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一等車 - Wikipedia

一等いっとうしゃ(いっとうしゃ、えい: First Class Car)は、鉄道てつどう車両しゃりょう等級とうきゅうひとつ。1とうしゃともしるす。接客せっきゃく設備せつび(アコモデーション)のちがいにより、展望てんぼうしゃふく座席ざせきしゃ寝台しんだいしゃ大別たいべつできる。

世界せかいにおける一等いっとうしゃ

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ICE一等いっとうしゃ車内しゃない
 
ドイツ鉄道てつどうRB(普通ふつう列車れっしゃ)の一等いっとうしゃ車内しゃない

ヨーロッパの鉄道てつどうでは、19世紀せいき中頃なかごろ一等いっとうからさんとうまでのさん等級とうきゅうせい定着ていちゃくした。このうち一等いっとうしゃ高級こうきゅう馬車ばしゃして設計せっけいされており、貨車かしゃ同然どうぜんさんとうしゃやかろうじて雨風あめかぜをしのげるとうしゃがつけられていた。(詳細しょうさい鉄道てつどう車両しゃりょう歴史れきし#初期しょき客車きゃくしゃ貨車かしゃ参照さんしょう)。1920年代ねんだいになるとワゴンリーしゃのプルマンしゃ一部いちぶ特急とっきゅう列車れっしゃ連結れんけつされた。このプルマンしゃ通常つうじょう一等いっとうしゃかいわせ3にんがけシートの区分くぶん座席ざせきしゃ)にくらべて、一人ひとりがけのソファとテーブルをはいし、定員ていいんは24めい程度ていどという豪華ごうか車両しゃりょうで、なかには個室こしつやキッチンをそなえた車両しゃりょう存在そんざいした。だい世界せかい大戦たいせんのちにはさん等級とうきゅうせいから等級とうきゅうせい移行いこうし、ビジネスきゃくおも対象たいしょうとした一等いっとう専用せんよう国際こくさい特急とっきゅう列車れっしゃであるTEE登場とうじょうした。1970年代ねんだい以降いこう一等いっとう専用せんよう列車れっしゃ需要じゅようおとろえ、おおくの優等ゆうとう列車れっしゃ一等いっとうしゃとうしゃ双方そうほう連結れんけつするようになった。

現在げんざいでもヨーロッパ各国かっこく列車れっしゃには、一等いっとうしゃ普通ふつう列車れっしゃふくおおくの列車れっしゃ連結れんけつされている。優等ゆうとう列車れっしゃでは設備せつびやサービスめん明確めいかくをつけていることがほとんどである。一方いっぽう普通ふつう列車れっしゃとく一等いっとうとうごうづくりしゃではとうとのあいだ簡易かんいてき区切くぎりがもうけられ、ことなるモケットの座席ざせき設置せっちされている程度ていどで、設備せつびめんでのとうしゃとの差異さいちいさい。ただし一等いっとうしゃとうしゃ料金りょうきん厳然げんぜんけられており、客層きゃくそう分離ぶんり役立やくだっている。

中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこくにおいては「軟座しゃ」 (soft class) ・「かたしゃ」 (hard class) といわれる区分くぶんがあり、それぞれ「一等いっとうしゃ」・「とうしゃ」に相当そうとうする。また、台湾たいわん鉄道てつどうでは、台湾たいわん鉄路てつろ管理かんりきょく運行うんこうする莒光ごう一部いちぶと、台湾たいわん高速こうそく鉄道てつどう一等いっとうしゃ相当そうとうする「商務しょうむしゃ」 (business class) という車両しゃりょう連結れんけつされている。

アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくアムトラックでは、高速こうそく列車れっしゃアセラ・エクスプレス」にファーストクラスしゃ一両いちりょう連結れんけつされており、食事しょくじのシートサービスがおこなわれている。このほかの列車れっしゃにはファーストクラスの設定せっていはないが、一部いちぶ列車れっしゃでは普通ふつうせきにあたる「コーチ」より上等じょうとうの「ビジネスクラス」せきもうけられている。

日本にっぽんでの一等いっとうしゃ

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日本にっぽんにおいては、国鉄こくてつなどがさだめた旅客りょかく列車れっしゃ車両しゃりょうにあった等級とうきゅうひとつ。ふるくは私鉄してつでも国鉄こくてつ同様どうよう区分くぶんもうけていたほか、戦後せんごになっても国鉄こくてつかられる車両しゃりょうれるないしは国鉄こくてつ相互そうごれしている会社かいしゃもうけていた。時期じきにより以下いかのとおりさん等級とうきゅうせいおよび等級とうきゅうせい時代じだいふたつに分類ぶんるいされる。

さん等級とうきゅうせい時代じだい(1960ねん以前いぜん)の一等いっとうしゃきゅう一等いっとう

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明治めいじから昭和しょうわ戦前せんぜん

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大正たいしょう時代じだい一等いっとうしゃ内部ないぶ
 
昭和しょうわ初期しょき一等いっとうしゃ内部ないぶれい(マイテ49かたち

明治めいじ以来いらいさん等級とうきゅうせいにおいては、最上級さいじょうきゅう車両しゃりょう車体しゃたい表記ひょうき[注釈ちゅうしゃく 1]戦前せんぜんにはまど白色はくしょくおび塗装とそうしており、優等ゆうとう車両しゃりょう象徴しょうちょうとなっていたが、太平洋戦争たいへいようせんそうのち日本にっぽん進駐しんちゅうした連合れんごうこくぐんがこの塗装とそう専用せんよう塗装とそうとして専有せんゆうしたため、以後いごはクリームしょくもちいられた。

1872ねん鉄道てつどう開業かいぎょうさいに、客車きゃくしゃは3等級とうきゅうとされ、上等じょうとう中等ちゅうとう下等かとう区分くぶんしたが、1897ねん明治めいじ30ねん)11月に一等いっとうとうさんとうわった。「下等かとう」の名称めいしょう乗客じょうきゃく感情かんじょうがいするためであったとほうじられている[注釈ちゅうしゃく 2]。また客車きゃくしゃおびしょくりわけは1896ねん関西かんさい鉄道てつどう採用さいようかんてつも1897ねん上記じょうき同時どうじ実施じっしした。一等いっとう寝台しんだいしゃについては、A寝台しんだい#等級とうきゅうせい時代じだい参照さんしょうされたい。

なお称号しょうごう規定きていじょう一等いっとうしゃが「イ」、一等いっとう寝台しんだいしゃが「イネ」と区別くべつされるので、厳密げんみつえば一等いっとう寝台しんだいしゃ狭義きょうぎ一等いっとうしゃ座席ざせきしゃ)とはべつカテゴリである。また一等いっとう展望てんぼうしゃ「イテ」は、一等いっとう食堂しょくどうしゃ「イシ」などと同様どうようで、一等いっとうしゃ展望てんぼうしゃごうづくりしゃ意味いみし、一等いっとう展望てんぼうしゃではない[注釈ちゅうしゃく 3]一等いっとう座席ざせきしゃのうちそのおおくが、現在げんざいでいうロングシート座席ざせきであった。

1919ねん10がつ1にちから、需要じゅよう減少げんしょうのためそれまでしょう区間くかん運転うんてん以外いがいおおむね連結れんけつされていた一等いっとうしゃが、主要しゅよう幹線かんせん急行きゅうこう直行ちょっこう列車れっしゃ一部いちぶにのみ連結れんけつされることとなった[1]1934ねんには東海道とうかいどう山陽本線さんようほんせん特急とっきゅう急行きゅうこう列車れっしゃもちいられる展望てんぼうしつづけ車両しゃりょうおよび一等いっとう寝台しんだいしゃ以外いがい廃止はいしされ、それ以外いがいあまった一等いっとうしゃ貴賓きひん要人ようじんよう車両しゃりょうとして一部いちぶのこされたほか、とうしゃ格下かくさげされたものもあった。ただし、山陽本線さんようほんせんのバイパスけん軍事ぐんじ輸送ゆそうじょう重要じゅうよう路線ろせんとして1935ねん全通ぜんつうした呉線くれせん一等いっとうしゃ連結れんけつした急行きゅうこう列車れっしゃ山陽本線さんようほんせんから直通ちょくつうすることになり、九州きゅうしゅう島内とうない関門かんもんトンネル開通かいつう以降いこう本州ほんしゅう直通ちょくつう列車れっしゃ一等いっとうしゃとして復活ふっかつする。

1944ねん4がつ1にち決戦けっせん非常ひじょう措置そち要綱ようこうもとづき寝台しんだいしゃ食堂しょくどうしゃとともに一等いっとうしゃ連結れんけつ廃止はいしされた[2]

だい世界せかい大戦たいせん直後ちょくご休止きゅうし状態じょうたいつづいて、一般いっぱん利用りようできる一等いっとうしゃはなかった。ただしアメリカぐん進駐しんちゅうにより遊休ゆうきゅう優等ゆうとうしゃ接収せっしゅうされたのみならず、客車きゃくしゃ様々さまざま車種しゃしゅ改造かいぞうして利用りようきょうされたため、軍用ぐんよう客車きゃくしゃかんしては、一等いっとうしゃ一等いっとう寝台しんだいしゃ形式けいしきがむしろえた。

さん等級とうきゅう制度せいど末期まっき展望てんぼうしゃをのぞく一等いっとうしゃ一覧いちらん
車両しゃりょう
形式けいしき
在籍ざいせき
りょうかず
その概要がいよう
マイ38 2りょう 1人ひとりリクライニングシートくるまもと供奉ぐぶしゃ
マイフ97 1りょう 特別とくべつ営業えいぎょう客車きゃくしゃ
もと特別とくべつしょくようしゃ
マイ98 1りょう
スイ99 1りょう

日本人にっぽんじん利用りようできる一等いっとう寝台しんだいしゃは1948ねんから復活ふっかつした。11月10にちよる東京とうきょう - 大阪おおさかあいだ急行きゅうこうもちいられたしんせいマイネ40がそれである[3]。また接収せっしゅうまぬかれた展望てんぼうしゃ1949ねん復活ふっかつした戦後せんごはつ特急とっきゅう「へいわ」に充当じゅうとうされた。しかし、一等いっとう寝台しんだいしゃ利用りようしゃ航空機こうくうきへの移行いこうによる利用りようりつ低下ていかともない、1955ねん全車ぜんしゃとう寝台しんだいしゃ格下かくさげされた(A寝台しんだいこう参照さんしょう)。

この結果けっか国鉄こくてつ一等いっとうしゃ東海道本線とうかいどうほんせん特急とっきゅう「つばめ」・「はと」一等いっとう展望てんぼうしゃと、外国がいこくじん団体だんたい観光かんこうきゃくけに皇室こうしつよう供奉ぐぶしゃ転用てんよう改造かいぞうした座席ざせきしゃマイ38かたちおよび1953ねんあらためばんで90番台ばんだい形式けいしきされたもと特別とくべつしょくようしゃ特別とくべつ営業えいぎょう客車きゃくしゃのみとなった。一等いっとう展望てんぼうしゃ以外いがいのこったものはひょうとおり。

1960ねん6月1にち東海道本線とうかいどうほんせん特急とっきゅう電車でんしゃともない、定期ていきでの一等いっとう展望てんぼうしゃ使用しよう終了しゅうりょうした(実質じっしつてききゅう一等いっとうしゃ運用うんよう終了しゅうりょう)。これをけて7がつ1にち等級とうきゅうせい移行いこうきゅう一等いっとう展望てんぼうしゃ外国がいこくじんきゃく一等いっとうしゃはともにきゅうとうしゃ統合とうごうされてあたらしい等級とうきゅうせい一等いっとうしゃ次項じこう参照さんしょう)になった。形式けいしきから修正しゅうせいされたが、以後いごほとんど使用しようされず、1960年代ねんだい前半ぜんはん廃車はいしゃとなった。

等級とうきゅうせい時代じだい(1960ねん - 1969ねん)の一等いっとうしゃしん一等いっとう

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1960ねん以降いこうにおける等級とうきゅうせい上級じょうきゅう車両しゃりょう。それ以前いぜんとうしゃ中心ちゅうしんであるが、少数しょうすうながら前項ぜんこう車両しゃりょうふくまれた。記号きごう表記ひょうき[注釈ちゅうしゃく 4]

車体しゃたいには側面そくめんまどあわ緑色みどりいろおび。ドアのそばには「1」の表記ひょうきもあった。なお、一部いちぶ客車きゃくしゃには「1」の表記ひょうきわりにきゃくようとびらさい上部じょうぶに「1とう」の表示ひょうじとうけられた。

なお1960ねんごろはおおくの線区せんく利用りようすくなくても普通ふつう列車れっしゃにも一等いっとうしゃ連結れんけつされていたが、当時とうじ一等いっとうしゃ運転うんてんされているだけで、ってもらなくても官庁かんちょうでは一等いっとう出張しゅっちょう旅費りょひることがあり、つよ陳情ちんじょうおこなわれたためだとされる[4]

この時代じだい一等いっとうしゃには、座席ざせき配置はいちとしては座席ざせき間隔かんかくひろ固定こていクロスシートや転換てんかんまたは回転かいてんクロスシートを装備そうびした車両しゃりょうなみ)とリクライニングシート装備そうびした車両しゃりょうきゅう特別とくべつとうしゃとく)が混在こんざいしていたが、前者ぜんしゃ設備せつび見劣みおとりから、近郊きんこうがた電車でんしゃ113けいのサロ111かたち・サロ110かたちのぞき1968ねんまでに全車ぜんしゃとうしゃ現行げんこう普通ふつうしゃ)に格下かくさげされた。なお、サロ110かたち準急じゅんきゅうがた東海とうかいがたしょうされた153けいのサロ153かたちを113けい改造かいぞう編入へんにゅうしたものである。したがってきゅうなみロの装備そうびでのちのグリーンしゃ上記じょうきサロ111かたちとサロ110かたち以外いがい存在そんざいしないが、これは使用しよう線区せんくでのグリーンしゃ利用りようりつ非常ひじょうたかく、豪華ごうかさよりも定員ていいんやして着席ちゃくせき需要じゅようこたえるほう重要じゅうようであったことによる。

1969ねん5がつ10日とおかのモノクラスせい移行いこうは、グリーンしゃばれるようになった。

モノクラスせい時代じだい(1970ねん - )の一等いっとうしゃ

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そのについては、1982ねん大井川鉄道おおいがわてつどうげん大井川鐵道おおいがわてつどう)の展望てんぼうしゃとしてスイテ82かたち客車きゃくしゃ(スイテ82 1)が製造せいぞうされ、1987ねんJR西日本にしにほん交通こうつう科学かがくかん(のちの交通こうつう科学かがく博物館はくぶつかん)で静態せいたい保存ほぞんされていたマイテ49かたち客車きゃくしゃ(マイテ49 2)がくるませき復活ふっかつした[5]。ただし、スイテ82かたち当初とうしょから一等いっとうしゃとしてつくられた車両しゃりょうではなく、改造かいぞうしゃである。

1950ねん製造せいぞうされたマイネ41最後さいごに、製造せいぞう当初とうしょから形式けいしき名称めいしょうに「イ」がつく車両しゃりょう姿すがたしていた[5] が、2013ねんJR九州きゅうしゅうななつほし in 九州きゅうしゅう(マイ77・マイネ77・マイネフ77)が63ねんぶりに新造しんぞうされた[5]2017ねん6月13にちJR西日本にしにほん運行うんこう開始かいしした「TWILIGHT EXPRESS みずふう」(キイテ87・キサイネ87)も形式けいしき名称めいしょうに「イ」をしている[6]

運賃うんちん料金りょうきん

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国鉄こくてつ乗車じょうしゃけんうえ片道かたみち一等いっとう)、した往復おうふくとう

1969ねんより日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうではモノクラスせい採用さいようしたことから、運賃うんちん特急とっきゅう急行きゅうこう料金りょうきん一本いっぽんされており、グリーンしゃ利用りよう場合ばあい特別とくべつ料金りょうきんはらうこととなっているが、等級とうきゅうせい時代じだいには、運賃うんちんおよび特急とっきゅう急行きゅうこう料金りょうきん等級とうきゅうべつことなっていた。

たとえば1960ねん以前いぜんであれば、さんとう運賃うんちん料金りょうきん基準きじゅんとすると、とう運賃うんちん料金りょうきんはおおむねその2ばい一等いっとう運賃うんちんとう運賃うんちんの2ばい一等いっとう特急とっきゅう料金りょうきんさんとうの3ばい収受しゅうじゅされることになっていた[注釈ちゅうしゃく 5]。 なお、この倍率ばいりつ採用さいよう時期じき採用さいよう会社かいしゃによって相当そうとうことなっており、国鉄こくてつでもたとえば1950ねん4がつ1にち改定かいてい以前いぜんは、とうさんとうの3ばいであった[7]

また切符きっぷいろ等級とうきゅうべつことなっており、客車きゃくしゃおびいろから一等いっとうは「しろ切符きっぷ」(実際じっさいには黄色おうしょく)、とうは「あお切符きっぷ」、さんとうは「赤切符あかぎっぷ」とばれていた。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ これは「いろはうた」に準拠じゅんきょしており、一等いっとうしゃはイ、とうしゃはロ、さんとうしゃはハとなっている。
  2. ^ 厳密げんみつにはつづいて1898ねん1がつ変更へんこうした山陽さんよう鉄道てつどうについてであるが、かんてつ同様どうようであろう。長船おさふね、p.128。
  3. ^ ただし一等いっとうしゃ一体いったい展望てんぼうしゃ(しつ)を使用しようできるのは一等いっとうきゃくかぎられていた(展望てんぼうしゃ#国鉄こくてつ・JRの客車きゃくしゃ)。
  4. ^ 車両しゃりょう等級とうきゅう格上かくあげされたが、車両しゃりょう形式けいしき格上かくあげされず、一等いっとうしゃ(のちのグリーンしゃ)がロ、とうしゃ(のちの普通ふつうしゃ)がハとなった。車両しゃりょう等級とうきゅう格上かくあげと同時どうじに、車両しゃりょう形式けいしき格上かくあげしないとおかしいという意見いけんたが、表記ひょうきえが面倒めんどう実際じっさいには旅客りょかくしゃ全般ぜんぱん表記ひょうきえねばならず莫大ばくだいなコストがかかる)ということで格上かくあげしなかったという。
  5. ^ ただし、実際じっさいにはいちとう運賃うんちん料金りょうきんには通行つうこうぜい2わりせられていたので、一等いっとう料金りょうきんさんとうの3.6ばい金額きんがくになった。(日本交通公社にほんこうつうこうしゃ時刻じこくひょう』1959ねん7がつごうによる)

出典しゅってん

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  1. ^ 大正たいしょう8年度ねんど鉄道てつどういん年報ねんぽう』1921ねん大正たいしょう10ねん)、32ぺーじ
  2. ^ 鉄道てつどう旅行りょこう不要ふよう不急ふきゅうだ」「機関きかん運転うんてんだいたれてんだ」戦争せんそうちゅう鉄道てつどうマンはいかに列車れっしゃはしらせた?”. 文春ぶんしゅんオンライン (2020ねん8がつ17にち). 2020ねん8がつ16にち閲覧えつらん
  3. ^ ほしあきら戦後せんご寝台しんだいしゃ事情じじょう」『回想かいそう旅客りょかくしゃした学研がっけん、2008ねん、52ぺーじ
  4. ^ 鉄道てつどうピクトリアル』2003ねん12月増刊ぞうかんごう p.48
  5. ^ a b c 鉄道てつどうトリビア(222)JR九州きゅうしゅう「ななつほし in 九州きゅうしゅう」で63ねんぶり復活ふっかつの「イ」とは? - マイナビニュース
  6. ^ 2017ねん05がつ02にち 「四季しきとう」VS「みずふう豪華ごうか列車れっしゃ個性こせいきそ日刊にっかん工業こうぎょう新聞しんぶん』「ニュースイッチ」 明豊めいほう
  7. ^ ほしあきら回想かいそう旅客りょかくしゃじょう、p.67。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 長船おさふね友則とものり山陽さんよう鉄道てつどう物語ものがたり先駆せんくてき営業えいぎょう施策しさく数多かずおお導入どうにゅうしたてるしい足跡あしあと』、JTBパブリッシング、2008ねん
  • かわぐちつとむ『食堂しょくどうしゃ明治めいじ大正たいしょう昭和しょうわ』、グランプリ出版しゅっぱん、2002ねん ISBN 4876872406
  • 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうひゃくねんぜん19かん(『ひゃくねん』とりゃくし、まきぺーじしめす)。
  • ほしあきら回想かいそう旅客りょかくしゃ上下じょうげ学研がっけん、2008ねん
  • 鉄道てつどうピクトリアル アーカイブス セレクション 10 国鉄こくてつ客車きゃくしゃ開発かいはつ 1950』 電気でんきしゃ研究けんきゅうかい 2006ねん
    • ほし あきら寝台しんだいしゃ戦後せんごばん 戦後せんごにおける寝台しんだいしゃ復活ふっかつ事情じじょうについて-」(初出しょしゅつ:『鉄道てつどうピクトリアル』1953ねん9-11月ごう No.26 - 28) pp.61 - 72
    • 平林ひらばやし喜三きぞうづくり「1とう寝台しんだいしゃ廃止はいし」(初出しょしゅつ:『鉄道てつどうピクトリアル』1955ねん8がつごう No.49) pp.116 - 117
    • 齋藤さいとう雅男まさお「『イネ』を始末しまつする」(初出しょしゅつ:『鉄道てつどうピクトリアル』1955ねん8がつごう No.49) pp.118 - 120

関連かんれん項目こうもく

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