(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ミタンニ - Wikipedia

ミタンニヒッタイトMi-ta-an-ni)またはミッタニヒッタイトMi-it-ta-niアッシリア: Ḫa-ni-gal-bat - 「ハニガルバト」)は、フルリじん紀元前きげんぜん16世紀せいきころメソポタミア北部ほくぶハブルがわうえ流域りゅういき中心ちゅうしん建国けんこくした王国おうこくである。民族みんぞく社会しゃかい戦士せんし階級かいきゅう支配しはいされる封建ほうけんてき国家こっかだった。フルリじん系統けいとう不明ふめいだが、支配しはい階級かいきゅうそうについてはもとインド・アーリア出自しゅつじつと推定すいていされる(後述こうじゅつ)。

ミタンニ版図はんと
ミタンニ出土しゅつど紀元前きげんぜん1500–1350ねんごろの円筒えんとう印章いんしょう
イラク歴史れきし

この記事きじシリーズ一部いちぶです。
先史せんし

イラク ポータル

紀元前きげんぜん16世紀せいきころワシュカンニ(ワスガンニ、正確せいかく場所ばしょ不明ふめい)を首都しゅととするミタンニ王国おうこく周辺しゅうへんのフルリじんたちを統一とういつし、ひがしとなりのアッシリアをも支配しはいいて、以後いごメソポタミア北部ほくぶシリアふくむ)を支配しはいした。さらにウガリットなど地中海ちちゅうかい沿岸えんがんしょ都市とし支配しはいき、エジプトおよびバビロニア対立たいりつした。のちに属国ぞっこくとなった時期じきふくめて、やく300年間ねんかん存続そんぞくした。

ミタンニは周囲しゅういくにとのあいだ政略せいりゃく結婚けっこんかえした。アルタタマ1せいおうむすめはエジプトおうトトメス4せい結婚けっこんした。

シュッタルナ2せいむすめギルヒパ英語えいごばんはエジプトおうアメンホテプ3せい(トトメス4せい)と結婚けっこんした。

ミタンニのしんおうトゥシュラッタ(ダシャラッタ)が即位そくいすると、ヒッタイトおうシュッピルリウマ1せいはミタンニを攻撃こうげきしたが失敗しっぱいした。しんおうトゥシュラッタは、エジプトだい18王朝おうちょうとの同盟どうめいでヒッタイトやアッシリアに対抗たいこうするべく、むすめタドゥキパ英語えいごばんTadukhipa、「キパ」はサンスクリットでkṣipaよる」)の政略せいりゃく結婚けっこん打診だしんした。アメンホテプ3せい晩年ばんねんにトゥシュラッタにててタドゥキパと結婚けっこんしたいとの手紙てがみなんいている(アマルナ文書ぶんしょ)。しかし彼女かのじょまえにアメンホテプ3せいんだようである。タドゥキパはアメンホテプ3せいしんおうアメンホテプ4せい(アクエンアテン)と結婚けっこんした。タドゥキパは、アメンホテプ4せいの2番目ばんめきさきキヤ(KiYa)、あるいは王妃おうひネフェルティティであるとわれている。紀元前きげんぜん1350ねんころにヒッタイトのシュッピルリウマ1せいふたたびミタンニにみ、トゥシュラッタは逃走とうそうしたが、息子むすこのひとりに暗殺あんさつされた。

フルリじんおう」の称号しょうごうつにぎなかったアルタタマ2せいがヒッタイトのシュッピルリウマ1せい条約じょうやくむすんで国境こっきょうせんさだめた。シュッピルリウマ1せいはミタンニのしんおうにトゥシュラッタの政敵せいてきであったアルタタマ2せい擁立ようりつした。

紀元前きげんぜん1330ねんころには、かつてミタンニの支配しはいにあった東側ひがしがわアッシリアおうアッシュール・ウバリト1せい紀元前きげんぜん1365ねん - 紀元前きげんぜん1330ねん)のしたつぎおうシュッタルナ3せいがヒッタイトから独立どくりつした。シュッタルナ3せいはアッシリアの支援しえん模索もさくしたがヒッタイトに撃破げきはされ、トゥシュラッタのおとうとシャッティワザ(マッティワザ)がヒッタイトのシュッピルリウマ1せい庇護ひごけながら即位そくいした。

そのシャットゥアラ1せいはアッシリアのおうアダド・ニラリ1せい紀元前きげんぜん1307ねん - 紀元前きげんぜん1275ねん)にやぶれ、ふたたびアッシリアに臣従しんじゅうした。ワサシャッタがヒッタイトの支援しえんけたが、アダド・ニラリ1せいふたたやぶれた。

言語げんご系統けいとう

編集へんしゅう

フルリじん(フリじん旧約きゅうやく聖書せいしょでホリじんばれる人々ひとびとわれている)のフルリ系統けいとう不明ふめい膠着こうちゃくかんがえられている(インドアーリアけいではない)[注釈ちゅうしゃく 1]ヒッタイトボアズキョイエジプトアマルナひとしから出土しゅつどした楔形文字くさびがたもじしるされた外交がいこう文書ぶんしょアマルナ文書ぶんしょなど)によってられる。かつてはインド=ヨーロッパ語族ごぞくとされていた。言葉ことばとして、アッカド楔形文字くさびがたもじもちいていたといわれる。フルリじん紀元前きげんぜん18世紀せいきころから活動かつどうしたらしく、おなごろエジプトに侵入しんにゅうしたヒクソス関係かんけいがあるとの見方みかたもある。とくうまもちいる技術ぎじゅつけ、ヒッタイトにおけるうま技術ぎじゅつもフルリじんから導入どうにゅうされたとかんがえられる。

ただしのこされた文書ぶんしょなかにはあきらかにサンスクリット解釈かいしゃくできる単語たんごおおい。ヒッタイトとミタンニとのあいだ条約じょうやくではインドヴェーダかみミトラヴァルナインドラやナーサティヤ(アシュヴィンそうかみ)にちかいがてられている。また人名じんめいにもサンスクリットで解釈かいしゃくできるものがおおい。「ミタンニの調しらべキックリ」による文書ぶんしょボアズキョイ出土しゅつど)にはaika(サンスクリットのeka、1を意味いみする)、tera(tri、 3)、panza(pañca、5)、satta(sapta、7)、na(nava、9)、vartana(まるい、: vartana)といった単語たんご使つかわれ、ほかの文書ぶんしょにはbabru(babhru茶色ちゃいろい)、parita(palita灰色はいいろの)、pinkara(あかい、: piṅgala [あかみがかった茶色ちゃいろ] )といった単語たんごもある。かれらの一番いちばん重要じゅうようまつりはvishuva(冬至とうじ夏至げし)であった。ミタンニの支配しはい階級かいきゅうである戦士せんし自分じぶんたちをmaryannu(勇士ゆうし[注釈ちゅうしゃく 2]んだ。これらのことから戦士せんしインド・アーリア出自しゅつじつとかんがえられる。

ミタンニのおう

編集へんしゅう

いずれもサンスクリットで解釈かいしゃくできるである(Sutarna「太陽たいよう」、Paratarna「おおいなる太陽たいよう」、Parashukshatra「おの支配しはいしゃ」、Saukshatra「支配しはいしゃ」、Ritadhama「宇宙うちゅうほうしたがう」、Mativaja「いのりにめるもの」など)。

  1. キルタ Kirta 紀元前きげんぜん1500ねん - 紀元前きげんぜん1490ねんごろ
  2. シュッタルナ1せい Šuttarna 紀元前きげんぜん1490ねん - 紀元前きげんぜん1470ねんごろ
  3. バラタルナフランス語ふらんすごばん Barattarna 紀元前きげんぜん1470ねん - 紀元前きげんぜん1450ねんごろ
  4. パルシャタタール Parša(ta)tar 紀元前きげんぜん1450ねん - 紀元前きげんぜん1440ねんごろ※バラタルナとどう一人物いちじんぶつ可能かのうせいあり
  5. シャウシュタタール Sauštatar 紀元前きげんぜん1440ねん - 紀元前きげんぜん1410ねんごろ
  6. アルタタマ1せい Artatama 紀元前きげんぜん1410ねん - 紀元前きげんぜん1400ねんごろ
  7. シュッタルナ2せい Šutarna II 紀元前きげんぜん1400ねん - 紀元前きげんぜん1380ねんごろ
  8. アルタシュマラ Artaššumara 紀元前きげんぜん1380ねん - 紀元前きげんぜん1380ねんごろ
  9. トゥシュラッタ Tušratta 紀元前きげんぜん1380ねん - 紀元前きげんぜん1350ねんごろ
  10. アルタタマ2せい
  11. シュッタルナ3せい
  12. シャッティワザ Šattiwaza(マッティワザMattiwaza) 紀元前きげんぜん1350ねん - 紀元前きげんぜん1320ねんごろ
  13. シャットゥアラ1せい Šattuara I 紀元前きげんぜん1320ねん - 紀元前きげんぜん1300ねんごろ
  14. ワサシャッタ Wasašatta 紀元前きげんぜん1300ねん - 紀元前きげんぜん1280ねんごろ
  15. シャットゥアラ2せい Šattuara II 紀元前きげんぜん1280ねん - 紀元前きげんぜん1270ねんごろ[注釈ちゅうしゃく 3]

調査ちょうさ

編集へんしゅう
ケムネ宮殿きゅうでん発掘はっくつ調査ちょうさ

2019ねん前年ぜんねん旱魃かんばつによりモスルダム水位すいい低下ていかし、ミタンニ王国おうこく時代じだいのケムネ宮殿きゅうでん遺跡いせき発見はっけんされた[1]どう遺跡いせきからは楔形文字くさびがたもじ記載きさいされた粘土ねんどばん発掘はっくつされたが発掘はっくつ直後ちょくご水位すいい回復かいふくしたため、ふたた水没すいぼつした[1]

2022ねん旱魃かんばつによりふたたどう遺跡いせき出現しゅつげんし、100まい以上いじょう粘土ねんどばんはいった陶器とうき発見はっけんされた[2]発掘はっくつ遺跡いせき保護ほごのためにビニールシートと砂利じゃりおおっており、その水位すいい回復かいふくによりふたた水没すいぼつしている状態じょうたいとなっている[3]

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ コーカサス諸語しょごとくに北東ほくとうコーカサスとの関連かんれん主張しゅちょうするせつもある
  2. ^ : marya [すべきもの]
  3. ^ シャットゥアラ1せいどう一人物いちじんぶつ可能かのうせいあり。

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ a b 貯水池ちょすいちから古代こだい宮殿きゅうでん出現しゅつげんかんばつで水位すいいがる イラク北部ほくぶ”. CNN (2019ねん7がつ2にち). 2022ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  2. ^ やく3400ねんまえの“王国おうこく遺跡いせき”が突如とつじょ出現しゅつげん! 歴史れきしてき発見はっけん”. テレ朝てれあさNEWS (2022ねん6がつ10日とおか). 2022ねん6がつ10日とおか時点じてんのオリジナルよりアーカイブ2022ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  3. ^ Mitanni City emerges from the Mosul Reservoir” (英語えいご). The Wild Hunt (2022ねん6がつ8にち). 2022ねん6がつ21にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

編集へんしゅう