときはギャラはハンセンのほうしん日本にっぽん選手せんしゅなか一番いちばんであったが、それから1ねんはんしたころしんあいだ寿ことぶきはホーガンのギャラをハンセンとおなじにした。そのことをしんあいだがハンセンにつたえると、ハンセンは「オマエはフェアだ。よくそれをおれおしえてくれた。ありがとう」と感謝かんしゃ言葉ことばべた。ハンセンがホーガンをみとめていたことをあらわすエピソードである[26]
  • 1980年代ねんだい、アンドレ・ザ・ジャイアントとは冷戦れいせん状態じょうたいであるというせつがまことしやかにしんじられていたが、ミスター高橋たかはしによるとそれは虚説きょせつであるという。2人ふたりは1982ねん6がつ18にち蔵前くらまえ国技こくぎかんでシングルマッチをおこなっており、ホーガンがベアハッグでアンドレの巨体きょたいちゅうかせた。アンドレのどう両手りょうてめることができる選手せんしゅはそういないが、これはアンドレがホーガンに一定いってい信頼しんらいいていた証拠しょうこである。ただ、さくにファンサービスをおこなうホーガンにたいしてアンドレはファンとの距離きょり不用意ふよういちぢめたがらない人物じんぶつであり、プロレス哲学てつがくせい反対はんたいであった[58]

参考さんこう文献ぶんけん 編集へんしゅう

  • ハルク・ホーガン&マイケル・ジャン・フリードマン『ハリウッド・ハルク・ホーガン - ハルク・ホーガン自伝じでんエンターブレイン、2003ねんISBN 4757714483 

脚注きゃくちゅう 編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく 編集へんしゅう

  1. ^ 漫画まんがプロレススーパースター列伝れつでん』ではマツダのコーチをけていたさいに、ちからだけの試合しあいたよろうとするホーガンをさとすためにかた脱臼だっきゅうさせたとあるが、それはフィクションであり、実際じっさい前述ぜんじゅつどおりシゴキをけてあし骨折こっせつさせられている。
  2. ^ 本人ほんにんによれば、1980ねんのWWF離脱りだつ理由りゆうビンス・マクマホン・シニアがこの出演しゅつえんみとめなかったからだという[26][31]
  3. ^ このアングルはたんなる虚構きょこうではなく、実際じっさいにんあいだにはおおくの確執かくしつがあった。WWFを一時期いちじき倒産とうさん寸前すんぜんにまでんだのはならぬホーガンひきいるnWo人気にんきであったし、ステロイド流通りゅうつう疑惑ぎわくめぐ裁判さいばんさいホーガンは法廷ほうていでビンスにたいして不利ふり証言しょうげんおこなっている。
  4. ^ むすめがアフリカけい男性だんせい交際こうさいしていることに激怒げきどおもわず「ニガー」と連呼れんこした。
  5. ^ テレビ放送ほうそう終了しゅうりょう来場らいじょうしたファンへのサービスとしてマスクをはずしていた。また、ギミックと関係かんけいなく実際じっさいにトラブルで解雇かいこされた。
  6. ^ ルーキー時代じだい兄弟きょうだいタッグとして活動かつどうしていたため、この誤解ごかいしょうじたとかんがえられる。また、ビーフケーキが「エド・レスリー」のしん日本にっぽんプロレスにはつ来日らいにちしたさいには、会場かいじょうりのパンフレットに掲載けいさいされたプロフィールにも「ハルク・ホーガンのおとうと」という記載きさいがあった。

出典しゅってん 編集へんしゅう

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  5. ^ 『ハリウッド・ハルク・ホーガン』、P30。
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  12. ^ a b 『ハリウッド・ハルク・ホーガン』、P51。
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  18. ^ 『G SPIRITS Vol.42』(辰巳たつみ出版しゅっぱんISBN 9784777818129)p.66
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  20. ^ NJPW 1980 Toukon Series”. Puroresu.com. 2016ねん7がつ4にち閲覧えつらん
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  22. ^ ハンセンがいきなり全日本ぜんにほんのリングに。ホーガンの移籍いせきドタキャンで結成けっせいされたブロディとの「最強さいきょうタッグ」Web Sportiva 2021ねん9がつ17にち
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外部がいぶリンク 編集へんしゅう