(Translated by https://www.hiragana.jp/)
在郷軍人会 - Wikipedia

在郷ざいきょう軍人ぐんじんかい

現役げんえきはなれた軍人ぐんじんによる組織そしき
在郷ざいきょう軍人ぐんじんから転送てんそう

在郷ざいきょう軍人ぐんじんかい(ざいごうぐんじんかい)は、現役げんえきはなれた軍人ぐんじんによって構成こうせいされる組織そしきのこと。一般いっぱんてき用語ようごとしては、「退役たいえき軍人ぐんじんかい」という言葉ことば混用こんようしてもちいられるが、在郷ざいきょう軍人ぐんじんかい予備よびやくにあるものによって構成こうせいされる。

日本にっぽん

編集へんしゅう

戦前せんぜんぐん現役げんえきはなれた軍人ぐんじん入会にゅうかいしていた団体だんたいし、これには全国ぜんこく統一とういつてき組織そしきとして帝国ていこく在郷ざいきょう軍人ぐんじんかい(ていこくざいごうぐんじんかい、きゅう字体じたいみかど󠄁くにざい鄕軍じんかい)があった。

帝国ていこく在郷ざいきょう軍人ぐんじんかい

編集へんしゅう
帝国ていこく在郷ざいきょう軍人ぐんじんかい[1]
みかど󠄁くにざい鄕軍じんかい
 
在郷ざいきょう軍人ぐんじんかい表彰ひょうしょうしき広島ひろしま陸軍りくぐん被服ひふくささえしょう、1944ねん2がつ
設立せつりつ 1910ねん明治めいじ43ねん11月3にち[1]
所在地しょざいち   日本にっぽん東京とうきょう東京とうきょう麹町こうじまちきゅうだん1-5(1937ねん[1]
主要しゅよう人物じんぶつ 総裁そうさい 伏見ふしみみやさだあい親王しんのう[1]
主眼しゅがん 軍人ぐんじん精神せいしん鍛練たんれん軍人ぐんじん能力のうりょく増進ぞうしん[1]
会員かいいんすう やく300まんにん(1937ねん[1]
団体だんたい やく1まん5000団体だんたい(1937ねん[1]
解散かいさん 1945ねん
テンプレートを表示ひょうじ

1910ねん明治めいじ43ねん11月3にち予備よびやく後備こうびやく軍人ぐんじん軍人ぐんじん精神せいしん向上こうじょう傷痍軍人しょういぐんじん軍人ぐんじん遺族いぞく救護きゅうごとう目的もくてき伏見ふしみみやさだあい親王しんのう総裁そうさいとして発足ほっそくした。

これは当時とうじ陸軍りくぐんしょう軍事ぐんじなが田中たなか義一ぎいちドイツ仕組しくみを参考さんこう組織そしき編成へんせいしたとわれている。当初とうしょ陸軍りくぐんのみの組織そしきであったが、1914ねん大正たいしょう3ねん)に海軍かいぐん対象たいしょうくわわり、陸海りくかいぐん共通きょうつう組織そしきとなる。

かいは、聖旨せいし奉戴ほうたいし、軍人ぐんじん精神せいしん振作しんさく軍事ぐんじ知識ちしき増進ぞうしん主眼しゅがんとし、ほかに社会しゃかい公益こうえきはかり、つね国民こくみん中堅ちゅうけんであることのげることを目的もくてきとする。

事業じぎょうとしては、

  • 勅語ちょくごみことのりさとしその奉読ほうどくしき四大しだいぶしそのにおける遙拝ようはいしき
  • 軍人ぐんじん精神せいしん鍛錬たんれん軍事ぐんじ学術がくじゅつ研究けんきゅうおよびえんじねりその
  • 毎年まいとし陸海りくかいぐん記念きねんにおける祝典しゅくてん戦没せんぼつしゃ祭典さいてん廃兵はいへい戦死せんししゃおよび公傷こうしょうびょうへい遺族いぞくたいする慰藉いしゃ
  • 会員かいいん応召おうしょう準備じゅんび整頓せいとん召集しょうしゅう事務じむ幇助ほうじょ徴兵ちょうへい志願しがんへい検査けんさおよび簡閲かんえつ点呼てんこ参会さんかいしゃ指導しどう
  • 入営にゅうえいしゃそのたいする軍事ぐんじ教育きょういく
  • 青年せいねん訓練くんれんしょ訓練くんれん幇助ほうじょ青少年せいしょうねんだん指導しどう協力きょうりょく
  • 風紀ふうき改善かいぜん協力きょうりょく社会しゃかい公益こうえき事業じぎょう幇助ほうじょ公安こうあん維持いじならびに非常時ひじょうじにおける救護きゅうご事業じぎょう援助えんじょ
  • 会員かいいん親睦しんぼく相互そうご扶助ふじょ
  • 精神せいしん修練しゅうれんおよび軍事ぐんじ一般いっぱん知識ちしき普及ふきゅうかんする講演こうえん機関きかんとして『戦友せんゆう』および『』の発行はっこうその

かいは、会員かいいん訓練くんれんおこな在郷ざいきょう軍人ぐんじん応召おうしょうそなえるだけではなく、召集しょうしゅう事務じむ徴兵ちょうへい検査けんさ簡閲かんえつ点呼てんこ協力きょうりょくおこなった。また、入営にゅうえい予定よていしゃ予習よしゅう訓練くんれん担当たんとうした。

本部ほんぶ陸軍りくぐんしょう東京とうきょう牛込うしごめ原町はるまち)にかれた。またかく府県ふけん単位たんいとして支部しぶ市町村しちょうそん会社かいしゃ単位たんいとして分会ぶんかい設置せっちされ、支部しぶ分会ぶんかい指導しどう各地かくち師団しだん司令しれい連隊れんたい司令しれいおこなった。

かい分会ぶんかい単位たんい組織そしきされ、本部ほんぶ東京とうきょうかれ、聯合れんごう支部しぶ師団しだん管下かんか区域くいきない支部しぶで、支部しぶ聯隊れんたい区域くいきない聯合れんごう分会ぶんかいで、分会ぶんかい市区しく町村ちょうそんない会員かいいんで、それぞれ組織そしきされる。1数個すうこ分会ぶんかいが、あるいはすう町村ちょうそんわせて1ふんかいが、ほかにかん私設しせつ工場こうじょう任意にんい工場こうじょう分会ぶんかいおよび工場こうじょう聯合れんごう分会ぶんかいが、それぞれかれる。一部いちぶ聯合れんごう分会ぶんかいもしくは分会ぶんかいには海軍かいぐん出身しゅっしん会員かいいんのために海軍かいぐんはんという1ふんかいかれた。

1931ねん昭和しょうわ6ねん調しらべで分会ぶんかい以上いじょう団体だんたいすう内外ないがいわせて14,443であり、昭和しょうわ7ねん海軍かいぐんはんかずは558である。

役員やくいん会長かいちょう1めいふく会長かいちょう2めいのほか本部ほんぶ理事りじ監事かんじおよび評議ひょうぎいん若干じゃっかんめいかれた。審議しんぎかいかい最高さいこう諮問しもん機関きかんで、正会員せいかいいんおよび現役げんえき軍人ぐんじんからる。評議ひょうぎいんかいかいおよびかく団体だんたい決議けつぎ機関きかんで、理事りじかい執行しっこう機関きかんで、理事りじには陸海りくかいぐん現役げんえき将校しょうこうをまじえて軍部ぐんぶとの連絡れんらくはかる。

在郷ざいきょう軍人ぐんじん陸軍りくぐんすすきぼし海軍かいぐんいかりに、けんたてとをわせた徽章きしょう正会員せいかいいん特別とくべつ会員かいいん役員やくいんとう等級とうきゅう役職やくしょくにより徽章きしょうのつくりに差異さいがある)をぐんころもみぎむねけることになっていた。

会員かいいん正会員せいかいいん特別とくべつ会員かいいんおよび名誉めいよ会員かいいんの3しゅで、昭和しょうわ6(1931)ねん4がつ1にち調査ちょうさで、会員かいいんすうは、正会員せいかいいん陸軍りくぐん2,581,109めい海軍かいぐん62,624めい、その特別とくべつ会員かいいんおよび名誉めいよ会員かいいん合計ごうけいすると2,868,458めいである。

1936ねん昭和しょうわ11ねん9月25にちみことのりれいによって帝国ていこく在郷ざいきょう軍人ぐんじんかいれい公布こうふされ、陸軍りくぐんしょう海軍かいぐんしょう共同きょうどう監督かんとくかれ、以後いご天皇てんのう機関きかんせつ撲滅ぼくめつ運動うんどうなど、軍部ぐんぶ政治せいじりょく強化きょうか協力きょうりょくした。

1945ねん昭和しょうわ20ねん8がつ31にち解散かいさん宣言せんげんされ、これをけて同年どうねん11月5にち帝国ていこく在郷ざいきょう軍人ぐんじんかいれい廃止はいしされた。

1947ねん1がつ4にち公職こうしょく追放ついほうれい昭和しょうわ22ねんみことのりれいだい1ごうにより、1937ねん昭和しょうわ12ねん)7がつから1945ねん9がつまで[2]在郷ざいきょう軍人ぐんじんかいこおり連合れんごうぶん会長かいちょう市町村しちょうそんぶん会長かいちょう地位ちいにあったものは公職こうしょく追放ついほうされた[3]

現在げんざい、これに相当そうとうする組織そしき自衛隊じえいたいいんのOB組織そしきである公益社こうえきしゃだん法人ほうじんたいともかいがある。

歴代れきだい在郷ざいきょう軍人ぐんじんかい会長かいちょう

編集へんしゅう

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ a b c d e f g 日本にっぽん文化ぶんか団体だんたい年鑑ねんかん 昭和しょうわじゅうさん年版ねんばん. 財団ざいだん法人ほうじん日本にっぽん文化ぶんか中央ちゅうおう連盟れんめい. (1938-05-01). p. 169-171 
  2. ^ 恵山えさんまち だい3へん 行政ぎょうせい だい4しょう 占領せんりょう行政ぎょうせい だい3せつ 占領せんりょう尻岸内しりきしないむら 3、公職こうしょくしゃ資格しかく審査しんさ - 函館はこだて 函館はこだて地域ちいき史料しりょうアーカイブ
  3. ^ 鳥取とっとりけん広報こうほう 号外ごうがい 昭和しょうわ26ねん6がつ30にち 公告こうこく 指定してい理由りゆう取消とりけし公告こうこくしょ (PDF)

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

外部がいぶリンク

編集へんしゅう