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時代物 - Wikipedia

時代物じだいもの

歌舞伎かぶき人形浄瑠璃にんぎょうじょうるり演目えんもく様式ようしき
世話物せわものから転送てんそう

時代物じだいもの(じだいもの)とは、歌舞伎かぶき人形浄瑠璃にんぎょうじょうるり演目えんもくのうち、江戸えど時代じだい庶民しょみん日常にちじょうからかけはなれた話題わだい、すなわちとお過去かこ出来事できごとや、武家ぶけ公家くげ社会しゃかいきた出来事できごとなどをあつかったものをいう。

ぎゃくに、江戸えど時代じだい庶民しょみん日常にちじょうそのものである市井しせい話題わだい風俗ふうぞくなどをあつかった演目えんもくのことを、世話物せわもの(せわもの)といい、なかでも写実しゃじつてき演出えんしゅつ演技えんぎいものを生世話物きぜわもの(きぜわもの)という。

時代物じだいもの種類しゅるい

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時代物じだいものは、基本きほんてきには江戸えど時代じだいにおける時代じだいげきだとかんがえてつかえない。ただし、江戸えど時代じだいには徳川とくがわとその配下はいか武将ぶしょうかんするげききんじられていたため、よりふる時代じだい仮託かたくしてどう時代じだい事件じけん表現ひょうげんすることがあった。たとえば『仮名かめい手本てほん忠臣蔵ちゅうしんぐら』はあきらかに赤穂あこう事件じけん取材しゅざいしているが、江戸えど時代じだい作者さくしゃにとっての現在げんざい)ではなく足利あしかが時代じだい出来事できごとであるかのようにしてえがいている[1]。そこから、時代物じだいものつぎの4種類しゅるい大別たいべつすることができる。

とお過去かこ物語ものがたり出来事できごと

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江戸えど時代じだいからとお過去かこ時代じだい、すなわち江戸えど時代じだいよりもまえ時代じだい安土あづち桃山ももやま時代じだい戦国せんごく時代じだい室町むろまち時代ときよ南北なんぼくあさ時代じだい鎌倉かまくら時代ときよなど)をあつか演目えんもくは、基本きほんてきにそのすべてが時代物じだいものである。したがって武家ぶけ社会しゃかいえが演目えんもくがそのだい多数たすうめるが、武家ぶけ社会しゃかいはじまるまえ時代じだい平安へいあん時代じだい奈良なら時代じだい飛鳥あすか時代ときよ)をあつか演目えんもくもいくつかあり、これらは時代物じだいものなかでもとく王朝おうちょうぶつ(おうちょうもの)とばれる。王朝おうちょうぶつえがくのは公家くげ社会しゃかいである。

演目えんもく 下敷したじきとなった出来事できごと 歴史れきしてき時代じだい区分くぶん 系統けいとう 物語ものがたり世界せかい
妹背山しはいやま婦女ふじょ庭訓ていきん おつへん大化たいか改新かいしん)と蘇我入鹿そがのいるか滅亡めつぼう 飛鳥あすか時代ときよ 王朝おうちょうぶつ 王朝おうちょう世界せかい
鶊山ひめ捨松すてまつ』   中将ちゅうじょうひめ奈良なら當麻寺たいまでら蓮糸はすいと曼荼羅まんだら伝説でんせつ 奈良なら時代じだい 王朝おうちょうぶつ 王朝おうちょう世界せかい
あし道満どうまん大内おおうちあきら くずぎつね恩返おんがえしと子別こわかれの伝説でんせつ 平安へいあん時代じだい前期ぜんき 王朝おうちょうぶつ 王朝おうちょう世界せかい
菅原すがわら伝授でんじゅしゅ習鑑 あきらたいへん菅原すがわら道真みちざね左遷させん)と天神てんじん信仰しんこう 平安へいあん時代じだい中期ちゅうき 王朝おうちょうぶつ 王朝おうちょう世界せかい
平家ひらか女護島にょごがしま 俊寛しゅんかん僧都そうずおにかいとう孤独こどく伝承でんしょう 平安へいあん時代じだい後期こうき 王朝おうちょうぶつ 平家ひらか物語ものがたり』の世界せかい
義経よしつね千本せんぼんさくら 義経よしつね弁慶べんけい主従しゅうじゅう流浪るろうたん静御前しずかごぜん悲哀ひあい 平安へいあん時代じだい末期まっき 判官ほうがんぶつ義経よしつねぶつ 義経よしつね』の世界せかい
寿ことぶき曾我そが対面たいめん』   曾我そが兄弟きょうだいちちかたき工藤くどうゆうけいった事件じけん 鎌倉かまくら時代じだい初期しょき 曾我そがぶつ 曾我そが兄弟きょうだい仇討あだうち世界せかい
大塔おおとうみや曦鎧』   元弘もとひろらん鎌倉かまくら幕府ばくふ滅亡めつぼう 鎌倉かまくら時代じだい末期まっき 太平たいへいぶつ 太平たいへい』の世界せかい
神霊しんれい矢口やぐちわたる』   新田にった義興よしおき矢口やぐちわた謀殺ぼうさつされた事件じけん 南北なんぼくあさ時代じだい 太平たいへいぶつ 太平たいへい』の世界せかい
小栗おぐり判官ほうがん照手てるてひめ 小栗おぐり判官ほうがん照手てるてひめあいつらぬいてむすばれる伝説でんせつ 室町むろまち時代ときよ 小栗おぐり判官ほうがんぶつ 小栗おぐり判官ほうがん世界せかい
本朝ほんちょう廿にじゅうよんこう 甲斐かい武田たけだ越後えちご上杉うえすぎ信州しんしゅう川中島かわなかじま合戦かっせん 戦国せんごく時代じだい きのえよう軍記ぐんきぶつ きのえようぐんかん』の世界せかい
絵本えもとふとしこう 明智あけち光秀みつひでの「三日天下みっかてんか 安土あづち桃山ももやま時代じだい 太閤たいこうぶつ 太閤たいこう』の世界せかい

豊臣とよとみがらみの出来事できごと

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徳川とくがわ幕府ばくふとは、天下てんか統一とういつ達成たっせいした豊臣とよとみ秀吉ひでよし構築こうちくした豊臣とよとみ政権せいけんさい有力ゆうりょく大名だいみょうだった徳川とくがわ家康いえやすが、秀吉ひでよし死後しご関ヶ原せきがはら豊臣とよとみからちからずくでうばった政権せいけんだった。さらにつづ大坂おおさかじんでは、大坂おおさかになおのこ秀吉ひでよし遺児いじ秀頼ひでよりとそのはは淀君よどぎみ理不尽りふじん理由りゆう謀略ぼうりゃく挑発ちょうはつし、前後ぜんご2かいにわたって諸国しょこくからべ35まん大軍たいぐん動員どういん、さらにはいかさまもどきの和睦わぼく交渉こうしょう難攻不落なんこうふらくだい坂城さかきはだかじょうにしてとし、なりふりかまわず豊臣とよとみをこのからってしまったものだった。

こうした背景はいけいから、秀吉ひでよし豊臣とよとみ主題しゅだいとした軍記ぐんきぶつ物語ものがたりには江戸えど時代じだいつうじて公儀こうぎつねひからせていた。庶民しょみん英雄えいゆうである太閤たいこう秀吉ひでよし人気にんきおとろえることがなかった。しかし秀吉ひでよし生涯しょうがいをありのままにえがくと、そこにはちょっとちがった見方みかたをすれば家康いえやすあん批判ひはんしているもとられかねないような表現ひょうげん介在かいざいする余地よち十分じゅうぶんにあったからである。したがって秀吉ひでよし豊臣とよとみ政権せいけんはもとより、秀頼ひでより淀君よどぎみ、さらには秀吉ひでよし子飼こがい加藤かとう清正きよまさ福島ふくしま正則まさのりなどの活躍かつやく題材だいざいとした芝居しばいでは、それを狂言きょうげん作者さくしゃたちもとく神経しんけい使つかったのである。したがってそうした芝居しばいは、江戸えど時代じだいよりまえ時代じだいの「世界せかい」に仮託かたくしてえがかざるをなかった。登場とうじょう人物じんぶつを、たとえば木下きのした藤吉郎とうきちろうを此下ひがしきち(このした とうきち)、羽柴はしば秀吉ひでよし真柴ましば久吉ひさよし(ましば ひさきち)などとえていたのはまだじょくちで、『近江おうみはじめ先陣せんじんかん』や『鎌倉かまくらさんだい』という演目えんもくになるとそのあらすじは大坂おおさかじんえがいたものあることが明白めいはくで、北条ほうじょう時政ときまさ比企ひきのういんといった鎌倉かまくら時代じだい初期しょき実在じつざいした人物じんぶつ仮託かたくされてえがかれているのは、徳川とくがわ家康いえやすそのひとにほかならない。

演目えんもく 下敷したじきとなった出来事できごと 歴史れきしてき時代じだい区分くぶん 系統けいとう 物語ものがたり世界せかい 仮託かたくした時代じだい
近江おうみはじめ先陣せんじんかん 大坂おおさかふゆじん 江戸えど時代じだい初頭しょとう 大坂おおさか軍記ぐんきぶつ     大坂おおさか軍記ぐんき』の世界せかい 鎌倉かまくら時代じだい    
鎌倉かまくらさんだい 大坂おおさかなつじん 江戸えど時代じだい初頭しょとう 大坂おおさか軍記ぐんきぶつ 大坂おおさか軍記ぐんき』の世界せかい 鎌倉かまくら時代ときよ

しょはんきたおいえ騒動そうどう

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江戸えど時代じだい庶民しょみんからて、はる彼方かなたのまるでくもうえのような異質いしつ環境かんきょう、すなわち御所ごしょ皇居こうきょ)や殿中でんちゅう江戸城えどじょうちゅう)そして御殿ごてんはんちょう江戸えど藩邸はんてい)などを舞台ぶたいとする芝居しばいは、たとえそれが江戸えど時代じだいになってからの出来事できごとであっても、ついすうげつまえきたばかりの事件じけんであっても、それらを一律いちりつ時代物じだいものとしてあつかった。

その理由りゆうふたつある。まず演出えんしゅつじょう、こうした場所ばしょ登場とうじょう人物じんぶつせる動作どうさかわ言葉ことばには、庶民しょみん仕種しぐさ会話かいわとの鮮明せんめいちがいがもとめられたことがあげられる。そうした演出えんしゅつきわめて大仰おおぎょう様式ようしきてきなものにならざるをず、その結果けっか内容ないよう自然しぜん時代じだいがかったものになったのである。

いまひとつの理由りゆうは、こうした環境かんきょうのもとでひろげられる出来事できごとのうち、庶民しょみん関心事かんしんじといえばそれはもっぱら「くにくずし」(国家こっか転覆てんぷく)や「いえ騒動そうどう」(おいえり)にならなかったことである。そもそもおいえ騒動そうどうというものは善玉ぜんだま悪玉あくだまがあってはじめて物語ものがたりつが、かといってその善悪ぜんあく内容ないよう詳細しょうさいえがくと、ここでもまたひと間違まちがえば政道せいどう批判ひはんめられかねない余地よちがあった。したがってこうした内容ないよう芝居しばい実録じつろくふう仕立したてげることは、江戸えど時代じだいつうじてかたきびしくきんじられていた。そこでこうした題材だいざい芝居しばいもすべて江戸えど時代じだいよりまえ時代じだいの「世界せかい」に仮託かたくしてえがいたのである。これらの演目えんもく時代物じだいものなかでもとく御家おいえぶつ(おいえもの)とばれる。

演目えんもく 下敷したじきとなった出来事できごと 歴史れきしてき時代じだい区分くぶん 系統けいとう 物語ものがたり世界せかい 仮託かたくした時代じだい
黒白くろしろろんぶん博多はかた 寛永かんえい9ねん福岡ふくおかはんきた黒田くろだ騒動そうどう 江戸えど時代じだい前期ぜんき 御家おいえぶつ 太平たいへい』の世界せかい  太平たいへい』の時代じだい
伽羅きゃら先代せんだいはぎ 寛文ひろふみ11ねん仙台せんだいはんきた伊達だて騒動そうどう 江戸えど時代じだい前期ぜんき 御家おいえぶつ 先代せんだいはぎ』の世界せかい 太平たいへい』の時代じだい
仮名かめい手本てほん忠臣蔵ちゅうしんぐら 浅野あさの長矩ながのり殿中でんちゅう刃傷にんじょう赤穂あこう浪士ろうし吉良きらてい討入うちいり 江戸えど時代じだい中期ちゅうき 御家おいえぶつ 忠臣蔵ちゅうしんぐら』の世界せかい 太平たいへい』の時代じだい
見山みやまきゅう錦絵にしきえ のべとおる5ねん前後ぜんこう加賀かがはんきた加賀かが騒動そうどう 江戸えど時代じだい中期ちゅうき 御家おいえぶつ 鏡山かがみやまぶつ』の世界せかい 太平たいへい』の時代じだい
小笠原おがさわらしょれい忠孝ちゅうこう とおる3ねん小倉こくらはんきた小笠原おがさわら騒動そうどう 江戸えど時代じだい後期こうき 御家おいえぶつ 太平たいへい』の世界せかい 太平たいへい』の時代じだい

異国いこくきた事件じけん

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時代じだい世界せかい設定せっていとはかかわりなく、登場とうじょう人物じんぶつ風俗ふうぞく設定せっていがいかにも古色こしょく蒼然そうぜんとしていたり、異国いこく情緒じょうちょにあふれていたりして、江戸えど時代じだいてきではない演目えんもくも、それを時代物じだいものとしてあつかった。

演目えんもく 下敷したじきとなった出来事できごと 歴史れきしてき時代じだい区分くぶん 系統けいとう 物語ものがたり世界せかい
くにせいじい合戦かっせん』   てい成功せいこう明朝みんちょう復辟ふくへき活動かつどう台湾たいわんてい政権せいけん 樹立じゅりつ  江戸えど時代じだい前期ぜんき 異国いこくぶつ くにせいじい』の世界せかい 

またここからてんじて、大仰おおぎょう様式ようしきてき演技えんぎやせりふまわし、またそうした演出えんしゅつかたとしてもとめられる部分ぶぶんたん時代じだい(じだい)ということもある。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ世界せかい文芸ぶんげいだい辞典じてん』3かん河竹かわたけ繁俊しげとし時代物じだいもの じだいもの」の項目こうもく

関連かんれん項目こうもく

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参考さんこう文献ぶんけん外部がいぶリンク

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