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台湾銀行 - Wikipedia

台湾たいわん銀行ぎんこう

台湾たいわん大手おおて商業しょうぎょう銀行ぎんこう、および台湾たいわん最初さいしょ銀行ぎんこう

台湾たいわん銀行ぎんこう(たいわんぎんこう)は中華民国ちゅうかみんこく台湾たいわん銀行ぎんこうで、台湾たいわん最大さいだい商業しょうぎょう銀行ぎんこう。かつては中央ちゅうおう銀行ぎんこう、もしくは実質じっしつてき中央ちゅうおう銀行ぎんこうであったが、その役割やくわり現在げんざい中華民国ちゅうかみんこく中央ちゅうおう銀行ぎんこうになっている。略称りゃくしょうたいぎん

台湾たいわん銀行ぎんこう
各種かくしゅ表記ひょうき
繁体字はんたいじ 臺灣たいわん銀行ぎんこう
ちゅう音符おんぷごう ㄊㄞˊ ㄨㄢ ㄧㄣˊ ㄏㄤˊ
台湾たいわん白話はくわ Tâi-oân Gîn-hâng
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日本にっぽん統治とうち時代じだい

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台湾たいわん銀行ぎんこう初代しょだい本店ほんてん(1916ねん

日本にっぽん統治とうち時代じだい台湾たいわん銀行ぎんこうとは、1897ねん明治めいじ30ねん)4がつ1にち公布こうふされた「台湾たいわん銀行ぎんこうほう」によって1899ねん明治めいじ32ねん)7がつ5にち設置せっち、9月26にち営業えいぎょう開始かいしされた、台湾たいわん貨幣かへいたいぬさ)の発行はっこうけん特殊とくしゅ銀行ぎんこうであるとともに、日本にっぽん統治とうち時代じだい台湾たいわんにおける最大さいだい商業しょうぎょう銀行ぎんこうである。創立そうりつ資本しほんきんは500まんえんであったが、1910ねん明治めいじ43ねん)、1915ねん大正たいしょう4ねん)、1918ねん大正たいしょう7ねん)、1919ねん大正たいしょう8ねん)と増資ぞうしされ、最終さいしゅうてきには6,000まんえんたっした。本店ほんてん台北たいぺいにおかれ、支店してんすう31、出張所しゅっちょうしょ1をゆうした。

営業えいぎょう開始かいしまでのみちのり

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台湾たいわん銀行ぎんこうほう」の制定せいてい理由りゆうにある設立せつりつ趣意しゅいしょには、「台湾たいわん銀行ぎんこう台湾たいわん金融きんゆう機関きかんとしてしょう工業こうぎょうならびに公共こうきょう事業じぎょう資金しきん融通ゆうずう台湾たいわんとみげん開発かいはつ経済けいざいじょう発達はったつはかり、なおすすみて営業えいぎょう範囲はんいみなみきよし地方ちほう南洋なんよう諸島しょとう拡張かくちょうとう諸国しょこく商業しょうぎょう貿易ぼうえき機関きかんとなり金融きんゆう調和ちょうわするを以って目的もくてきとす。」とある。1897ねん明治めいじ30ねん)の「台湾たいわん銀行ぎんこうほう」の制定せいてい台湾たいわん銀行ぎんこう設立せつりつ準備じゅんびさい台湾たいわん金本位きんほんいせいにするか銀本位ぎんほんいせいにするかおおきな問題もんだいとなった。結局けっきょくぎんかね計算けいさんさせて、刻印こくいんえんぎん流通りゅうつうさせた。こうした議論ぎろんなかで、「台湾たいわん銀行ぎんこうほう」が施行しこうされた2ねんの1899ねん明治めいじ32ねん)になって台湾たいわん銀行ぎんこう設立せつりつうごきが、ようやく加速かそくした。同年どうねん3がつ台湾たいわん事業じぎょう公債こうさいほう」が制定せいていされ、土地とち調査ちょうさ事業じぎょう鉄道てつどう建設けんせつ港湾こうわん設備せつび必要ひつよう費用ひよう3,500まん公債こうさい調達ちょうたつし、その公債こうさい消化しょうか専売せんばい事業じぎょう収入しゅうにゅう充当じゅうとうすることが決定けっていされると、台湾たいわん銀行ぎんこう公債こうさい発行はっこうよう地位ちいあたえられて、その設立せつりついそがれた。設立せつりつ当初とうしょより株式かぶしき募集ぼしゅう予定よていどおすすんでいなかったため、日本にっぽん政府せいふは、「台湾たいわん銀行ぎんこう補助ほじょほう」(明治めいじ32ねん法律ほうりつだい35ごう)を制定せいていし、どう銀行ぎんこう資本しほんきん500まんえんのうち100まんえん引受ひきうけ、また創立そうりつ当初とうしょより5年間ねんかん政府せいふ引受ひきうけ株式かぶしきたいする配当はいとうきん欠損けっそん補填ほてん準備じゅんびきんれるべく、政府せいふはその引受ひきうけ株式かぶしき売却ばいきゃくせず、また政府せいふかね200まんえん相当そうとうする銀貨ぎんか利子りしにて5年間ねんかん貸与たいよするものとさだめた。この結果けっかはじめて株式かぶしき募集ぼしゅう成功せいこうすることとなり、同年どうねん9がつ資本しほんきん500まんえんをもって、ようやく営業えいぎょう開始かいしすることができた[1][2]

業務ぎょうむ中央ちゅうおう銀行ぎんこうとして)

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1937ねん竣工しゅんこう台湾たいわん銀行ぎんこう本店ほんてん

台湾たいわんにおける中央ちゅうおう銀行ぎんこうとして、長期ちょうき短期たんき金融きんゆうしたがい、南中なんちゅうこく南洋なんよう貿易ぼうえき金融きんゆうのほかにたい欧米おうべい為替かわせ業務ぎょうむにも進出しんしゅつした。銀行ぎんこうけん発行はっこうはいつでも金貨きんか引換ひきかえるべき券面けんめん金額きんがく1えん以上いじょう銀行ぎんこうけん発行はっこうた(同額どうがくかね銀貨ぎんかおよび地金じがねぎん支払しはらい準備じゅんびとして)。ほかに2,000まんえんまでの保証ほしょう準備じゅんび発行はっこうゆるされ、さらに制限せいげんがい発行はっこうとし5パーセント以上いじょう発行はっこうぜい納付のうふ)をもなした。

業務ぎょうむ商業しょうぎょう銀行ぎんこうとして)

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台湾たいわん銀行ぎんこうは、台湾たいわん産業さんぎょう資金しきん融資ゆうしし、その豊富ほうふ資源しげん開発かいはつし、南中なんちゅうこく南洋なんようとの貿易ぼうえき金融きんゆうをつかさどった。 その具体ぐたいてき業務ぎょうむは:

  1. 為替かわせ手形てがたその商業しょうぎょう手形てがた割引わりびき
  2. 為替かわせおよび荷為替にがわせ
  3. 平常へいじょう取引とりひきする会社かいしゃおよび商人しょうにんのため手形てがたきん取立とりたて
  4. 確実かくじつ担保たんぽのある貸付かしつけ
  5. あずかきんおよび当座とうざ貸付かしつけ
  6. きむ銀貨ぎんか貴金属ききんぞくおよび証券しょうけん保護預ほごあずか
  7. 地金じがねぎん売買ばいばいおよび貨幣かへい交換こうかん
  8. づけ社債しゃさいにかんする信託しんたく業務ぎょうむ
  9. 銀行ぎんこう業務ぎょうむ代理だいり
  10. 国債こくさい地方ちほうさい株式かぶしき募集ぼしゅう、その払込はらいこみきん受入うけいれまたはその元利がんりきんもしくは配当はいとうきん支払しはらい取扱とりあつかい
  11. 国債こくさい地方ちほうさいかく債券さいけんおよび主務しゅむ大臣だいじん認可にんかけた有価ゆうか証券しょうけん応募おうぼ引受ひきうけかいいれ

などであった。 台湾たいわん最大さいだい商業しょうぎょう銀行ぎんこうであり、1926ねん大正たいしょう15ねんにおける台湾たいわん銀行ぎんこう資本しほんがくは、ぜん台湾たいわん銀行ぎんこうそう資本しほんがくの45パーセントをめていた。当時とうじ台湾たいわん商工しょうこう銀行ぎんこう華南かなん銀行ぎんこうあきら銀行ぎんこう台湾たいわん貯蓄ちょちく銀行ぎんこう4銀行ぎんこう資金しきん支配しはいし、直接ちょくせつ間接かんせつとうぎょうちゃ樟脳しょうのう、タバコ、しおぎょうなどの産業さんぎょう支配しはいした。のちには営業えいぎょう華南かなんおよび南洋なんよう諸島しょとうにも拡張かくちょうした。

鈴木すずき商店しょうてんへの貸出かしだし休業きゅうぎょう再建さいけん

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だいいち世界せかい大戦たいせんなか戦争せんそう景気けいき投機とうきてき取引とりひきおこな莫大ばくだい利益りえきげた鈴木すずき商店しょうてん資金しきん融通ゆうずうし、このころから、台湾たいわんない取引とりひきがくより、日本にっぽんでの取引とりひきがく上回うわまわるようになった。1920年代ねんだい後半こうはん時点じてんでは、そう貸出かしだしがく7おくえんあまりのうち、半分はんぶんちかくの3おく5,000まんえん鈴木すずき商店しょうてんへの貸出かしだしであった。ここまでの割合わりあい貸出かしだしがおこなわれた背景はいけいには鈴木すずき商店しょうてん経営けいえいしゃである金子かねこ直吉なおきち日本にっぽん財閥ざいばつけい銀行ぎんこうきらっていたという事情じじょうがあり、台湾たいわん銀行ぎんこうがわ日本にっぽんへの貸付かしつけをおこなうためにかねてより鈴木すずき商店しょうてんからもうとしていた。つまり鈴木すずき商店しょうてんとは取引とりひきじょう依存いぞん関係かんけいにあった。

1920ねん大正たいしょう9ねん)にはじまった反動はんどうきょう鈴木すずき商店しょうてん危機ききおちいると、震災しんさい手形てがた一時いちじしのぐが、膨大ぼうだい不良ふりょう債権さいけんかかえ、1927ねん昭和しょうわ金融きんゆう恐慌きょうこう休業きゅうぎょうおちいる。モラトリアム実施じっし

1925ねん9がつ1にち株主かぶぬし総会そうかい損失そんしつ整理せいりあん決定けってい、4ぶんの1減資げんし積立つみたてきん全額ぜんがくとりくずしなど。1927ねん3がつ26にち鈴木すずき商店しょうてん新規しんき貸出かしだし停止ていし通知つうち。1927ねん4がつ5にち台湾たいわん銀行ぎんこう調査ちょうさかい官制かんせい公布こうふみことのりれい)、会長かいちょう井上いのうえ準之助じゅんのすけ、5月13にち阪谷さかたに芳郎よしお、7がつ13にち台湾たいわん銀行ぎんこう整理せいりあん答申とうしん。1927ねん7がつ19にち閣議かくぎ台湾たいわん銀行ぎんこう整理せいりあん決定けってい。9月1にち株主かぶぬし総会そうかい資本しほんきん3ぶんの2切捨きりすてなどの整理せいりあん承認しょうにん。これらの措置そちおよ政府せいふ支援しえん措置そちによって再建さいけんした(参照さんしょう:台湾たいわん銀行ぎんこう整理せいり方針ほうしんせきスルけん」(昭和しょうわ2ねん[1927ねん]7がつ19にち閣議かくぎ決定けってい国立こくりつ公文書こうぶんしょかん。)。

だい世界せかい大戦たいせん

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1945ねん昭和しょうわ20ねんだい世界せかい大戦たいせん敗戦はいせん同年どうねん9月30にちGHQ終戦しゅうせん連絡れんらく中央ちゅうおう事務じむきょくつう日本にっぽん政府せいふたいし「植民しょくみん銀行ぎんこう外国がいこく銀行ぎんこうおよ特別とくべつ戦時せんじ機関きかん閉鎖へいさ」にかんする覚書おぼえがき交付こうふ。この覚書おぼえがきもとづき、台湾たいわん銀行ぎんこう即時そくじ閉鎖へいさする銀行ぎんこう閉鎖へいさ機関きかん)の対象たいしょうとなり[3]清算せいさんされ解散かいさんした(昭和しょうわ20ねん大蔵おおくら外務がいむ内務ないむ司法省しほうしょうれいだい1ごう外地がいち銀行ぎんこう外国がいこく銀行ぎんこうおよ特別とくべつ戦時せんじ機関きかん閉鎖へいさかんするけん」)。

1957ねん昭和しょうわ32ねん)2がつ25にち当社とうしゃ株式かぶしき店頭てんとう売買ばいばい廃止はいしとなった[4]

なお、1957ねん3がつ18にち国内こくない残余ざんよ資産しさんによって日本にっぽん貿易ぼうえき信用しんよう株式会社かぶしきがいしゃげん:株式会社かぶしきがいしゃ日貿信にちぼうしん)が設立せつりつされた。4月1にち開業かいぎょう

きゅう東京とうきょう支店してん跡地あとち東洋信託銀行とうようしんたくぎんこう本社ほんしゃビル(:UFJ信託しんたく銀行ぎんこう本社ほんしゃげん:三菱みつびしUFJ信託しんたく銀行ぎんこう東京とうきょう営業えいぎょうビル)が建設けんせつされた。また、上海しゃんはい租界そかいそとなだ支店してん建物たてもの建設けんせつされた(げん:招商銀行ぎんこう支店してん)。

台湾たいわん銀行ぎんこう歴代れきだい頭取とうどり日本にっぽん統治とうち時代じだい

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中華民国ちゅうかみんこく統治とうち時代じだい

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台湾たいわん銀行ぎんこうのロゴ
台湾たいわん銀行ぎんこう
 
台北たいぺいにあるほんぎょうビル(2007ねん
各種かくしゅ表記ひょうき
繁体字はんたいじ 臺灣たいわん銀行ぎんこう
簡体字かんたいじ 台湾たいわん银行
拼音 Táiwān Yínháng
台湾たいわん白話はくわ Tâi-oân Gîn-hâng
日本語にほんごみ: たいわんぎんこう
英文えいぶん Bank of Taiwan
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中華民国ちゅうかみんこく統治とうち時代じだい台湾たいわん銀行ぎんこうとは、だい世界せかい大戦たいせん1946ねんに、前述ぜんじゅつ日本にっぽん統治とうち時代じだい台湾たいわん銀行ぎんこう台湾たいわん貯蓄ちょちく銀行ぎんこう三和銀行さんわぎんこう台湾たいわんないでの店舗てんぽもうきゅう:大阪おおさか中立ちゅうりつ銀行ぎんこう後身こうしん)を統合とうごううえ設立せつりつされた、台湾たいわん最大さいだい商業しょうぎょう銀行ぎんこうである。

法的ほうてき位置いちづけとしては新設しんせつ金融きんゆう機関きかんであるが、実態じったいとしては日本にっぽん統治とうち時代じだい台湾たいわん銀行ぎんこう後身こうしんである。また台北たいぺいにあるほんぎょう本店ほんてん)のとなりには中華民国ちゅうかみんこく総統そうとうきゅう:台湾たいわん総督そうとく)がある。また、中正ちゅうせいにある建築けんちく西村にしむらよしみとき設計せっけいによりてられた日本にっぽん統治とうち時代じだい本店ほんてんはそのまま現在げんざい使用しようされている。

 
台湾たいわん銀行ぎんこう発行はっこう台湾たいわんドル紙幣しへい

設立せつりつ当初とうしょ国営こくえいではなく台湾たいわんしょう営で、1998ねん組織そしき改革かいかくにより、財政ざいせい全額ぜんがく出資しゅっし国営こくえい銀行ぎんこうとなっている。なお、当該とうがい組織そしき改革かいかく2000ねん時点じてんまで中華民国ちゅうかみんこく中央ちゅうおう銀行ぎんこう発券はっけん業務ぎょうむおよび国庫こっこ業務ぎょうむ受託じゅたくしていたが、台湾たいわん銀行ぎんこうはあくまでも商業しょうぎょう銀行ぎんこうであり、中央ちゅうおう銀行ぎんこうではなかった。この措置そち台湾たいわん銀行ぎんこう中華民国ちゅうかみんこく台湾たいわんしょうおよびその附属ふぞくだけの地方ちほう発券はっけん銀行ぎんこう中華民国ちゅうかみんこく全国ぜんこく中央ちゅうおう銀行ぎんこうではないという法的ほうてき位置いちづけがあったためとされている。

また台湾たいわん銀行ぎんこう発券はっけんした台湾たいわんドルであるが、2003ねん6月30にちをもって流通りゅうつう停止ていしとなっており、2020ねん現在げんざいでは商業しょうぎょう取引とりひき利用りようできない。そのため、原則げんそくとして台湾たいわん銀行ぎんこうけん台湾たいわん銀行ぎんこう窓口まどぐち中華民国ちゅうかみんこく中央ちゅうおう銀行ぎんこう発行はっこう紙幣しへい交換こうかんしなければならない。

2007ねん7がつ1にちおなじく国営こくえい金融きんゆう機関きかんである中央ちゅうおう信託しんたくきょく吸収きゅうしゅう合併がっぺいした。2008ねん1がつ1にち中華民国ちゅうかみんこく財政ざいせいが100%出資しゅっしする「臺灣たいわんきんひかえ」(Taiwan Financial Holdings、台湾たいわんフィナンシャルホールディングス)が設立せつりつされ、台湾たいわん銀行ぎんこうはその傘下さんかとなった。将来しょうらいてきには、株式かぶしき市場いちば上場じょうじょうし、民営みんえいされる予定よていである。合併がっぺい資金しきんりょうは3ちょう台湾たいわんドル程度ていどとなる見込みこみで、台湾たいわん最大さいだい商業しょうぎょう銀行ぎんこうとしての立場たちば維持いじする。

2012ねん9がつ17にち中国ちゅうごく上海しゃんはい支店してん開設かいせつした。どう支店してんは、中国ちゅうごくにおける台湾たいわんドル決済けっさいゆきとして、中台ちゅうたいあいだ金融きんゆう決済けっさい業務ぎょうむ担当たんとうする。

日本にっぽんでは東京とうきょう千代田ちよだ内幸町うちさいわいちょう東京とうきょう支店してん設置せっちされている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 矢内やないはら忠雄ただお帝国ていこく主義しゅぎ台湾たいわん岩波書店いわなみしょてん(1988ねん)9~10ページ
  2. ^ 岩波いわなみ講座こうざ 近代きんだい日本にっぽん植民しょくみんだい3かん)「植民しょくみん産業さんぎょう所収しょしゅう小林こばやし英夫ひでお植民しょくみん経営けいえい特質とくしつ
  3. ^ まんてつ朝鮮ちょうせん銀行ぎんこうなど即時そくじ閉鎖へいさ指令しれい昭和しょうわ20ねん10がつ1にち 朝日新聞あさひしんぶん)『昭和しょうわニュース辞典じてんだい8かん 昭和しょうわ17ねん/昭和しょうわ20ねん』p356 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  4. ^ 株価かぶか20ねん 昭和しょうわ33年版ねんばん東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ、1958ねん3がつ13にち

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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