(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ブレシア - Wikipedia

ブレシア: Brescia ( 音声おんせいファイル))は、イタリア共和きょうわこくロンバルディアしゅうにある都市としで、その周辺しゅうへん地域ちいきふく人口じんこうやく20まんにん基礎きそ自治体じちたいコムーネ)。ブレシアけんけんであり、ロンバルディアしゅうでは2番目ばんめ人口じんこうおお都市としである。ブレーシャなどとも表記ひょうきされる。

ブレシア
Brescia
ブレシアの風景
ブレシアじょうからの眺望ちょうぼう
行政ぎょうせい
くに イタリアの旗 イタリア
しゅう ロンバルディア州の旗 ロンバルディア
けん大都市だいとし ブレシア
CAP郵便ゆうびん番号ばんごう 25100
市外しがい局番きょくばん 030
ISTATコード 017029
識別しきべつコード B157
分離ぶんり集落しゅうらく Fornaci (フォルナーチ), Sant'Eufemia (サンテウフェーミヤ), San Polo (サン・ポーロ)
隣接りんせつコムーネ #隣接りんせつコムーネ参照さんしょう
気候きこう分類ぶんるい zona E, 2410 GG
公式こうしきサイト リンク
人口じんこう
人口じんこう 195,102 [1] ひと (2021-01-01)
人口じんこう密度みつど 2,151.5 にん/km2
文化ぶんか
住民じゅうみん呼称こしょう bresciani (ブレシアニ)
守護しゅご聖人せいじん Santi Faustino e Giovita (聖人せいじんファウスティーノと聖人せいじんジョヴィータ)
祝祭日しゅくさいじつ 2がつ15にち
地理ちり
座標ざひょう 北緯ほくい4532ふん20びょう 東経とうけい1013ふん13びょう / 北緯ほくい45.53889 東経とうけい10.22028 / 45.53889; 10.22028座標ざひょう: 北緯ほくい4532ふん20びょう 東経とうけい1013ふん13びょう / 北緯ほくい45.53889 東経とうけい10.22028 / 45.53889; 10.22028
標高ひょうこう 149 (104 - 874) [2] m
面積めんせき 90.68 [3] km2
ブレシアの位置(イタリア内)
ブレシア
ブレシアの位置いち
ブレシア県におけるコムーネの領域
ブレシアけんにおけるコムーネの領域りょういき 地図
イタリアの旗 ポータル イタリア
テンプレートを表示ひょうじ

ローマ時代じだいにはブリクシアとばれ、アルプス以北いほくとの交易こうえきさかえた歴史れきしつ。市内しないには古代こだいから中世ちゅうせいにかけての遺跡いせき歴史れきしてき建築けんちくぶつおおのこっており、ランゴバルド王国おうこくのこした修道院しゅうどういんユネスコ世界せかい遺産いさん登録とうろくされている。また、ブレシアはイタリア有数ゆうすう工業こうぎょう地帯ちたい中心ちゅうしん都市としであり、機械きかい工業こうぎょう製鉄せいてつぎょうさかんである。中世ちゅうせい以来いらい金属きんぞく加工かこう武器ぶき製造せいぞう伝統でんとうゆうし、兵器へいき生産せいさんとしてもられる。

名称めいしょう

編集へんしゅう

Brescia[ˈbreʃʃa] または [ˈbrɛʃʃa] [4]発音はつおんされる。日本語にほんご文献ぶんけんでは「ブレシア」[5][6][7]のほか、「ブレーシャ[8]、「ブレッシア[6]、「ブレシャ[9]、「ブレッシャ」などとも表記ひょうきされる。

標準ひょうじゅんイタリア以外いがいでは以下いか名称めいしょうつ。

 
ブレシアけん概略がいりゃく

位置いちひろがり

編集へんしゅう

ブレシアけん南部なんぶのコムーネである。ブレシアの市街しがいは、ベルガモから東南東とうなんとうへ45km、クレモナからきた北東ほくとうへ48km、ヴェローナから西にしへ62km、州都しゅうとミラノからひがしへ80kmの距離きょりにある[11]

隣接りんせつコムーネ

編集へんしゅう

隣接りんせつするコムーネは以下いかとおり。

ポー平原へいげん都市としである。ヴァル・トロンピア (it:Val Trompia出口でぐち、マッダレーナさん (it:Monte Maddalenaふもと位置いちしており、メッラがわ (it:Mella (fiume) とナヴィリオ運河うんが  (it:Naviglio di Bresciaはさまれている。

主要しゅよう市街しがい

編集へんしゅう

ブレシアのきゅう市街地しがいち四角形しかっけいで、道路どうろ直交ちょっこうしている。これは、ローマ時代じだい都市とし計画けいかくいだものである。中世ちゅうせいには、ローマ時代じだい都市としよりややひろ範囲はんい城壁じょうへきかこまれた。現在げんざいの"Centro storico"とばれる地域ちいき北東ほくとうめる。

地震じしん分類ぶんるい

編集へんしゅう

イタリアの地震じしんリスク階級かいきゅう (itでは、2 に分類ぶんるいされる [12]

ローマ時代じだい以前いぜん起源きげんつ。ローマ時代じだいにはブリクシア (it:Brixiaばれ、アルプス以北いほくとの交易こうえきさかえた[5]

キリスト教きりすときょう国家こっかとなった時代じだい西暦せいれき568ねん(または569ねんとするせつがある)にブレシア周辺しゅうへんは、ランゴバルド王国おうこく支配しはいはいった。その、774ねんフランク王国おうこくカール大帝たいてい征服せいふくされた。

12世紀せいき初頭しょとう自治じち都市としとなり、その農村のうそん地帯ちたいまで支配しはい拡大かくだいはかった。そのため、周辺しゅうへん都市としベルガモクレモナ対立たいりつした。クレモナとは戦争せんそうこし、いずれも勝利しょうりおさめた。

なお、1769ねんには、せいナザロ教会きょうかいつうろう保管ほかんされていた80トンの火薬かやく落雷らくらいにより引火いんかまちの2わりじゃくばされるだい損害そんがいけている(ブレシアだい爆発ばくはつ)。そのため、教会きょうかい避雷針ひらいしん設置せっちすることを許可きょかするようになったきっかけが、この事件じけんというせつもある。

1849ねんはるには、オーストリアの支配しはいたいする反乱はんらん発生はっせいした(ブレシアのじゅう日間にちかん)。このときのブレシア市民しみんたたかいから、ブレシアのまちは「イタリアのめす獅子じしLeonessa d'Italia)」の美称びしょうばれる。

社会しゃかい

編集へんしゅう

経済けいざい産業さんぎょう

編集へんしゅう

イタリア有数ゆうすう工業こうぎょう地帯ちたい中心ちゅうしん都市としであり、機械きかい工業こうぎょう自動車じどうしゃエンジニアリング、工作こうさく機械きかい工業こうぎょうさかんである。おおくの工場こうじょう家族かぞく経営けいえい中小ちゅうしょう企業きぎょうである。

中世ちゅうせい以来いらい武器ぶき製造せいぞう伝統でんとうゆう[6]現代げんだいにおいてもブレシアはイタリアの代表だいひょうてき兵器へいき生産せいさんである[13]。ブレシアとその周辺しゅうへんには、ベレッタ本社ほんしゃ: ガルドーネ・ヴァル・トロンピア)、ブレーダ・メッカニカ・ブレシャーナ本社ほんしゃ: ブレシア)などおおくの銃器じゅうきメーカーが本拠ほんきょいている。ブレシアでは毎年まいとし兵器へいき見本市みほんいち開催かいさいされている[13]

金融きんゆうぎょうもさかんである。また、ガルダやイゼーオアルプス山脈あるぷすさんみゃくかう観光かんこうきゃく相手あいてにした産業さんぎょうでもうるおっている。

文化ぶんか観光かんこう

編集へんしゅう

観光かんこう

編集へんしゅう
 
カピトリウム神殿しんでん遺跡いせき
 
ローマ時代じだい劇場げきじょう遺跡いせき

フォロ広場ひろば (it:Piazza del Foroは、ローマ時代じだいフォルムあとである。広場ひろば北側きたがわ、 Colle Cidneo のおかには、カピトリウム (it:Capitolium (Brescia)ばれるコリントしき神殿しんでんがある(1823ねんさい発見はっけんされた)。この神殿しんでんふく合体がったいのうち、ちいさいものは共和きょうわせい時代じだいにさかのぼり、おおきなものはウェスパシアヌスみかどによって西暦せいれき73ねん建設けんせつされたとかんがえられている。1826ねん発掘はっくつで、カピトリウムないからニケ素晴すばらしい銅像どうぞう発見はっけんされた。古代こだい後期こうき、この都市とし見舞みまった様々さまざま災厄さいやくからまもるためにかくされていたものとかんがえられている。

カピトリウムは、ブレシア・ローマン博物館はくぶつかんとして使用しようされていたが、博物館はくぶつかんはサンタ・ジュリア女子じょし修道院しゅうどういんちかくに移転いてんしている。サンタ・ジュリア女子じょし修道院しゅうどういん (it:Monastero di Santa Giuliaはかつて有力ゆうりょく女子じょし修道院しゅうどういんであり、ロンバルディア王国おうこく時代じだいにはデシデリウスおう (Desiderius王女おうじょであるアンセルペルガ (Anselperga修道院しゅうどういんひきいていた。「サン・サルヴァトーレとサンタ・ジュリアの修道院しゅうどういん建造けんぞうぶつぐんふく記念きねん建造けんぞうぶつ地域ちいき」は、ユネスコの世界せかい遺産いさんイタリアのロンゴバルドぞく:権勢けんせい足跡あしあと (568-774ねん)」の一部いちぶ構成こうせいしている。

カピトリウムのひがしにはローマ劇場げきじょう遺跡いせきがある。ルネサンスに Colle Cidneo のおか斜面しゃめん宮殿きゅうでん建設けんせつされたために、劇場げきじょう遺跡いせきのこっているのは一部いちぶだけである。

中世ちゅうせい代表だいひょうてき建築けんちくぶつとしては、ブレシアじょう (it:Castello di Bresciaがある。

プロサッカークラブチームとして、ブレシア・カルチョ本拠ほんきょく。ホームスタジアムはスタディオ・マリオ・リガモンティ

モータースポーツ

編集へんしゅう

レーシングチームBMSスクーデリア・イタリア本拠ほんきょ・ファクトリーがある[14]1988ねんから1993ねんの6シーズンはフォーミュラ1参戦さんせんした。

姉妹しまい都市とし

編集へんしゅう

交通こうつう

編集へんしゅう
高速こうそく道路どうろ
国道こくどう

鉄道てつどう

編集へんしゅう
 
ブレシアえき

空港くうこう

編集へんしゅう

郊外こうがいモンティキアーリブレシア空港くうこう (Brescia Airport(ブレシア=モンティキアーリ空港くうこう、あるいはガブリエーレ・ダンヌンツィオ空港くうこう)がある。

人物じんぶつ

編集へんしゅう

著名ちょめい出身しゅっしんしゃ

編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

「※」しるししたものは翻訳ほんやくもとげられていた出典しゅってんであり、訳出やくしゅつさい直接ちょくせつ参照さんしょうしてはおりません。

  1. ^ 国立こくりつ統計とうけい研究所けんきゅうじょ(ISTAT). “Resident population on 1st January : Lombardia” (英語えいご). 2021ねん5がつ10日とおか閲覧えつらん左側ひだりがわメニューのPopulation and Households > Population > Resident population on 1st January > Regions and municipalities よりしゅう選択せんたく
  2. ^ 国立こくりつ統計とうけい研究所けんきゅうじょ(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Brescia (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア). 2013ねん3がつ26にち閲覧えつらん
  3. ^ 国立こくりつ統計とうけい研究所けんきゅうじょ(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Brescia (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア). 2013ねん3がつ26にち閲覧えつらん
  4. ^ DiPI Online - Dizionario di Pronuncia Italiana”. 2013ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  5. ^ a b 萩原はぎはらあいいち. “ブレシア”. 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だい2はん. コトバンク. 2013ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c ブレシア”. デジタル大辞泉だいじせん. コトバンク. 2013ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  7. ^ google map”. 2013ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  8. ^ 芸術げいじゅつ都市とし ブレーシャけんBrescia”. ロンバルディアしゅう政府せいふ公式こうしきページ. 2012ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  9. ^ イタリア北部ほくぶユネスコ世界せかい遺産いさん”. イタリア政府せいふ観光かんこうきょく. 2012ねん4がつ20日はつか閲覧えつらん
  10. ^ AA.VV. (1996). Dizionario di toponomastica. Storia e significato dei nomi geografici italiani. Milano: GARZANTI. p. 180 
  11. ^ 地図ちずじょうで2地点ちてん方角ほうがく方位ほうい距離きょり調しらべる”. 2016ねん2がつ19にち閲覧えつらん
  12. ^ classificazione sismica 1 dicembre 2020” (xls). イタリア市民しみん保護ほごきょく. 2021ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  13. ^ a b 小型こがた兵器へいき輸出ゆしゅつ規制きせいほうまもろう 兵器へいき生産せいさんまち市民しみんまんにんがデモ”. しんぶん赤旗あかはた (2002ねん4がつ28にち). 2013ねん3がつ31にち閲覧えつらん
  14. ^ Scuderia Italia 1990F1日本にっぽんグランプリ公式こうしきプログラム 61ぺーじ 鈴鹿すずかサーキットランド 1990ねん10がつ発行はっこう

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

外部がいぶリンク

編集へんしゅう