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中田宏樹 - Wikipedia

中田なかた宏樹ひろき

日本にっぽん将棋しょうぎ棋士きし (1964-2023)

中田なかた 宏樹ひろき(なかた ひろき、1964ねん昭和しょうわ39ねん10がつ20日はつか - 2023ねんれい5ねん2がつ7にち)は、東京とうきょう武蔵野むさしの出身しゅっしん将棋しょうぎ棋士きし桜井さくらいのぼるきゅうだん門下もんか棋士きし番号ばんごうは173。

 中田なかた宏樹ひろき きゅうだん
名前なまえ 中田なかた宏樹ひろき
生年月日せいねんがっぴ (1964-10-20) 1964ねん10がつ20日はつか
ぼつ年月日ねんがっぴ (2023-02-07) 2023ねん2がつ7にち(58さいぼつ
プロ年月日ねんがっぴ 1985ねん11月28にち(21さい)
棋士きし番号ばんごう 173
出身しゅっしん 東京とうきょう武蔵野むさしの
所属しょぞく 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい関東かんとう
師匠ししょう 桜井さくらいのぼるきゅうだん
段位だんい きゅうだん
棋士きしDB 中田なかた宏樹ひろき
戦績せんせき
通算つうさん成績せいせき 770しょう592はい(.5653)
竜王りゅうおうせん最高さいこうクラス 2くみ
順位じゅんいせん最高さいこうクラス Bきゅう1くみ(3
2023ねん2がつ9にち現在げんざい
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プロデビュー

編集へんしゅう

1985ねんあきに、21さいでプロデビュー。実質じっしつ初年度しょねんどとなる1986年度ねんどに、羽生はぶ善治よしはるならんでぜん棋士きしちゅう1タイの勝率しょうりつ(0.741)をマークする[1]

1989年度ねんどオールスターせん(5連勝れんしょう以上いじょう優勝ゆうしょうあつかい)で8連勝れんしょうする。

1990年代ねんだい

編集へんしゅう

1991ねん王位おういせん谷川たにがわ浩司こうじ王位おういへの挑戦ちょうせんしゃとなる。直前ちょくぜんまで、棋戦きせんふく破竹はちくの17連勝れんしょう[2]をしてむかえたななばん勝負しょうぶであったが、2連勝れんしょうのち4連敗れんぱい敗退はいたい。この4はいのうちの2はいは、中田なかた後手ごてばんで、谷川たにがわ得意とくいかくわり腰掛こしかけぎん堂々どうどうけてったものである。この年度ねんどは、将棋しょうぎ大賞たいしょう新人しんじんしょう連勝れんしょうしょう同時どうじ受賞じゅしょう

1993年度ねんど全日本ぜんにほんプロ将棋しょうぎトーナメントでは、阿部あべたかし決勝けっしょうばん勝負しょうぶたたかうも、2-3で惜敗せきはい

だい7(1994年度ねんど竜王りゅうおうせんで4くみ優勝ゆうしょうだい8(1995年度ねんど竜王りゅうおうせんでは3くみ3となり、連続れんぞく2かい昇級しょうきゅうで2くみがる。

だい9(2001年度ねんど銀河ぎんがせん決勝けっしょうトーナメント進出しんしゅつ藤井ふじいたけし竜王りゅうおう当時とうじ)をやぶりベスト4。

2000年代ねんだい

編集へんしゅう

だい15(2002年度ねんど竜王りゅうおうせんで3くみ2として本戦ほんせん出場しゅつじょう森下もりしたたく森内もりうち俊之としゆき当時とうじ名人めいじん)をやぶり、挑戦ちょうせんしゃ決定けっていさんばん勝負しょうぶ進出しんしゅつ阿部あべたかしとの9ねんぶりの雪辱せつじょくせんとなったが1しょう2はいやぶれ、竜王りゅうおう挑戦ちょうせんけん獲得かくとくはならなかった。

だい22(2009年度ねんど竜王りゅうおうせんでは4くみ決勝けっしょうまですすみ、3くみ復帰ふっきめて久々ひさびさ本戦ほんせん出場しゅつじょう可能かのうせいもあったが、決勝けっしょう田中たなか寅彦とらひこやぶれる。

順位じゅんいせんでなかなか昇級しょうきゅうできず、Cきゅう2くみけるのに10ねん、Cきゅう1くみけるのに9ねんかかった。そのこともあり、プロ昇段しょうだんすべかちすう規定きていによる昇段しょうだんである[3]。したがって、はちだん昇段しょうだん通算つうさん560しょう(100+120+150+190)であった。これは、プロやく20年間ねんかんとし28しょうのペースでぼしげたことになる。28しょうという数字すうじは、年度ねんどランキング10前後ぜんこう相当そうとうするかちすうである。

2008ねん8がつ8にち公式こうしきせん通算つうさん600しょう将棋しょうぎ栄誉えいよしょう)を達成たっせい順位じゅんいせんでAきゅうもBきゅう1くみ経験けいけんしていない棋士きしの600しょう史上しじょうはつである。

2010年代ねんだい

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2010ねん3がつ5にちだい68Bきゅう2くみ順位じゅんいせん最終さいしゅうきょくち、8しょう2はい(2)の成績せいせきはつのBきゅう1くみ昇級しょうきゅうめる。順位じゅんいせんはつ参加さんかから24ねんで、年齢ねんれいは45さいとなっていた。この時点じてんでの通算つうさん勝敗しょうはいは1009対局たいきょく632しょう377はい勝率しょうりつ0.6264)、順位じゅんいせんでの通算つうさん勝敗しょうはいは240対局たいきょく155しょう85はい勝率しょうりつ0.6458)である。

2019ねんには藤井ふじいさとしふとし竜王りゅうおうせん4くみ対戦たいせんし、逆転ぎゃくてんけをきっしたものの、藤井ふじい投了とうりょう寸前すんぜんまでめた[4]

病気びょうき療養りょうよう死去しきょ

編集へんしゅう

2022ねん10がつ以降いこう体調たいちょう不良ふりょうにより公式こうしきせん休場きゅうじょう不戦敗ふせんぱいつづき、2023ねん2がつ1にち病気びょうき療養りょうようのため3がつ31にちまでの休場きゅうじょうとどけ提出ていしゅつ[5]

2023ねん2がつ7にち病気びょうきのため死去しきょ連盟れんめいによる公表こうひょうは2がつ9にち[6][7]。58さいぼつ病名びょうめい死因しいんなどはかされていない。

通算つうさんかちすうは770しょうで、将棋しょうぎ栄誉えいよ敢闘かんとうしょう通算つうさん800しょう)まであと30しょうかちすう規定きていによるきゅうだん昇段しょうだんにあと40しょうだった。

2023ねん2がつ10にちづけきゅう段位だんい追贈ついぞうされた[8]

生粋きっすいきょ飛車ひしゃとうで、矢倉やくらすことがおおい。後手ごてばんでは、相手あいて出方でかたによって、かくわりあいかりよこり8などもす。たい飛車ひしゃには急戦きゅうせんきょ飛車ひしゃ穴熊あなぐま

人物じんぶつ・エピソード

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日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい軟式なんしき野球やきゅうチーム「キングス」の監督かんとくつとめたことがある[2]

クールな外見がいけんでありながら悪魔あくまてきつよさをっていたことから、「デビル中田なかだ」の愛称あいしょうしたしまれた[9]

朝日新聞あさひしんぶん記者きしゃ北野きたの新太あらたは、中田なかた興味きょうみがあり、2022ねん9がつにインタビューをおこなっていた[10]北野きたの記者きしゃによると、中田なかた晩年ばんねんいたるまで携帯けいたい電話でんわもメールアドレスも保有ほゆうしておらず、北野きたのが「研究けんきゅうしつ」に電話でんわ直接ちょくせつかけるかたち中田なかた本人ほんにんとコンタクトがれたという[10]中田なかたはスマートフォンもパソコンも使つかわず、対局たいきょく相手あいて棋譜きふ将棋しょうぎ会館かいかんにてコピーをして入手にゅうしゅし、ばん使つかって研究けんきゅうをしていた[10]

インタビュー自身じしん体調たいちょう不良ふりょう北野きたの記者きしゃつたえていた[10]中田なかたは、よく10がつから体調たいちょう不良ふりょうのための不戦敗ふせんぱいかえし、あきには入院にゅういん療養りょうようしていたが2023ねんはいると病院びょういんでの療養りょうよう自宅じたくもどった[11]。2月1にちから3がつ31にちまでの休場きゅうじょうとどけ連盟れんめい提出ていしゅつ[5]療養りょうよう専念せんねんするとみられた矢先やさき同月どうげつ7にち死去しきょ盤上ばんじょう復帰ふっきかなうことなく、北野きたの記者きしゃによるインタビュー記事きじ死去しきょの2023ねん2がつ13にち追悼ついとう記事きじとして公開こうかいされた[10]

昇段しょうだん履歴りれき

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昇段しょうだん規定きていは、将棋しょうぎだんきゅう参照さんしょう

おも成績せいせき

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タイトル挑戦ちょうせん

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一般いっぱん棋戦きせん優勝ゆうしょう

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  • オールスターせん5しょう以上いじょう 2かい … だい12かい(1989年度ねんど)8連勝れんしょうだい18かい(1997年度ねんど)5連勝れんしょう
合計ごうけい 2かい

在籍ざいせきクラス

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順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん在籍ざいせきクラスの年別ねんべつ一覧いちらん (1985-2022年度ねんど)
開始かいし
年度ねんど
(出典しゅってん)順位じゅんいせん
出典しゅってん[14]
(出典しゅってん)竜王りゅうおうせん
出典しゅってん[15]
名人めいじん Aきゅう Bきゅう Cきゅう 0 竜王りゅうおう 1くみ 2くみ 3くみ 4くみ 5くみ 6くみ 決勝けっしょう
T
1くみ 2くみ 1くみ 2くみ
1985 44 昇段しょうだんまえ --
1986 45 C247 棋戦きせん創設そうせつまえ
1987 46 C221 1 5くみ --
1988 47 C203 2 5くみ --
1989 48 C216 3 5くみ --
1990 49 C202 4 4くみ --
1991 50 C210 5 4くみ --
1992 51 C208 6 4くみ --
1993 52 C216 7 4くみ --
1994 53 C211 8 3くみ --
1995 54 C212 9 2くみ --
1996 55 C122 10 2くみ --
1997 56 C108 11 2くみ --
1998 57 C103 12 2くみ --
1999 58 C109 13 3くみ --
2000 59 C117 14 3くみ --
2001 60 C106 15 3くみ --
2002 61 C110 16 3くみ --
2003 62 C114 17 3くみ --
2004 63 C113 18 3くみ --
2005 64 B220 19 3くみ --
2006 65 B215 20 3くみ --
2007 66 B212 21 3くみ --
2008 67 B213 22 4くみ --
2009 68 B208 23 3くみ --
2010 69 B113 24 4くみ --
2011 70 B108 25 4くみ --
2012 71 B110 26 4くみ --
2013 72 B202 27 4くみ --
2014 73 B205 28 4くみ --
2015 74 B226 29 3くみ --
2016 75 B219 30 4くみ --
2017 76 B203 31 4くみ --
2018 77 B205 32 4くみ --
2019 78 B220 33 4くみ --
2020 79 B208 34 4くみ --
2021 80 B205 35 4くみ --
2022 81 B226 36 5くみ --
(だい81途中とちゅう休場きゅうじょう、2023ねん2がつ7にち死去しきょ) (だい36途中とちゅう休場きゅうじょう、2023ねん2がつ7にち死去しきょ)
順位じゅんいせん竜王りゅうおうせん わく表記ひょうき 挑戦ちょうせんしゃみぎらん数字すうじかち-はい(ばん勝負しょうぶ/POふくまず)。
順位じゅんいせんみぎ数字すうじはクラスない順位じゅんい ( x当期とうきくだきゅうてん / *累積るいせきくだきゅうてん / +くだきゅうてん消去しょうきょ )
順位じゅんいせんの「Fへん」はフリークラス編入へんにゅう /「Fせん」は宣言せんげんによるフリークラス転出てんしゅつ
竜王りゅうおうせん 太字ふとじ はランキングせん優勝ゆうしょう竜王りゅうおうせんくみ(添字そえじ)棋士きし以外いがいわくでの出場しゅつじょう

将棋しょうぎ大賞たいしょう

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  • だい14かい(1986年度ねんど) 勝率しょうりついちしょう(0.741)
  • だい18かい(1990年度ねんど) 連勝れんしょうしょう(16連勝れんしょう
  • だい19かい(1991年度ねんど) 連勝れんしょうしょう(18連勝れんしょう)、新人しんじんしょう
  • だい50かい(2022年度ねんど) 東京とうきょう記者きしゃかいしょう

表彰ひょうしょう

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  • 2008ねん08がつ08にち - 将棋しょうぎ栄誉えいよしょう公式こうしきせん通算つうさん600しょう達成たっせい通算つうさん 958きょく/ 600しょう358はい/ 勝率しょうりつ0.626)[16]

年度ねんどべつ成績せいせき

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公式こうしき棋戦きせん成績せいせき (2022年度ねんどまで)
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ
1985 09 05 04 0.5556
1986 54 40 14 0.7407
1987 51 34 17 0.6667
1988 45 29 16 0.6444
1989 45 26 19 0.5778
1990 54 40 14 0.7407 [1]
1985-1990
(小計しょうけい)
258 174 84 0.6744
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ
1991 70 45 25 0.6429 [2]
1992 46 30 16 0.6522 [3]
1993 48 33 15 0.6875 [4]
1994 50 33 17 0.6600 [5]
1995 40 26 14 0.6500 [6]
1996 29 15 14 0.5172 [7]
1997 37 24 13 0.6486 [8]
1998 43 28 15 0.6512 [9]
1999 40 19 21 0.4750 [10]
2000 40 25 15 0.6250 [11]
1991-2000
(小計しょうけい)
443 278 165 0.6275
1985-2000
(るいけい)
701 452 249
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ
2001 35 23 12 0.6571 [12]
2002 52 33 19 0.6346 [13]
2003 36 18 18 0.5000 [14]
2004 32 22 10 0.6875 [15]
2005 29 14 15 0.4828 [16]
2006 32 17 15 0.5313 [17]
2007 28 13 15 0.4642 [18]
2008 36 21 15 0.5833 [19]
2009 31 20 11 0.6451 [20]
2010 30 16 14 0.5333 [21]
2001-2010
(小計しょうけい)
341 197 144 0.5777
1985-2010
(るいけい)
1042 649 393
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ
2011 28 11 17 0.3928 [22]
2012 28 8 20 0.2857 [23]
2013 31 15 16 0.4838 [24]
2014 28 12 16 0.4285 [25]
2015 32 13 19 0.4062 [26]
2016 25 13 12 0.5200 [27]
2017 26 12 14 0.4615 [28]
2018 29 10 19 0.3448 [29]
2019 28 11 17 0.3928 [30]
2020 26 11 15 0.4230 [17] [31]
2011-2020
(小計しょうけい)
281 116 165 0.4128
1985-2020
(るいけい)
1323 765 558 0.5782 [17]
年度ねんど 対局たいきょくすう かちすう 負数ふすう 勝率しょうりつ
2021 22 2 20 0.0909 [18] [32]
1985-2021
(るいけい)
1345 767 578 0.5702 [18]
2022 17
(5)
3
0
14
(5)
0.1765 (不戦ふせん5)
[33][19][20]
通算つうさん 1362 770 592 0.5653
2023 (2) (-) (-) (-.----) (不戦ふせん2)
[20]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 将棋しょうぎ中田なかた宏樹ひろきはちだん死去しきょ、58さい 86年度ねんど羽生はぶ善治よしはるきゅうだんなら勝率しょうりつ実績じっせき”. 日刊にっかんスポーツ (2023ねん2がつ9にち). 2023ねん11月25にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 将棋しょうぎ世界せかい」2000ねん1がつごう付録ふろく
  3. ^ なお、かちすう規定きていだけではちだんまで昇段しょうだんしたのは、2020ねん時点じてんでは中田なかた阿部あべたかし中川なかがわ大輔だいすけ日浦ひうら市郎いちろういずみ正樹まさき神崎かんざき健二けんじ中田なかたいさお杉本すぎもと昌隆まさたか佐藤さとう秀司しゅうじ長沼ながぬまひろしの10にんである。
  4. ^ さらば中田なかた宏樹ひろきはちだん藤井ふじいさとしふとし竜王りゅうおう極限きょくげんまでめた「デビル」、おにしゅ△6ぎんめいのこ, 読売新聞よみうりしんぶん, (2023-02-10), https://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/ryuoh/20230210-OYT8T50107/ 2023ねん7がつ26にち閲覧えつらん 
  5. ^ a b 中田なかた宏樹ひろきはちだん休場きゅうじょうのおらせ - 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい(2023ねん2がつ1にち
  6. ^ 将棋しょうぎ棋士きし中田なかた宏樹ひろきはちだん死去しきょ 58さい 病気びょうき療養りょうよう休場きゅうじょうちゅう. 毎日新聞まいにちしんぶん. (2023ねん2がつ9にち). https://mainichi.jp/articles/20230209/k00/00m/040/142000c 2023ねん2がつ9にち閲覧えつらん 
  7. ^ 訃報ふほう 中田なかた宏樹ひろきはちだん”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい (2023ねん2がつ9にち). 2023ねん2がつ9にち閲覧えつらん
  8. ^ 中田なかた宏樹ひろきはちだん追贈ついぞうきゅうだん”. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい (2023ねん2がつ13にち). 2023ねん3がつ10日とおか閲覧えつらん
  9. ^ 将棋しょうぎ中田なかた宏樹ひろきはちだん死去しきょ58さい 「デビル中田なかた」の愛称あいしょうしたしまれた 昨年さくねん10がつから体調たいちょう不良ふりょう. スポーツニッポン. (2023ねん2がつ9にち). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/02/09/kiji/20230209s000413F2268000c.html 2023ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん 
  10. ^ a b c d e 北野きたの新太あらた朝日新聞あさひしんぶん (2023-02-13), 最前線さいぜんせんつらぬいた、古風こふうたたずまい Bきゅうくみ在籍ざいせき中田なかた宏樹ひろきはちだんいたむ 将棋しょうぎ朝日新聞あさひしんぶんデジタル, 朝日新聞あさひしんぶん, https://digital.asahi.com/articles/DA3S15554698.html 
  11. ^ 吉田よしだ祐也ゆうや読売新聞よみうりしんぶんオンライン) (2023ねん2がつ10日とおか). “さらば中田なかた宏樹ひろきはちだん藤井ふじいさとしふとし竜王りゅうおう極限きょくげんまでめた「デビル」、おにしゅ△6ぎんめいのこす[しょうく] : 読売新聞よみうりしんぶん”. 2023ねん2がつ10日とおか閲覧えつらん
  12. ^ 近代きんだい将棋しょうぎ 1998ねん2がつごう近代きんだい将棋しょうぎしゃ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、163ぺーじ
  13. ^ 生涯しょうがい通算つうさん成績せいせき770しょう592はいには、死去しきょの2023ねん2がつ8にちだい81順位じゅんいせん(Bきゅう2くみ不戦敗ふせんぱい1をふくむ(対局たいきょく予定よてい翌日よくじつである2がつ9にち死去しきょ公表こうひょう)。
  14. ^ 名人めいじんせん順位じゅんいせん」『日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい』。
  15. ^ 竜王りゅうおうせん」『日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい』。
  16. ^ 中田なかた宏樹ひろきはちだん、600しょう将棋しょうぎ栄誉えいよしょう)を達成たっせい将棋しょうぎニュース|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. 日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい. (2008ねん8がつ9にち). https://www.shogi.or.jp/news/2008/08/post_68.html 2017ねん10がつ5にち閲覧えつらん 
  17. ^ a b れい3年版ねんばん 将棋しょうぎ年鑑ねんかん 2021」p82.
  18. ^ a b れい4年版ねんばん 将棋しょうぎ年鑑ねんかん 2022」p76.
  19. ^ 2023ねん4がつ12にち時点じてん公表こうひょうされている2022年度ねんど成績せいせきは3しょう14はい(不戦ふせん5きょく)(出典しゅってん:2022年度ねんど棋士きし成績せいせき記録きろく年度ねんどべつ成績せいせき・ランキング|成績せいせき・ランキング|日本にっぽん将棋しょうぎ連盟れんめい” (2023ねん4がつ1にち). 2023ねん4がつ1にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん4がつ1にち閲覧えつらん)。
  20. ^ a b 中田なかた死去しきょ戦局せんきょくあつかいとなった7きょく以下いかのとおり(すべて2023ねん。2022年度ねんど5きょく、2023年度ねんど2きょく)。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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