寺田 逸郎
てらだ いつろう | |
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1948 | |
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コロンビア・ロー・スクール | |
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人物
2007
2012
2014
2015
1948
2017
2018
略歴
- 1948
年 (昭和 23年 ) -京都 市 に生 まれる 大阪教育大学 附属 天王寺 中学校 卒業 東京 都立 日比谷 高等 学校 卒業 東京大学 法学部 卒業 [14]- 1972
年 (昭和 47年 ) -司法 修習 生 - 1974
年 (昭和 49年 ) -判事 補 に任命 され[2]、東京 地方裁判所 判事 補 - 1976
年 (昭和 51年 ) - コロンビア・ロー・スクール(LL.M.)[1] - 1977
年 (昭和 52年 ) -東京 地方裁判所 判事 補 ・東京 簡易 裁判所 判事 同年 -札幌 地方裁判所 ・札幌 家庭 裁判所 判事 補 ・札幌 簡易 裁判所 判事 - 1980
年 (昭和 55年 ) -大阪 地方裁判所 判事 補 ・大阪 簡易 裁判所 判事 - 1981
年 (昭和 56年 ) -東京 地方裁判所 判事 補 ・東京 簡易 裁判所 判事 同年 -法務省 民事局 付 - 1985
年 (昭和 60年 ) -駐 オランダ日本 大使館 一等 書記官 - 1988
年 (昭和 63年 ) -法務省 民事局 参事官 [2] - 1992
年 (平成 4年 ) -法務省 民事局 第 四 課長 [2] - 1993
年 (平成 5年 ) -法務省 民事局 第 三 課長 [2] - 1996
年 (平成 8年 ) -法務省 民事局 第 一 課長 [2] - 1998
年 (平成 10年 ) -法務省 大臣 官房 秘書 課長 [2] - 2001
年 (平成 13年 ) -法務省 司法 法制 部長 [2] - 2005
年 (平成 17年 ) -法務省 民事 局長 [2] - 2007
年 (平成 19年 ) -東京 高等 裁判所 判事 (部 総括 )[2] - 2008
年 (平成 20年 ) - さいたま地方裁判所 所長 - 2010
年 (平成 22年 ) -広島 高等 裁判所 長官 同年 最高 裁判所 判事 - 2014
年 (平成 26年 ) -第 18代 最高 裁判所 長官 - 2018
年 (平成 30年 ) -定年 退官 同年 -早稲田大学 特命 教授 [1]- 2019
年 (令 和 元年 ) -桐 花 大 綬章 受章 - 2020
年 (令 和 2年 ) -宮内庁 参与
主 な判決
時津風 部屋 力士 暴行 死 事件 - 2011年 (平成 23年 )8月 29日 、上告 を棄却 福岡 海 の中道 大橋 飲酒 運転 事故 - 2011年 (平成 23年 )10月 31日 、アルコールによる危険 運転 は事故 の状況 を総合 的 に判断 すべきだとし、飲酒 運転 による危険 運転 致死傷 罪 の成立 を広 く認 める判断 を示 し上告 を棄却 した[15]。長崎 市長 射殺 事件 - 2012年 (平成 24年 )1月 16日 、上告 を棄却 - NHK
受信 料 訴訟 - 2017年 (平成 29年 )12月6日 、NHKが受信 契約 を拒 む男性 に支払 いを求 めた訴訟 で、NHKの受信 料 徴収 制度 が憲法 が保証 する「契約 の自由 」に反 するかどうかが争 われ、この徴収 制度 を「合憲 」とする初 判断 を示 した。しかし同時 に「契約 を申 し込 んだ時点 で自動的 に成立 する」とのNHK側 の主張 も退 けており、契約 を拒 む人 から受信 料 を徴収 するためには、今後 も個別 に裁判 を起 こさなければならないものとした[16]。
その他
裁判官 出身 の最高裁 長官 のうち、最高裁 黎明 期 である初代 長官 の三 淵 忠彦 を除 いた最高裁 長官 の中 では、以下 のような異例 の経歴 を持 っている。東京 高裁 もしくは大阪 高裁 長官 を経験 せずに長官 となった例 は山口 繁 と寺田 逸郎 だけである。最高 裁判所 事務 総長 、司法研修所 長 、最高 裁判所 首席 調査官 の三 役 のうち、ひとつも経験 しないまま最高 裁判所 長官 に就任 したのは、町田 顯 と寺田 逸郎 のみである。
脚注
出典
- ^ a b c d e “
早稲田大学 大学院 法務 研究 科 特別 講演 会 :「法律 実務 のプロフィール平成 期 における変貌 ?」前 最高 裁判所 長官 寺田 逸郎 ” (PDF).早稲田大学 . 2022年 9月 13日 閲覧 。 - ^ a b c d e f g h i j “
平成 24年 12月16日 執行 最高 裁判所 裁判官 国民 審査 広報 (岐阜 県 選挙 管理 委員 会 )” (PDF). 2022年 9月 13日 閲覧 。 - ^
平成 24年 12月16日 執行 衆議院 議員 総 選挙 ・最高裁判所 裁判官 国民 審査 速報 結果 総務 省 - ^ “
首相 動静 (4月 1日 )【下段 、午後 5時 44分 の項 参照 】”.時事通信 . (2014年 4月 1日 ) 2014年 4月 1日 閲覧 。 - ^ “
最高裁 長官 に寺田 逸郎 氏 初 の親子 2代 で就任 】”.産経新聞 . (2014年 3月 6日 ) 2014年 3月 6日 閲覧 。 - ^ “
寺田 最高裁 長官 「痛恨 の出来事 、重大 に受 け止 める」ハンセン病 特別 法廷 ”.産経新聞 . (2016年 5月 2日 ) - ^ “
裁判 員 声 かけ事件 「一層 の工夫 で万全 期 す」と最高裁 長官 全国 高裁 長官 ・地家 裁 所長 会同 始 まる”.産経新聞 . (2016年 6月 23日 ) - ^ “NHK
受信 契約 義務 は「合憲 」金田 勝年 法相 が最高裁 に意見 陳述 戦後 2例 目 ”.産経新聞 . (2017年 4月 12日 ) - ^ “
最高裁 寺田 長官 が最終 登庁 8日 付 で定年 退官 ”.毎日新聞 . (2018年 1月 5日 ) - ^ “
最高裁 ・寺田 逸郎 長官 、8日 に退官 再婚 禁止 期間 短縮 、GPS捜査 …社会 変化 に対応 、多様 な事件 を審理 ”.産経新聞 . (2018年 1月 8日 ) - ^ 『
官報 』号外 第 14号 11P、令 和 元年 5月 21日 - ^ “
寺田 前 最高裁 長官 に桐 花 大 綬章 =市村 正親 さんら旭日 小 綬章 -春 の叙勲 ”.時事通信 . (2019年 5月 21日 ) 2019年 5月 21日 閲覧 。 アーカイブ 2019年 5月 23日 - ウェイバックマシン - ^ “
宮内庁 参与 に五 百 旗頭 氏 ら3人 渡辺 元 侍従 長 らと交代 ”.時事通信 . (2020年 6月 17日 ) 2021年 6月 7日 閲覧 。 - ^ “
最高 裁判所 裁判官 国民 審査 公報 ” (PDF).大分 県 選挙 管理 委員 会 (2012年 12月 ). 2014年 6月 11日 閲覧 。[リンク切 れ]アーカイブ - ^ “
福岡 ・飲酒 追突 3児 死亡 、懲役 20年 確定 へ”.読売新聞 . (2011年 11月3日 ) - ^ “NHK
受信 料 制度 は「合憲 」最高裁 が初 判断 ”.毎日新聞 . (2017年 12月6日 ) 2017年 12月6日 閲覧 。