(Translated by https://www.hiragana.jp/)
低ザクセン語 - Wikipedia

ていザクセン低地ていちザクセンNeddersassisch)は、西にしゲルマンぐんのうち低地ていちドイツNiederdeutsch)、もしくはていザクセン・ていフランケン諸語しょご(Low Saxon-Low Franconian)[2]ぞくする地方ちほう言語げんご

ていザクセン
低地ていちザクセン
Neddersassisch
はなされるくに ドイツの旗 ドイツ
オランダの旗 オランダ
地域ちいき ドイツニーダーザクセンしゅう南部なんぶ一部いちぶのぞく)・ノルトライン=ヴェストファーレンしゅう北部ほくぶザクセン=アンハルトしゅう北西ほくせいオランダ南部なんぶ一部いちぶのぞく)
話者わしゃすう やく5000まんにん
言語げんご系統けいとう
表記ひょうき体系たいけい ラテン文字もじ
公的こうてき地位ちい
公用こうよう ニーダーザクセンしゅう
シュレースヴィヒ=ホルシュタインしゅう
自由じゆうハンザ都市としハンブルク
自由じゆうハンザ都市としブレーメン
ザクセン=アンハルトしゅう
ノルトライン=ヴェストファーレンしゅう
言語げんごコード
ISO 639-2 nds
ISO 639-3 nds
ていザクセンはなされる地域ちいき
消滅しょうめつ危険きけん評価ひょうか
Vulnerable (Moseley 2010)
テンプレートを表示ひょうじ
現時点げんじてんでドイツ方言ほうげんされる言葉ことば分布ぶんぷ黄色おうしょく部分ぶぶんのうちの(1-7)が「ていザクセン」のはなされる地域ちいき

ドイツ北部ほくぶ方言ほうげんともされてきたしょ言語げんごうちエルベがわより西にしドイツオランダ北東ほくとうはなされる地方ちほう言語げんごす。地理ちりてき要因よういんから標準ひょうじゅんドイツ高地たかちドイツ)、中部ちゅうぶドイツ上部うわべドイツ、オランダなどとかかわりをち、それらの言語げんご方言ほうげんかがしばしば議論ぎろんされる。

ISO 693-2言語げんごコードは「nds」。

概要がいよう

編集へんしゅう

西にしゲルマンぐん一種いっしゅであるていザクセンは、標準ひょうじゅんドイツ高地たかちドイツひがし中部ちゅうぶドイツテューリンゲン・オーバーザクセン方言ほうげん母胎ぼたいにして近世きんせいつくられた)が経験けいけんした「だい子音しいん推移すいい」ないし「高地たかちドイツ子音しいん推移すいい」とばれる子音しいん変化へんか経験けいけんしていないので、英語えいごフリジア、スカンジナビアしょ言語げんごとの共通きょうつうてん標準ひょうじゅんドイツよりおおい。文法ぶんぽうまとにも、英語えいご共通きょうつう部分ぶぶんがある。たとえば、ていザクセン名詞めいしには、かくが3つしかない(標準ひょうじゅんドイツは4、英語えいご代名詞だいめいしで3)。北部ほくぶ方言ほうげんでは、過去かこ分詞ぶんしにドイツやオランダのそれにくようなge-がかず、おおくの南部なんぶ方言ほうげんではge-のわりにe-が使つかわれる。このようなおおくの相違そういてんから言語げんごがくてき見地けんちからは、おな西にしゲルマンぐんぞくするべつ言語げんご、つまりは外国がいこくじんにとってのドイツであるところの標準ひょうじゅんドイツ親子おやこ関係かんけいではなく、むしろフランス語ふらんすごたいするイタリアスペインのような兄弟きょうだいとしての位置いちにあるとかんがえるのが一般いっぱんてき見解けんかいである。

しかし、ドイツ政府せいふ近年きんねんいたるまでこの事実じじつ否定ひていてきとらえ、あくまでドイツ一方いっぽうげんとして処理しょりしてきた歴史れきしつ。これは元々もともとなんらかの言語げんご独立どくりつ言語げんごなのか方言ほうげんなのかを客観きゃっかんてきめることは言語げんご学者がくしゃ仕事しごとではなく、おおくの場合ばあい政治せいじてき理由りゆうから判断はんだんされることがおおいためである。領土りょうど経済けいざい人口じんこう文化ぶんか歴史れきしなど様々さまざまめんで「ドイツじん」のすくなくない部分ぶぶんになってきたきたドイツ住民じゅうみんが、言語げんごというもっと重要じゅうよう文化ぶんかてき概念がいねんにおいてほかのドイツ住民じゅうみんとのちがいがおおきい性質せいしつつことは、ドイツ住民じゅうみん意識いしきうえ単一たんいつまとめたいドイツ政府せいふにとってみとがたいことだった。

しかし政府せいふ立場たちばはともかく、学術がくじゅつてきにはきたドイツではなされる言葉ことば中部ちゅうぶ南部なんぶはなされる言葉ことばとはいちじるしくことなる特徴とくちょうっており、人為じんいてきつくされたとってよい標準ひょうじゅん存在そんざいければ意思いし疎通そつうすら困難こんなんわねばならない。

ていザクセン歴史れきしおおきく古代こだい中世ちゅうせい現代げんだいけられる。

ザクセン(800ねん[3]–1200ねん

編集へんしゅう

ザクセンエルベがわ近辺きんぺんしょうじたとかんがえられている言語げんごもとになっており、フランク英語えいごフリジアとともに北海ほっかいゲルマン分類ぶんるいされ、今日きょうていザクセン英語えいごもとになったとされる(英語えいごではていザクセンていサクソンえい: Low Saxonぶ)。実際じっさい文字もじとしてあらわれるのは9世紀せいきからである。上述じょうじゅつとおり、近年きんねんまでドイツ政府せいふ国民こくみん国家こっか目指めざした民族みんぞく政策せいさくからていザクセン標準ひょうじゅんドイツ起源きげんである中東ちゅうとうドイツ方言ほうげん判断はんだんしており、その辻褄つじつまわせるためにザクセンも「低地ていちドイツ」(Altniederdeutsch)と呼称こしょうしていた。しかしこれは明確めいかくな(あるいは確信かくしんてきな)あやまりで、「ザクセン」(Altsächsisch)と呼称こしょうするのが正当せいとうであるとする見解けんかいがある。

中世ちゅうせいザクセン(1200ねん–1650ねん

編集へんしゅう

ザクセン時代じだい徐々じょじょきたドイツやそれにちか地域ちいきひろまっていったていザクセンは、中世ちゅうせい時代じだい飛躍ひやくときむかえる。北方ほっぽうバルト海ばるとかい海上かいじょう貿易ぼうえきいちにない、近世きんせいヨーロッパにそのらしめたハンザ同盟どうめい公用こうようとされたのである。ハンザ同盟どうめい勢力せいりょく拡大かくだいとも北欧ほくおうへと進出しんしゅつしたていザクセン現地げんち言葉ことばざりい、みずからと北欧ほくおう言語げんご双方そうほうあらたな変化へんかあたえた。

ふるいドイツ関連かんれん資料しりょうではこのていザクセンによる北欧ほくおうしょ言語げんごへの影響えいきょうを「(標準ひょうじゅん)ドイツ成果せいか」としているものおおいが、これもあやまりである。

現代げんだいザクセン(1650ねん–)

編集へんしゅう

17世紀せいき後半こうはんからは、Neddersassischという呼称こしょう徐々じょじょPlattdüütschという呼称こしょうってわられるようになった[3]

現代げんだいていザクセン多数たすう方言ほうげんかかえているが、相互そうご理解りかい手段しゅだんである標準ひょうじゅん制定せいていされていない。これはていザクセンいくつかのくに存在そんざいすることや、だい多数たすうめるきたドイツの話者わしゃが、長年ながねんわたってそれぞれ一方いっぽうげんという地位ちいめられていたためである。オランダでいくつかの方言ほうげんまとめて標準ひょうじゅんつくろうとするこころみもられたが、ていザクセン全体ぜんたい統合とうごうには程遠ほどとお状況じょうきょうにある。

ていザクセン復興ふっこう

編集へんしゅう

きたドイツではなされる言葉ことば中部ちゅうぶ南部なんぶドイツの言語げんごやオランダことなる言語げんごではないのか、という指摘してき過去かこから今日きょういたるまで幾度いくどもなされていた。しかしドイツの言語げんご学会がっかいとく冷戦れいせん西にしドイツ)ではこうした議論ぎろんなかきんじられ、きたドイツの言葉ことばかんする研究けんきゅうしゃたち暗黙あんもく了解りょうかいとして「ていドイツ」としての研究けんきゅうしかおこなえなかった[4]

政府せいふ語学ごがく教育きょういくへの圧力あつりょくから、若年じゃくねんそうきたドイツ住民じゅうみん自分じぶんたちの「方言ほうげん」が標準ひょうじゅんドイツとは距離きょりがあるという事実じじつらず、さらにはアメリカに移住いじゅうしたドイツ地方ちほう出身しゅっしんしゃおおくが標準ひょうじゅんドイツではなく、ていザクセンもちいている歴史れきしてき事実じじつすららぬままにごしている。独立どくりつ言語げんご象徴しょうちょうである「行政ぎょうせいてき手続てつづきでの使用しよう」もサクソン時代じだいようにはかなわず、地方ちほう言語げんご文学ぶんがく製作せいさく局地きょくちてき展開てんかいとどまっていた。これらはていザクセン存続そんぞくにとって重大じゅうだい危機ききであり、言語げんご消滅しょうめつはもちろん、ていザクセン自体じたいかく方言ほうげん一層いっそう独自どくじにより、さらなる分裂ぶんれつ可能かのうせいもある。

しかし冷戦れいせんのヨーロッパにひろがったローカリズム郷土きょうど主義しゅぎ)に由来ゆらいする方言ほうげん保護ほご運動うんどうたかまりや、既存きそん国家こっか枠組わくぐみをゆるめたい欧州おうしゅう連合れんごう後援こうえんもと他国たこく言語げんご方言ほうげん同様どうようていザクセンもその地位ちい向上こうじょうさかんにもとめられる時代じだいになりつつある。80年代ねんだいから90年代ねんだいにかけてきたドイツ各地かくちていザクセン復興ふっこう運動うんどう展開てんかいされ、おおきな成功せいこうおさめた。1994ねん欧州おうしゅう連合れんごうていザクセン独立どくりつした地域ちいき言語げんごであるとし、1999ねんにはヨーロッパ地方ちほう言語げんご少数しょうすう言語げんご憲章けんしょうEuropean Charter for Regional or Minority Languages)による保護ほごがドイツ政府せいふめいじられている。これによってていザクセン分布ぶんぷ地域ちいきにおいて公的こうてきもちいること可能かのうになり、テレビなどの放送ほうそう言語げんご実際じっさいもちいられている。「ていザクセン運動うんどう」が国内外こくないがいでの正当せいとうせい獲得かくとくしたこと独立どくりつにとってのおおきな後押あとおしとなった[5]

現在げんざいのところていザクセン公用こうようとされているのは、ニーダーザクセンしゅうシュレースヴィヒ=ホルシュタインしゅう自由じゆうハンザ都市としハンブルク自由じゆうハンザ都市としブレーメンで、きたドイツのだい部分ぶぶんふくんでいる。しかし一方いっぽうザクセン=アンハルトしゅうブランデンブルクしゅうなどはていザクセンけんていザクセンけん双方そうほうにまたがっているためか、1999ねん保護ほご対象たいしょうからは除外じょがいされている。

文学ぶんがくてき地位ちい

編集へんしゅう

方言ほうげんかれている言語げんご国際こくさいてき認知にんちて、文語ぶんごとしての地位ちい確立かくりつするにはその言語げんご独自どくじ文学ぶんがく不可欠ふかけつである。ていザクセン例外れいがいではなく、詩人しじんクラウス・グロートフリッツ・ロイターらがさかんにていザクセン方言ほうげん文学ぶんがく製作せいさくし、たか名声めいせい獲得かくとくしている。ただし前者ぜんしゃはホルシュタイン後者こうしゃはメクレンブルク執筆しっぴつしており、かならずしもおながた文章ぶんしょうというわけではない。こうしたことていザクセンもまたひとつの言語げんごたりえるかどうかという問題もんだいてんしめしている。

方言ほうげん

編集へんしゅう
 
低地ていちドイツ方言ほうげん
 
プロイセン地方ちほうのぞき、低地ていち地方ちほうふくんだもの
  • ていザクセンNiedersächsisch
    • 1.シュレスヴィヒSchleswigisch
    • 2.ホルシュタインHolsteinisch
    • 3.きたていザクセンNordniedersächsisch
      • 3-1.ハンブルクHamburgisch) - ハンブルク中心ちゅうしんはなされる言語げんご
    • 4.オストフリースOstfriesisch) - ていザクセンひがしフリースラント方言ほうげんであり、ひがしフリジア (Saterfriesisch/Saterländisch) とはことなる。
    • 5.オランダていザクセンNedersaksisch) - ていザクセンのうち、オランダ領内りょうないはなされるウェスタークワーティアとうしょ方言ほうげんていフランク諸語しょごふくまれる狭義きょうぎオランダとは区分くぶんされる。
    • 6.ヴェストファーレンWestfälisch
    • 7.オストファーレンOstfälisch) - 発音はつおんかんしてはハノーファー都市とし発音はつおんもっともドイツ標準ひょうじゅんちかいとされる。

番号ばんごうみぎ地図ちず準拠じゅんきょ

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ 亀井かめいたかし河野こうの六郎ろくろう千野ちの栄一えいいち編著へんちょ、『言語げんごがくだい辞典じてんセレクション・ヨーロッパの言語げんご三省堂さんせいどう、1998ねん、275ぺーじ
  2. ^ a b エスノローグ ドイツにおけるしょ言語げんご項目こうもくより ていザクセン
  3. ^ a b 亀井かめいたかし河野こうの六郎ろくろう千野ちの栄一えいいち編著へんちょ、『言語げんごがくだい辞典じてんセレクション・ヨーロッパの言語げんご三省堂さんせいどう、1998ねん、282ぺーじ
  4. ^ Sanders, W: "Sachsensprache — Hansesprache — Plattdeutsch. Sprachgeschichtliche Grundzüge des Niederdeutschen, Göttingen 1982
  5. ^ Institut für niederdeutsche Sprache - Zeitschriften Archived 2007ねん1がつ18にち, at the Wayback Machine.

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

外部がいぶリンク

編集へんしゅう