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ピエトロ・グラデニーゴ - Wikipedia

ピエトロ・グラデニーゴPietro Gradenigo1252ねん - 1311ねん)は、ヴェネツィア共和きょうわこくだい49だいドージェ元首げんしゅ)。(在任ざいにん:1289ねん - 1311ねん共和きょうわこく貴族きぞく制度せいど導入どうにゅうして、寡頭せい基礎きそてたことられる。

ピエトロ・グラデニーゴの紋章もんしょう

13世紀せいきのヴェネツィアでは、民主みんしゅせい形骸けいがいしてダンドロやティエポロ、モロシーニといった名門めいもんから元首げんしゅ議員ぎいんえらばれることおおくなり、金銭きんせんから不正ふせい衆愚しゅうぐ政治せいじてきうごきによって政治せいじ左右さゆうされることおおくなった。グラデニーゴは元首げんしゅ就任しゅうにん腐敗ふはいした制度せいど改革かいかくたることになった。
1297ねん、グラデニーゴは政治せいじ改革かいかくあん提案ていあんした。

  • だい評議ひょうぎかい」の議員ぎいん定数ていすうを100から500にやす。
  • 議員ぎいん終身しゅうしんせいにして身分みぶん保障ほしょうして、25さい以上いじょう嫡男ちゃくなん自動的じどうてき議席ぎせきるものとする。
  • そのわり、納税のうぜい兵役へいえき義務ぎむ優先ゆうせんしてされるものとする。

この提案ていあんれられ、共和きょうわこくであるヴェネツィアに中産ちゅうさん階級かいきゅう以上いじょう構成こうせいされる事実じじつじょう貴族きぞく身分みぶんまれることになった。だが、これによってグラデニーゴは議員ぎいん大幅おおはば増員ぞういんによって発言はつげんりょくおさえられた上流じょうりゅう階層かいそう事実じじつじょう政治せいじから排除はいじょされることになった下層かそう民衆みんしゅう双方そうほうからはげしいうらみをことになる。

グラデニーゴはジェノヴァフェラーラとのたたかいに勝利しょうりして勢力せいりょく拡大かくだいつとめた。だが、ローマ教皇きょうこうがこのヴェネツィアの台頭たいとう危機ききかんつよめると、反対はんたいはこれをにグラデニーゴの失脚しっきゃく画策かくさくするようになる。

1310ねん6月15にち、3だいまえ元首げんしゅロレンツォ・ティエポロまごバイアモンテ・ティエポロ中心ちゅうしんとするクーデターが勃発ぼっぱつする。だが、事前じぜんにこれを察知さっちしたグラデニーゴの対応たいおうによってそののうちにクーデターは失敗しっぱいわった。グラデニーゴはこれをじゅうにん委員いいんかいしょうされる一種いっしゅ秘密ひみつ警察けいさつ設置せっちする。これによって政府せいふ貴族きぞく民衆みんしゅうきびしく監視かんしする体制たいせいととのえ、のちだい評議ひょうぎかいをも上回うわまわ権力けんりょくるようになるのである。

だが、その翌年よくねんグラデニーゴは急死きゅうしする。一説いっせつには反対はんたいによる毒殺どくさつであったともわれている。

グラデニーゴの改革かいかく今日きょうてきには「反動はんどう」ともれるめんもある。だが、これによってヴェネツィアがルネサンスイタリアひろげられたはげしい都市とし国家こっかあいだこうそうにおいていていくための政治せいじてき基盤きばん確保かくほしたのもまた事実じじつである。

先代せんだい
ジョヴァンニ・ダンドロ
ヴェネツィア共和きょうわこくのドージェ
1289-1311
次代じだい
マリーノ・ゾルジ